その日、提督は珍しく暇だった。公式には。
「おはようございます! 提督、朝ですね! 調子はいかがでしょうか?」
「……ああ、おはよう、榛名。体は大丈夫なのか」
「はい! 榛名は大丈夫です! この日に備えて万全を期しました!」
「……そうか。そうだったな」
朝。低血圧気味なところのある提督は、往々にして起こされることが多い。
その日もまあ例外ではなかった。例外があるとすれば、それは榛名のテンションだろう。
金剛型は、4名とも (4隻と呼ぶべきか、はたまた4柱と呼ぶべきかは大いに意見の分かれるところである) 共通してテンションが高い。
それが彼女らの高速性能から来ているのか、単に長姉に引っ張られているのかは不明であるが、確実な共通点である。
榛名は本来その中でもっともローテンション、いやもっとも一般的な部類であったが、こと今日に限っては、褒美をねだる幼子のようなテンションの高さがあった。
「○七○○。すっかり朝です! 朝ですよー!」
寝ぼけた頭を榛名が手ずからの紅茶で起こし (この紅茶好きは間違いなく長姉が原因だろう) 、カーテンを開ける。
窓からは、港が見えた。主要部分は既に修復が済んでいる。
高炉セメントの在庫が十分にあったのは僥倖といっていい。海水を使えるからだ。離島のこの基地では生コンは手に入らないので、自前で作るしかないのだ。
――攻撃を受けて二週間でこれなら上等だろう。榛名に寝着を脱がされながら提督は思う。
明石が強く主張するものだから建設した (実際この小さな島では他に建てる場所もなかったが) 地下工廠は意外なほど有用だった。基地備蓄は大体が地下だ。
それでも輸送待ち物資が大量に吹っ飛んだが、逆に言えばあれは基地の物資ではない。吹っ飛んでも困るのは本国と前線で、この瞬間の自分たちではない。
だから、地上に置いたのだが。地下は狭いのだ。
遠くでは、駆逐艦組が警備を兼ねて荷降ろしを手伝っていた。一本しかないジブ・クレーンが爆撃で根本をやられたからだ。
輸送船のデリックから艀へコンテナが降りる。港へ引っ張り込むのだろう、暁と不知火が打ち合わせていた。
彼女らは小回りがきくので助かる。提督はそう思った。
基地所属艦隊は航路警備が主任務とされ、駆逐艦や軽巡洋艦が主体だ。他は少ない。重巡クラスが通商破壊に出てくれば、確実に被害が出る。
だがそれよりも難しいのは、同型艦配属率の低さだ。下手に全力を出させると、連携がとれない事態に陥りかねない。
例えば、特III型の暁と陽炎型の不知火、その原型艦の巡航速度には4ノットの差がある。
艦娘となった今は差こそ小さくなったが、ただでさえスタミナに欠ける駆逐艦級艦娘たちが速度調整に気を使うことになる。現場指揮官の軽巡級艦娘には気苦労が絶えない。
提督は根本から折れたクレーンに目をやる。明石が解体の陣頭指揮を執っていた。
少しずつクレーンがバラされ、地下へと運ばれていく。確か、倉庫の立て直しに使うとか言っていたはずだ。鋼材も貴重だから、使えそうだし使うと。
この島には大した建物はない。港と、倉庫と、"書類棟"と称される発令所や港湾管制室、提督執務室を兼ねた建物が、提督の城である。
これに艦娘たちの寮と地下の工廠、そして先の防衛戦で活躍した小さな基地滑走路を加えると、この島の人工物ほぼ全てと言ってよい。
実際、提督は左遷されたようなものだった。所属艦も一線級とは言いがたい。正規空母級の艦娘はおらず、戦艦級は抗命スレスレの真似をしてまでついてきた榛名だけ。
明石が配属されたのは、前線においておくと壊されそうだから、というのがもっとも正解らしい回答だ。前線で事が起こればすっ飛んでいき、治療や修繕をこなして帰ってくる。
「はい、提督。終わりましたよ」
「ん……ありがとう、榛名」
茫、と考え事をしている間に、榛名が着替えさせてくれていた。
ふわりとした香りに鼻腔を擽られ、提督は思わず顔を緩ませる。榛名はそれを見て笑みを深くし、ぎゅう、と提督を抱きしめた。
「榛名?」
「んふふ……さ、行きましょう、提督!」
榛名は笑ってそう言った。
*
その日、提督はのんびりと忙しかった。私事で。
榛名との約束を果たさねばならないからだ。つまり、デートだ。
デートと言っても、この島には娯楽施設はおろか商店すらない。例外は酒保だが、これを商店というのは些か以上に無理がある。
だから、やることといえば二人でのんびりと島を回り、竿を垂れ、夕日を眺め、二人で食事を共にするぐらいしかない。
「てーいとくっ」
「なんだ、榛名」
「ふふっ、なんでもありませんっ」
「……そうか」
だから、榛名の楽しそうな姿は、提督からして理解の難しいものだった。
(いや)
人間よりは、まだわかるかもしれん。提督はふとそんな思いに囚われた。
艦娘は艦娘だ。人間ではない。いくら艤装を外した彼女らが人間とほぼ同様とはいえ、それは人間「並み」の扱いをされる理由にしかならない。
艦娘と長いこと関わっていれば、艦娘に近くなるのかもしれない。
「朱に交われば……か」
「提督?」
「ひとりごとだよ、榛名」
艦娘とは神である。極端に言えばそうだ。人が神になるように、人の形をとった神。提督はそう教えられたし、それは少なくとも事実の一面ではあると考えている。
神は、朱い。それが提督の心象風景。
「……違いますよ、提督」
榛名は髪飾りを外すと、その頭を提督の肩に乗せて、甘えるような声で言った。
その声と感触に、提督は沈みかけていた意識を引き戻された。朱い心象風景が、消える。
「海に交わるんです。私達が生まれた海に。私達が沈んだ海に」
「なら」提督は言う。「赤は、らしくないな。青か」
「はい。海色の青です。赤くなるのは、空にお任せします」
「ふふ」
提督は、顔が赤いぞ、と言った。
榛名はぎゅっと抱きついて、顔を隠す。血と鉄錆の赤でなく、海に沈む太陽のように。
*
これが久方ぶりの艦娘寮であることに、榛名は驚いた。考えてみれば戦闘から長らく"ドック入り"していたし、その前は秘書業務に忙しくて書類棟の住人だった。
だから、提督が「寮まで送る」と言った時、榛名は嬉しかった。
不安だったからだ。
他の艦娘たちと不仲なわけではなかったし、部屋の維持は当番の妖精たちがやってくれる。それでも、どこかに不安があった。
だから、寮を目前にして仲間たちに囲まれた時、ひどく狼狽した。
「復帰おめでとう!」
――でも、とても嬉しかった。