孤島の六駆   作:安楽

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3話:9ヵ月後の彼女たち③

 翔鶴型の艦内に侵入した響は、先行していた時雨に追いつき、後続の天津風と夕張の到着を待って、探索を開始した。

 真っ暗な通路の奥へと、照明装備を点灯した妖精たちや自立稼働型砲塔たちがよちよち歩いてゆく。

 上下左右が90°傾き、両脇に天井と床が位置する通路は、不自然な歪みや損傷が見られた。

 ライトに照らされる通路は黒い煤が纏わり着き、艦内で火災が起こった証拠をはっきりと残している。

 

「……それだというのにスプリンクラーが作動した痕跡がないね? この翔鶴型のスプリンクラーは?」

 

 響の問いに、夕張が手元の資料の束をめくって唸りながら、待て待てと間も持たせようとする。

 

「ええっと、通路のスプリンクラーは湿式だから、高熱に触れるかヘッドに衝撃が加われば作動するはず。でも、こんなに天井まで煤だらけで、内装が一部溶けてる程の高熱なのに、作動した形跡なし。普通だったら、ありえないわ?」

 

 普通ではありえないのだとすれば、普通ではありえないことが起こったのだろうなと、響含む4隻は顔を見合わせて頷く。

 敵姫級か鬼級に強襲されたのだろう。

 己の支配海域下であれば、局地的に天候を操作したり、昼夜を逆転させることも可能とする敵だ。

 高熱を発しない炎、などというものが果たして敵に再現可能なのかは定かではないが、この海域、あの敵ならば出来てもおかしくないと、妙な信頼がある。そんな炎に巻かれては、艦娘とて対処方法がないという恐怖もセットだ。

 

「……でもコレ、スプリンクラーが作動しても、どうにもならなかったかも。ヘッドがなんか、塩みたいな金属みたいな物質で固着しちゃってるし、通路とかの構造物の融解具合を見るに……」

「焼夷弾かい?」

「ビンゴ。もしくは火炎放射器みたいに、粘性のある燃料に引火させるタイプの攻撃ね。しかも、広範囲を一瞬で包み込むレベルの。現時点で乗員の遺体が見つかっていないのは、全員無事に脱出できたか、それとも白骨すら残らない程高温で焼きつくされたかのどちらかが考えられるわね。後者だって、通常ならありえないわ」

 

 願わくば前者であってほしいというのは、ここにいる全員の総意だろうなと、響は唇を噛む。

 

 それにしても不可思議な点は、外観からは火災の痕跡が何ひとつ見つけられなかったことだ。

 妖精たちや自立稼働型砲塔たちが出火元を調べてはいるが、未だにその火元を特定できていない。

 パネル上で出火地点を暫定としても、艦内の至る場所に赤い点が灯ってしまい、まるでシミュレーションが出来ない有り様だ。

 

 帽子のつばを弄りつつ思考の海に没していた響は、前を行く時雨が両腕を広げて左右によたよたと寄ったり、万歳して天井となった通路脇の扉に手を伸ばそうとしている奇行を目撃する。

 映像に残して後で龍鳳に見せてやりたいなと、考えが横道に逸れるが、時雨の動きの意味はすぐに理解できた。

 敵空母の艦載機が、この通路を通過できるかどうかを計っているのだ。

 深海棲艦が運用する艦載機は、航空機然とした形状のものは意外と少なく、不気味な流線型をしたものや、ほぼ球体に近い形状を持つタイプなどがある。

 一定の速度を維持して飛行する流線型は論外としても、球体型は滞空能力を備えている個体がいたはずだと響は思い出し、表情を険しくする。

 この翔鶴型は敵艦載機に侵入され、内部から焼き払われたという推測が生じたからだ。

 

「だとすれば、わざわざ内部に侵入したのは何のため……」

「ねえ、それ、本当に内部に侵入して、ってことかしら?」

 

 響の思考を遮るように、背後の天津風が不安そうな声をつくる。

 怯えたような顔の天津風に、響は「内部に侵入して乗員を焼き払った」ことへの恐怖を覚えたものかと思ったが、それはどうやら違ったようだ。

 連装砲くんのパネルで夕張とシミュレーションを繰り返していた天津風が、響と時雨を呼び寄せてその成果を見せる。

 その映像によれば、先のシミュレーション映像とほぼ同じで、艦内の至る場所からほぼ同時に出火していた。

 先のものと異なる点は、その出火予測地点には若干のタイムラグがあり、映像にすると内側から外側へ向けて出火地点が広がって行くことだろうか。

 

 その意味を考える響の隣り、眉をひそめた時雨が小さく唸る。

 

「このシミュレーション映像が正解だとするなら……。敵は艦内に侵入がてら通路や区画を爆撃して行った、ってわけじゃなくて。全機が艦内の隅々にまで広がった後、ようやく爆弾を起爆させた、ってことになるよ?」

 

 それがどういう意味かを考えた響は、寒気を覚え体を震わせた。

 天津風の怯えの真意は、取られた手段にではなく、その手段を取るに至った思考と心情に対してだったのだ。

 これは本当に深海棲艦のやり方なのかと、響はそう疑問せざるを得ない。

 姫級や鬼級といった敵と交戦した経験は幾度かある響だが、その響でもこれだけ感情的なものを匂わせる手口は初めてだ。

 人間以上に感情的で、それでいて冷静さを失わず、細やかな工程を進める丁寧な残虐さを持ったものの仕事。

 

 じんわりと熱を含んだ泥のような不気味さを振り払うように、言葉を失った4隻は一度、出火原因の特定を保留にする。

 時間内にまだまだ探索するべき個所は山ほどあることもそうだが、妖精たちが興味深いものを発見したという報告を寄こしたのだ。

 

 

 ○

 

 

 先頭を行く時雨が立ち止まった先には、高熱によって不気味な開き方をした扉があった。

 その先、本来ならば居住区であるはずのエリアはしかし、そういった人間が生活するための施設を撤去して壁を抜き、何らかの設備類を搭載していたようだ。

 “極地突入作戦”に参加しているのは、この第二艦隊の中では高雄と青葉、突入作戦の前身となったものに参加していた夕張の3隻がそうだが、しかしその夕張をして、この設備は見たことのないものだった。

 

「確かに、見たことはないけれど……。でも、使われているパーツや配線・基盤から、ある程度はその用途を割り出すことは出来る。はず。ただ……」

 

 この設備も焼損が激しく、ほとんどが原型を留めていなかった。

 それでも、そんな区画にあって唯一、奇跡的に火の手が回っていなかった場所があった。

 最奥部の一角、そこには卵型で半透明のカプセルが鎮座していた。

 同じようなカプセルは焼損した残骸のみが壁伝いに幾つもあったが、不自然なまでに無事なものは、最奥部のこれひとつだけだった。

 夕張の見立てでは、艦娘をスリープ状態で保存して置くための設備なのだという。

 

「ええ、そう……。いやでも、“海軍”本部でもまだ試験段階だったはずなんだけどなー。凍結装置。完成したのかな……」

 

 口元を手で覆っての独り言もほどほどに、夕張は目の前の装置についての説明を始める。

 

「ほら、私や第二艦隊の皆みたいに、艤装解除状態で長期間過ごすと、普通の人間として体が成長しちゃうでしょう? そうすると、体の成長の応じてだんだん“ズレ”が起きて来て、最終的には艦娘なのに艤装を使えなくなる、ってことが起きるのよね。みなちんの電ちゃんみたいに」

 

 なるほどと、響はあごに手を当てて呟く。

 妹艦の電が艤装状態で水面に浮けなかったのはやはりそういった理由だったのだと、改めて夕張の口から裏が取れたのだ。

 実験中に敵支配海域に取り残されるまでは“海軍”本部所属の工廠施設に出入りしていたという経歴もあり、こういった設備関連への見識は電よりも頭ひとつ抜きんでている。

 

「で、艤装解除状態で艦娘の肉体の成長を止めるための装置がコレね。艦娘の肉体は100%合成たんぱく質だから、それに作用する液体……あ、建造時の白くてどろっとしたアレね? ……を、適正温度で処置すれば、こうしたコールドスリープが可能になるってこと。状態的には、ほら、みなちんのまるゆちゃん。あれと同じ状態なのよ。まるゆちゃんのは偶然の産物だったけれど」

 

 その説明で納得を示すことが出来るのは、やはり響だけだ。

 建造が中断されドックが海中に没したことで、当時のまるゆはこの凍結中の艦娘と同じ状態になっていたのだと夕張は語る。

 

「惜しむらくは物理資料のほとんどが焼失しているから、再現は難しいってところだけれど。でも、もしも、データだけでも持ち帰ることが出来たら……」

 

 そう言葉を止める夕張に、響は頷き、思わず口の端が上がるのを自覚した。

 艦娘の肉体を凍結出来るのならば、深海棲艦化しかけている暁を眠らせることで、その進行を遅らせることが出来るかもしれない。

 治療法が見つかるまでのあいだスリープ状態に出来るかどうかは定かではないが、響にとっては大きな希望のひとつがようやく手の届きそうな場所に現れたのだ。

 

「それで、このカプセルの中の艦娘は生きているのよね? まさか、電源抜けて死んだりなんて……!」

 

 天津風の縁起でもない発言に血相変えた夕張が慌てて設備をチェックするが、すぐに安堵の表情を浮かべ、中の艦娘が無事であることを示してくれる。

 自らも安堵に胸を撫で下ろした天津風は、連装砲くんに指示してその本体からコードを伸ばし、カプセル横のハブに接続。データの読み込みを開始する。

 

「……金剛型戦艦・三番艦の榛名ね。練度は観測史上最高値、所謂“指輪付き”ってやつかしら。でも……、なによこれ。所属鎮守府も、提督の名前も削除されている……」

「削除? 天津風。それは、データの破損、ではなくて?」

「そうよ。データ破損でも未登録でもなくて、削除。登録されていたものが、意図的に消された跡があるわ……」

 

 連装砲くんがログを読み込んだ限りでは、所属鎮守府と提督の名前が登録されていたことは確かなのだという。

 

「一度登録したデータを、所属鎮守府と提督のものだけ削除する……、その意図は? 誰か。思いつく人」

 

 響が手を上げて推測を募集するも、皆長考に入ってしまい挙手の気配はない。

 これはカプセルごと水無月島に持ち帰って調査した方が無難だなと、撤収の方へと舵を切る。

 カプセル型の設備は分解に1時間、主要設備含むパーツ類をすべて搬出するならば3時間と連装砲くんが判定し、すぐに妖精たちや自立稼働型砲塔たちが作業に取り掛かった。

 艦内の捜索はほぼ完了し、生存者無しという傷ましい結果を提督に報告しなければならないことに、響は気持ちが沈んでゆくのを顔に出さないようにするのがやっとだった。

 

 それに、この“榛名”だ。

 カプセルの中は乳白色の液体で満たされていて、中で眠っている彼女の姿は輪郭程度しか窺い知ることが出来ない。

 自らはこうして長い眠りに着き、そのうえ提督と所属鎮守府の情報が削除されているなど、彼女とその周辺に、いったい何があったというのだ。

 

「彼女に聞けばいいか。でも、眠り姫は目を覚ます時を待っているのかな?」

 

 響の考えを察したのだろう、搬出作業を手伝う時雨がそんなことを囁いてくる。

 どういうことかと視線で問えば、わかっているだろうと、時雨は肩を竦めてみせた。

 

「彼女の戦友や提督は、今どうしているのだろうね?」

 

 悲しそうに告げる時雨の言に、響は帽子を目深に被り直して表情を消した。

 この“榛名”が建造したてで進水すらしていない、という可能性は無いに等しい。“指輪付き”であるのがその根拠だ。

 “指輪付き”ほどの高練度となるまでに幾多の海を駆け抜けてきたのであろう彼女に、提督も仲間も居なかったはずがないのだ。

 この艦内の生存者は彼女1隻と結論が出てしまっている。

 どうか、彼女の知己がこの艦の乗員ではないことを祈ろうとは思うのだが、夕張が言いにくそうにしながらも確実な追い打ちをかける。

 

「ああ、それとね、もうひとつ悪い知らせ。この“榛名”の他に、もう1隻か2隻、空母の艦娘が搭乗していたはずなのよ。だけれど、船内にその痕跡は無し……」

 

 この移動型鎮守府である装甲空母は“超過艤装”とも呼ばれ、艦娘の艤装としての側面をも持っている。

 艤装核を中継して艦娘がこの“超過艤装”に同期、艦の機能全てをたった1隻で操るのだ。

 艦娘1隻の戦闘能力を格段に向上させるものかと言えばそういうわけでもなく、その操作の及ぶところは機関や操舵をはじめとした足回りに限定される。火器系統の操作にまでは手が回らないがゆえに、“超過艤装”として適用される艦種は、現状空母に限定されている。

 操舵による艦娘への負荷も多大なもので、黎明期に開発に関わった夕張は、実験の後遺症で廃人となり解体処分された艦娘を何隻も見て来ている。

 よって、艦娘が“超過艤装”を操舵する機会は、極地侵入時に艦の操作に異常が発生した場合に限定され、予備員を含め二人一組の交代制による運用がなされているはずなのだ。

 

「その艦娘の捜索は……」

 

 少なくとも今回は、断念せざるを得ないだろう。

 羅針盤付きの時計を確認した響は、外周を警戒している高雄も同じ判断を下すだろうなと考え、すぐに撤収の方へと考えを戻した。

 生存の可能性を信じたいが、今回ばかりはその根拠がない。

 翔鶴型の姉妹が存在したという確証はあるが、今現在も生存しているという証拠がないのだ。

 無線封鎖状態でこれ以上探索に時間はかけられない。

 あまり時間をかければ、撤退支援の準備をしている熊野たち第三艦隊を長時間一箇所に停泊させることになってしまう。

 陽動役の阿武隈たち第一艦隊が派手に敵を引き付けてくれているとは思うが、別働隊が動いている可能性も充分にありえるのだ。

 

 第一艦隊は上手くやっているだろうかと、最近調子に乗って無茶をし始めた阿武隈のことを思い浮かべていた響は、ふと、時雨が動きを止めて何かに意識を集中している姿を見る。

 同じく動きを止めた響は、微かな音を耳にする。それが雨音だと理解するのと同時に、ぞっと背筋に寒気を覚えた。

 

「ええ? 待って待って、この海域で雨って……!」

 

 夕張が顔をひきつらせて口にした言葉の先は、艦を強かに叩く無数の音にかき消された。スコールだ。

 天津風が驚いて大きな悲鳴を上げたことで、意識を取り戻した響たちは、妖精たちや自立稼働型砲塔たちに作業を急ぐように指示を出す。

 

「いやな雨だね……」

 

 時雨のにがりを帯びた表情での呟きに、響は概ね同意する心地で自らの手元を進めた。

 


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