夜間の単独潜航任務にも慣れてきたものだなと、まるゆは荷重軽減のかかった艤装状態で建造ドックに足を踏み入れた。
現場にはすでに電たちが待機していて、計器類のテストを行っている。
サポートで夕張や天津風らが付き添っていて、提督がいつも通りにそれらの作業を見渡して時折質問を挟んでいる。
最近はこの面子での任務も定番となりつつあるなと、まるゆは面々に軽く挨拶してスクール水着の尻を直す。
まるゆが建造された2号ドック。
かつては基礎部が崩落して水没していた場所は、今は建造ドック自体を撤去して空白になっている。
島の地下に海水が流れ込んだ空洞があることはまるゆの引き上げの時に判明しているが、その空洞が島の中心部まで続いていると発覚したのはつい最近の話だ。
島の地下に巨大な空洞があるなど、水無月島鎮守府設立当初から籍を置いている電でも知らなかったことだ。
もちろん、島に鎮守府を建設する際に地盤の調査等は行われており、その時には地下の空洞など観測されなかったはずなのだ。
しかし、艦娘の艤装にて探針した結果は揺るぎないもので、ならばおそらくは、ここ10年のあいだに新たな地殻変動が起こったのだろうというのが、電たちの推論だった。
大きな地震等は感知したことがなかったという暁型姉妹の証言から察するに、その地殻変動が起こったのは、ちょうど10年前の空襲時か。
ただ空洞があるだけならば簡単な調査を行ってこの話は終わり、となっていたのだろうが、事態はそうもいかなかった。
島のほぼ中心地に位置する一際巨大な空洞内に、大規模な金属の反応を感知したのだ。
その規模から察するに、恐らくは戦艦か空母の亡骸が眠っているのではとの予測が立てられたのが、ついこの間のこと。
艤装経由の探針ゆえに、この海域特有の誤作動と言う可能性は極めて低く、一時鎮守府内は騒然となったものだ。
かつての軍艦の亡骸ならば艤装核が発生している可能性があるとして、連日まるゆが潜航して調査を行っているのだ。
夕張と天津風がOKサインを出すのを確認して、まるゆはゴーグルを装着。敬礼と共に見守る提督たちに敬礼を返し、背中から2号ドック跡に潜入する。
頭を下にして、艤装の荷重軽減をカット。質量と同等の重量を取り戻した艤装の鋼がまるゆの体を底へ底へと沈めてゆく。
深度計を確認しつつ潜水し、底部に達する直前にくるりと上下を入れ替えて岩盤の層に両足で降り立つ。
命綱代わりのケーブルを幾度か引っ張ると、クレーンで連装魚雷発射管が投下されてくる。
艤装核が発生している可能性があるのならば、それが深海棲艦へと変質している可能性も充分に有り得る。
そのため、最低限ではあるが艤装状態で調査は行われるのだ。
発生した艤装核が深海棲艦になっているとすれば、艦種は潜水艦と推定され、かつ島の地下部と言うことでその能力は著しく減衰されているだろう、というのが天津風の見立てだった。
なるほど確かにと、まるゆはその推測に概ね頷かん思いだが、それ以上に警戒はするべきだとも考えていた。
この敵支配海域では何が起こるかわからない。
大和型戦艦の艤装核から潜水艦へと変化したまるゆのように、あちらもかなり特異な個体へ変貌している可能性が充分にあり得るのだから。
連装魚雷発射管を抱えて、移動は上下から前後左右のものへと移行する。
水没した空洞は広いドーム状の箇所がいくつかあり、それらの箇所を繋ぐ天然の通路は、人ひとりがぎりぎり通れるか否かといった狭き門となっている。
前回の調査はこの狭き門、中心部の空洞へと続く孔のところで切り上げ引き返しているが、今回はその先へ進むのだ。
魚雷発射管をロックして孔の入り口付近に安置、まるゆ自身は慎重に狭き門へと体を滑り込ませる。
胸や尻が少々引っかかり気味だが、問題なく通過。
前回の調査時には髪がひっかる場面が多く進行を断念したため、今回はデフォルトの状態と同じまで切りそろえている。そのためか、侵入はスムーズだ。
デフォルトのまるゆならば、こんな細道どうってことないのにな、などと考えるが、口にすれば阿武隈や天津風や暁などが理不尽にキレはじめるので決して口には出さない。口に出さなくてもキレられる時があるので困ったものだが。
せっかくの高い背丈に豊満な体つき。元となった大和型や鎮守府のバルジ増設したい勢には申し訳ないが、これはこれで不便な部分もありますよと、まるゆはこれまでの生活を通じてそう実感を得ている。
しかしそうは言っても、艦娘としての性能はデフォルトの自分よりも格段に上昇しているので、その部分については何も不満はない。
それに、阿武隈のように建造組の駆逐艦勢に舐められることも少なく、それよりもちびっ子たちに対して時たまお母さんみたいな真似が出来るのは役得だ。
そうだ、お母さんだ。まるゆはふと、そんなことを考え始める。
実際にこうして「お母さん」という言葉を用いてはいるが、まるゆはそれが具体的にどういったものかを説明できない。
母親と言う概念を知識として得てはいるが、それを実感出来るか、あるいは説明できるかと言われれば、艦娘は言葉に詰まってしまう。
艦娘の運用周りの現場において、提督や妖精を除けば、そのほとんどの人員は“提督以外の男性”がその領域を占めるはずなのだが、現在のここ水無月島鎮守府においては、そもそも人間がいない。
外界の様子を知る高雄たちにしても、提督や妖精以外との接触は稀だったと語るし、そんな環境で母親という存在を目にするなどさらに稀だったはずだ。
雷やまるゆのことを時々「お母さん」と呼んでしまう駆逐艦の艦娘たちも、意図してその言葉を用いているわけではなく、なんとなくそんな言葉が口を突いて出るのだという。
具体的な「お母さん」像を持っているのは、この鎮守府では六駆の艦娘たちだけ。特に、雷がそうなのだ。
10年以上前、水無月島鎮守府の医務室を担当していた医師が一児の母で、本土に子供を残して来ていたのだという。
その医師と雷はたいへん仲が良く、その当時から医務室は雷の領域だったのだとか。
当時を語る雷の目元は優しくて、穏やかな時間が流れていたのだなと、その姿を思い出すまるゆはわずかに顔を曇らせる。
その穏やかな時間が幸せであればある程、雷はその穏やかさに出会う以前を思い返してしまうのだ。
彼女のように振る舞えていたら、水無月島に来る前の仲間たちとの関係も、もっと違うものになったのではないか。度々そう呟いて「なんでもない」と笑って誤魔化す姿を、まるゆは幾度も見ている。
母のように振る舞えていたら、救えた何かがあったのではないか。それが、雷が人の世話を焼きたがる理由なのかとまるゆは考える。
幸い、その医師は空襲のかなり前に配置転換でこの島を後にしているそうで、きっと本土かどこかで元気にやっているのではないかと、雷の希望を語る顔は明るいものだ。
さて、廻った考えはひとまずここまでと、まるゆは表情を引き締める。
もうすぐ通路を抜けて孔の先、中心部の空洞に到達する。
○
細道を抜けて空洞内へと至ったまるゆは、全体の形状を把握するべくソナーを打とうとして、その手を止めた。
ゴーグル横に付属するライトの灯りに、岩盤の層と底部の砂地がはっきりと映る。空洞内の水質が澄み切っていて、ゴーグルの機能を用いずとも物体を視認できるのだ。
これは海水の透明度では無いぞと眉根を寄せたまるゆは、艤装妖精に水質のサンプリングを頼みつつ周囲を目視で確認する。
水中ライトに照らされた空洞内、溶岩質の黒い岩肌を背景に粒子が反射してきらきらと輝く光景は、素直に綺麗だなと、吐息が気泡になって漏れ出る程だ。
底部の砂を足の指でにぎにぎして感触を確かめながら、呆けて、しかし訝しげに先へと進む。
鎮守府に地質学関連に詳しく者がおらず、どういった原理で島の地下にこの空間が形作られたのかは定かではないが、実際にこの場に辿り着いたまるゆの感想は、これはやはり自然の現象ではないな、というものだった。
理屈ではなく直感が弾き出した答えで、説得力など欠片もないものだが、まるゆにはそう思えたのだ。
絶対に有り得るものかと、目の当たりにした“かの姿”を見上げて思う。
島の地下から観測された大規模な金属の反応、その艦影。
それは今、まるゆに対して飛行甲板を晒した姿だった。
航空母艦だ。その姿は戦闘での損傷と火災跡、そして長い年月を海中にて過ごした劣化の跡が痛々しい。
この島を目指して出撃したという装甲空母の類ではない。
恐らくはミッドウェー海戦で沈没した空母のうちのどれかだ。
艦橋が船体の左舷側にあるということは、赤城か、もしくは飛龍。
まるゆは荷重軽減をオンにして仮想スクリューを展開、船体の捜索を開始する。
横たわる船体を迂回して、目指すは後方。
以前、提督の横で盗み見た資料によれば、彼女の証は確か甲板後部に位置しているはずだと、そう覚えていたのだ。
果たして、その後部甲板に“ヒ”の文字を見付けた瞬間、まるゆはゴーグル越しに涙があふれてくるのを堪えきれなかった。
「ここに、眠っていたんですね?」
かつての大戦時に沈んだ艦艇たちは、最後に確認された地点こそ数多く報告が挙がっているが、艦娘や深海棲艦が登場して30年経った今でも、眠っている場所が判明していないものが多い。
飛龍はじめ、ミッドウェー海戦で没した航空母艦たちもそうだ。
こうして飛龍は意外なところに眠っていたが、他の空母たちは現在、その亡骸を確認されてはいない。
ここは敵の支配海域だ。その姿を探すことは不可能でないにしろ、今となってはたいへん困難なものとなってしまったのだ。
ゴーグル奥の涙を妖精に拭ってもらい、改めて飛龍の姿を目の当たりにしたまるゆは、その“ヒ”の文字のすぐ近くに淡く輝く何かを見とめる。
最早見慣れた青白い燐光に、深海棲艦かと身構えたが、それは半分だけ当たりだった。
その正体は深海棲艦本体ではなく、その核。艤装核だ。
直径30センチほどの黒い楕円形の球体は、亀裂状の模様のような部分から青白い燐光を発していて、まるゆには何となくそれが“生きている”のだと察することが出来た。
かつて阿武隈が建造された時に暁たちが深海棲艦から奪取して来たものとは違い、これはまだ“成っていない”核だ。
その処遇をさてどうしたものかと、ケーブル内臓の有線回線で電に連絡を取り判断を仰ごうとした時だ。
昆虫の繭のように甲板に癒着していた艤装核が、なんの前触れもなく剥がれ落ち、自重に従って落下を開始したのだ。
血相を変えたまるゆは命綱ともいえるケーブルをパージして、仮想スクリューを急展開、艤装核が地面に接触する前に、なんとか抱き留めることに成功する。
本来ならば観察に徹して不用意に接触するべきではなかったなと、キャッチしてしまった後で気付き、海中にも関わらず冷や汗が滂沱と流れ出る。
腕の中の艤装核はずしりと重く、仄かに暖かく、そして、まるで意志を持っているかのように、ゆっくりと淡い明滅を繰り返している。
確かにこれには命が、あるいは魂が宿っているものだなと頷かんばかりのまるゆは、せっかくこうして拾ってしまったのだし持って帰ろうかと意を決する。
驚かれはするだろうが、破棄せよなどとは、電や提督ならば絶対に言わないはずだ。
リスクを冒してまで自らを引き上げてくれた彼と彼女たちだ、この子をこのまま海中に沈めて置くなどしないだろう。
「大丈夫、ちゃんと運ぶから」
艤装核を胸に抱き、ああこれはまたあの狭いところで突っかかるなと苦笑いして、そうして飛龍から遠ざかろうとした時だ。
後ろ向きに進み、改めて飛龍全体を見渡したまるゆは、なんとなく陰影がおかしくないかと違和感を覚えたのだ。
ゴーグル横のライトを調整して広範囲を照らし出し、ようやくその違和感の正体に気付く。
飛龍の背後に、その船体よりもさらに巨大な岩塊が鎮座していたのだ。
建造ドックからは確認できなかったはずの岩塊は、これもただの岩の塊ではないなと、まるゆは一目見て気付く。
表面の質感や色彩が、今まさに腕に抱いている艤装核そっくりだ。これで青白い燐光でも発していれば“当たり”だなと頷き、まるゆはゴーグル横のライトを消した。
空洞内を暗闇が支配し、光源が腕の中の艤装核のみとなる。
その状態で数秒、もしかすると数分の間待っていたかもしれない。
暗闇に目が慣れてきた頃に、その淡い発光は起こった。
岩塊の輪郭を浮き上がらせるような青白い燐光は、不気味さと神秘さの両方で、まるゆはしばらくの間、口を半開きにしてその光景に見入ることしか出来なかった。
しばらくして我に返ると、ひとまずは報告しなければと優先順位を思い出して、ケーブルを背部艤装に再接続、有線での連絡回路を復活させる。
これでまた電や提督の悩みの種が増えるなと苦笑いしたまるゆは、腕の中の艤装核が同意するかのように明滅する様に、おかしそうに微笑み返した。
○
艤装核を保護したまるゆは一時帰投の命令を受け、空洞内から離脱する。
現状は確保した艤装核を引き上げることを優先として、後日改めて飛龍の調査に取りかかろうという提督たちの判断だ。
ああして横たわる彼女には歴史的な価値と、そして30年続くこの戦いに変化をもたらす何かがあるかもしれないと考えられている。
それに乗員の遺品なども引き上げなければと考えると、まるゆはいよいよ、自分の仕事の重大さに身が引き締まる思いだった。
まるゆの姿が空洞内から消えてすぐ、横たわる飛龍に変化が起こった。
音も振動もなく、砂状の底部に吸い込まれるかのようにして消失を開始したのだ。
艦が動力を得て自ら動作するものではなく、まるで幽霊のように物体を透過してゆくかのような消失だ。
質量などまるで無視した現象は、建造ドック上の提督たちにも観測されていたし、まるゆがまだこの場に留まっていれば、ある光景をその目に焼き付けていたかもしれない。
艤装核を抱いて去って行った艦娘に向けて敬礼する、ひとりかふたりか、あるいは帽振れする幾名かの影を。
それらが物言わず、海底に沈んでゆく姿を。
第3章開始時点、水無月島鎮守府戦力表
第一艦隊:阿武隈、プリンツ・オイゲン、利根、巻雲、朝霜、清霜
第二艦隊:高雄、響、時雨、天津風、夕張、青葉
第三艦隊:熊野、初春、叢雲、浜風、漣、卯月
第四艦隊(機動部隊):千歳、祥鳳、龍鳳
予備隊:暁、雷、電、まるゆ、間宮、秋津洲、酒匂
計28艦
※内、肉体の成長が見られる艦娘:暁、響、雷、電、まるゆ、時雨、天津風