孤島の六駆   作:安楽

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11話:想い人の似姿③

「一緒に寝るのですか!? 提督と!? ええ!?」

 

 寝間着姿の榛名は傍らの漣に対して思わず大声を上げてしまう。

 時刻としては、良い子はもう寝る時間だ。

 倉庫で衣料品を確保した後、入渠に食事にと駆逐艦の娘たちに引っ張り回されて、ようやくひと心地着いたかと思ったところに、メインディッシュが待っていた。

 苺なのか人参なのか良くわからない野菜柄のパジャマ姿の漣は、榛名の反応にたいそう満足したようで、人差し指を立てて「厳密には違うのだなあ」と語り出す。

 

「榛名が考えてるみたいな、オトコとオンナのそゆことじゃないよーう。ま、合宿とか修学旅行みたいなノリで、提督と一緒に雑魚寝って感じかな。割と定期的にやってるのさこれ」

 

 なるほどと頷く榛名は、道理で寝間着姿で枕を抱えた艦娘たちがぞろぞろと集まり出しているなと苦笑いする。

 卯月や清霜、酒匂と言ったパジャマ姿の駆逐艦娘組だけでなく、祥鳳やプリンツ、そして今回は巻雲に手を引かれた飛龍がいる。

 初参加の飛龍などは、蕎麦殻の枕を見つめて「わひゃあ……、初夜だよ初夜。お願い多聞丸、見守っててね……!」などと不穏な言葉を呟いている。

 

 さて、そうしていざ提督の寝室へと赴いたはいいものの、その部屋の前では枕を頭に載せた阿武隈が胸の前で罰の字をつくっていた。

 ダメ、とはどう言うことだろうかと首を傾げる榛名は、他の艦娘たちが今日は解散、といった雰囲気になっていることに気付く。

 建造されて日が浅い飛龍も戸惑っているようで、何かこの鎮守府の暗黙のルールが発動したのかと勘ぐれば、帰り際に漣が説明をしてくれる。

 

「今晩は暁の日だからさ、延期かなあって」

 

 帰投する群れに追い付いた阿武隈が言うには、先走った彼女がやって来た時に、ちょうど暁が入って行くところだったのだとか。

 気遣ってふたりきりにしようという配慮なのだろうが、そうだとすればやはり疑問が残る。

 ふたりきりにしてやろうということは、提督と暁のどちらかが、もしくは両方がそういった感情を相手に抱いていて、皆がそれを後押ししようとしているのかと、榛名はそう考えたのだ。

 しかし、問うてみれば答えは否。ふたりとも別にそのレベルの感情を互いに抱いてはいないだろうというのが、漣の見立てだった。

 

「暁も司令官に甘えたいぴょん。でも、うーちゃんたちがいる前だと、それが出来ないぴょん」

 

 前を歩く卯月が振り向き告げる言葉に、榛名もようやく納得する。

 一応はこの鎮守府の古株である以上、暁にも体面のようなものがあるのだろう。

 それを察するこの娘たちも娘たちだが、手引きしているのが漣なのは確実だなと、榛名は確信していた。

 

「え、漣が気を回したり手回ししたりするのはなんでかって? そりゃあねえ。前世からの因縁ってヤツかなあ……」

 

 それは、駆逐艦・暁と漣が一時期同じ駆逐隊に編成されていた史実に関する部分かと問えば、返る答えは「それも有る」。

 

「託されちゃってるんだよねえ。“前の”漣からさあ……」

 

 そう言って漣が取り出すのは古びた手帳。

 シールや落書き、あるいは汁物の飛沫が付いた跡などが見られるそれは、名前のところに“漣”と書かれている。

 ここにいる漣のものではなく、かつてこの鎮守府に所属していた漣のものなのだという。

 

「同じ漣だから、ってわけじゃないんだろうけれど、物置の隅に転がってたの、なんとなく勘で見付けちゃってねえ。で、うちの暁もだいたい難しい娘だから、面倒見なきゃなって」

「……それで、託されたと?」

「それもあるけれどさ、それだけじゃないんだよねえ……」

 

 漣が建造されたのは今から4ヶ月前。

 立ち会ったのは暁だったという。

 

「生まれて飛び出て、なーんか一発かましてやろうかと思ってたんだけど、なんか物凄い泣きそうな苦しそうな顔されちゃってさ。ああ、こいつ何とか面倒見なきゃなあって、漣さんは思ったわけなのですよ?」

 

 聞けば、そもそもこの鎮守府の暁は重大な欠陥を持って生まれ、後々に再建造という形で生まれ直すという特殊な生い立ちをしている。

 生態艤装の探照灯を左目に搭載したのはその再建造時で、それ以前は肉体や艤装に不調を抱えながら任務に当たっていたのだと、漣の日記には書かれていたのだという。

 水無月島鎮守府で初めて建造された艦娘であり、まるゆがサルベージされるまでは水無月島鎮守府最後の艦娘でもあったのだ。

 

「そういうわけでさ。いろいろ不安定になることもあるんだけれどさ、なんていいうか、変に隠すこと覚えちゃったからさあ。ま、そゆとこまだ子供なんだけどねえ……」

「……隠し事が出来ない人の場所が、必要なのですね」

 

 榛名が言葉を引き継ぐと、漣は鋭く指差し「それね!」と笑む。

 

「ま、暁だけじゃないけどねー。ご主人様によばーいかけてる娘」

 

 ふふんと鼻を鳴らしながら漣が口を滑らせると、その肩を阿武隈と祥鳳が両サイドからがっちりと抱き寄せ、据わった眼で「その話、詳しく」と威圧して空き部屋へ連れて行こうとする。

 身の危険を感じた漣は悪知恵企む頭をフル回転させ、どうやら榛名に水を向けることを思い付いたようだ。困惑顔の新入りを見て、冷や汗交じりに「にやり」と笑む。

 

「そ、そう言えば指輪付きってことは、カッコカリーしてるってことで!? 有馬提督と夜の営みはどうだったのでしょー、か! はい榛名さん!」

「いやあー、青葉も気になりますねえ! はい!」

 

 暖かく見守る姿勢でいたものが勢いよく火の粉が降って来て、何故か青葉まで降って来て、榛名は顔から火が出んばかりに真っ赤になって俯いてしまう。

 これは何やら面白い話が聞けるのではと目線で阿武隈や祥鳳を唆す漣。やきもち妬きの第一艦隊旗艦が「今回は見逃します」と頷く様を、榛名は確かに見た。

 先行してた駆逐艦や飛龍たちも戻ってきて、どうせだから今晩は大部屋で話し明かすぞという流れになる。

 

「ちょっと待ってください! 夜の営みの話なんて! 駆逐艦の娘もいるんですよ!?」

「大丈夫ぴょん。うーちゃんお酒飲めるから」

「清霜も辛口大丈夫よ?」

「酒匂は甘いお酒がいいなあ……」

「いえ、そう言う話ではなく」

 

 榛名が集まった面々に視線を巡らせ、恐らくは今ここにいる面子の中で一番権限を有しているのだろう阿武隈に救いを求めると、何を思ったのか頭に載せていた枕をくるりと回し「Оh Yes!」の面を向けて力強く頷いて見せる。

 この場の最高権力者から許可が出てしまったことに愕然として、榛名は赤らんだ顔を両手でぺしぺしと叩く。そもそもYES/NO枕片手に添い寝しに行く阿武隈の度胸に、榛名は恐れ入るばかりだ。

 阿武隈たちにとっては、自分の提督のことかも知れないのだから、それは確かに気になるところなのだろう。そうでなくとも、水無月島の彼女たち、特にこの島の外に出たことのない艦娘たちにとっては、余所の提督と艦娘の関係と言うのは充分興味の対象だろう。

 榛名にとって、有馬提督との思い出を語ることは別段苦痛ではない。

 問題は、勢いに乗って語り過ぎてしまわないか、自制心を保てるかどうかが不安だった。駆逐艦の娘たちの前では語れないような話も山ほどあるのだ。否、山ほどどころではない。

 しかしまあ、酒を入れるわけではないのでその心配は杞憂かと思いきや、大部屋ではすでに千歳たち酒飲み勢が酒瓶を並べて待ち構えているもので、軽く眩暈を覚えてしまう。

 卯月や清霜がお酒云々と口にしていた意味がようやく理解できた。

 最初から提督のところが駄目だった場合はこうして集まろうと段取りしていたのだ。

 

「榛名と飛龍の歓迎会もまだでしたからね? ついで、と言うわけではありませんが……」

 

 気持ち前哨戦のようなものだと笑む千歳は、榛名と飛龍を上座へと案内する。

 お夜食が出ることに感激している飛龍の隣り、これはもしかして嵌められたのではないだろうかと鈍い汗をかく榛名は、酔い潰されて暴走しないようにと意を決し、宴に挑む。

 

 

 ○

 

 

「皆に気を使わせちゃったかしら?」

 

 お互い、横向きの視界で向かい合って布団の中。

 小声でそう呟く暁に、提督はそうみたいだね視線で返し、扉の向こうの騒がしさが去ってゆくのを確認する。

 こうして暁が部屋を訪れる頻度は前よりも格段に増えていて、皆が気を使ってその日は乱入を控えるという流れが出来つつあった。

 艦娘たちが提督の寝室を訪れることは稀ではない。

 なんでも夢見が良くなるともっぱらの噂で、それで彼女たちの精神にゆとりが生まれるのならば、こうしていることに対する後ろめたさも薄れてしまうなと、表情は困り顔になってしまう。

 六駆の娘たちやまるゆだけだった頃は、こうした行為にいちいち緊張して寝付けなかったものだが、今は2分以内に意識が落ちるまでにリラックス出来るようになっている。

 しかしまあ、卯月や酒匂など、体温高めな娘に伸し掛かられると寝苦しくて夜中に目が覚めてしまうのが困りものだ。

 その点は暁も同じではあるのだが、彼女の場合は寝苦しいとまではいかず、冬場は凍えることがなくてたいへんよろしいと提督は思う。

 逆に、誰かが横で寝ていないと眠れなくなるのではないかと不安になることもあるが、そう言った時は必ずと言っていいほど雷が滑り込んでいるので、彼女たちの間で何かローテーションのようなものが組まれているのかもしれない。

 

 そうして別のことに気をやって眠気のままに落ちようかという時、布団の中の暁がもぞもぞと身じろき、いつもの行動を開始する。

 提督が寝間着代わりにしている特大サイズのTシャツの腹からもぞもぞと身を潜らせ、襟元から「ぷはっ」と顔を出して合流、至近距離で目と目とが合って、ようやくいつもの体勢に落ち着いた心地になる。

 暁のこの行為のお陰で海外の特大サイズTシャツの襟は伸びきってしまい、定期的に他の艦娘たちに“おさがり”として卸されている。

 作業着代わりにでもするのだろうかと思っていたが、何故か彼女たちもこれを寝間着にするもので、年頃の娘たちの心境はよくわからないなと、提督は唸るしかない。

 以前は暁もこんな真似はしなかったのだが、朝起きたら提督と暁の間に卯月が挟まっていたこと原因だろうか。

 暁としては誰が乱入して来ても意に介すことはないのだろうが、ここ最近は別だ。

 こんな身動きも取れないくらいに密着したくなるほど、提督の体温を欲しているのだ。

 

「……ねえ、司令官。私たちが提督と艦娘の関係じゃなかったら、どんな関係に見えるかな。こうしているのって」

 

 あまりに唐突な、突拍子もない問い。

 そうだねえと、思案する提督だが、思い当たるケースはひとつだけだ。

 

「兄妹じゃないかな」

「そうよね」

 

 納得した、という声色の暁は深く息を吐いて、提督の首元に顔を埋めた。

 下になった左腕を枕にすることに躊躇いがないあたり、ずいぶんと遠慮が無くなったものだと、提督は困った様に笑む。吐息が酒気を帯びているので、少しお酒を入れて来たのだろう。

 果たしてこれが健全な兄妹の関係かと問われれば、提督は自信を持ってその通りだと断言することが出来ない。

 手に入る情報が明治・大正時代の耽美な小説や漣が進めてくる漫画に限定されているため、どうにも世間一般における兄弟姉妹のイメージが固まらないのだ。記憶喪失ついでに、その辺の価値観もごっそりと抜け落ちてしまっているは思わなかったもので、気付いた時に愕然としたものだ。

 まあ、うちはうち、と言うことで。水無月島鎮守府に限定して“これで良し”としている現状、余計なことを考えるのも野暮かなと、手が無意識のうちに暁の頭を撫でる。

 こうして彼女の頭を撫でることも、それこそ提督となった当初は躊躇われていたものだが、今では暁の方からせがんでくる。

 これで子守唄でも歌えれば良いのだろうが、以前総員に「提督、音痴ですね」硬い笑顔で言われてショックを受けて以来、人前で歌うことは無くなっている。

 

 暁がこうして、自分たちが提督と艦娘ではなかったらと、“もしも”を語るということは、それだけ今が怖いのだなと提督は察する。

 深海棲艦化の兆候が見られ、出撃を控えている暁ではあるが、それはあくまで控えているだけに過ぎない。

 要所要所、重要な局面では暁も抜錨して前線に立っている。

 しかし、そうして仲間と共に海上に立つ、その折に体感する現象こそが、暁自身の不安を誘うものであるのは確かだろうと提督は思う。

 もうとっくの昔に自分が深海棲艦になっているのではと時折恐慌しそうになることが幾度かあったが、卯月が「お肌つるつるだから大丈夫ぴょん」と頬ずりしながら告げて以降、表立って不安そうにすることは無くなった。

 ただ、時折こうして密着して温度を求める。その頻度が多くなったと言うだけで。

 

 今夜だって、有馬提督の件があったから、弱気を刺激されてここに来たのだろう。

 もしかすると、提督のことを気遣っての来訪かもしれない。

 艦娘たちには弱い姿をかなり見せてしまっている提督故、暁自身、自分のことよりも提督の方が気掛かりだと考えていても不思議ではない。

 

「あのね、司令官。私、その、お兄ちゃんとか妹とか、正直良くわからないの。艦の方の記憶はあっても、人間の方の記憶はないから……。でもね、だからかな。こう思うの」

 

 暁は右目だけで提督を見つめて、思いつめたように告げる。

 

「兄妹なら、もし離ればなれになっても、ずっと家族で居られるって思うから。ほら、お父さんと娘だと、娘はお嫁に行っちゃうし、奥さんと旦那さんだと離婚したりでしょう? でも……」

「兄妹なら、そう言うのは無いから?」

 

 頷きに自信の色が見られないのは、暁も自分が口にした考えが世間一般的なものではないとわかっているからだろう。

 それでも、提督はその考えを肯定する。ここは水無月島鎮守府なのだ、外界ではないどころか、敵地のど真ん中なのだから。

 ここでは、それでいい。

 では、ここを離れて別の場所へとなれば、どうだ。

 

 提督が有馬治三郎その人だったとすれば、暁が最初に抱いていた懸念が無くなる。

 記憶喪失とは言え本業の提督であったのだから、罪には問われないかもしれない。10年以上前の任務失敗に関して追及される可能性は充分に有り得るが。

 現状でも、この素性の知れない青年には、海軍本部からは“特例”という心強いお墨付きが出ているので当面の心配はないと楽観している。

 

 しかし、もしも自分がと、その先を考えようとしたところで、提督はふたりだけの空間に第三者の存在を感じた。

 酒気を帯びた、と言うよりべろべろんに酔っぱらったプリンツが、Tシャツの上から暁の背中に引っ付いて、幸せそうに目を細めていたのだ。

 部屋の前で引き返した面々は今晩は酒盛りだったのだなと思い至る提督は、幸せそうなプリンツに対して暁の表情がどんどんむすっとむくれていくのを見る。

 別段プリンツのことを嫌っているわけではないのだろうが、今この時に水を差されたことに拗ねているのか。

 提督が「拗ねないで」と暁の頭を撫でると、「拗ねてません」とふくれっ面で乳首をつねってきた。八つ当たりだ。

 

 

 ○

 

 

 気持ち飲み過ぎてしまっただろうかと、榛名はお猪口を盆の上に置いて大部屋を見渡した。

 室内を薄暗くしているのは、榛名の話を聞こうと集結した面々のほとんどが寝入ってしまったからだ。

 酔い潰れるのを見越して最初から敷かれていた布団をキャンバスに、個性的な寝相の絵が自由に展開されている。

 大の字になっていびきを発している飛龍を隣りの巻雲が定期的に裏拳で黙らせていたり、青葉や夕張そして漣はなにやら悪巧みしているかのような寝顔で微笑んでいるし、阿武隈と祥鳳は互いに抱き合いながらも「提督、提督……」と呟いたり、何かと見ていられない。

 時雨や高雄は、酔いつぶれた酒匂や清霜を連れて入渠ドックへ行ってしまったので離席中。しゃっくりする度に両サイドの髪が犬の耳のような形に跳ねる時雨を皆で弄り倒していたら、照れ隠しに龍鳳が関節技をかけられ、何故か「ありがとうございます!」と連呼していたのはそういうプレイだったのだろうかと首を傾げざるを得ない。高雄と叢雲のワインの銘柄当てに巻き込まれたプリンツと秋津洲がいつの間にかどこかへ行ってしまったが、いつものことだと誰も追わないのがいかにもこの鎮守府らしい。

 熊野はお肌に悪いと言って、船をこき始めた利根や卯月やまるゆを連れて先に引き上げてしまっている。就寝前に顔面を美容パックで覆う人類を(艦娘だが)初めて目撃して、内心拍手していたことは内緒だ。

 

 今起きているのは榛名と、テーブルを挟んで向かい合っている千歳。そして今しがた三度目のダウンから復帰して早速一杯ひっかけはじめた朝霜だ。

 駆逐艦の中でも、それどころか艦娘の中でもかなりの酒豪であるとされる朝霜だが、この鎮守府でもその称号は不動のものだった。

 ただし、榛名が今まで出会ってきた朝霜と異なる点は、すぐにダウンして寝落ちてしまうことだろうか。

 すぐに酔いが回って寝落ちて、しかしその分復活も早く、今はケロッとした様子でウイスキー(しかもロックだ)をちびちび舐めている。ダウンしてからの復帰は、それは酒が強いことになるのだろうかと甚だ疑問だが、こうして断続的にでも長時間、かなりの量を飲んでいられるので、“強い”でいいのかもしれない。

 朝霜の傍で猫のように丸くなっている猫耳の響が寝言で「……今夜ばかりは不死鳥の名をキミに譲るよ」などと言っているが、これ実は意識があるのではと榛名は勘ぐるばかりだ。

 

「ささ、榛名も。呑み直しのもう一杯」

 

 ご機嫌な顔の千歳がお猪口に注ぐ一杯は、一升瓶からだというのにほんのりと人肌に暖かい。

 どういうことだと目を細める榛名は、深夜の通販番組のような笑顔で一升瓶を掲げる千歳と朝霜の姿を見てさらに目を細める。

 仕組みと言えば単純なものらしい。朝霜の体温が高さと抱き癖を利用して、ダウン中に一升瓶を抱えさせる。そうして復帰した時には熱燗レベルの温度に暖められているというわけだ。

 しかし、いくら駆逐艦の高い体温とはいえ、熱燗レベルまで加熱されるのはいったいどういう原理だろうか。反応に困る榛名は、向こうで夕張と漣がむくりと上半身を起こし、「売れる」と拳握って呟いて再びぶっ倒れる様に、こちらも本当は起きているのではと勘ぐってしまう。

 

「……そう言えば、似たようなことを秘書官の加賀でやろうとした提督が居ましたね」

「その提督の末路は?」

「一升瓶で殴打されて全治二ヶ月。その間、秘書官が付きっ切りで看病したんだとか」

「あら、病んでる」

 

 口元を押さえて上品に笑う千歳だが、そんな上品な笑みが起こるような話だっただろうかと榛名は困り顔だ。

 間宮や阿武隈からちらりと伝え聞いてはいたが、確かにこの千歳はつかみどころがない。

 飄々としているという風ではなく、これは余裕がある者の態度だ。器の大きさや懐の深さから生まれる落ち着きだろうか。

 そのうえ、飲ませ上手で聞き出し上手とくれば、いつの間にか話すつもりのないことまであれこれ口を突いて出て来てしまい、何度冷や汗をかいたかわからない。

 

「それにしても、有馬提督。聞けば聞くほど、うちの提督とはいろいろ正反対の方なのね。酒豪で性豪だなんて」

「ええ……。お酒には滅法強くて、たいそう女好きで。毎晩、必ず誰かが夜のお相手していました。私も、その……」

「そりゃあ、うちの提督も変わんないんじゃないのか? やることやらないだけでよ?」

 

 グラスから口を離さない朝霜が言うが、確かに同衾まではその通りだなと榛名は唸る。

 

「それにね。うちの提督、別にお酒に弱いわけじゃないかもしれないの」

 

 千歳が言って、窓の方を見やる。

 そこでは妖精たちの酒盛りが行われていて、今宵は納豆を肴に一杯やっている様子だ。

 千歳が注目しろと言うのは、妖精たちが取り囲んでいる酒瓶のことだろう。

 その銘柄を見た時点で、榛名も合点が行った。

 

「スピリタス・ウォッカ……。まさか、あれを原液で?」

「妖精さんたちは気にせずがぶがぶいける口ですが、人間にとってはあまり。艦娘でも厳しいですよね? 朝霜」

「……ありゃあ、酒じゃないな。ただのアルコールだ」

 

 つまみの残りのナッツ類をまとめで齧る朝霜に「そりゃそうだ」と内心突っ込みたい榛名だったが、千歳に話の主導権を握られているため口を挟めない。

 

「暁たちの証言を聞く限りだと、どうやらこれじゃないかって。もちろん、その当時呑んだのがスピリタスかどうかは今となっては確かめるのは難しくて、それ以来提督もお酒を避け気味になってしまったから、真実は闇の中。でも、避けているだけで、呑めないわけじゃないかもしれないの。だから、もしかしたら、ね?」

 

 その可能性は榛名にとって朗報なのか、そうで無いのか。

 千歳の真意はなんだと眉をひそめた視線の先、杯を傾け片目でこちらを見る千歳は、まあ飲み終わるまで待ってと所作を緩やかにする。

 

「しばらくの間、うちの提督のことを有馬提督だと思って接してもいいんじゃないかしら。榛名の知っている有馬提督だったら、それで良し。そうで無かったら、そうで無かったなりに接すればいい」

「そんなに簡単に……」

 

 目が覚めたらもう10年以上の時間が流れていて、仲間の半数は既に亡く、もう半数も所在がつかめない。

 自分が何故眠らされていたかのかも、定かではないのだ。

 そして無事だと思っていた提督も、どうやら自分の知る人物ではないかもしれない。それだというのに微かな希望を匂わされ、常々気が気ではない心境に立ち戻ってしまう。

 しかし、そんな心境に“立ち戻ってしまう”ということは、それ以外では“いつもどおり”を取り戻せているということではないのか。

 割り切れているわけではないし、切り替える動きもまだまだ鈍く拙い。 

 だが、良きことに浸れるくらいには自分を取り戻せているのかもしれないと、榛名は眉を下げた顔で千歳を見る。

 

「あるいは、本当にひと晩一緒に寝てみるのもいいかもしれませんね。オトコとオンナの、と言う意味で」

 

 楽しそうに告げるのだが、その実大真面目な提案なのだろうことを察し、榛名は耳まで真っ赤になってしまう。

 その様子に不思議そうな表情をする千歳が「もしかして、あまり経験が?」と問うに対して、慌てて手を振って「最低でも週一ペースでした!」と答えなくてもいい部分を暴露してしまう。

 「盛んね」「盛んだな」と神妙に頷き合う艦娘たちから顔を逸らして両手で覆ってと忙しい榛名は、確かにそれほど頻度は多くなかったはずだと記憶を辿る。否、重要な部分はそこではない。

 

「それとも、やっぱり指輪付きともなると、他の提督と寝るのは浮気に?」

「そ、そう言う意味も、確かにありますけれど……!」

 

 榛名は言いにくそうにしながらも、眉を立てた視線で千歳と朝霜を見据え言う。

 

「おふたりは、あの提督以外の方と体の関係をと言われた時、はい喜んでと、そうなりますか?」

「嫌です」

「やなこった」

 

 あまりにあっさりと返答が来てしまい、逆に榛名の方が困った顔になってしまう。

 即答した2隻はと言えば、盲点だったとばかりに頷き合い、榛名に対して土下座の姿勢で頭を下げる。

 提督以外の人間とのやり取りを想像できないが故の盲点だったと言えばその通りだが、だとすれば彼女たちは、この島を出た後のことなどを考えていないのだろうかと、榛名はそう疑問する。

 

「あーいや、考えてないわけじゃないんだぜ? 巻雲姉や清霜とか、あと漣と卯月とか。島生まれの駆逐艦で寝る前に集まった時なんか、流れてきた本土のるるぶとか広げてさ、もしも島を出て本土に行くことがあったら、ここに行ってみようとか、あそこでメシ食おうとかさ。いろいろ話、するんだぜ?」

「それに、艦艇の自分たちが生まれた造船所めぐりとか。当時、母港へ戻ることが出来ずに沈んだ娘たちは、特に行きたがっていますよ」

 

 しみじみと語るのを聞いてしまうと、何も考えていないわけではないのだなと納得出来る。

 しかしまあ、偏ってはいるのだなとはっきりそう思うのは、その偏りが許される場所であるからか。

 先の宴、有馬提督との馴れ初めなどを問われるよりも、外界の景色や食べ物、どんな人々が暮らしているかを聞かれる割合が多かったなとも思う。

 そう問うてくるのはほとんど駆逐艦の娘たちで、彼女たちの質問攻めが始まってしまえば、他の娘たちは薄い笑みで、それらの姿を見守っていた筈だ。

 彼女たちは、自分たちがいつかこの場所を離れて行くのだと自覚してはいても、そうした興味の分野について考えるばかりで、現実的な問題を詰めるまでには至っていないのだろう。

 いけないことだと叱るつもりもないし、その資格は自分にはないと、榛名は思う。

 ただ、外界のことを知る者の助けが必要だなとは、強くそう思う。

 

 酒の入った高雄がそう漏らしていたように、島の外へ連れ出すことが、こうして水無月島に拾われた己の役割なのだと、なんとなくではあるが、榛名もそう思い始めていた。

 彼女たちの考え方に合わせるわけではないが、そもそも自らの事情については、現状何もわからないのだ。

 自力で真実に辿り着くことは困難だろうし、それこそ調査してくれている彼女たちに任せるしかない。

 ならば、自らの事情はひとまず横に置いてもいいのではないかと、そう思えてくるのだから不思議なものだ。

 そう思い至って、対面で頬杖付いて笑む千歳を見ると、これも彼女の思惑の内なのではないかと、そう勘ぐる心も生まれてくる。

 釈然としないことがあるのだとすれば、そうして考えを誘導されているとしたところで、別段不愉快ではないところだろうか。

 こちらの不利にならずに、しかし気が楽な方向へと流れを向けてくれている。

 ただ、これは気が利く、気が回るというよりは、一種の老獪さではないかとも思えてくるのだ。

 建造されて1年にも満たない彼女にその言葉を当てはめるには、あまりにもあんまりだなとお猪口を傾ける榛名は、対面の2隻が言葉を失ったようにこちらを見つめていることに気付いて、気付かぬ内に何か粗相でもしていたかと不安になる。

 

「いや、さ。榛名、ザルだよな」

「顔色ひとつ変えないなんて……。私もそれなりに呑む方ではあったけど、ちょっと自信なくなりますね」

 

 言う2隻の顔は赤い。

 朝霜は何度目かのノックダウンだが、千歳はここに来てようやくだ。

 自覚はなかったが酒には強い方だったのかと訝る榛名は、それでもひとつ勝った気になって、少しばかり嬉しかった。

 

 

 


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