ディオの奇妙な冒険 ManicStreet (ジョジョ1部+7部)   作:ヨマザル

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母と父と息子たち

 目の前を覆う暗闇が晴れ、景色が変わった。そこは、またしても灰色にくすんだ路地裏であった。レンガ造りのビルの隙間のあちこちにゴミが散乱している。道のわきの側溝には、緑色のネトネトした物体が詰まり悪臭を放っている。

 

 ディオ少年は、10歳になっていた。

 

 路地裏に立つディオ少年の周りを、一回りは年上の男の子たちが囲んでいた。みな自暴自棄の、自分のことなどどうなっても構わないというような、破れかぶれの目をしている。

 

「よぉお、ディィオちゃぁああんよォ」

 そのうちの一人が、ディオの肩に手をかけた。クスリでもやっているのか眼の焦点が当っていない。うつろな目つきでディオの顔をのぞき込む。

「イィイ葉っパがあるんだよぉぉおおお、一緒に決めようぜ」

 

 ブヒャヒャヒャヒャッ

 

 不良少年たちが笑う。

 ディオ少年は肩をすくめ、肩にかけられた手を乱暴に振り落とした。

 

「おぉおおおおッ! 」

 手を振り払われた少年の目がすわった。パチン と折り畳みナイフの刃を広げ、ディオに向ける。

「てっめぇええ、せっかく仲良くしてやろうと思ったのによォおおおおおおッ!  もうお前はぶっこわ……」

 

 不良少年は、そのセリフを最後までいうことはできなかった。

 ディオ少年がその袖口に隠し持っていた鉄パイプで、不良少年の頭を思いっきり殴りつけたからだ。

 

「ッ! 」

 

 そのままディオ少年は、話しかけてきた不良少年を容赦なく叩き潰した。そして手を止めることなく、唖然としている他の不良少年たちに襲い掛かった。

 

 バゴッ!

 ボゴッ!

 

 ディオ少年は、鉄パイプを縦横無尽に振るった。あっという間に不良少年は叩きのめされ、立ち尽くすディオ少年の足元に這いつくばった。

 

「……フンッ! いいかオマエたちッ!  これからオマエたちはオレのしゃてーダッ。わかったかッ」

 

 わからなければ、わかるまで頭をぶんなぐる。

 鉄パイプを手にしたディオ少年の脅しに、不良少年たちがオドオドとうなずく。

 

「ヨシ、しゃてードモっ、これからは俺のメーレーだけを聞くんだ。いいな?  だが、ちゃんと言う事を聞いたら、いいメに合わせてやるッ」

 ここからが本番だ。ディオ少年は、精いっぱいの威厳を込めて不良少年たちに命令した。コイツラを飼いならすことが、自分がこの暗黒街の顔役に上り詰めるための、第一歩なのだ。

 

 だが、ディオ少年の幼いもくろみは、あっというまに失敗した。

 

 まさに不良少年たちが『堕ちる』寸前、路地の入口に一人の青年が現れたのだ。

「待ちな、いきがっているんじゃねーぞ。ガキが」

 その青年は、路地を封鎖するように立ちふさがった。自信たっぷりの態度だ。無理もない。青年は、周囲より一回り体格が良いのだから。

 

 降伏しかけていた不良少年たちは、その青年を見て怯え……ディオに対して強気な態度を見せ始めた。

 

「お前、俺の子分どもをうばおぉってぇのかよ。そりゃねェよなぁ? 」

 

「チッ……」

 ディオ少年は舌打ちをした。

 

 現れた青年の事は良く知っていた。この辺りで新たにハバを利かせ始めた振興の不良グループのリーダーだ。

 今、ディオ少年がブッチメた程度の半グレ少年たちとは、レベルが違う手ごわい相手だ。

 

「そんなつもりありませんよ……ダレンくん、アナタにサカラうなんて考えてないよ」

 ディオ少年は、愁傷な顔をしてみせた。

「ちょっとコイツラが、フザケタことを言ったから、ヤキを入れただけだよ」 

 

「へぇ……シューショウなことをいうじゃねーか」

 ダレンはバカにしたようにディオ少年を見下ろした。

「まあ、いい。……チャンスをやるよ。俺に服従するなら使ってやるよ。お前が頭の切れる奴なのは、しっているからな……」

 そういうと、ダレンはポンと懐から取り出した包みをディオ少年に投げ出した。

「アヘンだ……上物だぜぇ……これを500ポンド(約十万円)で売りさばいて来い……」

 

「こんな少し……これじゃあ、せいぜい300ポンドのネウチしかないじゃあないか」

 

「あぁああ? そこを、売りさばくのがお前の才覚だろぉがよォ。いろいろあるだろ? 薄めるとか、ナンカまぜるとか、色々よぉ……」

 ダレンはニヤニヤ笑った。

 

「俺は優しいから、お前が500ポンド以上儲けたら、その分はおまえにやるョ……なんなら、余ったアヘンはお前が使ってもぃぃんだぜぇ? 」

 ブヒャヒャヒャ ダレンが笑った。心なしか、その顔が少し歪み始めたように思えた。

「だが、もし俺の下につかねェってんなら……俺にもちょっとした考えがあるぜぇ」

 そういうと、ダレンが懐からナイフを取り出し、ぺろりとなめた。

 

 ディオ少年は良く知っていた。ダレンが、そのナイフを使ってどんなに残虐になれるのか……を。

「……わかりました」

 ディオ少年は観念したように装って、ダレンの前に頭を下げた。

 

 次の瞬間、ディオ少年は隠し持っていたもう一本の鉄パイプを引き抜き、ダレンのむこうずねを殴りつけるッ!

 不意打ちだッ

 

「ガッ……」

 

「このっ……思い知らせてやるッ! 」

 たまらず崩れるダレンに追撃を加えようとした、その時だ。

 

 不意にダレンが、『人間とは思えない速度』で飛び起きた。

 

「ヒャヒャヒャッ! やるじゃねぇ~~か、ガキィッ、だが甘かったなぁ」

 ダレンの顔が、ふやけていく。そして、その顔が『ジャッカルの頭』に代わった。

 

『ジャッカルの頭』になったダレンは、唖然としているディオ少年に飛びつき、その首筋にかみついた。

 

 

◆◆

 

 

《くっ、くぅ~~ッ、ディオの旦那、泣かせるねェ~~》

 アヌビス神はディオの幼年時代の記憶を覗き見したり、時に改変したりして、悦に入っていた。

 

 ジョジョに刃を向けたとき、アヌビス神は閉じ込めたはずのディオの精神が反抗しかけたことを感じたのだ。そこで『ディオを完全に屈服させる』ために、アヌビス神はディオの精神の中に潜り込みなおした。そして『ディオの過去の記憶の中の心象風景』をのぞき、『柔らかい部分』をもつ記憶を見つけたら、一つ一つその記憶の中に入り込み、柔らかい精神にダメージを与える。そうすることで『ディオの心を壊そうと』していた。

 相手の脳・精神の『もっとも奥に隠されている記憶』を引っ張りだし、さらにその記憶を改悪し、相手の希望をくじいていく。

 希望がくじかれた相手は、その精神力を大いに弱める。精神力を弱めてしまえば、ひとを操るのはごく簡単なことなのだ。

 

 現にいま、ディオの精神を表したビジョンは『幼い子供の姿を模した物』にもどっていた。

 子供の形を持つディオのビジョンは、うつぶせになり、丸くなって震えている。

 

《よぉっしぃいいい、とどめじゃ》

 アヌビス神は、ディオの精神に手を伸ばした。

 

 ディオ少年の精神のビジョン。その少年の姿の心臓部に、『精神の刀』を突き刺す。

 そうすれば、ディオはその精神力を切り刻まれることになる。さすれば精神力をすべて失い、なんの抵抗もできなくなるであろう。

 

《ブヒャヒャヒャ! 》

 

 ブシュッ

 

 だが、『どんなものでも通りぬけられる』はずのスタンド の 刃は、まさにディオ少年の中心につきたてられる直前……止まった。

 なんとッ! ディオ少年(の精神ビジョン)が、アヌビス神の刀を素手でつかんでいるのだッ。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

《な……なんだぁ、こりゃぁ? 》

 

『ふざけるなよ……』

 ディオがつぶやく。

 

ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

《オイオイ、うそだろぉ》

 

『ふざけるなよ、貴様のような錆びた鉄クレの塊が、このディオをねじ伏せようとするなどと』

 

 ディオの精神のビジョン:少年が、アヌビス神の刀を掴み……そしてそれをゆっくり、ゆっくりと押し戻していく。

 キラリ……黒光りする光の粒が、少年の周りを覆っていく。

 

《オイオイ、うそだろ……ダッ 旦那ぁ~~》

 

 アヌビス神が見ている間に『黒い光の粒』が周囲を覆い、ディオの精神が形を変えていく。ディオの身長がどんどん伸びていき、顔からあどけなさがなくなり、少年から、今の若者の姿となった。

 

『フン、貴様は『俺がガキだったころ』を見たってわけだ。ガキのころの俺なら、貴様のような弱虫でも倒せると思ったのか? 甘いねッ』

 

 ディオは嘲笑う。

 ディオはアヌビス神の刀をつかみ、やすやすとアヌビス神の刀を、自分から引き抜いた。

 

 ……そして、その姿がさらに変わっていく……

 体がさらに大きくなり、頭部をマスクが覆う。

 全身の筋肉が膨れ上がっていく……

 体が黄金色に輝いていく……

 

 ついにその姿を現すと、その姿は『圧倒的』なまでの力と、恐怖を発散していた。

 

《うわぁあああああっ》

 

 ついに、アヌビス神がディオの精神のビジョンに背を向け、逃げ出し始めた。

 なんとか今の空間から、脱出しようとする。

 

 だが……

 

 逃げていたはずのアヌビス神は、気が付くとディオの『精神体』に向かって自分から飛び込んでいた。

《どっ、どういうことッ》

 アヌビス神は慌てて身をひるがえし、再び、ディオから背を向けて走る……

 

 と、再び、アヌビス神はディオの目の前に立っていた。

 

《はっ……どぼじでぇええええ?  ブヒャヒャヒャッ》

 アヌビス神が狂ったように笑いだす。

 

『無駄無駄無駄無駄ッ! Uryyyyy! 』

 いつの間にかディオの精神は、『人間離れした屈強な体格』の『黄金色に光る』、『頭にマスクをかぶった』、強力無比な怪人の姿に変化していた。

 その怪人が、アヌビス神を捕まえ……ボコボコに殴りつけた。

 

◆◆

 

 

 ディオは、刀を振りかざしたままピクリとも動かず、静止していた。

 

「ディオ? 」

 ジョジョは警戒しつつ声をかけた。

 

 その声に『呼び戻された』のか、ディオが目を開いた。

「……ジョジョ……か? 」

 ディオはギココチなく刀を下した。

「……おい、ジャイロ……そこに転がっている『鞘』を持ってきてくれッ! すぐにだ」

 

「悪いがオタクは信用できねぇー。自分で拾いな」

 

「チッ……」

 

 カチャリ……

 ディオは、自分で床に転がっていたアヌビス神の『鞘』を拾った。

 すぐに手に持っていた刀をその『鞘』に納める。

 無事、『鞘』に刀が収まると、ディオは脱力してしゃがみこみ、額から汗をぬぐった。

 

「ディオ、一体どういう事だ……どうして僕たちを急に襲ったんだ」

 

「ああぁ……ジョジョ」

 ディオは首を振った。

「すまなかった……僕はさっきまで、この『妖刀』にすっかり操られていたんだ」

 頭は……下げない。

 

「操られていた? 君が? 」

 

「オイオイ、ふざけた言い訳するのも、いい加減にしろよ」

 ジャイロがディオの胸ぐらをつかんだ。

「本当のことを言え、なぜ俺たちを襲った……お前は利がなければ動かない奴だ。言えッ! 何を企んでいるッ」

 

 人聞き悪いな……

 ディオは落ち着き払ってジャイロの腕を掴み、自分の首から引きはがした。

「ミイラがいたのだから、『妖刀』だってあるって何故思えない? ボクは、やむを得ずこの『妖刀』をつかってミイラと戦ったのさ」

 

「ミイラ? 」

 ジャイロの目が光った。

「ミイラなんて、どこにもいないぜ」

 

「ああ、ボクが……いや、『妖刀』に操られていたボクが、ミイラを倒したからね」

 ディオはこれまでに起こった出来事を二人に語って聞かせた。

 

「イング・ヴ・エィ……」

 ジョジョは首を振った。

「彼らが、星船に乗って来たって言うのかい? 」

 

 ジョジョは腕組みをして、何やら考え始めた。時折ブツブツとつぶやいている。

『アトランティス』とか、『ムー』とか、『ルルイェ』とか、そんなオカルトじみた伝説の言葉が、ジョジョのつぶやきから漏れていた。

 

「だが、何も証拠がないじゃねぇーか」

 ジャイロが鼻を鳴らした。

「ほんとかよ……まだはっきり信じられねぇな。本当は、そこに倒れているその二人も、お前が『殺そうとした』んじゃねぇのか」

 

「ヤレヤレ……それこそ、そんなことをして僕に何の得があるんだい? 」

 

「むっ……」

 ジャイロが口ごもった時、事件は起こった。

 

 がじゅぅううん

 

 奇妙な物音が、ディオの背後から聞こえたのだ。

 ディオが振り返ると、そこには、目を血ばらせた シャカ いや、『シャカだったモノ』がウサギのようにとび跳ねながら、襲い掛かってくるところであった。

 

◆◆

 

「&###¥ブッ-&! 」

 シャカは、まるで意味をなしていない言葉をわめき散らしながら、ディオに飛びかかってきた。

 まるで、昆虫のような動きだ。

 

「キサマッ……なっ、何だとォッ! 」

 死んだはずのシャカが再び立ち上がり、襲いかかってくる。

 ディオは驚きのあまり一瞬硬直した。

 その硬直が命とりであった。

 

 次の瞬間、シャカはディオに手が届くところまで、接近していたのだ。

 恐ろしいスピードであった。

 空中で身をひねるようにして、シャカが飛び込んでくる。ニヤリと笑いながら、ディオに向かって手を伸ばす。

 

 ビィチュゥッ

 

 シャカの手が裂けた。

 その傷口から、『蜘蛛の足をペラペラにしたようなもの』が飛び出し、ディオを襲う!

 イング・ヴ・エィだ。

 

 ズギュゥゥウウ──、ズグッ、ズグッッ……

 イング・ヴ・エィの触手が、ディオの皮膚を破き、その肉を穿っていくッ!

 

「ガァアアアアッ! 」

 ディオは絶叫を上げた。

「ぐぉぉぉぉッ」

 肉をえぐられる激痛に耐えながら、ディオがイング・ヴ・エィの触手を掴んだ。だが、その掴んだ手にさえ、触手が潜り込んでいく……

「ぐぅぅッ」

 

 崩れ落ちるディオに止めをさすために、シャカ=イング・ヴ・エィは、触手を振り上げた。

 

 バゴォンンッ

 

 その時ッ、シャカ=イング・ヴ・エィが衝撃を受け、ぶっ飛んだ。

 ジャイロが放った鉄球が命中したのだ。

 

 ギュルルルル

「……どうやら、ディオのヤローが言っていたのは、本当のことだったみてぇだな」

 戻ってきた鉄球をつかみ、ジャイロが言った。

 

「ディオッ、大丈夫か? 」

 崩れ落ちたディオを抱き抱え、ジョジョがうめいた。

「くっ……ダメだ、ディオの意識がないッ。早く彼を、手当てしないと……」

 

「ちっ……まずったぜ。ヤローを吹き飛ばした方向が、最悪だった」

 追撃の鉄球を投げようとしたジャイロが、顔をしかめ、その手を止めた。

「くそっ……これじゃあ鉄球を投げられねぇ……巻き込んじまう」

 ジャイロは、いらただしげに爪を噛んだ。

 

 シャカ=イング・ヴ・エィが吹き飛ばされた先には、意識のないミナが倒れていたのだ。

 

「@★? ∥&&! 」

 シャカ=イング・ヴ・エィは、ミナを小脇にかかえ、吼えた。

 

「何をするッ! 」

 ジョジョとジャイロが、イング・ヴ・エィに詰め寄るッ

 

「◎■★? 〇∥∥∥※@! ! ! 」

 イング・ヴ・エィは二人をにらみつけ、再び金切り声をあげた。

 

 ゴガァッ

 その時、まるで、金切り声に誘発されたように、ジャイロ達が開けた遺跡の穴が崩れ始めた。

 崩れた瓦礫が、全員の頭上に降り注ぐッ

 

「うっ……気をつけろッ」

「気をつけろッ」

 ジョジョとジャイロはあわてて身を屈め、降り注ぐ瓦礫から頭をまもった。

 

「∥∥★? ※◎」

 二人が怯んだ隙をついて、シャカ=イング・ヴ・エィはミナを放り捨て、ジャンプした。

 遺跡に空いた穴に飛び付き、よじ登る。

 

 壊れた壁の隙間からは、巨大な蛇が顔をのぞかせた。

 穴を抜け、遺跡の外に出たシャカ=イング・ヴ・エィは、遺跡の中に腕を伸ばした。

 その腕から再び触手が伸びる。

 

 シュルルルッ

 ジャイロとジョジョが手をこまねいて見ている間に、触手がミナを縛り上げた。そして、意識の無いミナの体が引き上げられた。ミナの体は、天井に開けられた穴をくぐり、姿を消した。

 

「しまった」

 みすみす連れ去られたミナの姿を目で追い、ジャイロは唇をかんだ。

 

 その隣で、ディオは意識を失っていた。

 

◆◆

 

 

 夢を見ていた。

 激痛にさいなまれ、長い間、意識を失っていた。

 時折、わずかに意識を取り戻す。覚醒したときに目にし、耳する現実。そこに意識を失ったときに見ている過去の思い出と、悪夢とが混ざり合い、すべてが混沌の中にあった。

 

 わずかに思い出すのは、ジョジョに肩を担がれながらピラミッドを脱出したこと。

 そして外に出ると、疲れ果てたグレゴリオの不思議な『能力』で傷口を縫ってもらったこと。

 ピラミッドの上から、巨大な蛇が北へ向かって空を飛んで行くのを見送ったこと。

 その背にシャカと、ミナの姿があったこと。

 揺れるラクダの背

 砂漠

 土漠

 揺れる船

 汽車の窓から見た土漠

 

 さらに、昔の記憶が思い出された。

 母親の作ってくれた温かいスープ

 父親の ヒャヒャヒャッ という悦に入った笑い声

 冷たい雪

 路地裏でのかけボクシングと、血の味、こぶしの痛み

 父親に殴られた時の衝撃

 母の泣き声

 身が凍えるほどの寒さの中、母に触れたその肌の暖かさ……

 

 ジョースター家を初めて訪れたあの日の記憶

 目にするものすべてがこれまで見たこともないほど豪華な家。

 寝室でたった一人で眠った時に感じた、冷たいシーツの感触

 

 自分をくるむ暖かいシーツ……

 母の手が、そっと自分の頬に触れる……

 暖かくてふわっとしている……

 

 いや、違った。

 頬に触れるその感触は、固く『ゴワゴワ』としていた。

 

「はっ! 」

 ディオは、まったく見知らぬ部屋のベッドで、一人目を覚ました。

 そこはなにもない、土壁で覆われた殺風景な部屋であった。窓は一か所、出口のドアの反対側に取り付けられている。鉄格子がその窓には埋め込まれており、まるで牢屋の様だ。

 

 部屋の温度はムッとするほど熱く、ディオは全身からひどく汗をかいていた。

 

(なんだ? ここは……)

 まったく見覚えがない。ディオは戸惑いながら、上半身を起こし、ベッドから出ようとした。ところが両足を床に置き、立ち上がろうとしたところで再びしゃがみこんでしまった。激しい痛みがディオを襲ったのだ。

 

「グっ……」

 

 だがその痛みが、逆にディオを覚醒させた。

 痛みをきっかけにして、もうろうとしたディオの意識がつなぎ留められる。そして意識がはっきりしたディオは、これまでのことを徐々に思い出していった。

(そうだ、俺はエジプトの遺跡で、イング・ヴ・エィと戦った。ジョジョの奴と、ジャイロもいたな……)

 だが、ここはどこだ?

 戸惑うディオが茫然と部屋を見回していると、カチャリとドアが開いた。

 

 そこにいたのは、厳格そうな顔をした、初老の男であった。どことなくジョージ・ジョースターを思い起こさせる、厳格かつ実直な雰囲気を持つ男だ。

 その男は、ディオが目を覚ましたことに少し驚いた様子であった。

「……目を覚ましたのか。私の見たてでは、君はあと数日は、意識不明の状態が続きそうだったのだがな……タフなことだ」

 男は穏やかにディオに話しかけた。

 

「……」

 ディオは黙って目の前の見知らぬ男を観察していた。この男はどこかで見覚えがあった。正直、気に食わなかった。

 

「ところで君は、『暗黒のファラオ』と呼ばれていた王を知っているかね」

 唐突に、その男が奇妙な質問をした。

 

「なんの話だ? 」

 それは、今、話すべきことなのか?

 

 ディオの問いに答えぬまま、男は

 “ネフレン=カ”

 という名前を口にした。

「『暗黒のファラオ』と呼ばれた男、ネフレン=カ……彼はエジプト古王国時代 ──それよりもっと古い時代の可能性もある── のファラオだ。あまりにも忌まわしい祭祀を行ったため、その名を歴史から抹殺された……」

 男は首を振った。

「だがね、彼の名は、業績は、ひそかに記録されていたのだよ。我が母国に秘蔵された、とある石板に詳細な記述があった……残念なことに石版は、テロリストどもに、盗まれてしまったのだがね」

 

(そんなクソの役にもたたぬ話など、ジョジョの奴に言ってやれ)

 ディオは心のなかで毒づいた。

 だがディオは、男の話の中に何か気になる事を感じていた。だから喉まで出かかっている悪口を抑え込み、黙って耳を傾けつづける。

 

 男は独白じみた話を続けた。

「しかし幸運なことに、その石板は、盗まれる前にとある好事家によって断片的に解読されていたのだよ。……その解読された断章によると、彼の治世では驚くべき発展が起こったらしい」

 

「……」

 

「彼の治世では、エジプトは他国を武力で進行し、その版図はエジプトはもちろん、シリアを超え、トルコ全土を征服したとも言われている。……あのミイラも、君が忍び込んで探索したエジプト九栄神の神殿も、何もかもすべてが ネフレン=カ という男が作ったものだと言うことが、その断章に書かれていたのだよ」

 

「誰だ? 」

 

「ああ、彼、ネフレン=カは、恐るべき魔術を操る魔術師であったらしい。噂によると、その魔術で『死人をよみがえらせる』ことや、『運命を操ること』さえできたそうだ」

 男は落ち着いた口調で説明した。

「そして、その治世の間、ひたすらに人民を収奪し続けたという。まれに見る大悪人だったと言う話だ。彼の犯した悪行は……」

 

「そうじゃあないッ! 聞けッ、そんな昔の野蛮人の話など、俺にはどうでもよいッ! 俺は『お前は誰だ? 』と、聞いているんだッ」

 ディオがどなった。大声を上げると激しい痛みが脇腹にはしった。

 

「ああ、自己紹介が遅れていたな。失礼した」

 男は、ふっと笑った。

「私は、グレゴリオ・ツェペシュ……。キミたちと一時期行動をともにしていた、ジャイロ・ツエペシュは私の不詳の息子さ」

 

「父親? ジャイロの? 」

 ディオの顔が不信にゆがむ。

「なぜジャイロの父親が、ここにいるんだ? そもそも、ここはどこだ? 俺はなぜ、ここにいるんだ? 」

 

「そうだな……ディオ君。君には今何が起こっているのか、知る権利があるな」

 グレゴリオは語り始めた。

「ここはトルコだ……トルコ第二の都市、イズミル。我々は、ジョージ・ジョースター卿とウェルハルミナ・ラポーナを拉致した狂信者どもを追跡して、ここまで来た」

 

「なんだと……」

 ディオは困惑した。てっきりまだ、エジプトにいると思っていたのだ。

 

「長い旅だった」

 グレゴリオがため息をついた。

「我々は、奴らを ──空飛ぶ蛇を── 追ってアレクサンドリアに戻り、船でトルコのアイドゥンにわたり、そこから汽車に乗って、一昨日ここに到達したというわけだ。……その間、君は意識不明なままずっと熱でうなされておった…… 酷い熱だったよ。キミが助かったのは正直なことを言うと奇跡だ……」

 

「……」

 すっかり困惑しているディオに向かって、グレゴリオはここまでの道のりをすっかり話して聞かせた。

 

◆◆

 

 

「…………そこで我々は聞き込みを行い、ジョージ・ジョースター卿を連れたキャラバンが、一昨日に砂漠に出たという情報をつかんだのだよ。彼らの目的地は、ここから100Kmは離れたネムルダーゥ・テペという遺跡らしい」

 

「遺跡ぃ? 」

 なぜだ?

 ディオの質問にグレゴリオは肩をすくめた。

 

「わからん……だが、この地は古代ヒッタイトの歴史ある土地……伝説によれば、ネフレン=カの版図内でもある。おそらく……奴らはエジプトのあの奇妙な遺跡を調べ、奴らが捜している『何か』がここに隠されていることを、知ったのだろう」

 

「……フム……」

 現実主義者のディオは、グレゴリオの説明を話半分に聞いていた。

 

 グレゴリオの説明は続いた。

「奴らの行先を知ったジョナサン君は、意識の戻らない君のことを私に託し、我が息子のジャイロ・ツェペシュと二人で『遺跡』に向かったのだよ。……二人が出発したのは、つい半日前のことだ」

 グレゴリオは、これまでの事情の説明を終えるとコップ一杯の水を飲み干した。腹ただしいほど落ち着き払った態度だ。

 

 ディオはグレゴリオからジョジョの話を聞いているうちに、なぜだか沸々と怒りが沸き起こってきていた。

 必死に怒りを抑えようとして、ディオの手が震えた。大変な努力を払って、怒鳴り散らしたい気持ちを抑えこむ。まだ病み上がりで震える手を伸ばし、コップの水を飲みほす。

 

「本来なら、私もジョナサン君に同行すべきだったのだがね」

 グレゴリオは自分の服をめくって見せた。

 そこには酷い傷があった。千切れた肉片を、信じられないほどに太い縫合糸をつかって無理やり縫い付けてあった。

「いくら私の『ゾンビ馬』で縫い付けたとしても、この傷ではまだ動けなくてね」

 

「ジョジョの奴めッ」

 ディオはギリギリと歯を食いしばった。

「このディオをかばっただとォ……このディオの怪我を気遣い、一人で行っただとぉ…………。ゆっ……許せん」

 

「だが、彼は君の回復を待つわけにもいかなかった」

 グレゴリオは冷静に指摘した。

「もし君が回復するまで待っていたら、ジョージ・ジョースター卿の命が危ないことは、わかりきっていたからね」

 

 後はジョナサン君と、わが息子が何とかするだろう。キミはもう無理をしないで静養することだ。

 そのグレゴリオの忠告を、ディオは拒否した。

 歯を食いしばり、腹を襲う激痛に耐えながら、必死に立ち上がる。

「何もせずジョジョが返ってくるのを、待っていろ だとぉ? そんなことできるか……俺は、行くぞ……」

 

「本気か? 」

 

「言えッ! ジョジョの奴はどの方向に向かったのだッ! ネムルダーゥ・テペとは、どこにあるッ! 」

 頼む、教えてくれ…………

 ディオは、震える手でグレゴリオの襟をつかんだ。

 

 ふっ……

 グレゴリオは苦笑し、そっと襟をつかむディオの手を外した。

「……私は医者でもある。まずはキミの傷口を見せてくれ。話はそれからだ」

 グレゴリオは冷静にいうと、ディオの脇腹の傷の診察を始めた。

 

◆◆

 

 

 驚いたことにイング・ヴ・エィにやられたディオの傷口は、いつの間にかグレゴリオと同じような太い糸で縫合されていた。

 

 グレゴリオは、その傷を丹念に診察すると難しそうな顔をした。

「フム……おもったよりも経過はいい。激しい痛みはあるだろうが、もう動けなくもない……か」

 

「……当たり前だ」

 ディオは勢いよく立ち上がり…… あまりの痛みに顔をしかめた。

 

◆◆

 

 そこは岩だらけのギザギザした大地の上だった。地面は赤く、草などはほとんど生えていない。丸々一日走っているとは思えないほど、どこを見ても同じ景色に見える。

 

 バシュッ!

 不意に馬が後足立ちになり、口から泡を吹いて跳ねまわった。

 

「くそっ」

 手綱につかまっていられなくなったジャイロは、馬から飛び降り、地面に寝転がった。

 ジャイロの背中にしがみついていたジョジョは、ジャイロよりも早く馬から振り落とされていた。

 

 走る馬の背から投げ出されたジャイロの目前に、トゲトゲした岩が猛スピードで迫る。

 

「うおぉぉっ! やるしかねぇ! 」

 ジャイロは『回転』技術を応用し、全身をクルリと『回転』させた。まず足、そして両手、肩、頭……背中と言うように、回転しながら地面に触れている部分を変えていき、激突の衝撃を吸収した。

 

「ああぁっ痛ってぇ! 」

 ぶつくさと言いながら、ジャイロは立ち上がった。

 全身をあちこちすりむいてはいるが、『回転』のおかげで致命的な傷は受けていなかった。

「ジョジョ、大丈夫か? 」

 回転の技術を持たないジョジョがどうなったのか、心配したジャイロがあたりを見回した。意外にも、ジョジョは怪我ひとつなく元気であった。

 

「ああ……何とか無事だよ……」

 馬が暴れたとき、このままだと振り落とされると知ったジョジョがとった行動は、驚くべきものだった。

 なんとジョジョは、自分から馬の後方へ向かって飛び降りたのだッ!

 

 馬の後足は強力で、人間がその足に蹴られれば命も危うい。ジョジョは馬のひずめではなく、尻から腿にかけての部分に、『あえて蹴られる』ことで後方へ飛んでいたのだ。

 当然、馬の進行方向の反対に飛べば、地面との相対速度は比較的小さくなる。

 プラス、ジョジョはきれいに両足をついて着地していた。

 さらに、背中に背負っていたバックパックが、ゴツゴツした岩肌にジョジョの体が『削られる』ことを防いだのであった。

 

「狙ってやったのか?  お前、すごい奴だな……」

 ジョジョの話を聞いたジャイロは、少し鼻白んだ。

 

「いや……僕は、ただ運が良かっただけさ」

 ちょっとでも不運があったら、僕は大けがを負っていたよ。

 ジョジョはブルリと体を震わせた。

 

「ヒッヒィィィイイ──―ンンッ」

 ジャイロたちを振り落した馬は、くるっと向きを変え、砂漠に向かって逃げ出していった。

 

「……チッ」

 ジャイロとジョジョは、逃げていく馬を見送った。がっかりして、互いに肩をすくめる。

 

「やれやれだ」

 ジャイロが肩をすくめる。

「お前の父さんを救うためにゃ、後70Km を走破しなきゃならねェ……どうやってやる? 」

 

「……走るよ。それしかない」

 ジョジョは、斜め後方を指差した。

「少し後戻りになってしまうけれど、さっき通り過ぎた町に走ってもどろう。そこで、馬を手配できるはずさ。そこまで、走ろう」

 

「そうだな……」

 ジャイロは地平線の向こうに、あるものを見つけた。ため息をつき……首を振った。

「だが、俺は走らんぜ……ジョジョ、お前は行け。そして、絶対に俺のほうを振り向くなよ……時間の無駄だからな」

 

「ジャイロ……」

 いいのかい?

 ジョジョの質問に、ジャイロがしかめっ面をした。

 

「いいや、全然良くねぇぜ……だが、仕方がねェ。奴は、俺が足止めしてやる」

 ジャイロの見つめる先には、『丘のようなもの』が広がっていた。

 いや、それは地面ではなかった。

 地面は形を変え、のたくったりはしない。その、のたくっているモノは、巨大な『粘土のようなもの』のように見えた。その『粘土』はゆっくりと、だが確実に、ジャイロたちを目指して進んでいた。

 

「あれは……」

 ジョジョが、嫌悪に満ちた声を上げた。

 

「奴がなんだかわからねェ。だが、あの『でたらめ』さ、あれは間違いなく、オヤジに大けがをさせた、あれだぜ」

 キュルキュルキュル……ジャイロが、くるくると鉄球を回転させた。

「奴がここまで来るのに、後1時間ってところだろ……望むところだぜ」

 親父の受けた借りを、俺が返してやる。

 

 決意に満ちたジャイロの言葉に、ジョジョはただうなずいた。

「……ジャイロ、気を付けて」

 

「ああ、わかってる。お前もな……さっさと行け」

 ジャイロはそう言うと、ジョジョに背を向けた。

「……テロリスト野郎の始末は、任せたぜ。ジョジョ……」

 ジャイロは歯を食いしばり、震える膝を押さえつけながらつぶやいた。その耳に、前方から幽かに、だが酷く耳障りな叫びが、確かに聞こえ始めていた。

 

「テケリ……リ」

 


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