孤島の六駆   作:安楽

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6話:昔話

 

 動作テストを終えた電は、体も乾かさず服も着替えず、ひとり待機場の更衣室に籠り、膝を抱えて俯いてしまっていた。

 

 意を決して水上に踏み出した電があっさりと沈んだ後、慌てて提督や暁たちが電を引き上げて事なきを得た。

 もしも、安全装置代わりでもあるアンカーを外して水上に出ていたとしたら、艤装の重さのせいでクレーンを使わなければ引き上げることもできなかっただろう。

 

 そんな危険な状況にあった電だが、引き上げられてすぐに動作テストを再開してほしいと願い出た。

 その申し出に、暁たちは渋い顔をする。

 出来れば今日は動作テストを切り上げ、日を改めようと考えていたのだ。

 しかし、どうしてもと食い下がる電に、提督が動作テスト再開の申し出を許可した。

 

 そうして電は再び水上に足を踏み入れようと試みた。

 しかし、どうしても足が水面に着かず、沈んでしまうのだ。

 幾度も調整を繰り返しやっとのことで水面に立つことは出来たが、今度は仮想スクリューが展開しないことが発覚する。

 出来るだけの手を尽くしたが、こればかりはどうにもならなかった。

 雷と同様に艤装のオーバーホールが必要という判定になったのだが、微力ながら推進力が生きている雷に対し、電は艦としての推進力を完全に失っていた。

 今の電が海上に出ても、人力で水上を滑る程度の速力しか出せない。

 雷以上の足手まといだ。

 

 そうして意気消沈した電は、暁たちの励ましの言葉も耳に入らず、待機場の更衣室に籠ってしまったのだ。

 

 

「……みんなは知っていたのかい? 電の艤装がもう駄目になってしまっていたって」

 

 提督が問うと、暁たちは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 やはり、知っていたのだ。

 

「電の艤装は、定期的なメンテナンスはしていたけれど、オーバーホールはずっと出来ていないらしいんだ。ずっと秘書官の仕事をしていたせいで先延ばしにしていたらしい。それに……」

 

 事情を話そうとする響だったが、途中で口ごもってしまう。

 その先は、雷が引き継いだ。

 

「それに、そんなところに敵機の集中砲火食らっちゃったのよ。私を助けるために……」

 

 まるで、自分のせいで電が戦えなくなったのだと言いたげな雷の様子に、提督は大まかな事情を察するに至った。

 電の艤装は長期に渡ってオーバーホールを行わず、そこに敵からの致命傷を受けて駄目になってしまった、ということだ。

 

 この鎮守府には艤装をオーバーホールする設備は存在しない。

 日本本土の海軍本部まで赴かなければ、ブラックボックスの修復が出来ないのだ。

 しかし、秘書官という立場上、電は長期間この鎮守府を離れることが出来なかった。

 いや、自ら進んでそうしなかったのではないかと、提督は推測している。

 

 さて。それよりも今は、こうして落ち込んでしまった電をどうするかだ。

 こればかりは暁たちも腕組みして唸らざるを得ない。

 

 

「だって、あんな風に落ち込む電を見るの、初めてだもの……」

 

 悔しそうに言う暁は、力任せに帽子の上から頭をかきむしる。

 「おやめよ」と響にその手を止められ、憮然とした顔になる暁は、話し合いの輪から外れてひとりでテーブルに座ってしまう。

 

「今までお互いに、こうならないように逃げて来たんだ。そりゃ、見たことないはずだよ」

 

 響の斬り込むような言葉に、暁の背中がびくりと震え、雷は申し訳なさそうな顔でため息を吐いた。

 10年間、お互いがお互いを守るために距離を保ってきた結果だ。

 それは決して悪い判断ではなかったが、これから先もそうだとは限らない。

 

 人と人との関係には、いずれ限界がくる。

 恒久的に良好な関係を保ったままでいられる者たちなどいない。 

 それは、艦娘でありながら、より人間に近付いてしまった暁たちとて同じだ。

 

 暁たちも理解している。

 そろそろ限界だということを。

 もう自分たちの関係に、変化をもたらさなければならないということを。

 

「思えばさ。4人になってから、喧嘩したことも一度や二度じゃなかったけれど……、取り返しがつかなくなるような致命的なのは、なかったものね?」

 

 雷が姉たちに問えば、響は頷き、背中を向けたままの暁は俯く角度を深くする。

 そういった事態になることを避けてきたからだと言えばその通りなのだが、改めて向き合ってみれば、なんとも言葉にし難いものがある。

 相手のストレスにならなように良い顔だけを見せてきたものが、今さら本気で衝突出来るのだろうか。

 

「ああ、もう! こんなんじゃ私たち、大人になったのか子供のままなのか、わっかんないじゃない!」

 

 苛立たしげな暁の言葉に、提督はそれは違うよと告げる。

 

「大人になったとか、子供になったとかじゃなくて、人になったんだよ。たぶん」

 

 艦娘3人からぽかんとした顔を向けられて、自分の言葉に自信を失う提督だったが、おそらく的を大きく外してはいないのではと、確信も得ている。

 彼女たちの日常のおよそ半分を占めていたのは、艦娘として深海棲艦との戦いだ。

 海上に出て敵と戦うことが存在意義だった彼女たちが、その戦いを取り上げられた結果、どうなったか。

 閉鎖された環境下でお互いを気遣って、10年ものあいだ生活を続けてきた。

 互いに壁をつくってまで、その生活環境を維持するということは、相当なストレスに耐えてきたということでもあるはずだ。

 

 提督はこの島に漂着するまでの記憶を失くしているが、彼女たちのような関係を保つことがいかに難しいか、それは理解できた。

 いくら仲の良い姉妹でも、例え血を分けた家族でも、修復不可能なまでに壊れてしまった関係は、二度と元には戻らない。

 自分たちがそうならないように、互いに気をつかって来たからこそ、彼女たちは今こうして、再び戦いに出る準備を始めることが出来たのだ。

 

「ちなみに、喧嘩したことは一度や二度じゃないって言っていたけれど、普段はどうやって仲直りしているんだい?」

 

 何気なく聞いた提督だったが、暁たちは言葉に詰まったように押し黙ってしまった。

 まさか、喧嘩したままなのかと早とちりする提督だったが、暁が慌てて違うと両手を振る。

 

「何というか、その……。大人の解決方法、と言うか……」

 

 いまいち要領を得ない言葉に提督は首を傾げるが、響と雷は何やら思いついたようで、互いに頷き合っている。

 

「じゃあ、その方法でいこうか。私たちは準備するから、司令官は電を励ましてあげて」

 

 そう言い残した響は、暁と雷を連れて出撃ドックから引き揚げてしまった。

 待機場に取り残されしまった提督は、響に言われた通り、電を励ますために、更衣室の扉へと向き直った。

 

 

 

 ○

 

 

 

 更衣室の扉をノックする。

 しばらく待っても、呼びかけても反応が無いので、一言断って更衣室に入る。

 電は更衣室の中で膝を抱えてじっとしていた。

 せめて頭だけでも拭けと雷に被せられたタオルがそのままで、提督には彼女の表情がうかがい知れない。

 

「となり、失礼するよ?」

 

 断りを入れて電のとなりに座るが、反応はない。

 更衣室内は今や空調の音しかせず、静かなものだ。

 提督は、ただ電のとなりに座るだけで、話しかけようとも触れようともしなかった。

 それであって、彼女の言葉や行動を待つわけでもない。

 ただ、電のとなりに座っただけだった。

 

 

「……司令官さんは、何も言わないのですね」

 

 どれほどの時間が経っただろう。

 静かな更衣室にようやく電の声が生まれる。

 

「なんて声を掛けていいか、わからないからね。それに、電は今、僕の言葉が欲しいわけじゃなさそうだ」

「それは、その……」

 

 何かを言い掛けて、電は口ごもってしまう。

 のど元まで上がって来た言葉を口にするべきではないとう風に。

 

「となりに座っていても大丈夫だったかな? 嫌じゃあない?」

「そんな、嫌なわけでは……」

 

 言い淀む電の言葉を、そのままにする。

 その先を促すようなことはしない。

 話したければ話してほしいと考えてのことだったが、果たしてその思いが伝わっているのかどうか、提督は不安になる。

 かと言って、電にその確認をするのは憚られた。

 余計な気遣いや押し付けがましい考えで、彼女を押しつぶしてしまわないだろうかと、臆病になっていたのだ。

 

 嫌だとも言われなかったが、本当はひとりきりにしてほしかったのかもしれない。

 そうだったとしたら、本当に迷惑なことをしてしまったと思う。

 無言で苦悩する提督の横顔を、電はタオルの陰から見ていた。

 

 

「……もしかして、響ちゃんに何か言われたのですか?」

 

 突然響の名前が出てきて、提督はびくりと肩を震わせた。

 その様子に、電はタオルで顔を隠したまま、おかしそうに笑うのだ。

 いつもの電の笑みと声だ。

 

 電は頭に乗っていたタオルで頭を拭き、それを首にかけて、ようやく提督を見た。

 その目はいつもの電のようでいて、しかし提督の知らない人物のようでもあった。

 

「司令官さんは、私たちのことを理解してくれようとしているのですね?」

「余計なお世話だったかな?」

「そ、そんなことはないのですよ!? とっても嬉しいのです! ……でも、私たちは艦娘だから、司令官さんに余計な心配を掛けたくないとも思ってしまうのです。でも……」

 

 そうして再び口ごもる電は、今度はしっかりと、考えを、思いを言葉にする。

 

「電は、甘えちゃいそうで怖いのです。私たちのことを理解しようと、受け入れようしてくれる司令官さんに、どこまでも甘えちゃいそうで……」

 

 自制が利かなくなるからと、電は多くを話すべきかどうかを迷っていたのだと言う。

 艦娘の本分を忘れ、蔑ろにして、自分自身を駄目にしてしまうからと。

 

「僕が、もしもの時は止めてほしいって言ったから、余計に頼れなくなってしまったのかな?」

「いいえ、それは、そう言ってもらえたことは、素直に嬉しかったのです。司令官さんに頼ってもらえて、電は嬉しかったのですよ? でも、私も、暁ちゃんたちも、誰かを過度に頼るなんてことを、しなくなっていたので……」

 

 困ったように笑う電に、提督はどうしたものかと、自らも困った顔になってしまう。

 頼れとも言えず、無理をするなとも言えず、かと言って「提督として」などと息巻いて何かを言えば、それは電にとって無理をさせてしまうのではないかとも、考えてしまうのだ。

 

 しかし、そう考えていること自体が、電たちがこの10年間で積み上げてしまった遠慮の壁なのだろうなと、気付く。

 だから提督は、今まで考えていたことを、一度すべて脇に置いた。

 

「電、悩みがあるなら話して。これは提督からの……、お、お願いだよ?」

 

 命令、とまで強くは言えなかった。

 “お願い”という言葉で、ずるく逃げるのが精いっぱいだったのだ。

 

 “お願い”された電はと言えば、目を丸くして「ええええ!?」とびっくり仰天。

 ここまでの流れで、どうしてその結論に至ったというのか。

 提督自身そう考えて頭を抱えたくなるが、電はおかしそうに笑う。

 

「お願いするのが雷ちゃんだったら、大喜びで失神しちゃうところだったのです」

「それは……、大変だね。注意しないと……」

 

 その光景が容易に想像できるのが如何なものかと思うが、いずれ彼女にも同じことを言うかもしれない。

 今から覚悟しておかねばと提督は思うのだ。

 

 

「じゃあ、ちょっとだけ、お話を聞いてほしいのです。あんまり話し過ぎちゃうと、甘えて沼にはまったみたいに抜け出せなくなってしまうから、ちょっとだけ。電の艤装のお話と、この鎮守府のお話」

 

 はあ、と息を吐いた電は、遠い目をして提督の近くにすり寄っていった。

 ぴたりと肩をくっつけたのは、少しだけ甘える覚悟が出来たからだろうか。

 

 

「私の、電の艤装は、10年前に解体が決まっていたのです。“この駆逐艦・電”は、建造から今年で30年目。艦娘で言うと、もうおばあちゃんみたいなものなのです」

 

 さらりとした口調で、特に意を決した風もなく自然に、電は提督に告げた。

 10年間、誰にも話せなかったことを、ゆっくりと話し始めた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 電が建造されたのは30年前。

 この孤島ではなく、大阪にある海軍の施設だ。

 彼女は最初期の建造ドックから産み落とされたプロトタイプなのだという。

 正式配属先は横須賀鎮守府、その後は各地の鎮守府を転々として、この孤島の鎮守府にやって来たのは20年も前なのだという。

 

「ここには、左遷みたいな感じで配属されたのです。私は、“電”の意志は、沈んだ敵も助けたいと考えている甘ちゃんだったので、海域奪還に躍起になっていた当時の司令官さんたちからは、ちょっと煙たがられていたのです」

 

 こんな辺境と言っても差し支えないような場所に配属となったことも、まあ仕方ないなと、電は考えていたのだそうだ。

 艦としての電の魂の声と、人としての電の想いがぴたりと一致してつくりだされた艦娘・電は、艤装の扱いならば最初期に戦線投入された艦娘の中では、誰にも負けなかったのだという。

 どれくらいの実力だったのかと提督が聞けば、「単艦で敵の戦艦級を複数沈めることが出来た」のだと言う。

 いまいちイメージ出来ない提督ではあったが、ひとまず凄かったのだろうことはニュアンスで伝わって来た。

 

 そんな圧倒的な戦力を誇るにも関わらず、電は敵を沈めることを良しとしなかった。

 なるべくなら、戦いたくない。

 沈んだ敵も救いたい。

 艦と人と、両方の電がそう考えていたのだ。

 

 平和を愛し、なるべくならば敵でも救いたいと願う艦娘の存在はしかし、戦力としての艦娘を欲する最前線の提督にはお荷物以外の何物でもなかったのだ。

 そうして各地の鎮守府をたらい回しにされて、最後に配属となったこの島は、鎮守府がやっと立ち上げられたばかりの最前線補給基地だった。

 

「亡くなったこの島の司令官さんは、電の考えを尊重してくれて、なるべく出撃させないようにって、気を使ってくれていたのです。その代わり、事務仕事やお掃除や、お料理なんかも、いろいろやりました。もちろん、遠征も建造のお手伝いも。……あまり公に出来ない、研究のお手伝いも。出撃して深海棲艦と戦う以外は、なんでもやらせてもらったのです」

 

 そうして、この鎮守府で提督の秘書官として活動することになった電は、今までの重苦しい悩みから解放されたのだと言う。

 1日ごとに新しい体験があった。

 他の鎮守府から艦娘が配属(電同様左遷が多かった)されて来たり、新しい機材が入ったり、補給に来た艦娘や人間たちとの出会いも、姉妹艦との出会いもこの島だった。

 

 姉妹艦や他の艦娘たちの面倒を見る日々は幸福なものだったと電は語るが、その表情はちっとも嬉しそうではない。

 ここまでの話を聞いて、提督は何となくではあるが、その理由に辿り着いていた。

 提督自身が感じていることで、これからより一層自覚しなければならないことだったからだ。

 

 

「ここでの日々が幸せだと思う度に、自分だけ戦わないことが申し訳なくて、素直に幸せだと思えなくなっていたのです。だから、電も段々、また戦いに出るようになっていったのです」

 

 再び戦場に立った電は烈火のような活躍を見せたが、同時に自分の力が衰えていることも悟っていたのだという。

 先に響が話した通り、それまで定期的にメンテナンスは行っていた電の艤装だが、出撃を控え事務仕事優先であったことや予算の関係もあり、大掛かりなオーバーホールは見送っていた。

 細やかなメンテナンスを続けてきたものの、ブラックボックスに致命的な損傷があることには、ついに気付けなかったのだ。

 損傷が発覚した時にはもう手遅れで、戦えば戦うほど艤装の操作性は落ちて行くだろうと診断され、近いうちに艤装の解体が行われることが決まった。

 

 艤装の解体、それは艦娘としての寿命を意味する。

 人の体と艦の魂とを完全に切り離し、深海棲艦と戦う力を二度と失うことだ。

 と言っても、電は艤装を解体してもこの島の鎮守府に残り、今まで通り事務処理を担当することが決まっていたそうだ。

 長年この鎮守府で寝起きし、様々な部署の立ち上げに関わってきているので、他の誰よりも内情を良く知っていたのだ。

 

 だが、電の艤装はすぐに解体されることはなく、継続して戦場に出る日々が続いた。

 その時期がちょうど、この孤島近辺の海域が徐々に深海棲艦の領域と化して来ていて、前の提督が病に伏せっていた頃でもあったからだ。

 日に日に動作が鈍くなる艤装を振るって戦う電だったが、徐々に成果を上げられなくなっていった。

 

 そして、前の提督が亡くなってしまう。

 その訃報を本部に伝え、電は返答を待たずに出撃ドックに立った。

 生き残ったこの島の人員を外海に退避させるための護衛と、囮となって時間を稼ぐための部隊が必要だったのだ。

 電は囮部隊の一隻として、出撃するつもりだった。

 後任の提督代理はすでに見つけていたので、その者に後を任せて。

 おそらく最後の出撃になる。

 そう覚悟して艤装を装着した電は、先ほどのように水上に立つことが出来ず、沈んでしまったのだ。

 

 

「……一番大事な時に、電の艤装は動かなくなったのです。この時、暁ちゃんは重症を負って入渠ドックに入ったばかり。響ちゃんはオーバーホールを終えた艤装の再調整中。雷ちゃんは脱出艇の護衛役で出撃していたのです。電と一緒に出撃するはずだったみんなは、先に出撃して行って……」

 

 そして、二度と戻ることはなかった。

 

 やがて、出撃した部隊の全滅を知らせるかのように敵機の空襲があり、鎮守府は焼き払われた。

 脱出艇に乗らず最後まで正気を保ってこの島に残っていた人間たちも、その時命を落としたのだ。

 電が後任代理を任せた提督代理も助からない重傷を負っていて、電に海軍本部からの「待機命令」を告げると、そのまま意識を失い、後日息を引き取った。

 

 そうして、この島には艦娘の4隻が残された。

 唯一島の外に脱出できたはずの雷は、脱出艇が安全圏まで逃げ延びたのを見届けると、護衛に着いていた他の艦娘たちの制止を振り切って、島に戻ってきてしまったのだ。

 雷の戻ってきたタイミングは最悪だった。

 敵の空襲の真っただ中だったのだ。

 駆逐艦一隻では応戦できるはずもなく、雷の艤装は深刻なダメージを受け、提督が動作テストで見た通り、安定性と速力を失っていたのだ。

 

「雷ちゃんが防空特化の改装を望んだのは、電のせいなのです。私がその時、雷ちゃんを助けようとして、無理な改装をして海上に出たから……」

 

 雷が防空特化の改装を願ったのは、10年前に電がそうしたからだと言う。

 今日の動作テストのように、沈む体を何とか水面に立たせるまでに調整した電は、雷に提案したような防空改装を行い、単艦で空襲の雨の中へ飛び込んで行ったのだ。

 そうして雷を救助して鎮守府へ帰還したのだと電は言うが、提督はそれだけではないと察していた。

 ただ防空仕様の改装を行って雷を助け出しただけならば、雷自身があそこまで改装に拘る理由が弱い。

 

 提督は、この鎮守府の状態を思い出す。

 ところどころ破壊されているにしては、やけに無事な部分が残っているなと、今にして思うのだ。

 無数の敵機が爆撃したのならば、跡形もの残らなず更地にされていてもおかしくはない。

 それが、跡形が残っているどころか、まだ人が住める状態なのはどういうことか。

 

 きっと、電は戦えてしまったのだ。

 20年にも及ぶ期間に戦場で培った技術と経験が、無理な改装を押して出撃したにも関わらず、敵機を圧倒してしまったのだ。

 

 

 

「……そして、それから10年経って。なんとなくみんな諦めかけてきたところに、司令官さんが流れ着いたのです。提督になる素質を持ちながら、おそらく誰よりも提督に向いていない、お兄さんが……」

 

 提督は電の言葉に背筋が凍るような感触を覚えた。

 思わず覗き込んだ電の瞳は、まるで海の底のように深く、すべてを呑み込まんばかりの優しさを湛えていた。

 見透かされている。

 提督が抱えている焦りや臆病さが、まだ響にしか打ち明けていないはずの内心が、この艦娘には見通されているのだ。

 

 慄く提督に、電は「だって……」と困ったように笑って見せる。

 

「司令官さん、電と似ているのです。考えていることがわかってしまうのですよ。それに、これからもっと、電とおんなじことで苦しい思いをするって、わかってしまうのです……」

 

 それはきっと、艦娘を戦わせておいて、自分は戦況を見守るしかできないという苦しさだ。

 提督自身、これから先、幾度もそういった場面で歯がゆく苦しい思いをするだろうことは予測していた。

 電はその痛みを知っている。

 秘書官として長年、様々な提督に寄り添ってきた経験と。

 自らが戦えなくなったことで初めて得た失望と。

 これから提督が得ることになる痛みを、誰よりも知っているのだ。

 

 提督は電を見て思う。

 この艦娘の痛みは背負えないと。

 同じ痛みを知っていて、しかし互いの傷の舐め合いなど、出来ようはずがない。

 この艦娘は、戦う者の痛みと、戦えない者の苦悩、その両方を知っている。

 提督がしたり顔で「キミの気持ちは良くわかるよ」などと、口が裂けても言えるはずがない。

 

 

「はあ……。司令官さんにお話を聞いてもらって、ちょっと心が楽になったのです。ありがとうなのです」

 

 いつもの電に戻ってそう礼を言われるが、提督は心から「どういたしまして」と頷けなくなっていた。

 そんな提督に、電はさらに笑みを深くして言うのだ。

 

「心が楽になったのは、本当なのですよ? ……自分の足で立つようになって、誰かに寄り掛かることをしなくなると、なかなか元には戻り辛くなるのです。私は、暁ちゃんみたいに真っ直ぐじゃないし、響ちゃんみたいに器用じゃない、雷ちゃんみたいに我慢強くないから……」

 

 だから、こうして提督に弱い部分を見せることが出来たのが、本当に救いになったのだと……。

 

 提督は考える。

 自分の中にある不安や焦りは、先程の悩みと一緒に横に置くことにした。

 向き合わなければならないものだと自覚してはいるが、今だけは彼女のことを考えよう。

 提督として、記憶のない青年として、電にしてやれることはないか。

 答えはひとつだけだった。

 今そうしているように、彼女の話を聞いてやること。

 それしか、出来ることがなかった。

 不甲斐ない自分の情けなさを恥じる思いはあるが、そんな自虐、自己満足の感情は不要だ。

 

「話してくれてありがとう、電」

 

 告げることが出来たのは、それだけだった。

 こう告げることしか出来ない。

 少なくとも、今は。

 

 これから先、もっと辛いことが待ち受けているかもしれない。

 その時、彼女の話を聞いてやれる誰かが必要だ。

 もしかしたら、電が内に秘めていたものすべてを、暁たちに打ち明ける日が来るかもしれない。

 それは明日かもしれないし、永遠に来ないかもしれない。

 だがそれまでは、提督がこの艦娘の寄り掛かれる場所になるのだ。

 もう二度と、ひとりで泣かなくてもいいように。

 

 

「司令官さん、電の支えになる、なんて考えていませんか?」

 

 あっさりと考えを読まれ、提督は観念したように「そうだよ」と告げた。

 

「余計なお世話、というわけでは全然ないのですが……。それでも、ひとりで泣きたい時だってあるのですよ? 誰にでも必要なことなのです。でも、今は……」

「今は?」

「こうして、ぴったりくっつきたい心境でした」

 

 肩と肩が触れ合っている状態から、電はさらにすり寄ってくる。

 

「それに、逆なのですよ? 司令官さんが電を支えるんじゃなくて、これからは電が司令官さんを支えていくのです! 出撃できない以上、専属秘書官決定ですからね。司令官さんだって、記憶が戻らなかったり、司令官さんやったりで、これからたくさん辛いことがあるはずですから……」

 

 これからたくさん辛いことがあるはずだから。

 電の言葉を聞いて、提督はなんとなくだが、これからのあり方を見つけた気がした。

 これから起こる辛いことを相殺して、プラスに出来るくらいの幸福を。

 難しいことだが、唯一自分にも取り掛かれそうなことだ。

 具体的な方法などすぐには思いつかないが、心構えはそうして行こう。

 

 電を励ますつもりが、逆に元気付けられる形になってしまいため息を出んばかりの提督だったが、これはこれで良いのかもしれないと自分を納得させる。

 傍に寄り添う電の安心しきった顔を見ていると、そう思うのだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 更衣室のドアを開けて響が入ってきた。

 暁と雷もいる。

 提督の肩にぴったりとくっついていた電が慌てて離れるのを、姉たちはどこかホッとした様子で見ていた。

 どうやら提督がうまくやったのだな、という顔をしているが、提督としてはそれを訂正する気はない。

 それよりも気になるところがあったのだ。

 響たちがそれぞれ手にしているもの。

 提督の疑問の視線のなか、響は手に持っていたものを掲げてこう言うのだ。

 

「それじゃあ、呑もうか?」

 

 響たちは各々、手に酒瓶を握っていた。

 なるほど、確かに大人の解決方法だ。

 提督は頷きかけて、「いや待て」と二度見した。

 

 

 


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