孤島の六駆   作:安楽

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第2.5章:空白の9ヵ月の話
1話:第二艦隊①


「キミを看取るのは、これで何度目になるだろうね?」

 

 そう、時雨が発した問いかけは、あくまで自分の中での呟きだ。返答を求めてのものでは、決してない。

 何故なら問いかけた先、大切な存在であるはずの彼女は、既に人の言葉を発することが出来ない姿になってしまっていたから。

 かつて軍艦として大海原を駆け、幾年を経て人の姿を得て再び戦う定めとなって、かつての姉妹たちと再開出来たことは、確かな幸福として胸に刻まれている。

 だからこそ、その喪失感は想像を絶していた。

 人として体と心とを得て、初めて、かつて共に戦った乗組員たちの想いを共有出来た。

 しかし思うのだ。こんなにも苦しいのならば、物言わぬ心無き鋼のままであれば良かったのにと。

 

「有明も夕暮も先にいってしまったよ。またボクだけが、取り残された……」

 

 決壊した涙腺から滂沱と涙を流しながらも、その声に震えや淀みはない。

 顔面の各機能が連動していないのだ。各々の部位がバラバラに機能を始めている。

 目は涙を。口は滑らかに悲痛な言葉を。しかし顔全体を見れば、恐らくは笑っているのだろう。

 顔の機能が壊れてしまったが、それももう些事だ。笑顔を向けるべき相手は、皆再び黄泉に還った。

 

「ねえ、白露。キミは、人の姿と思いを得て、幸せだったかい?」

 

 返るはずのない答えを、このまま永遠に待ち続けていたい。

 このままここで自らも果ててしまいたいと、時雨の心にじんわりと死が染み出してくるが、彼女の中の怒りを司る器官はそれを許さず、振り払う。

 ありったけの敵意で見据える先、白い影がある。

 艤装の見張り員の目を通じて確かめるのは、仇である敵の形だ。

 深海棲艦。完全人型に変異した個体である彼女は今、海上にぺたんと座り込んでケタケタと笑い声を上げている。

 艦種は潜水棲姫。個別コードは“ナックラビー”。

 通常海域と敵支配海域を行き来し、輸送船団の強襲を主にしている個体。時雨たちの護衛する輸送船団を強襲した張本人だ。

 輸送船団は全滅、護衛の艦娘たちも時雨を残して沈んでしまった。

 寒々しい星空の下、炎上する輸送船が互いの姿をはっきりと映しだす。

 互いが互いを認識しているにも関わらず、敵意も戦意も、時雨の方にしかない。

 あの敵はこちらに対して敵意すら抱いてはいない。

 湧き上がる衝動のままの行いがうまく行って、嬉しくて可笑しいのだ。

 まるで人類のような姿を取りながら、その精神性はあまりにも人類とかけ離れている。

 これならば宇宙人と交信した方がまだ話が合うはずだと、時雨は心中で冗談を呟き、自らの怒りの温度を冷たく保つ。

 

 耳障りな音を残して消えてゆく“ナックラビー”の姿を、時雨は決して目を離すことなく追い続ける。

 必ず追い付いて、この手で滅ぼしてやる。己の大切なものすべてを奪い去ったあの悪魔に、必ず砲と雷撃を叩き込んでやる。

 艤装の損壊具合が酷く、推力を失っていなければ、今すぐにでもあの憎き仇に喰らい付いてやったというのに。

 しかし、だからこそ、このままで良かった。

 腕の中で永久に眠る少女に別れを告げる時間が必要だったから、今だけは見逃してやる。

 ただし、次は無い。

 

 奇跡的に無事だった通信器から提督の声が聞こえてくる。

 状況の報告と帰投を促すものだ。すでに救援部隊が出撃したとも聞こえてくる。

 冗談じゃない。このままおめおめと逃げ帰れと言うのか。

 

「そんなこと、御免だね……」

 

 時雨は報告と帰投の命令に逆らうことにする。

 本来、提督からの命令は絶対であり、拒否しようとしてもセフティが動作して、肉体と艤装を艦娘の意志に反して行動させることも可能なはずだった。

 しかし、時雨は“逆らう”ことに成功する。戦闘のダメージで艤装の機能に重大な損傷があったためか、それとも原因は別にあるのか。

 そんなことはどうでもいいとばかりに動き出そうとする時雨は、揺らぐ海面に映る自分の顔が、その目が真っ赤に染まっていることを見とめる。

 艤装が損傷したことで肉体の維持にも支障が出たのかと、自らの脆弱さに失望を覚える。

 こんな真っ赤な目、まるで彼女たちのようではないか。そう憤る気持ちと、ならばどこまでも落ちてやろうという潔さが綯交ぜになって、腕の中の愛おしい亡骸を手放すことへの未練を振り払う。

 

 胸元で手を組ませて、その手に握らせるのは小さな懐中時計。

 そして「メリークリスマス」と小さい呟きを。

 海中時計はクリスマスプレゼントとして彼女に渡すはずだったものだ。

 腕時計の類は手腕と共に損失する可能性が高いとして、こういった首から下げる品を送るのが艦娘の間では主流だ。

 そういった流行に疎い彼女が何を用意していたのかは、もう永遠に知ることは出来ない。

 

「それじゃあ、ボクはもう行くよ。もしも、もう一度生まれ変わることがあったなら……」

 

 その言葉の先を、時雨は口にすることはなかった。

 顔を突き合わせればああだこうだと言い争いしてばかりだった彼女が静かに沈んで行くのを見送って。

 手の甲に“27”と刻まれたタトゥーにキスして。

 無残にほつれてしまった三つ編みを解いて。

 炎上する輸送船を背に、海上を力強く踏みしめるかのように、歩き出した。

 艦娘としての役目も矜持もすべてをここに置いて、ただ敵を追って進む。

 

 

 


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