孤島の六駆   作:安楽

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第1章:開発資材の獲得
1話:開発資材


 

 

 

 空は今日も灰色の曇天で。

 海は今日も鉛色の硬質で。

 

 深海棲艦の支配海域では、空も海も青い色ではない。

 大気は一気圧を保てず、プラスにマイナスにと針がふれて。

 海水の比重とて、常に一定を保っていない。

 光は遮られ、色は失われ、あらゆるものが捻じ曲げられる中、それでも希望を灯す場所がある。

 

 とある孤島の、半ば倒壊した鎮守府。

 10年前までは補給基地として運営されていたこの施設も、今は機能していない。

 提督は病に倒れた。

 艦娘たちは、戦いの果てに沈んだ者、出撃したまま行方知れずとなった者、そして島に取り残された者がいた。

 鎮守府で働いていた職員たちも、艦娘の助けを得て、その多くは外海に退避することは出来た。

 だが、そう出来なかった者たちも、確かにいた。

 

 そうして、この孤島の鎮守府には4隻の艦娘の姉妹が残された。

 特Ⅲ型駆逐艦・暁型の艦娘、その姉妹たちだ。

 命令により艤装を纏って出撃することが出来なかった姉妹たちは、10年ものあいだ、この孤島で助け合って暮らしてきた。

 いつの日か、外界へ出ること機会を待ち望みながら。

 

 そして、10年経ったある日。

 この孤島に青年が漂着した。

 記憶喪失の青年は、姉妹たちの提督となって、一緒にこの孤島から脱出することを提案する。

 故人の遺言を果たすため。

 笑顔を取り戻すため。

 そして、己が何者かを知るために。

 朽ちたはずの鎮守府が息を吹き返し、立ち上がる……。

 

 

 

 ○

 

 

 

「というわけで、目下最大の目標は航路を確保することよ! いい?」

 

 鎮守府内、提督の執務室。

 ホワイトボードに大きく“航路の確保”とマーカーで文字を書いた暁は、振り返って注目を集めた。

 提督は執務机に座り、響たちは応接用のテーブルやソファーを引っ張り出して、執務机の真ん前に陣取っている。

 テーブルの上には人数分のお茶と、外国の缶クッキーが開けられお茶菓子として置かれていた。

 暁がテーブルの上のお茶菓子にちらちらと目線を送る様を、提督は微笑ましい気持ちで眺めていた。

 

 朝食を終えて、お茶を一服して落ち着いたのち、早速執務室にて今後の方針、作戦についての打ち合わせが行われることになった。

 今回の議長は暁が担当し、ホワイトボードの前で得意げに腕を組んでいる。

 はて、議長は書記も兼ねているものかなと、嬉々としてマーカーを手の中で回す暁を眺めつつ、青年こと提督は首を傾げた。

 まあ、本人がやると言っているのだから好きにしてもらおう。

 この鎮守府では自分が一番新入りなのだと、提督は暁たちの進行を見守ることにする。

 

 

「では何故、航路の確保が重要なのか? はい、響」

 

 暁がマーカーで指すと、響は椅子から立ち上がり議長兼書記である暁の方を向いた。

 しかし、口をもぐもぐさせるだけで一向に話そうとしない。

 食事時のように目で何かを訴えかけようとしているのだろうかと提督は考えたが、どうやら今回は暁を煽っているだけらしいとは、提督に耳打ちしてくる雷談。

 

 やがて暁がしびれを切らして声を上げようかという絶妙なタイミングで、響は提督の方を見てコホンと咳払いした。

 

「深海棲艦の支配領海ではあらゆる現象がねじ曲がることは、もう知っているよね? 大気の状態や天候、海水の比重、そして磁力もおかしな方向に働くんだ」

 

 参考になるからと、響はポケットから取り出した方位磁石を執務机に置く。

 その方位磁石は狂っていた。

 しばらくのあいだゆっくりと時計回りに回転したかと思えば、思い出したかのように停止したり、逆時計回りに高速で回ったりする。

 

 「これは……」と顔を上げる提督に、響は無言で頷き返した。

 

「磁場がね、おかしなことになっているんだ。これの影響で、一度海上に出てしまうと正確な方位を保持できなくなるんだ」

「なるほど。航路が歪んでしまう、ということだね?」

「磁気だけじゃないわ」

 

 そう補足の言葉を入れるのは雷。

 

「気流も海流もおかしくなっているから、従来の航海方法じゃ迷って遭難しちゃうわ。分厚い雲のせいで衛星に依存している機器もアウト。もし使える条件がそろったとしても、海上に出た途端おしゃかね。陸地であればだいぶ緩和されるのだけど、海上の“おかしさ”は陸の比じゃないわ」

 

 そう、肩をすくめて言うのは雷だ。

 クッキーを頬張り、考え込むように度々沈黙を繰り返しながら話を続ける。

 

 支配領海の海面は鉛色をしていて、暴風雨でも時化ないほどの硬質だ。

 その海面は不可解な磁場を帯びていて、電子機器を駄目にしてしまうのだという。

 唯一正常に稼働するのは艦娘の艤装関連であり、航路の確保となると水上偵察機の運用が必須となる。

 しかし――、

 

「私たちは艦種が駆逐艦だから、水偵を飛ばせないの。だから、司令官から出撃指示が出ていざ海上へ進出することが出来たとしても、道に迷っちゃう」

 

 それに、と。雷はクッキーをもう一口食べようと運び、口元で止める。

 

「……ここから一番近い陸地の鎮守府までは、駆逐艦の足でも最速で1週間はかかるわ。でも、そこが今現在無事かどうか、わからないの。そもそも、司令官が搭乗する小型艇を護衛しながらだと、もっと時間がかかるわ。そのあいだ、正確な航路の確保と、敵艦との接触を回避、万が一敵機と遭遇した場合の護衛戦闘……。とても、駆逐艦4隻じゃ話にならないわ?」

 

 現状の問題点を流れるように述べていき、しかし雷の表情は真剣であっても悲観的ではない。

 何やら策があるのだろうと、提督はその先を話すように促す。

 

「建造するのよ。水偵を運用できる艦娘をね」

 

 

 建造。

 工廠施設にて暁たちのような艦娘をつくりあげることだ。

 ということは、この鎮守府の工廠施設には建造ドックがあるのだろう。

 提督はひとり頷くが、どうも暁たちの表情は芳しくない。

 手段はあるが、それを実現するには問題がある、といった表情だ。

 

「なにが、問題なんだい?」

 

 提督が聞くと、暁たちは互いに顔を見合わせ、頷き合い、改めて提督の方を見た。

 

「この鎮守府にはもう、開発資材がひとつも残っていないのです……」

 

 困ったような顔の電がそう告げる。

 なるほどと、頷いた提督は、直後「ん?」と息を詰めた。

 

 話を聞く限り、それはもう手詰まりなのではないかと気付いたのだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 電がお茶の入った湯飲みを提督の手元に置く。

 礼を言って湯飲みを手にした提督は、説明を求めるように無言で暁を見た。

 

「まず、開発資材がどんな物かについて、補足しておくわね?」

 

 開発資材とは、艦娘の建造や兵装の開発に必須となる資材だ。

 “艤装核”とも呼ばれるもので、艦娘の艤装、そのブラックボックスの重要なパーツとなっている。

 原料となっているのは、第二次大戦中に建造され戦線に投入された軍艦、その一部だ。

 海中に没した残骸をサルベージして部品単位で加工したものを、海軍本部から各鎮守府に支給されるというのが、暁たちが艦娘として活動していた10年前の主な流れだった。

 

 しかし、開発資材の精製は、戦いが長引けば長引くほど困難なものとなる。

 古き軍艦が沈んでいる海域は現状、そのほとんどが深海棲艦の支配海域となってしまっているのだ。

 海域を奪還して資材を得られれば良いのだろうが、この孤島の現状を見てもわかる通り、戦況は劣勢の一途を辿っている。

 

「……さらに、深海棲艦も、この軍艦の一部を核にしているの。やつ等も私たちと同じ物を核にして生まれている。だから、海域を奪われるってことは、その分敵が増えて、私たち艦娘の建造される数が減るってことなのよね」

 

 暁の説明を聞き、提督はむうと唸ることしかできない。

 開発資材の入手経路が海軍本部からの一本だけとなれば、やはり現状手詰まりだ。

 だが、暁たちがこの方法をわざわざ提督に説明するということは、なにか算段があるのだろう。

 入手不可能となったはずの開発資材を入手する算段が。

 

 提督が期待の目を向けると、暁は得意げに鼻を鳴らし、マーカーを指示棒代わりにしてホワイトボードを指す。

 

「深海棲艦も私たちと同じように軍艦の一部を核にしているなら、それを倒して核を奪えば、資材として使えるんじゃないか、ってね……?」

 

 

 「おお」と膝を打ちそうになった提督はしかし、それは大丈夫なのかと動きを止める。

 いくら同じ軍艦の部品を元にしているとは言え、深海棲艦の核となっていたものを艦娘の建造に使用しても大丈夫なのだろうか。

 その疑問に応えるのは響だ。

 

「……まあ、安全面に関しては保障しかねる、としか現状は言えないね。本部の工廠施設で精製純化された物ではないという点と、深海棲艦の核だったという点がどう作用するのかは、やってみないと、なんとも……」

 

 でも、と響は続ける。

 

「この手に賭ける以外、今は方法がないんだ。それとも、司令官は無謀で危険な船旅の方をお望みかい?」

「それは……、ご遠慮願いたいかな。みんなと海の旅は魅力的だけど、またこの島に漂着して、みんなと出会った記憶を失うのは耐えられないよ」

「そしたら、また暁が介抱するから大丈夫よ! ねえ、暁」

 

 にんまりと笑んだ雷に水を向けられ、暁はどもりながら顔を真っ赤に染める。

 提督に人工呼吸した時のことを思い出したのだろう。

 真っ赤になったのは提督も同じで、そんなふたりの様子を見た電も「はわわわ」顔を赤くする。

 

 「もらい赤面……」と響と雷が目を細めるなか、「とにかく!」と暁が大声を上げる。

 

「危険なのは承知の上で、やってみるしかないわ! この問題をクリアすることが、脱出への大きな一歩になるんだから!」

 

 それが暁たちの総意だった。

 提督は今のところ、暁たちの策を否定するつもりはない。

 確かに無謀ではあるが、現状対案を出せるほどの考えは提督にはない。

 今は、この案を突き詰めるしかないのだ。

 

 

「……より詳しい手順を聞きたい。深海棲艦を倒して核を奪う。これは、わかったよ。そのために、今からどんな準備が必要になるんだい?」

 

 だからこそ、手順を洗い出し、どんな問題があるのかを確認してゆく。

 例え提督が気付かなくても、そうして再確認する中で誰かが問題を拾い上げるかもしれないからだ。

 

 マーカーを顎に当てた暁はしばし考え込んだのち、手順をホワイトボードに書きながら提督に説明してゆく。

 

「まずは、工廠施設を立ち上げて建造ドックの状態確認ね。入渠ドックの方もだけど、こっちはいつものお風呂の延長だからすぐに済むわ。それと、私たちが艤装との同期作業。建造ドックと艤装の同期は、場合によっては並行するか前後するかも。そして、艤装の同期が済んだら、そのデータを元にして誰が一番動けるかを確認。そこから、戦闘プランを打ち出すわ」

「……私たちは、だいぶ長い時間艤装から離れていたので、もしかしたらもう戦えなくなっている可能性もあるのです……」

 

 暁の説明に次いで、不安そうに告げるのは電だ。

 暁たちは10年ものあいだ、艦娘として艤装を纏わず生活してきたのだ。

 腕が鈍ってしまっているどころか、戦えなくなっていても不思議ではないのだと、雷が改めて捕捉を入れる。

 

「でもまあ、その場合は補助艤装なんかもテストするし……。最悪、全然駄目ってことになったら、司令官の輔佐を優先してやってもらうことになると思うわね」

 

 雷の言葉に、暁たちはしばらく無言で考え込んでしまう。

 提督はその様子を、戦えなくなるのが不安なのだろうと受け取った。

 4人全員が艤装を扱えないとなれば、そもそもこの島から脱出するという目的自体が破たんするのだ。

 ようやく機会が巡ってきたところにそれがダメだとなれば、ショックも大きいだろう。

 

 しかし、不安そうな電に対して、暁は考え込むことはあっても不安げな顔は見せない。

 

「もし、4人全員がダメだったら、その時は別の案を考えましょう? 例え私たちが戦えなくなっていたとしても、艦娘であることに変わりないんだから……。建造ドックだって無事かどうか怪しいんだし……。それに、やりようはいくらだってあるわ! ね?」

 

 励ますように言う暁は、涙ぐんだ電からクッキーを口に詰め込まれた。

 「何故だ……」と、憮然とした表情でクッキーを詰め込まれる暁は、そう言えば打ち合わせが始まってから一口も食べていなかったなと思い至る。

 電なりの優しさということにしておこうと考えたところで、立ち上がった雷が暁からマーカーを取り上げ、議長の代わりとばかりに仁王立つ。

 

「それじゃ、まずは工廠開けるところからスタートね。こっちは、暁と響に任せていい? 私の方は艤装と同期する際のメンタルケアの資料まとめておくわ。電は入渠ドックの調整ね。いい?」

 

 役割を取られた暁が憮然とした表情で雷を睨むが、口の中いっぱいに詰められたクッキーのせいでしゃべれもしなければ、美味しくてちょっと幸せな気分だ。

 

「司令官、それでいい?」

 

 雷が確認のため提督の方を見れば、暁たちもそれにならう。

 提督としてはまだまだ確認しておきたい部分は山ほどあったのだが、工程の進行を優先させることにした。

 施設の面で、そして艤装の面でも、暁たちの案が実現可能かどうかを、まずは確かめておきたかったのだ。

 

「わかった。その案で進めようか。僕の方はさっそく……」

 

 提督が立ち上がると、暁と響を呼ぶ。

 互いにクッキーを口いっぱいに詰め込んで無言で咀嚼を続けているふたりは、もぐもぐしながら提督の方に振り向く。

 

「工廠施設に案内してもらえるかな?」

 

 暁と響は無言で幾度も頷いた。

 

 

 


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