孤島の六駆   作:安楽

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18話:水無月島鎮守府の長い一日⑦

 頭の奥にまで届くような鈍痛に叩き起こされた提督は、自分が執務室の“椅子”から転げ落ちていることを、部屋の内装と目線の高さとで察する。自らが置かれている状況は即座に理解出来た。

 執務室に増設した“椅子”、提督の精神を妖精化して艦娘の元へ顕現させるための変換機。“艦隊司令部施設”の要ともいえるこの設備は、艦娘が艤装と同期する際に座する、あの椅子に良く似ている。それが今や、崩れてきた天井の破片に潰され損壊してしまっていた。あのまま座りこけていたら自分の頭も半分ほどに凹んでしまっていただろうなと冷や汗をかく提督は、自分を椅子から引きずりおろした命の恩人を下敷きにしている体勢に申し訳なさを感じる。

 

「助かった。間宮が引きずりおろしてくれなかったら、僕の頭も凹んでしまっていたよ」

「提督! こんな時に冗談なんて……!」

 

 「本気さ」と間宮の上から立ち上がろうとする提督ではあったが、力の入り方がおかしく、上手く立ち上がることが出来ない。今の今まで自らが妖精の姿となっていて、しかも複数体が同時に存在している状態だったのだ。いくら提督の適性上それが可能だとはいえ、こうして元に戻った瞬間に揺り返しは来る。この揺り返し、後遺症を抜くために“艦隊司令部施設”運用後数日は絶対安静が必要だと夕張たちには言われていたが、こんな状況だ。いつまでも間宮の上でもぞもぞとしてはいられない。

 立ち上がった提督は、天井の崩落や火災への消火対応を妖精たちに任せて執務室を後にする。道すがら、間宮から状況報告を受けながらも、その有り様は目にも耳にも明らかだ。妖精たちがあちこちで火災の消火活動にあたり、空襲を知らせるサイレンの音がけたたましい。“バンシィ”への対応を行っていたエリアへ現れた敵航空機隊とは別の編隊。こちらが空襲の本隊なのだろう。

 

「現在、雷さん酒匂さんが水無月島近海で防空対応中。秋津洲さんが航空機を出撃させて迎撃に当たっていますが、敵の編隊が途切れず……」

 

 こうして鎮守府への空爆を許してしまったと言うことか。千歳から大まかな推測を聞き及んではいたが、敵は本当に半年以上の時間、空母系の深海棲艦を集めて戦力を整えていたのだろう。こちらの索敵に今まで引っかからなかったと言うことは、拠点としている場所がそれだけ中部支配海域の端の方ということか。支配海域の一時解除時では標的となった姫鬼級を中心とした範囲しか衛星写真が明瞭化しなかったため、彼女たちが息をひそめていた区画に見当が付かない。つかないが、提督の思考は何となく「南方だろうか……」と南の方に向いていた。南方海域を根城にしている戦艦レ級がこれだけ北上して来ている現実もあり、“彼女”がこの時のために呼び寄せたとも考えられる。

 

「そうだとしたら、“彼女”は今日でここを終わらせるつもりなのかな……?」

 

 それは困る。彼女たちの帰る場所だ。それに、いずれ旅立つべき場所でもある。いつかはここを巣立って行くとはいえ、その日までは無くてはならない場所であるはずだ。

 間宮の肩を借りて、向かう先は島の飛行場直下の格納庫。壁や天井に伝って張り巡らせた伝声管は所々歪んだり破損したりで声が届かないため、現地で直接指示をする試みだ。鎮守府の外を突っ切れば機銃掃射の的になるため、一度地下を経由して進む。窓の外から見る限りでは、新たな迎撃機が発進している姿が見られない。何らかの原因によって、管制役の秋津洲が新たに航空機の発進を指示出来ない状態にあるのだ。

 

 

 ○

 

 

 酒匂の弾が敵に届く。機銃の射線上を掠めた敵機が翼から煙を噴いて傾き、放たれた砲弾が吶喊してきた敵機を正面から粉砕する。艦艇時代でも終ぞ体感することのなかった実戦の感触は不思議なもので、高揚と焦燥の入り混じった奇妙なものだった。ただ、その奇妙な高揚感に浸っていられる程の余裕は、今の酒匂にはない。語彙も貧弱なままに言うのならば「島がヤバい」。乙型兵装で共に出撃した雷と合わせても、このたった2隻の防空体制ではあまりにも力足らずだ。

 遠目に、鎮守府から火の手が上がる光景を目にしているのも焦燥にひと押しする。間宮が着いているので提督は無事ではあるだろうが、やはり本拠地を攻撃されているにも関わらずこうして防戦に徹していなければならないのはつらいものだ。鎮守府の次は飛行場に目標を変えたのだろう、敵航空機群はもはや酒匂や雷を素通りして島の飛行場へと殺到する。砲弾の届かない高高度へ上昇してからの急降下爆撃。もはや駆逐・軽巡の出る幕ではない。

 

 それよりも気掛かりなのは、先ほどから迎撃機の姿を見ていないことだ。敵が攻撃目標を飛行場に切り替えたのは確かだが、そうだとすれば迎撃機はどうした。もう長いこと、友軍機を見ていない。

 

「雷ちゃん! 飛行場から後続が出てこないよ!?」

「秋津洲に何かあったのかも……。救援に行くわ!」

 

 言って脚部のボードを切り返した雷に追走しつつ、しかしどうやってと、酒匂の脳裏には最悪の光景が浮かぶ。鎮守府の第一出撃場は、島への空襲が始まった当初に攻撃されて崩落してしまっている。補完艤装込みで出撃準備していた飛龍が出鼻をくじかれ、急いで第二出撃場へ行くと言っていたが、その第二出撃場をも即座に崩されている。艦娘が出撃し帰投するための設備が真っ先に攻撃を受けているのだ。艦娘が新たに出撃することはもちろん、帰ってきた皆を安全に収容することも不可能だ。

 当然、こうして海上に展開している自分たちも、正規の方法では帰投できない。どんな裏技を伝授されるのかと期待半分恐れ半分で雷の次の言葉を待つ。

 

「島の砂浜から上陸して、全艤装パージ。そして走る! 走って走って、鎮守府の裏手のシェルターから地下格納庫まで行って再艤装。エレベータで飛行場に出るわ。そこから反撃再開よ!」

 

 無茶苦茶だと、酒匂は悲鳴を呑み込む。無茶苦茶だが、しかし他に方法が思い付かないのも事実だと、真っ青な顔で雷の後を追う。途中、雷が「あ、司令官起きたみたい。廊下歩いている」と呟いたものだから、思わずよそ見して前を行く背中とぶつかりそうになってしまう。確かに、間宮に肩を借りて廊下を行く提督の姿がちらりと見えて、ホッとする反面、執務室に爆弾が直撃したのだと考えると冷や汗ものだ。自分の撃ち漏らしが引き起こした結果だが、そう言ってしまうには撃ち漏らしの数があまりにも多過ぎて泣きたくなる。なんとか泣かずに耐えていられるのは、自分の前を走って引っ張ってくれている背中があったからだろう。

 機能の劣化した駆逐艦たちの事情は、間近で見聞きして来たため酒匂も良く知っている。特に雷は暁たちと比較してもかなり“ダメ”な方だったため、再艤装化にたいへん難儀したケースだ。天津風や時雨のデータを参考にすることが出来て、ようやく長10センチ砲ちゃんたちを搭載した乙型兵装で戦えるようにはなったが、この現状を体験してしまっては今までの蓄積に意味があったのかと不平のひとつも上げたくなるだろう。

 しかし、雷はそんな暇はないとばかりに、機能の衰えた仮想スクリューをフル回転させて航行する。彼女にとっては、こうして海上で戦うことが自分の取れる手段のひとつに過ぎないのだ。やれることはまだまだある。出来得ることなら何でもやる。艦娘として戦えなくなっても何かを果たせるようにと、幾度も考え抜いたが故の迷いの無さなのだろう。

 

 上陸。砂浜の半ばまでを滑走した2隻は速度が落ちる前に艤装をパージ、勢いをそのままに短い距離をジャンプして砂浜に着地。そして艤装核を内蔵した腰部のパーツのみの状態で砂浜を駆け出す。艤装と同時にパージした長10センチ砲ちゃんたちが上空警戒で砲身を上げる脇を駆け抜ける酒匂は、いつものタイヤ引きより全然楽だなと、笑みすら浮かべる自分に驚いていた。体力作りとは言え艦娘が陸上走ってどうするのだと常々思っていたが、なるほど、これは役に立つ。すぐに雷に並んで、提督がよくドラム缶に入って転がってゆく坂を駆け昇る。鎮守府裏手へと回り、シェルターの取っ手を2隻で勢い良く持ち上げて開放した。

 安全確認のためにと雷がシェルター開口部に残り、酒匂が先行してステップを降りてゆく。鎮守府や飛行場への爆撃の音と衝撃がステップを伝い、手足を震わせる。攻撃を受けているのだという実感は先ほどから身に染みていたものの、艤装状態か否かでは心許無さの度合いが違う。今の状態で攻撃を受けてしまえば、なんの反撃も出来ず、それどころか身を守ることも出来ずにただやられるだけなのだ。初実戦の高揚の熱がすっかり冷めてしまった。

 顔を青くした酒匂がふら付きながら地下に降りると、待ってましたとばかりに雷が降ってきた。ステップを使わずの降下。数メートルの高さをクッション無しに飛び降り、四肢を着いた着地と同時に素早く前転して衝撃を逃がし、即座に立ち上がって、ふら付きながらも走り出す。唖然としてその背中を見送った酒匂は、次いで長10センチ砲ちゃんたちが同じように落下して来る気配を背後に感じた。衝撃を逃がすどころかろくな着地が出来ず、酷い金属を立てて動かなくなる姿を目の当たりにして、いよいよ顔色が真っ青になるが、次の瞬間には何事もなかったかのように起き上がる姿に言葉を失う。軽い動作確認と自己診断を行った後、唖然として固まっている酒匂の尻をジャンプして叩いて発破をかけて、先行した雷を追い掛けて行く姿が元気すぎる。

 これは頼もしいと勇気を奮い立たせるべきなのかと首を傾げん思いだが、「緊急事態、緊急事態」と涙と鼻水を酒匂は呑み込み、震える足で暗がりに消えた雷たちを追って走り出した。

 

 

 ○

 

 

 提督が飛行場直下の地下格納庫へ辿り着いた時、そこでは妖精たちが消火活動の真っ最中だった。敵の爆撃によって滑走路行きのエレベータが1機故障。次いで発生した火災の消火活動を開始して今に至るのだという。妖精たちから大まかな経緯を聞いた提督は秋津洲の所在について問うが、誰も見たものはいないらしい。火災発生時にはまだ飛行場で管制を行っていたはずだと言うが、消火活動に人手を割かれて誰も“上”の状況を確認していないのだ。

 さてどうするかと逡巡する間もなく雷たちが別ルートから走って来たものだから、提督はすぐに再艤装と攻撃の許可を下し、雷が長10センチ砲ちゃんたちを伴って予備機の格納庫へと駆けてゆく。少し遅れて酒匂がやって来て、何か言いたそうな顔で口をぱくぱくさせていたが、やがて敬礼ひとつして雷の後を追って行ってしまった。背中に「気を付けて」と声をかけると、振り向いて飛び跳ねて手を振って来たので恐らく大丈夫だろう。

 妖精たちに作業続行を告げた提督は、次いで間宮に飛龍の所在を確認するように指示し、自らはエレベータ横のステップを登って自力で飛行場へ出ることを試みる。稼働できるエレベータはまだ残っているが、昇降時に爆撃されればひとたまりもない。とは言え自力で上がるのも無茶なもので、爆撃の余波が衝撃となって壁を打ち、握力を奪ってくる。時雨や浜風に誘われてトレーニングを始めたのが、つい最近のことだ。こんな事ならもう少し前から体を鍛えておくべきだったなと、後悔ひとつ、脇に退ける。

 

 ようやくステップを上りきって目の当たりにする光景に、提督は顔を険しくして体の震えを抑えんとする。飛行場の滑走路は今や、墜落した敵と味方の機影の残骸が炎と黒煙と陽炎を立ち上らせていた。秋津洲の姿は見つけることが出来なかったが、彼女がいる場所は大よその見当が着いている。地上に全身を乗り出した提督は、一直線に航空機の地上格納庫へと駆けてゆく。屋根の一部が崩れて塞がれてしまった入口から秋津洲の名を呼び、退けられそうな瓦礫を力任せに排除して中へ進む。

 熱気と黒煙が肌を焼く中を進めば、秋津洲の姿はすぐに見付けることが出来た。地上格納庫の入口付近で、うつ伏せに倒れていたのだ。伏せるような体勢だったため煙を吸い込むことはなかった様子だが、崩れてきた瓦礫に足を挟まれて身動きが取れない状態だ。人ひとりでは到底退けることが出来ない重量の瓦礫の積載だ。駆け寄って、彼女の名を呼ぶも意識はない。脈があったことが不幸中の幸いだったかと立ち上がった提督は、梃子に出来そうな物を探して視線を巡らせる。

 足元からは咳き込む音が聞こえて来たのはその時だ。秋津洲が意識を取り戻したのだ。

 

「提督、今すぐここから逃げて……」

 

 咳き込み掠れる声で言う意図は理解している。地上格納庫は炎と煙に包まれ、そして天井がいつ崩れて来てもおかしくない。敵の爆撃機も迫っているのだ。そんな場所に指揮官である提督が長居してはならない。今ここで提督が意識を失ってしまえば、最悪死亡するようなことがあれば、水無月島鎮守府の機能はその時点で停止する。それ以前に下している指令は有効ではあるが、それを完遂してしまえば再び指示を待たねばならなくなる。身動きが取れなくなるのだ。

 それを承知で、提督はこの場に留まり続けた。手直にあった鉄の棒(恐らくは天井の一部だ)を引っ張り出したところ、火災で加熱されいたもので思わず放り出してしまう。軍手を持って来れば良かったなと、薄手の白手袋の上から再び鉄棒を掴んで瓦礫の下に差し込む姿に、秋津洲は眉根を寄せて「もう、馬鹿!」と掠れた叫びを上げる。

 

「提督がそういう人だってわかってるけど……、今回ばっかりはダメかも! ここで提督に何かあったら、皆の“これから”が無くなっちゃう!」

「そうだね、その通りだ。秋津洲が正しいよ。絶対皆、そう言うって、わかっているさ。でも、嫌だね」

 

 最後の「嫌だね」を吐き捨てるように発した提督は、梃子でも動かない瓦礫に顔をしかめ、鉄棒を肩で支え、全身を使って持ち上げようとする。

 

「皆には悪いけれど、きっと僕は良い提督にはなれないよ。正しい判断だけを行なうことは出来ない、正しい命令だけを下すことなんて出来ないよ。そういう提督には、僕はなれない」

 

 瓦礫を押し退けて秋津洲を引きずり出す。止まっていた血流が再開されて苦悶の表情を浮かべる秋津洲は、それすらも提督のせいだとばかりに涙ぐんだ顔で睨んで見せる。それでもいいさと目を細めた提督は、秋津洲を抱きかかえて立ち上がる。地上格納庫のエレベータはご覧の有り様なため使用は見送る。他のエレベータも同様だ。登ってきた時の様に手足を使ってステップを降りるしかないが、秋津洲を抱えたままでは困難だ。彼女だけを先に降ろすにしてもロープが必要になるし、下で誰かが待機していないと、現状では危険だ。

 崩れそうな地上格納庫から脱出しようとした提督は、航空機の音に慌てて陰に身を隠し、伏せる。直後、新たな爆弾が滑走路を直撃して、爆発の衝撃が格納庫を打った。断続的に続く爆撃に、陰から身を乗り出して外の様子を確認することも出来ず、衝撃と音に耐える時間が続く。建物が長くは持たないであろうことは明らかだ。秋津洲はずっと「提督の馬鹿」と繰り返していたが、度重なる衝撃のせいか、意識が朦朧として来ている。「ああ、その通りだ」と返す提督は、後でみんなにしっかり怒られようと歯を食いしばる。そして、秋津洲を抱え直して、活路を探して首を巡らせる。こんな状況下にも関わらず、ひどく落ち着いた心地だった。鎮守府再稼働から今まで、ずっとこんなことになってしまった時、自分はどうするのだろうかと、夜な夜な考え続けていたからかもしれない。そして、そんな事態に陥った時は、ずっとこうすると決めていたのだ。

 

 そんな時だ。ふと人の気配を感じ視線を上げると、軍装の男がひとり、傍らに立っていた。大男と言って過言ないその体躯は、腕を伸ばして真っ直ぐ一方向を指さしている。大きめの排水ピットに繋がる側溝を指し示すその意図を、提督はすぐに理解した。秋津洲を抱えたまま、身を低くして、急いでその場所まで走り出す。敬礼でこちらを見送ってくれる大男に、小さく礼を呟き、提督はグレーチングが外れた側溝へとスライディング気味に滑り込んだ。

 その直後だ。地上格納庫にダメ押しの一撃が加えられ、炎上し倒壊しかけていた建物に止めを刺した。

 

 

 ○

 

 

 じんわりと冷たさが体に染み込んでくる感触に、秋津洲の意識は一気に覚醒した。水底に沈む悪夢の感触にひどく似ていたため、条件反射的に覚醒を果たしたのだが、その直後体を襲ったのは急浮上の感触。そうしてようやく、自分が今まで水の中に居たことを理解する。正確には排水ピットの中だ。自らを抱きか開ける提督の服があちこち擦り切れたり汚れたりしているのは、側溝を経由して辿り着いたからだろうと察する。空を見上げれば地上格納庫の屋根が無くなって、気持ちの悪い曇天が覗いている。倒壊するぎりぎりのタイミングだったのだと悟り、火照った体に冷や汗が流れる。

 排水ピットの中から立ち上がった提督は荒い息を繰り返していたが、秋津洲が意識と取り戻したことに気付くと口元をゆるめていつもの顔になる。ぷいと顔を逸らした秋津洲は、そのまま提督と目を合わせられなくなってしまっていた。排水ピットに潜り格納庫が倒壊して、それからこうして空気のある場所に出て来るまで、自分たちは水中にいたことになる。それまで、呼吸はどうしていたというのだ。意識が朦朧としてはいたが、呼吸が苦しくなかったことは体感として残っている。想像力豊かに考えを巡らせてひとりで熱を上げている秋津洲は、提督が身を屈めて再び水中に没した感触に何事かと肩を竦めた。

 敵機がまだまだ、島の上空を旋回しているのだ。爆弾を投下した敵機の形状は、この位置からでも良く見える。海洋生物のマンタを無理やり飛行機にしたかのような歪なもので、機体前方に二門の疑似機銃スロットが有り、後部には回転式の機銃台座が設けられている。あの疑似機銃でかなりの迎撃機がやられたのだと、秋津洲は声を潜めて提督に囁く。爆撃後も上空に残って制空維持するあの敵機に対して、こちらの迎撃が追い付かなかったのだ。

 

 あの敵機が空に居座り続けている限り、この場所から移動するのは危険だ。格納庫の倒壊に巻き込まれる心配はもうなくなったが、今度は機銃掃射の雨に晒される危険が出てきた。今でこそ瓦礫が折り重なって提督と秋津洲の姿を隠してはいるが、これだけ丹念に旋回を続ける敵機だ。見つかるのは時間の問題かもしれない。

 提督と共に退避可能な場所をと探せば、目に付くのは一番近くのエレベータ。提督が自力で登ってきた箇所だ。迎撃機の昇降がある以上、敵機もこの箇所に目を光らせているだろう。例え急いでエレベータまで駆け寄ることが出来たとしても、地下までの数メートルの距離を秋津洲を抱えたまま飛び下りるのはリスクが大きい。足を負傷したことで自分がお荷物になっているなと息を詰めた秋津洲は、提督の顔が曇る様に眉根を寄せる。おそらく、提督自身が囮となってその間に秋津洲を退避させるなどと姑息なことを考えているのだろうなと的確に察した秋津洲は、彼の胸元を拳で小突く。

 

 そうして万策尽きようかと言う時、変化は地下の方からもたらされた。脱出経路として目を付けていたあのエレベータ、その天井部分が突如内側から爆発して吹き飛んだのだ。何事かと目を見張る提督に、腕の中の秋津洲は「長10センチ砲ちゃんの砲撃だよ」と囁く。黒煙と破片が宙を舞う中、間髪入れずに地下から出現したものがある。それは青白い輪郭を持つ半透明の非物質。弓を用いる空母系の艦娘が緊急時に展開する飛行甲板、仮想フライヤーだ。

 たった今地下で展開されているであろう光景を脳内に思い浮かべた秋津洲は、提督もきっと同様のことを考えていたのだろうと察する。提督は大きく息を吸い込み、力の限りの大音量で声を上げたのだ。

 

「空母・飛龍の全艤装、地上展開を許可! 行動を開始せよ!」

 

 直後、仮想フライヤー上を滑りなぞるようにして放たれた矢がエレベーターの孔から射出され、宙で爆ぜた。矢から複数に分かたれ白煙に包まれたそれらは、降下を開始した直後の敵機をすれ違いざまに機銃で叩き落とし、島の上空で旋回していた敵機のさらに上を取る。鈍い陽光を浴びたそれらは、軽やかに宙返りして急降下、旋回中の敵機へと殺到する。白煙を晴らし現れたその姿は、零式艦上戦闘機。

 煌めく翼に見蕩れる秋津洲は、提督が自分を抱え直してエレベータまで走り出す姿に、軍服の胸元にしがみ付く。飛龍の仮想フライヤーはすでに消失して、第二次攻撃隊が発艦する気配はない。エレベータのすぐ近くで腰を落とした提督が下階へ向けて呼びかければ、雷や酒匂の元気な声と、気の抜けた飛龍の声がそれぞれ返る。飛龍の声量から、たった一矢放っただけでも相当に消耗していることがわかる。かなりの無茶をやらかしたのだ。

 

「司令官! 艦戦が時間を稼いでいる間に、奥の八番エレベータに!」

 

 雷の呼びかけ通りに、提督は秋津洲を抱えて奥のエレベータまで走る。すでに昇降機能は復旧し、上昇してきたエレベータからはぐったりした顔の飛龍が現れる。息を飲む提督たちの姿を見付けると、怠そうな顔を不敵に歪めて「初陣、初陣」と笑んで見せる。ふら付く体を提督に支えられ眉がハの字に下がったが、秋津洲が肩を叩くと、こちらの頭に手を置いて、そして歩き出した。

 

「見てろよ多聞丸……!」

 

 

 ○

 

 

 両手で頬を張って大声上げて、提督たちを背後に庇うように立った飛龍は、ゆっくりと射形に入る。とはいえ、体に力が入らない。先程の仮想フライヤーでの発艦でほぼほぼ体力を使い果たしてしまった気すらするのだ。話しに聞いていた通り、体の中の、何か致命的なリソースがごっそりと失われたかのような感触を飛龍は得ていた。もう一度同じような発艦手段を取れば、気を失って二度と目覚めない気さえしてくる。しかし、あと一射。地下の皆が迎撃準備を整えるまででいい。あと一射分の艦戦が必須となるのだ。

 上空で奮戦している零も長くは持たない。早く次の手をとはやる飛龍は、目がかすみ体に力が入らない自分に恐怖を覚えた。体の不調が悪化することへの恐怖ではない。自分が全く使い物にならずに終わってしまうかもしれないという恐怖だ。訓練の時間から「置いて行かれる」ことを漠然と恐れていたが、いよいよそれが現実となる時間がやって来たかのような心境だ。考えが悪い方に傾いて行こうとしているのを自覚するも、それを振り払ったり脇に置いたりはまだまだ出来ない。だからこそ、地下から提督が声を張り上げて命令を下す姿をありがたいと思う。そうして命じられることによって、ようやく切り替えが可能になる。自分の内側で決着を付けている時間がないからこそ、外から引っ叩かれる方が、今はいいのだ。

 

 仮想フライヤーは展開した。長大な飛行甲板の亡霊は姿がぶれ、少しばかり霞んでいても、この一射だけはその役割を果たすだろう。問題は追い風だ。先の地下からの一射はその追い風も無理やりに“あるもの”として扱ったが、それ故に多大な負荷が体に掛かっている。もう一度はそれをこなせそうにない。こればかりはどうにもならないかと焦りを噛みしめる飛龍は、撃墜された敵機が苦し紛れに爆弾を投下する様を視界の端に捕らえる。それを利用することに躊躇う時間は必要なかった。

 時間とタイミングは充分に間に合うと頭の中で演算を行い、立ち位置を改め新たに射形を整えてゆく。そして、投下された爆弾が飛行場の滑走路を直撃し、炸裂し、瞬時に爆風が体を叩くその瞬間、飛龍は矢を放った。放たれた矢は破片を上手く躱して艦載機として“成立”し、上空の迎撃へと加わる。内心で拳を握らんばかりの飛龍だったが、気が付くと残心も取れずに膝をついている自らに、呆れた笑みが浮かんでいた。爆風の圧と、体に直撃した破片が、遅れて痛みとしてやってくる。酷いのは破片よりも衝撃だ。体内と外で圧が変化したのか、音が聞こえず、吐き気まで込み上げてくる。泣きそうになるのを体を追って叫んでやり過ごすが、そうすると今度は気を失いそうになる。体力と気力を消耗する速度が速すぎるのだ。上空の戦闘の音が遠退く。

 

 耳と意識がはっきりしたのは、対空砲火の音を聞いたからだ。慌てて顔を上げた飛龍は、自分がどれだけの時間意識を失っていたのかと焦るが、周囲を見渡してすぐに安堵に変わる。零が上空の敵機を抑えている間に地上に上がってきた雷と酒匂と、そして長10センチ砲ちゃんたちが地上運用モードで敵機の迎撃を開始していたのだ。

 

「敵機そのものを狙わずに! 自分の担当エリアのみを砲撃して、宙に弾幕の面をつくるんだ!」

 

 いつの間にか提督も地上に戻って来ていて、飛龍の傍で皆に指示を送っている。肩に提督の上着が掛かっていることに今さらに気付き、「やったよ多聞丸……!」と密かに拳を握った。

 

「飛龍? お目覚めかい? 立って歩けるかな」

「立てはするけど、歩くのは無理かなあ……。言っとくけど、下がらないからね? 無理やり抱っこなんてしたら、ごねるから」

「それじゃあ抱っこは次の機会だ」

「……あれ、なんか旗立っちゃった?」

 

 砲撃中の酒匂が首だけ巡らせて「ずるいー!」とごねるが、これは提督、ごねた娘みんなに対応する流れだろうかと飛龍は渋い顔になる。ともかくここから引く気はないのだ。手繰った矢筒がからであることを手指の感触で確かめ、エレベータの孔に向かって「間宮さんおかわり!」と一声叫ぶ。「はい、ただいま!」の返事、一拍遅れて新たな矢筒が射出されてきたのだが、間宮はいったいどうやったのだろうか。

 

「艦戦の援護は嬉しいけれど、どうもそれだけじゃ足りなくなりそうよ?」

 

 雷が震える声で告げる。その視線の先を見た飛龍は、立ち上がりかけた足腰から力が抜けて行く感触に絶望を覚えた。島の南南東方面より、新たな敵機の機影を目視にて確認したのだ。機影が遠方にあるにも関わらず、しかしそれを目視で確認できたのには理由がある。それらが空を覆わんばかりの数だったからだ。敵航空機の第二次攻撃隊。こちらの弾数や補給のタイミングを鑑みるに、現状の戦力での迎撃は不可能な数だ。

 提督は即座に退避の指示を下した。雷を殿として、飛龍と酒匂は再び地下へ。悔しさに歯を噛んで行動を開始しようとした艦娘たちは、しかし目に飛び込んできた光景に動きを止める。

 

「……ねえ、敵機。落ちてる?」

 

 酒匂の言葉通りのことが起こっているぞと、飛龍は遠目にその光景を見つめていた。水無月島に向けて一直線に飛来する黒い敵機群が、次々と火を吹いて海面へと吸い込まれてゆくのだ。こちらの迎撃機はすべて撃ち落とされているし、飛龍の艦戦も残っているものは上空への対応で手いっぱいなはずだ。

 いったい何が起こっているのだと呟く提督の疑問には、驚きに声を上げた雷が答える。

 

「敵機、二種類いるわ! 島を攻撃してきたのと同じ黒いのと、白くて丸いやつ!」

 

 提督も双眼鏡でようやくその姿を確認し、ホッと安堵のため息を吐く。目を丸くした飛龍や酒匂が無言でどういうことだと詰め寄ると、「間に合ったんだ」とよくわからない返答だ。

 

「熱田島鎮守府所属の鹵獲機隊。援軍が来てくれたんだよ……!」

 

 提督の声が熱を帯びていることに驚く飛龍は、再び敵機群へと視線を戻す。白い球体上に近い機体には、確かに熱田島鎮守府のエンブレムが確認できる。本当に援軍がやって来たのだ。

 

「……ちぇ、これから大活躍するところだったのに」

 

 強がりの言葉が出たのは何故かはわからなかったが、これでようやく意識を手放してもいいのだなと考えた瞬間、飛龍の視界は真っ黒に染まり、前のめりに倒れて行った。

 

 

 ○

 

 

 あ、酔う。これは酔う。絶対。巻雲は己の体調をそう直感した。何しろ操舵が荒々しい。“隼”五号艇を駆る電のキレと、敵機が至近距離に落とした爆弾(これは電が直撃を回避している、ということでもあるのだろう)が炸裂して生ずる波が、“隼”の船体を叩き揺らすのだ。電の操舵がなければ収容した皆がお陀仏なのだが、それしてもこれは酔う。負傷者への処置をあらかた済ませて袖口で口元を抑えていると、同じように口元を抑えて座り込んでいる浜風と目があった。仲間、仲間ー、とハイタッチを求めるも、手が触れ合う前に大揺れで2隻とも床に転がった。乗ったことはないが、ジェットコースターと言うものはおそらくこんな感じなのだ。そう確信を得る。

 

「みんな、あともう少しの辛抱なのです! 見えてきました!」

 

 電の声に、手すきの者たちが“隼”の窓に駆け寄り、あるいは船室から跳び出て、“見えてきた”ものの正体を目の当たりにする。波しぶきをくぐった先、蝿の様に敵機が群がる中を進む巨影があった。全長200メートルを超える船体は三門の砲塔と後部飛行甲板を搭載した姿。前回の衛星通信時にはデータが存在しなかったはずの、航空戦艦の超過艤装・伊勢型のそれが、波をかき分け敵機を振り切ろうとしている。

 

「向こうさんも攻撃を受けているみたいだけれど? こちらも迎撃に出る?」

 

 問うたのは時雨で、彼女の背後では漣と卯月がいつでも出撃可能だとばかりに拳を振り上げている。

 

「その必要はない。貴様らは現状“隼”内で待機、こちらと合流次第、速やかに負傷者を移譲させろ」

 

 はやる艦娘たちを諌めるように告げる男の低い声は、電の背部艤装に乗った妖精から発せられた。提督の衣装に身を包んだ口髭の妖精、その正体は熱田島鎮守府の提督、木村少将のものだ。提督が“艦隊司令部施設”から放り出された直後、タイミングよく暁たちの下に現れたのが彼だ。先んじて提督から合流地点への座標は指定されてはいたが、負傷者への対応準備などの確認を行うために、彼自らが妖精化して確認しに舞い降りたのだ。

 

「この妖精さんはお髭が生えているぴょん」

「うちの提督もこれくらいダンディならねえ……」

「無精ひげじゃなくてちゃんと手入されているってのがポイントよね」

 

 卯月や時雨、漣たちの呟きからやんややんやと初めてしまう艦娘たちに、木村提督はため息を吐くようなジェスチャーで肩を落として見せる。

 

「……髭は秘書官の趣味だ。昔から髭はやせとうるさくてな」

 

 まさかの身の上話に、叱られるのではとすくみ上っていた面々から肩の力が抜ける。声の質やしゃべり方から厳格そうな人物だと判断していた浜風などは、卯月や時雨が物怖じせず木村提督を突っついている様に眩暈がしたが、あわあわと手を振るだけでどうしたものか。ひとまずべっこう飴勧めておく。

 

「それより木村提督。超過艤装が敵機に襲われていますけれど、本当にこちらから支援は……」

「くどいぞ、空母・千歳。満身創痍の貴様らにこれ以上の働きはさせられん」

 

 それにと、木村提督は電の肩の上で身を回し、自らの城を仰ぎ見るようにする。

 

「熱田島から連れてきた、精鋭ばかりが19隻。侮ってくれるな、水無月島」

 

 

 ○

 

 

 超過艤装・伊勢の後部甲板が稼働する。その広大さから飛行場の概念を適用して攻撃機の発艦を担っていた場所だが、水無月島への支援のために鹵獲機隊が発艦したため、敵航空機には残存機のみでの対応となる。その残存機も、この海域に至るまでに消耗し、今艦上で戦闘を繰り広げているのは悪運強く生き延びたものたちだ。エレベータで新たに上昇してくる影は無く、しかし、その後部甲板のカタパルトは稼働した。本来であれば水上戦闘機の発艦に用いられるはずのカタパルトだが、超過艤装においては別の存在を射出する用途に割り当てられている。艦娘をカタパルトで射出するのだ。

 

「出撃は重巡以下! 阿武隈と霧島はお留守番よ! 対潜対空、充分に注意なさい!」

 

 艦橋の拡声器からは木村提督の秘書官である駆逐艦・霞の甲高い声が発せられ、後部甲板で出番を待っていた艦娘たちが「ようそろ」を返す。先陣を切るのは駆逐艦だ。磯風を先頭として、若葉、曙、潮、秋雲、風雲と続く。射出され、宙で大きな弧を描き、ボードの緩衝機能を用いて着水。即座に仮想スクリューが発生・回転し、ボードの先端を上げてウィリー気味に行く。

 最後の抜錨となった風雲は射出され宙で弧を描いている最中に運悪く敵機と接触、咄嗟にボードを両脚に分割、右脚部で敵機の翼を掠めバランスを奪って、自らは安定した着水を果たした。翼から煙を噴いて墜落して行く敵を横目に「良し」と拳を握ると、艦橋の拡声器から霞のお叱りが届く。

 

「こら! 風雲は敵機キックしない!」

「そこに居たのー!」

 

 言い訳ひとつ置いて腰部の爆雷群を展開してゆく。次いでソナーの反応に息を呑むのは、かなり浅瀬に入り込んでしまったからだろうか。操舵に集中している伊勢と日向もわかっているはずだとは思うが、下手をすれば座礁しかねない。

 敵潜水艦の脅威が無いことを艤装妖精が艦橋に報告すれば、いよいよ重巡級以降の出撃となる。先手は熱田と水無月、両鎮守府の腕章を腕に巻く重巡・那智と足柄だ。元は水無月島鎮守府所属であったのがこの2隻だ。島を去って以来各地を転戦していたものが、今回の航空戦艦による救援で、いよいよ古巣へ帰還を果たしと言うわけだ。

 気合の声と共に出撃する2隻の後には鳥海と筑摩が続き、対艦戦闘の用意となる。とはいえ、目視できる範囲では敵航空機以外の脅威はない。海中に潜む敵も無しだなと装備を対空優先に切り替えてゆきながら、しかし遠目に高速で迫る艦影を見とめる。

 

「何あれ……」

 

 水無月島所属の“隼”だ。あちらもあちらで敵航空機の攻撃に晒されているが、銃撃や爆撃を完璧に予測したかのような正確さと鮮やかさで回避している。終いにはドリフト気味に風雲のすぐ脇を掠めて伊勢の横っ腹に停止を果たした。即座に負傷者を超過艤装に収容する流れに移っているため、風雲は慌てて対空支援を開始。横目にちらりと姉妹艦の姿を見付け高揚するが、うち2隻が重症で心臓を鷲掴みにされたような心地になる。同様に姉妹艦が負傷している若葉もそうだろうか横目に彼女を確認するが、何分表情がわかり辛いのでどうしたものか。

 

「ちょっとお! 敵機多いよ! こっちは艦載機出せないの!?」

 

 防空対応中の秋雲が悲鳴のような声を上げる。確かに、迎撃機の数が足りないとは風雲も感じている。北方棲姫から借り受けた丸いのは先行して水無月島鎮守府の救援に向かってしまっているし、こちらの陸攻も消耗が激しい。空母の葛城はつい先日の負傷がまだ癒えず、入渠ドックで眠りっぱなしだ。無論、出撃の許可は下りていない。現状では新たに出せる航空機が無いのだ。

 自分たちで防空対応に専念するしかないなと口の端を歪める風雲はしかし、後部甲板に現れた人物を見て目を見開く。

 

「鳳翔!? やる気!?」

 

 自分たちより頭ひとつ背が高いくらいの彼女が、風に身を打たれながら後部甲板の縁に立っている。艤装の操作性が落ちて出撃は控えるようにと宣告されていたはずの彼女が何故と、疑問する視線の先、鳳翔の手には島田機関製のクロスボウ型発艦装置があった。装甲空母・大鳳の主兵装として知られるそれは、経験も浅いままに実戦投入される空母にとっては、その場しのぎながらも信頼がおける艤装だ。しかし、開戦当初から現存する彼女がそんなものに頼らざるを得ないほど消耗しているのかと思うと、風雲の表情は強張ってしまう。

 それでも何かしたいはずだと、風雲は彼女の所作を見守る。鳳翔の袖には、先の那智や足柄同様、腕章がふたつある。彼女もまた、水無月島の所属だった艦娘なのだ。負傷者の移送中の艦娘たちが鳳翔の名を呼ぶ声が幾つか聞こえる。当時の彼女を知る者がいるのだ。その声を聴いてしまっては、最早彼女は手を抜けない。

 

 鳳翔はクロスボウのグリップを右手から左手に持ち替えて握り、水平ではなく垂直に構える。左右の弓がそれぞれ三倍の長さに伸長し、張り直された弓弦を指でなぞって確かめた鳳翔は、マガジン後部に右手を添えて、左手のグリップを可変させて、横ではなく縦に握るようにする。経験が浅い空母でも使用可能と言うことは、その使い手が練度を上げた姿にも対応しているということだ。使い手の成長を見越して設計された発艦装置の、これが第二形態。より弓道の射形に近付いた形は、鳳翔がまだ完全に力を失ってはいないという証明でもある。

 マガジンから延びる青白い仮想の矢、その羽を摘まみ、大弓でするように引き絞る。大弓とは異なる得物で、しかし射形は成立して、艦載機の発艦は果たされた。そうして残心までを正確に成した鳳翔ではあったが、そこで力尽きて姿が見えなくなる。おそらく倒れたのだろうという悪い予測と、留守番の霧島たちがフォローしたであろうという良い予測がある。

 

 ともあれ、これで防空の手数は格段に増えた。超過艤装を守るのに手いっぱいで、自分たちを狙う爆撃や雷撃にまで手を割けないのが現状だった。後は敵の増援さえなければこの場を凌ぎ切れるなと勝ち筋を確信した風雲は、超過艤装の巨体がかすかな異音を発しているのを耳に捕らえる。最初は自分の背部艤装の音かとも思ったが、徐々に遠雷のような音圧に達してゆく不快な音に、これはまずいと背後へ振り返る。

 

「スクリューがいかれてるの……? 伊勢!?」

 

 第一砲塔上で超過艤装の操舵を担っていた伊勢が、頭を抱えて天を仰ぐ姿が目に飛び込んでくる。どうやら本当にスクリューをやってしまったらしい。この支配海域の海水、その異常な水質が引き起こしたトラブルだ。たった今も足を付けている海水は、敵が自らの装甲を修復したり、疑似燃料を精製するために必須となる成分を含んでいる。それが姫級や鬼級ともなれば、新たな生態艤装を瞬時に構築するための材料にもするだろう。通常の船舶が長時間航行するだけでスクリューのシャフトや羽を損じ、舵の機能を損なう。それ故に艦娘の艤装では仮想スクリューでの航行が基礎となっているが、超過艤装にはその機能が搭載されていない。これまでは速度を調整してスクリューを気遣う航行を心掛けてきたが、敵機を回避するために速度を上げたのが凶と出た。

 そして、どうやら舵も一緒に逝ったらしい。徐々に右舷側へ逸れてゆくのを何とか制御しようとする伊勢の大仰な手振りを見送った風雲は、それほど間を置かずに超過艤装全体が大きく振動して減速、停止する姿に、ため息とともに額を打った。幸いだったことは、その頃にはもう敵航空機はあらかた片付いていて、増援も周囲には確認出来ずと報告を受けたことだろうか。

 

 警戒は解かず、防空姿勢のまま次の指示を待つ風雲は、遅れて合流を果たした水無月島の2隻を遠目に見る。駆逐艦・暁と軽巡・阿武隈だ。阿武隈はこの伊勢型にも乗船しているが、こちらの阿武隈とは随分と雰囲気が違うものだ。目を細め、あちらの方が頼りになりそうだなと余計なことを考えた矢先、風雲はその異常を目の当たりにした。阿武隈に肩を貸されて並走していた暁が、高速を保ったまま自ら離れ、全艤装をパージして海面を水切りするかのように前転、緊急浮上用のフロートを発生させてそれに背中を預けたのだ。

 いったい何事かと、驚き呆けた風雲の表情は、次の瞬間には引き攣った。暁がパージした艤装の個々が、まるで生き物のように蠢き、膨張したかのような動きを見せたかと思えば、自壊して鋼に戻り、海中へ没して行ったのだ。目の前でわずかな時間だけ展開された、この光景はなんだ。全身にびっしりと発汗した感触に今さら気付く風雲は、暁が横たわるフロートを曳航した阿武隈がこちらに接近して、敬礼と共に自己紹介と負傷者収容の許可を求める姿に、夢うつつのような心地で対応する。再度敬礼して阿武隈が離れてゆくということは、自分はちゃんと対応したのだろうなと、風雲は自信なさげに身を竦ませて、先の光景を頭の中で再生する。

 パージした艤装が生き物のように蠢くなど、いったいどういう機能によるものだ。事前に深海棲艦化しかけている艦娘がいるとは聞いていたが、あれがその姿だというのだろうか。すれ違ったフロート上の暁は、肉体の成長の件はさて置き、ひどく消耗した様子だった。あんな物を身に纏っていれば当然かとも思うが、あれのパージがもう数秒遅れていたらと考えると、寒気が止まらない。

 

「すごいところに来ちゃったなあ……」

 

 ここ数日ですっかり見飽きてしまった曇天を仰ぎ、風雲は誰にともなく呟いた。自分たちは彼女たちの救援に来たのだ。再起した水無月島から艦娘たちを収容して、この支配海域を脱するために。

 しかし、目の前で座礁してしまったこの巨影を思うと、この曇天とはもう少しだけ長い付き合いになると確信せざるを得ない。工作艦・明石や妖精たちの手を総動員しても、月の単位で時間はかかるだろう。それまで敵の攻撃が無いことをと祈りつつ、こちらを睨んでいる磯風に叱られないようにと警戒を新たにした。

 

 

 


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