一年一組の生徒たちは呆気に取られていた。
IS学園唯一の男子生徒、織斑一夏の自己紹介の言葉。
『今回ちょっとした手違いでISを動かしてしまった』
冗談にしてはたちの悪い。そうでなければまるで世界中に喧嘩を売るようなふざけた言葉。
男がISを動かした事実を面白く思っていなかったのだろうか、顔を顰めている生徒もちらほら見受けられる。
特に、多国籍の中でも金髪が映える女生徒からは、今にも歯を食いしばる音が聞えそうな程だ。
一夏はそれを気に留めた様子もなく、寧ろ今の状況を楽しんでいるかの様な笑みを浮かべる。
「おいおい。これから兵器の扱いを習うっていうのに、そんな短気で大丈夫なのか?」
さらには、一夏は彼女たちの怒りを煽るような言葉まで付け加える。
もう我慢ならなかったのだろう。一夏と同じ日本人の生徒は怒りの表情を浮かべ、金髪の生徒はその言葉が発せられた直後に勢いよく立ち上がり、千冬は早速やらかしたかと身構え――
「はい、そこまで」
その言葉と同時に、楯無の手を打ち鳴らした音がその場に響き渡る。
不思議と体の芯まで通るようなそんな音に、怒りに包まれていた教室は途端に静まり返る。
原因であり周りから注目を浴びている楯無は、目を閉じ涼しげな顔をしていた。
一番最初に動き始めたのは一夏だった。
不意の出来事に思わずキョトンとしていた一夏は、楯無の方を見た次の瞬間、参ったと言わんばかりの苦笑いを浮かべ、気まずそうに頬を掻く。
次に反応したのは金髪の生徒。
この場で最も怒りを浮かべていた人間だが、楯無と一夏の様子を見て気が削がれたのか、不満げな表情はしているものの渋々席に座る。
他の生徒達の表情も、怒りの浮かんだ状態からバツの悪そうな物へと変わっていき、僅かな時間で場を治めた楯無に、千冬は何とも言えない表情を浮かべている。
「うん、素直でよろしい。物分かりのいい子は、お姉さん好きよ」
それを見た楯無が浮かべる屈託のない笑みに、多くの生徒が思わず見惚れてしまう。
驚くべきは、教師である千冬を差しおいて事態を収めたことに対し異を唱える者はおらず、それどころかそれが当然とばかりに受け入れられている事だろう。
実際、ここに楯無が居らず千冬が場を治めようとしても、ここまで迅速に事態を収拾することは不可能だろう。能力や志の高さなど無意味に、一夏に翻弄された人間を鎮める事は困難だ。
それに対する数少ない例外が楯無だ。彼女の前では逆に一夏がペースを握られる。そして、一夏を相手に人たらしと言わせられる人心掌握術は千冬の物とは大きく異なる。
千冬の場合は名声や威厳、本人の強者としての在り方から、相手は逆らう事が出来ない。
楯無の場合はどんな相手であろうと自分のペースに巻き込み、しかもそれを不快に思わせずにやってのける事から、相手はそもそも逆らう事がないのだ。
家族という点を考慮しなければ、後者の方が一夏にとって有効な手段であるといえるだろう。
一夏相手にそれをできる者は決して多くはないが。
「では織斑先生、私も教室に戻らさせていただきます」
「ああ、初日から迷惑を掛けたな」
「お気になさらずに、私が好きでやっていることですから……それでは」
千冬と会話を終え、楯無は凛とした立ち振る舞いのまま教室の外の方へと歩いていく。
それを生徒達は名残惜しそうに見ており、一夏は何とか調子を取り戻したのか、表情が最初に浮かべていた笑みに戻っている。
「そうだったわ、あともう一つ」
楯無はそう言って教室から出る直前に立ち止り、一夏の方へ振り向く。
周りの者は怪訝そうに首を傾げ、肝心の一夏は表情を変えないようにしている。
これ以上は振り回されないとのささやかな抵抗だろうか。
「放課後、生徒会から迎えに行くからちゃんと待っていてね――――
だがそれも、普段の凛然とした態度からは結びつかない囁く様な、そんな呼び捨てに一夏が取り繕っていた表情は崩れてしまい、最後に言い残して去って行った楯無を見送った後に、周りに聞こえない程の小さな声で、『また負けた』と呟く。
一夏を知っている者には、それが嬉しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。
改めて一夏は空席の方へ歩いていき、席に着いた後に一言。
「自己紹介、続けましょう?」
不思議と、その言葉には苛立ちが湧かなかった。
その後の自己紹介でも様々な事があった。
円夏の自己紹介時に、千冬と瓜二つの容姿と苗字に、さらに一夏を兄と言った事からから、すぐに千冬と姉妹だと気づかれてちょっとした騒ぎになりかけたのを千冬に鎮圧され。
箒の時は、IS開発者であり千冬に並ぶ知名度を誇る篠ノ之束の妹と気づかれ、質問攻めになる前に同じように千冬に鎮圧された。
それはさておき、現在は一時間目終了後の休み時間。
周りから最も注目を集める一夏に、しかし声を掛ける者は殆どいなかった。
最初は円夏が声を掛けようとしたが、それより早く一夏が箒の方を見て。
「いつも会っている俺よりも、六年ぶりに会う幼馴染の方に行ってやりな。箒ちゃんてば、円夏を取られて怒り心頭みたいだぜ」
と言い、まるで敵と言わんばかりに一夏を睨みつける彼女を放っておけず、円夏は箒に連れられ教室を出ていった。他の生徒は自己紹介の時の事もあり、一夏を相手にするうちに醜態を晒してしまうのではないか、と不安に思っているのか周りから視線を向けるだけだ。
その視線を集めている一夏は、今は何でもないかのように学園の参考書を読んでいる。悪意や嫌悪感を受けることが当たり前の一夏に、この程度の視線は大した事はない。むしろ、女性の視線を集まるなんて俺は何て人気者なんだ、と言った軽口を吐きそうだ。
「いっちーてば、相変わらずいつも笑ってるねー」
そんな中一夏に声を掛ける者がいた。それは袖丈が異常にダボダボした制服の生徒。
一夏は彼女にヘラっとした笑みを向け返事をする。
「笑顔が俺のトレードマークだからな。のほほんさんこそ俺と同じでいつも笑顔じゃないか」
「やだなー、私といっちーの笑顔は別物だよー」
一夏がのほほんさんと呼ぶ布仏本音は、笑みを浮かべたまま一夏と向き合う。
周りの生徒はそれに驚きを隠せない。一夏に声を掛けた事もそうだが、彼を相手にして柔らかな笑みを浮かべていられる事が、彼女達には衝撃だったのだろう。
しかもお互いにニックネームで呼び合う仲。思わず二人の会話に耳を澄ませてしまう。
「ねえねえー、なんでIS学園の制服じゃなくて学ランなのー?」
「男嫌いの配達業者の人に途中で処分された。仕方なく前に使ってたこれを引っ張り出してきた」
何でもないように言っているが、それは大問題ではないのだろうか。本音だけでなく周りの生徒もそう思ってしまったが、彼ならあり得るのではないかとすぐに納得できてしまった。
「それより、俺なんかに声を掛けて良いのか?」
「えーそれってどういう意味ー」
「俺と親しいって思われるとみんなに白い目で見られるぜ。暗い学園生活を送りたいのか?」
わざわざ声を掛けてきた相手に対して散々な言い草だ。しかも、整った顔立ちでヘラヘラとした笑みというアンバランスな光景。思わず背筋が寒くなるようなそれに、しかし本音はニコニコと、笑みを崩さずに向かい合う。
「大丈夫ー。いっちーと違って私は皆と仲良くなろうと思っているもーん」
「酷いな、のほほんさんは俺がそんな酷い奴だと思っているのか?」
「え、違うの?」
「いや、合ってるよ。今のところ、そこまで仲良くしようとか思ってないから」
なんと言えばいいのだろうか。一夏のこのとぼけた様なふざけた様な、掴みようのない性格は。
本音のマイペースと相まってか、彼の言葉を聞いているだけで調子が崩れる。
救いは、最初の様な苛立たせる様な言葉を口にしていない事か。
そんな周りの思いも。
「ていうかさ、ここに来るために必死に努力してきた彼女達と、望んでもいないのにここに来る事になった俺が、仲良くできるはずないだろ」
一夏のその言葉で台無しにされる。
濁った瞳に歪んだ笑みを浮かべ、挑発を通り越していっそ拒絶する様な言い方に、彼女達の中に生まれた感情は怒りと失望だった。自分達が積み重ねた物が何も知らない人間に軽んじられた、嘲笑われた様な言葉。
直後に予鈴が鳴り、箒と円夏に続いて千冬や真耶も教室に入ってきたため表面上は平静を取り繕ったが、千冬達には一夏がまたやらかした事は筒抜けとなっていた。
「兄さんも楯無先輩のお蔭で少しは丸くなったかと思えば、私達がいない時は相変わらずだな」
「そうか? これでもかなり温くなっちまったんだぞ、円夏」
「……まぁ、心が折られる生徒が出ていないだけまだマシか……」
すべての授業を終えた放課後。一夏は円夏との兄妹水入らずの会話を楽しんでいた。
クラスの女子は一夏から逃げるようにそそくさと、しかし円夏と話せないのを残念そうに、あるいは悔しそうに思いながら教室から出ていった。
不思議な事に、一夏と親しい様子の円夏に嫌悪感を示す生徒は、たった一人も現れなかった。
尤も、一夏からすればそれは当然の事だった。織斑円夏という人間は、昔からあらゆる種類の人間に好まれる人物だったからだ。誰とでも打ち解けられて、誰とでも友達になれる。
だからこそ一夏の事を受け入れられる数少ない人物でもあった。
「それよりも兄さん。今日は結局、まともに授業を理解しようともしていなかっただろう」
「違うよ円夏。そもそも授業を聞いていなかったんだよ」
「威張って言える事か!」
そう。今日一日、一夏は真面目に授業に取り組む事はなかった。
それに対して本来、千冬や真耶が注意などをするところなのだが、一夏に悪影響を受けた生徒のケアも兼ねて、千冬は当初の予定より若干アメを多く与える様な進め方をしていた。
その状況下で授業中一夏を指名し、面倒を起こされることを嫌ったのだ。
「姉さんが強気に出れないからって、それに甘え続けていると後で兄さんが苦労するんだぞ」
「後でどころか、俺の人生は昔から苦労続きだ。知ってるだろ」
よく知っている。それは円夏や千冬が誰よりも理解している。
一夏がこうなった一番の原因は彼の二人の家族だと、彼女達は自覚している。
何より辛いのは、一夏がその過負荷を他人ばかりに振り撒いた事だった。
「まったく……ああ言えばこう言う、いつもながらいい加減な……」
「そういえば、箒ちゃんはどうしたんだ? いつの間にか姿が見えないけど」
「言ったそばから……。箒とは同室だったから先に寮へ戻ってもらったんだ」
「同じ部屋ねぇ。偶然にも箒ちゃんには一番都合のいい状況だね」
あまりにも胡散臭い言い方をしながら一夏はヘラヘラ笑う。
実際にこれが偶然とは、一夏は夢にも思っていない。
多くの生徒がいる中でこんな組み合わせになるのはあまりにも都合が良すぎる。
一番有り得そうなのは『あの人』かな。
その考えが一夏の頭に一瞬浮かぶが、それはすぐに忘れ、何かを思い出した様な顔をする。
直後に一夏はニヤリと笑い、不意に席を立つ。
「どうしたんだ? 兄さん」
「思い出したんだ。これから生徒会からの迎えが来るって事」
そう言う一夏はニヤニヤと笑いながら教室の出口の方へ歩いていく。
まだ迎えが来てもいないのに外へ出ようとしているのは、誰がどう見ても誰がどう考えても、間違いなくバックれる気満々である。流石は一夏だ、やることがせこい。
「生憎と生徒会には興味がなくてね。迎えが来る前に俺は先に帰らせてもらう」
円夏を指差し、態々半身になりポーズを決めてまで一夏は高高と宣言する。
「あら。そんなつれない事言われたら私、悲しさのあまり泣いてしまうわ」
その一夏の後ろで同じポーズを取った楯無の言葉に、一夏の表情は凍り付いた。
いなかった。そこには誰もいなかったはずなのだ。一夏が振り向くまで何人も存在しなかったはずだったのだ。その場所には今、圧倒的な存在感を示しこれ以上ない笑みを浮かべた楯無がいた。
「まさか生徒会長の君が直接……」
「生徒会長だからよ。用件があるのはこちらの方なのだから、会長である私から出向くのが筋ってものでしょ。それじゃあ円夏ちゃん、お兄さんを借りていくわね」
返事をする間もなく、反論をする間もなく一夏が引きずられる様に連れていかれる。
その光景を見ていた円夏の顔には、自然と笑顔が浮かんでいた。
一夏が連れてこられた場所はIS学園生徒会室。部屋にいるのは五人の生徒。
ほぼ無理やり連れて来られ、半ば諦めた様子で紅茶を味わっている織斑一夏。
IS学園三年生の学年主席。生徒会会計、布仏虚。
一夏と同じクラスであり虚の妹。生徒会書記、布仏本音。
姉と同じ色だが内側に癖のついた髪の生徒。生徒会庶務、更識簪。
そして、彼女たちの長である学園最強の生徒会会長、更識楯無。
副会長を除いた学園名高い生徒会メンバーがこの場に揃っている。その四人の視線を集めている一夏は、なんとなくだが彼女達の用件を察していた。
「それで、俺にいったい何の用なんですか」
「わかっている癖に。そうやって惚けられるのはお姉さん嫌よ」
その返しに一夏はため息を吐く。ペースが握れないどころか、いつもの調子が出てこない。
いや、そもそも彼女達に自分の過負荷を向けようとする気になれない。
それはやはりあの時――
「それなら端的に言うわ」
その言葉で一夏は思考を止め――
「生徒会に入らない? 一夏」
「断るよ、刀奈」
彼は楯無の本名を呼びながら即答する。
その答えに虚はため息をつき、本音は不満げな声を上げ、簪は呆れている。
全員が一夏のその答えを確信していた。刀奈もそれは十分分かっていたのだろう。それでも悔しそうな表情でやっぱりか、と呟く。
「俺の様な過負荷は人の上に立てる存在じゃない。そんな俺が生徒会? 君の頼みでも無理だよ」
この学園に来て一夏が初めて浮かべた自虐的な笑顔。
それを見て一夏に折れる気がないと判断したのだろう。刀奈は今はまだ無理だと判断し『残念』と書かれた扇子を広げる。その光景に、相変わらずどんな仕組みなんだろうと一夏は疑問に思う。
「それに、刀奈が構わないって言っても他の三人は……」
「お嬢様がよろしいのでしたら私は構いませんよ」
「私も気にしないー」
「別に、一夏なら副会長でも良いよ」
「…………」
見事なまでに肯定的だった。
何故過負荷の自分をと思うが、その考えが読んだのか刀奈が口を開く。
「千冬さんや円夏ちゃんと同じ気持ち。私たちは、一夏を
声が出なかった。
それには薄々感づいていたが、実際に言われると想像以上に衝撃があった。
こんな救いのない自分を幸せにする。その言葉は何よりも嬉しくて。
それが今まで出来なかったから自分は未だに過負荷なのだ。
「そう簡単にはうまくいかないよ。少なくとも俺はまだ変われる気はしないから……そろそろ帰るよ。家まで距離があるからもう行かないと遅くなる」
一夏はそう言って彼女達に背を向ける。そのまま部屋を出て行こうとして、扉に手を掛けた彼を止めたのは刀奈の申し訳なさそうな言葉。
「一夏には今日から学園の寮に住んでもらうことになったのよ」
へ、という気の抜けた声が聞えた。
「すごく言いにくいんだけど、一夏の家に居眠り運転したトラックが突っ込んで……貴重品とかは全部無事だったんだけど、流石にそこに寝泊まりさせるわけにもいかなくなって……」
刀奈には珍しいぼそぼそとした言葉。これ寮の鍵、と簪に渡される。
いきなり先行きが不安になった。
「で、ここが俺の部屋か」
日も落ちた頃、ようやく一夏は部屋に辿り着いた。
途中であった事と言えば少し迷ったということくらい。意外なことに生徒とのトラブルなどは一切起きなかった。単純に出歩く生徒がいなかっただけとも言えるが。
「まともな内装だと良いけど、どうなってる事やら」
いくらIS学園が用意した部屋でも、一夏が関われば何が起きても不思議ではない。
部屋が荒らされているとか、悪意が込められた落書きが書いてあってもおかしくはない。
まあ、今更何があったとしても驚くことはないだろう。
そう思いながら鍵を開けて扉を開けてみれば――
「お帰りなさい。ご飯にします? お風呂にします? それとも、わ・た・し?」
「――――」
男の夢、裸エプロンで出迎える刀奈の姿が、そこにはあった。
強調された胸。妖艶な色気を感じる肌。潤んだ目元。
流石の一夏も頭が真っ白になった。
自分に甘えるような上目づかいを見て、すぐに扉を閉めて背を向けた。
一夏にとっては今まで味わった事のない劇薬のような光景だった。
「何て恰好してるんだ! 他の男に見られたら……って俺以外に男はいないのか。いやそれでも俺が見ちまったんじゃないか!」
一夏は自分が何を言っているのか分からなくなる程テンパっていた。
刀奈は一夏のその反応で、目に見えて分かる程嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「大丈夫、一夏になら見られても平気だから……このエプロンの下もね……」
その言葉に一夏は考えるのをやめた。
ゆっくりと振り向けば、刀奈がエプロンの裾を摘まんでいた。
わざと焦らすように緩慢な動きで少しずつたくし上げようとしていた。
ごくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく聞えた。
最後は刀奈が勢いよく持ち上げ――
「じゃーん、お約束の水着着用! けれども大胆なビキニで……あら?」
限界だったのか、一夏は鼻血を流しながら気を失っていた。
けれどもその表情は、今この瞬間世界で一番幸せな男の表情をしていた。
このペースは今後維持できません。これで楽しんでいただけたらいいのですが。