孤島の六駆   作:安楽

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7話:彼女たちに残された時間は

 

 

 

 まさか、またこうしてカレーライスが食べられるとは思っていなかったなあ、と。まるゆは医務室のベッドの上で、目を細め、それどころか表情を緩ませながら合掌した。

 “ルサールカ”と接触し交戦して相討ちとなった後、響、雷両名によって回収され、まるゆは無事鎮守府に帰投。即座に入渠ドックにぶち込まれている。

 肉体の損傷はその日の内に完治したが、その後2日ほど寝込んで、昨日ようやくお目覚めとなった次第だ。

 まるゆが目を覚ました時、鎮守府の誰も彼もが医務室のベッド脇にそれぞれ突っ伏していて、その光景に思わず涙が滲む思いだった。

 

「で、目を覚まして開口一番が“カレー食べたい”で、皆ずっこけさせてくれたもんね。もう」

 

 そう口を尖らせる雷だったが、表情には安堵がある。

 まるゆが目覚めるまでの2日程、カレー作りながら悶々としていたであろうことは容易に想像がつく。

 心配かけてしまって申し訳ないなと思う反面、こうして曜日関係なくカレーが食べられるなら毎度負傷してもいいかな、などと、口に出したら雷を落とされかねないことを考えてしまうのだ。

 無事に帰還できたからこその考えだが、そうして一息ついて思い出すのは、自分が離してしまった白い手のことだ。

 

 そうして表情を消して物思いに耽ってしまうと、雷はお代わりはどうかと勧めてくる。

 今は、先の戦闘のことを考えなくてもいいのだと、暗に言われているようで、申しわけない気持ちになってしまう。

 帰ってきたら雷のことを散々甘やかしてやろうと考えていたまるゆだが、やはり筋金入りの甘やかしには敵わないなと思い知らされる。

 ただ人を甘やかすだけでなく、弱っている者にどんな言葉が必要なのかを、ちゃんとわかっているのだから。

 

 響が医務室にやって来たのは、まるゆが2杯めをぺろりと平らげて一息ついた頃だ。

 雰囲気から、どうやら深刻な話が始まるのではと身構えるまるゆに、響は言いにくそうに告げる。

 

「“ルサールカ”の髪飾りから、かなりの情報を仕入れることが出来たよ。驚いたことに、まるゆとも無関係ではなかったんだ。……聞くかい?」

 

 まるゆの答えは最初から決まっていた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 髪飾りの持ち主はトラック泊地所属の潜水艦娘、伊168。通称イムヤだと判明した。

 彼女の任務は水無月島とトラック泊地との輸送ルートを往復するもので、響たちも幾度か顔を合わせたことがあったのだという。

 そのイムヤの髪飾りを、艦娘の艤装を何故“ルサールカ”が身に着けていたのか。

 

「艤装のレコーダが奇跡的に生きていて、多くのことがわかったよ」

 

 10年前のあの日。

 水無月島の残存戦力が最後の戦いに向けて出撃したあの日。

 イムヤはたったひとり、海中にて“ルサールカ”と邂敵していた。

 出撃した水無月島艦隊に狙いを定めていた“ルサールカ”に対して、イムヤは半ば不意打ち気味に先制攻撃を仕掛け、海中にて交戦となったのだ。

 水中戦は長時間に渡ったが、双方燃料も魚雷も残量ぎりぎりとなったところで、イムヤが“ルサールカ”に致命傷を負わせ、とどめを刺した。

 生態艤装の機能を失った“ルサールカ”が黒い泡と化しながら海溝へと沈んでいゆく光景を、イムヤは苦しげな声で記録に残している。

 

 そこまでを聞いたまるゆは、困惑の表情を浮かべることしか出来なかった。

 隣りで付き添っていた雷も同様で、しかし、何かしら思い当たる節があるのか、口元に手を当てて黙り込んでしまう。

 “ルサールカ”は10年前当時に、すでに討たれていた。

 では、まるゆが対峙したあの“ルサールカ”は、“誰”だったのか。

 その答えが想像に難くなかったためか、まるゆは響の言葉を落ち着いて聞き続けることが出来た。

 

「イムヤはこの鎮守府にて“あること”を成した後、自らの肉体に起こり始めた変化を、克明に記録に残している。自分の体から色が抜け落ちて、そして鑢のように鋭くざらついてゆく様を、声が続く限り記録し続けたんだ」

 

 イムヤは自らの体が深海棲艦のように変化してゆく様を、涙ながらに記録し続けた。

 記録は一度そこで途切れ、再びレコーダの機能が再開されたのは、ほんの1ヶ月ほど前。

 暁と響が、開発資材の奪取を目的として、夜間出撃した日だ。

 

 艦娘の深海棲艦化に関しては、10年前当時でもいくつか噂が立っている。

 噂、と言うのは、少なくとも水無月島鎮守府の艦娘やスタッフの中には、その実物を目にした者がいなかったからだ。

 戦いに不満や不安を抱く艦娘やスタッフが口にした話に尾ひれがついたもの。

 いつしかそう言われるようになっていたのだが、こうして音声記録にて証拠が出てしまったと言うことは、どこかの鎮守府でも症例が確かにあったのだろう。

 ただ、正式に記録が残されなかっただけで……。

 

 まるゆは、それらの話にひとつひとつ頷き、しかし別のことが頭から離れなかった。

 彼女が深海棲艦となってしまった事実に関しては、すでに彼女と対峙して戦ったという実感を持って納得している。

 ショックを受けていないわけではないのだが、しかしそれでも、心をかき乱さんばかりに気になることが他にあるのだ。

 

 

「あの、聞いてもいいですか?」

 

 おずおずと、遠慮がちに挙手をして、まるゆは発言の許可を求めた。

 首肯ひとつして発言を促す響に、まるゆは言い辛そうに口ごもりながら、苦しさを吐き出すように言葉をつくる。

 

「イムヤさんが鎮守府でしていた“あること”って……」

「艦娘の建造、その立ち合いだよ。イムヤは“ルサールカ”を倒した後鎮守府に退避して、空襲を受ける鎮守府内を生存者を探して駆け回ったんだ。そして、火の手が回る中、重傷を負ってもう長くはなかった武藤提督代理を見つけて、共に大和型戦艦の建造を、その承認に立ち会ったんだ」

 

 即ち、ここにいるまるゆの建造に立ち会った艦娘が、“彼女”だったのだ。

 今まで建造の立ち会い者がわからなかったのは、イムヤの艤装が変質して誤作動を起こしたか、もしくは艤装にかけられているリミッターが外れたかしたのだろうというのが響の見立てだ。

 

「……まるゆ、二度もイムヤさんに助けられたんですね」

 

 そう小さく呟くまるゆは、目を伏せて両手を、掌を見つめていた。

 

「冷たくて痛かったけど、絶対に離すもんかって思ってたのに……」

 

 顔を上げて見えるのは、沈痛そうな響と雷の顔だ。

 心配などさせたくはなかったが、どうしても問わずにはいられなかった。

 

「まるゆは、助けられなかったんですね……?」

 

 すぐに雷が「違うわ!」と叫び、もうそれ以上言うなとばかりにまるゆを抱き締める。

 自分の不足を嘆くまるゆに、雷はずっと「違うのよ、そうじゃないの」と、涙声で説き続けた。

 先に泣かれてしまったことで、まるゆはようやく、自分が泣きたかったのだと思い至る。

 しかし、出撃前に雷を散々甘えさせてやろうと誓ったばかりではないかと、努めて笑おうとして。

 そうして強がって見ようとはするが、結局は自らも眼窩から溢れてくる熱を抑えられなかった。

 

 

「彼女を助けられなかった。そう決めつけるのは、早計かも知れない」

 

 響がそう口を開いたのは、ふたりが一応の落ち着きを取り戻すのを待ってだ。

 

「“彼女”の撃沈は確実だ。私たちはその証拠を、この目で見ているからね。しかし、ならば、だ。まるゆは何故、イムヤの時のように深海棲艦にならなかった?」

 

 確かにそうなる可能性もあるのだろうなと、まるゆはどこか他人事のような心地で自分の体をまさぐった。

 今のところ苦しいとも痛いとも感じていないし、雷が診察した結果も健康体そのものだ。

 艤装核にも問題はなく、再び出撃することも充分可能。

 では、イムヤが“ルサールカ”となった事例と、何が相違しているのか。

 

「確証が得られない推測は脇に置いて、単純に本体が死んでいないから、という考え方も出来るのではないかな」

「待って響。それじゃあ、あの青空は?」

「私たちが想像しているものとは違う現象なのかもしれない。そもそも相手は、元艦娘とは言え深海棲艦だ。一度死んで蘇る、なんてことがあるのかもしれない。それに……」

 

 彼女が生きていると判断する上で、重要な根拠がもうひとつある。

 そう響が告げるのを、まるゆは期待を込めるような眼差しで聞き入っていた。

 

「私たちが鹵獲した敵自律稼働型。どうやら、完全に機能を停止していないみたいなんだ」

 

 

 

 ◯

 

 

 

 先の戦闘時に撃破した敵自律稼働型は響の手によって拿捕曳航され、鎮守府第二出撃場に拘束されていた。

 医務室からやって来た一同は、先に作業していた提督たちと「水揚げされた巨大魚」にしか見えない敵機の姿を、何とも言えない表情で眺めるしかできなかった。

 その敵自律稼働型の変化に気付いた雷が、「あ」と短く声を上げる。

 

「破損箇所、直ってきてない?」

 

 まるゆには撃破時の損壊具合はわからなかったが、他の面々の話を聞くに、敵自律稼働型はここ2日の間に自己修復を行っているということが判明したのだ。

 

「自己修復だけじゃない。疑似燃料や魚雷も自動精製が始まっているから、兵装区画を解放状態にして、燃料のブローと精製途中の魚雷を摘出するのを繰り返しているところさ。今はたいした速度じゃないけれど、本体の修復状況に応じて武装面の生成速度が上がらないとも限らない。それに、連装砲ちゃんたちの見立てによると、断続的に信号の様なものを受信しているらしいんだ」

「信号? それって……」

「“彼女”か、それとも別の個体から発せられたものか。これも確証が得られる答えには辿り着けないけれど……」

 

 言葉を止めた響は、困惑したような顔のまるゆを見やる。

 

「まるゆは、どういう風に信じたい?」

 

 どう信じるか。

 それは、事実を突き詰めるのではなく、あってほしい可能性を夢想することだ。

 この鎮守府の暁型の彼女たちにしては珍しい物言いだなと思いつつも、まるゆはその考え方が嫌いではなかった。

 決して楽観しろとは、そして、その考えに固執しろというわけではない。

 “彼女”の生存は絶望的であり、例え無事だったとしても、再び敵としてこの鎮守府の行先に立ちふさがるかもしれないのだ。

 そうなれば、涙を飲んで再び戦うのだろうなと、まるゆは己の中にぶれない軸を見付ける。

 この鎮守府の、自分たちの行先に“彼女”が立ち塞がるというのならば、攻撃することも、再び沈めてしまうだろうとも考えている。

 今度こそは、まるゆの方が沈められる可能性が高いのだとも、充分に自覚している。

 ただ、それでも、ささやかな夢に希望を見出してもいい。

 響はそう言ってくれているのだと知って、まるゆはようやく、胸中の靄が晴れる思いだった。

 

「“彼女”は生きているって、思います。それで、今度はきっと、ちゃんと手を繋げられたら、いいな……」

 

 

 

 ○

 

 

 

 さて、現状の再確認をしなくてはならないなと、提督は心地よいゆるみが生まれ始めた艦娘たちを眩しそうに見て、密かに息を正した。

 今回の戦いで得たものは多い。数えきれないほどだ。

 “ルサールカ”を討った影響によるものと思われる支配領域の一時的解除は、敵艦、姫・鬼級といった支配能力を持つ個体を倒せば海域を取り戻せるであろう根拠を確実なものとした。

 そして、分厚い雲が一時的に晴れたことによって、10年間閉ざされていた外界との通信が、ほんのわずかな時間ではあるが、回復したのだ。

 妖精たちの手によって修理された通信器からは、酷いノイズ交じりのものではあったが、外界からの声を確かに届けてくれた。

 

 こちらの声を受信したのは、北方は熱田島泊地所属の秘書官・大淀だった。

 向こうの提督と直接の言葉を交わすことこそ叶わなかったが、「必ず救出に向かう」という言伝を、提督も電も確かに耳にした。

 分厚い雲が再び空を覆い、ノイズ交じりの通信が途切れてしまった途端、電が感極まって泣き崩れてしまった姿に、提督も思わずもらい泣きしそうになってしまった。

 燻り耐えた彼女たちの10年が無駄ではなかったと、初めて報われたのだと思うと、提督は我がことのように嬉しかったのだ。

 

 

 一瞬だけ取り戻した青空の恩恵は、これだけではない。

 “海軍”本部から人工衛星を経由して、工廠関連のソフト更新が行われたのだ。

 空が陰るまでのわずかな時間、更新出来た項目はわずか数%ではあったが、それでも近代化改修をはじめとした艤装関連のデータは、これからこの海域で活動する彼女たちにとって有益なものだった。

 通信器等の設備を修理した妖精たちを盛大に褒め称えたいところだったが、しかし釈然としない点がひとつだけ残る。

 海域の支配が一時的にでも解除されると想定していなかったわけではないが、その可能性は限りなく低いだろうと踏んでいた提督たちは、通信設備の復旧を後回しにしていたのだ。工廠関連の受信機も同様だ。

 例え直っていて万全の状態だとしても、こんな敵支配海域の真っただ中では意味がない。

 そもそも脱出を最優先に考え、この鎮守府を放棄するつもりだったのだから、余計な手間は無い方が良いだろうとも思っていたのだ。

 

 その通信器や受信機がどうして万全の状態に整っていたかと言えば、提督たちの指示なしに、手すきの妖精たちが勝手に仕上げてしまっていたからだ。

 妖精たちの気まぐれゆえに起きた幸運かと提督は最初思ったが、よくよく観察して見ると、半分正解、半分ハズレといったような感触を得ている。

 提督や艦娘たちの願い通りに仕事をこなしてくれる妖精たちが大半ではあるが、それでもほんのわずかな数は、それらの仕事をサボっている姿が見られている。

 そして、そのサボっている妖精たちが何をしているのかと言うと、概ねその辺でゴロゴロしているだけなのだが、時折未着手の設備を弄り始めることがあるのだ。

 今回の件はそういったサボり組が成していた仕事であり、結果こうして事態が好転してしまったため、釈然としないながらも「ま、いっか」と、皆苦笑いで納得した。

 響などは蟻のような群体に見られる数の法則を解いていたが、それを聞き付けた妖精たちに甘いものを要求されて追いかけ回される有り様だった。

 

 また、試験起動状態だった連装砲たちが、非常事態モードで再起動を果たしている。

 工廠のソフト更新と時を同じくして、パスワードのロックが強制解除されたのだ。

 そうして再起動し、わずかながらアップデートを果たした連装砲たちは、友軍のものと思われる救難信号を複数受信している。

 受信した救難信号の内のひとつは、水無月島鎮守府所属の艦娘が装備していた自立稼働型連装砲から発せられたものであり、暁たちを大いに驚嘆させた。

 もしかすると、10年前当時に沈んでしまったと考えられていた仲間がまだ存命で、友軍の救助を未だに待ち続けている可能性が出て来たのだ。

 すぐにでも救出に向かいたかったが、発進地点が敵地のど真ん中と想定されていたりと問題が多い。

 あるいはこれが敵の策かもしれないと考え始めると、どうしても手持ちの情報が足りないことを認めざるを得なかった。

 救難信号の発信地点を調査するためにも、引き続き出撃して情報収集にあたる必要があるのだ。

 

 熱田島の提督が告げた言葉を、信じていないわけではない。

 だが、救けが来るまで何も行動を起こさず待ち続けているだけと言うのは、暁たちにも、そして提督にも出来ることではなかった。

 もちろん、自分たちが動いたせいで情勢が悪化する可能性もあるとは、充分に承知している。

 それでも、今助けられる距離にいる仲間を見捨てて置くことなど、出来るはずがなかった……。

 

 

 

 ○

 

 

 

「艦娘の数が足りないわ。脱出するだけなら現状の面子だけで何とかなるかも知れなかったけど、誰かを助けに行くなら、もっと仲間が必要よ」

 

 そう、暁が苦い顔で言うのを、提督は黙して聞く。

 いつもの定例会議、深刻そうな顔で告げる暁に、姉妹たちはわずかに驚いた様子だ。

 脱出から捜索・救出へと舵をきるのならば、確かに人手が足りない。

 それは皆実感しているし、これから先ますますその実感を新たにしてゆくだろうことは、想像に難くなかった。

 しかし、それを承知の上でも判断を急ぎ過ぎではないかと、提督ですらそう感じたのだ。

 特に、阿武隈などは自分の存在だけでは不満かと臍を曲げかねないなと皆危惧していたが、意外なことにその阿武隈も艦娘の建造に賛成だった。

 

「初の実戦を経て、手が足りないと、そう感じたかい? 阿武隈」

「そうじゃないんですけど……。いえ、手が足りないなって言うのは、確かにその通りなんです。でも、鎮守府近海くらいの敵艦隊なら、あたしと暁でも何とか出来ました。奢ってるわけじゃないですけど、自分たちが決して弱くはなんだって、あたし的には、そう実感しました。でも……」

 

 実戦を経て己の練度を実感したからこそ、これから相手にするかもしれない敵に通用するのかと言う不安が湧いてくる。

 それが、阿武隈が艦数を揃えたいと進言した理由、そのひとつだった。

 

「……今回だって、もう数隻多ければ、まるゆのサポートだって、鎮守府の警戒だって安全に出来たはずだと思います。もし、敵の編成にいたのが軽空母級じゃなくて正規空母級だったら……。あるいは戦艦級、もしくは姫・鬼級が控えていたとすれば……」

「判断が結果的に功を奏したから良かったものの、もしどこかで間違えていたら、って。そう、考えているのかい?」

「あ、いえ! 提督の判断に不満があったわけではないです! それは本当です! でも……」

 

 阿武隈は慌ててそう弁解して、そして俯いて、押し黙ってしまう。

 

 あの最悪の展開を、もちろん想定していなかったわけではない。

 しかし、いざそうなった時、阿武隈は頭の中が真っ白になって、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 見かねた暁が指揮を代わろうとした時、動向を見守っていた提督がようやく口を挿み、そこからの指示はすべて提督が出している。

 その結果はご覧の通り、艦娘たちは1隻も欠けること無く、こうして会議室のソファーに落ち着いている。

 

 結果が良かっただけだということを、提督は自覚している。

 自分の下した判断で、誰かが居なくなるかもしれない。

 そう実感したからこそ、阿武隈は怖くなって、あの場で動きを止めてしまったのだ。

 そして、それを悔いている。

 提督に指揮を任せてしまったことを、悔いているのだ。

 指揮は提督の領分とは言え、この未熟な青年提督に負担をかけまいと決めていたにも関わらずだ。

 当の提督としては、そういった責任に関する分野をもっと任せて欲しいと思うのだが、それでは阿武隈の気が済まないらしい。

 

 阿武隈は自分と同じような、水無月島の戦力としての艦娘を求めた。

 脱出するためだけではなく、仲間の救出を視野に入れての提案だ。

 現状出撃できるのは電を除く5隻で、そのうち雷とまるゆは高速航行が行えないため、遠洋に出るには実質3隻での行動が多くなるだろう。

 これは“ルサールカ”を討つ前と変わりはない。

 しかし味方の救出となれば、交戦を避けられない場合の方が多くなるかもしれない。

 阿武隈が言ったように、現状の戦力では到底太刀打ちできない敵にあたる可能性も充分あり得るのだ。

 

 しかしその他にも、暁と阿武隈が建造を急ぐ理由があるのだなと、提督は察していた。

 

「よし。建造しようか。仲間を増やそう」

 

 あまりの即断に、電たちはおろか、建造を進言した暁と阿武隈も驚いて目を見開いている。

 阿武隈を建造した時のような逡巡や躊躇いは、もう提督にはない。

 自らが建造した艦娘に、「よくもこんな過酷な環境に産み落としてくれたな?」と恨まれる覚悟は、もう済んでいるのだ。

 

「いいの? 司令官」

「ああ。戦力増強を提案するということは、艦娘の数が揃えばもっと多様な手段が取れるということだよね? 皆の生存率も、仲間を救出できる可能性も、格段に上がるはずだ。そのための計画、案を、僕に教えてくれるかい?」

 

 もちろんだと即答した暁の声は上ずっていた。

 それを過剰に気に掛ける阿武隈の姿を見て、提督は自分の推察に確信を得る。

 焦りだ。時間を気にするが故の焦り。

 暁たちが海上で戦える時間、そのリミットを鑑みてのものかと思ったが、すぐに違うなと考えを改める。

 今回の出撃で敵艦隊と交戦した暁と阿武隈、そのふたりが同じく内包する危惧だ。

 

 

 その危惧の正体を、提督はすぐに聞くことが出来た。

 暁が、提督とふたりで話がしたいと言って、定例会議の後すぐに、他の面々を執務室から締め出したのだ。

 様子がおかしいと感じていた面々はそれを素直に承諾し、一言の文句も無く執務室を後にする。

 皆、提督に向けて、目で「頼んだ」と信頼を寄せた意志を示し、特に阿武隈のそれは人一倍切実だったようにも見えた。

 退出した皆には、阿武隈が事情を告げるのだろう。

 

 執務室でふたりきりになって、そう言えば暁とふたりきりの時間は久しぶりだなと、提督は照れたように笑む。

 暁の方も同じ考えだったようで、恥ずかしそうな締まらない笑みで応えた。

 その笑みのままであったなら、どれ程良かっただろう。

 提督はこの後すぐに、そう思うことになる。

 

「司令官、私ね……。艦娘でいられる時間が、もう、そんなに長くないかも知れないの」

 

 告げられた言葉の意味を、提督は最初、艤装の操作性の問題だと思っていた。

 

「この前の戦闘でね、ちょっとおかしなことがあってね……。その、体は、検査の結果なんともなかったの。ホントよ? でも、あの戦闘の後にね。敵機の撃沈を確認して、一息ついて、それで阿武隈に言われて、初めて気付いたの……」

 

 暁が眼帯を外す。

 生態艤装の探照灯が内蔵されている眼球はしかし、莫大量の閃光の代わりに、青白く怪しい光を湛えていた。

 青の光。深海棲艦の光だ。

 

 息を飲む提督の視線の先、暁のもう片方の目には涙があふれ、今にも零れ落ちそうに揺らいでいた。

 

「司令官、私……!」

 

 時計の針は、もう巻き戻せない。

 

 

 


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