孤島の六駆   作:安楽

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10話:想い人の似姿②

 清霜と酒匂に両脇を固められ鎮守府内を案内される榛名は、にこやかな笑みを浮かべつつも、時折その笑みが途切れてしまうことを自覚していた。

 せっかくの案内に対してどこか上の空な自分を恥じる思いだが、先の医務室での件はまだまだ自らの中で尾を引いているのだ。

 水無月島鎮守府の提督。この島に漂着した、記憶喪失の“彼”。

 顔も声もまったく同じなのに、彼は榛名の知る提督ではなかった。

 いや、まだそうだと決まったわけではない。記憶を失くしたせいで一時的に大人しい人格になっているだけで、ふとした拍子に、なんらかの切っ掛けで榛名のことを思い出すかもしれない。

 しかし、それは淡い希望というものだと、榛名は自分の考えに首を振る。

 榛名が眠っている間に、すでに10年以上の時が経過しているのだ。

 時の流れが確かならば、提督は既に30代も半ばの歳だ。それでいてあのような20代前後の若さを保っているなど、榛名でも有り得ないと苦笑してしまう。

 いくら敵の支配海域だとしても、時の流ればかりは未来へ進むことを止めることが出来ない。無論、遡ることも。

 

 廊下でふと立ち止まり、壁に貼られた鎮守府内新聞の記述に目を向ける。

 水無月島鎮守府の提督の姿を目の当たりにした榛名が、彼を「有馬提督」と呼んだことに、鎮守府内は一時騒然となったそうだ。

 今現在のこの状況がどういうことかと推測を走らせた艦娘たちが、様々な可能性を挙げ、それをまとめたのが今回の瓦版とのこと。

 数挙げられた可能性の中では、夕張の挙げた「榛名同様コールドスリープで現代まで眠っていた」と言うのが、榛名としては一番推したい説だろうか。

 そうだとすれば、彼が記憶を取り戻すことへの希望も持てるというものだが、夕張の推測に続きがあった。そのコールドスリープは人間に対しては不可能ではないか、というものだ。

 凍結は可能だとしても、解凍するための技術が人間には適用出来ないのだという。

 榛名の場合は艦娘の体と言うことで入渠ドックでの解凍措置が有効であり、だからこそ、リハビリもなくこうしてすぐに歩くことが出来ている。

 あるいは、提督の肉体がほぼほぼ再生治療を受けているかもしれないという可能性に頷くべきなのだろうかと考える。

 提督の極地活動適正は、人間では有り得ないはずの“甲”判定。肉体の大部分を合成たんぱく質に置き換えている可能性があるのだ。

 当時、榛名の記憶が途切れた後に、有馬提督が瀕死の重傷を負って、記憶を司る大事な器官までも再生せざるを得ない状況にあったのかも知れないと考えると、胸が締め付けられる。

 そうだとすれば、彼が記憶を取り戻すことが絶望であることを認めてしまうようなもので、気持ちが沈んでしまうのだ。

 

 「じゃあ、榛名は軽ーくタイムトラベルしちゃった、って感じかしらね? 過去から、今に」と、夕張が告げた言葉を思い出す。

 榛名にとっては「目が覚めたら未来になっていた」という体感だが、それにしては過ぎ去ってしまった大切な時間を知ることが出来ないというのは、あんまりではないかと、嘆きたくなる。

 再会した提督は自らの知る人物ではなくなっていて、かつての仲間たちの現在はわからなくなっていて。

 これから自分はどうしたらいいのだと、そればかりを考えてしまう。

 

 誰に従えばいいか、その答えは用意されている。

 誰と肩を並べて戦えばいいか、その答えもすでに目の前に置かれている。

 それでも、榛名はその答えに従うことを躊躇ってしまう。

 自らを動かすための大事な部品も、熱を上げるための燃料も、ごっそりと抜け落ちてしまっているかのようで、積極的に行動を起こしたり、あるいは考えを巡らせる気にはなれなかったのだ。

 考えるのはこうして、不安を蒸し返すような悪いことばかり。

 何もかもに置いてけぼりにされて、そして自らが走り出すための力が足りない。

 無気力とまではいかなくても、抜け殻のようではあるのだろうなと、それが榛名自身が己を顧みて断じた姿だった。

 

 このままではいけないと、そう思う。

 そう思うのだが、今は焦る心すら生まれない。

 

「榛名さん、大丈夫ですか?」

 

 意識が完全に飛んでいたようだ。

 立ちすくむ榛名の顔を、清霜が心配そうに覗き込んでくる。先行していた酒匂も速足でこちらに戻って来る。

 笑顔を忘れてはならないなと、榛名は頭を振る。

 どんな時でも笑顔でいたことが自らの強みだったはずなのに、それすら忘れているのか。

 今は彼女たちの好意に全力で応えるべきなのにと、笑おうとしても表情が硬くなってしまう。

 そんな時だ。

 

「あ。あんたたち。榛名も、ちょうどいいところに居た」

 

 案内の途中でばったり鉢合わせした叢雲が、榛名たちを呼び止める。

 見れば、倉庫の前に水無月島の所属艦娘たちが集まっていて、ざわざわと騒がしい。

 皆、部屋着だったり寝間着のままだったりと、海上に出るような衣装ではない、思い思いの格好だ。

 いったい何の集まりかと榛名が問えば、清霜と酒匂は声を揃えて「パンツ」と返す。

 空耳だろうかと、笑顔のまま固まった榛名は、叢雲が続けて「下着とか、衣類の在庫解放よ」と面倒くさそうに告げた言葉に納得する。

 

「着替え、あんたも必要でしょ。欲しいの見繕っていくといいわ」

 

 言われ、榛名は確かにと自らの姿を見下ろす。

 今身に纏っている簡素なシャツとジーンズは榛名の私物ではない。

 装甲空母に取り残されていた榛名には特殊な冬眠措置が施されていて、保護された時は裸一貫の状態だった。

 着衣は下着一枚存在せず、艤装の方もブラックボックスである艤装核を内包したコアユニット以外は、機銃や艤装妖精すらも付属していなかった。

 夕張や天津風が艤装や衣装の再構築を進めていると言ってくれているが、戦意すらも希薄な今、それらを進んで身に纏う気にはなれない。

 とは言っても裸のままこの鎮守府にお世話になるにはいかず、今身に着けている下着も少々体に合わないと言うこともあり、確かに着替えは欲しいところなのだ。そもそもブラが性に合わない。

 

「基本、好きなのを何着でも持って行っていいわ。ただし、競争率激しいから、好みがかち合ったら要相談ね?」

 

 倉庫の鍵の管理は叢雲が行っているようで、扉の前に集結してざわついていた艦娘たちは、鍵の担い手の登場に、さっと脇に避けて道をつくる。

 救世主の導きによって割られた海の如く、その間をモデル気取りよろしく優雅な足取りで進んでゆく叢雲の姿に、榛名は苦笑しながら清霜と酒匂に手を引かれて倉庫へ入って行った。

 

 

 ○

 

 

 天井の高い倉庫は漂着物のコンテナに収まっていた品々の保管場所となっている。ここではダンボールに梱包されたタイプの品々、主に衣料品だ。

 ラックに落下防止のロープがかけられ、それぞれの項にネームプレートが掛けられている様を眺め、きちんと整頓されているのだなと、榛名は感心して頷く。

 こういった日用品周りの管理は艦娘の任務の範疇外だとして、本土の鎮守府や転々としていた泊地などでは人間のスタッフに任せきりだったことを思い出したのだ。

 さすがに人の生存不可能なこの海域では艦娘が自力で成さねばならない仕事だなと思い、それにしても、こうした雑用に不満を抱いている様子が見られないのも新鮮なものだと、榛名は自然と笑みが零れる。

 艦娘に関連する以外でも己の役割があると、自分でも楽しいのではないだろうかと、以前からそう思って来た。

 かつての仲間たちの中には自らそうした仕事を引き受けていた者もいて、榛名自身もその部類だった。

 有馬提督旗下となってからは各地を転々として特定の拠点を持たない暮らしではあったが、余所様の手伝っても問題のなさそうなところには度々首を突っ込んでいたものだ。

 まあ、その多くは反感を買って追い返されたものだが。

 最前線ともなれば、どこも余裕がないことが常だった。

 物資もそうだったが、人の心もそうだ。

 

 そうした景色と比較すると、皆でダンボールを開封しているこの鎮守府の面々は本当に深海棲艦と戦っているのだろうかと疑問が湧いてくる程だ。

 建造されて1年にも経たない艦娘が多いと聞いたが、環境が変わればこうも変わるものなのかと、カッターを持つ手付きの危なっかしい酒匂に変わって榛名が開封を担当する。

 

「あ、このロゴ。榛名の艤装を扱っている企業の……」

「小西エレクトロの? 元は半導体の専門だったところよね?」

 

 ダンボールのロゴが目に映り思わず呟く榛名に、通りかかった夕張が何か話したそうな様子で寄って来る。

 キャラクターものなどの子供っぽいデザインばかりが満載されたダンボールにを脇に置き、夕張は企業関連の薀蓄を披露し始める。

 困った様に表情を引き攣らせる榛名を気にも止め無い様子に、「ああ、また始まったぞ?」とばかりに苦笑いとなった皆が、夕張の後ろで「スルー推奨」と手信号を送ってくる。

 夕張の話は大部分が榛名も既知だったため、推奨通り正面向きながら聞き流していたが、話が多方面に飛躍して、ある一点から重要な情報が混ざりはじめたため、表情を引き引き締めざるを得なくなった。

 

「では……、“艦隊司令部”がようやく、試験運用にこぎ着けたのですね?」

「そうなのよ! って言っても、私は年単位で敵支配海域彷徨ってたから話は高雄から聞いたんだけれどね? ああ、っていうか、榛名の活動していた頃からやっぱり構想自体はあったわけね?」

 

 構想も何もと、榛名はその先を言い掛けて口をつむぐ。

 彼女たちに話しても良いことか、その判断を迷ったのだ。

 

「有馬提督が、その“艦隊司令部”の試験運用に関わっていた、という話ですか?」

 

 タイミングを伺っていたのだろう、榛名たちの会話に参加したのは高雄。

 レースがふんだんにあしらわれたデザインの下着や、種類様々なガーターベルトを自分用の小さな段ボールに満載した姿が、なんと言うか、今の生真面目そうに引き締めた表情とかみ合わずに、榛名は苦笑気味になってしまう。

 高雄の言葉は真実であり、そして榛名が伏せようかどうかと逡巡していたことそのものだった。

 なるほど高雄だ、と。榛名は内心、納得して頷かんばかりの心地だ。

 高雄型の艤装は“それ専用のスロット”を最初から設けた状態で運用されていると聞いたことがあるし、話によればこの高雄は20年来のベテランだ。

 彼女が艦隊司令部の試験運用に関わっていても何ら不思議ではないし、有馬提督のことを知っていたとしてもおかしくはない。

 

「まだ実装には程遠い段階ではありますが、熱田の木村提督が短時間の起動に成功したという報告も上がっていますね。……私の装甲空母部隊の提督は適正が低かったため、今回の突入作戦での運用は見送りましたが、結果、提督と旗下の艦娘は引き際を間違えることがありませんでしたわ」

 

 やりきれない思いを噛みしめるような表情を高雄は見せる。

 高雄の所属していた装甲空母部隊は、高雄を含め数隻の艦娘が囮を務め、この海域から脱出している。

 仲間たちと共に沈むはずだったところを自分だけ助けられた高雄としては、心中は複雑なのだろうと榛名は察する。

 その空気を変えんとしたものか、夕張がわざとらしく声を上げて高雄の話を引き継ぐ。

 

「そ、そしてその、艦隊司令部! うちでも試験器を各艦隊旗艦の艤装に搭載済みなのよね! 無線封鎖状態で任務に当たっている今こそが使い時かなあって思うんだけれど、なかなかタイミングがねえ……」

 

 腕組みしてしみじみ言う夕張を余所に、榛名の表情は複雑だ。

 艦隊司令部を試験運用するということは、あの提督も適正があると言うことに他ならない。

 有馬提督との共通点が見つかり、安堵するべきなのか、そうするべきではないのか。

 そんな悩みが湧き上がる榛名の頭上に、ひらりと何かが舞い降りる。

 空気を孕んで羽毛のように舞い降りたのは、榛名にとっては見覚えのあるもの。そして忌々しい記憶を呼び起こさんばかりのものだった。

 

「ダズル迷彩柄! コレダズル迷彩ですよね!? 榛名さん、清霜コレもらってもいいですか!?」

 

 目を輝かせた清霜がわざわざ榛名に伺いを立てるのは、その柄がイコール榛名と言うイメージが確立されているからに他ならない。

 艦艇時代の逸話として、艤装に遠近感を狂わせる目的で白黒の縞柄の迷彩を施した榛名だが、艦娘になって驚いたことは、その迷彩が下着の柄にまで反映されていたことだ。

 下着の柄になっただけならばまだ「何もそこまで……」と苦笑いする程度のダメージで済んだのだろう。それがあろうことか、広報用の資料にばっちりと記載されてしまっていたのだ。

 その資料は艦娘の関係者だけではなく、守るべき世間一般の市民へ向けたものでもあり、少なくとも着用している下着の柄を確定で一種類知られているという事実に、当時の榛名は頭を抱えたものだ。

 任務で各地へと赴くその先々で「今日はダズル迷彩柄ですか?」と挨拶代わりに聞かれ、顔から火を噴いたことは一度や二度ではない。

 水無月島に保護され、当時の衣類など一枚も手元になくて、ああこれでダズル迷彩ともお別れできるなと、ちょっと名残惜しく感じていたものがすべて綺麗に吹き飛んでしまった。

 榛名に出来ることと言えば、パンツを握りしめる清霜の手を握り、「それを履いて、立派な戦艦になってくださいね」と励ますくらいだ。

 彼女の夢の糧となるのならば、これまで自分が受けてきた辱めにも何らかの意味が生まれるはずだと強がって「さあ。新しい榛名、デビュー」とダンボールの中から取り出した下着は、なんと言うか、榛名には下着には見えなかった。

 

「おや? それを選ぶとは榛名、さすが指輪付きともなると、お目が高いのう?」

 

 気持ち嬉しそうな利根の物言いに、榛名は疑問の表情を向けることしか出来ない。

 その形状は足を通して履くタイプの下着ではなく、長方形に近い形の一枚布だった。布地が気持ち固めだと感じるのは、外周部にワイヤーか針金を使っているためだろうか。

 榛名が真っ先に類似物を連想したのは生理用品のナプキンだが、それにしては形状が異なりすぎるなと頭を痛めていると、得意げに腕を組んだ利根がその正体を明かす。

 

「Cストリングスと言ってな? こうして、前と後ろを挟むような形で着用するのじゃ」

 

 わざわざ私服のホットパンツの上から着用手順を実践して見せる利根に、榛名は言葉と表情に詰まり、高雄と夕張が慌ててやんわり窘めに入る。

 しかし、利根の衣装、その航空巡洋艦仕様を思いだし、榛名は苦い納得の頷きを見せる。

 「察して頂けたようじゃの?」と、利根の背後から顔を出した和装姿の初春がしゃがみ込んでCストリングスの入っていたダンボールを物色し始める。どうやら彼女も愛用しているようだ。

 

「これはのう、妾や利根のような衣装の者にとっては大変重宝するものなのじゃ。前にペタッと張って、後ろできゅっとなる感触がたまらんでのう……」

「吾輩のあの衣装でパンツの紐なんぞ見えてしまってはみっとも無いからのう? 初春のような体にぴったりしたつくりの衣装や和服などでは、パンツの線が見えぬので便利なのじゃ」

 

 得意げに語る利根に生返事する榛名は、皆の視線が一方向へ固定される様を見る。

 視線の集中する先は叢雲。なるほど、艤装や衣装の規格は初春と同じ企業のもので、彼女の衣装もまた、体の線をはっきりと浮き上がらせるものだったのだ。

 皆に尻を向けて鼻歌交じりにダンボールを漁っていた叢雲は、さすがに視線を感じてこちらへ振り向き、無言の視線集中にびくりと全身を震わせる。

 ビビり気味に「な、何よ、皆して……」と声を震わせる叢雲に、時雨が音頭を取って合図して、駆逐艦たちが飛び掛かった。

 しばしもみくちゃになる駆逐艦たちを眺めた榛名は、巻雲の「ちゃんと履いていました! 薄ピンクのレース!」とパーカーの余り袖で時雨に敬礼し、時雨もにっこり敬礼で返す。

 「私服なんだから当たり前でしょ!?」と憤慨する叢雲にそれはそうだと頷くが、では普段はどうだというのかと思い至ったところで、続いて何故か阿武隈が餌食になった。どうやら逃げ出そうとしていたところに目を付けられたらしい。

 「……駆逐艦、ウザい。超ウザい……」と涙目で悪態をつく阿武隈はスパッツを数点仕入れるだけなので、あれはまさか下に何も履いていないのではと不安になる。駆逐艦たちの報告も「ネイキット!」だったのだが。

 傍らにやって来た青葉に視線で「あれ、履いていないんですか?」と問えば、にっこりと「履いていませんね」と返され逆に困ってしまう。

 

「榛名さんの時代はまだインナー着用しない艦娘も居ましたが、今では着用率9割ですからねえ。下を履かない娘も結構増えて来ているんですよ? 艦娘は生理とか気にしなくていいので必須ではないですからねえ」

「……その、青葉も?」

「いやあ、あはははは。黙秘しますー」

 

 誤魔化して身を引こうととする青葉だったが、自分の取り分のダンボールが卯月と漣に物色されているのを見て、血相を変えて走り去ってゆく。

 抜けているのか狙っているのか良くわからないなと目を細める榛名は、かなりきわどい布きれを掲げて走り去る漣と卯月を全力疾走で追いかける青葉を見送る。

 黒いほぼひも状のものに電探アイコンの装飾が付属したものと、薄青い透けた布地にソナーアイコン装飾が付属したもの二種類。恐らくは艤装の開発に携わる企業の、艦娘をイメージしてデザインされたものだろう。

 あんな攻撃的なタイプを選ぶなど食えない女だなと目を細めるが、何故か無関係なはずの祥鳳が顔を覆って蹲っているので、後で彼女にこっそりと渡そうとしたのかもしれないなと、どことなく優しい気持ちになってさらに目を細めてしまう。

 目を細めたまま視線を泳がせれば所在なさげに体育座りをしていたまるゆと目が合い、「まるゆも履いていませんよ?」とばかりにパーカーの裾をめくってスクール水着の下を見せてくるが、それは出撃用の衣装ではないかと口を突きそうな言葉をぐっと飲み込む。

 

 

 しかし、こうしてピンポイントに物資が流れ着くのはどういった奇跡かと勘ぐる榛名は、シンプルなパステルカラーの下着を選ぶ電が簡単なことだと笑むのを見る。

 鎮守府が稼働再開する以前は島の浜辺にコンテナが漂着することを願うばかりだったが、今は第三艦隊の皆が定期的に鎮守府近海を巡回し、漂着物を確保するのだという。

 

「9ヵ月前、敵姫級を撃沈してから現在まで、敵首級を倒した際には人工衛星経由でデータのやり取りを行なっているのです。その時に、物資の到達経路の計算なども行われているのですよ。どこで投下すれば無事に水無月島近辺まで漂流するか、そのデータを海域解除のタイミングで本部に送信して、安定した経路を割り出しているのです」

 

 こうして敵支配海域に物資を投下するのは、復旧を果たした水無月島への支援や脱出経路の確保と言う名目もあるが、来たる反攻作戦に向けての布石でもあるのだと電は語る。今までは、支配海域内の情報は帰還した艦娘からの報告に依存していたが、ど真ん中に拠点が普及して友軍の救助など開始してしまったのだから、これを使わない手はないと海軍本部は考えたのだろう。

 向こうからは物資と情報を。こちらからは周辺情報を。こうしたやり取りの末に装甲空母計画が強行されてしまったことは電としては遺憾ではあるのだろうが、それも後続がすぐに突入を強行しなかったのは、対策を考えるだけの余裕がまだ向こうにもあるということなのかと榛名は察する。

 本当にじり貧で余裕が無くなれば、人間、無理や無茶を平気でやるものだと理解しているし、実体験として身に染みている。

 そしてそれは、艦娘でも同じなのだと、榛名が俯き奥歯に力が入って行くのを自覚せざるを得ない。不快な記憶が込み上げ始めたのだ。

 

 何とか腹の底から湧き上がるものを抑えられないだろうかと苦悩する榛名は、浜風が腕に衣類を抱えてこちらを伺っていることに気付く。

 榛名の着替え用にといくつか見繕って来たらしいのだが、すぐに天津風がストップストップと止めに入る。

 聞けば「浜風はセンスがない」とのこと。

 

「浜風ったら下着は支給品のダサいやつの色違いしか着けないし、私服もジャージとか動き易くてほとんど露出無いヤツだしで、姉艦として心配になるわ……」

 

 確かに、浜風が着用しているのは体格に対して大きめのトレーニングウェア(しかしまあ、胸の辺りは布が張っている)だ。姉艦の天津風がチューブトップのブラに下はサスペンダー付のミニスカートと言った恰好なので、確かに真逆の趣味だと言える。

 

「いえ、姉さん。お言葉ですが、皆さんのような、あんな布面積の足りない下着、私はちょっとよろしくないかなと。あと姉さんは私服も大概です」

「ふりふりとか、ひらひらとか、あとすけすけとか、イヤ? 布地が薄いと排熱効率がいいのよ?」

「それ以前の問題です! 姉さんの持っているそれも、皆さんが持ってるあれも……! なんですか! 布の面積が足りな過ぎです! こんなものは下着ではありません、ただのエッチな布です!」

 

 そういう用途の物でもあるのだがなあと言う皆の視線を一向に反射する浜風のチョイスは、確かに布面積多めの支給品のスポーツタイプだ。色も黒、グレー、水色、薄ピンクと味気ない。

 聞けば、胸や尻など完全に布で覆わないと落ち着かないとのことで、そうなるとスポーツタイプかジュニア用しか種類が無く、かと言って浜風のサイズではジュニア用が壊滅的だ。

 

 布面積の大切さを力説する浜風の剣幕に、榛名は身を引いて笑みつつも、目頭が熱くなるのを自覚する。

 有馬提督旗下で動いていた時も、駆逐艦・浜風と一緒だったからだ。

 目の前の彼女と同じように、体を冷やすのはいけないと声高に力説して、他の艦娘に手袋や靴下、挙句腹巻などつけるよう強要していたのがとても懐かしい。

 この浜風も同じで、さすがに腹巻はなかったが寝具用の手袋や靴下を数点ダンボールに入れていた。

 

 電が見せてくれた報告書によれば、榛名の戦友だった彼女は襲撃時に沈んだ艦娘のうち1隻だ。

 確か直前まで食べ物の話などしていたはずだったなと、榛名は懐かしさのせいか、つい「ロブスター」と口走ってしまう。

 きょとんと表情を消した浜風はすぐに顔を輝かせ、「もしや、食べたことが……?」と興味深々といった様子で問うてくる。

 いいえと首を横に振った榛名は、手に取った赤い布地を手で弄びながら、かつての約束に思いを馳せる。

 

「当時、オーストラリアのお店を予約していて、任務が終わったら皆で食べに行くはずだったんです。もうずいぶん経ってしまったので、お店自体無くなってしまったかも知れないですね……」

 

 

 ○

 

 

 さて、目当ての品を選んで手に取ってとなれば、試着という結論に流れ着くのは当然かと、おもむろに服を脱ぎだした面々を眺めて榛名は微笑ましい気持ちになる。

 建造開けの飛龍が特に面白い。空母は別にサラシ褌厳守ではないことに驚愕したり、浜風に勧められたスポブラの装着感に感動したりと忙しそうだ。ここの空母3人娘は何かとセクシーだったりアダルティなデザインで攻めているので、確かにああいった簡素なものは推薦されなかったのだろう。

 その向こうでは半裸の暁とプリンツが手四つの状態で膠着していて、漣と卯月が脇腹を突くタイミングを伺っているのを視線で牽制している。以前立ち寄った泊地で耳にした“でっかい暁”扱いされているのかと思いきや、響が言うには妹属性付与されて可愛がられているのだとか。

 何故膠着状態かと言えば、暁にもっとセクシーなデザインを履かせようとプリンツが駄々をこねているのだとか。しかし、候補の品を真っ赤な顔の酒匂が手に取ろうとするのを「酒匂にはまだ早いの! 駆逐艦と同じヤツね!」とプリンツが制止したりするもので、そちらも妹扱いかと、榛名は首を傾げて笑ってしまう。

 

 先ほどまでは驚いたり困ったりと忙しかったが、こうして皆で何かをしている内に、自然と笑うことが出来ていた。慣れが来たのだ。それでも、これほどすんなり“慣れ”が来るとは、まだまだ微睡の中にある記憶を探っても、極稀だった筈だ。

 初めての場所、しかも敵地のど真ん中だというのにこの慣れた感触を思い出すのは、余程自分が鈍りきっているのか。それとも、それだけこの場所に穏やかな時間が流れているからなのか。

 榛名としては後者の方が良いなと笑んで、自分も着ているものをいそいそと脱ぎ始めたその時だ。

 倉庫の扉を控えめにノックする音が聞こえ、次いで提督の声が聞こえた瞬間、艦娘たちに緊張が走った。

 

 浮き足立つ皆の中で最も冷静な初動を見せたのは阿武隈で、片手を挙げて「大丈夫、提督はすぐに入ってくるような紳士じゃないから。残念」と素早い手信号で合図し、全艦の動きを一瞬で統率する。

 さすがは第一艦隊旗艦と感心する榛名は、次いで千歳が天津風に連装砲くんの出撃要請を出す様を見て、視界の端をダンボール掲げた連装砲くんがよちよち歩いてゆくのを見送る。

 

「……連装砲くんが持っているのは?」

「あれはね、男性用下着よ」

 

 榛名が虚空に投げた呟きを拾ったのは下着姿に白衣を羽織っただけの雷で、連装砲くんの行く末を見守る榛名の手を取って静かに移動を開始する。

 見れば、今やほぼ全艦が一糸乱れぬ隠密行動で倉庫の扉付近に位置し、「行ってくる」と合図して扉の向こうへと消えてゆく連装砲くんを厳かな敬礼で見送った。

 突如始まった奇行を何事かと見守る榛名は、なんとなくその正体に勘付きはじめていた。

 扉の向こう、連装砲くんと提督のやり取りを盗み聞こうというのだ。

 

「……あの。普通、逆では?」

「うちではこうなの。今はね」

 

 では、後々何か変わるのだろうか。榛名は考えを放棄して、ひとまずは自らも興味が尽きない扉の向こうに耳を澄ませる。

 

「……おや、連装砲くんかい? ……なんだい、皆が中で着替え中? そうだったんだね。……僕にも、おすそ分け? ありがたいね、そろそろ替えが欲しかったところなんだ」

 

 扉の向こうのやり取りを脳内で視覚化することは容易だったが、これはなんというか、榛名にとっては背徳感を刺激されるものだった。

 艦娘側も早速祥鳳がダウン気味で鼻の辺りを抑え始めたので、気を利かせた漣が奥へ連れて行ってしまった。やはり曳航は駆逐艦の役割らしい。

 

「――そう言えば榛名。有馬提督という方は、トランクス派だったのですか? それともブリーフ派?」

 

 隣りの浜風が突然そんなことを大真面目に聞いてくるものだから、榛名は思わず咳き込んでしまい、扉の向こうの提督から大丈夫かと声が掛かる。

 

「あ、有馬提督は……。概ね、ボクサータイプだったと記憶しています……」

 

 榛名が記憶を辿り辿り告げると、艦娘たちから静かに「おお……!」とざわめきが起こる。

 これバレてますけれどと冷や冷やするが、壁の向こうの提督は呑気なもので、連装砲くんとのやり取りは楽しげだ。

 

「ええ? 今回はボクサータイプに挑戦してはどうかって? そうだねえ……、挑戦することは大事だよね。……え、ここで着替えろって?」

 

 間宮がダウンして巻雲に曳航されてゆくのを横目に見送りながら、ならば今までこの提督はトランクス派だったというわけなのだなと榛名は頷く。

 さすがに彼までパンツ履いていない勢だったわけではないだろうと悶々とし始めた榛名は、外の提督が鋭く驚きの声を上げた拍子に壁面の出っ張りに頭をぶつけてしまう。

 

「……これは、なんと言うか……。いいね! しっくりくるよ! なんと言うか、うん。新しい世界の扉を開いてしまったみたいだね?」

 

 提督の「新しい世界」発言で榛名含む幾隻かが吹き出し、腹を抱えてダウンした熊野と叢雲を青葉が曳航していった。

 踏み止まりはしたものの浜風と時雨のダメージが深刻で、体をくの字に折って静かに笑い転げている。

 口元を扇子で覆った初春が「鍛えておるのに腹筋が弱いのう?」などとのたまっているが、その初春自身もかなりきつそうだ。

 提督が駄目押しとばかりに「この碇のマークがいかしているよね?」と発した瞬間、初春は響を巻き込んで轟沈した。

 向こうで漣と卯月が笑うのを堪えた表情で睨めっこしているが、あの様子ではあと10秒も持つまい。10秒待たずに朝霜が止めを刺した。

 

 自らも笑いを堪える榛名は、どうしてこんなにも早く慣れが来たのか、その意味を漸く理解していた。

 こんな鎮守府の一員でありたいと、榛名自身がそう願って来たからだ。

 有馬提督の下での活動に不満があったわけではないが、実働として各地を転々としていた艦隊はどこへ行ってもよそ者や部外者だった。

 「戦果が上がれば、嫌でも鎮守府の頭に据えられるからなあ」ボヤいていた有馬提督のためにと、旗下の艦娘たちはそうなるようにと奮戦したことを榛名は覚えている。

 それは後々に、この鎮守府のような暮らしを目指しての道のりだったのだと思うと、ここで暮らす彼女たちのことが、より一層愛おしくなる。

 榛名のことをもうお客様扱いしていない娘も多く、あと数日もすればすっかりこの鎮守府の一員として接して来るだろうことが、どうしても想像に難くないのだ。

 ずっと望んでいた場所にいつの間にか自分が居て、しかしそこには、共に手を取って辿り着きたかった人たちの姿はない。

 涙が出て来るほど笑い合っている現状でも、胸中には未だ靄のようなものが掛かっていた。

 

 

 


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