孤島の六駆   作:安楽

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3話:入渠場

 

 

 

 この鎮守府の入渠ドックは、工廠施設とは別の地下室に設けられている。

 ひとことで全貌を表すならば、旅館の大浴場のような湯場、だろうか。

 浴槽には今や薄紅色の湯が張られ、もうもうと湯気が立ち上っている。

 洗い場や床は綺麗に磨かれ、鏡は曇りなくくっきりと姿を映せる程だ。

 

 最近までボイラーが不調で使用できず、復旧したのはつい先日のことだ。

 今夜あたりから入渠場で足を延ばした風呂に入れるとは言われていたが、この光景を見れば期待が高まるというもの。

 事実、浴場を見渡す提督の表情は、心なしか輝いて見える。

 

「これで、ドラム缶風呂ともお別れかな」

「もしかして、名残惜しいの? 曇った不気味な夜空を独り占めできる、小さな小さな露天風呂が」

「うーん、いいや。振り返ると、苦い思い出しかないからなあ……」

 

 提督が苦い顔をすると、暁もまた表情を渋いものにせざるを得ない。

 

 ――それは、提督がようやく医務室暮らしを終えて、部屋で寝起きするようになった日のことだ。

 ボイラーの不調もあり浴室が使えなかったため、提督は鎮守府の中庭にて、おそらくは人生初となるドラム缶風呂と洒落込んでいた。

 火加減は電が担当し、これはこれで良いものだなと、体の力を抜いてくつろいでいた時だ。

 鎮守府の裏手から暁以下3名がぞろぞろと歩いてきたのだ。

 自分たちも風呂に入ろうとしていたためか、暁も雷もバスタオルを巻いただけの姿で、響に至ってはタオルすら持たずに堂々とした登場だった。

 

 これに驚いたのは、ゆったりとくつろいでいた提督と、火の番をしていた電だ。

 「はわわ!」「あわわ!」とふたりとも気が動転し、そのはずみでドラム缶がひっくり返り、提督は運悪くそのまま転がって行き坂道に突入、自分が打ち上げられた砂浜まで超スピードの小旅行と相成ったのだ――。

 

「……あの時は、ごめん。まさか、先に入っているとは思ってなくて……。つい、いつもの格好で……」

「僕もびっくりして慌てたのがいけなかったなあ……。あのまま動かずじっとしていたら、夜の坂道を転がって行くこともなかっただろうし」

「ふたりともいい経験になったね。ドラム缶に入って坂をすごいスピードで転がったり、それを追いかけて裸で坂道を駆け下りるなんて、一生に一度、あるかないかだよ」

「……確かにね。下手すると、勢い良く外に投げ出されて大怪我だったかもしれないしなあ……」

「……いくら焦っていたからって、響みたいに裸で全力疾走なんて……。レディ失格の振る舞いだわ」

 

 

 さて、一行は脱衣所まで戻り、靴下を脱ぎ(暁はストッキングごとするりと脱ぎ去り)、提督はさらにスラックスの裾をまくって、浴場へと足を踏み入れる。

 これから入渠施設の調整を行っているはずの電と合流し、施設の案内を頼む手筈になっているのだが、その電の姿がどこにも見当たらない。

 先ほど建造ドックで響の不穏な呟きを聞いていたものだから、余計に不安になってしまう。

 

 電の名前を呼んでも返事はなかったので、ちょうど持ち場を離れているところなのだろうか。

 準備も済ませたところだし、先に中を見学しようかと、暁が提案した時だ。

 ふと湯気が晴れて、奥の浴槽の様子が目に飛び込んで来たのだ。

 

「ねえ、ちょっと、あれって……!?」

 

 暁が血相を変えて声を上げる。

 奥の浴槽。その湯の中から、ハイソックスを履いた2本の足が生えていたのだ。

 見覚えのあるソックス。

 その持ち主が電であると、暁も提督もすぐに合点がいく。

 あまりの光景に誰もが言葉を失う中、3人の注目を集めていた2本の足が、ぴくりと動いた。

 

「電!?」

 

 それをきっかけに、暁と提督は弾かれたように、浴場の奥へと走り出した。

 濡れて滑りやすくなった床に足を取られそうになりながら、少しでも早く電の元へ向かわんと、浴槽の中にジャンプして飛び込み、じゃぶじゃぶと湯を切って進む。

 

 いつからあの状態だったのか。

 もし、提督たちが地下の建造ドックでやり取りをしている時にはもうこの状態だったのだとしたら、悔やんでも悔やみきれない。

 そうしてようやく電の足にふたりの手が伸びようかという時、「ぷは!」と苦しげな声を上げて電が体の上下を反転させ、湯から顔を出した。

 

「……ええ?」

「はわわわ!? 暁ちゃんも司令官さんもどうしたのですか!? 服のまま浴槽に入ったりして……!?」

 

 そりゃあお前もだよと表情で突っ込んだ暁と提督だったが、ひとまず電が無事だとわかると、脱力したように浴槽の淵に倒れ込んだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

「大変、お騒がせしました……」

 

 入渠場の湿った床に正座して、電は深々と頭を下げた。

 髪も服もずぶ濡れになり、パステルイエローの下着が透けて見えるのを、提督は注視しないようにと努める。

 洗い場から椅子を持って来て座る3人が聞くところによると、浴槽底の排水口を締め直していたそうなのだ。

 ただ、そこは電というか、なんというか……。

 

 ――提督たちが入渠場を訪れる、ほんの少しだけ前のことだ。

 電は浴場を簡単に掃除して、浴槽に湯を張ってほぼ万全といった状態で提督たちを待っていた。

 しかし、まだかまだかと落ち着きなく歩き回り、入渠場の再チェックなど始めたところ、最奥側の浴槽の湯が渦を巻いているのを見付けてしまったのだ。

 浴槽の排水口がずれていたか、開いたままだったのか。

 そう考えた電が浴槽の淵から中を覗き込もうとしたところ、いつもの致命的なドジを発揮して湯の中に突っ込んでしまったというわけだ――。

 

「……電、やっぱり危なかったんじゃないのかい? 僕たちはてっきり、排水口に吸い込まれて上がって来れなくなっていたものだとばかり……」

 

 公衆浴場やプールといった大容量の水を溜める槽であれば、排水口も槽の大きさに比例して大きめにつくられるものだ。

 もしも、そういった槽の栓がされておらず、知らずに湯の中に入り引き込まれてしまったら、大の大人でも再び浮上するのは難しくなるだろう。

 

「あ、あの、それは大丈夫だったのです。入渠ドックのお湯はちょっと特殊な成分を含んでいるので、管理上安全装置があらゆる場所に設けられているのです」

 

 その安全装置は排水口のすぐ横にもあったようで、引き込まれてしまった電は冷静に対処して、安全装置を作動。溺れることなく助かったのだという。

 

「そもそも、今浴槽に張っているお湯は、艦娘が入渠して負傷を癒すものなので、潜っても呼吸が出来るのです」

「そうだったのか……。いやあ、本当に、無事で良かったよ」

 

 肌に張り付いた服をつまみ、その端を絞りながらも、しかし、と提督は新たな疑問を抱く。

 

「では、どうしてあんな体勢のままで? 何故すぐに上がってこなかったんだい?」

「……お湯に落っこちて服が濡れてしまったので、このまま潜って排水口を嵌め直してもいいかな、なんて……。その前も、うっかりソックス履いたまま浴場に入ってしまっていたので……」

 

 わざわざ服を脱いで潜るのが面倒だったので、服を着たまま作業を続行した。

 ……というのが、あの湯の中から2本脚が伸びていた不思議な光景の答えだった、というわけだ。

 

 改めて脱力した提督と暁に対し、響は至って澄ました顔をしていた。

 すべてお見通しだったのならば、走り出す前に一声かけてくれればよかったのにと、提督と暁は不満そうに響を見る。

 

 

「……というか。みんなその格好のままだと、風邪を引いてしまうよ」

 

 提督と暁の視線を意に介することなく、ひとりだけ濡れ鼠ではない響が言う。

 ちょうど、電も小さくくしゃみをしたところだ。

 

「いつまでも濡れた服のまま、というのも確かにまずいね。じゃあ、僕は脱衣所に下がっているから……」

「駄目よ司令官! その格好のまま上がったら脱衣所が水浸しになっちゃうわ。司令官もここで着替えましょう」

「でも、僕たち着替えを持って来ていないよ? ……待って、暁。僕も?」

「着替えならたぶん、雷が持って来てくれるわ。こうなるって、なんとなく察しがついているはずだから……」

 

 浴室を出ようとする提督の服を詰まんで引き留めた暁は、そのまま提督に背を向けて上着を脱ぎ始めた。

 電が「はわわわ!?」と動転して、提督が「あわわわ!?」と動転して、急いで暁たちから背を向けて。

 しかし、提督が向いた先には、電が丁寧に磨き上げたのであろう洗い場の鏡が輝いていて、暁のほっそりとした背中をくっきりと映し出していた。

 

 これはいけないと、その場に座り込んで目を瞑る提督だったが、背後から聞こえる水分を含んだ衣擦れの音と、暁たちの声が合わさって、非常にいけない気持ちになってくる。

 このままでは服も脱げない、湯にも浸かれないで、本当に風邪をひいてしまうそうだ。

 かと言って、後ろに暁たちがいる状況で身動きはまずい。

 進退窮まった状況。

 そこへ――、

 

「さあ、司令官も脱ごうか?」

 

 提督の背後から伸びた響の声と手が、がっちりと肩を掴んだ。

 その手がするすると肩から服のボタンへと滑り落ちてゆく。

 

「ひ、響? いいよ、自分で出来るから……」

「まあまあ、そう言わずに。ほら、ふたりも恥ずかしがっていないで、手伝って」

「ちょ、ちょっと! 響はどうして司令官脱がそうとしているのよ! なんで私たちがさっさと脱いで湯に入ったと思ってるの!?」

 

 暁の意図が“恥ずかしいからさっさと脱いで湯につかって隠れてしまおう”というものだと今さら理解し、提督は何故だか安堵して、ほっと胸を撫で下ろす。

 だが安心するのもつかの間、響の手が上着のボタンをするすると外してしまい、あっという間に濡れた上着を脱がされてしまう。

 

「響、ちょっと……! ……うん、ちょっと待とうか。何故、響まで裸になっているんだい?」

 

 上着を取り返そうと振り向こうとした提督は、背中に密着した響の布面積が限りなくゼロに近いことを瞬時に確認して目を背けた。

 ひとりだけ電トラップを回避したはずの響まで、何故か服を脱いで裸になっているではないか。

 

「何故って……。私も入ろうと思って」

「……今にして思えば、響に着替えを持って来てもらえばよかったんじゃないかな?」

 

 今さら気付いた提督の言葉に、さっさと湯に浸かってしまった暁と電は「その手があったか……」と衝撃を受ける。

 しかし響は「仲間外れはひどいな」と小さく呟くと、するすると肌着を脱がし、ベルトを緩め、手際よく提督を剥いてゆく。

 暁と電も最初は止めようとしていたのだが、前を隠すものがないからと湯の中から出られず、しかも提督が上半身裸になった時点で両手で顔を覆い、指のあいだからちらちらと動向を見守り出したのだ。

 

 これは裸に剥かれて醜態を晒すことになるのかなと、提督が悲壮な覚悟を決めたところで、やっと救いの女神が降臨した。

 

 

「私が居ないあいだに何やってるのよ!?」

 

 声は雷のもの。

 だが、その次に聞こえてきたのは、濡れた布で思い切り肉をひっぱたいたような、身も竦むような強烈な音だった。

 快音に思わず身を竦めた提督は、洗い場の鏡越しに、何故か響が2回転半ほど宙を回って顔から浴槽に落ちる光景を目の当たりにする。

 

 唖然として口を開けた提督が思わず振り向くと、見事に着地を決めたぞとばかりに両手を広げてポーズを取る響の姿があった。

 顔から着水したくせにと提督が苦笑いした次の瞬間、響は顔中にびっしりと脂汗をかき、両手で尻を押さえて湯の中でうずくまってしまう。

 提督がちらりと視界の端に捉えた響の尻は、人の掌の形で真っ赤に腫れ上がっていた。

 先ほどの雷の攻撃であることは確かだが、そもそも人ひとりを吹き飛ばす程の膂力に驚きを禁じ得ない。

 

 すごい音がしたものなあと、ふたりが険悪にならないかハラハラしていた提督だったが、響も雷も対して気にする風ではない。

 暁も電も呆れるか苦笑いするかで、まるでいつものことだと言いたげな雰囲気だ。

 状況について行けないのは、今のところ提督だけのようだ。

 

「……雷、少しは手加減を覚えた方がいい。お尻がふたつに割れてしまった……」

「元々割れてるでしょうに……。それと、みんなはさっさとこれを着る。はい、司令官にはこれね?」

 

 ため息を付いた雷は、今やパンツ1枚を残すのみとなった提督にバスタオルを渡す。

 

「もう振り向いても大丈夫よ? というか、鏡で全部見えてるかしら?」

 

 鏡で全部と聞いて暁と電が身を固くしたが、提督は急いで腰にタオルを巻いて見ていないよとばかりに首を振る。

 

 振り向いた先、雷は何故かスクール水着姿だった。

 どうやら暁たちに渡したのもスクール水着だったらしく、そして何故が電の分は色が紺ではなく白だ。

 

「どう? これなら司令官も恥ずかしくないでしょう?」

「うーん。違う意味で目のやり場に困るのだけどなあ……」

 

 気にしない気にしないと笑い飛ばした雷は、スクール水着と一緒に持ち込んでいたスポンジにボディーソープを垂らして泡立てはじめる。

 いったい何をと提督が冷や汗交じりに問えば、「洗うのよ? 司令官を」と、さも当然とばかりに返事する。

 

「司令官、島に流れ着いてからずっと、体拭くだけだったりドラム缶風呂だったじゃない? そろそろちゃんとしたお風呂に入りたかったんじゃないかなー、と思って」

「それはそうだけれど、雷にやってもらうようなことじゃあ……」

「いいからいいから、雷に任せて? それに……」

 

 隣りの洗い場から椅子をひっぱてきて座った雷は、スクール水着に着替えて恥ずかしそうにしている姉妹たちに(若干1名得意げな顔だが)振り向く。

 

「司令官に入渠ドックの説明ね。このままやっちゃいましょう?」

 

 

 

 ○

 

 

 

 雷の手によって体中丸洗いされてしまった提督は、自分が犬か猫か、そういった動物の類であれば良かったのにと、複雑な心境に陥っていた。

 この島に漂着して雷の診察を受けることになり、体の内外隅々まで見られ触られ、最早恥ずかしがることなど何もないと思っていたものだが、それが甘かったのだと自覚するに至った。

 問診や、体を拭かれたりといった接触があったのは、あくまで当時の提督が病人であったからで、提督自身もそうして自分の感情を割り切って受け入れたからこそ正気を保っていられたのだ。

 

 しかし、だからこそ雷の「はーい、お背中流しまーす!」は、相当に堪えた。

 親しくなった女の子が水着着用とはいえ、浴場で肌を密着させんばかりの距離感で自分の体を洗うというのだ。

 そして、今現在の提督は病人ではない、極めて健康な体調を維持している。

 その甲斐あってか、体の一部が意志とは無関係に粗相してしまうことにもなったのだが、雷に「いいのよ司令官、生理現象だもの! 健康な証拠よ!?」などと笑顔で言われ、頭の中が真っ白になってしまった。

 

 何よりもまずかったのは、当の雷がノリノリだったことだろうか。

 提督に対して何の遠慮もなく、さも当然といった風に行為に及んできたのだ。

 その接し方がまた絶妙なもので、男女のいかがわしい関係を匂わせるようなものではなく、まるで自分の息子か弟を風呂に入れてやっている風なのだ。

 これでは、ひとりで興奮していた自分が馬鹿ではないのかと、提督は余計に消沈してしまうのだ。

 

 

「あの……。司令官さんが遠い目をしているのです……」

「あれは敗者の目だね。自分の中の何かに敗北した目だ」

「雷があんなはしたない真似するからよ。レディにあるまじき行為だわ?」

「暁のレディ、久しぶりに聞いたわね。……まあ、やりすぎたとは思っているけれど、みんなお嫁に行ったら、いずれは旦那さんにしてあげることでしょう?」

 

 お嫁に行く気なのかと、雷に視線が集まるが、当人は困った顔で「ないない」と手を振る。

 

「はあ、駄目ね。司令官を見ていると、ついお世話したくなっちゃう……」

「それは、僕が頼りないから、なのかな……」

「ああ、気にしないで司令官! クセなのよ、クセ。私の性分みたいなものなの! 人の世話を焼きたがるというか、人の仕事まで取っちゃうというか……。司令官を見ていると、なんというか、こう……、構わなきゃって気持ちになるの!」

「やっぱり僕が頼りないからじゃ……?」

 

 

 まあいいかと、気を取り直して顔を上げた提督だったが、それでも目の前の光景が直視し難いことに変わりはない。

 暁たちは水着を(スクール水着だが)着てはいるが、それでも異性と共に入浴するなど、提督にとっては異常事態もいいところだ。

 こうして湯船に浸かっている今現在、暁たちとは適度な距離を保てているが、これが狭い浴槽に密着して押し込まれでもしていたのなら、1分と持たずに気絶する自信があった。

 記憶を失う前の自分は、こういった状況に陥ったことなどなかったのだろうなと、提督は目のやり場を探して視線を彷徨わせる。

 

「……あの、やっぱりこれは、まずかったんじゃ? 司令官さんも、目のやり場に……」

 

 控えめにそう告げるのは、先ほどから赤らんだ顔が通常状態になってしまった電だ。

 雷の持ってきたスクール水着の中で、何故か電のものだけは紺色ではなく白だったのは、前述したとおりだ。

 頭を洗われている時に、提督が何気なく雷に聞いたところ、「気持ち罰ゲームのようなものね?」と返答があったが、それは不注意で浴槽に突っ込んでしまったことに対してだろうか。

 

 その、電の着ている白いタイプが、ひどい。

 白という色の特性か、あるいは生地の質のせいか、下の肌が若干透けて見えてしまうのだ。

 サイズも電の体に合っていないようで、胸元や尻が生地からこぼれてしまいそうなのを、湯の中で必死に押さえている。

 先ほど響と電が小声で話していたのを耳にした限りでは、「きつきつ?」「お股のあたりが、結構厳しいのです……」と、バスタオルの方が何倍もマシだったと言わざるを得ない様子だ。

 

 互いの方を向けない、目も合わせられない状態では、説明をする方もされる方も堪ったものではない。

 

「……色はともかく、サイズ的には暁に渡すべきだったわね」

「どういう意味よ!?」

 

 そういうわけで、ぷんすかと可愛らしく怒った暁が電の前に出て視覚的にガードすることで、互いの目のやり場を確保する手はずとなった。

 響を見ても雷を見ても姿勢を前に傾けざるを得なかった提督にとって、直視できる暁の存在はまさに天使そのものだった。

 スクール水着も何だかんだで一番似合っているとさえ感じる――とは、暁が半眼で睨んでくるので絶対に口には出せないが。

 

 

「あの、それじゃあ、入渠施設の説明に入りますね?」

 

 暁の後ろから、電が入渠施設に関しての説明を始める。

 

「この入渠場は、艦娘にとってのお風呂と医療修復施設を兼ねているのです。長時間の入渠は、奥の個別ドックになりますね。いま電たちが浸かっているこのお湯には特殊な成分が含まれていて、負傷や体の不調を整える働きがあるのですよ」

「負傷というと、確か、四肢の欠損や内臓の損傷までも治癒してしまうのだったね?」

 

 提督は先日食卓で聞いたことを思い出す。

 確認を取るように暁を見ると(今は他の3人には目を合わせられない)、どういうわけか響が「うんうん」と頷いて湯から立ち上がった。

 素晴らしい均整の体をあまり見ないようにと、視線を憮然としている暁に固定したまま、響が語ることを耳に入れる。

 

「そうさ。艦娘の肉体、頭部を含むおよそ3割の部位が無事ならば、例え心停止していても元通りに再生出来てしまうのさ。だから、私たち艦娘には傷というものが残ったりしないんだ。包丁で指を切ってしまったり、暴飲暴食で内臓を悪くしたり、あるいは情事の際のキスマークも、ね?」

 

 そして響は「ほら」と水着の尻の部分をずらして、先ほど雷にひっぱたかれた箇所を見せてくる。

 確かに、鏡越しの遠目で見ても真っ赤であった尻が、瑞々しい肌色に戻っているではないか。

 

 なるほどと、思わず直視してしまい息を飲む提督だったが、その顔が徐々に茹で上がっていく。

 暁と雷が「はやくそれを仕舞え」と、右手でモミジをつくる体勢に移行しなければ、今頃提督は気を失っていたか鼻血を噴いていただろう。

 

 

「ああ、それと……。高速修復剤は、在庫すべてが期限切れになっていたのです……」

 

 電が申し訳なさそうに告げると、暁たちは「まあ、しょうがないか」といった納得の顔を見せる。

 そんな中、響だけがびくりと肩を震わせ、顔をこわばらせた。

 近寄ってきた雷が提督に耳打ちするには、その昔、響が高速修復剤のバケツを被って抜けなくなってしまい、1日中そのままで過ごしたことがあるのだという。

 トラウマなのだ。

 ちなみに、取れなくなったバケツは被ったまま入渠することで外れたとのこと。

 

 さて、その高速修復剤の話だが、文字通り艦娘の負傷や不調を瞬時にして回復してしまう薬剤のことだ。

 正確には高速修復促進B液という名称であり、10ℓバケツ1杯分を個別のドックに投入し、入渠ドックの湯であるA液と反応させて効力を発揮させるのが一般的な使用方法だ。

 だが、この高速修復剤は空気と反応するとすぐに酸化してしまい、また長期保存ができない仕様になっている。

 この鎮守府に残っていた在庫も、そのすべてが“期限切れ”になっていたのだという。

 

 困った顔の電が、説明を続ける。

 

「開発資材同様、高速修復剤も本部からの支給以外に獲得方法がないのです。一度に大量の修復剤を確保しても、期限内に使わなければ劣化してしまうので採算が悪いことと。10年前当時のこの鎮守府は、前線の資材補給基地だったので、艦娘は在籍してても、大規模な攻略作戦に参加することはほとんど無かったのです」

「そうか。深海棲艦と交戦する機会が少ないとなれば、高速修復剤も大量には必要ないと判断されたんだね」

「はい。そんなところに、突然戦況が悪化して、急いで本部に修復剤を発注したのも間に合わず、入渠できずに前線の支援に出撃することもあって……」

 

 そうして、この鎮守府に在籍していた艦娘の多くが負傷したまま出撃し、帰って来なかったのだという。

 入渠しているあいだにも敵の航空機が島を空襲に飛来する恐れがあり、かつ増援が間に合う状況でもなかったため、長時間の入渠が出来ない状態だったのだ。

 この島が資材確保に置いて重要拠点であったこともあり、死守しなければならないという思いが強かったのだろう。

 

 その当時、唯一前線で深海棲艦と交戦した経験のある暁と響に聞けば、「地獄だったわ」と感情の籠もらない答えが返ってきた。

 当時の提督が病に倒れたのもちょうどこの時期で、暁たちにとっては一番つらい時期だったのだろうなと、提督はその心中を察する。

 

 

 しかし、これで入渠場に機能が正常に働いていることが確認できたので、脱出作戦にまた一歩近づいたことになる。

 そうなると「次は艤装との同期かあ……」と、暁たちはみな一様に表情を暗くしてしまうのだ。

 艤装との同期作業がどういったものかを、提督はまだ詳しく聞いていない。

 しかし、彼女たちの暗澹たる表情を見るに、肉体か精神にかなりの負荷がかかるのであろうことは、想像に難くなかった。

 

 そんな時、暁が何か思い出したのか、湯につかる皆を見渡した。

 

「ああ。ところで、さっきの話だけれど。ジョージって誰? 日本の人? キスマークつけるってことは、エッチなの?」

 

 それは“情事”のことだろうかと、暁以外のみんながぽかんと口を開けて目を丸くする。

 

「……暁ちゃんには、ずっとずっとピュアなままでいてほしいのです」

 

 妹たちに優しい眼差しのまま頭を撫でられ、暁は憮然としていた顔をさらに険しくする。

 提督に「どういうこと?」と視線で問うが、その提督までも頭を撫でるのに混ざりはじめたので、涙目で全員分の手を振り払った。

 

 

 そんな和やかな空気のなか、提督はひとつ疑問を抱いていた。

 暁の左目、その眼帯のことだ。

 今は、風呂ということで眼帯を外している暁だが、その左目は不自然に閉じられている。

 

 入渠ドックの説明が確かならば、艦娘の負傷は傷として跡が残らないはずだ。

 現に響がその効力を実演していたので、それは疑う余地がない。

 ならば、暁のこの目は、いったいどうしたというのだろう。

 傷を負っている風には見えないが、だとしたら普段からあんな物々しい眼帯を着用していた理由とは。

 

 何気なく暁のことを凝視する形となった提督は、当の暁が顔を真っ赤にしていることに気付いて、慌てて顔を逸らす。

 もうどこにも視線を向ける先が無くなってしまったので、仕方なく俯いて水面を眺めることに。

 

 

 そうして初々しい状態が伝播していく中、雷が困ったように鼻から息を吐いた。

 

「もう、司令官ったら。すぐにとは言わないけれど、慣れてくれないと困るわ? これから毎日一緒に入ることになるんだから……」

 

 さも当然と言わんばかりの発言に、響以外は驚いて雷の方を見る。

 注目を集める形となった雷は「え、私何かおかしなこと言った?」と冷や汗交じりに言うばかりで、自分が爆弾発言を投下したという自覚が全くない。

 ついには響にまで窘められる有り様で、提督はそんなやり取りを歪む視界の中で見守っていた。

 

 こんな状態が、これから毎日続くのだ。

 正直に内心を吐露するならば、これほど喜ばしいことはない。

 同時に、これほど過酷なことは、そう他にはないだろうとも。

 

 もし、何か気の迷いで、自分の理性の枷が外れてしまったとしたら?

 不覚にもその先を想像してしまった提督は、今度こそ気を失った。

 

 

 


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