孤島の六駆   作:安楽

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17話:水無月島鎮守府の長い一日⑥

 海中に没した榛名は、何者かに羽交い絞めにされて連れ去られている現状に対して、まったく理解が追い付いていなかった。

 水中での高速巡航が可能な潜水艦の仕業だろうとあたりを付け、しかし何故だと、そして誰だと疑問する。自分と入れ違いにまるゆが浮上してゆく姿を見ているので(手を振っていた。振りかえす余裕はなかったが)、彼女の仕業ではないことは確実だ。

 考えが答えに辿り着く前に、榛名は羽交い絞めの主が目標としていた地点に辿り着いたことを悟る。拘束が解かれ、緊急浮上用のフロートが働いて体が浮上を開始したのだ。そうして海上に浮上した榛名は、投錨して停泊中の“隼”が目の前にあることを見とめる。“隼”五号艇だ。

 自分よりも後発でまるゆも居たとなれば、五号艇を操舵しているのは電だし、暁も来ているのだろう。榛名が緊急出撃する際、彼女たちもまた出撃準備の最中だった。彼女たちの到着まで時間を稼ぐことが出来たのは幸いだったと思う反面、間に合わなければ良かったのにと、そう思う自分が確かにいた。

 死にきれなかった。そのことに悔しさを覚え、しかし安堵するのもまた正直な気持ちだ。しばらくのあいだは、後悔と安堵を交互に繰り返す時間だ。

 

「無事で良かったのです」

 

 クレーンで榛名を引き上げた電が安堵の表情で言う。

 申しわけなさに言葉もない榛名は、せめて何か一言をと口を開くが、言葉は出ず。そうしている内に事態は動き出してしまう。

 耳に炸裂音が響いてくる。WG42が敵に着弾した音だと経験が告げるが、同時に無謀だという言葉も口から出そうになる。

 あの敵を、“バンシィ”を倒すための有効な手段は、榛名が思い付く限りでふたつだ。彼女よりも重量級の戦艦で、出来れば数隻掛かりで、力押しにねじ伏せるか。あるいは手数をふんだんに用いて、彼女にとってすべて初見の手札を切って削り潰すかだ。どちらも、水無月島の現状の戦力では適うはずがない。

 しかし、電は“隼”を抜錨させて動き出した。今度こそ無謀だという言葉が口を突くが、言われた電は「確かに、そうかもしれない」と、困った様な表情で榛名を黙らせる。その表情は「しかし」とも語り、その先は彼女の言葉として発せられた。

 

「私たちは無茶をしても、無理や無謀を推し進めたことは一度もないのです。動くならば必ず勝算を見出して最大限を。敗けが確定するならばダメージは最小限に。いつだってそうやって来たのです。鎮守府再稼働から今まで、誰も沈まずやって来れたのは、そのお陰かも」

 

 力強い言葉に、榛名は自分が責められているような気持ちになる。全員で戦って全員で生還することを最低条件として来た彼女たちにとって、自分の行いは許されるべきものでは、決してないのだろう。罰を受けよう。誹りも甘んじて。生き延びたのだから、生き延びてしまったのだから、それが己に課された義務なのだと拳を痛める程握りしめる榛名は、電がこちらをじっと見ていることに気付く。非難の色がわずかに見えるが、安堵や優しさがその大半を占める視線と笑み。

 

「今回だって、誰も失わせるつもりはないのですよ。そのために、皆が自分に出来るだけの無茶をする。それが、司令官さんと電たちで決めた、一番大事なことなのです」

 

 “隼”の速度を上げて行く電は、なんらかの予感を得たものか、一度小さく身を震わせて進行方向へと向き直った。

 

「榛名はもう充分無茶をしたので、ここまでなのですよ。ここから先は、皆の無茶の時間なのです」

 

 

 ○

 

 

 濛々と広がる煙を遠目に、阿武隈は何事かと目を剥いた。

 すぐにWG42の弾着煙だと察するが、それは榛名の補完艤装には搭載されていないはずの装備だ。

 まさか、榛名に続いて暁たちが救援に来たのかと感極まるが、しかし彼女たちが来たところであの敵をどうにか出来るものかと嘆く気持ちもある。“バンシィ”は強敵だ。自分たちと榛名と、そして暁たちの足並みが揃えば、撃沈とまではいかずとも撤退させることは出来たかもしれないのに。

 俯いて拳を握る阿武隈の股下を、高速の影が通過する。ソナーに頼るまでもない、敵潜水艦だ。しかも、かなりの高速航行能力を持つ。それがどういうわけか海面すれすれの位置で航行しているのだ。海上に位置する阿武隈からでも敵の全貌は視認でき、これなら爆雷を用いずとも単装砲で打撃を与えられるとすら思えてくる。

 実際に砲を構えて敵に向ける阿武隈は、この敵の正体を直感していた。9ヵ月前に、まるゆがほぼ相討ちの形で撃沈したはずの“ルサールカ”だ。やはり生き延びていたのかと表情が険しくなるのを自覚しつつ、しかしなぜこうして敵水上艦に自らの姿を晒すのかと疑問する。“バンシィ”の救援のために囮になるつもりなのかとも考えたが、もしこの敵が本当に“彼女”ならば、有無を言わさず海中から一撃見舞うくらいはするはずだ。

 敵の意図が読めず攻撃に踏み切れない阿武隈は、高速航行する“ルサールカ”と、黒煙の中にいる“バンシィ”の両者を警戒しつつ、自らの速度を緩やかに上げて行く。砲口が向く先は“ルサールカ”だ。“バンシィ”に対しては、ランチャーで攻撃した誰かがすでに対応を行っているはずなので、そちらはそちらに任せる。自分はこの敵の姿を見失うべきではないなと方針を固めたところで、阿武隈は自分の耳に届く音に気付いた。

 先ほどから小指の先ほどの違和があったが、ようやくそれがモールス信号だと像を結ぶ。発信者はわかっている。“ルサールカ”だ。息を詰めて耳を澄ませる阿武隈は、信号の内容を理解するまでにかなりの時間を要することになる。頭の中で、口の中で、彼女からのメッセージを繰り返して、それがどういうことなのかを精査して……。

 

 長く深く息を吐いて全身に力を行き渡らせた阿武隈は、視線と砲口の先で“ルサールカ”がターンすると同時に、脚部艤装のボードを切り返して自らの背後へと向き直った。そして、未だ黒煙が晴れない中にいる“バンシィ”に対して単装砲を構え直す。ひどく回りくどいメッセージだったと頬を膨らませる。「おにぎり おいしかった」など。あの日、あの海域で戦っていた自分たちにしか意味が通じないではないか。どういうわけか、今日この時において、“彼女”はこちらの味方らしい。頼もしいと思うべきなのだろうが素直にそう思うことは出来ず、どこかそわそわと落ち着かない気持ちになる。第一、協力関係になったからと言って、連携はどうするのだ。いちいちモールス打っていては“バンシィ”に気取られてしまうではないか。

 しっかりしろと自らに活を入れる。この場においては自分が旗艦なのだ。“ルサールカ”と連携を取る方法と、付近に残存する味方勢力の安否の確認をと考えを巡らせたところで、背後に気配を感じた。人の気配だ。背部艤装に搭載された機能が立ち上がろうとしているのだ。

 

「提督……!」

 

 阿武隈が、己が主を呼ぶ。呼応するかのように、“艦隊司令部施設”が起動した。

 

 

 ○

 

 

 “海軍”本部は幾歳続く深海棲艦との戦いの中で、敵支配海域における有効な指揮手段を模索してきた。敵の領域の外側から内部へと、安全に通信を行い艦隊に指示を送るための手段をだ。艦娘の艤装由来ではない通信器では、支配海域の内側で作戦行動に当たる艦娘に指示が届かない。通信係としての艦娘を支配海域のぎりぎり外に待機させる案も早期には考案されたが、護衛の艦隊ごと敵の標的にされて、かつ距離が開き過ぎると通信そのものが行えなくなるという難点から廃止されている。

 

 思考錯誤を重ねた結果、支配海域における指揮手段は、現状ふたつに絞られることになる。

 ひとつは、支配海域にて生ずる精神の変調を抑えるための薬物を投与し、提督自身が直接乗り込むというもの。“支配海域外から安全に”という本来の意図をまるで無視した手段ではあるが、この方法が2044年現在において一番有効と判断されるものだった。この投薬処置が主軸となってしまったがために、装甲空母による支配海域への突入作戦が強行されたのだが、そもそもこの薬の効果には個人差があった。上手く効果が現れない場合は支配海域外にあっても内部と同様の幻覚や幻聴を発症し、作戦に参加した提督の中には早期に海域を離脱した者も少なくはなかった。

 もうひとつは“艦隊司令部施設”の運用だ。艦娘の艤装にこの機能を搭載して、支配海域の外に居ながら艦隊周辺の状況を把握して指揮を執るといったものだが、この案はつい最近まで実験すらをも見送られていた。この艤装の機能を運用するには、提督にある素質を要求することになり、それは結果として直接支配海域へと突入することと何ら変わりがなかったのだ。そもそも、通信器同様に距離の問題がクリア出来ていない。

 

 その“艦隊司令部施設”が起動する。水無月島鎮守府における運用は、本来想定されていない支配海域内での起動。そして、無線封鎖用に夕張が調整した多重展開モードだ。通信距離の課題はクリア済みであり、かつ提督当人の極地活動適正から精神の変調が除外される。ここに、数ヵ月前に熱田島鎮守府の提督が行った起動実験の資料が加わり、諸々の細やかな課題をクリアする鍵となった。

 機能を搭載している第一から第四艦隊までの各艦隊旗艦、そして一部の単艦行動を取っている艦娘の背部艤装が、重く低く、そして高速の駆動音を発する。そうして生ずるのは、人の気配だ。水無月島鎮守府は執務室に増設された専用の設備。それに接続された提督の気配。その気配が、艤装の機能を用いて顕現する。

 阿武隈を始め、機能を搭載した艦娘たちの肩に、小さな影が両の足で降り立つ。それは一見して艤装妖精の姿ではあったが、他の妖精には決して有り得ない特徴を有していた。その身に纏う衣装が、提督が身に纏う軍装なのだ。艤装の機能を通じて、提督の精神を妖精と言う形で顕現させた姿だ。

 

「各艦、状況を報告」

 

 落ち着いた声で艦娘たちに呼びかける提督は、今や複数の風景を同時に認識していた。己が妖精の姿となり、そして複数体同時に存在して、それぞれ別々に思考して言葉を発する。それであって提督自身の意識は分割せずにひとつを保持している。夕張に言わせれば「かなり無茶な解釈に頼らざるを得なかった」らしいのだが、提督にはさっぱりだ。

 だがそれが、無線封鎖中の現状における一番の利点だ。通信器を介さず艦娘たちとやり取りし、吸い上げた情報を即座に全体で共有出来る。以前構想を聞いた際に思わず「ずるいね?」などと口走った提督に、「その分、可視化されていないリスクが山ほどありますから」と夕張が脅かすように、明るい表情で告げたことは記憶に新しい。

 自分がたくさん居て、それぞれ違う言行を取っているのに、意識はひとつだけ。その矛盾を今は努めて意識しないようにと心掛けて、提督は各艦隊から情報を拾い上げる。

 

 “バンシィ”に対応中の第一艦隊旗艦・阿武隈の肩からは立ち上る黒煙が視認でき、海中を行く“ルサールカ”の気配が読み取れる。遠く、負傷した響たちが“隼”五号艇に収容されてゆく光景を視認した提督は、操舵中の電の側からも状況を確認する。破損の軽微な巻雲と時雨はそのまま五号艇に残って治療と護衛とを行う流れだ。大破した響たちは一命は取り留めたものの、まだまだ危険な容態だ。こちらの判断が固まるまで処置は続行されるだろう。

 そんな中、提督は毛布にくるまった榛名が驚いた表情で固まっている姿を見て、電の肩から降りてそちらの方へと駆けてゆく。ぽかんと口を開けて固まった榛名は、自分の近くまで寄ってくる妖精の姿を視線で追い、ようやく「提督……?」と小さく呟くことが出来た。“艦隊司令部施設”が起動できる段階にまでこぎ着けていたことも驚きだが、そうして妖精の姿となった提督に二度驚いた。他の面々に取り乱した様子が見られないのは、すでに提督のこの姿を見慣れているからだろうか。

 

「すまない榛名。艤装をパージする前に一声かけられれば良かったのだけれど……」

「いいえ、提督。お声は届いていました」

 

 何せ、声が同じものだから、あの世から向かえが来たのかとも思ったほどだ。しかし、そうだとすれば、それは榛名の知る有馬提督ではないなと、こうして助かったからこそ改めて考え至る。有馬提督は、艦娘が自らの後を追って命を絶つような真似を良しとする人ではなかったはずだと、今さらに思い出す。そして榛名は、そんな有馬提督の思いを蔑ろにして自らの我を通せる程、我がままにはなれない。

 

「提督、お願いがあります」

 

 榛名の嘆願を、小さな提督は黙して待つ。

 

「提督のお傍で、最後まで戦わせてください」

 

 最後まで。その言葉が意味するところは、提督とて理解している。しかし提督は、榛名の嘆願に頷くことは出来ない。心情的なところではなく、権限の領域での話だ。1年近くの時間を提督として活動してきた身ではあるが、あくまで特例として海軍本部からお墨付きをもらっているという立場に過ぎない。次の通信までに海軍側の体制が変わり、提督の扱われ方も不利なものへと変わるかもしれないのだ。

 榛名はそういった事情を理解しているし、提督が返答に困るであろうことも察している。それでもいいのだ。この小さくなってしまった提督がどう応えるのかを、榛名は聞きたいのだ。

 

「心強いよ、榛名」

 

 まったくと、榛名は体の力を抜いて緩んだ笑みを浮かべる。性格や言葉遣いがまるで正反対のくせに、こういう時の言い回しだけは、榛名の知る提督とそっくりなのだ。

 水無月島で目覚め、事情を聞かされ、以来提督との接触は避けるようにしていた。会話をすることも。彼が自分の知る提督ではないのだと、認めるのが怖かったのだ。自分の傍を離れて行った艦娘たちと同様、提督までもがそうなのかと。

 それらの悲しみが消えたわけではない。吹っ切れたわけでも、不安が無くなったわけでもない。ただ、榛名はもう大丈夫だと、自分の内心を確かめた。自分は今し方、一度沈んだのだ。これまで溜め込んできた靄は、艤装と共にほとんど洗い流されてしまったのだから。ひとつだけ我がままが通ればいいなと微かに思うのは、彼が自分の最後の提督であればいいな、と。そして、比叡が守った水無月島で戦いを終えられればなと、淡い希望を願うように、そう思うのだ。

 

 差し出された小さな手と人差し指で握手する榛名は、そう言えばこんなことをしている時間があるのかと眉をひそめるが、提督は問題ないと頷いて見せる。こうして榛名と相対している間にも、各艦とのやり取りは同時進行している。

 

 

 第二艦隊旗艦・高雄の側からは、ランチャーを連打し煙幕を維持する夕張の無茶な駆動と、利根とプリンツが敵姫級に致命打を叩き込んで撤退させる光景が確認できる。指揮と情報収集に徹して速度を落とした高雄と天津風の護衛には、青葉が対応している。視界の端から端へと瞬時に移動し、艤装を複雑に変形させて敵の多様な艦種に対応する彼女の横顔は、提督が見たことのないものだ。それでいて、提督の存在に気付くと笑顔で手を振って来るもので、「うしろ! 青葉うしろ!」と、高雄と天津風をハラハラさせている。

 

 第三艦隊旗艦である熊野の側から目の当たりにした光景は、思わず目を背けたくなるものだった。緊急避難用の風景偽装バルーン(小さな岩場を模した形状だ)の中に避難しているのは第三・第四艦隊の面々だ。先に受けた報告の通り、叢雲と初春が大破し重症。一命は取り留めたらしいが、このまま治療を受けることが出来なければ肉体の方が持たない。

 応急処置を行っていた龍鳳と浜風は険しい表情を浮かべていたが、提督の出現を目にすると少しだけ表情をほころばせた。しかし、旗艦である熊野は座り込んで膝を抱えたまま動こうとしない。震えと嗚咽の合間にはひたすら「ごめんなさい」と誰かに謝罪する熊野へ、提督はだいぶ小さくなってしまった手で彼女の頬を撫でて労いと慰めの言葉をかける。苦しそうな熊野を撫でつつも、提督は熊野の艤装を経由して所在のわからない漣たちの姿を探す。

 

 “艦隊司令部施設”は艦隊旗艦と一部単艦行動中の艦娘に搭載しているものだが、艦隊旗下の艦娘たちにはその子機が搭載されており、そちらの方へ姿を現すことも可能だ。漣は負傷した祥鳳を護衛して退避している最中。卯月は敵航空機の機銃の雨を掻い潜って高速巡航中だ。熊野たちがバルーン内へ退避しているのは敵航空機の強襲を受けたが故で、ぎりぎりまで攻撃機を発艦させていたため逃げ遅れて負傷した祥鳳を漣が護衛して退避。卯月は皆が退避する時間を稼ぐために自らを囮として単艦離脱したのだ。

 

「う、うーちゃん、ちょーっと、無茶しちゃったぴょん……!」

「そうみたいだね。救援は?」

「要らないぴょん。当たる気がしないぴょーん」

 

 直後、爆撃機の落とした爆弾が間近で炸裂して、卯月の涙と鼻水が一気に噴き出したので救援は必須だと判断する。

 

「それより、千歳とはぐれちゃったぴょん……」

「大丈夫だよ。こちらで位置を確認したから」

 

 ハンカチを取り出しつつ卯月を安心させるように囁いた提督は、すでに千歳の肩にも姿を現している。仲間たちから遠く離れた位置で中破状態の補完艤装を立て直していた千歳は、提督の出現にほっと息を吐き、しかしすぐに表情を厳しいものへと変えて、第三・第四艦隊が敵と接触してから現在までの状況を簡潔に報告してくれた。千歳自身は卯月と同様に囮として飛び出したが、そうしたお陰で思わぬ収穫があったようだ。

 

「……そうなのか。では、あと少しだけ時間を稼げば、この局面は何とか切り抜けられるということかな」

「楽観するのは早いですけれど、ね。では提督、ご指示を」

 

 千歳に促された提督は頷き、各艦の位置関係を今一度確認して、一声を発する。

 

「各艦、行動を開始せよ」

 

 提督の一声で、全艦が同時に動き出す。この海域に展開した艦娘と深海棲艦の動きを俯瞰で追っていた者が居るとすれば、その動きが変化したことを確かに感じ取っただろう。艦娘側の全艦が、ひとつの命令系統の下に行動を開始した動きを。

 高雄旗下第二艦隊は回避行動中の卯月たちの護衛に向かい、“隼”五号艇が速度を上げて退避中の熊野たちを収容に向かう。

 そして、“バンシィ”への対応だ。

 

「敵、戦艦レ級、個体コード“バンシィ”に対応する。彼女に対して有効範囲に位置する艦娘は、手を貸してほしい」

 

 阿武隈の囁くような「ようそろ」の声が頭上から返り、遠く海面に頭を出して口を大きく開けていたまるゆが慌てて敬礼で応ずる。モールスで返答を送ってくるのは海中に潜む“ルサールカ”だ。自律稼働型生態艤装を再び身に帯びた彼女は水中から機会を伺っていて、いつでも攻撃に転ずることが出来る構えだ。

 “彼女”の協力は完全に予想外で、提督は正直戸惑いが拭いきれなかった。電たちの出撃準備中に第二出撃場の“かまちゃん”が暴れ出し、様子を見に行ったまるゆを捕縛して脱走した際には肝を冷やしたが、こうして味方の布陣を確認して、ようやくひと心地付けた思いだ。敵にすれば恐ろしく、しかし味方となれば、これほど心強いものはない。

 

「さあ、準備は整ったよ。暁?」

「レディを待たせるなんて……。司令官のエスコートがあるまで意地でも動かないんだから!」

 

 とは言いつつも、頬を膨らませる暁は海上を高機動形態で疾走中だ。暁の肩の上で、提督は「ごめんよ」と頬を撫でて機嫌を取り、黒煙を割いて移動を開始しようとする敵の姿を視認する。

 “バンシィ”が警戒するのは海中から頭を出してランチャーを撃ってくるまるゆと、海上と海中に新たに生じた高速の影。そして、一番注意を割いているのは、“バンシィ”の有効射程から離脱を試みようと舵を切った“隼”五号艇だ。

 第一艦隊がこの敵と最初に接触したときも、“バンシィ”は単艦で向かってくる阿武隈を無視して、“隼”の破壊を優先させた。そういう命令を受けているのかもしれない。破壊の手段は先と同じく、高高度へと跳躍した後に自重と速度を持って対象へと着地するというもの。例え直撃を免れたとしても、余波で“隼”が転覆する可能性は高い。

 いざその手段をと、尾を海面に叩き付けて跳躍した“バンシィ”は、高度が少しも上がらないうちに下方へと引っ張られる。その力のままに、勢いを殺し切れず海面へと叩き付けられた。

 

 

 ○

 

 

 上手く引っかけたものだと、暁は破損した錨鎖の巻き取り機をパージして海中に落とす。“バンシィ”が跳躍した直後にアンカーを投擲して、破損した脚部にひっかけて、あらかじめ海中に埋没させていた反対側の錨鎖を“ルサールカ”が“かまちゃん”を使って保持。“バンシィ”が高度を稼ぐ前に海面へと落とすことに成功した。海中での支援がなければアンカーをひっかけた暁も一緒に宙に投げ出されていたかもしれない。それで“バンシィ”の勢いを削ぐことは出来ただろう。だが、次いで“バンシィ”と綱引きとなれば、膂力の面ではもちろん、艤装の構成材質が持たなかったはずだ。

 

 宙から引きずり落とされた“バンシィ”はといえば、勢いのままに海面を転がって周囲と自らの状況を再確認するところだった。“隼”五号艇が有効範囲外に遠ざかってしまい、追撃は周囲の艦娘たちの妨害で困難になったことを察する。海上には先ほどから彼女の足を止めている阿武隈と、そして常に視界の端に映るばかりの高速の影。

 それよりも海中の2隻こそ最も警戒すべきだと判断する。うち1隻は先ほどからぽかぽかとランチャーで攻撃して来て鬱陶しいばかりだが、もう1隻は深海棲艦、本来なら“バンシィ”に命令を与えて操れるはずの上位個体だ。それが何故艦娘側に味方するのかまでは、“バンシィ”は考えない。ただ、的確に対応するべきだと思考して、展開する生態艤装のひとつは爆雷装備だ。体勢を立て直すも脚部の破損がひどく、速度は期待できない。これまでの交戦を振り返り、彼女たちが高速修復のタイミングを与えてくれるような手ぬるさは持ち合わせていないだろうと判断。脚部及び尾の咢ひとつの修復を見送り、現状のまま対応することを決める。

 敵の艦種は軽巡、駆逐と、砲火が脅威となる艦娘ではない。警戒すべきは潜水艦を含む魚雷装備だろうと判断し、今も海中から次々と魚雷を放ってくる“ルサールカ”に対応するため、爆雷を投じようとした時だ。

 

「阿武隈」

 

 その声は先ほどから聞こえ始めたものだ。“バンシィ”の記憶容量は人間の提督の声だと答えを弾き出すが、何故それが姿もなくこの場にあるのかまでは答えが及ばない。艦娘たちが無線封鎖を続けている以上、新たな艤装の力かと推測するが、その提督はただ艦娘の名前を読んだだけだ。名前を呼ばれた彼女に何が出来るのかと、かすかな疑問を見送ろうとした“バンシィ”は、その結果を即座に目の当たりにする。投射直前の爆雷に軽巡の砲弾が直撃して、誘爆を引き起こしたのだ。

 “バンシィ”は軽巡の砲撃を甘く見ていたわけではない。先の榛名との激突の際にも、単装砲の威力が自らの本体を傷付けるに足るものではないと、性能面だけではなく実感として得ていたのだから。直撃による被害は軽微と判断したが、当たりどころが最悪だった。もしも先の交戦で同じような真似をされていたのならば、“バンシィ”とて咢内部への攻撃を警戒しただろう。

 だからこそ、これより先は咢内部への直接攻撃が警戒網に追加される。展開目前の爆雷ならば、駆逐艦の砲火でも誘爆を引き起こすのだから。そしてそれは、海中の潜水艦たちへの対応手段をひとつ、手放すことに他ならない。海中からの雷撃は今なお続くが、疑似魚雷の蓄えが尽きないものかと、“バンシィ”の中に新たな疑問が生ずる。

 

 何故これほど魚雷を次々に放てるのかと“バンシィ”は疑問しているのだろうなあと、海中のまるゆは敵の内心を察していた。確かに、“ルサールカ”本体の疑似魚雷には限りがあり、それらは“バンシィ”への対応を開始した直後に使い切ってしまっている。“かまちゃん”に内蔵されている予備も同様だ。“ルサールカ”が今現在発射しているのは、元はまるゆが搭載していた予備の魚雷だ。まるゆはタイミングを見計らってそれら予備魚雷をパス。受け取った“ルサールカ”はそれらに接触し、瞬時に生態式の疑似魚雷へと変貌させて、まるで自らの予備であったかのように見せかけているのだ。

 まあ、そちらの方が性能的にも扱いやすいのだろうなと新たな予備魚雷をパスするまるゆは、“ルサールカ”と度々目が合うことに、どこかむずかゆさにも似た気持ちを得ていた。向こうもこちらを気にかけているのだなと思うと心がざわつくし、交戦中でなければ彼女と話したいことが山ほどあるのだ。しかし、今はお預け。阿武隈の働きのお陰で、“バンシィ”は海中に位置する潜水艦たちに対して、正規ではない方法での対応を迫られることになったのだから。

 

 滑るようにして自らの足元へと吸い込まれんとした疑似魚雷を、“バンシィ”は尾で海面ごと薙ぎ払ってやり過ごす。海中で爆発が生じ、無力化に成功した感触を得て、魚雷への対応は確定した。艦娘たちがどれだけのストックを用意していようとも、弾数は無限ではない。一発やり過ごすごとに負傷する懸念がないのならば、この方法を続ければいい。尾を海面に叩き付けるだけならば、咢が破損して機能を失った尾でも可能であり、そうすることによって残りふたつの咢を有効に運用することが出来る。

 爆雷や魚雷、艦載機といった装備では砲火で咢ごと潰されかねないため、敵への対応は主砲に限られる。さすがに砲口内に砲弾を通して内部を爆発させるような芸当は敵も取らないだろう。もし出来得るのだとしても、その時の対応策はすでに用意してある。

 現状、自らを取り囲む4隻に対してならば、膂力と砲火で充分対応可能だと“バンシィ”は判断する。最悪、榛名の時のように近接戦に持ち込んでしまえば、駆逐、軽巡のパワーなど容易に押し潰してしまえるとも。だから、自らの背後から吶喊仕掛けて来る駆逐艦に対して、警戒する以上の意識を割くことはなかった。

 まるゆがWG42で攻撃を開始した直後、新たに水上に出現した高速の影。駆逐艦ではあるのだろうが大きな違和感を残すその姿。咢を振りかぶった“バンシィ”は、タイミングを合わせて背後に迫った暁を打撃する。外した。タイミングこそ完璧だったものの、吶喊して来た暁が急加速と共に姿勢を低く落とし、打撃の真下を通過したのだ。

 

 暁は“バンシィ”の脇を通過するタイミングで、先程パージしたものとは逆側に位置するアンカーを放つ。目標は“バンシィ”が振りぬいたばかりの尾、枝分かれした内の1本だ。錨鎖の感触で掛かり具合を確かめ、巻き取り機を操作、錨鎖を放出して、そのまま高速で通過する。“バンシィ”にとっては意味がわからない行為だろう。膂力で劣る駆逐艦がわざわざ錨鎖で彼我を繋ぐ意図はなんだ、と。

 

 “バンシィ”の脳裏を過るのは、先の時雨の手管だ。この錨鎖を引っ張らせて何らかの連鎖を起こすつもりなのか。艦娘の装備は、特に駆逐・軽巡級のものは、この短時間にほとんどを目の当たりにした。そこから考えられる組み合わせをすべて割り出し、脅威に成り得るものは生じないと判断した“バンシィ”は、暁を引き寄せんと力任せに錨鎖を引く。

 

「司令官!」

「許可。荷重軽減、全カット」

 

 錨鎖のたわみで引きの衝撃がくるタイミングを予測した暁は、提督からの許可を得て艤装の荷重軽減機能をカットする。総量合わせて三桁の重量が一気に速度に加算され、錨鎖を引いたはずの“バンシィ”が逆に尾を引っ張られる形となった。体勢を崩してよろめくに留まった“バンシィ”だが、暁の方はその比ではない。突如発生した重量と衝撃を緩和するために、脚部及び背部艤装の一部を変形させ、肉体に負担が掛からない形状を保持。それでも襲い掛かる負荷に歯を食いしばる暁は、首を巡らせて“バンシィ”が体勢を崩した様を、確かに見る。

 

 追撃は即座に行われた。“ルサールカ”の雷撃が海中から迫る。“バンシィ”は海面を打撃する動きを取るが、思うように尾を振ることが出来ず、至近距離での炸裂を許してしまう。4つの尾はひとつの幹が枝分かれしている構造であるため、その末端ひとつを拘束すれば全体の動きを阻害することになる。この尾の構造によって重心の移動などを行い予測不能の動作を行ってきた“バンシィ”ではあったが、此度はその体構造が仇となった。荷重軽減をカットした駆逐艦の艤装の重量は1tには届かなものの、かなりの重量を誇る。綱引きで優勢とまではいかずとも、少しの間動きを止めるには充分だ。

 “バンシィ”はこの錨鎖を、“ルサールカ”の雷撃を支援するためのものであると判断した。ならば、これは早々に振りほどいてしまうべきだと、力任せに錨鎖を引きつつ、暁に向けて砲撃を開始する。榛名の砲撃を目の当たりにした“バンシィ”にとって、己の砲撃を初弾で命中させることなど、もはや造作もない。角度とタイミングをずらして3発、同時着弾するように計算しての砲撃が行われた。

 

 砲撃が来ると読んだ暁は、荷重軽減機能を再起動して、即座に錨鎖の巻き取りを開始。力任せに引っ張られるその勢いには逆らわず、錨鎖を回収しつつ加速してゆく。暁の進行方向は、“バンシィ”の進行方向に対して反対側。彼我を錨鎖が繋いでいるため、どれほど加速しようと距離を取ることは叶わず、逆に互いが円を描くような軌道で接近するだけだ。そんな暁の挙動までもを予測しての砲撃なのだろう。砲火と共に宙を裂く砲弾3発、暁は直撃すると確信した。

 ならばと、火花と白煙を上げる巻き取り機ごと錨鎖をパージして、その反動による加速を得て距離を取る。それでもぎりぎり回避には足りないと判断するや否や、両弦側のシールドを展開し、組み合わせて傾斜を付ける。直後、砲弾こそ3発とも直撃したが、その被害はシールドの全損と、空の魚雷発射管及び腕部主砲の損壊に留まった。暁本体と速力には影響がなく、急加速で黒いマントを翻し“バンシィ”の射程から離脱する。

 

 その姿を見送る“バンシィ”の中で、違和感が膨張を始めていた。己が砲撃が暁に対して全弾直撃したにも関わらず、本体へダメージが通らなかったことが原因ではない。致命打ではなく、仕込でもない行為。暁の挙動の意図が掴めなくなったのだ。先の錨鎖による捕縛を“ルサールカ”の雷撃支援のためかと判断したが、「もしや、違うのではないか」と、新たに疑念が生じてきたのだ。

 それに、とばかりに“バンシィ”が視線を向ける先は、駆逐艦・暁のその姿だ。“バンシィ”とて10年余りの歳月を戦い抜いてきた深海棲艦だ。その彼女の目から見ても、かの暁の姿は駆逐艦という艦種にあって、かなりの大柄に見えた。デフォルトの仕様とは大きく異なるのは確かだが、それは先の響や時雨とて同じであったはずだ。それらの大型化した駆逐艦たちは速度や火力の面で大きく劣化していたはずだが、この暁の挙動はなんだ。性能が減衰している他の大型な駆逐艦たちと違い、速度のキレが尋常ではない。仮想スクリューの回転速度もそうだが、高機動形態で高速巡航形態の最高速度をはるかに上回っているし、時折ステップを踏んで海面を跳び走るような動きをも見せるのだ。

 “バンシィ”はそんな挙動を取るものたちを知っている。自らをも含めた完全人型の深海棲艦がそうだ。類似点ならば他にもある。左目の眼帯奥から漏れ零れる粘ついた青白い燐光や、無機物であるはずの各部艤装が時折有機物のような質感に変質し、鼓動するかのように脈打つように見えるのもそうだ。それに、あの暁の艤装は静かすぎる。艤装妖精の数が他の艦娘に比べ、圧倒的に少ないのだ。砲弾や魚雷を搭載していなかったのも、そもそもそれ専用の妖精が居らず、艤装が稼働できないが故なのか。

 

 彼女も自分たち深海棲艦と同等か、それとも近しい存在なのかと疑問するも、それは一瞬だけ。そうして答えが出るわけでもないので、思考を其処までに留めておく。それよりも重要なことは目の前への対処だとばかりに、“バンシィ”の手には新たな生態艤装が構築される。アンカーと、それを繋ぐ錨鎖だ。暁が展開した艤装を見て盗んだもの。アンカーと名打ってはいるが、機能としてはシンカーそのもの。荷重軽減機能こそ再現されてはいないが、並みならぬ膂力の持ち主の手に振り回せる重しが生じたことは脅威に変わりない。

 そうして敵の新たな艤装を奪い取った“バンシィ”は、その有効な用途を高速で模索する片隅で、暁のこれまでの挙動をもう一度洗い直すべきではないかと、違和感や疑問が危機感にまで悪化していた。先ほどの、榛名との交戦までとは何かが決定的に違うのだが、具体的に何が違うのかが判然としない。判断材料を探すだけならば、“材料不足”という結果を含め、すぐに答えが出てくるはずだ。わずかな時間でいい。そうして短時間の思考に割くための猶予を、暁たちは与えなかった。

 

 “バンシィ”の後方で盛大な水音が立つ。ソナーの動向を注視していたため、何が起こったのかすでに理解している“バンシィ”だったが、それでも意図が掴めぬまま背後へと振り返る。海中にて雷撃を続けていた“ルサールカ”が、この局面で自らの本体を海面に浮上させたのだ。白の髪と白の衣装の裾を翻し、深呼吸するかような仕草を取ると、両の足でぺたぺたと海面を走り出した。打ち合わせていなかったのだろうか、“ルサールカ”のその姿には、距離を取って介入の機会を伺っていた阿武隈も口を開けて困惑している。

 

 外野の反応など気にするべくもない“ルサールカ”は、両手に機銃を発生させて“バンシィ”に向けて射撃開始。致命打でも何かの引き金でもないこの攻撃に対して、かの敵は反応を示さない。ただ、疾走して射撃する“ルサールカ”の姿を目で追うだけだ。そして、“ルサールカ”にとってはそれで充分だった。海中にて、まるゆの頭上から手信号にて行動を指示してきた提督の要求は、これで概ね達成することが出来た。疑似弾薬をすべて使い切った機銃を軽々と放り捨てると、そのままトンボを切って海中に舞い戻る。

 

 同時に、異変は起こった。“バンシィ”の尾や咢に引っかかったままのアンカー及び錨鎖が変質して生き物のように蠢き、又分かれした尾を拘束すると、その末端が勢いよく海中に没したのだ。尾を通じて、海中に没した錨鎖が、その先で何かとつながる感触を得る。バランスを崩して尻もちを突く形となった“バンシィ”は、ようやく敵の意図を理解する。暁が引っかけてパージしたアンカーと錨鎖を“ルサールカ”も生態艤装として再利用したのだろう。戦艦の船体を錨鎖で拘束し、潜水艦がそれを海中で引っ張るなど、まるでナンセンスな構図だが、双方が深海棲艦であれば話は変わってくる。

 水上での綱引きとは違い、此度の相手は海中だ。海中に没した錨鎖の位置も悪い、力の支点となる尾の根元だ。体を捻っての脱出も困難で、こうなっては自らの手で錨鎖を引きちぎるか、あるいは海中に潜む敵を力任せに引きずり上げるかしかない。尾で海面を叩いての跳躍も、先程暁にひっかけられた時の感触を思い出す限りでは飛距離を稼げないだろう。

 そうして“バンシィ”が対処を思案するわずかな間に、満を持して攻撃が開始された。耳をつんざく不気味な音はサイレンにも似て、それら複数が頭上から降ってくる。その気配を確かに感じ、“バンシィ”は暁たちと接触してより初めて空を見上げた。

 

 目前にまで迫った艦載機の爆弾が目標を寸分も違わず直撃して、爆音と炎と黒煙を噴き上げ、衝撃を打つ。“バンシィ”に対応中の艦娘たちの中では、一番離れた位置にいる千歳の仕事だ。補完艤装を決戦形態に移行したその姿は、身の丈の3倍以上の巨大な柱状格納庫を右背部に設け、右腕に巨大なグローブ状の艤装を装着したもの。グローブの五指はそれぞれ伸長展開しさらに3つに分割されて、その先端は十字型のアニメイターへと可変。操り糸の類は存在せず、誘導灯を模した赤と緑の点灯が見られる。格納庫内の艦載機を全機同時に発艦させるための誘導システムだ。

 本来ならば左側にも同様の格納庫とグローブを設けて左右対称の形状となるはずだが、中破した補完艤装では右側だけの展開で精一杯だった。それでも、“バンシィ”への対応を開始した直後に、千歳が保有する残存14機は爆装にて全機発艦している。“バンシィ”に気取られぬよう、彼女のほぼ直上、雲の中で機会を伺っていたものが、このタイミングで急降下を開始したのだ。

 

 直上からの攻撃に対して、拘束され尻もちを着いた形となっていた“バンシィ”は回避も防御も取れず、爆撃を直に身に受けるしかない。尾の咢4つを固められ、噛み砕きによる錨鎖の解除は不可能。立ち上がって無理やりに引きちぎろうにも海中の方で錨鎖の伸縮等の力加減を上手く調整しているのか、拘束を解くどころか立ち上がることすら出来ない。

 そもそも、足元に生ずる微細な気泡によって海面が崩れ、両足で立つことすら困難だ。直下で潜水艦たちがメインタンクをブローしている姿が容易に想像できる。先に“ルサールカ”が姿を見せたのはエアを補充するためか。そういえば、もう1隻の潜水艦も度々浮上して頭を出していた。

 しかし、こんな真似をして彼女たちの本体が持つものか。“バンシィ”はその考えを否と放り捨てる。潜水艦たちの残存エアが尽きる前に、ここで終わらせる気なのだ。

 

「――おかわり、いかがですか?」

 

 聞こえるはずのない艦娘の声が耳に届き、直後、新たな爆撃が4つ、間隔を置いて“バンシィ”を打撃する。狙いは正確で執拗、頭部を含む本体への攻撃だ。航空機の爆撃と言うこともあり防御機能の障壁は発生するが、余波はそれを貫通して身に届く。榛名との交戦で手ひどく損傷した防護機能を修復出来ていないのだ。新手に戦艦級や空母級の姿を視認出来ていれば防御機能の高速修復を優先させたはずだが、この状態に陥ってしまってはもうそれは叶わない。迎撃の手段に関しても同様だ。対空機銃の集中配備は現在拘束されている尾の咢に内蔵された機能であり、先ほど奪った手持ちの連装機銃は、最初の爆撃で両腕を損傷したため、両手ごと新たに作り直す必要がある。アンカーと錨鎖など真似ている場合ではなかったと、“バンシィ”は敵側が、こちらと接触した時点ですでに詰みに入っていたことを今さら悟る。

 6度目の爆撃で障壁の発生機能が完全に損傷し、爆炎と衝撃が直に本体を砕き焼いた。生態艤装のフードが焼けて上空への視界が通ると、今から自分を焼きにくる影が幾つも見えた。その光景、人間の感覚で再現すれば、力尽きて倒れ伏した死に体の真上を旋回する禿鷹にも見えたのだろう。自らの内側から湧き上がってくる何かを抑え切れず、“バンシィ”は口角を破けんばかりに開いて、喉奥よりもさらに奥、体の底からから叫びを上げた。

 

 

 ○

 

 

 その叫びが呼び寄せたものか、敵航空機の姿が遠くに現れ始める。徐々に数を増やし空を覆わん密度で展開する敵航空機群は、“バンシィ”への対応を行っている艦娘たちに向かって真っ直ぐ侵攻して来ている。あと数分と経たずにここ一帯が爆撃の有効範囲になると判断した提督は、全艦に攻撃中止を指示、即座に離脱を促す。

 提督が指示を送る直前に、“バンシィ”は自ら拘束を解いて脱出を果たしている。破損した脚部を修復する素振りも見せず、脇目も振らず一目散の離脱。追撃はしない。こちらも逃げる時間だ。

 

 他の艦娘たちはすでに目標を達成しつつある。高雄旗下第二艦隊は退避中の漣と祥鳳を無事に保護、輪形陣を維持して合流地点へと進行中。第三・第四艦隊の面々は“隼”五号艇が回収。途中、卯月が並走して来たため、電がクレーンを使って吊り上げ回収している。“バンシィ”に対応していた面々もすでに離脱を開始。機関に異常が出た千歳がかなり遅れ気味だが、まるゆが速度を落とし、いざという時に備えている。

 そうした中、敵の情勢を探っていた天津風が、ひとつの流れを掴み取った。敵の通信らしき波長を感知したのだ。敵の通信を解析し、敵航空機が現れた方角から敵母艦の大まかな位置を、連装砲くんたちが演算で割り出す。そして“隼”五号艇に搭載されていた彩雲の予備機を、龍鳳が仮想フライヤーを展開して発艦させた。まずは上空に展開している航空機、その母艦の位置を探り、そこを経由して敵の司令塔を特定しようとする流れだ。

 

 これで敵の尻尾を掴めるだろうかと、皆の心が早くも反撃に傾きかけた時だ。各艦娘たちの肩に顕現していた提督の姿にぶれが生じた。艦娘たちが口々に提督を呼ぶ中、妖精化した提督は苦しそうに身を折ると、その姿は消え失せてしまう。“艦隊司令部施設”の駆動も緩やかになって、徐々に終息に向かっている。鎮守府の側で何かトラブルがあったのかと、艦娘たちの間で焦りが生まれるが、今はもう指示通りに進むしかない。

 直前に指示された合流地点へと各々全速力で突き進む中、ただ1隻だけ反転した艦がある。暁だ。合流地点へ向かわず鎮守府へ引き返そうとしているのは明白で、阿武隈が急いで止めに入る。

 

「暁! ダメ、残り時間も少ないのに……!」

「でも司令官が……!」

 

 制止を振り切って鎮守府へ帰投しようとする暁に対し、阿武隈は正面に回り込んで、両手で駆逐艦の頬を張るように掴む。頬を打つ衝撃に驚く暁は、正面に構える阿武隈の、涙を堪え歯を食いしばっている姿にもう一度驚き、憑き物が落ちたかのような心地になる。

 

「提督は私たちへ指示を下しました! この後の行動はすべて決まっています! それに従ってください! お願いだから……!」

 

 血を吐くような叫びの主は泣きそうな顔をして、そんな顔をされては暁も従わざるを得ない。体の中から溢れ出しそうなものを堪える2隻は、“艦隊司令部施設”が再び駆動する音を耳にする。エラーから回復したのかと息を飲む2隻は、次いで顕現した妖精の姿に、一瞬表情が抜け落ちる。再び肩の上に姿を現した妖精は2隻が良く知る提督のものではなく、口元に立派な髭を蓄えた容貌していたのだ。

 

 

 


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