入渠ドックに運ばれたまるゆは、その後医務室に移動して、雷の検査を受けつつ一晩を過ごすことになった。
諸々検査した結果、まるゆの体にはこれといった異常は見られず、一晩は医務室にて安静にするという運びになり、再びみんなと対面することになるのは翌朝のことだった。
彼女の晴れ姿を待ちきれなかった提督や暁たちが代わる代わる見舞いに訪れる中、雷が医務室前に仁王立ちしてそれらを追い払うという場面もあったが、扉の向こうのまるゆは元気そうに手を振っていた。
そうして翌朝、改めて提督たちの前に現れたまるゆの姿は、六駆の面々と同じ制服を身に纏っていた。
まるゆの元の艤装というか制服は白い水着であり、戦艦級の肉体を持つ今の彼女にはどうやっても着ることが出来なくなっていたのだ。
制服は電が自分たち用に丈を直していたものがちょうど良く体にフィットしたのだが、どうしても胸元だけはきつかったようだ。
スカーフを外して襟元を緩めても、胸元の布地が張ってしまうのは避けられなかったのだ。
その着こなしに、暁などは握った拳をわなわなと震わせ「……何!? 何よあのおっぱいバルジ!! 絶対おかしいわ!?」と憤慨し、首を傾げる提督に半ば八つ当たりのように泣き付いて来た。
どうやら、まるゆの肉体と自分の肉体とを比較して、惨めになってしまったのだとは電談。
提督と電が一緒に宥めて落ち着かせるのにしばらくかかった。
当のまるゆはといえば、服装のことにはあまり頓着せず、ずっと食べたいと所望していたカレーライス(ひと晩寝かせてあるのだ)に出会えてご満悦の様子だ。
そうして朝食を摂りながら、潜水艦・まるゆの現状について雷から説明がなされるはずだったのだが、その雷が使い物になる状態ではなかった。
大きな体ながら挙動が若干幼い新入りに対して保護欲が刺激されたのか、過剰にお節介を焼く……、というよりは、全力で甘やかし始めたのだ。
事あるごとに「カレーどう? 辛くない?」「お水いる?」「ほら、口元。拭いてあげるね」「お代わりたくさんあるからね!?」などと休む間もなく話しかけ続け、暁はじめ姉妹たちから優しい目で眺められていた。
これだけべったりと構われていては、まるゆもさぞ食べづらいのではないだろうか。
提督も最初はそう思っていたのだが、まるゆは雷が構ってくるのを適当に躱し、しかしぞんざいにならない程度に相手し、しっかり自分の食事に集中している。
上手くやるものだと暁たちが頷き合っているのだから、まるゆの手腕(?)も相当なものなのだろう。
しかし、雷ではなくとも、まるゆの幸せそうな表情を見れば、自然と口元が緩んでしまう。
自らもカレーライスに舌鼓を打ちつつ新入りの様子を眺めていた提督は、ふと別のことに興味が立った。
「そう言えば、カレーライスの材料はしっかり揃っているんだね?」
「ん?」と反応を見せたのは暁だ。
大口を開けてスプーンをくわえたところだったようで、提督に説明しなければと急いでもごもごしているが、言葉を返すのは響の方が早かった。
「人参やジャガイモのことかな? そうだね。根菜の類は常温でも日持ちするから、なるべく後回しにされるんだよ。足の速い食品の方が、どうしても優先的に食卓に並ぶことになるね。まあカレーに関して言えば、この鎮守府では毎週金曜日に。それ以外の時は、祝い事の時にこうして振る舞われるかな」
響は暁は違い、スプーンの先ですくえる程の少量を口に運ぶようにして食べている。
話しかけられた時にすぐに反応できるようにだろうと、提督は察する。
しかし、いつもはもぐもぐと口を動かしながら目で語る響がそのスタイルを崩すということは、これはもしや新手の暁弄りだろうかと、提督は勘ぐってしまう。
響が得意げな表情をしているので、おそらくはあたりだ。
さらさらと解説を続ける響に聞き入りつつも、その向こうの暁が恨めしそうにスプーンくわえて見ているのが心臓に悪い。
どこかのタイミングで彼女に水を向けねばと冷や汗をかくが、響がそれをわかっていて解説を続けているので、いかんともしがたい。
暁がこうまで不機嫌になるのは、漂着物関連は自分の担当だというアピールだろうか。
そろそろ暁が涙目になろうかというタイミングで、響はようやく話のバトンを姉に手渡した。
椅子を譲られて釈然としないといった風ではあるが、暁は咳払いして、話を捕捉する。
「……この島に流れてくるコンテナの多くは食料品で、海外から日本へ向けてのものよ。当然、内容も日本人向けの品種や味付けのものになるの。カレーなんてその最たるものだし、もちろん材料も一通りそろっているわね。そもそも、日本風のカレーライスって海外でも結構評判良いのよ? だけどまあ、さすがにルーやお米まで日本の国産、ってわけにはいかないけれどね?」
「じゃあ、これは?」
「そこは、うちの鎮守府の台所担当の電の出番ね。日本産のカレールーが手に入らない場合は、保存している調味料や香辛料をブレンドしてルーを自作するのよ? 今回のお米はタイ米だけどね?」
それは凄いなと電を見る提督だったが、当の台所担当は水をがぶ飲みしているところだった。
響曰く、辛いものがダメなのだとか。
それでよく調理できたものだなと苦笑いしつつ、提督は皿に残ったルーを、スプーンですくう。
この島で目覚めて、食卓にカレーライスが並んだ回数は片手で数えられるほどではあるが、それでも提督は、記憶を失う前の自分がこの食べ物に対してどうあったかということに思い至っている。
食べ始めは皿の手前側、ルーとライスの境界から。
ライスの山を徐々にルーに浸して行くようにして食べ進めて。
カツなどの大き目な具がある時は、全体の分量と均一になる様に。
そして最後は、ルーがスプーンひとすくい分ほど余る。
意識的にその流れに逆らってみようとすると違和を感じたので、おそらくはこの食べ方が体に染みついたクセなのだろうと提督は考える。
カレーライスの味は覚えていなかったものの、その食べ方はこうしてクセとして体に残っていたのだ。
しかし、そう言いったことがわかったとしても、提督は記憶を失う前の自分を思い出すことはなかった。
習慣やクセから、以前の自分に思い至ることが出来ない。
体に染みついた習慣が、記憶に、思い出に繋がってくれないのだ。
まるで思い出だけがきれいに切り離されてしまったかのような喪失感を覚えるが、提督は寂しさのようなものを感じつつも、今はそれでいいということにしておきたい。
以前、雷が話していたように、記憶を取り戻したことに対する精神の振れが、提督の適正に影響してくるかもしれない。
提督は、これ以上喪失前の自分に思いを馳せないようにと、食卓に着く少女たちのことに考えを向けるように努める。
クセや習慣が体に残っていることはそれとして、自分が今は提督であるという部分を疎かにしないようにしなければならない。
自らの過去も重要なことだとわかってはいるが、それよりも重要なのは今であり、そしてその先だ。
「おかわりは、いかがなのです?」
席から立ちあがった電がお盆を差し出しつつそんなことを問うてきて、提督はふと、おかわりを頼もうかどうかと腹具合を確認する。
暁やまるゆが元気よく皿を差し出すの横目に見ながら、提督は自らの皿もそっと盆の上に置いた。
さて、それはともかくとして、まるゆの今後の処遇についてだ。
建造されたばかりのまるゆは艦娘としての練度はないに等しく、さらには彼女の本来の艤装もおそらくは適合しないであろうことが予想されるため、日を改めて伊号潜水艦用の艤装の同期テストを行うという運びとなった。
もちろん、開発資材奪取作戦には不参加だ。
本人にそれを告げたところ、了承はしたものの、若干不満げではあった。
まるゆ自身、己の出自が特殊なものであると理解していて、そのせいだろうか、本来のスペック以上の活躍が出来るのではないかと、ひそかに闘志を燃やしているようなのだ。
従来の三式潜航輸送艇の姿から大きく逸脱しているため、もしかすると伊号潜水艦に匹敵するスペックを有しているのではないかというのが、響や雷の予想だった。
そのうち嫌でも出撃することになるのだと響が脅かすように言うのを、まるゆは「どんと来い!」とばかりに胸を叩いて得意げになって見せた。
とはいえ、しばらくはこの鎮守府での生活に慣れるために、人として、そして艦娘として暮らすことになる。
検査の結果異常が見られなかったとはいえ、これから先もそうだとは限らない。
生活リズムの確立と、定期的な経過観察の後、それでも問題なければ、改めて艤装の動作テストに移るといった流れだ。
そして、まるゆ救出のために一時中断していた開発資材奪取作戦が、いよいよ再開されることになる。
組み立てを終えた3号ドックの動作は問題はなく、開発資材さえ入手できればいつでも艦娘を建造可能だという判断が、工廠の妖精たちから下されたのだ。
○
「開発資材奪取のための出撃は、夜間。遠洋に進出するわ?」
朝食後。
もはや恒例だとばかりに、提督の執務室にテーブルや椅子を持ち込んで作戦会議が行われた。
議長は此度も暁で、ホワイトボードにマーカーで“夜戦!”と大きく書きつつ、そう宣言したのだ。
腕組みしてマーカーを揺らしながら語る暁を、他の面々はお茶を片手に聞いている。
まるゆが作戦会議初参加ということで緊張しているのではないかと思われたが、隣の雷が親馬鹿丸出しの状態なので、それもだいぶ緩和されているようだ。
まるで母子のようなくっ付きようだが、みんなは早くも慣れてしまったようで、苦笑いするだけだ。
「作戦決行日は日没と同時に、暁、響、両名が出撃。高速巡航形態にて遠洋へ進出して、海域を周回していると思われる敵艦隊を叩くわ……!」
深海棲艦という存在は、ある習性を持っている。
複数の艦同士が1箇所に集まると、上位の個体に従うようにして群れを成す。艦隊を編成するのだ。
たとえば、駆逐級と軽巡級が集まった場合は軽巡級を旗艦として艦隊行動を執り、そこに重巡級が加われば重巡級が旗艦として軽巡級・駆逐級を従える、といった具合だ。
艦の数は多くても6、7隻程だというのが通説であり、それ以上の数になると艦隊をもうひとつ編成して別行動を執るのだという。
そして、艦隊を編成した深海棲艦は、ある一定のルートを幾度も行き来するという習性をも持つ。
この島の遠洋も敵艦隊の周回ルートだったらしいのだが、それはもう10年も前の話だ。
深海棲艦側の支配海域拡大に際して補給路がまず断たれ、近海にまで侵入を許したものの、鎮守府が機能を停止してすぐに艦隊は引き揚げてしまい、それ以来、肉眼で確認できる距離に敵艦が現れたことはないのだという。
「……行動パターンの完全な予測は出来ないけれど、おそらくはまだ、この島の遠洋を周回している艦隊が居るはずだよ。根拠を挙げられないのが、苦しいところだけれど……」
響は苦しげに息を吐きながら言う。
表情や言い回しが芳しくないのは、明確な根拠を上げることが出来ないからだろう。
出撃の許可が下りず、この島の近海ですら偵察出来ていなかったとなれば、データが揃わないのも仕方のないことだと提督は考える。
「そういう事情もあるから、資材奪取の前にもうひと工程加えることになるかもね。敵艦隊の周回ルートを割り出すために複数回出撃するの。もちろん、出撃は夜間限定よ?」
はっきりとした口調で告げる暁に、提督はふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そこまで、夜間の出撃を推す理由は?」
「もちろん、そっちの方が目があるからよ? 生存率の問題、かしら? ……というより、陽の出ている環境下に駆逐艦が2隻いたところで、敵艦との力の差は目に見えているわ?」
暁は、悔しさをにじませるように顔を俯かせる。
「……私たち駆逐艦は、はっきり言って貧弱よ。最大のウリは燃費と速力だけれど、ただそれだけ。火力に乏しく、雷撃能力もそこそこ。装甲だって、あってないようなものだし。それに、防空駆逐艦でもない私たちじゃあ、敵に航空戦力があった場合、むざむざ死に行くようなものだもの」
自らを虐するような語り口のなか、「でもね?」と鋭く一言を加える。
「でも、夜戦なら、私たちにも勝ちの目が出て来る……!」
「その通りさ。夜戦でならば、例え相手が戦艦であっても落としてみせるよ」
暁の言を引き継いで、響が力強い語調で宣言する。
ふたりの話を聞いた提督は、しばし考え込むように手を組み顔を伏せた。
昼の海戦では、敵の航空戦力に対して無力に等しく、そして暁たちも力を発揮できない。
夜戦ならば、装甲以外の弱点をカバーすることが出来て、かつ戦艦相手にも後れを取らない。
これだけを聞けば、確かに目がある夜戦で挑みたいという気持ちは、提督にも理解できる。
しかし、提督はそれでも煮え切らないような唸りを零すだけだ。
「……不満なら、まだまだ夜間出撃が有効である根拠を並べることはできるよ?」
怪訝そうに眉をひそめた響がそう言うのを、提督は「いや」と手を挙げて制す。
「どうも、提督としての考え方が甘いみたいなんだ、僕は……」
歯切れ悪く提督が言うのを聞いて、暁たちは首を傾げる。
提督の考えならば大よそ察する電でさえ、この時ばかりはみんなと同様に首を傾げ、この青年の心中を察することが出来ずに微かな不安を抱いていた。
「いや、そのね……。女の子たちだけで、夜に出歩かせるのは、どうなのかなって。思って……」
言って、提督は俯いてしまった。
暁たちは、大爆笑だ。
あまりに見当違いな意見に、響までもが腹を抱えて苦しそうに笑っている。
居た堪れない気持ちになった提督はといえば、机の横に置いていた帽子を目深に被り、机に突っ伏す勢いでうつむいてしまった。
「た、確かにね……! 内地の、普通の女の子だったら、それでいいと思うけれど……! まさか、艦娘にそんなそんなこと言う人……! あ、ダメだ……」
提督に何か言おうとしていた暁は、もはや立っていられなくなったのか、お腹を抱えている響のところの突撃してふたり一緒に肩を震わせ始めた。
「司令官さん……。さすがにそれは、ちょっと……」
何となく秘書官っぽいという理由で提督のデスクの近くに控えていた電は、口元に手を当てて必死に笑いを堪えていたが、しゃべろうとすると時折「ぷひゅい」と笑いが漏れそうになり、ついには背中を向けてしゃがみ込んでしまう。
「もう、司令官ったら。まるで年頃の娘を心配するお父さんみたいよ?」
「ええ!?」
いち早く笑いが収まった雷に指摘されて、提督は内臓にダメージを受けたかのような呻きを上げて、脂汗をかき始めた。
あまりにも的外れなことを口にしてしまったせいで、暁たちに失望されてしまったのではないかと焦りを帯びたのだ。
だが、その考えこそが的外れであったようだ。
響が、笑いが収まりかけた暁の脇の下をくすぐってブーストかけながら、ため息交じりに告げる。
「やっぱり、司令官は軍属の人じゃなかったみたいだね。いくら記憶喪失と言っても、艦娘をそう言う目で見る提督は、どの鎮守府を探してもさすがに居ないさ」
恥じ入って真っ赤になってしまった提督に、響は加えてこうも告げる。
「冷たい水底に比べたら、夜の暗闇は暖かく希望に満ちているよ。艦娘は誰もがそれを知っているのさ。だから、私たちは夜を恐れはしても、立ち止まりはしない……」
そう言われてしまえば、提督は夜間出撃に納得せざるを得ない。
誰であろう、艦娘自身の口から発せられた言葉だ。
これ以上に説得力に富んでいるものなどない。
それはそうと、艦娘たちの爆笑は一時は収まったものの、暁が改めて語り出そうとした時に電のスイッチが入ってが再び笑い転げてしまい、それが連鎖。
向こう10分ほどは笑いの時間となってしまった。
艦娘たちの腹痛が収まるまで、提督は帽子を目深に被り、ひたすら耐え続けていた。
○
「さて、司令官に心配してもらったところに水を差すようで悪いけれど……。出撃するうえでもうひとつ、最大の懸念がある」
爆笑の時間が終わり、緊張感のある雰囲気が取り戻された頃。
響は起伏の少ない声で告げて、執務室に集ったみんなを見渡した。
「“ルサールカ”が、ひそんでいる……」
初めて聞く固有名詞、おそらくは名前に、提督とまるゆは揃って首を傾げる。
しかし、暁たちの表情は、提督が今まで見たこともないような厳しいものに変わった。
「敵の潜水艦だよ。“ルサールカ”という名前は私が付けた。級種は不明、誰もその姿を視認したことがないからね。もしかすると、姫級や鬼級といったカテゴリに属するのかもしれない」
姫級や鬼級と呼ばれるのは、深海棲艦の中でも最も強力されている級種だ。
艦娘としてはこの中で最も長い時間を稼働している電ですら、今に至るまでに片手で数えられるほどしか目撃・交戦の機会はなかったとされている程に稀な存在なのだ。
もしも件の姫・鬼級であった場合、潜水棲姫、もしくは潜水棲鬼と名付けられるのだろうと電が告げるのを、他の六駆の面々は「考えたくない」とばかりに首を横に振る。
「“ルサールカ”は10年前当時、たった1隻でこちらの補給路をズタズタに引き裂いたんだ。それに、多くの仲間がこの敵潜水艦に沈められている。仇なんだよ……」
その仇が、この海域にひそんでいるのだと響はいう。
鎮守府が機能停止して10年も経っているというのに、かの敵潜水艦は、まだこの近海にひそんでいるのだと断定するのだ。
「何故そう言いきれるかって顔だね? わかるんだよ、司令官。10年前当時を知る私たちだからこそわかる。あの執拗さは、相手が深海棲艦であるということを差し置いても、異常だよ」
単艦にて通商航路を破壊した“ルサールカ”は、その後もこの島の近海に潜み、数多の艦娘たちを狙い続けた。
対潜装備にて身を固めた軽巡・駆逐級が輸送船の護衛に付くも、常に攻撃の機会を伺い、雷撃の有効射程を保持し続けていたのだという。
この六駆の中では響が、直接その“ルサールカ”と一戦交えている。
孤立した洋上での一対一だったそうだ。
「……丸1日以上、海の上と下とで互いの動向を探り合っていたよ。向こうは生態艤装の魚雷が尽きても時間を置けば回復してしまうけれど、こっちは弾切れになったらそれまでだ。こちらの爆雷が尽きたと思わせないように、かつ、向こうの残弾が尽きるタイミングを読んで、なんとかその場は脱することが出来たんだ」
けれどと、響は続けて、帽子を目深に被り直す。
「生きた心地がしなかったよ。何が何でもこちらを沈めてやるって執念が、海面を貫いて体に突き刺さってくるようだった……」
“ルサールカ”の語源は、スラブ神話に登場する水の精だ。
川や沼に潜み、人を水底に引きずり込むことから、響はかの潜水級をそう名づけたのだ。
「“ルサールカ”はこの島にまだ私たちがいることを知っている。だから、出撃すれば、必ず追ってくるはずさ」
「もしかしたら、司令官さんの乗っていた船を襲ったのも、この“ルサールカ”かもしれないのです……」
電の言に、提督は確かにそうかもしれないと息を詰める。
もしかすると、その“ルサールカ”が自分の大切な人の命を奪っているのかもしれない。
そう考えると、提督の心中には黒い靄がかかったかのような気持ち悪さが立ち込めてくる。
失われた記憶に思いを馳せてしまいそうになるのを抑え、提督は響たちの話に耳を傾ける。
「唯一幸いなのは、“ルサールカ”の速力はそれほどでもないということさ。駆逐艦の高速巡航形態なら、振り切ることは容易だ。けれど、振り切るだけではダメだ。いつかこの島を出ようとする時、“ルサールカ”が健在ならば、確実にこちらに危害を加えてくる。それこそ、その身と引き換えにしてでも……」
「航路を確保するためには、いずれは戦わなきゃならない相手よね? 出撃時、対潜装備の調整は万全にしておかないとね……」
と、その時だ。
「あの……」と、控えめな声と共に、白い手が挙がった。
まるゆが、控えめながらも意を決した表情で、手を挙げたのだ。
隣りの雷は驚いた表情で新入りの横顔を見て、暁や響は互いに顔を見合わせつつも、頷いてまるゆの発言を促す。
しかし、手を挙げて自己の存在をしたものの、まるゆは口をあわあわと開くだけで、何かをしゃべろうとしない。
意見が言葉として纏まる前に、体が動いてしまったのだろうなと察した提督は、暁たちにまるゆの役割について何かないかと問う。
彼女が艤装を纏って出撃できるようになったのならば、いったいどういった役割を任せるつもりだったのかを。
答えるのは、暁だ。
「もちろん、まるゆにも働いてもらうつもりではいたのよ? というか、うちの鎮守府に潜水艦の艦娘が生き残っていたら、さっき話したみたいに遠洋に向けて夜間出撃する必要も薄くなっていたわ?」
航路確保のため、水上偵察機を運用できる艦娘が必須となる。
開発資材の奪取はそのために布石ではあるが、遠洋への夜間出撃にこだわっていたのは、この鎮守府に駆逐艦しか残っていなかったからだ。
ところが、これに加えて潜水艦の艦娘がいるとなれば、話はまた違ってくる。
「……無理に深海棲艦から開発資材を奪取しなくても、海中に没している艤装核をサルベージ出来てれば、それで事足りるんだ。この近海には、多くの仲間が眠っているのだから……」
響は言って、しかし、それは叶わないとも告げる。
「例えまるゆが出撃可能だったとしても、“ルサールカ”が目を光らせているあいだは、サルベージ作業などままならないよ。味方の潜水艦がいる状況では爆雷も使えない。味方を誤爆する恐れがあるからね」
それゆえに、“ルサールカ”への対応を確定していない現段階では、まるゆに出撃の機会はない。
「ちなみに、遠洋への夜間出撃を延期して、先に“ルサールカ”への対応を行うという案は、今のところ無しよ」
その考えに至っていた提督とまるゆは、暁に先回りされてうっと息を詰める。
提督がその理由を問えば、暁は不甲斐ないと言いたげな顔で、帽子を目深に被ってしまった。
「……現状“ルサールカ”に対応できるのは、高速巡航能力の活きている私と響だけ。たった2隻で“ルサールカ”を相手取るには……」
「――頭数が足りな過ぎる。せめて味方に、軽巡級があと1隻、あるいは駆逐級が2隻いれば、“ルサールカ”の対応を優先しただろうね」
それほどの相手なのか。
硬い息を吐いた提督は、まるゆの方を見る。
悔しそうに息を詰めて拳を握るまるゆを雷が慰めていて、諭す言葉に、ひとつひとつ噛みしめるように頷いていた。
この件に関しては、雷と電も悔しい思いをしているはずだ。
自分たちの艤装が万全ならば、すぐにでもこの脅威に対応する為に動くことが出来たのにと……。
「そういうわけだから、開発資材奪取が最優先ってことね。大丈夫よ、そのうち嫌だって言っても働いてもらうんだから! ね!?」
暁が腕組みして言うのを、まるゆは幾度も頷きながら了承した。
自分にもまだまだ機会があるのだと、そう言い聞かせるように。
そうして作戦会議での決定に了承しつつも、まるゆは誰にも見えない位置で拳を握りしめた。
悔しさか歯がゆさか、その心中を察する者は、新入りの挙動に気付きつつも、あえて触れずにいた。
こうしてついに、開発資材奪取のため、暁たちは出撃することとなった。
決行日は、明日の夜だ。