孤島の六駆   作:安楽

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波間④

 

 

 

 アンカーを引き上げまるゆを回収した雷は、響が先ほどから心ここに非ずと言った相で空を見上げていることに、今さらながらに気付く。

 大切な仲間を放って置いて、気を取られることなどあるものかと、何かきつい一言を見舞ってやろうと口を開きかけた雷はしかし、響と同様に視線を空に奪われてしまう。

 そこには、10年間目にすることのない光景があった。

 

「青い空……」

 

 不気味で分厚い雲が晴れて、その向こうの空が顔を覗かせていたのだ。

 提督の言ではないが、空の青い色を見たことがなかったかのような衝撃を雷は受けた。

 恐らくは響も、そして水無月島鎮守府の面々も同じことを考えているだろうと、不思議とそう確信できた。

 

「ねえ、まるゆ。見える? 空……」

 

 意識の無いまるゆに語りかける雷は、笑みを浮かべながらもわずかに顔を曇らせる。

 フロートで浮上していたまるゆは、その途中で艤装が破損、浮力を失って海底へと沈んでゆくはずだった。

 それが、海中で起こった爆発によって浮力を得て、回収用にと投下したアンカーにぎりぎり引っかかって、こうして生還を果たした。

 症状としては重篤だが、一命は取り留めた。

 しかし、目を覚ました時、まるゆがどんな顔をするだろうかと想像すると、雷はつらくなるのだ。

 

 まるゆは、自分が倒した敵を救おうとした。

 救おうとして、それが出来ず、逆に敵に救われたのだ。

 まるゆとの通信が途絶えてすぐ、響のソナーが水中での炸裂音を探知している。

 恐らくは魚雷が炸裂したものだと思われるが、まるゆの残弾は尽きていたはずだ。

 響の見立てでは、“ルサールカ”の搭載していた魚雷がなんらかの原因で爆発して、その余波でまるゆがアンカーまで押し上げられたのだと推測していた。

 その推測に、なるほどと、雷は頷かん思いだ。

 しかし、果たして本当にそうだったのかと、勘ぐる気持ちもあった。

 

 雷は自分の中の推測を、あり得ない話ではないと、そう思いたかった。

 “ルサールカ”は、自らを救おうとしたまるゆの命を、尽きるばかりだった余力で救ったのではないかと。

 回収されたまるゆは、あるものをその手に握っていた。

 歪曲した金属の、髪飾りのようなもの。

 それがソナー、艦娘の艤装であると、雷は確信を得ていた。

 響に意見を求めたところ、苦い顔と共に同意が得られてしまった。

 

 何故“ルサールカ”が艦娘の艤装を身に帯びていたのか。

 その答えは、鎮守府に帰還すればおのずとわかるはずだ。

 敵艦隊を撃破した阿武隈と暁は、回収できるだけの艤装核を曳航して、すでに鎮守府へと舵を取っている。

 こちらもまるゆと、艦首が損壊し機能を停止した敵自立稼働型を響が曳航する準備に入っている。

 頬に潮風を感じ、徐々に足元が波立って来る感触を確かめて、またひとつ確信を得る。

 深海棲艦の支配海域にて、歪曲していた物理現象が正常化されたという事実。

 それは、海域の支配者であった深海棲艦の効力が損なわれたと言うことだ。

 鎮守府近海に影響を及ぼしていたのが“ルサールカ”だったのだとすれば、彼女の死は確実となる。

 

 敵でも死は悲しいのだ。

 多くの仲間の命を奪った怨敵であったとしても。

 10年経っても、この感情だけは変わらなかった。

 自らもちゃんと戦えるのだと喜んでいた気持ちが霧散してゆくのを感じた雷は、目元を拭って移動を開始した響に続いた。

 

 

 結局のところ、この青空が維持されたのは時間にしてほんの数時間程。

 時間と共に再び分厚い雲が覆うのは、新たな姫・鬼級の敵が支配領域を広めんとして移動を開始したからだろうと、そう思い至ることは容易だった。

 事態が好転したのか否かは、この時点では誰にも判定を下すことは出来ない。

 それでも、駒を前に進めた感触だけは、誰の中にも確かに残った。

 

 

 


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