風を切って進んでいるというよりは、目の前の大気の壁を潜って進んでいるようだなと、暁は高速巡航の感想を得ていた。
10年前とは違った感触だ。
それもそのはず。ここはもう、深海棲艦の支配領域なのだから。
全てが、暁の知る海とは違っていた。
風がなく、波がほとんど立たず、何より生命の鼓動が感じられない。
海よりは湖に近いのだろうかと思い至るが、そもそも暁自身は湖というものを見たことがないので、正確な感想ではないなと残念を得る。
「響。なんだか海面が固い」
高速巡航中に肉声でのやり取りは不可能だが、艤装がそれを可能にする。
ちらりと、暁が背後を見やると、その言葉を耳にした響が頷いた。
「確かにね。膝を悪くしそうだよ」
「おばあちゃんみたいなことを……」
呆れる暁だったが、確かにボードを伝ってくる感触はあまりよろしくないものだ。
暁の知る海上では、もっと風が吹き、波も非常に柔らかく、そしてこんなに大人しくはない。
時化の時などは身の丈を超える高さの波が連続しているため、航行するだけでやっとだったなと、苦い思い出が引っ張り出される。
海だというのに、登ったり下ったりという表現が出て来るような場所だったはずだ。
それこそ、現状のような高速巡航など、もっての外な環境下だった。
そういった意味では、この海域では安定した航行が出来るのだろうなと思い、複雑な心境になる。
何せ、高波や海流を計算に入れなくても構わないのだから。
風もだ。今のところ、体を煽られるような風を感じることはない。
これでは端が見えないほどの広さを持つプール上を疾走しているのと変わりない。
腐敗した、しかし無臭な、大きな大きな水たまり。
それが、暁と響が同様に得た、深海棲艦の支配領海の感想だった。
「……とはいっても、次の瞬間にはどうなっているかわからないわよね? 深海棲艦の支配領海は、まだまだわからないことだらけだもの。サンプルの方はどう?」
「妖精さんが、せっせと作業中さ」
暁と響の脚部艤装、そのボードの上では、妖精たちがせっせと海水をプラスチック製の容器に採取して、ラベル張ったり簡易検査をしたりと走り回っている。
「今までは島付近の浅瀬でしかサンプルを取っていなかったけれど、この一帯のサンプルを持ち帰れば、もっといろいろなことがわかるだろうね」
暁たちが遠洋へと航行する際、通過した海域の海水サンプルを持ち帰るという手筈になっている。
情報収集の一環だ。
深海棲艦の支配海域で長時間に渡って稼働したことのある艦娘というのは、10年前当時でもの五本の指で足りる数で、その海域の分析にまでは手が回っていない。
唯一確定していることは、この海域ではあらゆる物理現象に信頼が置けないということだ。
大気圧や海水の比重は気まぐれに数値を変え、動植物は生存を許されない。
それでも、深海棲艦は言うに及ばず、艦娘と、適性を持つ一部の人間は活動出来る。
他の勢力が立ち入れない、艦娘と深海棲艦の相対の場だ。
「こちら暁。通信の方は良好? 鎮守府、応答願います」
『はーい! こちら鎮守府所属、駆逐艦・雷よ! 通信状態良好ね? 大丈夫? ふたりとも、寒くなーい?』
鎮守府の通信器は未だに機能を回復していないので、この通信は電の艤装を経由して提督のノートPCに送られている。
此度の通信係は雷のようで、繋がった瞬間に心配ごとのマシンガントークが始まってしまい、暁も響も苦笑いだ。
「私たちは大丈夫よ。そっちこそ司令官、不安がってない? そわそわしてない?」
『あ、電です。司令官さんは、もの凄くそわそわしているのです。椅子に座っていられなくて、今もそこら辺うろうろしたり……、あ、帰ってきたのです』
電から伝えられる出撃待機場の状況が容易に想像できて、暁も響も思わず噴き出してしまう。
「こちら響だよ。電、最終確認をしておきたいんだ。奪取目標は軽巡級以上。これに間違いはないね?」
『なのです。でも、持ち帰ることが可能ならば、駆逐級の資材でも構わないのです』
「それは……、軽巡級のもの奪取出来なければ、まずは駆逐級を頭数を揃える。その手順を追加する、ということかな?」
電から「なのです」と返事があり、響は作戦工程に分岐を追加した。
その頃、海水の簡易検査を行っていた妖精たちが、ひとつの結果を出していた。
島から遠ざかるにつれて、海水中に含まれる塩分濃度が急激に高くなっていったのだ。
「海水に含まれる塩分濃度が通常の10倍以上もある。比重も大きい。……この海水の状態じゃあ、人は沈まないよ」
「沈まないって……。じゃあ、もしかして。司令官が流れ着いたのって……」
「この高比重の海水のお陰かも知れないね。人体は脱力すれば水に浮くように出来てはいるけれど、この海域じゃあ、もうそういった次元の話じゃない。暁は、死海って知ってる?」
死海という名前だけなら、暁も聞いたことがあった。
アラビア半島にある塩分濃度の高い湖で、湖水は大きな浮力を持つという知識も、伝聞だけならば頭の中にある。
たった今巡航しているこの海域の海水がそうなのだと思うと、不思議な気持ちになる。
「この高濃度の塩分だと、生き物が住めなくて当然だ。この海水の条件に至るには、気温や地質が明らかにおかしいけれど、そんなことは論ずるだけ無駄かな。成分も塩化ナトリウムなどが主で、pHは高め。詳しい分析は、鎮守府に帰還してからになるね」
「それに……」と、響は言葉を止めて、艤装に乗り込んでいる妖精たちと無言のやり取りを交わす。
「おかしな磁界が発生している。艦娘の艤装に支障を与えるものではないけれど、これが通常の電子機器だったらご機嫌斜めだったろうね。この現象はすでに観測済みだけれど、支配海域全土が“こう”なのだと思って間違いはないよ」
「電子機器が誤作動を起こす海域か……。オカルト的なところだと、魔の三角地帯とか、そういうものよね?」
「おやおや。暁はそういうオカルト話、怖がって見ない読まないものだとばかり思っていたけれど?」
「怖いもの見たさって、あるじゃない?」
少しだけ肩を竦めて見せた暁に、今は取って置きの怖い話を披露するのはやめておこうと、響は話したい衝動を思いとどまった。
おかしな磁界が発生する場所には、霊が集まりやすいというのがオカルト的な通説だ。
その説でいけば、この海域には幽霊や亡霊がひしめいているということになる。
無念や怨念を抱えたそれらは、天国にも地獄にも行けず、あるいは生前の故郷へ帰ることもできず、永久にこの水面に縛り付けられているのだろうか。
そう考えると、響は自分の胸が痛むのを確かに感じた。
もしその縛り付けられた霊たちが深海棲艦を生む原因と成っているのならば、どうすればそれらを救うことが出来るのだろうか。
砲にて穿ち、魚雷にて微塵にするのでは、これまでと同じ。堂々巡りだ。
では、自分たちが今からしようとしていることのように、すべての開発資材を集めてお祓いでもしてもらえば良いのだろうか。
そうするにしても、すべての深海棲艦を打ち倒すという前提条件があるため、現実的ではない。
そもそも、孤島の鎮守府から脱出を図っている最中の響たちには、手を付けられるような案件ではない。
今すぐには手を付けることは出来ないかもしれないが、心の片隅には留めて置こう。
黙考から意識を外界に戻した響は、前を行く暁の艤装妖精が手信号でサインを送っている姿を見とめる。
鎮守府を発って1時間と少し。
暁の艤装に搭乗していた見張り員妖精が、敵艦の姿を遠方に捉えたのだ。
出撃時に響が想定していた通りに……。
○
敵艦隊の編成は、軽巡級を旗艦として駆逐級が5隻続く。
最後尾の駆逐級が編隊から大きく遅れていることに、暁と響はやり難さを感じた。
こちらが高速で接近すれば、最後尾の駆逐級(敵六番艦と呼称)に気付かれ、本隊に迎撃態勢を取られる可能性が高い。
「――仕掛けるなら、速力を維持しつつ左舷側に大きく迂回して、敵六番艦を雷撃。そのまま本隊の後続に突っ込む形を提案するよ。旗艦の判断は?」
「その案で仕掛けたいけど、ちょっと迷ってる。さすがに重巡級が居たら尻尾撒いて逃げ帰ろうかなって思ってたけど……」
「中途半端に対応できそうな布陣なのが、嫌らしいね?」
ここに“ルサールカ”への警戒が加わると、難易度はかなり増すことになる。
仕掛けるなら、敵艦隊を全滅させる必要がある。
1隻でも逃がせば、敵側に艦娘の存在を知らせ、他の敵艦隊の周回ルートに島が含まれる可能性が高い。
そうなると、これからの出撃に難が出て来る。
「“ルサールカ”は単独勢力のはずだけれど、これも10年前当時の情報だ。今はまた違った動きをしてくるかもしれない」
「それ、他の敵艦隊と連携するってこと? そしたら……」
「“ルサールカ”も、沈めなければならなくなる。単独勢力だったはずの彼女が敵艦隊と連携するってことは、他の敵艦隊を引き連れて鎮守府正面に侵攻してくることでもあるのだから」
そうなった場合、10年前の空襲の再来だ。
あの地獄がまた繰り返されるのかと、暁は表情を硬くする。
そんなことがあってはならない。
鎮守府の安全を最優先とするならば、ここで敵艦隊の背中を見送り、“ルサールカ”をおびき寄せて沈めてしまうのが手だと、暁は考えている。
しかし、対潜装備特化の響がいるとは言え、駆逐艦2隻で相手にするにはリスクが大きすぎる。
ならば、そもそも出撃するべきではなかったという考えに至り、それは本末転倒だと暁は苦笑。
「危険は承知。どちらにせよやることは変わらないわ……。斬り込んで行きましょう?」
「了解だ。今のところ、どれも高い可能性ってだけで、確定した部分が少ないからね。確定したところをしっかり押さえて、臨機応変に行こうか」
「出来れば“ルサールカ”の存在の有無は確認しておきたかったけど……」
「頭も尻尾も、潜望鏡すら出さないね。ソナーにも感無し。居たとしても索敵範囲外だ。警戒続行」
鎮守府との通信回線を閉じて、資材奪取工程に移る。
敵六番艦に向けて、速力を維持し、間隔を保ちつつ接近する。
敵艦を視認できる位置にまで接近した暁と響は、仄明るい暗がりの中、その姿を視認した。
その形状は、全長は4、5メートルの長方形に近似し、全高は2メートルに届くか否かというところ。
体表がほぼ黒一色である駆逐級ではあるが、遠方に位置する暁や響にもその後ろ姿を視認することが出来た。
敵六番艦の姿、その色彩は、黒と言うよりは白に近い灰色だった。
体表にフジツボの類が張り付き、動く岩場のようにも見えるのだ。
「……響。フジツボなんかが張り付いてるってことは?」
「まず、深海棲艦の支配海域は、動植物が生存するのに適さない環境だよ。そんなところを周回している深海棲艦がフジツボなんて張り付けているってことは、可能性は大きくふたつ。あのフジツボ自体が、深海棲艦の生態艤装であるか。もしくは、あの個体、あの艦隊が、支配海域外で活動していたことがあるか」
「周回ルート、支配海域外も含まれているのかもね? だとすると……」
あの艦隊を追跡すれば、深海棲艦の支配海域外へ出る航路が見つかる可能性が出て来る。
そう思い至り息を詰めた暁と響だったが、すぐに意識を平静に保つよう心掛ける。
まだ可能性の段階で浮き足立ってはならない。
あの駆逐級が支配海域外を航行していたという、確たる証拠はまだ何もないのだ。
それでも、まだ外界が完全に深海棲艦の支配下に置かれていないという可能性は、孤島で10年間悶々としていた暁たちにとっては希望そのものだった。
その希望の有無を、これから確かめに行くのだ。
まずは必須となる開発資材を手に入れて……。
「響、敵艦隊があれの他にもこの海域を周回している可能性は?」
「無くはないけれど……。もう一個艦隊がいるならば、あまり離れた位置には居ないだろうね? 砲火を聞き付けて合流されると厄介だけど、燃料まだ安全圏だから、逃げようと逃げようと思えば逃げられる。だいぶ迂回する必要はあるけれどね?」
「“ルサールカ”の動向は?」
「今のところ、ソナーには掛かっていないよ。ただ、この辺はもう浅瀬ではないから、足を止めたら直下から仕掛けられる可能性もある。警戒継続だね」
「……響が二番艦だと、判断が楽になっていいわ?」
「だから暁を一番艦にしたのさ? そのあたり、司令官もちゃんとわかっているよね」
力強く頷いた暁だったが、すぐに「……それ、信頼されていないんじゃない?」と眉をひそめる。
しかし、すでに敵の姿を遠目に捉えている以上、不要な思考は排除だ。
暁は背部艤装右舷側の魚雷発射管を引き出して右腕にマウント、進行方向へと指向する。
後続の響も左舷側の発射管を引き出して、同様の構え。
敵六番艦に魚雷を撃ちこみ、左舷側に大きく迂回して前方の敵艦隊を目指す動きだ。
「狙いは敵船体後部、魚雷搭載区画と想定されている箇所。一発でケリを着けるわ?」
「外したらフォローするよ。お先にどうぞ?」
ならば心置きなくと、暁は敵六番艦へと狙いを定めた魚雷を発射した。
砲雷撃には風速や海流といった要素の加味が必須となるが、この海域においてはそれらをほぼ無視して演算を行うことが出来る。
艤装の補助があるとはいえ、艦娘はそれらの演算を暗算にて、しかも数秒にも満たない一瞬のうちに行うことが出来る。
高い練度を誇る艦娘ならば、「だいたいこんな感じ?」と、それらの演算を感覚で済ませてしまう者たちすらいるのだ。
そして暁と響は、その部類の艦娘だ。
暁は三連装発射管の一番管、左側の魚雷を敵六番艦へと発射して、上体をのけ反る様に傾けて大きく左側へ舵を切った。
それに続いて舵を切った響は、海中に潜り込んだ魚雷が高速で潜航して敵六番艦へと吸い込まれるのを見届ける。
艦娘の搭載する魚雷の速度は、駆逐艦・艦娘の高速巡航時の速度を大きく上回る。
とはいえ、亜音速で潜航するわけではないので、常に海面に意識を集中していれば、回避することは造作もない。
しかし、もし一瞬でも他の些事に気を取られたのならば、そして気付かないうちに接近を許してしまったのならば、どうか。
魚雷は敵六番艦の船体後部を直撃。
爆音と炎を上げて、砕け散った破片が海面に降り注いだ。
「響、後方確認任せる! 敵艦隊が気付いて速度を上げた! こっちもこのまま接近するわ!?」
「大丈夫、敵六番艦はしっかり撃沈を確認。このまま旗艦・暁に追走する」
徐々に速度を上げ始めた敵艦隊、新たに最後尾となった敵五番艦に向かって暁たちは追走する。
敵艦隊は速度を上げつつ左舷側に迂回して、船体の横っ腹を暁たちへ向けて待ち構える動きだ。
敵艦隊たちの側面の装甲……、フジツボが密集した地帯に亀裂が入り、蓋が開くように展開する。
深海棲艦の生態艤装を展開し、横腹からは連装砲の砲身や魚雷発射管が覗く。
このままでは単縦陣を取った敵艦隊に突っ込むことになるため、暁と響は一度右舷側へ大きく迂回して、改めて敵艦隊の背後を取ろうと動く。
このまま暁たちも左舷側へ舵を取り、同行戦の形で砲雷撃戦に持ち込むか、あるいは敵艦隊を左右から挟み込んで攻撃する方法もあるだろう。
だが、それをするには彼我の数が違い過ぎる。
2対5では、集中砲火を受けて甚大な被害が出るのは目に見えている。
だからこそ、敵艦隊の速度がまだ伸びきっていない今のうちに、有利な位置を確保しておきたかった。
幸い速力ならば、まだまだ暁たちが優位だ。
右舷側へ大きく迂回したものの、敵艦隊の後ろに着くことが出来た。
魚雷の有効射程圏内だ。
しかし、いざ雷撃を開始しようとした暁たちは、敵艦隊の動きに異常を見た。
敵艦隊の内、三番艦に位置していた駆逐級が速度を上げず、ゆっくりと艦隊から脱落してUターン、暁たちに向かってくるのだ。
「あの駆逐級、速度が上がらなかったんだ……」
艦娘で言えば、艤装の駆動系が不調で速力が上がらなかったようなものだろう。
全身が生態艤装である深海棲艦においては、体機能の不調ということに他ならない。
それ故、旗艦が囮役として差し向けたのだ。
敵三番艦は、頭部にあたる部分に内蔵された巨大な単眼から莫大量の閃光を照射しつつ、咢を開きその奥から単装砲の砲身を覗かせ、暁たちへ突っ込んでゆく。
対して、暁は背部艤装の高角砲にて牽制射撃しつつ、魚雷を放った。
狙いは敵三番艦へ向けての一直線。
真正面からの迫りくるうえに雷跡ははっきりと視認可能。
敵三番艦は左舷側に舵を切って暁の魚雷を回避。
直後、別の魚雷が高速で迫り、敵三番艦の横っ面に直撃、炸裂した。
敵艦の回避先を読んだ響による雷撃の成果だ。
2隻目を沈め、順調に敵艦の数を減らせてはいるが、暁は内心で焦りを帯び始めていた。
たった今、敵艦から探照灯を照射されたことで、こちらの大まかな位置が割れてしまった。
進行方向を予測され立ち回られると、こちらもさらに迂回しなくてはならない
爆炎を上げて轟沈する三番艦を迂回して敵艦隊へと向かった暁は、目に飛び込んで来た光景に息を詰め、急いで左舷側へと舵を切った。
同じく、体勢を大きく背中側に傾けて追走した響は、その直後大量の水を頭から被ってしまう。
目の前の海面が爆ぜて、幾本もの水柱が上がったのだ。
至近弾、敵艦隊の砲撃だ。
暁たちが三番艦に対応しているわずかな時間で、敵艦隊は艤装の展開と陣形の構築を終えていたのだ。
速力を落とさぬよう無茶な操舵で航行する暁たちは、敵艦隊がこちらと同等の速度を得たことを確認する。
互いの砲撃の射程圏内からは大きく外れたものの、距離を離さず追走して来ているのだ。
このまま距離を詰められ同行戦に持ち込まれると厄介だなと、響が次の動きを提案しようと暁を見れば、すぐに「雷撃用意!」と声が返る。
旗艦の判断の速度に安心を得つつ、響は魚雷の次弾を装填して発射管を敵艦隊へと指向した。
「この距離なら、敵艦隊も雷撃で仕掛けてくるはずね?」
「でも今のままじゃ、細かい回避運動が取れないけれど、どうする?」
「敵艦隊の魚雷発射と同時に高速巡航形態を解除。高機動形態で敵の雷撃回避に専念する!」
「こちらの雷撃は、回避の後にだね。目標は?」
「敵艦隊、二番艦と四番艦との間を狙う。後続を足止めして前のと分断、まずは足が止まった方を確実に沈めるわ……!」
暁が指示する傍から、敵艦隊の雷撃が開始された。
駆逐級たちの背部が可変し展開した疑似魚雷発射管から、各艦三発ずつ、計十二の魚雷が暁たちの進行方向へ放たれる。
軽い音を立てて海面に潜り込んだ疑似魚雷は白い雷跡を残して走る。
暁たちの回避先まで計算され、どのルートで避けたとしても一発は当たるようにと仕掛けられたものだ。
例え急停止したところで、速度が落ちれば敵艦隊の急速な接近を許してしまう。
だからこそ、ふたりは高速を維持したまま、機動力を得ようと動く。
脚部艤装に指示を送った暁と響は、まるで進行方向の障害物を避けるかのように、ボードを跳ね上げて海面から離れる。
体が宙にある一瞬のうちに、ボードの接続が解除され、脚部艤装は変形。
極短いスキー板状になった脚部艤装で、ふたりは海面に着水した。
慣性によって体が進行方向へ引きずられそうになるのを、足運びと上体の傾けで整え、踵下部の仮想スクリューを再展開。
減速回避ルート上を疾走してきた魚雷を危なげなく回避した。
そのまま敵艦隊との距離を保ちつつ巡航する。
暁たちの速度が落ちたことで、敵艦隊が船体を寄せてきた。
駆逐級たちは腹部から展開した連装砲を指向して、艦娘たちが射程距離に入る瞬間を待ち続ける。
しかし、砲撃の距離に届くよりも、暁たちの動きの方が早かった。
響が背部艤装の収納から照明弾を引き抜き、手慣れた動作でセフティを解除、即座に発砲する。
狙いは敵艦隊、旗艦の直上だ。
炸裂した照明の灯りによって、暁たちは初めて敵艦隊の詳細な艦種を確認する。
敵艦隊の旗艦を務める軽巡級は“ホ級”と呼称される、砲塔と船体の隙間から人間の上半身が生えたような形状の深海棲艦だ。
頭部をすっぽりと覆う装甲は電探の役割を果たしているという説があるが、詳細は定かではない。
軽巡ホ級に続く駆逐級はどれも“イ級”と呼ばれ、駆逐級の中では最も数が多いとされる艦種だ。
その駆逐イ級の二番艦と四番艦との間を目がけ、暁と響は魚雷発射管を指向し、発射。
同時に体を敵艦側へと傾け、ジグザグの動きで海上を疾走し、敵艦隊へと肉薄。
照明弾で照らされた海上は明るく、暁たちが放った魚雷の雷跡がはっきりとその姿を見せる。
迫りくる魚雷がこれほどはっきりと視認できるのに、回避しない手はない。
敵艦隊、旗艦と二番艦は速度を維持してやり過ごし、四番艦は減速しつつ右舷側へ舵を切った。
しかし、最後尾の五番艦は前の四番艦の動きを読めず、そのままの速度で突っ込み四番艦の船尾へと衝突してしまった。
思いの他軽く、しかし硬質な音を立てて衝突した敵艦隊の後続は、四番艦が横転、五番艦が船体前部に若干の陥没を生じた程度の損害に留まった。
だが、本当の損害はこれから起こる。
暁と響がすでに、とどめの雷撃を放ったばかりなのだ。
敵五番艦に吸い込まれた二発の魚雷は、爆発の花と破片の雨に姿を変えた。
「残敵3! 横転した敵四番艦を挟んで、敵旗艦及び二番艦との距離を保つ!」
横転したままの四番艦を真ん中に置いて敵旗艦・二番艦と対角線上の位置を取れば、少なくとも雷撃されるリスクはかなり低く見積もることが出来る。
四番艦を迂回するような動きを敵艦隊が取れば暁たちも対角線の位置を維持するし、接近しようものならそこに魚雷を撃ちこむまでだ。
こうなれば敵艦隊は砲撃に頼らざるを得なくなるのだがと、距離を保ちつつ状況を整理していた響は、今まで意識の片隅に留めていたある重要な信号に、背筋が凍るような感触を覚えた。
ソナーに感有り。
ほんの一瞬だけだが、パッシブソナーが海中に敵影有りと示したのだ。
突然襲ってきた緊張に全身が硬直してしまった響は、暁の叱咤する声に、咄嗟に反応できなかった。
左足元に衝撃を感じ、響は己の不覚を悟った。
瞬間、響の足元で魚雷が炸裂して、爆炎を上げた。
○
「響!?」
敵艦との距離を保ちつつ魚雷の次弾を装填していた暁は、響が被雷する瞬間、何かに怯えたように身を竦める姿を目にしている。
おそらくは“ルサールカ”の反応があったのだ。
そう悟るや否や、暁は横転したままの敵四番艦に向けてとどめの魚雷を発射。
そして、今まで保ってきた位置を放棄して、背部艤装の探照灯を迫りくる敵艦隊へ向けて照射した。
響を射抜いた雷撃は、横転した敵四番艦から放たれたものだ。
敵四番艦は横転しながらも魚雷発射管を展開、指向して、爆発炎上する五番艦の陰から雷撃の機会をうかがっていたのだ。
その挙動こそ見逃しはしたが、発射された魚雷がふたりの元に到達するまでには距離も時間も充分あり、回避は造作もないはずだった。
回避直前に“ルサールカ”の反応がなければ。
その反応に、響が委縮しなければ……。
「響! 被害状況を報告! 出来る!? 響、返事!」
呼びかけに返る声はまだない。
聞こえるのは爆発によるハウリングとノイズだけだ。
肉眼で姿を確認している余裕はない。
響が無事だった場合、もはや目前にまで迫った敵艦隊をそちらに向かわせることなどあってはならない。
残るは敵艦隊旗艦である軽巡ホ級、そして敵二番艦の駆逐イ級だ。
すでに砲撃可能な距離にまで接近を許している。
迫りくる敵艦隊を前に、暁は望むところだと腹をくくった。
今まで散々避けてきたリスクを負う。
ノーガードの殴り合い、砲撃戦だ。
足を止め、敵艦隊に対して左半身を向けて半身になり、被弾面積を減らす。
背部艤装の高角砲と左腕に固定した連装砲にて、敵二番艦へ向けて砲撃を開始した。
狙いは敵二番艦、旗艦を撃つのは最後だ。
周囲に守るべき船舶や負傷した仲間が存在せず、こちらの艦隊の数が敵と同等か上回っていたのならば、頑丈で攻撃力の高い敵旗艦を先に狙うことが可能だった。
敵艦隊は旗艦の信号に従って艦隊行動を取るため、旗艦を真っ先に撃沈してしまうと、旗下の深海棲艦たちは統率を失って、まったくバラバラの行動を取るようになる。
予想外、想定外の行動をだ。
味方の数で押しきるだけならば、そうなる前に殲滅することも可能だろう。
しかし、もしも味方の数が少なく、撃ち漏らしがあったら。
そして、戦闘区域に取り残された民間の船舶や、負傷して身動きの取れない味方にそれらが向かってしまったら……。
悪いイメージを振り払うように、暁は砲撃と、そして響への呼びかけを続ける。
深海棲艦、それも人型からは程遠い駆逐級や軽巡級に比べると、艦娘は被雷箇所が圧倒的に少ない。
海面の上に立つ形で活動する艦娘とって、被雷箇所となるのは海中に沈んでいる脚部艤装の一部となる。
いかに高速で迫りくる魚雷とはいえ、これだけ被雷面積が少なく、そして雷跡が見えてさえいれば、雷撃を躱すことなど造作もない。
しかし、だからこそ、被雷した時のダメージは深刻だ。
両足をフリーにして航行する高機動形態ならば、まず片方の脚部艤装を喪失するだろう。
推力を司る重要な機関の喪失だ。
こうなってしまうと高速巡航形態への移行はおろか、通常の航行ですら支障をきたす。
仮想スクリューの片方を喪失するということは、巡航速度が出せなくなるのだ。
脚部艤装だけならばまだいいが、最悪足そのものが爆発で吹き飛んでいる可能性もある。
そうなればあとはもう、敵艦隊の思うがままだ。
そうはさせまいと意気込む暁ではあるが、己の限界はすぐそこに近付いて来ていた。
暁の砲撃は敵二番艦に直撃、貫通してはいるものの、動力部を穿ってはいないのか、反撃を受け続けている。
その間にも敵二艦からの砲撃は徐々に精度を上げ、暁はようやく魚雷発射管のシールドを前方に展開して守りとした。
屋根のように傾斜をつけて、砲弾の威力を逸らすように調整した直後、敵旗艦からの砲撃が直撃して、片方のシールドが大きく歪曲してしまった。
陸地のように足元の摩擦が少ないため、被弾した衝撃で後方に体が流される。
仰け反った上体を立て直そうとしたところに被弾が続き、左舷側のシールドがアームから脱落。
シールドが海面に着水した瞬間、爆発と水柱が上がった。
敵艦隊の放った魚雷に接触したのだ。
魚雷の爆発と至近弾で水柱が上がる中、態勢を整えた暁は再び連装砲の砲身を敵艦隊へ向けたが、その直後、まるで時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
敵艦隊から放たれた直撃コースの砲弾が、まるで空中に停止しているかのように見えたのだ。
実際に砲弾が空中で停止したわけではなく、極限状態の集中力によってそう見えているだけだと、暁はこの状況を理解した。
ならば動けと、砲弾を回避する動きを取ろうとはするが、意識が体に伝わってくれない。
このまま直撃するという結果を変えることは出来ない。
そう確信した暁は、出撃前の、響との更衣室でのやり取りを思い出していた。
「覚悟の、やり直し……!」
砲弾は直撃する。
その結果を受け入れる。
問題は被弾した後、どう立て直すかだ。
被弾確定箇所は左腕に固定した連装砲。
弾薬が誘爆する範囲や破片による被害を予測して……。
永遠とも感じられる時間の後、暁の連装砲に砲弾が直撃した。
連装砲の装甲はひしゃげ、内蔵された弾薬が誘爆、砲自体が爆弾と化す。
被弾と誘爆の衝撃を受けて、暁は転倒、海上を数メートル転がって停止した。
海中に沈むことなくうつ伏せに倒れ伏した暁へ、敵艦隊が迫る。