孤島の六駆   作:安楽

13 / 73
4話:艤装同期

 その日の暁たちが暗い顔をしていたのは、目にも明らかだった。

 つい先日、浴場でのぼせて気絶した後のどたばたや恥ずかしさを、数日も引きずることがなかったのは、まあ良かったのかもしれない。

 しかし、彼女たちのこんな顔を見るくらいならば、いつまでも気恥ずかしいままの方が良かったとすら、提督は考えてしまうのだ。

 

 暁たちが気落ちしている原因はわかっている。

 今日は以前から話に上がっていた、艤装の同期作業があるのだ。

 提督が早めにと朝4時に身支度して食堂へ赴いたところ、すでに暁たちは集まっていた。

 誰ひとり口を開かない。

 暁と響は先にテーブルについていて、雷と電は厨房で調理中。

 なんでも数日分の食事を一気に作ってしまうのだと言うことで、寸動鍋がふたつと、さっと火を通すだけで食べられる簡単なものを幾つかトレーに並べていた。

 

「同期が終わった後の私たちは、しばらくは何も手に着かなくなると思うから……」

 

 重苦しい口調で暁は言う。

 それ程に過酷なものだというのだろうか。

 提督の心配そうな表情に気付いた暁は、それでも「大丈夫よ! 死ぬわけじゃないんだから!」と笑って見せる。

 無理をしていることが一目でわかる、痛々しい笑顔だった。

 

 そんな暁の様子に小さく息を吐いたのは、隣に座る響だ。

 心配そうな顔を崩さない提督をじいっと見ていた響は、いつも通りの平坦な口調で、しかし提督の方を見ずに語りかける。

 

「司令官は本当に同期作業に立ち会う気かい? 自分で言うのもなんだけど、あまり気持ちのいいものではないから。悲鳴や絶叫が苦手なら、遠慮しておいた方がいいと思うのだけれど……」

 

 それは、気遣いからの言葉だろうか。

 そう直感する提督だったが、気遣いだけではないのだろうとも察していた。

 暁や響の気まずそうな顔を見れば、艤装の同期作業というものが、あまり人に見られたくないものであるのは明白だ。

 

「みんなが嫌なら、僕は執務室で待機するよ。それとも、何かあった時のために近いところで待機していた方がいいかな?」

 

 提督の言葉に、暁と響と、厨房の方で作業していた雷と電もこちらの方を見た。

 出来れば立ち会いたいところではあったが、彼女たちの反感を買ってまでするべきことかどうか、いまいち判断が付かない。

 だから、暁たちの意志に委ねることにしたのだが、みんな一様に煮え切らない様子だ。

 結局、痺れを切らした暁がひとりで提督の立会を確定させてしまう。

 

「そう言うわけで、なにかあったら司令官も手伝ってね?」

 

 もちろんだと頷く提督は、響が不服そうに顔を逸らすのを見逃さなかった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ――艦娘は艤装と同期することによって、“ありし日の軍艦の魂”とより強く結びつき、海上にて縦横無尽の機動を見せる。

 その“同期”とは、具体的には彼女たちの名前の元となった軍艦の記憶を、人間の体に置き換えて追体験するというものだ。

 竣工から解体まで――、と言えば聞こえはいいが、二次大戦中の海軍の艦は、そのほとんどが戦いの中で没している。

 つまり、艦娘が艤装と同期するということは、自らが戦い、負傷し、そして死ぬ間際の光景を、その痛みや苦しみをも、追体験するということなのだ。

 

 

「――まあ、暁が言ったように、実際に死んだりするわけじゃないけれどね? ……それでも一時的に視力が喪失したり、手足が動かなくなったり、っていう症例はあるらしいわ。肉体面もそうだけれど、一番キツイのは精神面ね」

 

 朝食の後。

 立ち寄った医務室にて、雷は遠い目をして提督にそう告げた。

 暁たち3人は先に現場に向かい準備を始めているのだという。

 窓の外は、ようやく空が明るみ始めたくらいの時間帯だ。

 提督は雷に呼ばれ、艤装の同期に関する簡単な説明と、それに対する心構えをレクチャーされているところだった。

 

 一通り説明を終えた雷は、掛けていたメガネを白衣のポケットに入れると、デスクの上にまとめていた資料を提督に手渡す。

 昨日から雷が纏めていた、艤装同期における艦娘のメンタルケアに関する資料だ。

 資料にさっと目を通す提督だったが、とても短時間で把握できるような内容と分量ではない。

 

「時間がある時にゆっくり見て貰えばいいわ。これも所詮は気休めだから。専門のセラピストがいるわけじゃないから、どうにもね? その辺、私たちも覚悟だけは出来ているから……」

 

 そう言って笑う雷だったが、その手元は震えている。

 提督にその震えを気付かれて、慌てて手をポケットの中に隠そうとする雷だったが、「無駄なことか」とでも言いたげな顔をして、やめてしまった。

 

「今この場で取り繕っても、同期の時になったら、きっとかっこ悪いところ見せちゃうから……」

 

 自分を落ち着かせるように深く息を吐く雷だったが、どうにも平静を取り戻すことが出来ないようだ。

 提督が何か飲むかとインスタントコーヒーの瓶を掲げてみせるが、雷は苦笑いして首を振った。

 きっと、後で吐いてしまうからと……。

 

 提督はそこで、今朝の光景を思い出す。

 暁たちは今朝から、ほとんど何も口にしていなかった。

 いつもは朝食をおかわりするほど食欲旺盛な彼女たちが、お茶の一杯を口にするのも躊躇っていたのだ。

 それでも、水と少しのシリアルだけは腹に入れていたのは、食事で少しでも気を紛らわせるためだったのだろう。

 

 心配そうな顔をする提督を安心させるためか、それとも自分を鼓舞するためか、雷が医務室の中を歩き回りながら、自分の持つ知識を語り始める。

 

「本来、艤装の同期作業っていうのはね、定期的に行われるものなの。鎮守府所属の艦娘は、原則として72時間以内に一度、艤装と同期して肉体と精神を調整、艦の魂との結びつきを確認するの」

 

 そうして定期的に同期作業を行うのは、艦の記憶に“慣れる”ためなのだという。

 自らの体が穿たれ、炸裂してバラバラになる記憶でも、数回に渡って追体験している内に慣れていき、いなし方を覚えるというのだ。

 精神への負荷を逸らし、軽減する方法を、そうして覚えること。

 それは、実戦で四肢が欠損したり、体に風穴が開いたりすることを「平気だ」「軍艦時代もこうだった」からと、自らが“艦でもあるのだ”ということを強く意識することにつながる。

 重傷を負った際に平静を保ち、冷静に対処するための基礎となるのだ。

 

 だが、雷たち姉妹は、もう10年もその同期作業を行っていない。

 彼女たちに下された待機命令の中に、艤装の同期は含まれていなかったのだ。

 そんな状態で、10年ぶりに艤装の同期作業だ。

 雷の見立てでは、先に述べたとおり精神に相当な負荷がかかるという。

 命に別状がないことは確実ではあるが、心まで死なないとは言い切れないのだ。

 

 

 饒舌になった雷は、その勢いで軍艦・雷の戦歴まで語り始める。

 

「例えば、駆逐艦・雷の戦績はね……。C作戦、H作戦で戦果を挙げて、有名なところだと電と一緒に敵兵を救助したところかしらね? それで、最後は潜水艦の魚雷を受けて、彷徨い彷徨って暗闇の中。どこに居るのかもわからない、誰もいない闇の中で、ひとりで沈んでいったわ……」

 

 立ち止まり、震える肩を抱くようにした雷は、力が抜けたように、その場に座り込んでしまう。

 慌てて提督が駆け寄ると、雷は弱々しい笑顔を見せてきた。

 

「……こうして、わかっているのにね? 10年前は何度も同じものを見ているはずだし、昔の資料も読んだりして、これからどんな記憶を追体験するのか、わかっているはずなのに……」

「わかっていても、辛いはずだよ。自分が死ぬところを体感させられるんだ。辛くないはずがない」

「それでも、私はまだマシな方かな……。艦首切断とか、船体が真っ二つとか、敵艦載機にハチの巣にされたり、一晩中炎を上げて燃え続けたなんて艦もあったんだから……。電だって何度も艦首壊れてるし、暁は全身穴だらけにされたりで……。響は……」

 

 姉妹艦たちの最後を語る雷の顔は、まるで自らのことのように辛そうだった。

 座り込んだ雷を介抱する提督は、「……でもね」という、少しだけ希望に満ちた声を聴く。

 

「でもね、悪いことばかりじゃないのよ? 伏見宮提督や、工藤提督が居たから……。軍艦の雷が、彼らを好きだってわかるから、そこは全然嫌な記憶じゃないの。それに、短い時間だったけれど、暁型のみんなと一緒に居られた時間だって確かにあったわ。さすがに、10年には満たない時間だけれどね?」

 

 悪いことばかりでなく、良いことを考えて、雷は不安を中和しようとしていた。

 何とか立って歩けるまでに持ち直した雷に付き添いながら、提督は「他には?」と話を振る。

 良かったことをもっと引き出して、心を鼓舞しようと考えたのだ。

 

 しかし、雷は笑って首を振る。

 

「もう、そんなに心配しなくても大丈夫よ、司令官。それより、みんなのことをお願い。同期が終わったら、涙が止まらなかったり、ひとりで立てなくなったりする子が、絶対いるんだから。……私も含めてね」

 

 

 

 ○

 

 

 

 この島の鎮守府の出撃場は2箇所あったが、うち1箇所は現在閉鎖されている。

 10年前の空襲で、主に使用していた第一出撃場が破壊され、現在も瓦礫と岩が積み重なって塞がれているのだ。

 この鎮守府に住まう妖精の力を総動員しても、完全復旧まではひと月以上の期間がかかるのだと、翻訳役の響が言っていた。

 

 もう1箇所の第二出撃場は、島の裏手側、断崖絶壁をくりぬいて作られた小さなものだ。

 元々は駆逐艦や軽巡洋艦クラスの艦種が、第一出撃口の戦艦や空母といった強力な艦種の出撃を援護するため、先んじて出撃するために設けられた場所だ。

 第一出撃場の復旧に時間がかかる以上、当分はこの第二出撃場が主な出入り口になるとのことだ。

 

 そして、艤装の同期作業はこの第二出撃場の待機場で行われる。

 簡素な更衣室が横手にある、小規模なスペースだ。

 高い天井や壁面はコンクリート材質で、艦娘数隻分の艤装格納庫が鎮座している。

 入り口付近のパネルを操作すれば、指定した格納庫から艤装が取り出され、艦娘に装着されるという仕組みだ。

 

 

 提督と雷が第二出撃待機場を訪れると、すでに暁たちは同期作業の準備を終えていた。

 同期作業は長時間に及び、またその間、艦娘は一種の催眠状態となるため、専用のリクライニングチェアーが用意されている。

 薄暗い待機場の一角だけ照明の質が違い、その灯りに照られる椅子は、不気味の一言に尽きる。

 見ようによっては、死刑執行に用いられる電気椅子のようにも映るのだ。

 

 その椅子にはすでに暁が座っていて、響と電が横に立って提督たちを待っていた。

 各々が身に纏っているのはいつもの制服ではなく、頭部と手首足首のみを露出させた黒いインナースーツのような衣装だった。

 ダイバースーツよりも薄手であり、体のラインがよりはっきりと浮き出るものだ。

 

 こほんと、響が提督の元にやって来てこのスーツの説明を始める。

 

「このインナースーツは補助艤装の一種で、艦娘の肉体の保護するためのものなんだ。体温調節と、出血や四肢欠損時には患部付近の繊維が収縮して止血する働きがあるんだ。後は、筋肉が断裂した際に人工筋肉としての役割も果たすし、骨折の際には患部を固定する働きもある。製造メーカーは芝生重工だね」

「私たちの艤装はYDKRテクノロジー製で違うメーカーだけど、芝生重工は最初期から艤装の開発に携わっていて基礎をつくったところだから、他企業の艤装と互換性があるのよね?」

 

 響の説明を、更衣室の扉を開けたまま着替えはじめた雷が引き継ぐ。

 脱いだ服をロッカーの中に乱雑に放り込んで一糸纏わぬ姿になると、件のインナースーツを手に取って渋い表情になった。

 黒く心地よい肌触りの衣装を忌々しげに見つめ、意を決して袖を通してゆく。

 

 

「じゃあ、最初は私からいくわ? 一番最初に沈んだから、時間もそんなにかからないはずよ!」

 

 震えを抑え切れていない声で言うのは暁だ。

 強張った体を椅子の背に預け、さあ一思いにやってくれとばかりに固く目を瞑る。

 

 暁がそうして決意を固めると、響と電が頷き合ってパネルの操作に移る。

 時代がかった古めかしいパネルを操作すると、格納庫のひとつが展開し、中から艤装のひとつが取り出され、ゆっくりとその姿を露わにしてゆく。

 軍艦の煙突部分を模した機構は、暁型駆逐艦の正式装備である、背部艤装だ。

 

 クレーンの先に着いたアームが背部艤装をキャッチして、ゆっくりと暁の座る椅子まで運んでいく。

 自分の後ろ、その上部で艤装が止まったことを、音と振動で察した暁は、まるで注射を怖がる子供の用に固く目を瞑ってその時を待つ。

 ゆっくりと降りてきた背部艤装は、椅子の背部、接続用に肉貫された部分から暁の脇腹を挟み込むように接続される。

 そうして、艤装の同期作業が始まった。

 

 

 暁の言うとおり、彼女自身の同期作業は1時間もかからずに終了となる。

 だが、提督にとってその1時間は、これまで体験したどの1時間よりも長いものに感じられた。

 催眠状態に陥った暁は、同期作業中幾度もうわ言を繰り返していた。

 時には何らかの痛みに体を捩ったり、叫びを上げたくなる素振りを歯を食いしばって堪えたり、提督の目には、まるで拷問を受けているようにも見えたのだ。

 

 背部艤装との接続が解除されると、暁は糸が切れたようにぐったりと椅子の背に体を預けて動かなくなってしまった。

 全身汗まみれ、両目からは涙が零れつづけ、このままでは体中の水分をすべて出し切ってしまうのではないかとさえ思えるほどだった。

 

 

「暁? 暁! 大丈夫かい? 艤装の同期作業は終わったよ。もう大丈夫だよ! 暁!?」

 

 普段は大声など上げないはずの響が、珍しく叫ばん勢いで声を荒げるのに、暁の体がびくりと反応する。

 自分の顔を心配そうに覗き込む響にびっくりして、周囲の雷や電、そして提督の姿を見て、やっと自分が何をしていたのかを思い出したようだ。

 表情筋がうまく動かせないまま笑って見せるその様は、輪をかけて痛々しいものだった。

 

「……た、大したこと、なかったわね? 全然、全然へっちゃらよ?」

「じゃあまずは涙を拭きなさいよ? 立てる? 足に力入る?」

「な、泣いてなんか、いないんだから……!」

 

 響と雷に両脇から支えられて椅子から立ち上がった暁だったが、足に力が入らず前のめりに体勢を崩してしまう。

 それでも大丈夫だと言い張る暁を見ていられず、提督は暁の体を抱き上げた。

 びっくりして口をぱくぱくとさせている暁に構わず、提督は雷にこの後の処置を聞いてゆく。

 

「運ぶ先は、医務室じゃなくて入渠ドックにね? インナーは脱がさずそのままでいいわ。湯の中に頭まで突っ込んじゃっても大丈夫、息できるから」

 

 雷が要点を早口に述べていくのを記憶して、提督は暁を抱えて走り出した。

 

 

 

 ○

 

 

 

「あーあ。司令官にこんな格好悪いところ見せるなんて……」

 

 速足で入渠ドックへ急ぐ提督(走っていると、暁が気持ち悪いと言って口元を押さえたのだ)。

 その腕の中で、暁は残念そうに口をとがらせていた。

 相変わらずぐったりとした様子の暁だったが、しゃべり口はしっかりとしている。

 対して、その体は緊張して強張り、驚くほど軽く、流れ出てしまった水分のせいか、体温も平熱よりかなり下がってしまっているように感じられた。

 

「ほんと、10年前は3日に1回こんなことやってたなんて、信じられないわ。確かに辛かったり気持ち悪いと思うことはあったけれど、ここまでひどくなかったもの!」

「ブランク、というものなのかな? 3日に1度は同期作業を行う規則になっていたのは、こういった症状が起こるからでもあったのだろうね?」

「だったら同期だけでも許可してくれれば良かったのに……。これじゃあまるで、私たちに『もう戦うな!』って言ってるようなものじゃない……!」

 

 口をとがらせて言う暁に、当時命令を下した本部の人間は本当にそのつもりだったのかもしれないと、提督は考える。

 10年前に下された待機命令の内には、艤装のメンテナンスは出来ても、同期作業までは含まれていなかった。

 艤装そのものを整備はしても、艦娘が戦うための調整は、その中に含まれていないのだ。

 これを、どう捉えればいいのだろうか。

 

 提督が真っ先に考えたのは、これ以上この島の艦娘たちを戦いで失わせないための措置だ。

 出撃を制限して待機させ、救助隊を送ろうと考えていたのならば、そういった命令も頷ける。

 この島が重要な補給地点であったことも鑑みれば、ミスミス失うような采配はしないはずなのだから。

 

 だがそうだとすれば、救助隊は何故、この島にやって来なかったのか。

 敵の包囲網が厚く、救助を断念したという可能性も大きいとは思うのだが、どこか釈然としないものが喉奥に残るのだ。

 通信器が破壊されてしまったことも不運な痛手だ。

 これによって、この島の人員は全滅したのだと判断されて、救助が打ち切られたのかもしれない。

 

 

 様々な考えを巡らせていた提督は、ふと、暁が自らの服を弱々しくつまんで、何か言いたげな顔をしていることに気付く。

 

「ねえ、司令官。変なこと聞いてもいい?」

「なんだい、暁」

「私の体、その……。どこも、穴とか開いていないわよね? 血も出てないよね?」

 

 不安そうな声色に、提督は思わず足を止めてしまった。

 黒いインナースーツに包まれた暁の体にはどこもおかしいところなどない。

 暁の言うような穴も開いていなければ、出血もない。

 

 それでも、暁は不安そうに自分の体に手を這わせて、何度も負傷がないことを確認し続ける。

 まるで、見えない傷を撫でるように。

 

「……やっぱり、そうよね。怪我してないはずなのに。軍艦時代を追体験した時の感触がね、なかなか消えないの。今も、体中穴だらけになって……。燃料と、たくさんの命が流れ落ちていく感触が……」

「大丈夫。大丈夫だよ、暁。どこも怪我していないし、誰もいなくなってないよ? 同期作業は終わったんだ。もう、艦ではなくて、女の子の暁に戻ってもいいんだよ?」

「わかってる! わかってるけれど、消えてくれないの……!」

 

 ここまでひとつも弱音を吐かなかった暁だが、一度口にしてしまえば、もう止まらなかった。

 暁が自分の体が大丈夫か、どこも悪くないかと問うたびに、提督はひとつひとつ頷き、どこもおかしいところなどないと、暁は艦ではなく普通の女の子だと言い含めていく。

 

 先ほど雷に渡された資料の全てに目を通すことは出来なかったが、流し読みで要点を押さえることは、なんとか間に合っていた。

 艤装と同期が完了して、もしも艦としての記憶や感触が強く残留している場合は、艦娘が軍艦ではなく人間であることを強調して「人間側に引き戻す」のが重要だと書かれていた。

 あまりに艦の魂との結びつきが強いと、艦の側に引っ張られてしまい、人としての感情や考え方などを失ってしまう恐れがあるのだ。

 

 

 艦娘は、人としての心を失ってはならない。

 彼女たちをただの兵器だと考えている者たちからすれば、失笑を買いかねない考え方だろう。

 彼女たちを人としてしか見ていない者たちからすれば、何を当たり前なことをと憤慨されるもの言いだろう。

 だが、彼女たち艦娘が力を発揮するには、艦の魂と人の心、その両方が必要なのだ。

 

 人間では深海棲艦に対抗できない。

 兵器では深海棲艦に対抗できない。

 唯一、脅威に対抗しうるのは、人でもあり艦でもある、彼女たちだけだ。

 人の心と、艦の魂と、そのどちらが欠けてしまっても駄目であり、どちらか一方に偏りすぎても駄目なのだ。

 

 暁たちはこの10年で人の側に偏りすぎてしまっていた。

 だからこそ、艤装の同期でここまで精神に負荷が掛かってしまっているのだ。

 

 今の状態の彼女たちに精神の安定を与えるには、もう一度人間の側に引き戻す必要がある。

 その最も有効な方法が、食事や睡眠といった人間の生活サイクルを行う他に、話をする、触れ合うといった、単純な行為なのだ。

 だから、提督は暁の話を聞き続けるし、答え続ける。

 手を握ったり、頭を撫でたりもする。

 入渠ドックへ着くまでの短い間だったが、そうした処置を続けることで、暁の症状はだいぶ緩和されたように見えた。

 青白かった顔にもだいぶ血色が戻り、ふらつきながらもひとりで立って歩けるまでに回復して、自分の足で湯の中に入れていた。

 

 

「ありがとう、司令官。少しだけ楽になったわ。私はもう大丈夫だから、みんなのところに戻ってあげて?」

 

 暁に言われ、提督は逡巡しながらも浴槽の淵から立ち上がり、踵を返す。

 出来ることならずっとこのまま暁の傍に着いていたいが、まだ響たち3人の同期作業が終わっていない。

 これからあと3人ほど、この入渠ドックに連れて来なければならないのだ。

 

「……ねえ、司令官。後悔していない?」

「何をだい? 暁」

「私たちの司令官になったことを。こんなもの見せられる羽目になったことを……」

 

 後悔していないと短く言い残して、提督は入渠ドックを後にした。

 

 

 

 ○

 

 

 

 暁の後、同期作業は電、雷の順で行われた。

 どちらもそれほど長くは掛からなかったが、症状は暁の時よりもはるかに悪かった。

 電は一言も口を利けず、ずっと震えながら提督の服を握っていて。

 雷はうわ言を繰り返し、そもそも会話すら出来ない状態だった。

 それでも、入渠ドックの湯に浸けると、すぐに落ち着きを取り戻すことが出来たようだ。

 暁の両隣の個別ドックで、雷と電はすぐに力尽きて眠ってしまったのだ。

 

 眠ることも精神の安定を取り戻すために必要なことだが、同期時に追体験した内容が、今度は悪夢という形で再生されてしまう恐れもあるのだと、暁は語る。

 いっそうこの場を離れがたくなった提督ではあったが、暁がふたりを見ているから大丈夫だと言われ、最後にひとり残った響の元へ戻ることにする。

 

 

 提督が再び待機所を訪れた時、響はまだ同期作業の最中だった。

 普段こそ感情の起伏に乏しい彼女ではあるが、この作業に関しては感情の高ぶりを露わにしている。

 暁はじめ妹艦たちの身を案じて声を上げる姿は、艦娘・響のものであり、軍艦・響のものでものでもあるのだろうと提督は考える。

 こうして彼女が一番最後に順番を回したのは、駆逐艦・響が暁型の中では一番長い時間を生き抜いてきたからであり、その分同期作業にも時間が掛かると考えたからだ。

 

 椅子の背もたれに身を預ける響の手を握ると、微かな力で握り返された。

 反射的な行動なのだろうが、いつもの響ならば「わかっているさ」と得意げに返事したのだろうなと、提督は知らずの内に、口元に笑みをつくっていた。

 響の同期作業が終わったのは、それから数時間以上経った後のことだった。

 

 椅子から身を起こした響は、しばらくのあいだぼーっと虚空を眺めていた。

 すぐ隣で提督が手を握っていることに気付くと「やあ、司令官」と挨拶するものだから、一見して他の3人よりは症状も軽そうだなと、提督の目には映った。

 しかし、本当にそうか。

 心配した提督が抱き起そうとするのを、響は手で遮って拒否する。

 提督もそこでようやく、響が余裕を無くして、しかしそれを悟られたくないのだと気付いた。

 

 平静を装ってはいるが、その実まったく余裕がないといった風で、椅子からは自分ひとりで立ち上がろうとさえしている。

 しかし、同期中の感触が残っていて体の自由が利かないのか、すぐに体勢を崩して前のめりに倒れ込んでしまう。

 床に激突する前に何とか抱き留めた提督だったが、響は腕のなかでもがき、しきりに離れようとする。

 

「……ダメだ。司令官、はやく、離れて……!」

 

 震える声を荒げて響が言った直後、彼女の危惧していたことが起こった。

 うっと、胃袋がせりあがってくるような苦しげな声を出して、響は胃の中のものを吐き出したのだ。

 と言っても、朝からほとんど何も食べていない以上、吐き出されたのはほとんど水と胃液だけだ。

 響がしきりに提督から離れたがっていたのは、吐き気を我慢できなくなったからだ。

 

「……だから、離れてって言ったのに……」

 

 悪戯が見つかった子供の用に体を縮こまらせた響は、納まらない吐き気を堪えるように口元を手で覆う。

 提督は響の傍に寄り添い、背中をさすり続けた。

 

 

「……ねえ、司令官。どうして司令官は“これ”に立ち会おうなんて思ったんだい? “提督”は、こんなとこに立ち会う義務なんてないんだよ。そんな規則はないんだ。私たちの勝手に突き合わせて提督をやらせている身で、こんなものまで見る必要はないんだ……!」

 

 余裕を失った響からは、彼女が朝から抱いていたのだろう本音が次々と吐き出された。

 その変わりようにしばらく面食らっていた提督だったが、ひとつ頷いて、響を軽々と抱え上げた。

 驚いて目を丸くする響に「入渠ドックへ行くよ」と短く告げて、提督は歩き出した。

 その道行き、提督は朝から考え続けていたことを、少しずつ響に話してゆく。

 

「僕が立ち会いたかったからだよ、響。規則やそういったものじゃなくて、僕が本当に“提督”であったのなら、やらなければならないと思ったからだよ」

「同情かい? それとも正義感? 女の子が苦しむ姿に欲情する趣味でもあるのかい?」

「何もないよ、響。僕には何もないんだ」

 

 響は、次に言おうとしていた言葉を呑み込んだ。

 提督の反応が、自分の考えているものと違ったのだ。

 

「僕には、この島に流れ着く以前の記憶がない。でもね、ただ記憶がないだけじゃなくて、すべてが無いんだ。好きな食べ物も、好きな音楽や、趣味も、得意だったことも、好きだった人のことだって何ひとつ覚えていないし、わからない……」

 

 提督に抱きかかえられた響が見上げる顔は、ただ前を向いているように見えて、その先の何をも見ているようには思えなかった。

 

「空っぽなんだ。空洞で、何もない。自分の中から湧き上がってくるものが、何もないんだ。それが、たまらなく怖い。最初は全然そんなこと考えもしなかったのに、だんだん、日に日に、怖くなってくるんだ……!」

 

 その言葉を聞いて、そして自分を抱き上げる手に強張りを感じて、響はようやく、提督が何を考えていたのかを知る。

 この島に流れ着いた青年が、自分たちの提督になると決意した理由を。

 そこには、確かに同情や憐憫や、あるいは正義感があったのかもしれない。

 しかし、そんなことが建前になってしまう程、提督は恐れていたのだ。

 自分の中にある空洞に、空っぽに、虚ろに、恐怖していたのだ。

 

「こうして、この島で生活するようになっても、昔を思い出すような兆候が何もなくてね。だから、みんなが居てくれて、本当に良かった。みんなと一緒に居る時だけ、触れ合って、話をしている時だけ、僕の中の空白が埋まるんだ」

 

 それに、と提督は続ける。

 

「響は言っていたよね。響たちが僕を利用しているとは考えなかったのかって。――逆だよ。僕の方が、みんなに依存しているんだ。偶然、僕には提督の素質があって、みんなを助けることが出来て良かったって……。そう考えている自分に腹が立ってくるし、嫌になってくる……!」

 

 それは何故かと、響は問う。

 

「……僕には記憶がない。何もない。そんな僕は今日、苦しむみんなを見て、羨ましいとさえ思ってしまったんだ。自分のものじゃない記憶と痛みに、泣き叫びたい思いを我慢しているみんなをね。最低だよ……」

「……違うね。司令官のその顔は、羨ましいって顔じゃないよ」

 

 虚空を見ていた提督の目が、腕の中の響を見る。

 そこに居たのは、先程までの余裕を失くした響ではない。

 提督がいつも接している響だ。

 

「その顔は、私たちのことを羨ましいって考えている顔じゃないよ。悔しいって顔だ。確かに、空っぽの司令官は、自分に何もない負い目から、苦しむ私たちの痛みを、少しでも肩代わりしてやりたいって考えているかもしれない。実際に、そう考えているのだろうね。でも、それ以上に悔しいって思っている。その顔は、その悔しさは、怒りだよ」

 

 怒り。

 響の言葉に提督は面食らってしまう。

 近くに鏡がないので、提督は今の自分の顔を見ることができない。

 だから、響の言葉が本当かどうかを確かめるすべはないし、そもそもどうして自分が怒っているのかもわからない。

 

「私たちが苦しい思いをして、戦うための準備をしていることへの怒りだよ。この環境、この境遇に置かれていることへの怒りだ。司令官は、私たちのために怒ってくれているんだよ」

 

 そう言われたところで、提督に実感はなかった。

 怒りの感情というものを知識の上では知っているが、この島に来てからその感情を抱いたのは初めてだろう。

 記憶をなくす前の自分は、怒り方すら簡単に忘れてしまう程の大馬鹿者だったのだろうかと考えると、途端に恥ずかしくなってくる。

 

 そんな提督の顔を見上げる響は、いつもより少し力の抜けた顔をして笑うのだ。

 

「司令官がこんなに強い感情を顔に出すところ、初めて見たよ」

「響が余裕を失くすところもね?」

 

 お互いにひた隠しにしていたものを晒してしまったり、余裕がないところを見せてしまって。

 提督は気恥ずかしさで居た堪れなくなるが、響の方はいろいろ吐き出せて満足だと言いたげな表情だった。

 未だに追体験した痛みが残留しているはずなのに、それを感じさせない笑顔を見せてくる。

 

「司令官、まだ隠していることはあるかい?」

「僕は空っぽだって言っただろう? 本心を隠しておけるほど器用じゃないし、自分の心に気付けるほど敏感じゃないよ」

「そうみたいだね。だったら、私たちを助けたいと思ってくれたことも、確かな本心なんだよ……!」

 

 そうして、響は何事かを呟いた。

 提督は、確かにその言葉を聞き取れはしたが、日本語ではないその言葉を意味を計りかねて表情を曇らせる。

 

「スパスィーバ。ありがとうって意味だよ」

 

 

 

 ○

 

 

 

 そうして、艤装の同期作業はその日の内にすべての工程を終了した。

 明日以降からは実際に艤装を装備して水面に立ち、動作試験等を行うのだという。

 

 姉妹たち4人を入渠ドックに運び終え、脱衣所で一息ついていた提督は、響に言われた言葉を思い出していた。

 自分の感情に折り合いがつかずにもやもやしたものが胸の中に溜まっている気がする。

 確かに今、自分は空っぽではないのだろう。

 しかし、このもやもやした感情と、どう向き合っていけばいいのか。

 記憶をなくす前の自分は、こんな時にどうしていたのだろう。

 何か趣味に没頭したり?

 誰かに話を聞いてもらったり?

 わからない。

 

 脱衣所の鏡に映る自分を見ても、当然鏡の向こうの提督は語りかけてくることはない。

 ただ、鏡の前の提督と一緒に、悩ましげな表情を浮かべるだけだった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。