孤島の六駆   作:安楽

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4話:青年がようやく鎮守府内を歩けるまでに回復しました、これより風呂上りの響と鉢合わせするようです

 

 

 

 青年が孤島に漂着して1週間が過ぎた。

 衰弱していた体にもだいぶ力が戻ってきて、自分の足で立って歩けるまでに回復していた。

 今日からは医務室を離れ、鎮守府内にある一室を使うことになる。

 それまでは、雷と電の艦娘姉妹に何から何まで手を借りなければならず、このふたりには本当に頭が上がらなくなってしまっていた。

 

 雷には治療をはじめ、ベッドから起き上がれるようになるまでの身の回りの世話をしてもらっていた。

 体を拭いてもらったり下の世話までしてもらったりと、もう彼女の顔を見るだけで条件反射で顔が赤くなってしまう。

 もはや、青年の体の外側と内側で、雷が知らない部分はないとまで言える程だ。

 恥ずかしさに赤面して身を縮ませる青年に対して、雷は嫌な顔ひとつせず、むしろ顔を輝かせて体に触ってくる。

 笑顔を絶やさずここまで出来るというのは、プロ意識の塊なのだなと青年は感心するのだが、雷当人は生来の世話焼き症と、青年の体に興味津々だったために、むしろ好都合だったのだ。

 

 電は1日3食を医務室に運んできてくれて、それどころか最初雷がそうしてくれたように食べさせてくれた。

 お粥をはじめ固形物の少ないメニューだったが、味付けはレパートリーに富んでいて、青年の心を暖かく癒すものだった。

 電の手による多様な味付けは、味付けの好みを思い出すうえでも効果を発揮している。

 いろいろ食してみたところ、“子供が喜びそうな濃いめの味付け”が好きだというあまりに単純な結果に、青年はしばらくひとりで凹んでいた。

 しかしまあ、毎食食べさせてくれるのは青年としてはありがたかったので、文句の言いようはない。

 だが、時々口ではなく鼻に突っ込んだり、出来立てアツアツのものをデリケートな部分にこぼされそうになったりと、食事のたびにハラハラしっぱなしだったのも事実だ。

 以前雷に言われた通り、電という少女がドジッ娘だということを(しかも悪気が微塵もないことを)身を持って知る1週間だった。

 

 青年を助けた暁も、医務室に度々顔を見せていた。

 雷や電からは、暁のことを「大人ぶる子供」「責任感が強くていつも無理をする姉」といった話しか聞いていなかったので、ふと目が覚めて大きな眼帯が見つめていた時は魂が飛び出すかと思う程びっくりしたものだ。

 雷電姉妹同様、まだ幼さを残す少女が顔半分を覆わんばかりの大きな眼帯を着けていれば、それは驚きもする。

 胸に手を当てて動悸を押さえようとする青年を見た暁が、自分が驚かせたせいでヒビが入っていた胸骨が完全に折れてしまったのではと大慌てして、真っ青な顔で雷を呼びに行ったことも、今では笑い話のひとつになっている。

 

「お兄さんの体力が戻ってちゃんと歩けるようになったら、暁がこの島の中を案内するわ。それまでゆっくり療養してね?」

 

 笑顔でそう告げる暁を前にして、青年は努めて笑顔を絶やさないようにしていた。

 というのも、暁は漂着した青年を蘇生させんと、心臓マッサージと人工呼吸を行っている。

 それは青年の胸や口元に跡が出来るほどの長時間行われたものであり、それほど真剣に蘇生を試みてくれた相手に「唇が触れた」ことを意識して邪な気持ちを抱いてはいけないと、必死に平静を装っていたのだ。

 雷などは「そんなに気を使わないで、しっかり邪な気持ちになればいいのに」などと耳元で囁いてくるが、青年は断固として鋼の自制心を保った。

 

 だからだろうか。

 暁が青年と同じように、無理して笑顔を絶やさないようにしているのだと、気付くことが出来なかった。

 雷や電も、暁の様子が少しおかしいとは思ったが、青年の前だから緊張しているのだろう程度に考えていた。

 

 自分たちの力が及ばず漂着者が命を落とす時、決まって涙をこらえる姉の姿を目にしていたので、今度こそは救うことが出来てはしゃいでいるのだと、そう考えていたのだ。

 

 

 〇

 

 

 医務室を出た青年は、鎮守府内の廊下を歩いていた。

 まだ足腰に力が入りきらないが、杖や介添えに頼らず、リハビリのつもりでひとりで歩く。

 医務室を出る時に雷に一緒に行くかと声を掛けられたが、丁重にお断りしている。

 雷が至極残念そうな顔をするものだから、やはりお誘いに乗っておけばとも思ったが、それでは自分のためにならない。

 

 1日も早く復帰できるように。

 青年の、今の最大目標だった。

 暁が島を案内すると言っていたこともあり、青年は一層気合を入れ直す思いだ。

 ただ、やはり体力は完全に戻っていないせいか、時々廊下の壁に手を着いて休憩しなければ、再び医務室に逆戻りしそうな体たらくではあった。

 せめて自分に宛がわれた部屋までは辿り着きたいと、電が持たせてくれたメモに目を落とす青年だったが、その表情は苦笑いだ。

 メモ紙に掛かれたこの鎮守府の略図だが、電の表現が独特なのと、ところどころ封鎖されて行き止まりになっているので、幾度も回り道をすることになった。

 

 医務室で横になっている時に雷から聞いた話では、この鎮守府は深海棲艦の放った艦載機による空襲で、建物の半分以上が倒壊しているという。

 先ほどの封鎖された場所の他にも、床が無くなっている場所には板が張られ、割れた窓にも板、雨漏りが箇所にはブルーシートが掛けられてもいた。

 艦娘とはいえ女の子4人だけで良くやっているものだと、青年は感心を禁じ得ない。

 2日や3日のその場しのぎでなく、10年間、この倒壊しかけの鎮守府を修繕しながら住み続けてきたのだ。

 専門の人間が手を加えなければならないであろう部分を、自分たちで直せるところは直し、そうでないところは騙し騙しで持たせている。

 

 補修の跡を見て回る青年は、これならば自分も手伝えそうだなと呟き、それが失った記憶の手がかりではないかとおぼろげに考える。

 自分はこういった建築物に関わる仕事についていたのだろうか。

 補修跡に触れてみたり、棚に置かれている工具類を幾つか手に取って見るが、いまいちぴんと来ない。

 おそらく取り扱いは出来るであろうものの、それが本職であったかどうかと聞かれると、はっきり「そう」だと断言できる自信はないのだ。

 

 そう言えば、雷が何やらテストのようなものを見せてくれたことを青年は思い出す。

 どうせなら医務室を出る時に貰って来ればよかったなと、頭をかいてため息を吐いた時だ。

 

「……じー」

 

 背中に視線を感じた。

 口擬音付きでだ。

 青年は何となく、振り向くのを躊躇ってしまう。

 このまま振り向くと、あまり良くない結果を招いてしまうのではないかと、直感が告げているのだ。

 

 医務室で会った暁型の姉妹たちは、こちらを見れば真っ先に声を掛けてくるだろうことは、この1週間で身を持って知っている。

 雷などはこうして悪戯しそうな雰囲気はあるものの、医務室を出る時に何やら書類と格闘していたので、その線はないと青年は判断する。

 まあ、その雷が今、青年のことが心配になり、様子を見に行こうか、やめておこうかと、悩んでそわそわしているとは、この時の青年には知る由もない。

 

 そうして思い出すのは、まだひとり、青年が出会っていない艦娘の少女がいるということだ。

 確か次女の、2番艦の響(ひびき)という名だったと記憶している。

 自分の背中を「じー」っと見ているのは、その響ではないか。

 他の姉妹たちから聞く限りでは、この島の機器系統の管理を担当していること、初見だと感情の起伏がわかりにくいかもしれないとのことだった。

 

 いまいち確信が持てないが、ずっとこのままというわけにもいかない。

 背中に突き刺さる視線は「じー」から「じじー」に変わりつつあるのだ。

 振り向く前に、声は掛けるべきだろうか。

 

「えっと……。響さん、ですか?」

「話は聞いているよ。記憶喪失のお兄さん。そう、響だよ。“さん”はいらない。言葉遣いも気を使わなくていい」

 

 良かったと、青年は胸を撫で下ろす。

 背中越しではあるが、会話は成立している。

 これなら大丈夫だろうと振り向いた青年は、――機敏な動きで回れ右をして、響に再び背を向ける形となった。

 青年は首を傾げ腕組みしながらも、顔中にびっしりと汗をかき始めている。

 

「……なんで、何も着ていないの?」

 

 一瞬だけ目にした響という少女は、衣服を身に纏っていなかった。

 くせのある銀色の髪が伸び放題で、大事なところをちょうどよく隠してはいたが、漠然と全体を俯瞰する限り、一糸纏わぬ姿だったはずだ。

 顔立ちは暁たちと同じくやや幼さを残す少女のもので、話に聞いていた通り、感情の起伏が読みづらい表情をしていた。

 四肢はすらりと長く、出るところは出ていて、4姉妹の中では一番発育が良いのではないかと、青年の直感は告げている。

 

 青年の挙動に不審そうに首を傾げた響は、自分の有り様を見下ろして「ああ」と声を漏らした。

 

「これかい? 浴場のボイラーの調子が悪くてね、みんなしばらくは裏庭でドラム缶風呂なんだ。私は徹夜明けでさっきまでお風呂だったんだけど、着替えを部屋に忘れてしまって……。汚れたツナギを着て行くのも嫌だったから、裸というわけさ」

 

 淡々と言い終えた響は「で、それがどうかしたかい?」とばかりに首を傾げて疑問の視線を青年の背中に送る。

 

「……出来れば、タオルで前を隠してもらえるとありがたい、かな。お互いに……」

「? 見られて困るものでもないのに……。いいよ、ほら」

 

 いやいや、困るでしょうと青年が苦笑いで振り向き、――再び回れ右して背を向けた。

 

「ひ、響! 響さん!? 確かにタオルで隠してくれたけど! それだと上半身が! 胸が隠れてないよ!?」

 

 振り向いた時に青年が見たものは、腰にタオルを巻いて「どうだ」とばかりに仁王立ちする響の姿だった。

 表情に乏しかった顔が、先ほどに比べて若干得意げだったのは、青年の気のせいだったのかは定かではない。

 今回も重要なところは髪の毛に隠れて見えはしなかったが、風でも吹けば露わになってしまう、そんな危うさを孕んでいた。

 

「ん。小さいタオルだから全部は無理。隠したままだと歩きにくいし」

「お、女の子が、それでいいの!?」

「男女差別反対。ここではこれが普通だから、お兄さんが慣れてくれないと……」

「……これが、普通なの?」

 

 青年は頭を抱えたくなる。

 響の話を信じるならば、この鎮守府の4姉妹は風呂上りに裸で屋内をうろつくのが通常運行なのだ。

 まあ、誰にのぞかれることもなく、10年ものあいだ姉妹4人だけの生活となれば、確かに無防備になっても仕方がないことかもしれない。

 しかしこれでは、迂闊に部屋の外に出ることもできないのではないのだろうか。

 これから青年が御厄介になるとなれば、さすがに気を使ってもらえるとは思いたい。

 思いたいのだが、この響という少女を見る限り、そうそう改めてもらえるとは考えにくい。

 

「……まあ、僕はあくまで部外者だからね。強くものを言える立場じゃないのはわかってるよ……」

「お兄さん、気にしないことだよ。細かいことに囚われていては、大局を見失ってしまう」

「響はもうちょっと細かい部分に目を向けてみるといいんじゃないかな」

「姉と妹たちによく言われるよ」

 

 言われるのか。

 このマイペースな次女に、姉妹たちは手を焼いているのだろうなと苦笑いになっていると、廊下をぎしぎしと踏んでこちらへ歩いていくる足音が聞こえてくる。

 誰であろう、響の足音だ。

 しかし、何をするつもりだ。

 青年が緊張して固まっていると、響は青年の正面に回り込んで右手を差し出してきた。

 握手を求める手だ。

 

 なんて無茶なことをと、青年は顔を赤くして唸る。

 響の体を真正面から直視するわけにもいかず、かと言ってこの手を取らないわけにもいかない。

 なるべく視線を反らしつつ手を握り返せば、小さくて冷たい手の感触と、満足気な鼻息が聞こえてきた。

 

「これからよろしく頼むよ。新しい“提督”さん」

「ああ、こちらこそよろしく。……ん? 響、“提督”って、どういうことだい? 僕が何か?」

「あれ。雷たちから聞いていないのかい? ……これは早まったかな」

 

 表情は対して変わらないながらも、響はいかばかりか困ったオーラを出して「ふむむ」と唸る。

 だがそれも少しの間だけで、「うん、話してしまおうか」とひとり呟いている。

 

「暁たちはしばらく黙っていようとしていたのかもしれないけど……。お兄さん、お兄さんには……」

 

 響が神妙な顔で(もちろん、表情はあまり変わらないが)何かを告げようとした時、廊下をどたどたと走ってくる音が聞こえてきた。

 少しばかり脆くなっている床をぎっしぎっしと軋ませながら走ってきたのは、鳶色の髪の雷電姉妹。

 ふたりとも、どこか焦ったような、余裕を失くしてしまった顔つきで、廊下の向こうから青年と響の元へ走って来ていたのだ。

 

「お兄さん! ちょっとそこから離れて!」

「ぐ、具体的にには、響ちゃんから離れてください! なのです!」

 

 何をするのかと訝る青年は、雷電姉妹が医務室から持ってきたのであろうシーツの端を互いに掴み、大きく広げる様を目にする。

 まるで底引き網のようだな、などと、自分の中に眠っていた意外な知識に驚く青年だったが、その底引き網が自分たちの方に勢いよく走ってくるのを見て、血相を変えてその場から跳び退る。

 

 その場に残された響は「……お兄さん、謀ったね?」などとわけのわからないこと呟きながら、シーツに捕獲された。

 

「確保よ! 撤収するわ!」

「すみません、お見苦しいものを……! なのです!」

 

 響をシーツにくるんで簀巻きにした雷電は、勢いを殺さず廊下の向こうへ走り去って行った。

 

 見事なコンビネーションにぽかんと口を開けてその様子を見守っていた青年は、すぐ横が自分に宛がわれた部屋だと気付く。

 ぽつんと廊下に取り残されてどこか寂しくなった青年は、いそいそと扉を開けた。

 

 

 


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