孤島の六駆   作:安楽

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15話:水無月島鎮守府の長い一日④

 戦艦レ級、個体コード:“バンシィ”の突然の動きに対応できず、阿武隈はその光景をただ声も無く見ているしか出来なかった。

 突如、海面を尾で叩いて跳躍した“バンシィ”が、時雨の操舵する“隼”に向けて着地、と言うよりは着弾して船体を破壊したのだ。

 速度の乗った“隼”から放り出された駆逐艦たちは、海面をごろごろと転がって衝撃を逃がし、即座に体勢を立て直して巡航速度に復帰する。

 “バンシィ”の落下を察知した時雨が咄嗟に側面出撃口の響たちを強制排出していなければ、この破砕に巻き込まれ、ただでは済まなかっただろう。

 阿武隈は呆然とした己の頬にぴしゃりと両手で活を入れて、状況確認を開始する。

 時雨の手によって放り出された連装砲ちゃんを抱き起して響たちと合流、手短に打ち合わせた後、散開して情報収集を開始した。

 

 速度を保ちながら慎重に、広範囲に飛散した“隼”の残骸周辺を捜索し始めた時だ。突如残骸と化した装甲の一部が跳ね上がった。

 表情を引きしめ右腕の単層砲を向けた先、そこには先ほどの“バンシィ”の姿があった。

 フードの上に被った破片を頭を振って払う姿に、阿武隈は歯噛みして即座に砲撃した。

 仰角零度で放たれた砲弾は“バンシィ”の右側頭部を掠め、衝撃でフードが後ろに翻る。躱しもしない。この敵には軽巡の単層砲など脅威の内に入らないのかと顔を歪ませた阿武隈は、露わになった敵の顔に心臓を鷲掴みにされたかのような感触を得る。

 

 呆けて隙だらけになった阿武隈に対応するのだろう、“バンシィ”が姿勢を傾け尾の先端を前に向けんとして、しかしその動きを止めた。

 粘りのある澄んだ音が阿武隈の耳にも届く。“バンシィ”の尾の叉分かれした箇所に、赤いワイヤーが複数本、絡み付いていたのだ。

 

「……時雨!?」

 

 阿武隈の叫ぶ先、先の“バンシィ”と同じく瓦礫と化した装甲の下から時雨がその姿を現した。

 ワイヤーは時雨の腰部艤装に接続された束から引き出されている。

 対機雷用の掃海具を転用した補助艤装だ。ワイヤー自体に切断力は無いに等しいものの、人体レベルならば容易に切断できる程度の強度を持つ。敵に捕縛されるなどされた時には自らの四肢を絶って緊急離脱するといった用途も想定されている多目的装備だ。

 時雨自体はおそらく、“バンシィ”が直撃するより先に操舵室下のブロックに退避して艤装を装着したのだろう。あれだけの短時間で響たちを逃がして反撃に出るなど、さすがは仇を追って5年も単艦行動を取っていた艦娘ではないなと慄く阿武隈は、しかし時雨の表情が優れないことに焦りを覚える。

 時雨自身に不調があるのではなく、あの装備では対抗できないと直感したのだ。

 

 “バンシィ”がワイヤーを外さんと尾を振る。その動作ひとつで、時雨の腰部艤装が破損して弾け飛んだ。

 速度や膂力のある敵にひっけられたケースを想定して、一定上負荷がかかると自壊してパージされる仕組みとなっているのだ。

 当然、阿武隈もその補助艤装の特性は知っていたが、そのワイヤー1本1本の末端に爆雷が括りつけられているのは予想外だった。

 括りつけられた爆雷は引っ張られた力の方向に、“バンシィ”の方へと緩やかに舞って、その足元に着水。ワイヤーが彼我を繋いでいるため、海中に没した爆雷が有効な効果範囲から離れることはなく、炸裂。海上にて疑問の仕草を取る“バンシィ”の足場を大きく掻き乱した。

 

 艦娘も深海棲艦も水面を足場とするため、そこが揺らげば当然2足での直立は困難となる。

 単なる波の揺らぎと違い、複数の爆雷が炸裂した衝撃で爆ぜた水面は、到底足を着いて立っていられるようなものではない。

 わずかに体勢を崩した“バンシィ”だが、それでも転倒することはなかった。

 データによれば、向こうも10年来のベテランだ。それしきの揺らぎ、すぐに対応するだけの順応力があるということか。

 速度を保ちつつ観察していた阿武隈は、“バンシィ”が体勢を崩した直後、時雨が後転してその場から離脱し、背後の装甲板を持ち上げ構えて、まるで盾にするかのような動きを見る。

 そして、ようやく時雨たちの意図を察するに至った。

 浮き沈みのようやく収まった“隼”の残骸の下、白い雷跡が幾つも敵の足元へと殺到したのだ。

 四方からの魚雷。体勢を崩した“バンシィ”からはその雷跡が見えず、例え見えたとしても、もう遅い。

 

 タイミングをずらして到達した魚雷が直撃、炸裂が連続する。

 連装砲ちゃんを小脇に抱えて大きく距離を取るように退避する阿武隈は、その途中、爆発の余波を追い風にして緩やかに離脱する時雨の襟首を掴んで回収、速度を上げた。

 他の皆に聞こえるようにと、阿武隈は大きく息を吸い、声を発する。

 

「巻雲以下、朝霜、清霜は急速にこの場を離脱! 友軍の救援に向かってください! ここはあたしたちで抑えます!」

 

 その声に反応したものか、爆炎を半ば吹き飛ばすように“バンシィ”が姿を現した。

 回避が出来ないと悟った瞬間、尾の先の咢、その上顎の装甲を盾にしたようで、突起部がわずかにかけ、平面部には目に見える亀裂が生じている。守ったということは、あの状態からの回避は困難であり、そして本体に直撃すれば無事では済まないのだということだ。

 本体への雷撃、もしくは爆撃が有効なのだと確信した阿武隈は直後、抱えていた時雨に襟首を掴まれ上体を下方に引っ張られた。一言の断りもない強行の結果、阿武隈の頭部に直撃コースだった瓦礫を鼻先で回避するに至る。“バンシィ”が尾の先の咢で手近な瓦礫を咥えて持ち上げ、方々艦娘に向かって投じているのだ。

 かなり距離を取っていたはずの響や夕雲型たちも届くほどの膂力だ。清霜が直撃を食らった様を遠目に見てヒヤリとする阿武隈と時雨だったが、ちょうど扉の部分が外れていたようで、運良く難を逃れている。

 

「何あれ! 便利すぎなんですけど……!」

「パワーがある腕の代用って、遥かに有効な武器だよね。しかもあれ、まだ本来の用途じゃない」

 

 憤慨する阿武隈の小脇に抱えられた時雨の言。“バンシィ”がまだ、咢に内蔵された砲を展開していないと言うことだ。まだ敵は本来の戦い方をしていない。

 抑えると言ってしまった手前、阿武隈は意地でもやる気だった。まあ、さすがに大破レベルの負傷が確実となれば一歩引いて観察に徹するものだが、現状こいつがどこかに行ってしまうのが一番まずい。

 各艦隊が今現在も必死の抵抗中だ。第三・第四艦隊はもちろん、敵姫級を討ちに行った高雄たちの動向も気になる。もしも、ぎりぎり持ち堪えているという場面に強力な新手が割り込んだとなれば、誰かが沈む可能性が格段に上がってくる。

 だから、この敵はこの場に足止めする。可能ならば、味方に何らかの動きがあるまで。

 何故、こちらに対して“これ”が差し向けられたのかは甚だ疑問で仕方がないが、向こうが“ここ”を確実に抑えようとしているのだと仮定しておく。

 件の統率者の思いを推測するならば、向こうにも阿武隈たちの存在が一番厄介なのか。それとも一番潰しやすいと考えているのか。

 

 時雨からのサインを横目に確認した阿武隈は頷きひとつ見せて、小脇に抱えていた時雨を脇に放った。

 転がって着水の衝撃を緩和、即座に立ち上がって航行状態に移行した時雨は、同じく阿武隈の手を離れた連装砲くんと連れ立ってこの場を離脱する。

 阿武隈自身は砲を構えて“バンシィ”の周辺を巡る動きだ。

 どういうわけか、あの敵は跳躍と直撃を行ってから、まだ一歩もその場を動いていない。

 

 艦娘でも深海棲艦でも、海上で互いの存在を認識したのならば、その動きを止めてはいけないというのが定石だ。

 阿武隈はこの海域の流儀しか知らないが、少なくとも今まで相手してきた敵は、皆そうだったはずだ。無論、自分たちも。

 ならば、この敵の不動はなんだ。彼女が姫鬼級に連なる練度を誇れど級種で呼ばれていることから“その上”の命令には絶対に従うものであるというのは確定している。

 果たして“その上”の指示か、それとも彼女独自の判断回路による停滞か。

 

 動きは唐突に起こった。

 “バンシィ”の四尾の先の咢が、それぞれ付近の海面に“噛み付いた”。

 海水を、まるで動物の分厚い皮層に牙を立てるようにして噛み付き、そして“バンシィ”本体もその身を前へと傾ける。

 阿武隈はその体勢に見覚えがあった。時雨や浜風が100メートル走のタイムを計る際、そのスタート時に取る体勢。クラウチングスタート。戦艦級である彼女が初速を稼ぐための手段だ。

 海面に噛み付いた尾に力を込め引き絞る姿は弓を引き絞る様にも似て、足首の無い足裏が海面から離れた瞬間、“バンシィ”は海上を瞬発し、疾走する。

 行く先は見当が付いている。先行する巻雲たちだ。まだ阿武隈でも目視できる位置に夕雲型の3隻はいる。初速を稼いだ後に例のボードを形成して、高速巡航状態に移行すのだろう。

 させるものかと、阿武隈は既に準備している仕掛けを起動する。水柱を上げて疾走する“バンシィ”の足元が爆ぜ、四尾の体躯は転倒して海面に叩き付けられた。

 “バンシィ”が“隼”を破壊した際、情報収集のため予め放っておいた甲標的からの雷撃だ。

 

 海上を転がる“バンシィ”は、転倒した勢いを殺すことなく、すぐに対応してきた。

 四尾のうちのひとつ、その咢の内で重苦しい駆動音が響き、上下の顎が展開。その内側には深海棲艦の生態爆雷が1ダース、綺麗に整列していたのだ。

 海面を転がる動きのままに、“バンシィ”はその爆雷を投射、海中の甲標的を爆圧で遠ざける。

 データを一見した限りでかなり多芸な敵だとは予想していたが、爆雷まで使ってくるのは完全に予想外だ。戦艦級だけではなく水雷系の艦種の能力も保持しているということは、対応を大きく変えなければならないかもしれない。

 速度を上げた阿武隈が判断を迷っているわずかな時間に、“バンシィ”は次の動きに移る。

 爆雷を投射したのとは別の尾の咢が重駆動音を発し、展開。上下の咢を大きく180°展開して現れた姿を、阿武隈は最初飛行甲板かと思った。しかし、その飛行甲板状に変化した咢から勢いよく小型の影が射出されるのを目の当たりにして、すぐにカタパルト付きだと目標に対する認識を修正。発艦後に急上昇し、阿武隈の左上方より真っ直ぐこちらに降下してくる敵艦載機、腰部にマウントしていた連装機銃を二丁、手に取って迎撃を開始する。

 狙うのは艦載機の主翼や尾翼に当たる箇所だ。宙で爆弾に当てて炸裂すれば、閃光と爆煙で残存機を見失う可能性が出て来る。

 

 そして、“バンシィ”本体の動きからも注意を外せない。体勢を立て直した“バンシィ”は微速ながらも速度を上げていて、3つ目の咢から連装の砲身を覗かせ、こちらを向いているのだ。

 敵の砲撃は即座に行われた。仰角を合わせずの連打は阿武隈本体を狙わず、後退しながら敵機を迎撃する軽巡の退路を穿つ。脚部艤装を高速巡航から高機動へと変形させ、ジグザグに後退。“バンシィ”の砲の口径を視認した阿武隈は、迎撃を疎らにして敵機を引き寄せ、両脚部艤装外側の魚雷発射管を指向、発射する。

 敵艦載機が引き返して魚雷を迎撃できない距離まで引き付けた。対応するならば“バンシィ”本体がそうせざるを得ない。

 果たして、微速で航行を続ける敵艦は、魚雷の接近に合わせ、尾の咢を海面に叩き付けるという形でその脅威を排除した。水面下を一気に打撃出来るのは厄介だし、何よりこちらへの対応が慣れてきている。その証拠にと、阿武隈はいつの間にか足元にまで迫った魚雷を連装機銃の掃射で薙ぎ払う。こちらが一手攻めれば、二手で返すようになって来ている。仕掛ければ仕掛ける程、対応が最適化されて反撃の密度が増す。

 なんでこんなのがこちらに差し向けられたのかと、阿武隈はべそをかきたい心境だった。

 艦隊を組んで出撃すれば敵の鬼姫をも打ち倒すことはやってのけるが、単艦でこの敵を押し留めて置くのはいささか負荷が大きい。

 しかし、今の阿武隈は単艦ではない。

 

 “バンシィ”が阿武隈に対応しながら速度を上げ、飛散した“隼”の瓦礫群から抜け出そうとした時だ。

 彼女の足元にワイヤーが絡み付き、海中に眠っていた機雷群が一斉に浮上する。時雨の仕込だ。連装砲ちゃんの演算を用いて短時間で機雷を設置、阿武隈がその位置を通過するようにと誘導したものが功を奏した。

 こうなれば“バンシィ”は速度を落とす必要が出てくる。そうなれば足止めは完成だ。立ち止まっての砲撃が来る可能性もあるが、相手が動けない以上回避は容易。先程のように海面を叩いてのジャンプは、機雷が誘爆して海面がかき乱されるため飛距離は稼げないだろう。

 果たして敵は、速度を落とさずに機雷の群れへと突っ込んだ。機雷程度ではダメージにならないのかと焦る阿武隈は、その考えが間違っていたことを目の当たりにする。“バンシィ”の腰部に新たな生態艤装が構築されつつあったのだ。それは先ほど時雨が見せた掃海具のワイヤーを模したもの様で、速度をそのままに自ら身を時計回りに回転、蠢き笑う自律式のフロート部を射出して、機雷を連結するワイヤーを切断してゆく。

 

 艤装を奪われる。阿武隈は焦りと共にそう感じた。

 掃海具の転用は水無月島がここ最近で実用レベルにまで間に合わせたものだ。他の鎮守府にも構想や資料自体はあるものの、まだ正規品の配備には至っていないはずだ。元々敵に掃海具の概念を持つ生態艤装があった可能性もあるが、あの敵に限定しては「この場で作り出した」と考えた方が釈然とする。

 それに、今や“バンシィ”の両の手には、新たに連装機銃が構築されていた。敵の生態艤装式故か細部こそ異なるが、基礎は阿武隈の連装機銃とほぼ同一のものだ。あの敵は自らが目にした艤装を再現することが出来る。そう確信する。戦艦という艦種にも関わらず爆雷投射機を配備しているのはそのためか。

 

「敵の艤装の容量はどうなってるのよ、もう……!」

 

 悪態突きながらも迫りくる敵航空機を全て撃ち落とした阿武隈は、右腕の単層砲で機雷を直接砲撃、炸裂させて“バンシィ”を足止めしようと試みる。炸裂し水柱が上がる中を、“バンシィ”軽い身のこなしで回避すると、展開したままのカタパルトから新たな艦載機を射出する。行先は再び阿武隈かと思いきや、敵の編隊は先行した夕雲型を追う動きだ。

 まずい。焦りと共に敵艦載機への対応をと動き出す阿武隈だが、“バンシィ”の砲撃が行く手を阻む。砲撃に、そして魚雷だ。“バンシィ”の四つの尾の咢は、今や三つが展開し、砲と魚雷を展開してこちらに対応している。

 

 阿武隈が逆に足止めを食らっている間に、敵艦載機は時雨が対応する。

 背部の連装砲をパージし、代わりに連装砲くんをセット。失った砲撃管制能力を取り戻した時雨は、阿武隈同様、両手の対空機銃と背部の連装砲くんの砲撃で敵機を撃ち落とす。機銃ならばまだしも砲撃で航空機を落とすなどどうかしているとは思うが、元の時雨はそれくらいはやる艦娘だったとすれば口を噤まざるを得ない。

 

 “バンシィ”は対応を変えてくる。一度後退して“隼”の残骸の中へと突っ込むと、尾の咢を使ってそれらをかき集め、互いの材質を瞬時に溶接、巨大な船底を構築する。砲と雷撃に対する防御ではないなと阿武隈は即断する。敵の防御能力はあんなものが必要なほど柔ではない。目隠しだ。砲雷撃を避けるためではなく、次の挙動に対応させないための目隠し。

 姿が隠れたことで判断が鈍る。いよいよこちらが後手に回ったかと思う阿武隈だったが、“バンシィ”の構築した目隠しは瞬時に爆散した。予備の機雷が残骸の中に残っていて、巻き込んだそれらの爆発物を砲撃によって無理やり炸裂させたのだ。遠くに、時雨がパージして投棄した連装砲を構えた響の姿が見える。阿武隈たちの対応能力を凌駕された時のバックアップとして見に回っていたのだ。

 

 しかし挑発のつもりだろうか、響は腰部にマウントしていた照明弾を引き抜き、天に向けて発砲する。この場に置いては不可解な行動。それは“バンシィ”の動きをも止めるに至った。爆炎と瓦礫の中からほぼ無傷で現れた“バンシィ”は、煙の尾を引きながら天に昇る閃光を視線で追い、しかしそれ以上の興味を失ったかのように、響に向けて咢三つから砲門を展開する。

 即座に回避行動を取ろうとした響だったが、“バンシィ”が前傾になり瞬発する姿に目を剥くのが阿武隈の位置からでも視認できた。フェイントだ。砲撃せんと展開した砲門たちが、本体に引っ張られて海面に叩き付けられる様が哀れに思えるが、それどころではない。

 あのままでは“バンシィ”が響に接触する。接触距離での交戦はご法度だ。特に、戦艦級の膂力では駆逐艦に勝ち目はない。救援にと、ボードを切り返して急加速を入れようとした阿武隈は、真正面に迫った砲弾を自らが転倒するという形で回避する。本体に引きずられる形となった尾の咢がそれでも砲撃を行い、阿武隈と時雨に牽制を加えているのだ。

 

「響……!」

 

 逃げろと、そう叫ぶ間もない。海上を疾走して吶喊してくる“バンシィ”に対して、響は速度を持って退避の一手。手と背の連装砲で砲撃こそ行っているが、それは“バンシィ”の体表に傷ひとつ負わせることは適わない。あと10秒もせずに、“バンシィ”が響に到達する。そう思われたが、10秒待たずに“バンシィ”の足元が爆発して、白亜の人型は海面を転倒した。

 酸素魚雷による数キロ先からの超長距離雷撃。夕雲型の仕事だ。転倒した“バンシィ”が立て直す間もなく、時間差で到達した魚雷が炸裂する。先の雷撃時に敵の感触を得ていたのだろう。超長距離にも関わらず、狙いは恐ろしく正確だ。

 転倒した“バンシィ”の脚部は破損。白い表層が破断して、内部の黒い基礎部が露わになっている。疑似燃料か潤滑剤の一種だろうか、青黒い流体を血液のように噴出する様が、敵だということを差し引いても痛々しい。

 

 しかしまったく、先に行けとと言ったのに、本当にうちの駆逐艦たちは言うことを聞かない。重要な場面では特にそうだ。後でお仕置きが必要だ。間宮に頼もう。

 わずかな安堵と共に阿武隈がそう呟いた瞬間だ。遥か遠方にて、魚雷の炸裂音が轟いた。

 

「そんな……」

 

 数キロ先、最早視認できる距離には居ない夕雲型の誰かが負傷したことを直感する。

 “バンシィ”の四つ目の咢は今や上下に開き、生態式の魚雷発射管を覗かせていた。先の雷撃で感触を掴んでいたのは巻雲たちだけではなく、“バンシィ”もまた同様だった。嫌な記憶が呼び起こされる。初めて出撃した時の記憶だ。

 振り払うように時雨に指示。すでに時雨が夕雲型たちの方へと向かっていることに安堵し、阿武隈はボードを切り返して“バンシィ”へと向かう。体勢を立て直しつつある敵には響が対応中だが、こちらの仕込みはあらかた使い切り、新たに仕込んでいる時間はない。

 道すがら甲標的を回収して魚雷を装填、再投下したところで砲撃が来た。咢ふたつは砲撃・雷撃仕様で阿武隈を牽制し、ひとつは待機状態、そして残るひとつで響を直接打撃する動きだ。海面に叩き付けると振り上げる動作が工程に組み込まれるためか、動きは常に横薙ぎと袈裟打ちに限定。切り返す動きではなく、振り回して速度を落とさずの連打が行く。

 響は距離を取るも“バンシィ”は即座に詰める。初速こそ軽量な駆逐艦に利があるが、速度が乗れば重量のある戦艦級に追いつかれる。かと言ってこの状況、左右に退ければ尾の咢の伸びて捕らえられる。拮抗しているこの状態も、あと数秒も持たない。頼みの甲標的は既に読まれていたのだろう、四つ目の咢から投射される爆雷に退けられる。

 

 そして、阿武隈の目の前で響が捕まった。速度の乗った“バンシィ”の一撃が足元を掬い、態勢を崩した体躯を咢が捕らえたのだ。咄嗟に魚雷をすべて投棄してシールドで咢を防ぐが、アームが不吉な悲鳴を上げて歪曲してゆく。シールドごとアームごと万力の如き膂力で押しつぶされ、最後の頼みであるインナーも機能を損ない、骨格が歪む音が阿武隈の耳まで届く。

 骨格が歪み、内臓が押しつぶされようとも響は動いた。投棄した魚雷の弾頭を機銃で撃ち抜き足元を爆破。これで“バンシィ”の足元を崩そうとしたのだろうが、かの敵は破損している脚部で軽やかに跳ぶ。短距離のバックステップ。着水の衝撃、そして“バンシィ”本体の重量で破損した脚部がさらに圧潰するが、それでも足場を崩されるよりはマシだというのか。

 “バンシィ”は響を拘束している尾を上へと持ち上げる。咢の力で押し潰すのではなく、海面に叩き付ける動き。戦艦級の超重量を高高度まで跳躍させる尾の一撃だ。手前に引き寄せて圧潰するのを待つのではなく、響きが何らかの対応を見せることを理解しているのだ。背部艤装のほとんどを圧潰せしめた上での念押しに、響は最後の抵抗を試みる。

 

「探照灯……?」

 

 破損を免れた探照灯を照射。しかし、それは“バンシィ”へ向けてのものではない。明後日の方向への閃光は、妖精たちが千切れた小さな装甲版を用いて点滅状態を作り出す。発行信号の代用、そのメッセージを読み解いた阿武隈は焦りを帯びて、即座に次の動作へと移行する。

 

 ――主砲、仰角調整。咢の開閉部なら、徹甲弾で破壊出来る可能性が高い――

 

 果たして、発光信号の通りのことが起こった。響を拘束している咢、その接続部が破砕して、銀髪の影が宙に放り出される。

 予測の範疇外の事態が起こったためか、“バンシィ”がステップを踏んで大きく後退。入れ違う形で飛び込んだ阿武隈が響をキャッチして、全速力で“バンシィ”の射程から離脱を計る。

 追跡しようと体勢を傾けた“バンシィ”は、すぐにその動作を止める。自分の咢を破壊した主が迫っていることを察知したのだ。

 

 

 ○

 

 

 高速戦艦の補完艤装による高速巡航形態は、待機形態を縦に細長く引き伸ばした形が基礎となる。

 初速こそ駆逐・軽巡には及ばないものの、最大加速は艦娘の中では最高速度を誇る。煙を上げて加熱する砲身にとっては心地よい速度だろう。

 照明弾の閃光を道しるべにしなければ、ひとつ最悪の結末を迎えていたであろうと確信する。

 探照灯の発行信号替わりなど、あの状況で行うなど肝が据わっている。彼女もやはり、長きに渡り戦い続けた艦娘なのだ。

 

 白と翡翠と、そして腕章の青の色を翻す身、その目は敵と味方の姿を視認。

 速度を落とさず、敵の注意がこちらに向いていることを確認。

 

「ここからは、榛名がお相手致します……!」

 

 榛名が敵と接触する。

 

 

 


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