「じゃあ司令官、まずはこれを被って」
工廠施設の扉を開ける際、響がヘルメットを手渡してきた。
黄色いヘルメット、安全第一のステッカーとヘッドライト付きだ。
響と暁も同じようにヘルメットを被っていて、ライトの点灯確認など行っている。
こういった機器類を扱う施設はヘルメットの装着が必須だ。
そうでなくとも、10年前の空襲の影響で崩れやすくなっている箇所も多く、危険なのだという。
提督はヘルメットの顎紐を絞めながら、自らの気も引き締める思いで、暁と響が錆びて固くなった大扉を開けるのを見守る。
しかし、錆びつきがひどいのか、なかなか開かない。
「……手伝おうか?」
「結構よ! 私たちだけで、充分なんだから!」
「あ、じゃあ司令官にお願いしようか」
暁が「裏切り者ー!」と諸手を上げて抗議するが、響は涼しげな顔で受け流す。
「ここの大扉はもうずっと使っていなかったんだ。私はいつも、裏口の方を使っているんだけどね?」
「ええ? だったらその裏口から入ればいいんじゃないのかな?」
「それでも良かったんだろうけれど、ちょっと気を利かせたかったんだ。ここの扉が開くのを待っている子たちがたくさんいるから……」
「待っている子たち? たくさん?」
全身に力を込めながら提督は聞き返すが、響は「頑張れ、頑張れ」と拳を小さく握って応援するだけで答えない。
暁の方を見ると、響の言葉に「ああ、なるほど」手を打ち、一緒に頑張れコールに混ざる。
その後、提督は小一時間ほど錆びた大扉と格闘を続けた。
途中、響がレール部にオイルを注さなければ、全身の筋をおかしくしてしまっていただろう。
そうしてぎりぎりと軋むような音を立てて大扉を開いた提督は、工廠施設に光が入った瞬間、光から逃れるように何かが素早く走り去って行ったのを視界の端に捉える。
大きさは掌に乗るくらいのサイズで、広い工廠施設の至る所に居たようにも見えた。
思わず大扉を開ける手を止めてしまった提督は、振り返って暁たちを見る。
「……今のは、なんだい?」
「大丈夫よ司令官。悪いものじゃないわ」
「大丈夫大丈夫。人体に害があるタイプのものじゃないよ?」
暁の説明はともかく、響の意味ありげな物言いに冷や汗をかく提督だったが、意を決して大扉を開け放った。
錆びついた大扉に反して、工廠施設の内装は小奇麗なものだった。
と言っても建物自体は古くあちこちに錆びや劣化が見られ、雨漏りの跡なども少なくはなかった。
提督が小奇麗だと感じたのは、工廠内の物品がきちんと整頓されていたからだ。
工具類は木の板にしっかりと並べられ、部品や工材などはきちんと区画ごとに整列している。
掃除も行き届いていて、クモの巣ひとつない。
まさか、響ひとりでこれだけの広大なスペースを整理整頓してきたのだろうかと感嘆する提督は、またも視界の端で何かが動くのを察知する。
柱や部品の陰から何かがこちらを覗き見ているのに気付き、目を凝らす。
すると、二等身ほどの人の形をしたものたちがこちらを見ていたのだ。
小人か何かだろうかと眉をひそめる提督に、「妖精だよ、司令官」と響がその正体を明かす。
妖精。
艦娘の建造や艤装の開発だけに留まらず、戦闘に入渠に情報収集にと、艦隊のあらゆる面をサポートする霊的存在だ。
機器を司る妖精ということで、いわゆる“グレムリン”ではないかという説があるくらいだが、詳細は謎に包まれている。
……というのが、ここに来るまでに提督が読んでいた、艦隊運営指南書の一説だ。
妖精たちは人間に対して、基本的に友好的だ。
彼女たちを蔑ろにしなければ悪いことは起こらないので、努々妖精たちとのコミュニケーションを怠らないようにと、念を押すようなフォントで記載されていたのを提督は覚えている。
というのも、指南書の巻末にあった事故事例のおよそ半数が、この妖精とのトラブルだったのだ。
10年前の各地の鎮守府は、この小さな友人との接し方に相当苦悩していたのだろう。
ちなみに、もう半数の事故事例が艦娘とのトラブルだったことは、ここでは割愛しよう。
さて、その妖精たちはというと、響が発した「司令官」という言葉に反応したものか、おっかなびっくりと言った様子で物陰から出て来る。
小さな声で口々に「司令官?」「司令官!」と提督を呼んだ妖精たちは、その白い軍服を目にする否や、顔を輝かせて走り寄って行った。
嬉しそうに諸手を上げて、提督のズボンの裾を引っ張ったり、靴や足をよじ登ったりしようとする。
「彼らもずっと待っていたんだ。この島に新しい司令官がやってくるのを……」
この妖精たちも、この島に取り残された一員だったのか。
提督は自分の足元に集まった妖精たちを見渡す。
その数の多さと、期待に満ちた円らな瞳。
中には涙ぐんでいる妖精もいる。
妖精たちもこの島を出たかったのか。
海上に出て戦いたかったのか。
それとも、暁たちの苦悩を憂いていたのか……。
提督はコホンとひとつ咳払いして妖精たちの動きを止め、指南書にあったような海軍式の敬礼を行う。
すると、妖精たちも提督の足元から離れ、整列して、提督に倣うように敬礼した。
「初めまして。新しくこの鎮守府の提督になった者です。若輩者ですが、どうか力を貸してください」
提督の言葉に、妖精たちはびしりと敬礼し直す。
そして「わあ」と諸手を挙げると一斉に提督に駆け寄りよじ登り始めた。
よじよじとゆっくり、しかもたくさんの妖精によじ登られ(不思議と重さは感じなかった)、成すがままになっている提督は、助けを求めるようにしょぼくれた目で暁たちを見る。
「大丈夫よ司令官! 悪い子たちじゃないんだから!」
「いや、暁。それはわかるんだ。わかってはいるのだけれど……」
「大丈夫大丈夫。妖精をたくさん集めて、ひとりガリバーごっこすると楽しいよ?」
「……響はいったい、いつも何をしているんだい?」
○
提督は結局、頭や肩に妖精たちを満載した状態で工廠施設内を案内されることになった。
乗れるだけ乗っかった妖精たちに重さがなかったことが救いと言えば救いなのだが、耳元や頭の上でわーきゃーと喧しいのには苦笑いを禁じ得ない。
響には「好かれているんだよ。大丈夫、問題ない」と言われたので、好感度的には今のところ良好なのだろうと、ひとまず胸を撫で下ろす思いだ。
「建造ドックは地下にあるの。足元に気を付けて、ゆっくり降りてきてね?」
階段横のスイッチを入れて足元を照らした暁が、薄明るくなった階段を降りてゆく。
その背中を追う提督は、防雨・防爆処理の施された蛍光灯がちらちらと明滅する様子に緊張感を刺激されて、息を飲む思いだ。
不安定なこの灯りが、いつ消えてしまうかわからないという緊張感だ。
そのためにヘッドライトがあるのだろうかと、手を頭上にやる提督に気付いたのか、響が背後から語りかけてくる。
「――停電になって灯りが一斉に消える。なんてことは、まずないよ。まだ、それだけ電力を消費する機器は、何も動いていないんだ。工廠も司令官の指示があって、やっと動き出すわけだしね?」
思わず振り向いた提督は、響が何食わぬ顔でスカートの裾をつまんでたくし上げようとしているのを目撃してしまい、急いで下階へと向き直る。
緊張を紛らわせてくれようという心遣いは(本当にそうか?)ありがたいのだが、これでは余計に緊張してしまう。
妖精たちもきゃあきゃあと喧しく、頭痛の種が増える思いだ。
「球切れも一斉にはこないから大丈夫だよ。と言っても、管球にも限りはあるからね。もう新品の在庫がないから、今付けているもので最後なんだ。何本か間引いてやり過ごしているけれど、やっぱり補給がないのは痛手だね」
「……この階段の照明、見たところ急ごしらえのようだけれど。配線や取り付けは、響がひとりで?」
「ここは、そうだよ……。地下室を担当していた設備員のおじいさんに、いろいろ教えてもらっていたんだ」
それ以上語らずに黙ってしまった響に、提督もそれ以上追及しようとはしなかった。
その設備員のおじいさんは無事にこの島を脱することが出来たのだろうか、それともこの島で命を落としたのか。
響が沈黙してしまったということは、後者の可能性が高い。
今は無理でも、いつか話してくれる日を待とう。
「ちなみに言いそびれたけれど、今日のパンツの色は……」
「さあ、響。地下だ。地下に着くよ? 足元に気を付けて?」
「……あしらい方を覚えてきたね。接し方をちょっと変えないと……」
提督が困ったような笑みを浮かべているあいだに、一行は地下1階に到達する。
先行していた暁が地下照明のスイッチを入れると、先ほど提督が大扉を開けた時のように暗闇に潜んでいた妖精たちがわらわらと逃げていった。
暁と響が新しい提督が来たのだと呼びかけると、これまた先ほどと同じように物陰から妖精が踊り出てきて、提督の体によじ登っていった。
「うん。僕は、山か何かかな。彼らにとって……」
「何を言っているのよ? 司令官以外の何者でもないでしょう?」
暁が真顔でそんなことを言ってくるものだから、提督は自分の頭に乗った妖精をすくっては暁の頭や肩に移植するという不毛な作業を始める。
次々と頭や肩に乗せられていく妖精に、暁はむっと顔をしかめるが、乗せられているものがものだけに怒ることが出来ない。
ふたりがそんな茶番を演じているあいだにも、響は建造ドックを司る妖精たちとやり取りして、現状の確認を行ってゆく。
「……司令官、この建造ドックは現在……。おや、親鳥の心境かい?」
はしゃぐ妖精たちを頭や肩に満載して憮然とした顔をしている提督と暁を一瞥して、響はいつもと変わらぬ調子で説明を始める。
「建造ドックは、現在停止中だよ。まあ、見てもらえばわかると思うけれど……」
そう言葉を止めて、響はひとりで先へと歩いてゆく。
提督と暁が後を追うと、その先には件の建造設備が鎮座していた。
いや、建造設備だったものが、だろう。
「この鎮守府の建造ドックは3枠。主に使用されていたのは1号と2号ドックで、3号は予備。だけど……」
響が言葉を失くした意味は提督にも理解できた。
建造設備は、人間ひとりがゆうに入れる程度の広さがある筒状の機械に、パイプやコードがいくつも接続されているというものだった。
材質は鋼鉄製だったのだろうか、今は赤錆びがひどく、筒状の正面に取り付けられている開閉口が開くかどうか怪しいものだ。
その筒状の後ろには、セットになる様にもうひとつの筒状が設置されていて、まるで自動車組み立て工場のようなベルトコンベアやアーム類が並んでいる。
前の筒状部分が艦娘の本体、人間としての体をつくり出す機器。
後の筒状部とコンベア、アーム類が、艤装を構築するための機構。
これらの機器を総合して、建造ドックと呼んでいるのだ。
しかし、3枠ある建造ドックの内、メインの1号ドックは上階が崩落した瓦礫の下敷きになって潰されていたのだ。
2号ドックは設備そのものが無くなり、雨水か海水かはわからないが、とにかく水に浸っていて。
唯一無事だったのが、予備の3号ドックという有り様だ。
「10年前の空襲の際に、1階の資材倉庫の床が崩落して、1号ドックは破損圧潰。2号ドックは地盤沈下でさらに地下に沈んでしまったんだ。3号ドックは予備機として設置されてはいたけれど、部品を取り出して1、2号ドックに充てるようにしていたから、完全な状態ではないんだ」
「そんな……。これじゃあ、艦娘の建造なんて出来るのかい?」
「大丈夫だよ。こんなひどい状態ではあるけれど、艦娘関連の兵装や設備であれば、妖精さんは時間をかけて直してしまえるんだ。それに、3号ドックは部品を取り出しているだけだから、組み直してテストすれば、すぐにでも使用可能な状態に復帰できるはず。ただ、それには司令官の許可が必須なんだけれどね?」
艦娘が待機命令を受けて出撃不可能だったのと同じ原理だろうかと、提督はヘッドライトを勝手にオンオフしている妖精を手に取って見つめる。
提督の命令が有効な範囲が、今一ぴんと来なかったのだ。
待機状態での艤装・兵装のメンテナンスは可で、出撃や建造ドックの再建は不可。
それは……。
「……艦娘の生命に関わること、だからなのかな……」
暁と響が何か言ったかと振り向いてきたが、提督はなんでもないと手を振って返す。
手に取った妖精が小さな手で大きく丸をつくっているので、なんとなく当たりなのだろうかと、提督は納得しておくことにする。
艦娘を建造で生み出すことは、新たな命をこの世に生み出すことに等しいものであり、出撃命令は艦娘が海上で轟沈する可能性を常に孕んでいる。
そして艤装を破棄する“解体”は、艦娘が持つ深海棲艦との交戦能力を除外して、彼女たちをただの人間へと変えてしまうことだ。
いずれも艦娘の生き死にを左右する重要ものだとすれば、確かに責任者たる提督の命令なしには触ることが出来ないのも頷ける。
だが、そうだとすれば、この島に取り残された彼女たちに、緊急事態だとして独力で脱出する権利を与えても良かったのではないだろうかとも、考えてしまうのだ。
指南書を隅々まで読み込めば、そういった局面での対応方も乗っているのだろうか。
そう、提督が意識を宙に浮かせていると、妖精が顔面にべたりと張り付いて来た。
「司令官、建造ドックを修理する許可が欲しいって。3号ドックは2日もあれば復帰可能だそうだよ。1、2号ドックも時間をかければ元通りに出来るって」
響の説明に頷いた提督は、顔に張り付いた妖精を丁寧にはがして床に降ろす。
「それじゃあ、建造ドックの修理をお願いできるかな。妖精さんたち?」
しゃがみ込み、なるべく視線を低くしての提督の要望に、妖精たちは敬礼を見せると次々と地下室のあちこちに散ってゆく。
その様子を見守りながら、ひとまず建造ドックの問題はクリアだろうかと、提督は安心と不安の入り混じった感情を嚥下する。
「建造ドックは問題なさそうね? じゃあ、艤装の同期……、は後回しにして、入渠ドックの様子を見に行きましょう?」
「電が滑って転んでお湯の中で溺れていなければいいけれど……」
響の何気ない呟きに「そんな馬鹿なことが……」と言い掛けた提督と暁だったが、電ならばあり得ると、気持ち速足で地下室を後にした。