ディオの奇妙な冒険 ManicStreet (ジョジョ1部+7部) 作:ヨマザル
それは、まさに悪夢であった。
ジャイロの目の前には、地下鉄の車両ほどに大きな、タールの塊のような、アメーバのようなモノが蠢いていた。
だらだらと黒い粘液を垂れ流していた。
その表面はさざなみをうつように、のたうち回るように、嵐の海のように、ザワザワ、ネトネト、ウネウネと波打っていた。
ゴブッ
何か沸騰するような音がしたかと思うと、そのモノの表面から、人間の目玉のような、触手のようなものが突き出た。
それを皮切りに、無数の:
昆虫のかぎ爪
耳
目
蝙蝠の羽
足
烏賊の触手
唇
海藻
芋虫
そして、それらに似た、ありとあらゆる『おぞましい何か』が表面から突き出ている。それらが、次から次へと飛び出し、わめき、カサカサとあたりを揺らし、そしてまた引っ込む。
やがて、ぬめぬめとした粘液をかき分け、その奥から人間そっくりの大きな口が現れる。
その口から聞くだけで寒気のするキーキー声が、響いた。
「テケリ……リ、テケリ・リ」
吐き出される息は、なんとも形容しがたい色に染まっている。そして気絶しそうなほどの悪臭が周囲を漂う。
通常の人間が一目見たら、それだけで発狂してしまいそうなおぞましさだ。
「うぷっ……コイツぁ、強力だぜ……」
平静を保つために、ジャイロは腰に下げた鉄球を二つ同時に回転させていた。
ツェペシュ家は代々死刑執行人を請け負う家系だ。ツェペシュ家は代々鉄球の回転を、『死刑を目前として恐怖に震える囚人の精神を落ち着かせるため』に用いてきた。
今、その『回転』の力が皮膚を通し、ジャイロの肉体と精神を落ち着かせ、狂気に追いやられるのを防いでいるのだ。
それでも恐怖で目の前がちかちかし、胸がむかつく。
目の前の光景が、現実のものだと信じたくない。これは夢だと思いたい気持ちで、いっぱいであった。
もし、『回転』の力で無理に落ち着いていなければ、ジャイロでさえもとっくに『恐怖のあまり』発狂していたであろう。それほど、目の前のモノは醜悪で、人間の生理的な嫌悪感をあおり、精神を酷く痛めつけるものであった。
その醜悪なモノの後ろに、人影があった。小柄な男だ。
フフフフ
ギャハハハハッ!
その人物は、非人間的な怪物の後ろにで、悦に入った笑い声を上げていた。ジャイロと目が合うと、男は深くかぶっていたフードをはねのけて素顔を見せた。その顔は砂漠の砂でできているかのように、皺くちゃでヒビが割れ、カサカサしているのが遠目から見てもわかった。
「これは、これは……誰かと思えばツェペシュ家のドラ息子じゃあないか……親父さんは元気かね」
「ケッ、ぬかせこの野郎ッ」
ジャイロは少しだけ元気を取り戻し憎まれ口をたたいた。その男も得体が知れなかったが、粘液で包まれた怪物を見ているよりマシだったのだ。
「親父はピンピンしているぜ。おあいにくだったなぁ〰〰」
恐怖のあまり、まともな返事は帰ってこないと思っていたのだろう。フードをかぶった謎の男はジャイロの返答を聞いて、すこし戸惑ったような、微妙な表情を見せた。
「フハハハハハ……ハッタリはよせ」
男は懐からとりだした粘土板を、ポンとたたいた。
「フフフハハハ……我が能力『プタハ神』によって具現化された怪物……ショゴスに喰われてしまうがいいわ」
「ああぁ? しょごす だとぉ? 」
なんじゃそりゃ?
「フハヒヒヒ……これは超太古から伝わる秘版、ナコト写本よ。この地に隠されておったのもを、見つけたのじゃ。知っておるか? この貴重な書物の存在を?」
「あぁぁ? 何を下らねぇー俺は学者さんじゃぁねぇぜ」
「嘆かわしぃのぉ……この本はもともと人類誕生以前のイースの大いなる種族が書き残したもの。それを長い時の後に氷河時代以前の北極圏ロマールの民が人間の言語に翻訳し、人の世に出たのよ……これは、その一節、奴らが想像したショゴスという怪物について書かれた章を古代メソポタミアの楔形文字で粘土板に写し取ったもの……まさかこの地にあるとは思わなんだが……」
「……」
「そしてわが能力『プタハ神』の『創世の書』は、古から伝わる書物に描かれた事柄を具体化できる。そこでこのショゴスを召喚させてもらった……ショゴスよ、我が命に従いこの世に現れ、喰らいつくせッ」
「テッ! テッ! 」
男の叫びにこたえ、ショゴス と呼ばれた怪物が、ねとり……とジャイロに向かって動いた。
ぴゅるるるるる
その肌からピンク色の粘液のようなものが噴出され、ジャイロを襲った。
「クッ! 」
とっさにジャイロは一つの鉄球を、地面に向かって投げつけた。
その鉄球が地面をえぐり、ジャイロとショゴスの間に『土の壁』を作った。
ビシュッ
ショゴスが放った粘液は、その『土の壁』を貫通した。だが粘液は、『土の壁』を貫く際にほとんどのエネルギーを使い果たした。そして、粘液がジャイロに到達した時には、水鉄砲ほどの勢いに弱まっていた。
だが……
粘液はジャイロの洋服に力なく付着した後、服の上でもぞもぞと動き出したのだ。粘液の動きはだんだんと早くなり、ついに洋服を穿ち、ジャイロの体に襲いかかるッ
「ウォオッ……あっぶねっ」
あわや、というところでジャイロは上着を脱ぎ棄てた。
脱ぎ捨てた上着に向け、鉄球を投げた。
カチッ
二つの鉄球がぶつかり、火花を放つ。
その火花が着火し、粘液ごと上着を燃やした。
「なんだぁ? 生きているのか? この粘土 ──スライムか── は、よぉ」
ジャイロは炎の中で身を悶えている、その不定型な粘液を気味悪く眺めた。
男は自慢げに言った。
「コヤツは太古の昔、まだ人間がいなかった頃に栄えた、ある一族が産み出した忌まわしき奴隷よ……奴隷の分際で主人に牙を向き、ついには主人を喰らいつくした罪深きものよ……その太古の忘れられた記録を、我はよみがえらせた……」
ジャイロは知らない。
ショゴス……それは、数億年前に宇宙から飛来した『古のもの』と呼ばれるおぞましき生物が、自らに奉仕させるために作り出した不定形の怪物であった。もともと知能はなく主人の指示がないと動けない哀れな生き物だ。しかしいつしか、自身が偶然発生させた脳を固定化することで知能を持つようになり、やがて創造主である「古のもの」に反抗し、滅ぼした……とされている。
その存在は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州アーカムのミスカトニック大学で厳重に保管されている 魔道書 ナコト写本に記されていた。ナコト写本とは、人類が生まれる前に「古きもの」が直接書き表したとされる魔道書、ナコト……それを後日 人間が翻訳したものだ。
おそらく男はその、ナコト写本の、太鼓に書き写された一節を入手したのだろう。
クククク
「貴様も喰らわれてしまうがよいッ! 」
「言ってろッ、バカ野郎ッ」
バシュッ
ジャイロが鉄球を投げた。
鉄球は狙い過たずショゴスの体を穿ち、再びジャイロの元に戻ってきた。
ジャイロはその珠を右手にはめたグローブで受けとめ、再びショゴスに投げつけた。
グローブで受けたのは、万が一 ショゴスが鉄球にへばりつく可能性を考慮したからであった。
ブリュッ
再び鉄球はショゴスを穿った。そして、地面をえぐり、跳ねあがり、ジャイロの手元に戻ってくる。
「デケリ・リ! ! ! 」
体に穴をあけられたショゴスが叫ぶ。その叫び声は、これまでよりさらに耳障りな、高音だ。
ぷるぷる
と、ショゴスが身を揺らした。
すると、まるで細かな泡が湧きあがるように、ショゴスの肉が醜く盛り上がった。そして、その肉が崩れ、ジャイロが穿った穴に流れ込んだ。穴は見る見るうちに跡形もなくふさがっていく。
仕返しとばかりに、ショゴスが『粘液の鞭』をジャイロに向かって振り下ろした。
鞭は高速でジャイロを襲った。攻撃が早すぎ、普通の手段では逃げられないッ!
「チッ」
ジャイロは自分の足元に鉄球を落とした。
その鉄球の上に、ジャイロは飛び乗った。すると、まるでパチンコ玉のようにジャイロの体が後方に吹き飛ばされる。
その直後ッ!
バシュッ
ショゴスの鞭が直前までジャイロがいた場所を正確にとらえ、地面に穴を穿っていた。
「コイツ、厄介だな……チックショウ……」
その威力を見て、ジャイロはいらただしげに指をかんだ。
「ふうっ……」
その日のレースを終えたジョニィ・ジョースターは、ブーツを脱いで、宿舎のベッドにゴロリと横になっていた。ジョニィの住む寄宿所は、簡易的に作られた粗末な家だ。居心地はお世辞にもよく無いが、だいぶそこでの暮らしに慣れてきてもいた。
ジョニィは3日間の規定レースを終え、明日からはしばらく休暇であった。とは言え、格段やるべきことがあるわけでもない。明日はたぶん昼過ぎまでゴロゴロして、それから何か面白いことでもないか、町をブラブラ歩いて暇をつぶすぐらいが、関の山だろう。
レースの結果には、正直、悔いが残っていた。
「くっそぉぉッ」
ジョニイはベッドに寝転がり、今日のレースのことを忌々しく思い返した。
あと少し、あと少しだけ馬の足をうまく使えていれば、ディエゴの操る馬の鼻先を制して、一番にゴールできたはずなのに。結局、この三日間で5度ディエゴと対戦したが、わずか一勝しかできないありさまだ。
「だいたいアイツまで、どうしてこの国に来たんだ! おとなしくイギリスに引っ込んでいればよかったのに! 」
もちろん、わざわざディエゴまでこの国に来た理由は分かっている。今、イギリスの競馬がオフシーズンであることと、ジュニアクラスが出場できるレースの割には、この国のレースの賞金総額が驚くほど高額なことからだ。
結局、予定通りにいけばジョニィが独り占めするはずだった賞金のほとんどを、ディエゴにかっさらわれた……と言うわけだ。
ジョニィはイライラして、ベッドから跳ね起きた。
コップを取り、ベッドの横にある水差しから水をくむと、一気に飲み干す。
「……くつそぉ……駄目だ、今日はイライラして、眠れそうにない」
外はいつの間にか嵐になっているようだ。ゴウゴウと風がなり、バラバラバラバラっと、雨粒が弾丸のように宿舎をたたく音が聞こえる。
「ちっ……嵐か……明日からせっかくの休みだったのに」
乾燥地帯のこの地で、雨とは珍しい。
ジョニィはカーテンを開き、天候を確認した。
その直後
ゴン!
ゴンッ!
宿舎のドアが乱暴に叩かれ、ドアが開いた。
開いたドアから、猛烈な雨風が吹き込んでくる。
「おいッ! 誰だ貴様ッ! 」
ジョニィは怒鳴った。
「ここは僕の部屋だ。もし部屋を間違っただけなら、すぐ出ていけ。物取りなら、あきらめろ、今、警備兵を呼んだからなッ」
ドアの奥に立っていた男は、かぶっていたフードを下した。
ディオであった。
フードの縁からポタポタト水滴が零れ落ちていく。
ディオはジョニィの脅しを気にした素振りもなく、そっけなくうなずき、ゆっくりと言った。
「ジョニィ・ジョースター……久しぶりだな……お前に話がある」
「くそっ、何でボクが……」
ジョニィはぶつくさ言いながら、寄宿舎を抜け出した。厩舎から馬を引き出し、嵐の中、厩舎の外へ出て行く。
「フン……」
厩舎の外で待っていたディオは鼻をならした。真っ青な顔だ。
「ぶつくさ言うな。……いいんだぞ、止めても。だが止めれば……お前の父親が、お前がジョジョの奴とボクシングで決闘したこと、その時、お前が卑怯にも『拳に鉛玉を握りこんでいた』ことを知ることになるがな…………」
ディオは警告した。
「……わかっている……嫌なヤツだなキミは」
ジョニィは首をふり、ディオの手をとって馬上に引き上げた。
「……ぐっ……」
ディオは顔をしかめた。ジョニィに引っ張られたときに脇腹に鋭い痛みが走ったのだ。
「大丈夫かい? ひどい怪我のようだ……その怪我でジョナサンを追うのは、ムリなんじゃあないか? 」
「うるさいッ! 余計なお世話だッ」
「……まあ、いいけどさ…………ボクもジョージ・ジョースター卿には恩返しがしたいしね」
「……フン」
「しっかりつかまっていろよ。大丈夫か? ……キミが振り落されても、ボクは助けないぞ」
ジョニィは愛馬の背にディオを乗せると嵐の中で馬を走らせた。行先は、ここから80Km離れたとある太古からの遺跡であった。
エジプトの土漠とはまた違い、ここの土や石の色は灰色であった。
そんな灰色の荒野を、二人乗りの馬が走っている。
「後ろから嵐に乗ったヤツが近づいて来るぜ……すぐに追いつかれる」
二人乗りの馬を操っているディエゴ・ブランダルは、愛馬の背に乗せた客に、そう告げた。
「……どれくらいで、こちらに来る? 」
客、ジョナサン・ジョースターは、ディエゴの肩越しに空を睨み付け、あとどれほどで嵐が来るのか、計ろうとした。
「……ああいった嵐は、思ったよりもやってくるのが早いぜ。とはいえまだ問題はないな……あと、2日後って所だろう」
気をつけな。どうする?
ディエゴの質問に、ジョジョはきっぱりと答えた。
「どうしようもないよ。このまま突っ切るだけさ」
「俺は、帰り道で嵐にぶち当たることになる……割増料金をもらわにゃ、割に合わんな」
ディエゴは臆面もなく、馬を止めた。
「ここから先は、割増料金だぜ」
「わかっている。100ポンド上乗せするよ」
「200ポンドだ……それで、『行けるところまで行く』それが契約だ。……俺は、4日後の午後から次のレースがある。絶対に出なくちゃならない、レースがな。だから最後まではアンタに付き合えない」
「……300ポンドだすよ。だから、『行けるところまで』でじゃだめだ。僕を遺跡まで連れていって欲しい。大丈夫、明日の昼には着くはずだよ。キミもレースには間に合う……」
「……わかった。取引成立だ」
ディエゴは愛馬に鞭を入れた。
ジョジョを後ろに乗せ、ディエゴは荒野を駆けた。
「……なあ、ちょっとだけ教えてくれよ。アンタ、あのディオってヤツの『兄弟』なんだってな……ホントか? 」
肩越しにディエゴが話しかけた。
「……そんなようなものだよ……どうしてそんなことを聞くんだい? キミは、彼を知っているのかい」
「良くは知らないな。チョット話した事があるだけだ。だが、アイツ、小賢そうな奴だったな」
ディエゴは、ふっとバカにしたような笑みを見せた。
「ディオ個人のことは良く知らない。だが、ああいう体の奴は俺の周りにたくさんいるから、予想はつくぜ。ピリピリして、気取って、いっつも何か余計なことを企んでいそうだ……信用できないタイプだぜ」
「君は、ディオのことを良く知らないんだろ? ……悪いけど、君が彼のことをよく知っているとは思えないよ」
「もちろん、これは俺のただの印象さ……それから、これも俺のただの勘だが、アイツ、いつかアンタを裏切るぜ」
妙に快活に、ディエゴが言った。
「……そんなこと、キミに言われたくないな」
ジョジョの表情が険しくなった。
「おっと、失言だったか。謝るよ。ただのデマカセだ。気にしないでくれ」
「……先を急いでくれないか」
ジョジョはボソリと言った。
「了解だ、ボス」
と、返事とは裏腹に、ディエゴは馬の速度を落とした。
「どうしたんだい? 」
「……枯れた川がある。ここを通らなきゃならんが……」
ディエゴは、枯れた川の『川岸』に立つ、木を指差した。
「あれを見ろ」
「うっ……」
ジョジョは顔をしかめた。遠目から見てもわかる。そこにぶら下がっているのは、人間の死体のようだ。
カラカラ……
吊るされてからどれだけ経ったのだろう。木に吊るされたその死体から、カラカラと言う音が聞こえた。その音の通りミイラ化し、カラカラに乾ききっているのだろう。
「これは……どうして彼はここにつるされたのかな……いつからこうしているのだろう……でも、何か変だ? なんでだろう」
ジョジョは首をかしげた。すぐに、その理由に思い当たる。
「……違和感の正体がわかったぞッ。こんな細い枝に人をぶら下げるのは不可能だからだ。最初からミイラをぶら下げたんじゃなければ、こうはならない」
ディエゴが鼻を鳴らした。
「なるほど、ではこれは罠というわけか」
そういうと、ディエゴは懐からすばやく拳銃を引き抜いた。そして、慣れた手つきで銃の狙いをつけ、つるされているミイラの頭を吹っ飛ばした。
「……これで問題解決だな、ボス」
ディエゴは、銃口から立ち上る硝煙を吹き飛ばした。
ディエゴは余裕綽々で馬を進め、ついに馬がミイラの隣にさしかかった。
そのとき。
ジョジョがディエゴを突き飛ばした。
完全に不意を突かれたディエゴは、馬から危うく落ちそうになった。
ディエゴが体勢を崩した時に、『何か』が頭の上をかすめた。
背後からディエゴを突き飛ばしたジョジョは、すでに馬から飛び降りている。
「チッ! 何をするッ」
文句を言いかけたディエゴは、目にしたものに度肝を抜かれ、その言葉を飲み込んだ。
あわてて馬を操り、出来る限り『そのもの』から距離を取った。
先ほど撃ち落とした死体の首から下から、薄っぺらい触手のようなものが飛び出すのが見えたのだ。その触手が、猛烈な速度でジョジョに向かって襲いかかってくる。
「うぉおおおおおおおっ」
ジョジョが吠えた。
背中から刃渡りが1mはありそうな分厚い両手剣を抜く。その柄は水平に伸び、まるで十字架のようなシルエットになっていた。
なんと、ジョジョがその剣を片手で持ち上げた!
ブシュッ!
死体から恐ろしい速度で触手が飛び出す。
触手は空気を切り裂きながら、ジョジョを四方八方から襲った。
「うおりゃぁぁぁっ! 」
だがジョジョは巨大な剣を目まぐるしく振り回し、すべての触手をたたき落とすッ!
ガッ
ガッ
ドッ
触手が剣にぶつかるたびに、ものすごい金属音が響く。まるで銅鑼が打ち鳴らされるような轟音が、周囲に響きわたる。
「何てぇスピードだ……」
ディエゴは、触手の攻撃速度と、それに対抗できるジョジョの人間離れした速度を目の当りにして、あっけにとられていた。
「……化け物か……両方ともよォ」
ディエゴの感想は正しい。
ジョジョの動きは、ただの人間の範疇をはるかに超えていた。
それは、タネがあった。ジョジョは、グレゴリオのスタンド:ホワイト・ゾンビ―ズの能力の一つ、ゾンビ・キャットで全身を刺繍していたのだ。
ジョジョが羽織っている上着の下をめくってみれば、ゾンビ・キャットの『糸』で、無数の放射線や、円が色とりどりに描かれているのが、見えたはずだ。
ジョジョは、ゾンビ・キャットの刺繍で身体能力を倍加させていたのだ。
だが例えジョジョの筋力は上がっていたとしても、それを支える骨や、腱、肉は普通の体であった。
だから剣を振り回すたびに、刺すような痛みがジョジョを襲っていた。
腱が限界以上に引き伸ばされ、かかる力があまりにもの大きすぎ、拳を持つ腕にひびが入る。
ほんのわずかな時間の間に、すでにジョジョの体が悲鳴を上げ始めていた。
長く戦うことは、できないッ!
剣を振り回しながら、ジョジョは目まぐるしく作戦を立てていた。
(ダメだッ! このままでは……そうだッ)
相手に隙がないのであれば、自分が隙を作ればいい。
ジョジョは意を決して、左手を触手の前に差し出した。
ギュルギュルギュルッ
誘いに乗って、触手がジョジョの左手をえぐりに行くッ
「喰らえっ! 」
触手が左手をえぐりぬく直前、ジョジョの剣が触手を切り払うッ
「うぉおおおおっ」
チャンスだ。
ジョジョは、目まぐるしく剣をひらめかせ、触手を切り払っていく。
それだけではない、触手を斬りつつも、ジョジョは一歩一歩ミイラに近づいていった。
「喰らえぃッ! 」
ズッバァァアアンン!
そして、ついにジョジョの剣がミイラを真正面からとらえた。
渾身の剣の一撃を受け、ミイラのボディは真っ二つに分断された。
ピューッとディエゴが口笛を吹いた。
「ディエゴッ! 」
ジョジョの合図にこたえ、ディエゴは懐からマッチを取り出した。
マッチを擦ると千切った布に火をつける。
「止めだッ! 」
ディエゴはその火を、ミイラに投げつけた。
ボッ……
ディエゴが放った炎は、あっという間にミイラに燃え移った。一瞬ミイラは炎の中で手足をバタバタと振り回した。だがすぐに炎が、その体をすべて燃やしつくしていく。
「ふぅ……」
炎を上げて燃えていくミイラを眺めながら、ジョジョは安心して地面にしゃがみ込んだ。
「すごい力だな、ボス……」
「まぁね……」
ジョジョは苦笑いした。無事ではない。
腱が、肉が、酷く傷んでいた。柄をつかんだ手のひらの皮膚は破け、血だらけになっている。
「でも、この……ミイラは何故ここにいたんだろう……」
「待ち伏せされていたってことか……まさか、逆追跡を受けるとな……」
チッと舌打ちをして、ディエゴがかぶりを振った。
「逆追跡? 」
「ああ、俺たちは『ジョージ・ジョースター卿を拉致した敵を追っている』と思っていたわけだ」
ディエゴは言った。
「だが実際は、『俺たちが追われていたのだ』」
「何だって」
「つまり、敵は俺たちが追ってくることを予想して、罠を張っていたってわけだ」
「……それは、厳しいな……」
ジョジョは、覚悟を決めた鋭い目つきになった。
「まぁ、あわてるなよ」
だが、ディエゴは余裕たっぷりに言った。
「今度は俺に任せえておけ……奴らの追跡をかいくぐってやるぜ」
「イケッ」
馬上のディエゴが拍車をかけると、その馬が軽々とジャンプした。
ディエゴとジョジョの二人を背に乗せたまま、馬は一つ頭の上の岩棚に上り、すぐにまた次のジャンプ、そしてその反動を利用して、また一つ上の岩だなにジャンプする。
ディエゴは巧みに馬を操り、あっという間に急な岸壁を駆け上ってしまった。
「すごい」
すっかり感心しているジョジョに向かって、ディエゴはクールに言いはなった。
「大したことじゃあないんだ。これくらい、ジョニィ・ジョースターだってできるさ」
「君は、ジョニィのことも知っているのかい? 」
「……知っている。名前だけなら昔からな」
一瞬躊躇し、ディエゴは付け加えた。
「俺は子供の頃、見習い厩務員だったんだ…………ジョニィ・ジョースターの兄の馬の世話をしたこともある…………もっとも奴は、俺のことなど覚えてないだろうがな」
その日のスープにもことかく、貧しい暮らしだったぜ。
「そうなんだ」
ジョジョは口ごもった。幼馴染のディオは貧しい下層階級の出身であったが、当時の暮らしを話してくれたことは一度も無い。
貴族の家に生まれたジョジョは『貧しい暮らし』の本当の意味を知らない。知ることはできない。そのことをジョジョは良くわかっていた。
「ハッ……」
ディエゴが自嘲気味に言った。
「今の俺にあるのは、この乗馬の技術だけだ…………だがコイツだけは誰にも負けねぇ……いつの日か、俺は正式なジョッキーになり、英国競馬界のTOPに立つ」
ディエゴは言った。
「だから安心してくれてイイゼ……ボス。俺の技術でアンタを確実にジョージ・ジョースター卿のもとへ送り届けてやる」
「頼んだよ」
ジョジョはうなずいた。
それから三時間後……
「むっ……川があるな」
ディエゴは、馬を止めた。
そこには川幅15m程の渓流の跡があった。ゴツゴツした岩でおおわれた川床の真ん中には、かろうじてチョロチョロとした流れがまだ残っている。だが魚の姿は見えなかった。
その川を見ていたディエゴの顔に、笑みが浮かんだ。
「どうしたんだい? 」
「これはチャンスだぜ。この川をうまく使って痕跡を消してやる……ボス、アンタはここから一歩も動かないでくれ」
「わかった」
ディエゴは馬を降りると、一人で川をわたっていった。
大きな岩は慎重に超え、そのほかは中型の石の上を踏んで歩いて行く。そして、自分が踏んだ岩は一つ、一つ丁寧に横にのけていく。
その様子を、ジョジョはただ見ていた。
そんな作業を始めてから一時間がたったころ、ようやくディエゴがジョジョと馬のところに戻ってきた。
ジョジョから馬の手綱を受け取ると、ディエゴは満足そうに言った。
「ボス……俺がひっくり返した穴を踏んで、川の反対側まで行ってくれ」
「わかった」
ジョジョが、おっかなびっくりディエゴがひっくり返した岩の跡を歩き、川の反対側に出た。
「よし……木の枝や、葉っぱを折ったり、やわらかい地面を踏んだりしないでくれよ……固い岩の上だけを選んで、足跡を残さないようにして川岸の上まで登ってくれ……後生だから、俺が行くまでそこにとどまってくれ」
ディエゴはジョジョを置いて、愛馬の背にまたがった。しばらく愛馬を進めると、今度は逆にゆっくりと馬を後ろ歩きさせて戻ってきた。しかも、行く道につけた自分の足跡を踏み直して戻ってくる。驚くべき技術だ。
野生の動物がやるというバックトラップ。ディエゴは、その動きを馬を操って再現して見せた。
ディエゴは馬から飛び降りると、周囲の不自然な痕跡を丁寧に直していった。
そして慎重に愛馬の手綱を引き、一歩、一歩、先ほど開けておいた穴を踏ませて、川を越えていく。
厩務員の経験も持っているディエゴにとっては、きっちり穴を踏んで歩くように馬を誘導することなど、お手の物だ。
無事に馬を連れて対岸に渡ると、ディエゴは手綱をジョジョに渡し、再び来た道を戻った。
そして横にのけておいた岩をまた穴の上に置いて行く。
川を渡った痕跡を完璧に隠すためだ。
「よし……これで完璧だな」
すべての作業を終え、ディエゴは今度こそ会心の笑みを浮かべた。
「……スゴイな。前にも同じことをした経験があるのかい? 」
「あるわけないだろ……本に出てたやり方を真似ただけだ」
ディエゴはちょっと考えて、付け加えた。
「子供のころに読んだことがある、アウトロー・マンってぇ題名の話に出ていたやり方さ、アンタも一度読んでみるとイイ」
「……考えてみるよ。ところで提案があるんだ。念のためしばらく馬から降りて僕たちの痕跡を消しながら歩くって言うのは、どうだろう? 」
「そうしよう」
ディエゴは馬の手綱をとった。
「俺が馬を引く。アンタが痕跡を消してくれ……ボス」