孤島の六駆   作:安楽

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6話:9ヵ月後の彼女たち⑥

 桃色の湯船につま先を着けて温度を確かめた駆逐艦・浜風は、下腹に力を込めつつ、ゆっくりと湯船の中へ体を滑り込ませた。

 湯の熱が刺すような痛みとなって肌の表面を撫でるが、この感触がないと風呂とは言えないなと、いつも思うのだ。

 浜風は自分が他の艦娘たちより、いくらかは熱めの風呂が好きなだけだと思っていた。

 しかし、そんな浜風の姿を見た姉艦の天津風が「あなた、タコみたいに茹ってるけれど……。大丈夫なの? マゾなの? お姉ちゃんに、何か出来ることはある?」と心配そうに聞いてきたもので、ああ、これはちょっと度が過ぎているのだなと、ようやく気付いたものだ。

 それでもぬるい風呂に入るのはどうしても我慢ならず、入渠ドックの一角は仕切りをつくって高温専用のエリアとなっているのだ。

 これが浜風ひとりだけならば、甘んじてぬるま湯に浸かるか、時間をずらして入り直すかと言うところだったが、熱めの風呂が好きな仲間が居てくれたお陰で正式に熱湯風呂エリアが成立したのだ。

 しかし後に、「提督の横にドラム缶風呂を並べて入ったら良かったのにー」などと漣に言われ、その手があったかと自分の考えの足りなさを呪った浜風だが、それはいつか実行しようと、今は心に秘める。

 本当に、同志である夕張には感謝の念が堪えないなと頷く浜風は、先に湯に浸かっていて緩み切った顔を見せる彼女に、くすりと笑む。

 浜風にとっては、姉艦である天津風と救助の時まで一緒に居てくれたという意味でも彼女は恩人だ。

 今でこそこうして表情豊かな夕張だが、この鎮守府に拾われた当初はまったく泣かず笑わずの無機質な有り様だったと言う。

 

 浜風が姉艦である天津風から聞いた限りの話では、諸島の一角で出会った当初の夕張は、まるで人形のような無機質さを帯びていたそうな。

 当時は天津風自身も、連装砲くんが機能停止していた影響で塞ぎこんでしまっていたもので、そんな夕張の様子にも疑問を抱かなかったのだという。

 艦娘は艤装を纏わない時間が長く続けば続くほど、艦としての側面が薄れ、人間として成長を遂げるものだ。

 この鎮守府の暁型の姉妹たちや天津風、そして艤装解除状態で単艦行動を取っていた時雨の例が、それに該当する。

 では、逆はどうだ。艤装状態で長期間を過ごした場合は。

 その答えが、先述した夕張の姿なのだ。

 艤装を纏わない時間が長ければ長いほど人に近付くように、艤装状態が長ければ長いほど、艦としての性質に引っ張られて、人の心と姿とを失ってゆく。

 それが、夕張が自身を検体として数年をかけた実験の果てに得られた結論だった。

 夕張が湯の中で間接の駆動や肌の質感を幾度も確かめるような動きを取るのは、その艦に引き寄せられていた時の名残を振り払おうとしているからだと、浜風は本人からそう聞いている。

 長時間の艤装状態では人間性の欠如はもちろん、艦娘の身体にも深刻な影響を及ぼすのだ。

 食事を取る必要は無くなり、睡眠も不要になる。

 体の関節は硬くなり、肌の質感はたんぱく質から金属のようなものへと変化する。

 まるで心が消失して、体が軍艦時代のものへと変化するかのようだったと、夕張は恐怖を帯びた饒舌さで語る。

 かつて大海を鋼の体で駆け巡ったとはいえ、一度人の心と体を得てからの変貌は、心に深い傷を残す結果となったのだ。

 

 それがどうやって今の状態まで持ち直したかと言えば、それはまあ簡単なもので、単に艤装を解除しただけなのだ。

 艦娘の艤装は用途や局面に応じて追加・解除可能なものとなっていて、今回の第二艦隊の面々が翔鶴型の艦内に侵入した時のように、水上に立つための最低限の艤装状態で活動することも可能だ。

 夕張は水面に二足で立つための脚部と艤装核を内包する腰部の艤装のみで、単艦この敵支配海域を彷徨っていたのだという。

 当然、缶類を内蔵する背部艤装がない以上推進力は得られず、移動は難破船やコンテナの残骸で作ったイカダで、しかも手漕ぎ移動だったと言うのだから驚きだ。

 敵に発見されればひとたまりもない姿にも関わらず今日までこうして生き延びているのは、当人曰く、運が良かったからだそうな。

 一時は廃材をかき集め即席で駆逐イ級の被り物を拵え難を逃れたこともあったそうで、眉唾な話がらも彼女ならば出来てしまいそうだと浜風は苦笑するしかない。

 

 さて、そうして天津風と合流して艤装を解除した夕張だったが、すぐに人間性を取り戻したかと言えばそんなことはなく、しばらくはお人形のような状態が続いたのだという。

 深海棲艦の支配海域。灰色の空と海とを臨む諸島の一角にて、心を壊した艦娘と、心を失くした艦娘と、壊れてしまった自立稼働型砲塔が、並んで体育座りしている姿を想像して、皆の無事が確保された今だからこそ、浜風は噴き出してしまう心境でいられるものだ。

 そうして体育座りのまま数日の後、夕張がぽつりと「……お蕎麦、食べたい」と呟いたことが切っ掛けで、天津風が「……天ぷら蕎麦」と返し、食べ物の名前を次々挙げて行くうちに空腹を思いだし、忘れていた味を思いだし、涙を思いだし、そして彼女たちは何年振りかに自分を取り戻したのだ。

 

「……そういえば、お腹がすきましたね」

 

 ぽつりと浜風が呟けば、目を細めた夕張が「そうねえ……」と、だらしない顔で同意。

 熱い風呂が好みの浜風ではあるが、鎮守府で一位二位を争う健啖家でもある。

 此度の入浴剤が桃風味と、食べ物関連であるのも空腹に拍車をかけている。

 先日のメロン風味に追いドリアンと言う悲劇があったばかりだが、そんなことは既に過去のものだ。

 芸人根性というものだろうか。漣も卯月も一度披露したネタは受けようが受けまいが二度は使わないという矜持があるようで、もう湯船に何かを混入することは無いだろうという、謎の安心があるのだ。

 しかしまあ、その暴走駆逐艦の片割れたる卯月は今回も何か仕込みを用意しているようで、落ち着きなくうずうずしながら暁に頭を洗ってもらっているのが少々気掛かりだ。

 その暁の髪をプリンツが、そのプリンツの髪を初春が。そして初春の髪を熊野が洗っている光景は、いつもの平和な入渠の風景だ。定位置に居るべき人物がいる光景。安心を得られる光景。

 

 湯船の中で身を捩って、浜風は姿勢を内向きにではなく外向きに、入渠ドック全体を見渡せるようにして、湯船の淵に腕と上体を乗せて寝そべった。

 夕張が「あら、おっきな桃さん」などとセクハラしてくるので、尻は湯船の中に浸す。誰が産毛たっぷりだ、失敬な、と、言われてもいないことを言われた気になってひとりで憤慨する。

 提督がこの島に流れ着いた当初は、この広大な入渠ドックの一角に暁型の姉妹たちがこじんまりと浸かっていたと言うが、今では20を超える艦娘たちがひしめき合い、毎度何かと騒がしい。

 ジャグジーエリアでは阿武隈や利根、時雨などが、普段の勇猛さを微塵も感じさせないほどにだらけきった表情で気持ちよさそうな呻きを上げているし、朝霜や響、高雄などはいつの間にやら持ち込んだ徳利で早速一杯ひっかけている。高雄はいつも説教して回る立場だったはずだが、最近はすっかり流され染まってしまっている。

 いつもは騒がしい青葉や漣だが、今日ばかりは大人しく、というよりは真剣な面持ちで叢雲や天津風たちと情報交換している。それもそうだ、敵の姫級“名前付き”を倒したこともそうだが、目標の装甲空母からスリープ状態の戦艦の艦娘が発見されたのだから。

 夕張と天津風で最低限の解凍処置をした後、雷が検査してこの入渠ドックに運ばれてくる手筈になっているが、まだその気配はない。今も雷の検査が続いていて、清霜がそれに付き添っているのだ。

 そう、清霜。何せ、彼女の憧れる戦艦の艦娘だ。興味は尽きないはずだ。

 

 第二艦隊の皆が得た情報は、浜風も帰投中に要点を聞いている。

 聞いてはいるが、あまり深くは考えていない。

 頭脳労働担当は他に何隻もいるし、己の領分ではないとも思っているのだ。

 しかし、そんな浜風をして、今回の調査結果は頭を痛めるものだった。

 件の装甲空母があの地点に座礁横転した時期と、提督がこの島に流れ着いた時期が、ほぼ合致するのだ。

 この敵支配海域下では海流といった概念は存在せず、漂流物の類いは何らかの力によって、漂い流れるようになっている。

 例えば、深海棲艦が艦隊行動を取って移動する際に生じた波や、海域支配者が天候を操作した際の余波などだ。

 仮に提督があの装甲空母の乗員だったとして、この島に流れ着く可能性はどれくらいだろうかと、浜風は考える。

 帰り際に計算を試みた夕張は「ノイズが多くて無理」と、算出断念していた。

 敵地も刻々と状況が変化するだろうし、約1年前の正確なデータが必要となれば、確かに答えを諦めざるを得ない。

 しかし、ならばと、考えるのは“そうだった”場合の可能性だ。

 提督があの艦の乗員だった場合。

 

 浜風がその先を思考しようとしたところで、皆からマークされている卯月に動きがあった。

 シャンプーハット(暁のお下がりだそうだ)で頭を洗ってもらっていた卯月は今や立ち上がり、尻の上の蒙古斑を浜風たちの方へ向けている姿だった。

 「ほら。うーちゃん、前世もウサギだったから」とウサギアピールの度に語られる薄青色は、確かにウサギの尻尾に見えなくないのが妙に悔しいところだ。

 さて、その悪戯仔ウサギは手に何か瓶のようなものを掲げて、得意気に語り出している。

 そう言えば、ここ最近は外界からの漂流物が増えたものだと、暁が言っていたのを浜風は思い出す。

 これも装甲空母による無謀な突入計画の余波でもあるのだろうが、艤装開発に携わっている企業連合が、敵支配海域にて生存者を確認したため、物資の投下を検討したものかも知れないとは、青葉談。

 そう言った漂流物の回収担当は浜風たち第三艦隊の仕事になりつつあり、悪戯盛りの漣や卯月に任せておいても良いものかと、鎮守府の皆は頭を悩ませているものだ。

 卯月が手にしている品もそうした漂流物のひとつかなと思い至った浜風は、しかし妙な予感に首を傾げ、掲げられた瓶の銘に目を凝らした。

 

「……育毛剤?」

 

 思わず訝しげな声を漏らしてしまった浜風は、確かにそういった品も日用品枠に含まれていたなと、頭の中のリストをひっぱりだす。リスト作成等は浜風の担当なのだ。

 しかし、育毛剤。艦娘には不要な品だ。

 艦娘の肉体はデフォルト状態が設定・登録されていて、たとえば永久脱毛などで毛根が死滅しても、こうして入渠すればスッキリリセットされる仕組みになっている。

 例外は時雨や浜風自身が行っているような鍛練のフィードバックや、暁型姉妹たちのような成長だが、それでも薄毛で悩むような肉体年齢までの成長データは取れていない。

 そもそもあれ男性用なのではと訝る浜風は、ふと自分の提督がサカヤキやスキンヘッドになっている様を想像して「それも、ありですね」と、顔を赤くして力強く頷いた。夕張からは突っ込まれたが。

 その間にも卯月の主張は続く。

 

「うーちゃん考えました。みんなみんな司令官のことが好き好きで、司令官もみんなのことが大大好き好きなのに、なーんで皆チューしたりギュってしたり、あんまりしないのかなーって」

 

 聞く者にとっては挑発的とも取れる発言に何隻かが水しぶきを上げて立ち上がったが(特に阿武隈が)、話の真意を確かめんと、何とか堪えて踏みとどまる。

 

「ちなみにうーちゃん、結構司令官とぎゅってしてます。昨日も一緒にお昼寝しました。うぇへへ」

 

 入渠ドックの扉が勢いよく開いて先に上がったはずの祥鳳がバスタオル一枚の格好で戻ってきたが、皆の視線に気まずくなり「……どうぞ、続けて下さい」とか細い声で告げて、入り口に正座した。どうやら聞いてゆく気のようだ。

 洗い場に居た漣も急いで走って行って「聞いていくんかーい!」とスライディング気味に突っ込みを入れているしで、たいへん仲が良い。

 

「で? それが何? 育毛剤と、どう関係あるのよ?」

 

 興味ない風を装っているつもりの叢雲が焦れたように問うのに対して、卯月は得意そうな顔のままふふんと鼻を鳴らして見せた。

 

「うーちゃん見ました。見てしまいました。司令官のお部屋に隠してあったエッチな本。金髪でばいんばいんのお姉さんがいっぱいでした」

 

 にわかに色めき立つ艦娘たちの中で、比較的冷静な者もいるのだなと、浜風は全体を俯瞰してそう察する。

 暁や響や、あとは阿武隈だろうか。比較的提督との付き合いが長い艦娘たちが「あ、わかったぞ?」という顔になっていると言うことは、これは新事実と言うわけではなく、古参組ならば既に知っていることなのだろう。

 少なくとも阿武隈よりも先に建造された面々は、提督の好みを把握しているという可能性が高いのだなと、実は見当違いの結論に浜風は力強く頷いた。

 提督の好みは浜風としてもたいへん気になる部分ではあるが、それよりも気になるのは卯月の方だ。

 ばいんばいんと育毛剤がまったく結びつかない。まだまだうーちゃんドヤ顔タイムが続くのかと唸る浜風に、頭のタオルを直した夕張が「いや、そこは、自分のおっぱい見てガッツポーズするところでは?」と控えめな疑問を入れてくる。

 確かにそうかもしれないが、浜風自身は自分の胸部装甲に自信があるどころか、逆にもっと量を減らしたいとさえ考えている。

 ……と言う相談を姉艦の天津風にしたところ、全力で涙まで流して止められてしまったのが、ついこの間のこと。

 さすがに「浜風のおっぱいは陽炎型の誇りなの! 希望なのよ!」と力説されてしまっては、なんだかよくわからないが、なんとなくそう言うことなのだなと思えてくるから不思議だ。

 

「そのお姉さんたち、お股の毛がふっさふさでした」

 

 卯月のその発言で、入渠ドックの温かく湿った空気が一瞬だけ凍りついた気がした。

 一拍置いて、慌てて自分の股間を気にし始める者と、苦笑いする者に二分され、これはこれで騒然とした空気が生まれてくる。

 浜風としては、全く気にしない風を装いながらも全くその通りに出来ずに挙動不審となっている姉艦に一言指摘してやりたかったが、何分距離が遠すぎた。

 しかし、これで卯月が育毛剤など持ち込んでいたのか、その意味がわかった。

 要は、提督のハートを射止めるために好みの外見に近付こう。具体的にはお股に生やそうという試みなのだ。

 

「……生えるんですか?」

「うーん……。元々の素体が体毛濃いめじゃないと、無理なんじゃないかなあ……」

 

 艦娘の体毛、主に頭髪などは切ってしまっても入渠ですぐにデフォルトの状態まで復元することは可能だが、元々設定されていない項目、……今回の場合は体毛の濃さだが、それは素体となった少女の体質に左右される。

 濃い者は濃いままに、薄い者は薄いままに、なのだ。

 陽炎型で言えば、浜風は有望株、天津風は絶望的と、思わず姉艦に対してひどい未来を夢想してしまい、妹艦は項垂れる。

 ただ、鍛錬のフィードバックが可能である以上、効果は期待できそうな気もするが……と顔を上げれば、夕張は首を横に振って見せた。

 

「ほら、艦娘の体って合成たんぱく質でしょう? 普通の人間が使うような薬品、化粧品なんかも効果弾いちゃう場合があるし、ましてあれは……」

 

 そう言葉を途切れさせて夕張が視線を向ける先、件の育毛剤は“男性用”。

 すなわち、艦娘には全く効果が期待できない代物だ。

 それでも、希望を見出した何隻かが、育毛剤を掲げる卯月の元へ集まり出して、怪しい宗教さながらの光景を展開している。

 下の毛が豊富であることが提督の好みかどうか定かではないというのに、皆揃って早とちりもいいところだ。

 

「……提督の好みの娘って、どんな娘なんでしょうね?」

「さあ? うーちゃんのエロ本情報だと金髪でおっぱい大きい娘、っていうのが、現状最有力候補らしいけどね。でもまあ、私もここ長いわけじゃないし、誰か特定の艦娘を特に、っていうのは聞いたことないかなあ……。だから、青葉にデータ収集、依頼中よ?」

 

 こっちもこっちで何をやっているのかと、良い顔でサムズアップする夕張から苦笑いで顔を逸らした浜風は、育毛剤を試そうと意気込んでいる一団に視線を向ける。

 その一団の中に深刻そうながらも頬を上気させ意を決したかのような表情の姉艦の姿を見付けてしまい、浜風は湯から跳ね上がって全力疾走で止めに行った。

 

 

 ○

 

 

 足元の石鹸に気付かず、滑って転んで頭を強かに打った浜風は、天津風に付き添われて脱衣場へ戻ってきた。

 まだ見ぬ姉艦に勝るとも劣らない落ち度だ。任務以外で医療用の個別ドックに入るなど、失態以外の何物でもない。

 脱衣場では先に上がっていた艦娘たちがすでに身なりを整えていたり、そうで無かったりと、やはり賑やかだ。

 鏡の前で並んで髪を整えるレディ部の面々を余所に、自分の体つきにコンプレックスを抱える姉艦をどう励ましたものかと、浜風はむむと唸る。

 長きにわたるサバイバル生活で満足に栄養が取れず、細身の体つきに成長してしまった天津風を前にして、「これはこれでいいと思います」や、「私はそちらの方が好ましいかと」「体質です」などとは、口が裂けても言えるはずがない。

 出来れば体を代わってあげたいと思うが、いくら艦娘でもそうはいかないのが難点だ。

 上手い言葉が思いつかないので毎度毎度抱きしめると言った形で誤魔化してはいるが、天津風の方もそうされるのは嫌いではないようで、彼我の体格差に唸りながらも表情は穏やかな部類だ。

 

 姉妹と言う括りで言えば、浜風にとっては自分の所属する第三艦隊がそういったものかなとは漠然と考えているが、同じ陽炎型の姉妹艦と言うことで人一倍目をかけてくれる天津風の存在はやはり特別なものだ。

 何も意識せず素直に「姉さん」と呼ぶ言葉が出て来るのは、この鎮守府の中ではやはり天津風だけなのだ。

 これが、姉妹艦が居ない者たちはどうなのかなと脱衣場を見渡せば、皆々それぞれが独自の姉妹感を持って互いに接しているのだろうことが伺える。

 熊野主催のレディ部もそういったもののひとつだろうし、祥鳳や漣、時雨や龍鳳と言った艦艇時代に縁のあった者たちは何となくそういった姉妹のような雰囲気になっている姿も見られる。

 こういった感覚は艦娘特有のものなのだろうかと疑問し、今日の姉艦は若干体温が高めだなとテイスティングする浜風は、訪問者の音を耳にする。

 

「はーい、どいてどいてー、通して通してー。あと、手が空いてる人は手伝ってー」

 

 脱衣場の入り口から良く通る雷の声と、数人の足音。そしてストレッチャーのものと思われるキャスターの音が聞こえてきたのだ。

 皆が視線を向ける先、脱衣場に入ってきたのは、雷と手伝いの清霜、そしてストレッチャーの上に横たえられた戦艦・榛名だ。

 こうして入渠ドックまで運ばれてきたということは、ようやく検査を終えたのだろう。

 にわかに集まり出した艦娘たちに、雷は白衣を脱ぎながら検査結果を説明する。

 

「肉体面に異常はなかったわ。今から入渠ドックの湯に浸けて本格的な解凍措置に入るから、夕張と天津風は手伝ってね。それと、この娘の介添えしてくれる子、誰か……」

 

 浜風は即座に挙手してその役を得る。

 清霜だけに任せておくのは心許ないなと感じたし、正直なところ、浜風自信もこの榛名には興味が湧いていたのだ。

 雷が脱衣場で準備し、夕張と天津風が計器類をセットしてゆくあいだ、清霜や時雨たちと共に、榛名を医療用の個別ドックに寝かせてゆく。

 先程まで自分が入っていたもので、動作は問題ないなと妙な安心感を得た浜風は、榛名の左手に光るものを見付ける。

 

「そう言えば、彼女は“指輪付き”でしたね」

「“指輪付き”ってすごく強いんでしょう? いいなあ、すごいなあ……!」

 

 顔を輝かせて未だ目覚めぬ榛名の横顔を覗き込む清霜に、しょうがないなと嘆息した浜風はしかし、“指輪”と言う単語にふと引っ掛かりを覚えた。

 「どうかした?」と時雨に問われ、浜風は表情を消して「いいえ」と首を振る。

 漂着物のリスト、と言うよりも漂着者の遺品リストの中に、確か指輪があったかなと、そんな考えが脳裏を過ったのだ。

 それがもしかしたら艦娘用の品という可能性はないだろうかと、そう勘ぐってしまう。

 浜風はその遺品の実物を見たことがなかったし、仮に“そう”だった場合、暁たちが気付かないはずがない。

 

 しかし、例えその指輪が艦娘用の品だったとしても、暁たちは運用しなかっただろう確信がある。浜風自身、自分が同じ立場でもそうだっただろう。

 そんなことを考えてしまうのは、こんな環境にあって、自分たちがまだまだ余裕を持っていられるからだろうか。

 だとすれば、提督と仲間たちに改めて感謝だなと、浜風は手近にあった清霜の頭を撫でる。時雨も混ざる。

 死んだように眠り続けるこの榛名には、そう言った仲間たちが果たしていたのだろうか。

 きっと居たはずだし、そして彼女に指輪を渡した提督は、今は……。

 

「今は僕たちが、彼女の仲間だよ」

 

 呟くのは時雨。

 誰に届けるでもなく放られた言葉は、かつての時雨自身に掛けられた言葉だろうかと息を詰めた浜風は、しばらくのあいだ、居合わせた皆と共に眠れる彼女の横顔を見守った。

 

 

 


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