意識が途切れていたのは一瞬にも満たない時間だったはずだと、海面にうつ伏せた体勢の暁は、己の置かれている状況を再確認する。
鎮守府遠洋にて深海棲艦の艦隊を強襲、彼我の数を2対2にまで持ち込むことが出来たが、暁、響、両名共被弾及び被雷。
対して敵艦隊は健在で、旗艦である軽巡ホ級はほぼ無傷、二番艦の駆逐イ級は被弾がありながらも継戦能力を保持。
現状の戦闘海域では爆発炎上していた深海棲艦の亡骸が海中に没してしまったため、彼我を照らす光源はほぼ無し。
暁、響、両名ともに灯火系の装備は展開していないため、敵艦隊は今から再び索敵に入るだろう。
しかし、ほんの数分まで砲火を交わしていた以上、暁の位置が割り出されるのは時間の問題だ。
敵艦隊がこちらを見付るより先に体勢を立て直し、戦線に復帰する必要がある。
暁は海面に手を着いて体を起こし、自らの被害状況を確認する。
左腕部にマウントしていた連装砲は損壊、及び左腕部も骨折して使用不能。
連装砲が誘爆した時の破片で背部艤装の高角砲と探照灯が損壊、使用不能。
幸いだったのは、破片が魚雷に当たって誘爆しなかったことだろうか。
魚雷発射管保護のシールドは左舷側が脱落、左舷側の多目的アームも動作不能。
そして、暁自身の肉体へのダメージが、一番深刻なものだった。
爆発した連装砲の破片が胴体に突き刺さり、一部は肺を貫いていた。
かろうじで心臓や動脈は避けたものの、呼吸のたびに胸が痛み、じわりじわりと吐血する。
生身の人間だったら緊急手術が必要な状態だったが、暁はこの負傷を問題ないと判断した。
鎮守府に帰還して入渠すれば、この負傷も、左腕の骨折も完治するという安心があるからだ。
精神的にもそれ程恐慌を起こしていないのは、先の艤装同期作業の時に艦船としての暁の記憶を追体験していたことが大きいだろう。
砲撃を浴びて体中が穴だらけになる感触など、10年という時間を人として暮らした暁のままでは、耐えられなかったはずだ。
提督に抱きかかえられて入渠場に運ばれた時のように、痛みと恐怖で頭が真っ白になる姿が目に見えている。
大丈夫だ。
自分はまだ戦える。
人間には無理でも、艦娘ならば“この程度”で済ますことが出来る。
心と呼吸を落ち着けて海面に片膝で立つと、そこでようやく周囲の状況確認に移る。
砲撃が止んでいることから、敵艦隊がこちらの位置を見失っている可能性が高いと判断したものだが、概ねその通りだった。
敵艦隊の姿をはっきりと視認することは出来なかったが、大よその位置は掴める。
雷撃可能な距離ではあるが、未だに返信がない響を巻き込む可能性を考えると、即座の攻撃に映ることが出来ない。
声を出せないながらも響への回線を開くが、聞こえてくるのはノイズだけだ。
艤装の通信系が死んでいるなと判断した暁は、ならば響だったら、この状況をどう立ち回るかと考える。
敵の魚雷を受けた以上、無傷では済まなかったはずだ。
良くて脚部艤装の破損、最悪片足を失っている。
そうして動きが止まったのならば、そのまま身を潜めて、攻撃の機会を伺うだろう。
現状、光源がなく、敵味方の正確な位置もつかめていない。
敵の姿をはっきりと認識するまで、攻撃体勢のまま身を潜めているというのが、暁の出した結論だった。
「……そうすると、敵かこっちか、どっちかが見つかって、砲雷撃が始まるまでは、響も待機しているはずよね?」
攻撃開始の合図は、双方どちらかの砲火だ。
雷撃される恐れもあるが、敵の魚雷も無限ではない。
こちらの姿を確実に視界に収めるまでは使わないだろう。
「じゃあ、流れはこっちでつくれるわ……?」
艦船の時代も、艦娘の時代も、やはり“暁”の仕事はこうだと決まっているのかも知れない。
自嘲のような感情を振り払うように笑い飛ばし、暁は左目を覆っていた眼帯を引きちぎるように外した。
不自然に閉じられていた左目が、わずかな痙攣と共に、ゆっくりと開いてゆく。
「――探照灯、照射」
○
生態艤装というものがある。
深海棲艦に由来する、体機能と一体化した武装のことだ。
この生態艤装の概念を艦娘にも取り込むことができないかという考えが、艦娘の初期開発の最初期に提言され、実際に開発・試作運用段階にまでこぎ着けたものがある。
背部艤装に付属する精密なパーツを排除して被弾時の損害を減らしたり、付属装備破損時の予備として機能するようにといった狙いがあったのだが、その開発は本当の最初期に打ち切られてしまっている。
艦娘の肉体は強化保護されているとは言え、大部分は人間の女性とほとんど変わらない。
生態艤装の負荷に、艦娘の肉体が耐えられないのだ。
中でも、探照灯の役割を果たす眼球は、発生する莫大な熱量が肉体や脳を蝕むため、古鷹型重巡洋艦の一番艦に試験運用として搭載された一件のみで、開発を打ち切られている。
暁の左目は、その古鷹型の生態艤装を移植したものだ。
二次大戦中に探照灯を照射して囮艦となったことがある暁だからだろうか、生態艤装の適合自体には問題がなかった。
しかし、実際の運用に至っては、本来の性能を存分に発揮するというわけにはいかなかったのだ。
生態艤装の使用によるダメージは当然ながら、その効果時間は元来の性能よりも大幅に短く、照射時間は最大で60秒を下回る。
その後は、高熱による火傷と、著しく機能を損なった脳で思考し、戦線を維持しなければならなくなる。
囮艦としてならいざ知らず、旗艦として海上へ出るのならば、絶対に取らないはずの選択だ。
だからこそ、ここで戦闘を終わらせる。
探照灯の有効時間である60秒以内に、流れを引き込み、勝ちを掴む。
暁が探照灯を照射したことで、敵艦隊の姿をはっきりと浮かび上がらせることが出来た。
今や敵艦隊は並んで暁の方へと迫って来るところだった。
砲塔を指向し、雷撃の用意を整える敵艦隊。
その旗艦ホ級の横腹で、ふいに爆発が起こる。
それを響の雷撃だと確信した暁は、全身に力を込めて前へと進み出た。
敵旗艦が次の動きを判断するより先に、さらに動きを加えて揺さぶりをかけるためだ。
背部艤装右舷側の多目的アームを稼働させ、魚雷発射管シールドの内側に固定しておいた装備の鞘をホールドして、前方へ引き出す。
装備の形状は鞘に納まった刀だ。
多目的アームを伝って走って移動してきた妖精が、刀の鍔を蹴って鯉口を切り、暁は逆手で柄を握り一気に引き抜いた。
外気に触れた刃が音を立てて展開する。
天龍型一番艦に搭載される近接兵装。
刀剣状のこの艤装は、通称天龍刀と呼ばれている。
艦娘の生態艤装の開発が提言される中、時を同じくして艦娘の近接兵装の開発もスタートしていた。
しかし、これも生態艤装と同様、開発の最初期に打ち切られていて、初期に建造された一部の艦娘にしか近接兵装は採用されていない。
深海棲艦に対して近接兵装による攻撃が有効ではないと判断されたことと、深海棲艦に接触することで“呪い”を受けるという報告があったからだ。
踏ん張りの利かない海面において、刀剣類での攻撃は力の伝達がうまく行かずに悪手だという意見。
そして、そういった足を止めて戦うような状況に陥るということは、すでに推力が死んで思うように動けない場合であり、そんな状態の艦娘にわざわざ敵は接近しないだろうという意見が、開発にトドメをさした。
そもそも、常に動き速度を得て戦うことで被弾・被雷を含むリスクを排除しているため、足を止め速度を殺しての交戦は自殺行為に他ならない。
得た速力を乗せて刀剣を振るうというやり方もなくはないが、それだけの速度が出た状態で体の一部を敵に接触させるなど、もってのほかだ。
たとえ敵艦にダメージを与えることが適ったとしても、そのために振るった腕が、速度と敵の硬度によって破壊される。
良くて骨折、悪くすれば腕そのものを喪失しかねない。
それでも一部の艦娘に近接兵装が採用されているのは、願掛けや戦意高揚の意味合いが強い。
旗艦などにおいては、指揮を執るために軍刀を掲げる艦娘も少なくはないのだ。
この天龍刀もそういった戦意高揚の意味合いが強く、もちろん、暁にとっては規格外の艤装だ。
補助艤装によるサポートもなく、ただ持ってきただけ。
暁自身に剣術の心得があるわけでもはない。
出撃前に響に言われた通り、戦友の遺品を着飾っているようなものだとも、確かに認める思いだ。
しかし、それでもこの一刀とは共にありたかった。
この刀の本来の持ち主は、自らが轟沈するまで、ついにこの刀を鞘から抜くことはなかった。
暇な時間に手入れなどしていたものだから、暁もてっきり、戦場で幾度か振るったことのあるものだと勘違いしていたのだ。
聞いて見れば肩透かしというか、一度も海上で抜刀したことがないのだという。
そして、それはこの刀の持ち主の誇りでもあった。
その持ち主が言うには、「こいつを抜くような状況に持ってくようなら、そいつは旗艦は失格だな」だそうだ。
まったくその通りだと、暁は気が重くなるのを自覚する。
しかし同時に、こうも思うのだ。
もうそんな状況になってしまったのだから、とことん踏み込んでいこう。
この刀の持ち主の、今際の一言を思い出す。
――ま、機会があれば、こいつで敵をぶっ叩いて見たかったけどなあ? お前も、そう考えたことねえか?
今からそうしてやる。
深海棲艦相手にわざわざ刀で近接戦を仕掛けるメリットは、ちゃんと提示できる。
此度の敵艦のように、軽巡・駆逐級と、比較的船舶の形状に近いものであればある程、人型の挙動に対して的確な対応を取ることが出来ない。
相手が船舶に近い形状であり、こちらが人型であるからこその有利だ。
しかし、接近によるデメリットの方が遥かに大きいため、絶対に取らないはずの挙動。
それを、今から行うのだ。
単艦で突っ込んで来た暁に対し、敵艦隊が動きを見せた。
敵二番艦イ級が、旗艦ホ級の前に出たのだ。
旗艦を庇う動きと言うよりは、先んじて砲撃し、自艦隊の被害を減らそうという動きだろうか。
暁は砲撃の直撃コースを読んで回避の動きを取りつつ、敵二番艦との衝突コースをぎりぎりを巡航、右手に握った天龍刀を横に振り被った。
そして交差する瞬間に、敵二番艦の横腹目がけて刃を滑らせる。
刃の生み出す成果は斬撃ではなく、打撃。
艦の船体を模して形成された刃は、艦娘の手にあり意志が伝わっている間は、刀としての斬撃ではなく艦船同士が衝突した際の衝撃を再現する。
刃の打撃を食らった駆逐イ級は船体をくの字にへし折られ、衝撃波が疑似弾薬を打ったものか、爆発が起こった。
対して、暁の方も無傷とはいかない。
接触は最小限に留めたものの、打撃の余波は刀を持つ右腕を伝い、腕力と感触を奪った。
握力が消えて柄から手が離れそうになるのを、多目的アームで無理やり手の甲の上から抑え込む。
探照灯の方も限界が近い。
燃え盛る炎の中に頭を突っ込んだかのような灼熱を感じながら、暁は一隻だけ残った軽巡ホ級へと向かってゆく。
刀を振り上げ、朦朧と揺らめく閃光を発し接近してくる暁の姿を、果たして軽巡ホ級はどのように捉えただろうか。
砲撃もなく、探照灯を照射し、その攻撃方法は船体の一部を衝突させるという敵の姿に、軽巡ホ級は後退を選択した。
幽鬼のように迫りくる暁に恐れをなした、というよりは、衝突のリスクを避け、探照灯の照射範囲から逃れるためだろう。
これに焦ったのは暁だ。
ただでさえ限界が近い探照灯の照射範囲から逃れられてしまっては、敵旗艦を見失って取り逃してしまう恐れがある。
だからと言って、このままホ級に接近すぎれば、響の雷撃の邪魔になる。
ならばと、魚雷で相手の動きを制限しようと発射管を指向するが、動作が固い。
「さっき、被弾した時に……!」
発射管の機能に異常が出たのだ。
装填済みの魚雷を発射するのもそうだが、これでは装填に時間がかかる。
魚雷では駄目だ。
距離を取られる前に足止めする手段を。
歯噛みする暁は咄嗟の判断で、手にした天龍刀をホ級へと投じた。
インナーを人工筋肉化して、腕力を限界まで増強しての投擲だ。
砲撃でも雷撃でもない攻撃に、ホ級の対応が遅れる。
縦回転しながら飛来する天龍刀は、砲塔の指向先を迷ったホ級の人間体の部分、鎖骨の間に刃半ばまで突き立った。
軽巡ホ級はそれでもまだ動いた。
人間体の部位があるとはいえ、その全体は船体としての部分がほとんどを占めている。
胴体への攻撃は致命傷には成り得なかったのだ。
それでも一瞬、動きを止めることは出来た。
ならば、もう暁の役割はほぼ完遂したと言っていい。
ノイズ交じりの通信から、声が聞こえる。
『――ダズビダーニャだ』
暗闇の中から砲撃の音と炎が生まれ、砲弾がホ級へと飛来する。
ホ級の胴部から突き出た天龍刀の柄を直撃。
衝撃で押し込まれた天龍刀はホ級の体内で砕け、破片がその体内を食い荒らした。
一拍の間の後、軽巡ホ級の搭載疑似弾薬が爆発して、その船体から炎と煙とを立ち上らせた。
○
「被雷した時に脚部艤装が破損して、その破片で魚雷の装填器が故障してしまったんだ。通信系も不調。動きがあるまで息を潜めていたけれど、やはり暁が先に動いてくれたね……」
合流した響は左足の脚部艤装を喪失していて、小型の予備艤装でバランスを取りながら航行していた。
予備の艤装はボードのみで、仮想スクリューの展開機能は無い。
高速巡航形態への移行も出来ないものだ。
それでもかなりマシな方かなと肩を竦めて見せようとした響は、重傷を負いながらも安堵の笑みを浮かべる暁の姿に、言葉を失った。
「……まったく、もう……。心配させるんだから……。足は……、あるみたいね?」
「――まだまだ、化けて出るような存在にはならないさ。それより……」
響の呆然としていた表情が、徐々に険しくなってゆく。
「暁の方が、重症じゃないか!? “眼”も使って……!」
「しゃべると、血も一緒に出るから……、話すの、ちょっとキツイわ? でも、体よりも、艤装のダメージの方が大きいの。まともに起動出来るのは爆雷だけ。魚雷発射管は、修理に時間かかるし……っ」
体を折って咳き込み始めた暁に、響は慌てて接触し、その背中をさする。
咳きをするたびに塊のような血が吐き出されて、暁はそのまま海面に膝を付いた。
探照灯内臓の眼球が焼き切れ左顔面の皮膚が焼け爛れたまま、熱で朦朧とした息を整える姿に、響は「自分のせいだ」とつ呟き、歯噛みする。
“ルサールカ”への警戒中、その敵影を捕らえた瞬間、思わず身がすくんでしまっていた。
確かに因縁多く、そして恐ろしい敵ではあると自覚していたが、まさか土壇場で自分が固まってしまうとは夢にも思っていなかった。
10年のブランクで感が鈍ったなどとは、口が裂けても言えない、完全なミス。
響自身が隠していた臆病が、最悪のタイミングで出てしまったのだ。
自分が硬直しなければ、暁がここまでの無茶をすることもなかった。
もっと安全に、こちらの損害などひとつも出さずに、開発資材を奪取できていたはずだ。
現に、暁は旗艦としてリスクを負わないように、慎重に立ち回っていた。
その慎重さを崩させたのは、完全に自分の失態だ。
出撃前に偉そうなことを言っておいてこの様かと、思わず涙ぐんだ響に、その頭に手が添えられる。
見れば、暁が朦朧とした表情で、響の頭を撫でていた。
撫でると言っても、暁の右手は天龍刀を用いた影響で、感覚が完全に死んでいるはずだ。
インナーを人工筋肉化して、無理やりに頭を撫でる形に動かしているだけのものだ。
「……ダメね。こんな時くらいしか、お姉ちゃん出来ないなんて……」
「しょうがないなあ……」とでも言いたげな困った顔の暁に、響はすぐに「違う」と、否定の言葉を告げることが出来なかった。
暁にそういう役割を強いなかったのは、響や、六駆の妹たち皆だ。
ひとりで負担を背負おうとした姉に、これ以上の負荷をかけないようにと振る舞ってきたはずなのに。
結局は、こんな大怪我までさせてしまっている。
暁だって、もっと頼って欲しかったはずだし、信頼して欲しかったはずだ。
艦船としての姉妹関係など、あってないようなものだろうと響はひそかに思っていたが、それはあくまで艦船における話だ。
艦娘としての姉は、ちゃんとその役割を果たす準備も、覚悟もしていたのだ。
そんな姉の残念を思うと、響は申し訳なくて、帽子を目深に被ることしかできない。
そうして閉じこもろうとする響は、姉の「まだまだ難しいなー」と、困った様にため息を付いて、再び海面に両の足で立つ姿を見る。
体勢が崩れ、仰向けに倒れそうになるのを、響は慌てて支えた。
二番艦の仕事に安心を得たものか、暁は笑んで、次の工程へと歩を進める。
「……時間、なさそうだから、さっさと資材確保、しちゃいましょう? 早くしないと、軽巡級の残骸が沈んじゃう……」
暁が指さした先、軽巡ホ級の残骸は黒い泡となって海中に沈もうとしていた。
背部艤装のアンカーをホ級の残骸にひっかけて、暁と響、ふたりで曳航を開始する。
響の脚部艤装が不完全なため、通常の、巡航速度以下での曳航となる。
黒い泡を発して崩壊した軽巡ホ級は、最低限の船体フレームと、そのフレームに繭のように癒着する黒い卵型のパーツを残している。
艦娘に置き換えると、この黒い卵型のパーツが艤装核にあたる部分なのだろう。
電の話では、この卵型のパーツに、開発資材が内臓されているのだという。
曳航の途中、響はこの卵型のパーツに違和感を覚えていた。
開発資材が内臓されているものだと電は言っていたが、大きさとしては小さな子供が膝を丸めて入れる程度なのだ。
資材というのだから、内蔵されているのは海中に沈んでいるはずの艦船の部品か弾薬かといったところなのだろう。
しかし、響の脳裏には嫌なイメージが憑りついていた。
この卵型のパーツに、「人ひとりが入れるな」と想像したことがいけなかった。
中に入っている開発資材が、人の形をしているのではないか。
そう、勘ぐってしまうのだ。
そして、それよりも響が気になるのは、暁の症状だ。
今でこそ落ち着いて曳航作業を続けているが、その表情からは、だいぶ意識が朦朧としているのが伺える。
破片で肺を傷付けたこともそうだが、生態艤装の探照灯を使ったのが不味かった。
肉体のダメージは入渠で全快するが、脳にダメージを負った場合、記憶障害が起こる可能性が高い。
艦娘にとって記憶は、思い出は、代えの利かない大切な部品だ。
それが失われる可能性が濃厚となったのだと思い至り、響はもう気が気ではない。
その喪失を一番悲しむのは、失わせてしまった響か、失ってしまった暁か。
それとも、ふたりの帰りを待つ提督か……。
「暁? 意識は、はっきりしているかい? 無理そうなら、私ひとりで曳航するよ」
「大丈夫……。響は……、“ルサールカ”の警戒……、を……」
言葉が途切れがちになっている暁に、響は焦りを強くする。
敵艦隊との交戦中に一瞬だけソナーに反応があった“ルサールカ”も、今はすっかり姿を潜めている。
ソナーの誤作動だったとは考えにくいし、“ルサールカ”ではなかったとしても、あの海域を潜航している勢力が確実にいたという事実は揺るがない。
あのタイミングで仕掛けてこなかったというのならば、後はもう、開発資材を曳航して鎮守府へと帰投する、今このタイミングしかない。
多くの懸念が頭の中で渦を巻き、自分の感が外れてくれればいいと強く願う響は、前方に光を見た。
「――まさか、鎮守府正面に、敵艦が……!?」
息を詰めた響は、横目で暁を見る。
同じように前方を睨んで呼吸を落ちつけようとしている暁だったが、誰の眼にも、もう戦える状態ではない。
いま戦えるのは自分だけ。
右腕で連装砲を構え、荒くなりそうな息を整えていると、ふと、暁から声が掛かった。
「響。あれは、違うわ……」
その声に息を詰めて戸惑う響は、自分の視野が狭くなっていたことに恥じ入る思いだった。
暁が片方の眼を向ける先、ふたりに向けられる光は、点滅を繰り返し信号を送り続けている。
光、探照灯の担い手は、ふたりを見送った妹艦、雷だ。
提督に出撃許可をもらって、単独で出撃したのだろう。
「ちょっとおぉぉ!? 通信切ったまま繋がらなくなっちゃったから心配したのよ!? それに、……暁! 大怪我じゃない! 入渠の準備お願いしておいたから、早く、帰るわよ!!」
帰る、鎮守府に。
帰還できるのだと確信を得た瞬間、響の体を脱力が襲った。
安心に、安堵に、気が抜けてしまって。
しかしまだ、そうして気を抜いていい段階ではない。
自分はまだ仕事を完遂してはいない。
“ルサールカ”への警戒は、鎮守府へ帰投するまで続くのだ。
「私が暁の代わりに資材を曳航するわ? 暁は……、ほら、私の肩につかまって? 響、追手は? 大丈夫なの?」
「今曳航している“これ”を残して、すべて撃沈したよ。“ルサールカ”は、一瞬だけ反応があったけれど、それ以降姿を見せていない……」
「この直下にいる可能性もあるってことね? 対潜特化装備で出撃して大正解だわ?」
暁と肩を組み、自らもアンカーをセットした雷は、準備完了の合図を響に送り、仮想スクリューを再展開した。
「……もう、こんなにボロボロになって……! ……治ったら、お説教なんだから……!」
朦朧としている暁に額を寄せる雷は、語気も荒く、眼には涙が溜まっている。
通信系の不調で連絡が取れなくなってから、こちらの安否が確認できず、今まで不安だったのだろう。
自分が逆の立場ならと、響は考える。
やはり、居ても経ってもいられないはずだ。
単艦出撃という暴挙に出る気持ちも、痛いほどに理解できる。
10年間、距離を置きつつ、壁をつくりつつも、共にあった自分たちだ。
気にかけていた姉妹が永久に失われるかもしれない恐怖は、敵影への怯えに勝る。
自らの油断でそうなっていたかもしれないと思うと、悔しさと共に涙が込み上げてくる。
大きな後悔をひとつ、得てしまった。
これは後々まで引きずってしまうなと考えて、ふと、暁が何か言葉を口にしたのを、響は横目に見た。
雷からは「馬鹿なこと言ってるんじゃないの!」と叱る言葉が飛び出て来たが、響は暁の発した言葉に同意する思いだった。
「――次は、もっとうまくやるわ?」と。
口の端を持ち上げて、第六駆逐隊の一番上の姉は、そう言って見せたのだ。
○
第二出撃ドックに辿り着いた艦娘3隻を、提督たちは悲鳴を上げそうになるのを堪えて迎え入れた。
意識が朦朧としたまま曳航を続けていた暁は、体力的にも精神的にも限界だった。
もはやひとりで体勢を維持出来なくなった暁に、提督は艤装の強制解除指示を出す。
発進台に辿り着くより先に、暁の纏っていた全艤装の強制解除が行われる。
雷に支えられながら到着すると同時、暁を抱き取った提督は、前もって用意していたストレッチャーに彼女を載せて、応急処置を始める。
変わり果てた暁の姿に愕然とするよりも、少しでも早く処置しなければという思いが強かった。
付属の計器類を繋いでいく中、暁が手を差し出してくるのを、提督は見た。
その手を取ると、暁は声が出せなくなった口で、言葉をつくる。
「――何か、言うことは?」と。
提督はその問いを予想していて、掛けるための言葉を用意していた。
「お帰りなさい、暁。旗艦の大役、御苦労さま」
その言葉が聞けたことに、暁は満足を得ていた。
出撃前は、不安で響に弱音を吐いていたものが、まったくの杞憂だったと思い返される。
暁の司令官は、ちゃんと司令官だった。
おそらく誰よりも提督に向かない彼ではあるが、暁の欲していた言葉を、ちゃんとわかっていてくれた。
出撃する艦娘の背中を見送って。
帰還する艦娘に声を掛けてくれて。
それが嬉しくて、このまま意識を永遠に手放してしまいそうになる。
視界はぼやけてしまい、提督の姿は見えなかったが、おそらくは泣き出しそうな顔をしているはずだと、手に取るようにわかる。
本当は両の足でドックに立って、胸を張って「ただいま」を言うはずだったのにと、そう思うと悔しくて仕方がない。
だから、次はうまくやろうと、そう思う。
提督に二度と、こんな泣きそうな顔をさせてたまるか、と。
やがて、息を切らせた雷がストレッチャーに飛びつき、少しの衝撃と、からからと車輪が回る音が、暁の耳に聞こえてきた。
これから入渠場へ向かうのだ。
雷と、そして提督は着いて来ているなと、気配でわかる。
響もだ。二番艦として役割を果たした彼女も、泣くのを堪えてストレッチャーに縋り付いてる。
感触が消えてしまっている手でも、握ってさえもらえれば、その温度をはっきりと感じることが出来た。
電は、一緒に着いては来ないだろう。
曳航して来た開発資材を加工するという、重要な仕事があるからだ。
深海棲艦から直接奪取した開発資材がどのような変化を起こすのか、まだこの鎮守府の誰もがわからないのだ。
自分たちの仕事を無駄にしないためにと、きっと涙を呑んでそちらの作業に取り掛かっているのだろう。
出撃場に居なかったまるゆは、おそらくは先に入渠ドックで準備しているはずだ。
必要な場所に、居てほしい場所に先んじてくれるのは、雷の指示か、それとも自らの意志によるものか。
どちらにせよ、後で褒めてやらなければ……。
ちゃんと鎮守府が機能しているのが嬉しいと、こんな意識も途切れかけの有り様で思うのは、まったくどうして場違いかなと。
そう思うこの感情は、自惚れだろうか。
先に逝った仲間たちに、今の自分たちはどうだと、自慢してやりたい気持ちでいっぱいなのだ。
しかし、残念ながら、まだ仲間たちのいってしまった場所へ向かうわけにはいかない。
これでやっと、自分たちはスタートラインに立てたばかりなのだから……。
暁は満足気な笑みを浮かべて、意識を手放した。