孤島の六駆   作:安楽

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序章:孤島の第六駆逐隊
1話:青年が孤島に漂着しました、これより暁が安否の確認に向かいます


 

 

 

 空は鉛のように重い曇天。

 今にも降り出しそうな空模様で、遠雷の音が腹の底に響いてくる。

 海は鋼のように硬い凪。

 沖は暴風吹き荒れる惨状だというのに、波は立たず、凪いでいる。

 深海棲艦の支配する海域では当たり前の光景だ。

 

 どういう技術か。

 どういう魔術か。

 深海棲艦の支配海域では、気圧をはじめ、様々な現象が捻じ曲げられる。

 永遠に晴れる事無く、日光を遮断し続ける曇天。

 暴風でも波立たない、重油のように硬質な海面。

 大気は1気圧を維持できず、プラスにマイナスにと針が振れる。

 そして、人間も気がふれてしまう。

 人間の住める環境ではないのだ。

 

 そうすると、孤島の砂浜から海を眺める少女は、人間ではないということになる。

 長い黒髪を、後頭部の高い位置でひとくくりにして。

 袖を落として肩を出したデザインのセーラー服姿。

 すらりと長い手足、腕は肩から先を露出していて、足元は黒いストッキング。

 背は日本人女性の平均よりも、やや高めだろう。

 うーんと、難しい顔で唸る少女。

 その左目には、彼女には不釣り合いに大きい、黒い眼帯があった。

 傷が痛むというよりは、むずかゆいといった風に、時折眼帯の上から左目をなでる。

 

 

 特Ⅲ型駆逐艦1番艦・暁(あかつき)

 

 

 それが、彼女の名前。

 駆逐艦の魂を宿した艦娘だ。

 

 

 

 〇

 

 

 

 暁は浜辺で漂着物を物色しにきていた。

 深海棲艦に襲われた輸送船や客船から投げ出された漂着物だ。

 時折、こうして浜辺に打ち上げられるのだ。

 ほとんど波立たない海面でも、さざ波程度の揺らぎはある。

 加えて陸地に近付くにつれて異常な現象は緩和されるのか、浜辺にはちゃんと潮の満ち引きがあった。

 

 今日の浜辺に漂着したものは、それほど多くはない。

 船を形作っていたであろう木や鉄の破片。

 食料をはじめ様々な積み荷。

 時折人間が漂着することもあったが、そのほとんどはすでに亡くなっていた。

 奇跡的に一命を取り留めた者も指折り数えるほどには居たが、数日と経たずに気が触れて死んでしまう。

 ここはそういう海域。

 そういう領域の中にある島だ。

 

 

 暁は砂浜に正座して、合掌して目をつむる。

 死傷者への弔いと、漂着物を使わせてもらうことに許しを請う祈りだ。

 この孤島には鎮守府があったが、今は機能していない。

 外界からの補給が断たれた環境下では、こういった漂着物に頼らざるを得ない場面がどうしても出てくる。

 

 それと、自分たち艦娘が、襲われた船を助けに行けなかったという悔しさもあった。

 この孤島は深海棲艦の支配海域内にある。

 ひとたび海上に出れば、無数の敵艦から攻撃を受けることになるのだ。

 この孤島に残った艦娘は、暁を含めて4隻。

 全員暁型の姉妹たち、駆逐艦の艦娘だ。

 水上偵察機を運用できない駆逐艦では偵察もままらない。

 鎮守府の通信機能も故障しているのでSOS信号を受け取ることもできないのだ。

 

 そして、こんな深海棲艦が支配する海域まで難破船の貨物が流れ着くということは、海軍側が劣勢であるということでもあった。

 海軍側が、同胞である艦娘たちが、人を、物を、守りきれていないのだ。

 歯がゆい思いを、暁は噛みしめる。

 自分1隻が出て、あるいは妹艦も含め4隻で出たところで、この孤島から出られる見込みはない。

 遥か外海で襲われている船舶を守りに行くなど、夢のまた夢だ。

 何より、提督の命令なしに、艦娘が海上に出ることはできない。

 暁たち姉妹は、この島から出られないのだ。

 

 この孤島の鎮守府には提督が居ない。

 10年も前に、病に倒れてこの世を去っているのだ。

 すぐに海軍司令部に指示を仰いだが、しばらくして返ってきた指示は「待機」だった。

 艦娘は待機、それだけだった。

 その指示からすでに10年の歳月が経っているが、新たな指示はない。

 通信設備が死んでいるということもあるが、それだけではないと暁はわかっている。

 

 暁は、友軍の偵察機を、もう何年も見ていない。

 この孤島がある海域まで友軍が近づけていないのだ。

 海軍側が劣勢に立たされ、領海を深海棲艦側に奪われ続けている。

 それが、暁の推測だった。

 決して、見捨てられたのではないと、そう思いたかった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 漂着物の中にあるものを見つけて、暁は全身がしびれる思いがした。

 砂浜に打ち上げられた木片。

 元は船舶の一部であろう木片には、人の上半身が乗っていたのだ。

 遠目には生死がわからない。

 うつ伏せに倒れている人物の生死を確かめようと、暁は歩いてゆく。

 ほんとは走り出したいのに、歩みはゆっくりで。

 確認するのが怖くて、体が思うように動かない。

 今までこの島に漂着した人間は、そのほとんどが亡くなっていた。

 そういった漂着者の生死を確認するのは、暁が自分に課した役目だった。

 妹艦たちが役割を代わろうと申し出るのを、この10年間、頑なに拒否し続けてきた。

 

 この鎮守府の提督が亡くなった時、暁だけは泣かなかった。

 自分が一番上の姉だからと、泣くのを必死にこらえていたのだ。

 人の死は痛ましいが、艦娘にとってはまた別の意味をも持つ。

 魂に焼きついた艦としての記憶が、悪夢のように蘇ってくるのだ。

 妹艦たちに悪夢を見せたくない。

 その一心で、暁は絶対に涙を見せずにいた。

 

 

 

「お願い……。お願いだから……!」

 

 生きていて。

 口の中で呟きながら、暁はようやく漂着者の元に辿り着く。

 脱力した体を横に向けにする。

 漂着者は男、青年だった。

 成人しているか否かというくらいの年齢だろうか。

 白いシャツにジーンズという格好で、靴は片方が脱げてしまっている。

 外傷がないのを確認した暁は、肩を小さく叩いて、小さな声で呼びかける。

 反応はない。

 

 視界がうるりと歪んでくるのを堪えて、青年の口元に手を当てて、胸元に顔を寄せる。

 さらに絶望的な気持ちになった。

 青年の口元に呼気はなく、心音は停止している。

 また、駄目だった――。

 

「……手遅れなんかじゃない……!」

 

 暁は目に溜まった涙を拭うと、青年を仰向けに寝かせ、蘇生を開始した。

 心臓マッサージと人工呼吸だ。

 これまで幾度となく漂着者に蘇生を試みてきたが、心肺停止状態から回復した者はいなかった。

 それでも、暁はあきらめたくはない。

 青年の体には外傷がなく、手足の壊死もまだ始まっていない。

 心停止してからそれ程時間が立っていないということだ。

 もしかしたら、暁が砂浜にくるまでは息をしていたかもしれない。

 そう思うと、なおさら諦める気にはなれなかった。

 

 幾度目かの確認。

 暁は青年の胸に耳を当てる。

 すると、暁の表情が驚きに変わり、明るくなっていった。

 

「息した……。息、吹き返した……!」

 

 青年の口元にはわずかな呼気が、胸元にはわずかな心音が、確かに感じられたのだ。

 暁はすぐに、青年の脇から手を入れ、上体を持ち上げてひっぱり上げる。

 青年を妹艦たちの元に連れて行き、治療を施そうとしているのだ。

 だが、一度青年を置いて鎮守府まで走った方が早いのではないかと気付き、青年を楽な姿勢で横たえ、走り出した。

 

「はやく、はやくみんなを呼んでこないと……!」

 

 呼吸は取り戻したものの、衰弱していることに変わりはない。

 この島の医療設備は万全には程遠い。

 それでも三番目の妹が、いつ漂着者が流れ着いても大丈夫なようにと、元々あった医学書とにらめっこして、医者の真似事くらいのことは出来ると言っている。

 

 早くみんなを。

 そう呟いて駆ける暁は、泣くまいと涙を留めている自分を自覚しても、笑っている自分には気が付かなかった。

 妹艦たちの前以外では決して笑わなくなってしまった暁が、この日初めて、嬉しさに顔をほころばせたのだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 この海域は深海棲艦の支配下である。

 あらゆる法則がねじ曲がる奇怪な領域だ。

 

 この島には鎮守府がある。

 しかし、この鎮守府には提督が居ない。

 

 取り残されたのは4隻の艦娘の姉妹。

 彼女たちは本来の姿よりも少しだけ大人になっていて、10年ものあいだ、ささやかな幸福と、目を背けたくなるような不幸と共に暮らしてきた。

 

 そしてこの日、ようやく新たな変化が、海を渡って辿り着いた。

 

 

 


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