孤島の六駆   作:安楽

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16話:水無月島鎮守府の長い一日⑤

 高速巡航状態で最も注意すべきは自らの位置取りだと、風圧に髪を流す榛名は口元を引き締める。

 敵の支配海域は日出日没の位置が目視ではわかりにくく、方角の感覚を羅針盤に任せる他ない。

 そのうえで戦闘区域における自分の位置を確かなものとするのは、味方の位置と、そして敵の位置だ。

 速度の乗った状態だと、この位置関係が急速に変化するため、常にレーダーと目視との両方での確認が必須となる。

 味方側、発光信号にてこちらに位置を知らせてくれた響は、阿武隈が曳航して敵主砲の射程を逃れつつある。骨格や内臓にかなりのダメージが通ったとのことだが、今のところ命に別状はないらしい。

 そして敵は、主砲の砲門をこちらに指向しつつ、速度を上げて並走する。

 戦艦レ級、個体コード:“バンシィ”。泣き妖精の名を冠するかの深海棲艦の出現は、榛名たち有馬艦隊が消息を絶った後であると、ここ数日の資料で確認している。

 何らかの因果を感じざるを得ないが、今はこの敵の対処に集中する。

 

 速度を保持し、砲塔を指向し、仰角を調整する。

 補完艤装の高速巡航形態は、待機形態を縦に長く伸ばし、艦橋や煙突を含めたパーツを斜め後ろへスライドさせ、そうして生じた空白に榛名自身が収まり、元々の背部艤装を接続した体勢。幾本ものコード類で体の動きに遊びを持たせ、今は進行方向へ左半身を向けた体勢での高速行だ。

 重巡級の高速巡航形態と同様の機構だが、出力も航続距離もこちらの方が遥かに上。そしてそれは、火力も同様だ。

 敵に指向した砲塔。前甲板の一番砲塔から順に、榛名は砲撃を開始する。

 

 

 ○

 

 

「……はあ?」

 

 重症の響を曳航していることも忘れ、阿武隈は気の抜けた声を上げてしまった。

 彼女自身、戦艦の艦娘の戦いは初めて目の当たりにするのだが、それは己の想像を遥かに凌駕するものだった。

 馬鹿げている。発射した砲弾がひとつの夾叉も無しに、全弾“バンシィ”に直撃したのだ。観測機を上げていないし、高性能のレーダーを搭載しているわけでもない。

 相手も脚部の修復が間に合っていないとは言え、かなりの高速航行で、回避運動も行っている。その回避した先で全弾当てるのは、敵の挙動や周囲の環境を完全に読んでの技だろうか。

 合流し並走する時雨が表情を硬くして彼我の戦艦級の撃ち合いを見据えているのは、彼女の全盛期を“噂”と言う形で知っていたためだろうか。

 “バンシィ”の反撃で被雷したのは清霜で、両脚部が損傷して航行不能となったものを巻雲が曳航。朝霜が護衛に着いて、すでに戦闘区域から離脱したとのことだ。

 ならばこちらも離脱に専念するべきだ。阿武隈は響の曳航を時雨に任せ、単装砲に次弾を装填し、両の手に連装機銃を構える。こうして形ばかりの護衛の姿勢を取っては見たものの、戦況はすでに自分たちが関わることの出来るレベルを超えている。

 

「高雄も言っていたらしいね。阿武隈も聞いているかい? 榛名の所属していた有馬艦隊は、10年前当時の、最強の一角だったって」

 

 有馬提督の素性を探るために執務室へ集まった時のことだろうと、阿武隈は最近の事件に思いを馳せる。

 もちろん、覚えている。高雄の緊張した面持ちは、当時の彼女たちの噂を聞いたことがあるためだろう。

 かの榛名の初弾命中率は9割を超えるとのことだ。

 

「榛名はあれを、ほぼ勘でやるらしい」

「……馬鹿じゃないの?」

 

 思わず率直な感想を口から零してしまう阿武隈だったが、並走する時雨もそれを非難する気はなく、むしろ激しく同意するかのような表情をしてる。確か、暁や響も、演算処理を勘でやると言っていたが、戦艦級となれば情報量は駆逐艦の比ではないはずだ。

 榛名の砲撃は続く。断続的な砲撃は面白い程“バンシィ”の本体に吸い込まれていき、敵の防護障壁が複数枚、目視で確認できる程のものが生じている。

 淡い赤の六角形を連ねたような障壁は、高威力の砲弾に反応して出現する仕組みのようで、阿武隈たちが交戦した段階では一度も発生しなかったものだ。障壁複数枚で威力と速度を減衰させ、それでも直撃。阿武隈たちが目にする限り、その減衰込でも“効いている”様子だ。

 あれを直に食らえば“バンシィ”の本体でもひとたまりが無いのだという確信は、榛名が圧倒して勝利を収めることへの期待と、その真逆の考えを艦娘たちの胸中に生じる。

 “バンシィ”が適応を始めたのだ。

 

 最初は障壁が生じずに、砲弾が“バンシィ”本体を掠めただけに留まったが、やがては本体にかすりもしないようになる。

 榛名が行なっている読みを、“バンシィ”が真似し始めたのだ。

 艤装であれば砲撃管制に置き換えられる部位も、深海棲艦にとっては生態。すなわち、自らの肉体の延長だ。暁たちや榛名が砲撃管制を暗算でも出来るように、“バンシィ”も暗算で砲撃管制を行うのだ。

 敵の観察眼は健在で、生態艤装の機能面以外の分野、感覚や勘と言ったものまでもを模倣し始める。同じ戦艦級と言えど、榛名1隻で対応しきれるのかと訝る阿武隈の視線の先、榛名が戦い方を変える姿を見る。

 

 主砲の仰角を再調整。それは“バンシィ”を狙うものと、そうではないものの二種。

 果たしてその砲撃は敵に着弾せず、敵の周囲に幾本もの水柱を上げる結果を引き起こす。

 立ち上る水柱を掻い潜って榛名を視認しようとした“バンシィ”は、その直後、自らの頭部を顎から脳天に向けて鋭い衝撃が貫くのを感じた。

 目線が天を仰ぎ、修復中の脚部が海面から一瞬離れるという現象。食らった当人はいったい何が起こったのか、即座に判断が付かなかっただろう。

 遥か遠方でその様を見ていた阿武隈たちも同様だ。正確には、その現象が理解できなかったのではなく、理解に苦しんだという感触が正しいだろうか。目にした光景を認めたくなかったのだ。

 

「砲弾を、海面で跳弾させたの……!?」

 

 確か漣の読んでいた漫画でスナイパーがアサルトライフルでそんな芸当をやってのけた場面があったなと思い出すが、艦娘の砲撃でそんなことが可能なものか。

 勢いよく時雨の方を見るが、白露型の二番艦は「僕に聞かないでよ」と疲れた笑み。普段は何でも聞いてよと嘯いて見せ、今日身に着けている下着ですら気さくに教えてくれるというのに。

 しかし、実際に阿武隈たちの目の前で、件の現象は成った。

 立ち上る水柱を隠れ蓑に放たれた榛名の砲弾は海面を跳ねて、“バンシィ”の下顎を強かにかちあげたのだ。

 驚くべきはこの打撃がたった一度で終わらず、“バンシィ”に復帰のタイミングを与えぬようにと連打で行われたことだ。

 通常の砲撃と合わせての連打。顎を打たれた“バンシィ”が脳震盪を生じて気絶することがないと初弾で確認しているので、この連打は敵の行動の遅延と妨害と、物理的な破壊を目的とする。

 障壁を砕き本体を打撃して着実に敵を削り取る動きに勝ちの目を見出す阿武隈たちだが、やはりこれも“バンシィ”が適応してくる。

 

 上下から襲い来る砲弾に対して、尾の咢ふたつを合わせ盾として防御。障壁と装甲の傾斜で砲弾をいなす動きに転ずる。そして残りひとつの咢は砲撃形態で、榛名への砲撃を開始する。攻防一体の姿はしかし、榛名とて同じだ。

 

“迷彩機能、展開”

 

 唇の動きをそう読んだ阿武隈は、榛名の艤装に白と黒の縞模様が生じてゆく様を見る。ダズル迷彩だ。距離感を狂わせる用途のあるこの迷彩措置は、補完艤装の能力を持って拡大される。その結果はすぐに現れた。榛名の艤装を掠めはじめた“バンシィ”の砲弾が榛名本体を穿つ。しかし、その瞬間に艤装を含めた榛名の姿が消失する。

 “バンシィ”が穿ったのは榛名の虚像。拡大解釈された迷彩が生み出した陽炎だ。目標を見失った“バンシィ”の挙動が鈍ったわずかなタイミングで榛名の攻撃は再開され、“バンシィ”が攻撃に移る頃には再び迷彩で生じた虚像を穿つことになる。

 

“一番砲塔、徹甲弾装填”

 

 水柱と跳弾とで布石は打った。敵はきっと海面の跳弾を演算している最中で、いずれはダズル迷彩も己の力として適用するだろう。ならば、そうしてこちらの技を奪い取る隙に、徹甲弾であの分厚い装甲と障壁を纏めて貫き、早々に勝負を決める。阿武隈たちとの連戦を経て、それでなおこちらの武器や戦い方を模倣するだけの艤装容量があるのならば、長引けば長引くほどこちらが不利なる。

 水柱の目隠しを縫った跳弾が“バンシィ”の装甲をひっかいたタイミングで、榛名は一番砲塔から砲撃を行った。通常弾頭とは異なる感触を確かに体に感じているのだろう、次弾を装填して油断なく敵の挙動に備える姿は揺るぎない。

 

 果たして、榛名の放った徹甲弾は“バンシィ”の咢の装甲を破砕する。

 傾斜のせいで貫通とはいかなかったが、咢ひとつの機能を確実に砕いた。これでふたつ目だ。上顎が真っ二つに割れ、下顎も幾つもの亀裂が生じているところを見るに、砲や魚雷を展開するわけにはいかないだろう。脚部の修復と合わせてもかなりの遅延が見込めるはずだ。

 榛名は畳みかける。徹甲弾を一番砲塔だけでなく二番砲塔にも装填。先の攪乱と跳弾の工程を繰り返しつつも威力のある砲弾で確実に“バンシィ”の守りを削って行く。 

 ようやく勝ちの目が見えてきた。阿武隈が安堵と緊張を同時に覚える中、しかし“バンシィ”は動きを見せた。もはや使い物にならなくなった砕けた咢を盾にして、残りの尾は海面を噛む。急制動に本体が引っ張られて前傾となり、先のようなクラウチングスタートの体勢へと移行する。また海面を走る気かと焦る阿武隈たちだが、その動きを読んだ榛名が目標を“バンシィ”本体から海面へと移行。咢がしっかりと噛み付いている周囲の海面に砲弾を落として、海面そのものに大きな揺らぎを与える。ゆらぐ海面を噛んだ咢が力を引き絞ろうとすると、その海面を引きちぎる形となってしまい、駆け出す前の力を溜めることができない。

 

 敵の手を封じての一方的な連打は続くが、それも終わりが近い。

 再度動き出した“バンシィ”の速度が、目に見えて落ち始めている。脚部の修復に専念できぬまま榛名への対応を迫られ、逆に損傷を深めているのだ。たった1隻で敵戦艦級と渡り合うのはこちらもさすが戦艦級との思いだが、果たしてこの両者は、同じ戦艦級の枠として扱ってよいのか甚だ疑問だ。片やカテゴリエラーの敵戦艦級に、片やブランクを感じさせない動きで艦娘でも不可能な芸当をこなす味方の戦艦級。

 もはや自分たちの立ち入ることが出来ない領域で勝負が決するなと吐息した阿武隈は、背筋に寒気を覚える。“バンシィ”が戦い方を変えてきたのだ。

 

 

 ○

 

 

 あと3発以内に本体へ届くなと、榛名は敵に蓄積されたダメージと残弾を確認して、小さく頷いた。

 艤装との同期作業を強制終了して慌ただしく出撃したが、それほどのブランクも感じずに未知の敵を制することが出来そうだ。こちらの真似をするにしても、もうこの局面ならば勢い任せに押し切ってしまえる。敵においては、出来ればこのまま防戦に徹していてほしいところだがと思考する榛名は、そう思い通りにはいかないことを目の当たりにする。

 “バンシィ”は損傷した咢ふたつを盾にする動きこそ先程と同様だったが、残るふたつの咢は砲門を展開して砲撃体勢に入ったのだ。こちらが砲撃を読むとわかっていての挙動かと眉をひそめた榛名は、その砲口の行先がこちらを向いていないことを目視して、血相を変える。周囲との位置関係を改めるよりも先に、補完艤装を切り返して海上をドリフト、ほぼ直角にターンして敵の砲口が狙う先へと急ぐ。

 遠間でこちらの挙動を見守っていた阿武隈たちも気付いただろう。“バンシィ”の狙う先は、もはや榛名ではなく、大破した仲間を曳航中の夕雲型だ。彼女たちはもう安全区域まで離脱したと思っていたが、いつの間にかこちらが追い付いてしまっていた。

 

「……違う」

 

 榛名は自らの考えに否と首を振る。誘導されたのだと気付いたのだ。確かにこちらの動きを模倣して手を返してくる敵だが、ならば先の阿武隈たちとの交戦で、自らに有利な位置にこちらを誘い込むことを考えてもおかしくはない。曳航中の駆逐艦は速度を出せない。狙うならば恰好の的だ。

 位置関係には気を付けてはいたはずだが、敵への対応に集中しすぎた。これはブランクなどではない。榛名の元々持っていた悪い癖だ。フォローを他の艦娘に任せて攻撃に専念するのが常であったが故に、周囲の状況を把握しなければならないのに、それを怠ったのだ。敵は刻一刻と変化する状況に順応し続けていると言うのに、自分は以前と何も変わっていないのだと歯噛みする。

 目視できる位置に夕雲型の姉妹たちが見えると同時、“バンシィ”が砲撃を開始した。初弾からすでに夾叉、至近弾に煽られた巻雲が体勢を崩して速度が落ちる。威勢の良い声を上げる朝霜が砲撃の射線上に躍り出るが、海面を跳ねて来た砲弾の直撃を食らい、爆炎が上がる。

 牽制の砲撃で“バンシィ”の目前を穿って水柱を立ち上げた榛名は、前のめりに倒れて動かなくなった朝霜を抱き上げ離脱する。咄嗟に連装砲を盾にしたのだろう、朝霜の両腕は真っ赤に染まり、直視できないほどに痛々しかった。気を失ってはいるが、幸いなことに命に別状はないようだ。

 

 “バンシィ”の砲撃は止まない。水柱で目隠しされた状態でも正確に砲撃して、巻雲の行先を確実に奪ってくる。速度自慢の駆逐艦がその勢いを削がれればその先は無い。朝霜を抱きかかえたまま、榛名は意を決する。直後、舵を撃ち抜かれ操舵を奪われた補完艤装で、水上を錐揉みするようにして制動をかけ、ついに転倒した巻雲たちの前へと躍り出る。

 

「決戦形態へ移行!」

 

 足元のペダルを思い切り踏込み、求める姿を口に出した瞬間、“バンシィ”の砲弾が榛名に直撃した。

 

 

 ○

 

 

 両足を膝下から断たれ、失血死寸前の朦朧とした意識の中で、清霜はそれを見た。

 横倒しになった視界の先、倒れた自分たちを守るようにと仁王立つ戦艦・榛名。その補完艤装が変形する。

 背にした艦橋及び煙突部分が分割変形して、背部艤装を覆うさらに巨大な背部艤装を構築。

 前後部の甲板が喫水線部から上下に分割して、甲板部は内側からせり出てきた装甲に砲塔を覆われ、長大なアームで背部艤装の左右に接続。

 残った艦底部は半分以下の長さに変形・縮小しつつも、榛名本体の足元を堅牢に覆い、海面下では巨大な仮想スクリューが徐々に構築されてゆく。

 そうして生じた姿に、清霜は敵の姿を重ね視る。

 榛名の肩や背部を覆う鋼は戦艦ル級の生態艤装に酷似しているし、前後の甲板が変形して生じた巨大な盾は彼女たちの生態艤装そのものにも見える。

 しかし、その姿に不気味さも嫌悪も感じることはなかった。

 これが、彼女の戦う姿。防御に重点を置いた、補完艤装の決戦形態。

 分割変形して生じた後部三対の煙突からは、青白い排熱が陽炎となって宙を歪ませている。

 “バンシィ”からの砲撃は連打で続くが、それを回避する必要はすでにない。敵のものと同様の障壁が榛名の周囲を覆って防御しているのだ。

 敵の赤色とは違い、こちらは淡い青の色。

 清霜の朦朧とした視界の中で、赤を纏った速度が堅牢な青へと殺到する。

 

 

 ○

 

 

 朝霜を巻雲に預けた直後、“バンシィ”がこちらに吶喊してきた。

 遠距離からの砲撃は強化された障壁で防ぐことが出来るが、本体が直接打撃を加えてくるとなれば話は別だ。こちらは舵をやられて操舵に支障をきたしているので、これを好機だとして“バンシィ”は距離を詰めてきたのだろう。

 視界の端でこちらに笑んで見せた清霜は阿武隈が回収し、急速離脱。

 申しわけなさが腹の底から昇ってくるが、もう周囲へ気を配っていられる段階は過ぎている。敵がこちらに接触してくるのだ。

 榛名は疾走する敵を迎え撃つべく、両の巨大なシールドを前方へと展開して、腰部周辺へと変形接続された単装砲群で敵の足元を穿ち続ける。

 防護障壁は敵の砲雷撃や上空からの爆撃にこそ有効だが、接触距離での運用は、まして艤装の一部を用いての直接打撃には対応していない。元は衝突時の衝撃を和らげる目的で搭載されたものを、霊的な側面を強化して“壁”としているものだ。接触程度ならばダメージをほとんど通さないだろうが、艤装による直接打撃はその限りではない。艤装同士の衝突ならばまだしも、さすがに砲塔で殴るといったケースにまでは、拡大解釈は適応されないらしい。咢状の部位で噛み付いて来るのも同様だろう。

 

 単装砲群の砲撃で敵の足元を穿って遅延するも虚しく、“バンシィ”は榛名と接触する。

 速度を乗せた咢の衝突を両の巨大な盾で受け止めて防護。衝撃で後方に流されそうになるのをスクリューの回転を上げて押し留めるが、押し留めきれない。後方へと流される。出力は向こうの方が上だ。これで敵の脚部が完全な状態だったらノックバックして大きな隙が出来ていたはずだ。“バンシィ”の咢ふたつが機能停止していなければ、ここで榛名の敗北が確定していたところだ。

 こうした接触戦に対応している補完艤装ではないが、榛名自身はそういった状況を想定していないわけではない。

 敵の咢を受け止めたシールドをアームのパワーで押し返し、がら空きになった“バンシィ”の本体へと単装砲群の砲撃を叩き込む。敵の側に障壁すら生じない微々たる攻撃ではあるが、弾着の煙がわずかな目くらましとなる。

 その間に、背部に位置する排出口よりドラム缶型燃料カートリッジが1ダース、まとめて排出される。緊急出撃故に燃料タンクの増設措置が間に合わず、カートリッジで不足分を賄うしなかったのだ。自動補給が行われたと言うことは、メインタンクの残量が2割を切った合図だ。機関フル稼働で補完艤装を扱えるのは、良くて10分。決戦形態で仮想スクリューを限界まで酷使している現状では、それよりも早く限界が来るだろう。

 この敵を前にして、補完艤装無しに勝ちはあり得ない。補完艤装の能力をフルで使える10分以内に決着させる。その算段は既に榛名の頭の中にあり、逡巡する時間も惜しいとばかりに、即座に実行に移す。

 

 “バンシィ”の咢を押し留めている両のシールドがそれぞれ左右に展開して、内臓されていた計4門の主砲がその砲身を覗かせる。至近距離からの砲撃。余波で自らが大破することも厭わない捨て身の攻めだ。

 全砲門に徹甲弾を装填済み。単装砲群の弾着の煙が未だ晴れないこの時しか隙はない。シールドを展開した音でこちらの動作が勘付かれている可能性は高いが、このまま押し切る。榛名の押し殺した「斉射」の声。4門の砲が火を噴き、しかし同時に敵の砲火も煙を割いて襲い掛かった。敵もこの距離から砲撃を試みたのだ。互いに障壁が発生しない距離での砲撃。あちらも自壊を厭わない捨て身に出た。

 砲火の殴り合いは長くは続かなかった。向こうも全力で砲撃を叩き込んでくると考えていた榛名は、その予測が裏切られたことを確かなダメージとして受け取った。“バンシィ”の咢。機能を失ったはずのひとつが驚異的な速度で修復を果たし、榛名の背部艤装に回り込んで噛み付いたのだ。狙われたのは燃料カートリッジの排出口。開閉部が設けられ脆くなっている箇所だ。排出音で悟られたのかと思う間もなく、燃料流出によって出力が低下する。

 次の瞬間、榛名は海面に引きずり倒された。衝突しての押し引きならばまだしも、圧倒的な膂力で強引に横転させられては成す術がない。バランサーが機能する間もなく引きずり倒された榛名は、敵が砲撃を止めて、こちらを無力化するべく動き出す様を見る。復帰したものを含め3つの咢が補完艤装に喰らい付き、引きちぎり始めたのだ。シールドを歪め、砲身をねじ切って、アームを引きちぎって。力強く、着実に、戦う力を奪ってゆく。

 

 

 その光景を、榛名は感情の抜け落ちた顔で眺めていた。

 万策尽きて絶望したのでもなければ、全力を出して燃え尽きてしまったのでもない。ああ、これで終わるのかと、自らの有り様を受け入れてしまったのだ。防護のためにと密集させた補完艤装を少しずつ引きはがされながら、榛名が思うのは出撃前のことだ。艤装との同期作業を強制終了して出撃したものだが、ここに至るまでの道中にも、目の前の敵と戦っている最中にも、記憶の追想は行われていた。それは艦艇の榛名としてのものだけでなく、艦娘としての榛名の記憶までをも追い掛けたものだ。そこで、榛名はついに思い出した。有馬艦隊が壊滅した日の記憶を。

 

「……有馬提督は、もうどこにもいないのですね?」

 

 榛名は確かに思い出している。

 自らの目の前で、有馬提督の体が吹き飛ばされる様を。

 頭部も、心臓を含めた上半身も、肉片すら残らなかった。

 歪む視界は、水に落ちた提督の帽子を拾い上げて、そこで記憶は途切れていた。

 

 有馬提督の死は確実だ。あんな木端微塵の状態からの再生など、人間には不可能だ。

 もしも水無月島の彼が有馬提督になんらかの縁がある人だとして、榛名の知る有馬提督当人では、決してないのだ。

 力を削がれながら思うことは、もうこれで終わってしまおうという、消極的な自滅。

 彼女たちが離脱するための時間は充分に稼いだはずだし、敵の力を大きく削ぐことが出来た。

 深海棲艦の自己修復能力は驚異的だが、それは決して全能ではない。

 急速な高速修復は生態艤装の容量を著しく損ない、深海棲艦の寿命を縮めるのだ。

 暫定戦艦級の大容量と多彩な機能を有しているこの“バンシィ”とて、そこだけは例外ではないはずだ。

 

 前面にかき集めて防御とした艤装のほとんどが引き千切られ、榛名と“バンシィ”はついに互いの顔を目の当たりにする。

 かの敵の顔を目にした瞬間、榛名は鏡を見ているのかと錯覚した。

 互いの顔のつくりこそ異なるものの、浮かべている表情が同じだったのだ。

 全てを諦めきったかのような、表情の抜け落ちた顔。まるで人形のような。

 今の榛名の表情だ。“バンシィ”はそれを鏡写しに真似ているに過ぎない。

 なるほど、“バンシィ”という名前の元となったのは、彼女が襲った艦娘たちの表情だったということか。

 最後の瞬間に泣き叫ぶ者の顔を真似したが故の名前だったのかと、敵の背景を悟った榛名は、“バンシィ”の動きが止まったことに気付く。

 同じ表情で自らを覗き込んで来る敵。これはこちらを観察しているということなのだろう。

 彼女が襲った艦娘の中に泣き叫ぶ者はいても、自分のように無気力のままに諦めた者はいなかったということだろうか。

 

「あなたは、大切なものを失ったことがありますか?」

 

 動きを止めた敵に、榛名は問いかける。

 答えが返ることを期待してはいないが、意外にも敵はその問いに反応を見せた。

 口を開き、何かを言おうとする仕草。

 “バンシィ”という名前の由来、泣き叫ぶという動作を行うことから喉や声帯は存在するはずだが、それが言葉を発する形にはなっていないのだろう。

 それでも言葉を発しようとしているのは、こちらの言葉を理解しているが故か。

 

 “バンシィ”が問いかけに応じようとしたことで生じたわずかな時間。

 それは、敵のほんの気まぐれから生じたものか、重要な意図があったかは、榛名にはわからない。

 しかしそれでも、己の命運を分けるのには充分な時間だった。

 

 “すまない、榛名”

 

 幻聴だろうか、耳元に声が届く。

 懐かしい声。もう二度と聞くことが出来なくなってしまった声だ。

 御迎えでも来たのだろうかと無感情に思う榛名は、かの声のその先を聞く。

 

 “戦艦・榛名の全艤装、その機能を停止。補完艤装を含む全兵装を強制解除”

 

 榛名を支えていた艤装のすべてが機能を失い、ただの鋼に還る。

 水上に浮く力すら消失して、榛名は海中へと没していった。

 その動きにつられた“バンシィ”が前につんのめると、榛名と入れ替わりに海中から別の艦娘が頭を出した。

 困った様な、あるいは申し訳なさそうなその艦娘の顔と目が合い、“バンシィ”の次の挙動がわずかに遅れる。

 艦娘の方、水無月島鎮守府所属の潜水艦・まるゆは、その困った様な顔のまま背部艤装を展開。

 現れたのはWG42、対地攻撃用のロケットランチャーだ。

 

「ご、ごめんなさあい……!」

 

 対地装備を展開したまるゆが、至近距離での全弾発射。

 威力こそ“バンシィ”にとっては些細なものだったが、弾着の煙は広範囲に拡散して煙幕の役割を果たした。

 自らが攻撃されたことにようやく気付いた“バンシィ”が尾で海面を打撃する頃には、まるゆは急速潜航して海中に退避。

 海中からの攻撃が来るのかと立ち上がって身構えた“バンシィ”はその直後、何者かが高速で背後を通過した感触を覚える。艦娘の艤装、その駆動音がしたことは確かだったが、それにしては背後を通過されるまで気が付かなかった。“バンシィ”にとっては初めての感触だ。

 海中と海上と、双方に対して警戒が必要かと構えた“バンシィ”は、複数の敵がこの地点に集結しつつあることを察知した。

 

 

 


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