孤島の六駆   作:安楽

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9話:想い人の似姿①

「ああ、有馬提督。ここにいらしたのですね……?」

 

 微睡み気味の戦艦・榛名から零れた笑みと言葉に、その場に居合わせた提督と艦娘たちは表情と言葉を失った。

 目覚めたばかりで舌っ足らずな調子ではあったが、榛名は提督の顔を見て、確かにそう告げたのだ。有馬という姓を。

 そうしてすぐに眠りについてしまったため、発した言葉の真意を問うのは彼女が再び目覚めてからにならざるを得ない。

 にわかに騒がしくなりかけた医務室は、喧騒の域に達する前に鎮静する。

 艦娘たちが、提督の次の挙動に注視したためだ。

 榛名の告げた姓に驚いた表情をしていた提督ではあったが、すぐに電に海軍本部の名簿を検索するようにと指示を出す。有馬提督なる人物が、実在するかどうかの確認だ。

 了解の意を示し、慌てて医務室を後にする電を見送った面々は、提督が腰を抜かして座り込んでしまう様を見て、慌てて駆け寄る。

 大丈夫だと笑む提督の顔は、比較的付き合いの長い暁たちの目から見ても明らかなほどに、青ざめていた。

 自分を知っている者がこうして目の前に現れた。

 榛名が微睡に夢を見ただけだと一笑に伏すことも出来たはずだが、提督はその姓を重く受け取ってしまったのだ。

 

「僕は、榛名の言う“彼”なのかな……?」

 

 呆然と呟きを宙に投げる提督に対して、最初に動きを見せたのは暁だった。

 座り込む提督の真正面にしゃがみ込んで、その頬を両手でぴしゃりと挟み込む。

 

「司令官、執務室に行きましょう。電が検索をかけてるはずだから。答えが、出るかもしれないから……」

 

 暁が落ち着いた声色で告げるのは、自らを落ち着けるためでもあったのだろう。

 そう深刻そうな顔で告げられてしまえば、提督は座り込んでなどいられない。

 暁の手を借りて、まだ力の入りきらない足腰で立ち上がり、医務室を後にする。

 

 去り際、振り返って榛名の幸せそうな寝顔を今一度目にすると、嫌でも複雑な表情に成らざるを得なかった。

 もしも自分が、その有馬提督であったのなら。

 もしくは、そうでなかったのなら。

 考えを振り払うように、提督は医務室を後にする。

 

 

 ○

 

 

 ベッドに身を横たえ、見上げるは窓の外。

 眺める景色はどこまでも灰色の曇天。耳に届くのは遠雷。

 厚雲は奇妙な模様を浮かべては消えてを繰り返す。

 まるでロールシャッハテストのようだと目を細める榛名は、窓の外の風景から目を逸らす。

 艦娘の身なれば気分を害する程度で済むこの奇妙さは、受け取る側が人間であれば精神に不調を来すものだと、知識と経験の両方で理解していた。

 深海棲艦の支配海域。それなりに長い艦娘としての生の、その中でもたった二度しか突入経験がない、敵の本拠地ともいえる場所だ。

 二度、どちらの作戦でも数多くの友軍を失っている。ここはそういう海域であるはずだった。

 にも関わらず、窓の外から聞こえる艦娘たちの声は元気いっぱいで、この劣悪な環境をまるで気にした様子は伺えない。

 

 滅入った気分を変えようと、榛名はベッドの上で身を起こして再び窓の外を覗く。

 医務室の窓から臨むのは砂浜。そこには体操服にブルマといった、最早絶滅したはずの衣装を纏った艦娘たちがランニングの最中だった。

 

 “ここは敵地のど真ん中

  されど我らが艦娘ならば

  3度のご飯に重々感謝

  今日の訓練、粛々消化”

 

 ミリタリーケイデンスの一種だろうか、艦娘たちの元気な歌声が医務室まで届いてくる。

 

「うーちゃん月までうさぎ跳びー」

「ぴょん、ぴょん、ぴょんぴょんぴょん!」

 

 小気味よい問答の応酬に、榛名は自分の頬が緩むのを自覚する。

 駆逐艦娘が元気を失っていないのは良い鎮守府の証拠だと、かつて誰かが言っていた。聞いた当時はそういうものだろうかと聞き流していたが、今この時はその通りだと同意する思いだ。

 これまでの任務で各地の鎮守府や泊地を渡り歩いたものだが、駆逐艦たちの消耗が激しい場所は他の艦種も、提督をはじめとする人間たちも表情が死んでいた。

 駆逐艦という種の艦娘に「元気な子供の姿」を見ることで希望とする。そういう風潮があったはずなのだが、最前線で物的にも心的にも余裕を失った者たちほど、そんな考えから遠ざかってしまう。

 窓の外の風景を見る限り、ここはそういった場所のはずなのだがと、榛名がそう疑問する間にも、問答の応酬は続く。

 

「3時のおやつはなんですかー?」

「プリン!」「羊羹!」「落雁!」「カステラ!」「シベリア!」「ええ、ええっと……!」

「はいプリンツー、タイムアウトー! ダッシュー!」

 

 音頭を取っている叢雲が各員の掛け声を判定しているようで、アウト判定を食らったプリンツが隊列から外れて前傾姿勢になって全力疾走を始める。必死に、「バームクーヘンはドイツのお菓子じゃないんだからああ!」と叫んでいるが、そうだったのかと今さらながらに驚きを得る。しかし、早いなあ、揺れるなあと、疾走するプリンツを目で追う榛名は苦笑いだ。そもそも、掛け声が途中から大喜利になって来ているのは、この鎮守府のローカルルールだろうか。

 続いてアウト判定を食らった秋津洲が「厚化粧じゃないかもおお! ナチュラルメイクかもおお!」と、先のプリンツと同じように疾走してゆくのを、やはり早いなあ、揺れるなあと見送って、榛名は薄ピンク色の検査着の上から自分の胸元を確かめる。ある方ではあったと記憶しているが、窓の外の発育の良い娘たちや、かつての艦隊の仲間たちと比較すると、途端に自信が無くなってくる。

 

「いーつか私も戦艦にー……」

「無理ー」「無理ね」「無理ですね」「無理かも」「無理じゃの」「無理ぴょん」「無理ぴゃー」「残念だね」「現実見ろよー清霜ー」「ndk? ndk?」

「なーれーまーすー! 絶っ対っ、なれますからー!」

 

 そんな中、ちゃんと駆逐艦のデフォルト通りの娘も居て安心するあたり、嫌な娘だな自分はと、榛名はどうでも良い罪悪感に駆られる。

 

「じーつは叢雲、夜な夜な、夜な夜な……」

「さあざあなあみいぃぃ!」

「ktkr!!」

 

 後方に位置してた叢雲が鋭く漣の名を叫び、隊列を離れダッシュ。

 漣も隊列を離れ、追いすがる叢雲から全力疾走で逃げ出した。

 両者共良いフォームだなあ、まったく揺れないなあと呑気に眺める榛名は、自らの過去に思いを馳せる。

 建造当初は本土の鎮守府にて訓練に明け暮れたものだ。

 同じ金剛型の姉妹たちや、当時の鎮守府の所属艦娘たちと。窓の向こうの彼女たちのように。

 

 何年、何十年と戦い続けて、当時共に訓練した仲間は、全ていなくなった。

 深海棲艦との戦い、その最初期から戦い続けている艦娘ほど、仲間の顔を見るのが辛くなるものだ。

 居なくなった戦友と同じ顔の、しかし全く別の存在が隣を埋める。

 こちらは同じ艦娘との思い出を胸に抱くが、向こうはそれを知らない。

 それを受け入れられず、距離を置いたが故に、より悲壮な別れ方をしたことも、幾度もあった。

 そうした戦いを続け、心が擦り切れようかという時に、榛名はかの提督と出会ったのだ。

 後に彼女に指輪を与えることになる提督、榛名が有馬提督と呼ぶ人物だ。

 

 榛名は自分の左手薬指に淡く輝く指輪を優しく撫でる。

 夢心地ではあったが、確かに彼の顔をこの目で見た。

 彼の声を、確かに聞いたのだ。

 提督が生きていてくれて本当に良かった。

 この医務室で目覚めるより以前、榛名の最後の記憶は曖昧だ。

 南方海域は珊瑚海にて任務に当たるという打ち合わせに参加したことは覚えている。

 作戦海域へと移動するため、“隼”に乗り込んで移動していたことも。

 任務を終えたら皆で食事だ酒盛りだと、そんな他愛のない、しかし大事な話で盛り上がったことも、つい先程のことのように思い出せる。

 そして、確か目標地点に到達しようかという、まさにその時。敵の強襲を知らせる警報が鳴り響き、迎撃のため出撃したはずなのだ。

 しかし、その後の記憶が曖昧になっている。

 思い出そうとすると酷い眠気に襲われるのは、まだ自分が目覚めたばかりで寝ぼけているからだろうかと、榛名は自らの状態を再確認する。

 

 それでも、再び枕に頭を預け、安心した表情で「まあ、いいか」と呟くのだ。

 少なくとも提督は無事だったのだ。

 ならば、あの日の顛末を聞くことは出来るだろう。

 そうは思うのだが、榛名の胸中には漠然とした不安のようなものが、じんわりと染みを作り始めていた。

 

 

 ○

 

 

「有馬治三郎(ありま・じざぶろう)提督。階級は中将。所属は呉鎮守府となっていますが、実働として各拠点を転々としていたようなのです」

 

 執務室にてノートPCを操作する電、その後ろに暁型の姉妹たちや、阿武隈や高雄、夕張、熊野、青葉、千歳といった面々が控え、衛星経由でダウンロードした海軍本部の資料、その検索結果を見守る。

 榛名が口にした“有馬提督”なる人物が本当に存在するのか。そして、その容貌がこの鎮守府の提督と同じものなのか。

 結果は電が口にした通り、有馬提督なる人物は実在した。

 該当する苗字の提督は3名。その中で榛名を指揮していた人物はただひとり、電が読み上げた有馬治三郎提督その人だけだ。

 

「おそらくこの有馬提督で間違いないでのです。戦艦・榛名の運用実績があるのはこの方だけ。高練度の戦艦・榛名への限定解除措置の申請……、すなわち指輪の申請書類の提出履歴もあるのです」

 

 電の、背後へ振り向いての言葉に、艦娘たちはむむと唸る。

 榛名の発言、その信憑性が増して行くなか、それぞれが伺うような表情で、執務机にて手を組み聞き入る提督の姿を盗み見る。

 あの榛名はこの提督を“有馬提督”と呼んだ。そして、実際に有馬提督なる人物は実在し、戦艦・榛名を運用していた。

 記憶喪失の彼が、その有馬提督なのか。

 名簿付の写真を覗き見た艦娘たちは顔を真っ青にして俯き、そして提督に視線を送る。

 

 顔を上げ、立ち上がった提督は、電がノートPCの画面を向けてくるのを頷き、その人物の顔をいよいよ目の当たりにする。

 容貌は驚くほど似通っていた。鏡写し、瓜二つと言って過言ではないほどに。

 ただ、異なる点は確実にあった。その顔に浮かべている表情が違うことだ。

 写真の有馬提督は自信に満ちた笑みで、わずかに口の端を持ち上げた顔付きをしている。

 この鎮守府の艦娘たちならば、自分たちの提督がこんな表情をする人ではないと一目でわかる。提督が記憶喪失でなければ、顔が似ているだけの別人だとすぐに断じただろう。

 

「彼は、僕なのかな……?」

 

 そう、疑問を宙に放る提督の表情は、先程までのような呆け青ざめたものではなかった。

 気落ちした様子も興奮した様子もなく、いつも艦娘たちと話す時のような穏やかなものだ。

 動揺していないわけではないのだろうが、それよりも興味の方が上回っているのか。

 いずれにしても、この有馬提督の姿が自分と結びつかないのは事実のようだ。

 

「この有馬提督が司令官さんだと断定するのは、早計だと、電は思います」

 

 神妙な顔でそう告げる電は、その理由を挙げる。

 

「まず、この写真が撮影されたのは今から10年以上前。有馬提督が本土にいた頃のものなのです。その後、実働で各地を転々とするようになってしまってからは、写真の更新など行なわれていないようなのですよ」

「何よそれ。これ、若い頃の写真だってこと?」

 

 写真の中の有馬提督は2044年現在、30も半ばに差し掛からん年齢となっているはずなのだ。

 ただし、“存命ならば”という大前提が必要となる。

 

「有馬提督の艦隊は10年以上前、南方海域での任務中に消息を絶っています。目的地は珊瑚海だったようなのですね。当事の編成は7艦。戦艦・榛名もそこに含まれているのです。当鎮守府で保護した榛名と同一艦と見て間違いないですね」

 

 任務の詳細は閲覧不能となっているが、恐らくは極地突入作戦の前段のようなものだったのではないかと、そう告げるのは青葉だ。

 

「10年前当時の敵支配海域と言えば、ここいら一帯の海域……、ハワイ諸島一帯がメジャーなところですけれど、各海域にも敵の支配海域というものが拡大する動きはあったのですよ。ね、高雄さん?」

 

 そこで高雄に水を向けるのは、その勢力を拡大する敵支配海域で彼女が戦っていたことを知っているからだろう。

 青葉の言葉を、高雄が引き継ぐ。

 

「とは言っても、10年前当時のハワイ諸島一帯のような大規模な支配海域は、その当時はありませんでしたけれどね。ただ、資料にあった南方海域、珊瑚海は支配海域の拡大が進んでいたはずです。敵姫級や鬼級の目撃例が複数あり、それらが珊瑚海にて集結する流れがあったとは聞き及んでいますから……」

 

 当時の報告書を読む限りでは、有馬提督の任務は珊瑚海に集結する動きが見られた敵艦に対する初動対応、周辺調査や威力偵察までを行うものだったのだろうと、高雄は閲覧不能の箇所を推測する。

 その作戦海域への道筋で、有馬艦隊は消息を絶っている。敵艦隊に強襲されたのだろうと報告書には記されてはいるものの、高雄の言では当時最高練度の艦隊の一角であった彼女たちが、その程度で瓦解するとは考えにくいとのこと。所属する艦娘は7隻中3隻分の艤装の残骸と遺体が確認されたが、残り4隻と有馬提督の姿はついに確認出来なかったのだという。

 そして、10年以上の時を経て、かの艦隊に所属していた戦艦・榛名が所属不明の装甲空母より保護されて。

 その約1年前に有馬提督と瓜二つの、しかし記憶喪失の青年が水無月島に流れ着いた。

 

「ちょっと推測の領域の話になってしまうのですが、いいでしょうか?」

 

 挙手と共にそう問うたのは、手帳を指で開き口元に当てた青葉だ。

 有馬提督の周辺事情に関する推論だろうなと判断した皆は、無言の頷きを持って青葉の発言を促す。

 

「ええっとですね。青葉としては、この時点で一番不可解なのが、例の装甲空母なのですよ。内部の構造などは、青葉や高雄さんたちが所属していた装甲空母とほぼ同等のものだと発覚しましたが、これの所属がわかりません。零番艦なんて聞いたことが無い、存在しないはずなのですよ。ダウンロードした資料にもなかったはずです」

 

 装甲空母計画に関しては、本部の公開情報と高雄や青葉たち艦娘に知らされている情報に、ほぼ誤差は無いと、すでに確認が取れている。

 では、あの装甲空母はなんだったのか。恐らくは敵艦に完膚なきまでに蹂躙され、しかし榛名1隻が奇跡的に無事だったあの装甲空母は。

 

「現在持ち帰った情報の検証等を連装砲ちゃんたちに頼んでいますが、有力な情報はまだ上がって来てはいません。AIがノイズだと判断して弾いてしまっている情報があるかもしれないので、後々こちらでも精査する必要が出てきますが、ひとまず確実な点をひとつだけ」

 

 人差し指を立てて真面目な表情をつくった青葉は、執務室のホワイトボードに水性ペンでかき込んでゆく。

 羅列されるのは艦名。当時の有馬艦隊の編成だ。

 

「あの装甲空母・零番艦を操舵するには、最低でも1隻、運用レベルで2隻の空母の艦娘が必須だったはずです。そして、消息を絶つ直前の有馬艦隊の編成には空母・翔鶴及び瑞鶴の名前が有ります。その翔鶴型の姉妹は、有馬提督や戦艦・榛名と共に消息を絶った艦娘です。なので、もしかすると零番艦の操舵要員として最近まで活動していた可能性がある、かなーと……」

 

 最後の方が尻切れになってしまうのは、確かに繋がりそうな点同士ではあるが、まだまだ断定には程遠いからだろう。

 ノリノリで「確実な」などと先走ってしまったことを今さら恥じるように赤くなる青葉に、提督は礼を言って、「他には?」と皆に問う。

 

「推測レベルでいいんだ。現状、皆が考え至った推論を教えてほしい。確証を得るための情報が足りな過ぎるから、想定できるだけのことを想定しておきたい」

 

 真剣な顔でそう告げる提督に艦娘たちが頷く中、ひとりだけ意を唱えるのが雷だ。

 

「考えを出し合うのはいんだけれどね、でも……」

 

 そう口ごもる雷に、提督はわかっているよと告げて立ち上がる。

 

「榛名に事情を話さなければね。と言っても、僕もたいして把握し切れていないけれど……」

 

 自信なさそうに唸る提督に顔を見合わせた艦娘たちは、雷と高雄が提督に同行して、残りはこのまま情報の拠出に専念する。

 しかし、その人選に難色を示したのが暁だ。

 

「高雄がそっち行っちゃうと、こっちの思考レベルが落ちるんだけど……」

「おやおや、我が姉なるは妹たちの知能を信用していないと?」

「ちょっとお話が必要なのです……」

 

 両脇を響と電に固められた暁が「しまったー」と天を仰ぎ、提督に救いを求める視線を送るが、阿武隈や千歳に促されて執務室を後にする。青葉が「あとで艦内新聞刷って配達しますからー!」と声を掛けてくるので楽しみにしておく。

 わいわい騒がしい音を背中に感じつつ、提督の顔にはようやく笑みが戻って来ていた。これから深刻な話をしなければならないのは承知しているが、それでも心を明るく保つだけの余裕は取り戻せているらしい。

 

 さて、そうして医務室に向かう途中、雷が何かを思い出したのか、立ち止まって額を打った。

 申し訳なさそうな顔で「事後報告になるんだけど……」と上目使いに問うてくるが、提督はその内容をすでに察している。

 

「飛龍の建造が完了したのかな」

「そう、そうなんだけどね。ちょっと色々あって、巻雲に任せてこっち来ちゃったのよ。そこで、ほら、榛名お目覚めでしょう?」

 

 報告しようとしたタイミングで榛名が目を覚まし、提督の顔を見てからの一連の流れだ。

 巻雲が泣き付いてこないということは、その「ちょっと色々」は当時よりは悪化していないのだろうか。

 高雄が具体的な部分を斬り込めば、雷は言いにくそうにしながら「泣いてたの」と呟くように告げる。

 

「飛龍、泣いてたの。建造終わって、もう動けるようになって、それでもドックからずっと出て来なくて。それで、開けてみたら膝抱えて泣いてた」

 

 建造時のこうした感情の暴走は、雷や高雄曰く、よくあることらしい。

 これまでも、阿武隈がべそかいてなかなかドックから出て来なかったり、びっくりした酒匂が粗相したりと様々あった。

 かく言う高雄も、自らの建造当時は慌ててみっともない姿で提督や僚艦の前に飛び出してしまったとのことで、意外と抜けているエピソードを披露してくれている。

 

「私も、建造された時泣いてたらしいんだけどね。全然覚えてないの。なんで泣いてたのか。悲しかったのか怖かったのか、今となってはもうわからないわ」

「人も泣きながら生まれて来るというからね。そういった意味では、艦娘も人も同じなんだね」

 

 

 ○

 

 

 生まれたばっかでよく食うなーと、巻雲は自分が建造された時のことを棚に上げて、目の前で丼の中身をかっ込む空母・飛龍に呆れ返っていた。

 島の地下空洞にこつ然と現れ、そして姿を消した航空母艦の亡骸。そこから回収された艤装核。これの建造に立ち会うのは自分しかいないと志願して、建造が完了するまで三日三晩張り込んで、さあこんにちわと言うところで目に飛び込んで来たのは、膝を抱えて泣いている彼女の姿だった。

 理由を聞いても「わからない」と返すばかりで、そんな状況に困り果ててしまったのことも遠い昔のように感じられる程、今のこの光景に安心を覚えていた。

 

 昼飯時を大きく過ぎてしまった食堂には間宮以外誰もおらず、貸し切りのような心地だ。

 頬杖付いて巻雲が見つめる先。飛龍は薄ピンク色の検査着を纏った姿で、まだ鼻声で話す姿が先ほどの余韻を感じさせる。

 検査前に食事は控えさせるべきだとは思うが、「お腹すいた」と涙目で訴える娘に待てと言えるほど巻雲は理性的ではない。こと食事に関しては尚更だ。

 こいつ、もしやお腹がすいて泣いていたのかと勘ぐるが、ならば当然、自然なことだなと巻雲は頷く。そして、袖を大きく振って間宮に「自分も同じものを……!」と、食い意地の張った声を張り上げる。

 目の前でこんないい食いっぷりを見せられては、自分も食べないわけにはいかない。

 すると飛龍も口をもごもごさせながら笑顔で「おかわり」と手を挙げるものだから、間宮がなんというか、笑顔爆発だ。

 良い食べっぷりはつくり手をも幸せにするとは真実らしいと実感した巻雲は、ならば自分こそ負けていないはずだと鼻息荒くして丼が運ばれてくるのを待つ。

 

「いやあ、味も量も文句付けられないくらい最っ高! 生まれて来てよかったあ!」

「大げさだなあー、もう。お外どんな状況か知らないくせに……」

 

 呑気なものだと頬杖付きつつ口を尖らせれば、ほうじ茶が湯気を立てる湯飲みを手にひと心地、と言った風の飛龍は、不思議そうな顔を見せながらも笑って見せる。

 

「どんな時だってご飯がおいしく食べられれば幸せ幸せ。あとつくってくれる人と、一緒に食べてくれる人が居ればさらに善し!」

「うーん、どこにも反論する部分が無いのが悔しい!」

「反論する部分、ないんですね?」

 

 悔しそうに歯噛みする巻雲に困ったような呆れ顔で突っ込んだ間宮は、盆に載せた丼ふたつをそれぞれの前に置く。

 昼飯時を過ぎて夕飯を目前にした時間帯。間宮も忙しいだろうに、こうしてまかない丼を出してくれるのは、彼女自身のプライドによるところもあるのだろう。

 飢えさせることは罪だと毅然と言い放つ間宮だ。腹ペコ顔の飛龍を放って置けるはずがないのだ。

 まかない丼の上に乗るかき揚げは、昼のそば・うどん用のトッピングの残りだ。

 小エビと獅子唐、玉ねぎにゴボウと、巻雲の好きな組み合わせにオイスターソース風のタレが嬉しい。

 昼もうどんでお代わりまでして食べたものだが、こうして丼ものに生まれ変わると当然一味も二味も違って喜ばしい。

 確かに、飛龍の言うとおりだと巻雲は頷かん思いだ。

 美味しいものがこうして目の前にあるだけで幸せな気持ちになるし、どこか気も大きくなる。

 

「まあ、これからは巻雲が鎮守府の先輩として面倒見て上げますから、大船に乗ったつもりで任せて下さいよお」

「変だよね。私たち船だったのに、大船にって」

 

 互いの丼を静かにかちんと合わせて乾杯の代わりとして、ふたりで笑顔でかっ込み始める。

 箸の持ち方がどうだ、頬にご飯粒が付いているなど楽しげに話しながらの食事はしかし、間宮が飛龍の傍らにデザートを置いたことで一変する。

 

「んぎゃあ! 間宮さんそれ……」

 

 プリンの上に被せられたラップには“巻雲”と書かれている。

 泣きそうな顔でプリンと間宮の顔を往復する巻雲は、つくり手が笑顔ながら笑っていないことに気付き、こりゃあ時間差で拗ねられたなと歯を食いしばる。

 

「ええ、なになに。くれるの? さっすが先輩!」

「……ま、まあ。巻雲は先輩ですから? あげますよ? あげますとも……」

「すっごい顔してますけど大丈夫先輩ー?」

 

 宣言した手前主張を引っ込めるわけにもいかず、ぐぬぬと唸る巻雲の目の前で、飛龍は頬に手を当て美味しそうにプリンを頬張ってゆく。

 「先輩のプリンっ、超っ美味っしいぃぃ!」などといちいち告げるのは煽っているのか天然なのか。

 まあ、先輩としての株を上げることが出来たのだから良しとするべきだ。

 間宮もそれを見越してわざわざ巻雲のプリンを飛龍に与えたのだろう。この行為は決してお仕置きなどではないのだ。と思いたい。

 しかしこうして意固地になれば、「先輩、ほらあーん」と飛龍がスプーンに乗せて差し出して来るのにかぶり付くわけにもいかず、そっぽ向くしかないのが辛いところだ。誘惑に敗けて思わずぱくっと行ってしまったが、それはなんと言うか、間宮がいけないのだ。プリンが美味しいのがいけない。けしからん。

 拗ねられついでにコンボ決まらないかとヒヤリとしたが、「間宮さんおかわり!」「はい、ただいま!」と向こうで連打しているので一安心だ。

 

 

 それはそうと、巻雲は再び頬杖付いて、良く食べる空母の姿を眺める。そして、この娘は絶対に守らなきゃなあと、淡い決意を心中に滲ませるのだ。

 自らも建造される際に泣いていたらしいが、その時のことはあまり良く覚えていない。

 しかし、きっと生まれ出でる直前に見ていた夢は、燃え上がる彼女を終わらせた、まさにその瞬間だったのではないかと、今にして思うのだ。

 姉妹艦の風雲などが居れば、同じような考えに至ったのだろうかと考えるも、それはそれで気が滅入るばかりだなと頭を振る。

 明るく元気に、そして食べ物は美味しくで、いいではないか。

 かつての記憶に苛まれながらも、こうして幸せを噛みしめる瞬間がひと時でもあるのだから、それでいいのだと、この場所はそう教えてくれた。

 ならば、自分は先輩としてそれを伝えなければなと、プリンもうひと口貰ってからの丼お代わりに移行しようと思ったところで、時刻が夕食時となる。

 お互い食ったばっかりだが、だからと言って夕食が入らないはずがないよなと笑い合い、食堂を訪れた面々に自己紹介と相成る。

 いっそのこと今晩歓迎会を催そうかと言う話も出たが、榛名の一件が現在進行形とのことで、後日に見送りとなった。

 

 

 


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