孤島の六駆   作:安楽

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第2章:雲の上の世界は
1話:青い瞳に映るものは


 

 

 

 軽巡洋艦・阿武隈は不機嫌だった。

 何が不機嫌なのかと問われれば、「ぜんぶ!」と感情に任せて答えていただろう。

 とにかくそのような心境なのだ。

 

 阿武隈が身を置くのは外界から隔絶されている孤島の鎮守府。

 現在は深海棲艦の支配領海の範囲内となってしまっている場所だ。

 取り残された駆逐艦の艦娘が4隻、この島から出ることも適わず、10年もの長きに渡り燻る日々を送っていた。

 この鎮守府の提督はすでに亡くなり、本部から下った待機命令のせいで、艦娘たちは身動きを取れずにいたのだ。

 

 それから10年。

 この島にある青年が流れ着いたことで、止まっていた時間は動き出すこととなった。

 島に漂着した記憶喪失の青年を提督に据えての活動再開。

 孤島の鎮守府、脱出計画だ。

 

 

 島を脱するための初期工程は水上偵察機を運用できる艦娘を建造すること。

 そのために、深海棲艦を撃破し、その残骸から開発資材を奪取することが最初期の目標だった。

 当時、この島に存在していた戦力は、駆逐艦4隻に潜水艦1隻。

 その内、駆逐艦・雷は速力を失い高速巡航が出来ず、駆逐艦・電は艤装の機能ほとんど損なわれ、海上に二足で立つのがやっとという状態だった。

 計画進行中に偶然発見された潜水艦・まるゆもイレギュラーな部分が多く、実戦投入には時間を要すると判断された。

 そのため、開発資材の奪取は駆逐艦たった2隻で、夜間を狙って決行となった。

 負傷・損害等有りながらもなんとか開発資材の奪取に成功し、軽巡・阿武隈はこうしてこの鎮守府に生を受けることとなったのだ。

 

 こんな時期、こんな場所に生を受けたことを、阿武隈は悲観してはいない。

 自らが艦娘という存在であることは、建造時に刷り込まれた情報で理解しているし、自らのあり方に疑問を覚える程のうろたえもないのだ。

 自分が孤島の鎮守府の面々の立場だとしたら、同じ発案をして、同じ行動に移ったであろうことも推測できるので、彼女たちを恨むような心境にはどうしてもなれなかったのだ。

 

 よって、先程から不機嫌になっている理由というものは別にある。

 人に問われでもすれば「いーえ! ぜんぶですー!」と答えるであろうものだが、ひとりで物思いに耽っている時点では、わりと冷静に自らを見定めることが出来た。

 では、なぜ阿武隈は不機嫌なのか。

 

「……なんでみんなおっきいんですかー!? どう考えてもおかしいでしょー!?」

 

 現在、場所は鎮守府の入渠場。

 艦娘は皆揃って入渠の時間だ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 阿武隈が気に入らなかった最たるものは、この島に取り残された駆逐艦たち暁型4姉妹、その姿だった。

 暁型駆逐艦といえば、その体躯は10~12歳ほどの子供のものであるはずだ。

 それがどうだ、この孤島の第六駆逐隊の艦娘たちは、誰もが17、18歳ほどの少女から大人の女へと片足を踏み入れようかという姿だったのだ。

 性格も一見して大人びいているかと思えば、デフォルト状態の面影を少なからず残していて、阿武隈の困惑を浚った。

 何より釈然としないのは、彼女たちを“先輩”と読んで接しなければならないことだ。

 

 軽巡洋艦・阿武隈といえば、第二次大戦中には駆逐艦を率いて様々な作戦に参加した名鑑だ。

 当然、艦娘としての阿武隈もそのような役割を帯びているのかと思いきや、ここではもっぱら教えられる側、命令系統の末端なのだ。

 本来ならば自分が駆逐艦たちの面倒を見て指示を出して、救けてゆくべきだったはずなのにと思うと、どうしてこんなことになっているのかと理不尽な憤りが腹の底から染み出してくる。

 完全に立場が逆転している上に、彼女たちの微笑ましい目線が、地味に鬱陶しいかったのだ。

 

「……それに。皆、出たり引っ込んだりしてるし……」

 

 ついでとばかりに釈然としなかったのが、彼女たちの体つきだった。

 阿武隈は自らの体つきを劣っていると見ているわけでは決してなかったが、それでも他の艦娘と裸の付き合いとなれば嫌でも目に入るし、意識もしてしまうのだ。

 中でも目を惹くのは……。

 

「ほら、まるゆー。来なさーい。頭洗ってあげる」

「わーい」

 

 湯船に口元まで浸かってぶくぶくと泡を立てている阿武隈の視界を、右から左に、背の高い潜水艦娘が走ってゆく。

 髪は長く背中でひとつ結びにしていて、眉は太めで。

 顔付は幼さを残しながらも体つきはすでに大人の領域にあり、胸元の双丘が動きにつられて大きく揺れた。

 その揺れが目に入る度に、阿武隈の額に青筋が浮いてゆく。

 度し難い理不尽さに耐えられず、思わず湯から立ち上がった。

 

「何ですか、あの超大型バルジ! あれで“まるゆ”!? 絶対おかしいです!!」

「そうよね!? アレ絶対おかしいわよね!?」

「うわあ!?」

 

 立ち上がって拳握ってひとり叫んだ阿武隈の隣り、同じように湯船から立ち上がった暁が腕組みして咆哮に追随したのだ。

 暁の背丈は阿武隈よりも若干高いのだが、その身体つきは控えめに美化してスレンダーだ。

 阿武隈も勝手に親近感など抱いているが、それでも暁は釈然としない人枠のひとりであることに変わりはない。

 

 憤慨の矛先を向けられたまるゆ当人はといえば、洗い場で雷に髪を洗われながら「なんか阿武隈さんと暁さんに理不尽にキレられました……」としゅんとしてしまい、雷に「世の中理不尽なことばっかりよね? 強く生きなきゃね? かゆいところなーい?」などと人生哲学の方に話の舵が切られ始めていた。

 何さあれは、と思いながら再び湯船に肩まで浸かった阿武隈は、隣りの暁も勢い良く浸かるのを横目に見て、眉をひそめる。

 

「……あの、髪。纏めないんですか……?」

 

 「ん?」と疑問符と共に首を巡らせた暁は、生態艤装内臓の左目こそ風呂用の眼帯で覆ってはいたが、髪は纏めず湯船に浸けるままにしていた。

 阿武隈はタオルで髪を纏めていたのだが、目につく限り他の艦娘が誰もそのようにしていない様を見て、もしかすると自分だけ違う常識をインストールされたのかと不安になったのだ。

 

 何を隠そう、阿武隈がこの鎮守府の面々と一緒に入渠したのは、今日が初めてなのだ。

 建造されてから今まで、暁たちが入渠場に連れ込もうとするのを頑なに拒否し続けていた阿武隈だったが、そろそろひと月が立とうという節目。

 時期的ににひとりで入渠する方が気まずくなって来て、こうしてここにいるわけなのだが、現実を見せつけられた衝撃は大きかった。

 体型のこともだが、入渠の作法もこの鎮守府には独特なものがあるのだと頭を抱え始めていた頃、計ったかのようなタイミングで助け舟はやってきた。

 

「入渠に慣れてしまうと、これが癖になるのさ」

 

 そう告げて阿武隈の隣り、暁とは反対側に浸かるのは響だ。

 暁と同じように、青みがかった長い白髪を纏めず湯に浸けている。

 

「この湯の成分には、艦娘の体を強制的に代謝させたり負傷箇所を修復する効果がる。髪も同じで、わざわざトリートメントしなくても、こうして一緒に浸かっていれば自然に補修されるっていう寸法さ」

「でも、それだと、だんだん物ぐさになってしまうのですよね」

 

 響の言を引き継ぐ形で現れた電は、阿武隈と同じように髪を纏めた姿で湯船に浸かった。

 ようやく仲間が現れたことでほっと安心する阿武隈ではあったが、その安心こそがどこか敗けた気になってしまい、釈然としないタイムは依然として継続中だ。

 

「阿武隈ちゃんは髪型凝っているから、セットたいへんだと思うのです」

「そ、そんなことないですよ……。形状記憶で、2秒であの形に出来ますから……」

「……なんだかんだで、阿武隈も物ぐさになって来ていない?」

 

 呆れた風な暁のもの言いに、反論できずにむぐぐと唸る。

 確かに、建造された当時こそ、髪型のセットは時間をかけて丁寧に行なっていた。

 それが、この鎮守府での日々を送るうちに、だんだん省ける手間は省くようになり、髪型のセット自体は形状記憶機能に任せている。

 そのうち、髪も皆のように纏めずに湯につかるようになるのだろうなと、容易に想像できるのが憎たらしい。

 それもこれも、こうして自らを囲むようにして湯につかる先輩艦娘たちの影響だと、阿武隈はむすっと表情を引き結んだ。

 

 そんな阿武隈を見て、同じ湯船に浸かる艦娘たちは満足そうに微笑むのだ。

 視線で「なんですか?」と問うた阿武隈は、皆から「なんでもなーい」と微笑みの返答。

 その視線の意味は、阿武隈にもわかる。

 妹分がここの生活に慣れて馴染んできているのが嬉しいのだ。

 見透かされているようでいけ好かないが、この鎮守府のこれまでを振り返れば仕方のないことだろうと、不服の当たり場をつくれず、もやもやしてしまう。

 

 こうして目をかけてもらって、期待されて気遣いをかけられてはいるが、自分はまだそれらの意志に報いることが出来ていない。

 まだ海面に足を着けることすらしていない、そういう肩身の狭さもあったのだ。

 建造されてすぐに訓練とはならず、まずはここでの生活になれることからスタートだと、鎮守府の方針として言われている以上、焦る必要はないはずだ。

 現に、ルンルン気分で髪を洗ってもらっているまるゆも未だに訓練課程に進んではおらず、そういった意味では阿武隈と同じ、ただの新入り状態なのだ。

 

 しかし、それでも焦る気持ちはある。

 この鎮守府は過去に前線補給基地として運用されていたので資材は豊富にあるが、それも無限ではない。

 そもそも現状、戦力として数えることが出来るのが駆逐艦2隻なのだから話にならない。

 昼間に空母級含む一個艦隊に空襲されればそれまでだし、戦艦級の砲撃を食らっても終わりだ。

 それに、この鎮守府近海に潜んでいるとされる潜水級の脅威もある。

 敵艦側がこちらを見付けて潰そうと思えばいつでもそのように出来てしまい、かつ、こちらはそれに対する緊急手段を持たない。

 

 それ故、今はじっと耐える段階。

 敵に発見されないよう篭城に徹して力を育てる時だ。

 やがてはこの鎮守府を放棄して深海棲艦の支配海域から脱出する計画。

 そのためには安全な航路を確保する必要があり、まずは水上偵察機を運用できる艦娘の力が、すなわち阿武隈の力が必要になる。

 偵察が出来るようになれば、活動範囲が格段に上がる。

 今までは敵空母級を警戒して夜間の出撃しか出来ない状態だったものが、昼間の活動をも可能にする。

 安全な航路を確保することも可能だろうし、もしかすると友軍と接触できるかもしれない。

 目的達成までの工程を、格段に進めることが出来るのだ。

 その重要な部分を自らが担うのだという自覚と重圧はあったが、阿武隈の気掛かりは他にあった。

 こうして、呑気に湯船に浸かっている先輩株の駆逐艦どもだ。

 

 10年もの間、艤装を装着できずに待機状態だった暁たちは、艦娘としてのデフォルトの姿よりも肉体がかなり成長している。

 その成長のせいで、艤装の操作性にノイズが生じてきているのだと、阿武隈は小耳に挟んでいた。

 第六駆逐隊の駆逐艦は、電が完全に戦力外、雷が速力系に異常が見られたため、鎮守府防衛の防空仕様への改造を検討中。

 開発資材奪取のため夜間出撃した暁と響には大きな異常が見られなかったが、帰港後の検査で艤装の操作性に若干の悪化が見られた。

 極端にではないものの感度が落ち、意識すれば妖精たちに指示することが出来ていた響でさえも、今後は発声と指運とで動作しなければならないそうだ。

 オーバーホールする施設がこの鎮守府には存在しない以上、このまま出撃を続ければ、いずれ暁型は戦えなくなる。

 それだというのに、この先輩株たちの呑気なこと……。

 

 このリラックスした雰囲気が、努めてそうされているものだとは、阿武隈も気付いている。

 いくら艦娘とは言え、肉体的にも精神的にも人間、女の子の部分がある。

 メンタルケアの専門医がいない以上、そういったストレスコントロールは自分たちでこなすしかない。

 悪いことばかりを考えずに、休む時はしっかり休むという方針を、先輩株がこうして自ら実践しているのだと思うと、やはりやりきれない思いを抱かざるを得ないのだ。

 

 彼女たちが戦えなくなる前に、道を切り開いてしっかりと固めて置きたい。

 それが、現状を再確認した阿武隈の、おぼろげな考えだった。

 

 

「阿武隈もここの生活に慣れてきたみたいだし、そろそろ司令官も一緒に入れるかしら?」

 

 浴槽の方にやってきた雷が聞き捨てならないことを口走るので、阿武隈は抗議の声を上げて立ち上がった。

 

「おかしいですから! なんで提督と一緒にお風呂入らなきゃならないんですか!? 提督は男の人ですよ!? ……あ! その、新鮮な反応だなーって顔、やめて下さい!!」

 

 阿武隈の言った通りの顔をしていた面々は、各々腕組みしたり顎に手を当てたり考え込むポーズを取った後、湯の中で集まってひそひそと話し始めた。

 

「はい! そこ! ひそひそ話しない! 陰口言われてるみたいでちょっと嫌です!」

「ごめんってば。阿武隈の言う通り、司令官と一緒にお風呂っていうのは、正直どうかと思ってたけど……」

「……なんというか、今さらなのです?」

 

 暁と電が困った様な笑みで「ねー?」と頷き合っているのを、「ねー? じゃありませーん!」と阿武隈が叱りつける。

 

「だいたい、提督が益荒男現人神になって私たちに襲い掛かってきたらどうするんですか!? お互い気まずくなっちゃうじゃないですかあ!?」

「あ、気まずくなるくらいで済むんですね阿武隈さん……」

 

 阿武隈の顔を真っ赤にしての訴えに、いつの間にか浴槽に潜水していたまるゆが反応する。

 

「しかしだ、阿武隈。うちの司令官は、もう何度も私たちと一緒に入浴しているんだ。だいたいは水着着用でもあったけれど、それで司令官が我を見失うこともなかったよ。何故なら……」

 

 一息に言って溜めをつくった響に視線が集まる。

 注目を存分に集めたことを確認した響は、人差し指を立ててこう宣言する。

 

「司令官はもはや、私たちの裸など見慣れてしまっているんだ。そう、司令官がこの島に漂着した当初から、雷が中途半端な色仕掛けやエロ誘導をしていたせいでね……!」

「え、私のせいなの! ていうか知ってたの!?」

「……暁ちゃんに海外のポルノ雑誌持たせて特攻させたこともあったのです」

「――は? ……ああ! あれか! うわあ!!」

 

 今さら自分が何を持たされていたのかに思い当たった暁が、真っ赤になった顔を湯船に突っ込んだ。

 「ま、敗けません!」となぜか張り合って潜水開始したまるゆを放って置いて、響はこの馬鹿話を決着の方向へ進める。

 

「だからこそ、これからは一層刺激的な感じでいくべきだなと、思うわけだよね」

「そうね。常時裸に白衣くらいは許されるかしら?」

「裸エプロンだとちょっと寒いので、裸割烹着あたりで手を打ってもらえるとありがたいのです。出来ればソックス有りで」

「そんなことする前に! 皆お風呂上りはちゃんと服着るようにしてくださーいー!」

 

 阿武隈の叫びに湯船から顔を出している面々は「はーい」と返事して、湯の中にいる連中は手を挙げて了解の意を示した。

 「なんで聞こえてるのよ……」と半目になった阿武隈が、浮上しようとする暁の頭を上から押さえつけ、本日の第一ラウンドのゴングが鳴った。

 勝者はもちろん阿武隈。

 姉艦由来のキメポーズをとって勝ち誇る長良型の末娘は、抱いていたモヤモヤやイライラが少しだけ発散されるのを感触として得ていた。

 その横、暁が半べそかきながら拳を握って「泣いてなんか、ないんだからね……!」と鼻をすする。

 入渠場の湯は特殊で、潜っていても呼吸ができる仕様になってはいるが、いきなりの攻撃にパニックになってしまったのだろう。

 そんな、暁型長女の情けない姿を目の当たりにした面々は、

 

「ワンちゃんが、群れの中で力関係をはっきりさせたような、そんな感じに見えるのです」

 

 という、電の冷静な分析に深く首肯した。

 

 

 

 ○

 

 

 

 曇っていて、それでいて薄暗くある夜空の下。

 鎮守府の庭に設置したドラム缶風呂の中で、提督は深く長い息を吐いていた。

 この、体を軽く曲げて入れる狭い湯船が、提督に取ってはとても落ち着く場所なのだ。

 艦娘たちと一緒の入浴となると目のやり場に困るし、緊張して体の力が抜けず疲れも取れないのだ。

 決して彼女たちと一緒という状況が嫌なわけではないのだが、やはり困るものは困る。

 提督という一応立場ある役割である以上、必要以上の粗相はしたくないものなのだ。

 以前の酒宴の時のようなひと口ノックアウトはもう勘弁願いたいし、あまり過剰なスキンシップに晒されては欲望に流されてしまうかもしれない。

 

「……流されるのかな。僕は……」

 

 思い至って、ふと考えてみれば、自らがそういった流れに身を任せる様を提督は想像できなかった。

 理性を保ち続ける自信こそなかったが、かと言って艦娘たちに襲い掛かる自分も想像し難い。

 結局は手を出せずじまいで軽蔑されるのが落ちだろうと、提督は安堵しつつ「それはそれで嫌だなあ……」と空を仰いだ。

 

 それに、と思い浮かべるのはひと月前に建造した新たな艦娘の姿だ。

 彼女との関係はまだまだぎこちなさが残るが、悪い方向に転ぶような舵は取っていないはずだと、そう思いたかった。

 この鎮守府の、提督や暁たちにとっての希望。

 そういった重圧を感じて欲しく無いと思うのは、やはり虫が良すぎるのだろうか。

 彼女の不満気な様子、燻った姿を、最近よく目にする。

 そろそろ動き出したいと考えているのだろう。

 

 

「提督? 湯加減はどうですか?」

 

 考えの渦中にいた艦娘の声がして、提督は首を巡らせる。

 そこには風呂上りの阿武隈が、Tシャツにホットパンツ、サンダルというラフな格好で、瓶の飲み物を両腕で抱えていた。

 薄着に、乾ききっていない髪と、湯冷めしないだろうかと心配になる提督だったが、当の阿武隈はそんなこと気にする風もなく、備品置きに使っているビールケースの上に持ってきた飲み物を並べていく。

 

「ラムネと、コーヒー牛乳と、あとフルーツ牛乳がありますよ。どれにします?」

「コーヒー牛乳を頂けるかな。阿武隈は?」

「私はさっき入渠場で頂いて来ました。あ、というか提督! 暁姉妹がお風呂上りに裸で徘徊するの、やめさせてください! みっともないったら!」

「……やっぱりそう思うよね。けれど、この鎮守府は元々、そういう規律面はゆるかったみたいだから……。ねえ?」

「ねえ? じゃありません! いくらゆるくても誰も見てなかったとしても、全裸で外まで出歩くようなのはただの痴女です痴女! もう、なんですか提督! 厳格なお家に婿入りしてあんまり強くものを言えない情けないパパみたいですよ!?」

 

 強い口調で糾弾されるものの、提督にはいまいち阿武隈の言ったようなシチュエーションが想像できなかった。

 阿武隈の言うことはもっともだが、彼女たちがそうして“いつも通り”をしているのは、それだけ緊張しないように生活できてるということではないか。

 新入りがいる手前、努めてそのようにしているとも取れるが、今の彼女たちならば自らに大きな負担をかけるようなことはないだろう。

 

「阿武隈はしっかりしていて、頼りがいがあるね?」

 

 誤魔化しの意図を込め、しかし本心からの言葉を告げると、頬を膨らませて腕組みしていた新入りは、驚いたように目を見開いた後、えへへと頬を緩ませた。

 褒められたことが素直に嬉しい様子で、六駆の面々が「昔の暁そっくり」と言っていたことを思い出す。

 その暁も昔のような仕草を取り戻しているよなと考え至った提督は、阿武隈が早くも嬉しいモードから復帰して再びお怒りモードに舞い戻った姿に苦笑する。

 

「もう、提督ー? 本当は皆の裸が見たいだけなんじゃないですか? だから厳しく注意しないんです! 執務室にエッチな本隠し持ってるって言うし!」

「いや、待つんだ阿武隈! 本を隠しているのは執務室ではなく、寝室の方だよ! ……あ」

「ほーらやっぱり! 提督のエッチ!」

 

 顔を真っ赤にした阿武隈の言葉に、提督は浅い湯船に沈んでしまいたくなった。

 先ほど阿武隈が言っていたシチュエーションを継続するならば、「肩身の狭い婿養子のパパが、エロ本の隠し場所を娘にうっかりバラしてしまった」といったところだろうか。

 多分に意味がわからなかったが、しかしダメージは大きかった。

 「うわあ……」と呻いて湯船に沈没するする提督の姿に、阿武隈は暁によく似ているなあと妙に感心した様子だ。

 そして、罪悪感を抱いたものか、少しだけ表情が暗くなる。

 

「あの、ごめんなさい。提督だって窮屈ですよね。男の人ひとりだけで……。気が休まる時なんてないんじゃないですか……?」

 

 一転、心配そうな表情と口調になる阿武隈に、提督は湯船の中に落ちたタオルをしぼって頭に乗せて、「そうだねえ……」と感慨深げに空を見上げた。

 曇って薄暗い夜空、星は見えない。

 あの雲の向こうには広大な星空が横たわっているのだという知識はあるが、記憶がないせいかそのイメージは漠然としている。

 

「最初はね、そりゃあ、緊張の連続だったよ。記憶がないから以前どうだったかはわからないけれど、僕はあまり女の人が得意じゃなかったみたいだから……。皆の普段の振る舞いにも、幾度も緊張させられてしまったよ。見ず知らずの美人さんが密着してくるわ、あられもない姿で歩き回るわで……」

「……今は?」

「今は、ちょっとだけ慣れて、気にならなくなったかな。いいや、ごめん、やっぱり緊張するものはするよ。でも、なんというか……。見ず知らずの他人じゃなくて、新しい家族のそういう面を見せつけられている気まずさ、とでもいうのかな?」

「阿武隈たちは、妹か何かですか?」

「家族にカテゴリすると、そうなのかなって。阿武隈は嫌かい?」

 

 小声で「嫌じゃ、ないです……」答えた阿武隈は、嬉しさと不服が混ざった複雑な表情をしていた。

 家族扱いも妹扱いも顔のにやけが止まらなくなるほど嬉しい様子だったが、それでもまだ何かが足りないと言いたげな部分を残しているようだ。

 物足りなさについては定かではなかったが、嬉しさの原因は大よそ理解できる。

 提督はそれを、艦娘の建造時に刷り込まれた好意のせいだろうと推測する。

 

 指南書にも記載されていたし、電からも聞いていたことだが、艦娘は自らの建造を承認した提督に無条件に好意を寄せるものなのだという。

 建造時に提督への刷り込むことにより、初期運用における摩擦を最小限にする目論見だ。

 もちろん、この好意は永遠に続くものではない。

 無茶な運用をしたり、艦娘に理不尽な要求・命令をしたりすれば悪感情が蓄積していくし、そうでなくとも共にあるうちに提督の人となりを見て好悪の落差は生まれるものだ。

 人間と同じなのだ。

 

 今こうして無条件の好意を向けられることを、提督はむずかゆく思い、そして申し訳なく思ってもいた。

 艦娘にとって、提督への第一印象を最初から決められているというのは、後々どれだけの苦痛となるのだろう。

 これからの動きの中で、阿武隈も提督に対する印象を自分で決めていくだろう。

 好かれるにしろ嫌われるにしろ、その時の彼女の感情を、自分は冷静に受け止めることが出来るだろうか。

 そう提督が考え、深刻な表情になろうかという時、くしゃみが出た。

 

「あ、湯加減湯加減。阿武隈がやりますね?」

 

 ドラム缶下の火に薪を放り、息を送るための竹筒を手にしたところで、阿武隈はこけた。

 嬉しくて調子に乗ってしまったせいか、慣れないサンダルなど履いたせいかはさて置き。

 体勢を崩せば火とドラム缶の方に頭から突っ込もうかという艦娘の姿に、提督は慌てて身じろきして、いつかのようにドラム缶ごと地面に倒れ込んでしまった。

 

「ああ、提督!?」

 

 湯と一緒に脱出することが叶わなかった提督は、これまたいつかのようにドラム缶ごと転がって、転がって、転がって坂に差し掛かる。

 ああ、またか。

 二度目ともなると、さすがに覚悟は出来ている。

 横倒れになったドラム缶の中で四肢を突っ張り、態勢を固定すれば、速度が付いた時に投げ出されることも体をぶつけることもないはずだと口元に笑みを浮かべた瞬間、阿武隈の悲鳴が響いた。

 

「提督!? 何で今のうちに脱出しなかったんですか!?」

 

 ああ、それもそうかと内心で額を打つ頃には時すでに遅く、提督を載せたドラム缶は坂を緩やかに転がり始めた。

 

 

 後日、あれだけ提督と一緒に入渠することを拒んでいた阿武隈がドラム缶風呂禁止を強く提案して、提督に緊張を強いる入渠の時間が戻ってきた。

 

 

 


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