ディオの奇妙な冒険 ManicStreet (ジョジョ1部+7部) 作:ヨマザル
[1882年に起こった重要事項]
-5月:プロセイン、オーストリア、イタリアが三国同盟を結ぶ
-6月:アーカムに住む農夫ネイハム・ガードナー家の近くに、隕石が落下
-9月:イギリス軍がエジプトで、アフメド・ウラービーの企てた革命を鎮圧
そして12月:
黒塗りの汽車が煙を吐き、ガタガタと揺れながら田園地帯を走っていた。
ディオ・ブランドーとジョナサン・ジョースターの二人は、向かい合わせの座席の対角線上に座わり、読書をしていた。木製の座席は少し硬いが清潔で、敷かれているチェック柄のクッションは温かい。居心地は良かった。
「……ねぇディオ、それは、エジプトについての書きものかい? 」
ジョジョが退屈しのぎに話しかけてきた。二人は通っているR高のあるウォリックシャーからロンドンまでの旅の途中で、汽車に乗ってからもう4時間は経っていた。
「ああ、このまえ終結した、『我が英国とエジプトの反乱分子共との小競り合い』についての記事を読んでいたのさ」
ディオが答えた。
「どうやら、エジプトの治安はすっかり回復したようだね。気になるようなニュースは無かった」
「そうか、それは良かった」
ジョジョがにっこりした。
「旅行中に何かあったら事だからね」
「そうさ、安心したよ……ジョジョ」
ディオ・ブランドーは16歳、ジョナサン・ジョースターは15歳になっていた。
血は繋がらないものの『兄弟』として一緒に育てられた二人は、普段は寄宿学校で暮らしていた。
イギリスの上流階級の子供は、幼少から寄宿舎学校に入り親と別れて暮らすのが伝統なのだ。
だが今はクリスマスシーズン、学校は休校であった。二人はこの休暇を使って父親:ジョージ・ジョースター卿共にエジプト旅行へ出かけるところであった。
と、ディオは懐から懐中時計を取り出した。時間を確認し、準備万端とばかりにカバンに入れておいたブラッドショウの鉄道時刻表と見比べる。
「ところで、時間通りならそろそろ駅に着くぜ、また赤帽(イギリスの駅で、列車から荷物を運びだす係のこと)を捕まえるのが面倒だな……」
ディオはため息をついた。
「ああ、それは僕がやるよ」
ジョジョは、こともなげに言った。
「そうか。悪いな、ジョジョ……」
ディオは、少し笑みを浮かべながら、答えた。
(クックッ……もしかしたら、このエジプト旅行中にチャンスがあるかもな……この革命騒ぎに乗じて、ジョジョのヤツを始末できるチャンスが……)
と……
……二人のいる客室を、コンコンとノックする音がした。
「誰だ? 」
ディオが鋭い声で誰何した。
「……車掌です。ディオ様、ジョナサン様……失礼ですが、扉を開けてもよろしいでしょうか」
「……いいだろう」
「ありがとうございます。では、失礼します」
ドアが薄く開けられた。その隙間から、紺色の帽子と制服を身にまとった車掌が顔を出した。初老の少し小太りな男だ。
「何か用ですか? 」
もう切符なら見せましたよ。とジョジョが答える。
車掌はドア越しに、『二人と話がしたい』という紳士の存在を告げた。
「何でも、ジェフリー・ジョ―スター卿とか……」
「ジョースター? つまり一族の誰かってことか」
ディオが困惑した顔でジョジョに尋ねた。
「ジョジョ、ジョースター家の中にそんな名前のヒトがいるのか知っているかい? ……僕は知らない」
「うーん、確か父さんの兄弟に、そんな名前の人がいたような……」
ジョジョは頭をひねった。
「でも、自信は無いかも……」
「……そうか…………会ってみるかい? 」
「もちろんッ」
ジョジョの快諾に、車掌は何度も礼を言った。車掌は敬礼し、後ずさりしてドアを閉める。
ガラッ
しばらくして、再び車室のドアが開いた。
ドアの向こう側には、彼らの父親とほぼ同年代の男が立っていた。男は、古いながらも仕立てのよさそうなスーツを小脇に抱えていた。茶色のスーツだ。かぶっていたソフト帽を脱いで、二人に頭を下げて見せる。髪は白く、少しくたびれた印象の男だ。
「ジョージ・ジョースター殿のご子息かな? 」
「ええ、あなたは……」
ディオを押しのけ、すっと、ジョナサンが対応した。
「初めまして、君がジョナサン君かな? ……私はジェフリー・ジョースター、貴方のお父さんの弟です」
ジェフェリーと名乗った男は、ジョジョに頭を下げた。
面識こそないが、そう言われれば確かに目の前の男の顔、目の色、体格、立ち振る舞いなどに、父親のジョージに『似た雰囲気』があった。身長は父と同じくらい、しかし父より恰幅が良く、少しだけ自信無げな表情をしている。
「!? それは失礼しました。──失礼ながら今までお会いしたことは……」
ジョジョが恐縮して、一歩後ろに下がった。
ジェフェリーが首を振った。
「これが初対面かな……実はジョースター家は、王室に仕える由緒ある馬乗りの家系です。でも君のお父さんは、稼業を継ぐことを良しとしなくてね……で、二男の私が後を継いだってわけだ。だから今まで、君たちと会ったことがなかったのだよ」
ジェフェリーは、にこやかに言った。
ディオは少し離れたところから、二人が和やかに会話している様子を見ていた。
ディオはジョジョよりも年上ではあったが、ジョースター家の公式な跡取り息子、つまり嫡男ではなかった。だからこのような対応は嫡男であるジョナサンに任せ、自分は後ろに下がるしかない。
面白くない気分をかみコロシ、ディオはジョジョとジェフェリーが話いているのを黙って聞いていた。
……と、ディオはジェフェリーの背後、廊下にもう一人、少年が突っ立っていることに気が付いた。
その少年は、ジェフェリーとジョジョの会話にはまるで興味がない というように、ぼうっとしていた。だがすっかり退屈しているようで、時折、大きなあくびをかみ殺したりしている。
(何だ? コイツは)
ディオはその少年を見て、意味もなくイライラとした思いがわいた。
端正な顔立ちをしたその少年は、だらしがない姿勢で壁に寄りかかっていた。彼は、ディオが自分を見ているのに気が付くと、ムッと眉をしかめ、逆にディオをニラミ返した。
(ムッ……なんだ、コイツ)
年下の少年がニラミ返してきたので、ディオは少し鼻白んだ。
(生意気な奴だ……気に食わん)
「ああ、彼を紹介するのを忘れていた……彼の名は、ジョニイ・ジョーキッド・ジョースター……私の息子さ。11歳だ」
ジェフェリーがぺチンと額を叩いた。背後の少年を二人に紹介する。
「ジョニィ……挨拶しなさい」
紹介を受けて、ジョニィが面倒くさそうに、進み出てきた。
「……よろしくぅ~~」
ヘラッと言ったその様子を、ジェフェリーが苦虫をかみつぶしたような顔で見ている。
「まっ、ジョースター家の血をひく者は少ない……親戚同士、これからは仲良くしようぜ」
ジョニィは髪を掻き揚げ、言った。そしてジョジョに向かって手を差し伸べる。
「あぁ、こちらこそ……」
ジョジョは戸惑った様子で、ジョニィの握手に答えた。
次にジョニィは、ディオの方を見た。そして……目をそらした。ジョニィは父の後を追って足早に部屋にはいり、ディオとジョジョから離れた壁に寄りかかった。その顔に、嘲るような笑みが一瞬浮かび、消えた。おそらくジョニィは、ディオが正式な家族の一員ではないこと、本来は下層階級の人間であることを知っているのだ。
(……嫌な奴だ。いつか、しかるべく思い知らせてやらねばならんな)
ジョニィの無作法な態度に大いに気分を害し、ディオは心の中で悪態をついた。
この時代、すでにロンドン市内には地下鉄が走っていた。
汽車が地下鉄につながるトンネルに入る直前、ディオは手を伸ばして客室の窓を閉めた。汽車の煙はトンネルに充満している。その煙が客室に入ってきてはたまらないからだ。
ゴォ──と言う低い音がして、汽車がトンネルに入った。明るい室内の光が反射して、話し込んでいるジョジョとジェフェリー、そして眠そうにしているジョニィの横顔が、窓に映り込んでいた。
窓の向こう側には煤汚れた闇が広がっている。窓の明かりにうっすらと照らされ、それまで闇に隠れていたものが一瞬姿を表し、すぐに後方の闇に呑まれていく。
汽車はロンドンのパディントン駅に向かって走っていた。
道中、ジョジョはジェフェリーに、日々の生活の様子や、ジョースター亭のことを問われるままに語った。
ジェフェリーは二人が知らないジョースター家の歴史を色々と説明してくれた。
ジョースター家の先祖がたてた偉大な武勲のこと、一族の伝説ともいえる偉大な騎手のこと、美しい貴婦人の話、一族の変わり者が引き起こした『奇妙な』騒動……
そして、父、ジョージ・ジョースターの幼いころの逸話、親元を飛び出して世界を回っていたころの冒険譚……
ジョジョは感嘆の声を上げた。
「……そうだったんですかッ、父さんは若いころ、ずいぶん派手に冒険していたのですね。知らなかった……」
「しかし父と母は……ジョージ兄さんの『冒険』を喜ばなかった……父は軍の人だったからね。父の目には、兄さんが周囲を顧みず規律を無視した行動ばかりしているように見えていたのだろうね。結局父は、ある日突然、兄さんをジョースター家から勘当したのだよ」
「……」
「でも、そんな兄さんが、我らジョースター家の救世主となるのだから、わからないものだねぇ」
「どういうことですか?」
「我等ジョースター家は幾多の英雄を配した馬乗りの家系さ。しかし残念なことに、戦の主役が陸軍から海軍に移っていくにつれて、徐々に没落していっていたのさ。私の父の代の終わりには、ついに先祖が代々住んでいたジョースター家の屋敷さえ、売り渡すことになってね……」
暮らしは楽ではなかったよ。ジェフェリーは、ため息をついた。
「その窮地を救ってくれたのが、海外貿易で稼いだ君のお父さんだよ。一族伝来の屋敷も、君のお父さんが買い戻してくれたのだ。そればかりか、アラブのいい馬を買ってジョースター家にまわしてくれる。おかげで、なんとかやっていけているのですよ」
ディオは二人の隣に座っていた。
二人の話にはまるで興味を持っていない体で、だがその実、じっと二人の話を聞き、ジョースターの一族について可能な限りの情報を集めようと試みていた。
(くっ……ジョジョの奴にこんな親戚がいたとはな……だが今までジョースターの一族の事を知る機会がなかったが、このディオッ! 当然そんな事態は想定済みよ………すでに対抗策は考えているッ! より深く、ジョージの懐へ入ったと、こ奴らに錯覚させる必要があるがな………)
ジョースター家の資産の簒奪を企むディオにとって、『ターゲットの一族の事情』は喉から手が出るほどに必要な情報だったのだ。
もう一人の乗客であるジョニィは、一言も口をきかず、ただ窓の外を見ていた。ジェフェリーとジョナサンの二人の話には、心底興味がないと言う様子であった。
その狭い部屋には、息がつまるほどの湿気と熱気がこもっていた。隅に鉄パイプ製の古びたベッドが置かれているだけで、他には何もない部屋だ。
ベッドの上の男が寝返りを打ち、キーキーと耳障りな音を立てた。
「あああっ! 」
その音で、男が目を覚ました。だが男は震えながらベットの上で両膝を抱えてうずくまり、必死に目を閉じる。
目を開けたくない……
何も知りたくない……
と……男は黴臭い臭いが部屋中に充満していることに気が付いた。
キィィ……と、蝶番が軋む音がした。
男のいるちっぽけな部屋の扉は、油のさしていない蝶番で止められていて、開け閉めのたびに耳障りな音を立てる。
誰かが、この部屋に入ってきたのに違いなかった。
「ウッ……ウうううう」
眼を開けたくない…
眼を開けて、現実を見たくない……
カサカサカサ
何か、乾いたものが擦れる音がした。
そして、ドタドタと靴の音がする。
と、不意にその音が止まった。
男は、自分の体に影がかかったのを感じた。
肺が腐るかと思われるほどの悪臭がする。
ヤツだ。
奴がベッドの横に立ち、こちらを見ているのだ。
カサ……
再び、何かがこすれる音がした。
駄目だ、もう我慢できない……
「ウヒヒッ、ウヒッ………」
嗤いながら、男はゆっくりと目を開いた。
汽車はけたたましいブレーキ音を立てながら、ロンドンのパディントン駅に到着した。
乗客たちが待っていましたとばかりに立ち上がり、出口に殺到した。
パティントン駅は古い駅舎であった。レンガ造りのホームの上に、ゴテゴテと装飾された鉄柱が建ち並んでいる。鉄柱は緑色のペンキで塗られているが、その所々が剥がれ落ち、赤く錆びた下地が顔をのぞかせている。
二人の父親であるジョージ・ジョースターは、すでに駅ホームにいて二人を待っていた。汽車から出てきた二人をいち早く見つけ、人ごみをかき分けて駆け寄ってくる。大柄なジョースター卿は周りの人より頭一つ分背が高い。ディオとジョジョも、すぐに父親が近づいてくるのが分かった。
「ディオ、ジョジョ、元気そうだな」
ジョージは、にっこりと笑った。
「父さんッ! 」
ジョジョは、満面の笑みで父親とハイタッチした。
「ジョースター卿も、お元気そうで何よりです」
ディオは礼儀正しく頭を下げて挨拶をした。
「ウム……ディオ、頑張っているようだね。君の学校での態度や成績を先生から聞いているよ。皆、君の事を絶賛しておった」
「……お褒めいただき、ありがとうございます。これからも頑張りますッ」
ディオは直立不動の姿勢で、再度ジョージに頭を下げた。
「ハハハ……たまには肩の力も抜いて、ほどほどに学生生活を楽しむといい」
ジョージはディオにそう語ると、今度は愛情をこめてジョジョの肩を叩いた。
「ジョジョッ! 元気そうだな……お前の話も聞いておるぞ。もっとも、頑張ってはいるようだが……ディオにはマダマダかなわんようだな」
「とっ父さん……」
「まぁ、勉強以外の『学生生活を楽しむ』方は、ディオ以上に素晴らしい成績だと聞いておるがな」
「そうですよ、……ジョジョも頑張っていますよ」
ディオが言った。
別に本心ではない。だが、ジョジョと表向き仲良くやっていくために、ここはフォローを入れておくべきだと思っただけだ。
「イヤイヤ、僕の『頑張り』なんて、君にはまったくかなわないよ……ディオ」
「まったくだディオ。ジョジョを甘やかさないでくれよ。──おっと、これは驚いた」
ようやくジョージは、ディオとジョジョの後を追って汽車から出てきた二人組に気が付いた。その目が意外そうに見開かれる。
「そうでした。お父さん……ジェフェリー・ジョースター卿と、彼の息子のジョニィです。この汽車の中で偶然出会ったのですよッ」
ジョジョは、あわててジェフェリーとジョニィをジョージに紹介した。
「兄さん……久しぶりです」
ジェフェリーが、ジョージに手を差し出す。
「おおぉ、ジェフェリー……久しぶりだな。元気そうで、良かった」
ジョージは顔をほころばせ、差し出された手を握り返した。
「まさか、ジョジョたちと一緒に出会えるとはな……ロンドンでまたレースがあるのか? 」
「ええ、実は我が家の馬が一頭、来週のレースに出るんですよ」
ジェフェリーは自慢げに胸をそらし、鼻をこすった。
「ナショナル・ハント・レース(障害競走)なのですが、今年は優勝が狙えるかもしれないんですッ! 」
「なんだってッ! それはスゴイ、応援するよ」
「兄さんのおかげです。実は今度の馬は兄さんが連れてきてくださった馬の血統なんですよ。兄さんがいなければ、どうなっていたことか」
「はははは……何を言うんだ? 私はきっかけに過ぎない。優勝に値する馬を生み出したのはまさにお前の努力、工夫、手柄じゃあないか。お前はジョースター家の誇りだよ……ところで泊まるところは決まっているかね? 私たちはロンドン市内のWホテルに泊まっているのだが」
「……そうですね。私たちもホテルは予約していましたが……同じホテルに泊まるのも楽しそうですね。兄さんがロンドンにいるうちは、予約したホテルは引き払いましょう」
「ぜひ、そうしたまえ」
「……ははは……ところで、ロンドンの後はトルコに行くんです。トルコでもレースがありましてね……馬は連れて行けないんですが、懇意にしている馬主がいまして……」
6人立ての馬車の建具に少し隙間があるようで、時折ヒューヒューと音をたてて隙間風が吹き込んできた。馬車は石畳にできた隙間の上を走るたびに、ガタガタと揺れた。前方の窓からは、馬車を走らせる御者の背中が見える。ボロいコートを着てはいるが、御者席は吹きっさらしなのでとても寒そうだ。小さく縮こまり、時折寒そうに体を揺らしている。
ディオは、振動で舌をかまないようにしながら、その背中を見ていた。ボロコートを着た御者の背中が、ふと、いつも不機嫌で酒ばかりあおっていた憎むべき男のことを思いださせ、イラつかせる。
ジョージとジェフェリーは、馬車に乗った後も仲良く話し続けていた。
「……」
「……」
「…………」
盛り上がる大人たちとは裏腹に、ディオ、ジョジョ、ジョニィの三人は、気まずい時間を過ごしていた。
ディオの隣にはジョジョが、前にはジョニイが座っている。だが、二人ともただうつむいているだけだ。
最初の頃こそ、ジョジョも、そしてジョージの目を意識したディオも、あれこれと話題を探しては年下の従弟に話しかけてはいたのだ。だがそれを受けるジョニィが、酷くぼんやりとした受け答えばかりなのだ。
いくら二人が話しかけても、ジョニィはボンヤリと窓の外を眺めて、 ああ……とか、ううぅ とか、意味の無い返答をするばかり。要領を得なかった。
遂にディオとジョジョは、ジョニィと会話を続けるのをあきらめてしまったというワケだ。そして三人は、道中ずっと、ただ黙って窓の外を見ていたのであった。
(なんだこの低能は? ……だがコイツはいいかもな。これだけボ──ッとした奴なら、どうとでもできる。ジョージの資産をわがものにしたら、次はコイツ等をハメて丸裸にしてやるか……クククク……)
ディオはそんなことを考え、ニヤリと唇をゆがめた。
その顔を、ジョージが横目で見ていたことには気が付かずに……
ホテルに到着後、『ジョースター家御一行さま』は、荷物を解く間もほとんどないまま、すぐにホテルの1Fにしつらえられたレストランで夕食を取った。
レストランは閑散としていて、少し肌寒い。窓から見える景色もどんよりしており、寒そうだ。
ディオ達がやってくると、ウェイターは大慌てでメニューを持ってやってきた。ボーイが大慌てで暖炉の火を掻き立て、セントラルヒーティングのバルブをひねり、遅まきながら部屋を暖め始めた。
4人は暖炉前のテーブルに案内された。ジョージはメニューを見て、肩をすくめ幾つかを指差した。
ウェイターが大慌てで姿を消した。だがすぐに、イギリスの伝統的な夕食……茹でたキャベツとニンジン、さっとあぶったパン、それに茹ですぎて味のわからなくなった牛の塊に一つまみの塩……と言う味気ない料理を手に戻ってきた。
ウェイターがテーブルいっぱいにその皿を並べ終えると、食事の時間だ。
正直、美味しくは無い。
とは言えイギリス人にとって、料理とは、腹が満たされればそれでいいものなのだ。4人は、貧相な食事にはまったく文句も言わず、再開を祝って会食を始めた。
ジョージとジェフェリーの兄弟は、二人の子供時代の思い出話で盛り上がっている。とても楽しそうだ。ディオとジョジョは礼儀正しくその思い出話に耳を傾け、ときおり質問したり、声を上げて一緒に笑って見せたりしていた。
一方、ディオとジョジョと違ってジョニィは無反応に近かった。ジョニィは、二人が何を言っても反応せず、少し臭う茹で肉を、ただ黙ってつついている。
やがて、ジョニィのボ──っとした様子には、理由があることがわかってきた。
ジェフェリー家は、『数年前に亡くなった長男の死』にさいなまれていたのだ。ジョニィも未だ兄の死を受け入れることが出来なかったのだ。ジョニィなりに、悩んでいた……ということらしい。
そして、悲しみが癒えていないのは父親のジェフェリーも同様のようであった。
それは話題がジョニィの乗馬のトレーニングになり、ジョージがジョニィの訓練の様子について尋ねたときに、ゆがんだ形で現れた。
ジェフェリーは、ジョニィの腕前が『亡き兄、ニコラス』にはまだまだかなわないことを露骨に嘆き、ハンカチで涙をぬぐってみせたのだ。
「……ジョニィはまだまだです。これがニコラスなら……あの子がジョニィの年には、こんな課題は難なくこなしていたのですが……」
ジェフェリーは身に涙を浮かべ、言葉を切った。
「ニコラス……なぜ、お前の方が……」
そういうと、真っ赤にした目をハンカチで抑えた。
「…………」
ジェフェリーの隣に座っていたジョニィの顔が、真っ赤になった。
ディオの見ている前でジョニィは下を向いた。そして歯を喰いしばった。うつむき、床を睨みつける。その手は握りしめられ、カタカタと震えている。だが、ジョニィは何も言わなかった。
そんなジョニィの様子に、父親のジェフェリーは全く気がついていないようだ。
(フン……こいつも、『ゲスな父親』と言うワケか……)
ばれないようにジェフェリーを睨めつけていたディオの顔が、少し、ゆがむ。
「でも……ジョニィ君も、すごく頑張っているじゃあないか。将来有望に見える」
ジョージがとりなすと、ジェフェリーは力なく首を振った。
「イヤイヤ、コイツはニコライに比べたら、圧倒的に集中力が足りないのですよ、兄さん……ジョニィはまだまだです……このままではニコライを超えることは、出来んだろうと思っています」
「……」
ジョニィは口をへの字にしかめ、フォークを掴む。まるでにっくき敵のように、皿の上のソーセージに、フォークを突き刺す。
「いや、さすがジェフェリーだね、息子の教育も熱心にやっているようだ。ジョニィ君もしっかりしている。ジョースター本家もこれで安泰だろう」
ジョージはジェフェリーの口を閉めせると、にこやかに言った。心なしか、少し早口だ。
「兄さん……」
ジェフェリーがイヤイヤ……と手を振って、口を挟もうとした。
ジョージはその口を閉じさせるために、さらに早口で話し続けた。
「もちろんできるだけの協力はさせてもらうよ。おまえにも、ジョニィ君にもだ……わかっている。私は長男なのに家を継ぐことを拒否して、かって気ままに生きてきたのだからね。これは、私の義務だよ……贖罪とも言ってイイ」
ジョージは、うつむいているジョニィの方へ、優しくかたりかけた。
「ジョニィ君、私は君を応援している。いい騎手になれると信じとるよ……」
「……ありがとうございます」
ジョニィは震え声で頭を下げた。
「すみません、兄さん」
ジェフェリーも頭をぺこりと下げ、ジョージに笑いかけた。
それは、少し下卑た笑いのように見えた。
(フン……)
ディオはガチャンと大きな音を立てて食器を置き、席を立った。
その背中をじっとジョージが眺めていた。その目には、何かを憂うような色が浮かんでいた。
翌日、一行はロンドンの町を馬車で移動し、ジェフェリー達の仕事場であるケンプトンパーク競馬場を訪れた。緑あふれる芝生で覆われた広大な競馬場だ。
5日後にはジェフェリーとジョージが所有する馬が、ナショナル・ハント・レース(障害競走)に出場する。今日はレースの為に競馬場の施設を開放して行われる、公開練習の日なのだ。
一行は馬主であるジョージのおかげで、一等席に案内された。そこは凝った木彫りの柱で囲われ、屋根代わりの帆布で覆われた快適なブースだ。ブースの中には革張りの豪勢なイスがしつらえられている。走路の正面にしつらえられたスタンドの上に設置されているため、走路も良く見えた。
「ディオ、ジョジョ、私は少し馬の様子を見てくる。お前たちはここで楽しんでいるといい」
ジョージは自身が所有している馬の様子を見に、ジェフェリーと共に厩舎のほうへむかった。
「……」
ジョニィは黙ったまま、騎乗訓練のために馬場に降りていった。
つまり、特等席にはディオとジョジョだけが残されていた。
「……ボク達はここでおとなしく待っていろってことか……」
「そのようだね……」
ディオとジョジョは他にやることもなかったので、まずはオペラグラスを片手に騎手が調教をつける様子を観察してみた。
だが二人ともすぐに飽きてしまった。今日は練習日だから、ただただ馬が思い思いに走っているだけなのだ。
「……暇だな……」
「……」
「……ふぅ……」
「……ディオ、僕は少しこの辺りを見て回ってくるよ」
ついにジョジョは退屈が限界に達し、立ち上がって特等席を出て行った。
(フン……こらえ性の無い奴だ……)
後に残されたディオは肩をすくめた。
(やれやれ……ジョージの手前、興味がある振りだけでもしてやらんといかんか……おっ? 何だ、レースか? )
一人になったディオがぼうっと見ているうちに、騎手たちはそれぞれ思い思いに馬を走らせるのを止め、何頭か連れ立ってレース形式の調教を始めた。模擬戦だ。
(ほほぉう〰少しは時間がつぶせそうだな)
ディオは再びオペラグラスを取り上げた。再びレースの様子を追い始める。
やがてディオは、レースをしている騎手達の一人にひときわ目立つ『少年』がいることに気が付いた。
ディオより何歳か年下に見えるその『少年』は、周囲の凡百の騎手とは明らかに違っていた。
彼の乗る馬は走っていないときの普段の動き、毛並や体格から見ても、明らかに駄馬であった。だが他の騎手が彼に勝つ事はほとんどなかったのだ。
驚くべきことだ。
まったく競馬に興味のないディオさえも目を凝らさせるだけの何かを、その『少年』は持っていた。
天才だ。
(フンッ。ジョニィの奴も出てきたか……)
何レースか終わったところで、ジョニィも現れた。これまでの薄らぼんやり、ヘラヘラとした態度とは裏腹に、馬に乗った時のジョニィは真剣な態度に見えた。
その馬さばきは中々どうに入ったものだ。ジョニィは休憩をはさみながら何度も模擬戦に参加していた。
ジョニィの模擬選での成績は、ディオが思っていたより良さそうであった。
いや、一緒に馬を合わせている騎手達の中では最年少に近い年齢であることも考慮すると、忌々しいがジョニィはかなりいい騎手のように思えた。何と言うか、レースの先を読むセンスがあるように感じられるのだ。
ジョニィは軽く走っているように見えるのに、いつの間にか、すすっと前に出て、彼らをあっさりと負かしてしまうのだ。そのこなれた動きは、必死に走る他のジョッキィ達をあざ笑うかのようにさえ見えた。
だがそんなジョニィでさえも、先ほどの『天才少年』と馬を合わせると、まったく歯が立たない様であった。
たった今も、その『天才少年』は巧みな騎乗で他を圧倒し、二位のジョニィにも2馬身差以上をつけてゴールしてみせていた。
その様子を見て、何故かディオは満足感を覚えていた。
その時だ。
オペラグラスの隅にちらっと見えたものが気になり、ディオはもう一度オペラグラスをそこへ向けなおした。そして、そこにいる『ある人物』を見て、ディオは小さく声を上げた。
手元が滑って危うくオペラグラスを足元に落としそうになる。オペラグラスを拾う手が震えた
「なっ……なんだとォッ」
そこに見えたのは、その『天才少年』にキスをしている貴婦人の姿であった。
ディオが驚いたのはその婦人の顔だ……
(まさか……信じられん……)
もっと良く確認しようと、ディオがオペラグラスの倍率をいじった、だが、その作業が終わらないうちに、貴婦人は『天才少年』から離れ、そして、あっという間に人ごみの中に消えてしまった。
(馬鹿なッ! あの女性はッ)
座っていられなくなったディオは、その貴婦人が消えたあたりに走り出した。
観客席の間を駆け抜け、周囲に目を配る。
中には狭い通路を走るディオを不快そうな目つきで睨みつける者もいた。だがディオはそんな視線には一切構わず、人を押しのけ、先を急ぐ。
だが、いくら探してもその女性は何処にも見つからなかった。
(……気のせい という事か……)
あきらめたディオが客席に戻ろうとしたその時……だ。
ディオは、『天才少年』が、飲み物を片手に壁によりかかっていたのを見つけた。
『天才少年』は先ほど貴婦人のキスをうけていた。彼なら何か知っているかもしれない。
「おい、君……聞きたいことがある」
ディオは『天才少年』に話しかけた。
「……アンタは? 」
『天才少年』は、キザッぽいしぐさで金髪をかきあげながら言った。
「ディオ・ブランド―だ。ちょっと君に聞きたいことがあるんだ、答えてくれないか」
「はぁっ? 俺のほうはアンタと話す事なんかないぜ? 」
ディオの目がスワッた。
「何だと……貴様 ……」
ドンッッ
ディオは『天才少年』の頭をかすめるように拳を突き出した。背後の壁に、その拳を叩きつける。
「舐めた口をきくと、後悔するぞ」
「オイオイ怒るなよ? 」
『天才少年』は薄笑いを浮かべた。
「アンタ、気が短いんだな……いいだろう。何が聞きたいんだ? 」
少年はディエゴ・ブランダルと名乗った。
「ディエゴ……か……俺が聞きたいことは、だ……」
そのディオのセリフを、ディエゴがチチチ……と人差し指を振って止めた。
「ちょっと待て、『礼儀』だ。人に質問するのなら、まず『礼儀』を示すことが大事だぜ」
「礼儀? 何の話だ? 」
「だから……『礼儀』の話だゼ。たとえば俺は今、レースに出るのを止めて、あんたと話をしている。レースに出れば己の腕も磨けるし、もしかしたら新しいスポンサーの目に留まり、いい馬が回ってくるチャンスがあるかもしれないのに……だ」
そんな俺の払っている『犠牲』に、アンタは何かしらの『礼儀』を示すべきだと思うがね。
ディエゴは臆面もなくディオに手を突き出した。
「……フンッ。だが、まあいい……貴様の理屈はわかる」
ディオはディエゴの手にコインを握らせた。ディエゴがそれをポケットにねじ込むのを待って、先ほどの貴婦人の事をたずねる。
「ああ、ミナ・ハーカー夫人の事が知りたいのか」
ディエゴが答えた。
「ハーカー夫人は未亡人でな。なんでも俺は彼女の亡くなった息子にそっくりなんだとよ。それで俺に、なにかと色々な『援助』をしてくれるってわけだ……ありがたいねェ……そういやぁ、彼女は俺が競馬場で調教をつけているときは、必ず顔を出すな」
「……彼女の事で知っていることをもっと話せ」
「……」
ディオは、ディエゴが無言で差し出す手に再びコインを握らせた。
「へぇ、アンタ気前がいいな……もしかしてアンタ、マジでお坊ちゃんなのか……そうは見えないけどな」
ディエゴが首を傾げた。
「俺がお坊ちゃんだとして、それがお前に何の関係がある? 」
「……イヤ、関係ないな……許してくれ、アンタを甘く見るつもりはまったく無いんだ。なぜだかわからんが、俺はアンタを敵に回したくない……わかった、話すよ」
何が聞きたい? 彼女のスリーサイズか?
「……言っておくが、無駄口を聞くために金を渡したんじゃあないぞ……」
ディオはディエゴの茶々を無視した。
「知りたいのは、彼女の住所、交友関係、評判、たとえば、彼女がどんな人物と仲がいいか、どんな食べ物が好きか、どんな香水が好きか、そんなところだ ──―実は『父』が彼女に興味を持っていてね」
「ふぅん……いいぜ、知っていることを、話してやるよ」
ディエゴが答えた。気のない風だ。
ディエゴの説明によると、ミナ・ハーカーはベイカー街に不動産を持っており、その不動産収入で生活をしている資産家なのだそうだ。若くして夫を亡くしている。だが、亡くなった夫から莫大な遺産を相続しており、特に働いていないにもかかわらず、裕福な生活をしているらしい。働く代わりに、慈善事業や女学校の設立、それから馬主としてアチコチの会合や、パーティ等に顔を出しまくって時間をつぶしている。
そしてパーティの場では、その美しさと賢さも相まって、多くの男性にプロポーズを受けているらしい。所謂『社交界の花』なのだ。
「……なるほどな」
(フンッッ! 俗物か……)
ディエゴの説明を聞くうちに、ディオはあっという間にミナ・ハーカー夫人への興味をなくしていた。
思い出す母の姿。貧しいながらも一生懸命に働き、自分を育てようとしてくれた母。そんな母と、有閑マダムであるミナ・ハ―カ―とは真逆の人生を送っていたようだ。
むしろミナ・ハーカ―は、どうやらディオが最も嫌悪するタイプの人間の様に見えた。
「……イヤ、素敵な方のようだが、『父』とは相性が悪そうだ。どうやら忘れた方がいいようだな……イヤ、話してくれてありがとう。これは礼だ」
ディオがポンと投げた硬貨を、ディエゴは身を乗り出してすくい取った。
(馬鹿馬鹿しい。俺は何を期待していたのだ。このディオが……)
ディオはすっかり気をそがれて、とっとと観客席に戻ろうとした。その背中に向かって、ディエゴが声をかけた。
「……待ちな。アンタにもう二つだけ話しておくベキことがある」
「なんだ? 」
「一つ目は警告さ。ミナ・ハーカーには余計な手を出すな ……彼女は素晴らしい貴婦人だ。貴婦人の名誉を汚すようなことはするな」
ディエゴは早口で言った。
「……」
(ほう、コイツは『他人の事など知ったことじゃあないね』とスカすタイプだと思っていたが……)
もしかしたらミナ・ハーカーには『何か』あるのかもしれない。ディエゴや……自分がひきつけられる『何か』が。ディオは再び思い直した。
考えてみれば、ディエゴが彼女について本当のことを言っている保証もないのだ。
「もう一つは……忠告だ」
ディエゴは競馬場の内側に入るために、灌木の下を通る狭いトンネルを指した。
「アンタにはジョニィって言うチッポケな従兄がいるよな──奴本人から聞いたぜ──そのジョニィの奴があのトンネルに入っていたのを見た……ぜ。だがそのすぐ後、中堅どころの屑騎手どもがピーピー騒ぎながら追いかけていったのも見た。ジョニィの奴は生意気で嫌われているからな……アイツ、リンチにあうぜ……助けてやったらどうだ? 」
そういって、ディエゴはまたディオに向けて手を突き出した。
ディエゴの手にコインを握らせながら、ディオは大きなため息をついた。
(フン……ジョニィなどどうなっても構いはしない……だが、奴を助けてジョージとジェフェリーからの得点を稼いでおくか……しかたない)
一方そのころ、ジョジョは一人で競馬場の敷地内をアチコチ歩き回っていた。
ケンプトンパーク競馬場は、野原を切り開いて作られた英国最古の競馬場だ。木製の観客席の前には、馬が走るための走路がきれいに整備されている。
走路の周りはしばらく草原になっていて、その奥には森が広がっている。足元をみると、来客用と関係者用できれいに分断されているのがわかる。念入りに手入れされた芝生やウッドチップが敷き詰められた場所が来客用、乾いた泥と雑草に覆われた部分が競馬場の関係者がいる場所だ。
ジョジョは見物客の間を縫っていく。見物客の男は、みなシルクハットを頭に乗せオシャレなスーツを着こなしている。女性は乗馬靴にカラフルなドレスを合わせ、フリルの突いた帽子をかぶり、澄ました顔でシャナリ、シャナリと歩いている。中には年若いジョジョが一人で歩いているのを見て、いぶかしげに顔をしかめたり、クスクス笑ったりするものもいる。
観客席の周りには、テントが立ち並んでいた。そこでは流しのバイオリン弾きが音楽を奏でていたり、ジョジョのような見物客の為に色々な食べ物が売られていたりしていた。
ジョジョはポケットからなけなしの小遣いの入った財布を取り出した。1ペニー(今の500円くらい)で腸詰を茹でたものを買い、アツアツの腸詰に辛子をたっぷりまぶしたものを口の中に放り込み、またブラブラと歩く。
「ふぅん……競馬場なんて始めて来たけど、ケッコウおもしろいな……ところで、父さん達はどこにいるんだろ? 」
ジョジョは、興味深げにあちこちを見て回っていた。そうしていると、やがて足元が泥だらけになった。観客が歩き回る表の部分ではない、騎手や馬の調教士などが歩き回っている裏の部分に来ていたのだ。
(へぇ、裏側はこんな感じなのか……)
ますます興味深げに辺りを見ているうちに、ジョジョは誰かの怒鳴り声を聞きつけた。
(なんだ? )
興味をひかれたジョジョが、怒鳴り声のした方向に歩いて行く。すると、物陰に小さな人だかりができているのが見えた。
さらに近づいていくと、小柄な少年の周りを彼より二回り背の高い少年たちが取り囲んでいるようだ。
(ムッ……ほっておけないな……)
取り囲まれているその小柄な少年には、見覚えがあった。それはジョニィであった。
競馬場の隅に、雑多な資材をまとめた場所があった。壊れた木柵、錆びた缶、何が貼っていたのか解らない麻袋等が、壁際に積まれている。周囲を塀に囲まれ、あまり光が入ってこない環境なので、地面からはひょろっとした雑草が生えているだけだ。
そんな人気が無い場所で、ジョニイは年長のジョッキーたちに取り囲まれていた。
ジョニィの肩を少年の一人が小突く。
「オイ、お前、生意気なんだよ」
「なんか言えよ、さっきは走路妨害しやがって。卑怯な奴だ……」
「卑怯な手を使いやがって、あんなの、お前の実力じゃあねェぞッ! ! 」
少年たちは、口々にジョニィを非難する。その声がだんだんヒートアップしていく。少年達の貌が、興奮のあまり赤く染まっていく……
自分を囲み、次々に脅しの言葉を言う少年たち。彼らに向けてジョニィは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「お前たちこそ……馬術では俺にかなわないからって、大勢で喧嘩かよ……」
自分に指を突きつけてきた少年を、両手で押し戻す。
「テメェ! 」
バゴッ!
少年の一人がジョニィの腹を殴った。
「うっ」
ジョニィは、思わず腹を抑えてしゃがみこんだ。
「ハッ……なんだコイツ。口ばっかりで弱えぇじゃあねェ──かッ」
「クッ……卑怯者め……」
「なんだとォッ! 汚ねェ手で勝ちを拾おうとしたテメーこそ、卑怯者だッ! ヴォケッ! ! 」
ジョニィにとどめを刺そうと、少年が足を振り上げるッ
「!? ウォオオオオッ」
だが、足を振り上げた少年に向かって飛び込んできたものがいた。
ジョジョだッ
黙って見ていられなくなったジョジョが、横から飛び込んで少年にタックルを喰らわせたのだ。
たまらず少年は吹っ飛ばされた。
「どんな事情があるのか知らないが、大人数で年下の少年相手に何をするんだッ! 紳士として黙って見ていることは出来ないッ! 」
ジョジョはジョニィを取り囲む少年達をニラミ付けた。
少年たちは、一気に色めき立つ。
「……なんだ? コイツ? 」
「オイ、邪魔するんじゃねーぞ」
「このやろぅッ」
ドガッ!
少年の一人が蹴りを飛ばすッ!
その蹴りを、ジョジョは正面から受け止めた。
逆に足を掴んで放り投げる。
「……何だ? コイツ……」
「パワーがあるな……コイツ……」
意外と手ごわし……と見て、少年たちが一歩、後ろに下がった。
その隙にジョジョはジョニィの近くに駆け寄り、手を差し伸べた。
「ジョニィ……大丈夫かい? ──大丈夫、僕が付いてる──」
「よっ……余計なことをするなッ」
ジョニィが怒鳴った。
ジョジョの手を振り払い、自力で立ち上がろうとする。
「これは僕の問題だ。お前なんかにはゼンゼン関係ないッ! 」
「わかっているよ……余計な手出しをしてごめんよ。でも、これは僕の問題でもあるんだ。僕は紳士として、こんな事を見逃すわけにはいかない」
ジョジョは答えた。
その声は、少し震えている。
声だけではない。良く見れば、膝も小刻みに震えている。
ジョニィは、あきれたようにジョジョを見やった。
「お前、ビビってるじゃあないか……どうして出てきた? ……理解できない。それとも、お前、ホンマもののバカなのか? 」
ジョジョは微笑んだ。精いっぱいの強がりだ。
「なんと思われたってかまわないさ……だが、紳士になることを目指すボクが、ここで退く訳にはいかないッ!
「フン……あのご立派な父親の教えってわけか」
ジョニィが鼻をならした。
「はっ! さすがお金持ちのお方の考えは違うね」
「手前らッ、ゴチャゴチャうるせえぇッ! ! 」
「ケッ……いきがってやがるだけだッ! 2人で俺達にかなう物かよッ」
少年達が再びやる気を出して、二人に殴りかかった。
「? ッ! 」
ジョジョはジョニィの前に出た。
自分より一回り大きい少年の拳をガードする。
ガードした体が、衝撃でゆらぐ。
「おらッおららッ」
少年達が、数人がかりでジョジョに拳の嵐を降らせるッ!
「!? クッ……」
ジョジョは、降り注ぐ拳を亀のようにガードしていた。
少年達の拳は、次第にどんどん速さを増し、重くなる。
ジョジョのガードは、しだいに崩れかかって行く……
崩れかかったガードの隙間を縫って、直撃弾が何発かジョジョを叩く……
(我慢だ。呼吸を読むんだ。彼らの攻撃が止まる一瞬を予測しろッ! )
ジョジョは、反撃せず、ガードに徹していた。そして少年達が殴り疲れた一瞬の呼吸を見計らって、反撃に転じるッ
ドガッ!
ジョジョは渾身の一撃で目の前の一人を悶絶させ、次の一人にタックルをかけて馬乗りになるッ
「ウオオオオッ喰らえッ! 」
逆転とばかりに、ジョジョは馬乗りになった相手に拳の雨を降らせようとした。
だが、すぐに他の少年達に攻撃を妨害される。
ジョジョは少年の上から引きずり下ろされ、蹴りを喰らうッ!
「オォォッ! 」
「コイツも、生意気だッッ ! 生意気な奴は、リンチだッ」
容赦ない攻撃が雨あられとジョジョの上に降り注ぐッッ。
「クッ! お前らッ! 」
ボゴッ
勇気を振り絞って少年の一人に掴みかかったジョニィは、あっという間に吹き飛ばされた。
震える足を必死におさえ、ジョニィは立ち上がろうとした。
だが次の瞬間、別の少年に再び蹴り飛ばされる。
少年たちは明らかに喧嘩慣れしていた。こなれた様子で拳を固めるジョニィの前に立ち、出鼻を砕く。
「ウッ……」
そしてジョジョも、数人の少年に取り囲まれて一方的に攻撃を受けていた。
ドガッッ!
「あっ……」
こめかみにまともに拳の一撃を喰らったジョジョは、気を失いかける……
その時ッッ────
バゴォッ
ジョジョを取り囲んでいた少年の一人が、突然ぶっ飛んだ。
ディオが近くの階段から飛び降り、そのまま少年の顔面に飛び蹴りをかましたのだ。
ブッ飛ばされた少年は、鼻血を出して倒れた。
「フンッッ」
華麗に着地したディオはしゃがんだ姿勢のまま足払いをかけ、二人の少年を転ばした。
「無駄無駄無駄ァァッ! 」
ディオは吠えた。
「何だ、貴様ッ! 邪魔すんじゃあないッ」
突然乱入してきたディオに向かって、少年たちが襲い掛かってくる。
「!? ディオッ、ウォォォッ! 」
すかさずジョジョが立ち上がり、そのうちの一人をタックルで吹き飛ばす。
ようやく状況を把握したジョニィが別の少年の足を掴んで転ばせ、馬乗りになるッ!
ジョジョの横にディオが並んだ。
襲い掛かってきた少年をジョジョが返り討ちにする。すきを狙っていた他の少年の足をディオが払う。
二人は息を合わせて、少し年上の少年たちを蹴散らしていくッ!
「ディオッ……助かった」
「お前ッ、しっかりしろ。こんなヤツラにやられているんじゃあないぞッ……俺たちをナメさせるなッ! 」
ジョジョの礼に、ディオは舌打ちで答えた。
しかし、多勢に無勢だった。
ボゴッ
二人のすきをついて、一人の少年がジョニィに接近することに成功し、ジョニィの頭を殴り付けた。
ジョニィは、攻撃を寸前のところでブロックした。
しかし、その隙に下に組み敷いていた少年がジョニィをはね飛ばした。
ジョニィははね飛ばされ、地面に突っ伏した。
そこへ追撃の蹴りが来る。
一発、二発……
三発目の蹴りを、ジョニィはまともに蹴りを喰らった。
さらに吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がると立木に激突した。
「!? ジョニィッ」
振り返ろうとしたジョジョの体が揺らぐ。
少年たちが二人がかりでタックルをかけてきたのだ。
さらに三人目が、ジョジョの足に取り付く。
ディオもピンチだった。
前後左右を4人の少年たちに取り囲まれてしまったのだ。
(くっ、ディオが参戦してくれても、戦況は好転しないのか? こうなったら一か八か、奴らの中で一番体が大きいアイツを倒すしかない。少しぐらいダメージを受けるのを覚悟で、ボクが突っ込めば……)
ジョジョが唇をかみしめ、覚悟を決める。
(ばかどもがッ)
だが、ディオはニヤリと笑っていた。
「ウリィャアアァッッ! 無駄ッ無駄、無駄ァアアアッ」
ディオは、1人の少年をさんざん殴り付けた。
恐ろしいほどの拳速だ。
そして、別の3人の少年が突っかかってくるところを素早く避けた。
「お前たちッ! もう決着はついたッ! まだやるかッッ」
ディオが叫ぶ。
「あぁあ……? 」
「なんだとォ? 」
少年たちは、怒りに燃えた目でにらみつけた。
「お前ら……身ぐるみ剥いでボコボコにしてやる……今さら謝ったって無駄だぞォ……カッコつけやがって覚悟を決めろよ……オメェ」
「馬鹿がッ! 」
少年たちにむかってディオは挑発的なあざけり笑いを返した。
「お前達、ボクが何の策もなしにここに来たと? 違うね。すでに……近くを通りかかった調教師に、ここで騒ぎがあることを伝えておいた……」
「……何が言いたい? 」
「誰かがそろそろ騒ぎを聞きつけてやってくるってことさ……いいのか? お前達」
ディオは澄ました顔で言った。
「まぁ、僕はこのまま続けてもちっともかまわないがね……だが、君たちは困るんじゃあないかな? いやしくも騎手の卵達が、馬主の息子を集団で襲ったとばれたら……」
「──ウッ──────」
ディオの言葉に少年達は目に見えて動揺した。そして、一人が一歩後ずさる。
それを合図に、少年たちは皆そそくさと逃げるように立ち去っていった。
あっという間に、その場にいるのはジョニィ、ジョジョ、そしてディオの三人だけになった。
「……まさか、君が助太刀してくれるなんて……」
ジョジョがゆっくり立ち上がった。少し戸惑ったようにディオを眺め、礼を言う。
「……ありがとうディオ……助かったよ」
「イヤ……ジョジョ……礼には及ばない……当然さ……当然だよ」
本心ではイライラしていたのだが、ディオはいかにも心配していると言うていを装って答えた。
「……だがジョジョ、あんまり無茶をするなよ。怪我はないかい? 」
「ああ、大丈夫だよ…………ありがとう」
「ムチャをするなよ。自分の体の頑丈さを過信しないことだ」
ジョジョとディオの会話に、ジョニィは鼻を鳴らした。
「 ……フン」
そして二人を置いてきぼりにして、黙って競馬場の中へ消えていった。
「なんだい…………彼は。せっかくジョジョが助けたのに、無礼な奴だ」
ディオは憤って見せた。
「いや、彼のプライドを傷つけてしまったのかも……余計な事をしてしまったかな」
ジョジョは肩をすくめた。
やがて、ジョージとジェフェリーが馬の様子の確認を終えて、すっかり満足してブースに戻ってきた。二人は直ぐにディオ、ジョジョとジョニィの三人が傷だらけになっていることに、気が付いた。
だが子供たちの顔を見て何か得心したのか、ジョージは子供たちの傷については何も口にしなかった。
兄がなにもいわなかったからなのか、(あるいは元から何の興味も息子に感じていなかったからか)ジェフェリーも、一切ジョニィを気遣う言葉を口にしなかった。
5人は何も特別なことは起こらなかった……と言う風に、ごく自然にホテルへ帰り、夕食を取った。
「……話がある。ついて来い」
夕食後、大人たちが葉巻を片手に再び思い出話に興じ始めたころ、食事の間中ずっと黙っていたジョニィがディオとジョジョにコッソリとささやきかけた。思いつめた口調だ。
「なんの話だ? 」
「…ここでは駄目だ、外についてこい。」
「ハッ、こんな寒い日に、どうしてワザワザ外に出なくてはならないんだ? 」
「ジョナサン、ディオ……いいから来いよ」
ジョニィはすっと席を立ちあがり、1人レストランを出て行った。
ディオはハァ……とため息をついた。そして大儀そうに立ち上がると、ジョニィを追って外へ出て行った。ジョジョも一緒だ。
「お……」
さすがのジェフェリーも、ジョニィがジョジョとディオを見つめる剣呑な視線が気になったのか、立ち上がりかけた。ジョジョとディオに向かって何か言おうと口を開く。
そんなジェフェリーを、ジョージは肩をすくめ、抑えた。
「まぁまぁ……子供たちの問題は、子供たちに解決させればいいさ」
ジョージはそう言うと笑みを浮かべ、レストランを出ていく子供たちの背中を黙って見つめていた。
『怪物』が『泥塊』の底から星々に向かって投げた泥は、重力に引き戻されべチャリと嫌な音を立てて地に墜ちた。墜ちた跡の泥が窪み、やがてそこに孔ができる。
その孔はどんどん大きくなり、いつしか奥に広がる暗黒の先から『乾いた空気』が吹き込んできた。
『怪物』はその『空気』の乾いた臭いをかぎ、ペロリと唇を嘗めた。
と、やがてその孔から音が漏れだした………それは『人』の声だ………呼び声だ。
奇妙な、まるでお経のようなリズムで唱えられるその声に刺激されたのか、周囲の『泥』が蠢き、一塊となり、徐々にその『穴』に向かって進んで行く。
そして塊となった『泥』の表面が、漆黒の玉虫色に光りだす。玉虫色に光る表面がボコボコ音を立てながら爆ぜ、無数の目が浮かび上がって来る。
そうやって膿(う)まれた異形のモノが、ゆっくり、ゆっくりと『穴』に入っていく。
『怪物』はその光景を見て、嬉しそうに『ヴォェアッ』とうなった。