孤島の六駆   作:安楽

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5話:彼方より迫る敵意は

 

 

 初めて足を踏み入れた海上は波も風も無く、ひどく寂しいものだなと、阿武隈は目を細めて灰色の大気を深呼吸した。

 対潜哨戒任務の初日。

 阿武隈を旗艦として二番艦に響、そして殿となる三番艦に暁を置いた第一艦隊は、高速巡航形態にて鎮守府近海に展開していた。

 高速にて航行する阿武隈たちが、風を生み、波を生む。

 それがなければ、この海域の時間が止まっているのではないかと錯覚しただろう。

 阿武隈はもちろん、以前一度だけ夜間出撃したことのある暁と響も、この海域の異常さを改めて自覚する思いだった。

 波の無い平面の海。

 灰色で硬い水質。

 ここが海上であることは響も暁も知っているはずなのだが、まるで湖ではないかと錯覚してしまう程の静寂だ。

 昼の薄明るい光の下で見るその光景は、やはり精神に来るものがある。

 まるで心を病んだ絵描きの、その絵画の中に迷い込んだかのような感触だろうか。

 水平線の向こうまで波が立たない広大な水面は、自分たちが航行しているこの場所が、もう地球上には存在しないのではないかと、そう不安を掻き立てるのだ。

 もしも外界からの漂流物が島に流れ着くことがなかったのなら、その思いはさらに強くなっていただろう。

 

 しかし漂着物の存在によって、まだ自分たちの鎮守府がこの地球上にあるのだと自覚することが出来たし、何より提督が流れ着いたお陰で、こうして鎮守府近海に踏み出すことが出来たのだ。

 

「……って言うと、提督が流されて来て良かったって言ってるみたいで、なんかやーね?」

 

 殿の暁が目を細めて言うと、阿武隈も響も後ろを見ずに口を横に広げて苦笑いだ。

 

 こうして比較的和やかに始まった対潜哨戒任務。

 此度の装備は対潜・索敵特化であり、主砲も魚雷も積みこそすれど、弾数は最低限のものだ。

 水面下の敵を探して掃討する、あるいは敵艦載機の反応を捕らえたならば、すぐに踵を返して撤退する。

 もしも敵機に見つかり、敵艦隊と交戦せざるを得ない状況となった場合は、鎮守府第二出撃場で待機している雷とまるゆが抜錨し、対空・対艦戦闘の用意と相成る手筈だ。

 リスクが大きい方に転ばなければいいなと、阿武隈と後続の響たちは艤装の機能を弄って迷彩を展開する。

 昼間の洋上迷彩。

 本来ならばダークブルーを基調とした色になるはずだが、この海域の色彩に合わせて調整した結果、暗いグレーに落ち着いた。

 あまり好きな色合いではないなと眉根を寄せる阿武隈だが、そう不平も言っていられない。

 水上の、ひいては空を行く敵に見つかってしまえば、今日のところは即座に撤退となってしまうのだから。

 リスクの最小化を選んだ結果、慎重になり過ぎていると思えなくもないが、そうしなければ一手読み違えただけで詰む可能性もあり得るのだ。

 

 そんな深刻な考えとは別に、阿武隈の頭の中では他の考えが展開していた。

 もちろん、敵艦隊のことは常に頭の片隅には置いているし、即座に対応できるだけの反射神経もある。

 緊張で委縮する段階はもう過ぎて、今は束の間の余裕を臓腑に置いたような心持だった。

 そうして余裕が出て来ると、ひとまず考えが及ぶ場所がある。

 

「提督は、どんな色が好きなのかな……」

 

 前髪を弄ってひとり呟く阿武隈は、背後からの視線がにやにやと気持ちの悪いものに変わったことを察して、努めて後ろを見ないようにと心掛けた。

 後ろで聞いている者がいるというのに乙女な独り言など呟いてしまうとは、これは余裕ではなく油断かと、改めて表情を引き締めん思いだ。

 しかし、そうして気を引き締めようとするとかえって力んでしまうようで、ちょうどいい塩梅と言う感触が得られない。

 

「阿武隈、余計な力が入っているよ。もっとリラックスだ」

 

 阿武隈の力みを指摘する響は自ら蛇行して余裕を見せ付けてくれるが、それで後続の暁と衝突しそうになるのはいかがなものか。

 それでも、暁は、響の急な挙動をぎりぎりのところで回避して、それどころか高速巡航中に2隻並んだり交差したり、終いには手を繋いでぐるぐる回り始める有り様には、阿武隈もさすがにぎょっとして背後を振り返らざるを得なかった。

 

「もう! ふたりとも何やってるんですかあ!?」

「阿武隈はあんまり真似しちゃダメよ? 前に式典で響とコレやって、那智さんにマジで怒られたんだから」

「……確かにあまりほめられたものじゃないけれどね。でも、練度を見せるには手っ取り早いのさ。夜間ならまだしも、視界良好のこの環境ならば、高速巡航からの急旋回も可能さ」

 

 実際に高速巡航の速度で曲芸染みた真似をして見せる2隻に言われてしまえば、確かに高い練度を誇っているのだろうと納得するしかない。

 しかし、それとこれとは別ではないかと頬を膨らませる阿武隈に、響は駄目押しとばかりに彼女の足元を指摘する。

 

「ほら、いつもの調子に戻ったら、きちんと対応できているよ。少なくとも私たちは、背面移動なんて教えた覚えはないからね」

 

 言われて初めて気付いたが、阿武隈は後続の響たちへ体を向けたまま、後ろ向きに航行していた。

 単にボード上で体勢を入れ替えて前後を逆にしただけだが、確かにこんな挙動は教わっていなかったし、やろうと考えたこともなかったなと思い至る。

 そもそもが狭い出撃場内での訓練のみで、こうして広い海域を巡航したことすらなかったのだ。

 それなりの場所に出れば、それなりの動きが出来る。

 これが基礎の積み重ねの結果なのだろうとは思うが、そう自覚するだけの感触はまだ手元に得られていない。

 幾度も出撃を繰り返し、時間をかけてそういった慣れや手応えを得ていくのだろうなと思考を臓腑に落として頷いていると、若干濃いめの視線を感じて恐る恐る顔を上げた。

 響と暁が、まだにやにや笑いを解いていないのだ。

 

「建造からもう1ヶ月以上も過ぎてるけれど、未だに司令官へのお熱は冷めていないようだね。熱々?」

「な、なんですかその言い方! お熱もお熱、熱々ですけど!?」

「なんで半ギレ気味なのよ。別に悪いことじゃないわ。まあ、個人差があることなんだけど……、そろそろ初期の刷り込みが薄れてくる頃、なのよね? だから、そろそろ司令官への好意が本物かどうか、はっきりしてくる頃なの」

 

 暁に言われて、阿武隈は今さらながらに体中の温度が上がってくるのを感じた。

 特に顔面が酷く、潮気の濃い大気を頬に浴びる度に、ひりひりと肌に染みてくるようだ。

 全身の毛穴からびっしりと汗が噴き出てきて、妙な脱力感に襲われている気もする。

 今までは“そういうものだ”と思ってなんとなく受け入れていたものが、ここに来てはっきりと自覚させられた。

 自分は、提督に好意を抱いているのだと、再確認させられたのだ。

 何が、刷り込みは薄れたか、だ。

 日に日に想いは募るばかりで、むしろ苦しいくらいだとも。

 不意打ちもいいところだ、こんな大事な時にするべき話ではない。

 顔を真っ赤にした阿武隈が後続を睨むと、返ってきたのは響の穏やかな笑みと、

 

「司令官のこと、好き?」

「わ、私的には! 全然、大好きですけれど!?」

 

 それが悪いかと問い返すように大声を上げても、響も暁も満足そうな笑みを浮かべるだけだ。

 まるで娘の成長を喜ぶお母さんではないか(まあ、この例えに阿武隈は実感を得てはいないのだが……)と鼻息を荒くしていると、鎮守府より通信が入った。

 秘書官の電からだ。

 

『あの、阿武隈ちゃん。たいへん言いにくいのですが、艤装のレコーダーが“入”の状態の時は、艦隊行動中の艦娘の会話はほとんどすべて録音及びリアルタイムで再生されているのでして……』

 

 さっと血の気が引いてゆく感触を血管に覚え、阿武隈は無言で電の言葉の先を待った。

 

『つまり、今までの司令官さんへのラブコール、ぜんぶ司令官さん本人に筒抜けなのです』

 

 表情を消して、ふっと息を詰めて下腹に力を込め、感情の波を堪える。

 恥ずかしくて轟沈しそうな気持ちを必死に堪えているところへ、困った様な提督の声色が紛れ込んで、阿武隈はびくりと強張った。

 

『ああ、阿武隈? 僕は阿武隈の、そのままの色が好きだよ。蜂蜜色の髪と、晴れ渡った空のような瞳と……」

「もう! 提督、青空見たことないかもって言ってたじゃないですかあ! それで晴れ渡った空なんて、わかるわけ、ないじゃないですかあ!!」

『でも、阿武隈の瞳はその色なのだよね? 綺麗な瞳、阿武隈の色だ』

 

 ダメ押しだった。

 阿武隈は高速巡航中にも関わらず、「なんでポエム……?」と呟くと、両手で顔を覆ってボード上でしゃがみ込んでしまった。

 先の好意に対する返答にも微妙になってはいなかったが、提督の口から自分の名前と“好き”という単語が続けて聞けて、顔がにやけたままで固まってしまうのを抑え切れないのだ。

 そんな阿武隈の様子に後続の響と暁は、しゃがんだままの姿勢でも問題なく航行できていることに、顔を見合わせて「練度ばっちり」と頷き合う。

 これを面白がった雷とまるゆが通信に割って入って「ひゅーひゅー!」「た、隊長が、ポエマーに……!」と茶化し始めたものだから、被害は阿武隈だけではなく鎮守府側にまで飛び火。

 執務机に突っ伏して顔を覆っている提督の姿を、電がしっかりと画像に収めていた。

 

 

 そうした馬鹿騒ぎの勢いが落ち着いてきた頃だ。

 阿武隈は、自分の装備しているヘッドホンの、電探の妖精たちが騒ぎ出す様を目と耳で確認する。

 対空電探に感有り。敵航空機の存在を察知したのだ。

 

「早速お出ましと言うわけだね……。阿武隈、敵航空機発見後の、その次の動きは?」

「ええっと……。全艦、機関停止。洋上迷彩のまま海上に静止して、敵航空機をやり過ごします。相手はまだこちらの存在に気付いていないから、止まっていさえいればやり過ごせるはず……」

 

 出撃前に、幾度も綿密に打ち合わせていた手順だ。

 目標はあくまで水面下の敵潜水級。

 ならば、空の敵は出来るだけやり過ごすように立ち回ろう。

 足を止めて迷彩に頼り、敵航空機をやり過ごす。

 これで見つかってしまった場合は、早くも戦闘態勢だ。

 

「――二番艦から進言。どうやら、その線でいくのは厳しいみたいだ」

 

 自らのヘッドホンの耳を押さえて告げる響に、阿武隈の背筋が凍る。

 

「ソナーにも感有り。敵潜水級1、恐らくは潜水棲姫、個別コード“ルサールカ”と推定。上空と海中とで挟み撃ちだよ。恐れていた状況さ。こんなにも早く……!」

 

 

 

 ○

 

 

 

 阿武隈の下した判断は、随伴した暁と響が想定していたよりも素早いものだった。

 対潜警戒を維持しつつ、戦闘形態へ移行。

 上下の敵を即座に迎え撃つ構え、その指示。

 足元に敵潜水艦がいる以上、推力を停止すればただの的になる。

 上空に敵航空機がいる以上、動きを見せれば発見される恐れがある。

 立ち止まることが出来ないならば、より自分たちが有利に立ち回れる位置に動いておきたい。

 これが任務開始初日ではなく、数日経って慣れが染みついてしまっていたのならば、判断にノイズが混じってしまっていたかもしれない。

 リラックスついでに集中力を取り戻した今だからこその判断速度だ。

 

「二番艦は敵潜水艦への警戒を継続! 三番艦は情報収集、敵航空機の挙動追って……、それと、敵本隊の位置を……!」

 

 後続に指示を出した阿武隈は返事も待たずに鎮守府への回線を繋ぐ。

 

「こちら第一艦隊、旗艦・阿武隈。敵艦載機及び敵潜水級を捕捉。これより戦闘形態へ移行します! 今のところ敵航空機がこちらを発見した挙動は見せていませんが、別働隊が動いているかもしれません。念のため鎮守府は防空警戒を……!」

『――こちら水無月島鎮守府、管制の電なのです。第二出撃場で待機していた雷ちゃんが、たった今出撃しました。続いて、換装用決戦装備搭載のまるゆちゃんが出撃します。こちらで座標を指定しますので、なるべく敵に発見されないよう気を付けて航行してください』

 

 「そんな無茶な……!」と表情を歪める阿武隈だったが、電の言う通り見つからないに越したことはない。

 とは言え、こちらの電探に引っかかる距離に敵航空機が現れたということは、あちら側もこちらを発見できるだけの距離に来ているということだ。

 水面下を行く潜水級からの攻撃を警戒して高速を保ち続ける以上、敵航空機に捕捉されるのは時間の問題だ。

 こちらが見つかるだけならまだいいが、鎮守府に敵の手が伸びては雷の負担が増すことになる。

 いくら防空特化の改装を行ったとは言え、たった1隻で敵航空機すべてを相手にさせるわけにはいかない。

 

「そうは言っても、たった3隻で敵本体を叩くなんて……」

 

 思わず弱音が口から漏れたが、後続の2隻は聴かなかったふりをしてくれたようだ。

 たった2隻で敵艦隊に夜戦を仕掛けた暁と響だ、これしきの状況は難易度の内に入らないのかもしれない。

 

 これから決戦装備を積載したまるゆと合流後、洋上にて装備換装して、敵機動部隊へ強襲をかけるのだ。

 手順は幾度も確認したし、そのうえで想定される事態への対応も頭に叩き込んでいる。

 落ち着いて手順通りに。

 されど臨機応変に……。

 

「――12時の方向より魚雷2! 取り舵急いで!」

 

 響の切迫した声に、阿武隈は思い切り体を背中側、左舷側へ傾けて舵を切る。

 直後、ボードのすぐ横で水面が破裂した。

 水柱がはじけて降り注ぐ中を進み、これはまずいと阿武隈は口元を引き締める。

 今の爆音と水柱で敵航空機にこちらの位置が知られたのではないか。

 そうして見つかれば、本格的に空と海中とで挟み撃ちにされてしまう。

 

「も、もしかして、“ルサールカ”は他の敵艦隊と連携を……!?」

「――ない、とは断言しきれないね。10年前ならばあり得ないで済ますことが出来ただろうけれど、今もそうだという確証はない」

 

 では、それが有り得るという可能性を追加して、作戦を即時見直しだ。

 

「合流地点の変更を要請します! 想定していたポイントよりも、なるべく鎮守府から離れた地点で決戦装備の引き渡しを……!」

『了解なのです。合流地点を更新、座標は各員羅針盤に送信済みなのです!』

 

 変動する羅針盤をちらりと見て、阿武隈は大きく舵を切った。

 足の遅いまるゆに合わせるとどうしても鎮守府に近い地点での合流となってしまうため、敵を惹き付けかく乱する意味も込めて、わざと遠回りしてタイミングを合わせるのだ。

 追って来ている敵潜水級は、依然ソナーの探知範囲ぎりぎりに出現と消失を繰り返している。

 位置を暁と入れ替えた響が爆雷を数弾投射して牽制としているようだが、芳しい手応えは返らない。

 

「響に変わって二番艦になった暁から確認。まるゆと合流後の動きは?」

「まるゆと合流後、阿武隈、暁両名が決戦装備へ換装。響は対潜装備のまま警戒続行。装備換装完了後、あたしの水偵を発艦させて、敵本隊の索敵を行います! 現状の最優先目標は、鎮守府に直接被害を出せる敵空母級! “ルサールカ”と推定される敵潜水級は、警戒・牽制を継続しつつも今回で倒し切る必要はなし! ……ああ、でも、チャンスがあったら確実に仕留める感じで!」

「いいわ、阿武隈。ちゃんと旗艦出来るじゃない?」

 

 暁に不意打ちされてどきりとしたが、動揺はすぐに落ち着けることが出来た。

 自分の判断に支持を得られる感触がこそばゆいが、残念ながら浸っている余裕はまだない。

 

 更新された合流地点へ向かう途中、“ルサールカ”の反応を見失ってひやりとする場面があったが、敵航空機の急接近が動揺する間を与えてはくれなかった。

 敵航空機の姿は、面長の草食動物の頭骨を模したような外観をしていて、機種は偵察機だと暁は断じた。

 腹に抱えている筒上のパーツは恐らく燃料タンクだと推測、長距離を飛行できる厄介なタイプだ。

 たった1機、敵空母へ帰艦せずにこちらへ向かって来たと言うことは、このまま単騎で阿武隈たちの後を着けて、味方の居場所や鎮守府の場所を割り出すつもりか。

 

 そうはさせまいと、再び響と位置を変わった暁が高角砲を撃ち続けるが、高高度を行く敵航空機に命中する気配はない。

 手持ちの高角砲では仰角が取りづらく、仰角を真上にまで上げられる長10センチ砲は換装用装備の中だ。

 そうした牽制も虚しく、高角砲は早くも残弾ゼロ。

 どうせ換装するのだからと、暁は艤装妖精に指示して高角砲をパージ。

 身軽になって先行する艦隊へ合流する。

 

「……着いて来るだけ。攻撃はしてこないのはわかってるけど、不気味で嫌ね」

「敵航空機に頭上を取られ続けて爽快な気分でいられる艦娘がいるのなら、是非とも会ってみたいものだね。きっと正気じゃないよ」

 

 

 

 ○

 

 

 

 合流地点に辿り着いた時、そこにまるゆの姿はなかった。

 ただ、運貨筒が2機、水上に浮いていただけだ。

 

「まるゆ!? まるゆはどこ!?」

 

 まさか伏兵にやられたのか。

 焦りを帯びた阿武隈の通信に、間延びした声はすぐに帰ってきた。

 

『こちら、まるゆでーす。海中に居まーす』

 

 敵航空機を避けて海中に潜航し、そのついでとばかりに海中を警戒していたのだという。

 確かに、と阿武隈は目線だけで空を見やる。

 こうして敵航空機を引き連れて来てしまったのだ、足の遅い潜水艦が水面から顔を出していたら、いい的だ。

 運貨筒が標的になる可能性もあったが、もしもそうなった場合は仕方がない。

 

 まるゆの判断が正解だったことは疑いようもないが、それにしても肝を冷やしたものだと、阿武隈はため息交じりに肩を落としつつも、口元を笑みの形にする。

 

「もう、びっくりさせないでよー」

『すみませーん。今のところ海中に敵影はなしでーす』

「うん。パッシブにも反応なし。阿武隈は早いとこ装備換装を始めようか?」

「阿武隈ー、お先にどうぞー?」

 

 敵航空機の方は暁が、海中の警戒はまるゆが担当してくれているので、こちらは無事換装を済ませられそうだ。

 2機の運貨筒のうち片方、軽巡用の装備が搭載されている方を開放して、作業用の多目的アームを起動させる。

 対潜装備、主に爆雷の残弾を響に譲渡し、お気に入りの腕部固定式の主砲や背部艤装の副砲を次々と装備してゆく。

 砲塔系の換装を終えて、ソナー代わりのヘッドホンを外そうとした時、耳に不穏な反応を捕らえた。

 パッシブソナーが海中から発せられた反応を感知したのだ。

 身に得た感触は、皮下に氷柱を差しこまれたかのような怖気だ。

 

「――まるゆ! 緊急浮上だ! 急いで……!」

 

 ぞっとして身を竦める阿武隈の傍ら、響が叫ぶように通信で呼びかける。

 しかし通信機から聞こえるのはノイズのみで、その代わりとばかりに、パッシブソナーは幾つも反応を拾う。

 海中で幾つもの音が生まれては消える反応。

 まるゆか、もしくは別の何者かが、海中で魚雷を使用したのだ。

 まさか敵潜水級と接触して、交戦状態に入ったのか。

 

 そう考え至った阿武隈は、それが想定していた中で最も悪い事態だと認めざるを得なかった。

 

 

 

 




 ●



 昼間の薄明りがわずかに差し込む海中で、まるゆは水面に対して頭を向けて、姿勢を垂直に立て直していた。
 自分たちの敵の存在を、ソナーによるものではなく、直感によって察知したためだ。
 パッシブソナーは海中を行くスクリュー音を捕らえてはいない。
 少なくともまるゆ以外には、海中で活動している存在はないはずだった。
 しかし、直感は“いる”と告げている。

 透明度0の海中では自分の鼻先ですら目視できない。
 気持ち悪い灰色に濁った海中ではあるが、しかしまるゆは、その海中にあるものの存在を確かに視認した。
 青白い燐光だ。
 己の視線の先、約20メートル以内に2対、不気味な青白い燐光が寄り添うように漂っている。
 いや、こちらを睨んでいるようにも見える。
 深海棲艦の放つ青白い光、眼光。それが2隻分だ。

 海上の阿武隈たちへ状況を知らせようとするのも忘れ、まるゆは青白い燐光に見入っていた。
 目を離せない。
 あれを逃がしてはならない。
 皆の元へ向かわせてはいけない。
 装備換装途中の味方を、敵の攻撃に晒すわけにはいかない。
 そう、敵だ。
 それはおそらくは、鎮守府の皆が“ルサールカ”と呼ぶ深海棲艦、敵潜水級。潜水棲姫。

 まるゆは、敵と邂逅したのだ。



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