孤島の六駆   作:安楽

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7話:第二艦隊⑦

 明け方。耳に届く航空機の音で、時雨は目を覚ました。

 立ち上がることはせず、四肢を砂浜に着いて体勢を整え、周囲の音を探る。

 風景偽装バルーンの中に差し込むのは大して明るくもない、この敵支配海域の日差しだ。

 と言うことは、時雨の隣りから姿を消した彼女はまだ討たれていないと言うことになる。

 

 駆逐棲姫は姿を消していた。

 時雨を手に掛けることも無く。

 

 時雨はなりふり構わずにバルーンから脱して海上を疾走する。

 艤装の迷彩機能を使って髪まで灰色と化し、姿勢を低くして速度を上げる。

 核への刷り込みは成功し艤装の機能を取り戻してはいるが、本来の性能には程遠く、高速巡航形態への移行もままならない。

 それなりの速度は出せるようになったが、それでも望む領域には届かないのだ。

 昨晩寝落ちるまで姿を消していた艤装妖精たちが戻っていなければ、彼女を探すどころか、やみくもに走り回って力尽きていただろう。

 

 駆逐棲姫こと白露を見付けた場所は、身を隠していた環礁地帯からそう離れてはいなかった。

 ただ厄介なことに、付近を周回していた敵艦隊と合流してしまい、さらには水無月島の面々まで向かっているところだ。

 乱戦になるか、ならば自分はどうするべきかと歯噛みする時雨は、様子がおかしいことに気付く。

 目視できる距離まで接近して目の当たりにした光景は、味方であるはずの敵艦隊から攻撃を受ける駆逐棲姫の姿だった。

 

「……なんで」

 

 深海棲艦の上位種となった彼女に対して、どうして下位である艦種が牙を剥く。

 その疑問に答えてくれたのは、復活した艤装妖精だった。

 

「識別コードが、艦娘のまま……!?」

 

 つまり、敵艦隊にはあの駆逐棲姫が艦娘に見えているのだ。

 それでも、下位の艦種に命令を下せるはずの駆逐棲姫がどうしてそれをしない。まさか出来ないのか。

 

 時雨は歯を剥いて、最大船速で敵艦隊に吶喊する。

 その姿を見た駆逐棲姫は、今までの無抵抗が嘘のように、ようやく反撃らしい反撃を開始する。

 期せずして、時雨と駆逐棲姫対敵艦隊と言う構図が出来上がる。

 そこに先行してやって来た暁が合流。形成は一気に逆転、と言うよりは、暁が即座に敵艦隊を沈めて勝負を決してしまった。

 

 荒い息を整えつつも、時雨は希望が見え始めていると感じていた。

 一部始終を暁は目視しているし、安堵した表情で「なんとかなりそうね?」などと信号を送ってくる。

 これは時雨と駆逐棲姫だけではなく、暁にとっても希望が見え始めたことになる。

 敵の姿となりながらも、こうして艦娘としての記憶と識別コードを持ったまま復帰した一例が出来たのだ。

 解析すれば、時雨や暁の深海棲艦化をどうにか出来るかもしれない。

 駆逐棲姫を鹵獲し保護する、大義名分を手に入れたのだ。

 

 仲間を手に掛けて置いて虫が良すぎるというのは承知の上だ。

 それでも、彼女をこのまま沈めずに済むのならば、時雨は自分の命を含めたすべてをかけるつもりでいた。

 

 しかし、その決意も希望もすぐに、駆逐棲姫の砲撃を持って打ち砕かれることになる。

 時雨は己の腹に穴が開く感触を、撃たれてからしばらくしてその身に得た。

 駆逐棲姫が撃ったのだ。時雨を。昨晩までは攻撃する素振りなど微塵もなかったというのに。

 

 力なく海面に膝を付いて転倒する時雨は、血相を変えた暁の即座の駆動と、それに遅れを取らない俊敏さを発揮する駆逐棲姫の姿を見る。

 速度は同等。火力も然り。暁の方が戦い慣れている部分があり手数も豊富だが、駆逐棲姫は破損箇所を高速修復して対応している。

 逆に、暁の方には制限時間があり、それが仇となる。

 

 何よりも、暁の身の捌き方が鈍いように、時雨には見えた。

 手数を重ねる駆逐棲姫に押され始め、弾薬が早くも底を突く。

 天龍刀や軍刀まで引っ張り出しての防戦一方は、今の彼女の性能からは考えられないほどに受け身だ。

 不調を抱えているというよりは、躊躇っているかのような素振り。

 

 その光景を目の当たりにして、時雨は再度、大きな後悔を身に刻む。

 仇討を協力させるどころか、こんな役割まで仲間に課したのか。

 

 妖精たちが腹部の応急処置を始める中、それを無視するように時雨は立ち上がった。

 決して立ち上がって戦線に復帰できるような負傷ではなかったが、それでも一歩一歩と歩き出し、走り出した。

 戦況は、響が合流したものの、大きな変化はない。

 響の方は駆逐棲姫を沈めるつもりで立ち回っているようだが、それで性能差を埋められるものではない。

 そうしている内に第一艦隊の面々も合流して、ようやく決着かと思われたが、そうはならなかった。

 攻撃の機会など幾度もあったはずが、阿武隈たちはそれを放棄して距離を取ってしまったのだ。

 

 自らの速度を上げながら訝しげに様子を伺う時雨は、第一艦隊の面々が艤装に不備を覚えたように見えた。

 しかし、すぐに違うと首を振る。

 艤装のセフティが働いて、攻撃に転ずることが出来ないのだ。

 駆逐棲姫は艦娘としての識別コードを発したままであり、これでは艦娘側が彼女を攻撃することは出来ない。

 セフティを解除するには提督の許可が必須となり、無線封鎖状態の今、それを行う機会は巡って来ないかもしれない。

 現状で彼女を攻撃することが出来る艦娘は、暁と響、そして時雨だけだ。

 

 そう考え至った瞬間、時雨は考えるよりも先に動き出していた。

 口の中に溜まった血を吐き捨て、徐々に速度を上げながら戦いの渦中へと殺到する。

 体に力が入らず、こうして海上を走るのがやっと。

 主砲を発射する衝撃を体で抑え込むことは不可能だ。

 だから、掃海具を使う。ワイヤーで断ち切る。

 前回は速度が足りなかったが、今度はやれるはずだ。

 

 暁の制限時間が来て、彼女の全艤装が自動でパージされる。

 すぐにフロートが働いて沈没を防ぎ、響がそれを背中に庇うようにして後退を開始。

 追撃のために速度を上げんとした駆逐棲姫はしかし、彼方からの砲撃によってその機先を制される。

 離脱したはずの第一艦隊だ。

 旗艦である阿武隈の肩にはあの黒い妖精の輪郭がノイズ交じりの姿を浮かべていて、提督の許可が下りたことを確信する。

 

 走り出してしまえば到底追い付けないはずの駆逐棲姫がこうして足止めされたことは、まさに奇跡としか思えず、時雨は追い付き接触した彼女の首元に、切断の力を巻き付けた。

 互いの進行方向は真逆。ワイヤーの強度と速度で、今度こそ切断は成るだろう。

 力の限りの悲鳴を喉元ですり潰した嗚咽は、長い金切り声となってくぐもり、不備がないようにと徐々に上げていた速力を、一杯に振り切らせた。

 彼女の背後を通り抜ける一瞬、時雨は懐かしい声が何かを呟くのを聞いた気がした。

 

 

 ○

 

 

 雨が降った。

 敵支配海域の限定解除。

 分厚い雲が晴れた空は、さらに鈍く黒い雲で覆われていて、大粒の雨を海面に叩きつけてくる。

 

 艤装の運用限界時間を超過し、膝上までが海中に没してしまった時雨は、ただ上を向き、雨に打たれ続ける。

 駆逐棲姫の亡骸は黒い泡となって、先ほどようやく海に溶けた。

 彼女の最期を見送るのはこれで幾度目だろうかと、顔を強かに打つ雨に何をも感じることが出来ずにいる。

 辛い思いが大きすぎて、心が正しく動くことを放棄している。

 もの言わぬ鋼よりも今は心がここにはないと、そうは思うが、言葉はひとりでに吐き出された。

 

「何が、メリークリスマスだ。そんなもの……」

 

 吐き捨てるように呟く言葉の先、再び敵の支配下としての姿を取り戻そうとする空と海は、ほんの少しの間だけ、雨を雪に変えて、鈍色の宙を舞った。

 

 

 ○

 

 

 それから時雨は、倉庫奥の物置部屋にひとりで閉じ籠もった。

 内側から鍵をかけ、棚を重ねて扉を塞ぎ、一日中膝を抱えて過ごした。

 

 水無月島に帰港し修復を終えた後、時雨には特に懲罰の言い渡しも、制裁が加えられることもなかった。

 猛る思いや憎悪を皆が思い留めたというわけではなく、そもそも皆最初から、そんなつもりなどなかったのだろう。

 本当にいい趣味をしているものだと、横倒しになった視界のまま、時雨は残りかす程の皮肉を思う。

 

 自分への一番の罰は、こうして罰せられないことだ。

 外からの圧力がないと、もう自力で立てないくらいに疲弊しているのに、誰もぶってくれない。

 意図してそうしていないのは、わかっている。誰もそのやり方を知らないのだ。

 何よりも、誰も時雨を責めるつもりがなかったのだろうことが、余計に痛みとなる。

 

 外の世界を知っている艦娘ならば、形式的なやり方は実行できるだろう。

 ただ、そうした結果がどうなるかを考えて、恐れてしまっているのだ。

 つくづく、軍隊ではない。そして大人でもない。もちろん、人間でも。

 余りある時間の中で、時雨はそう結論付けた。

 

 この島に10年閉じ込められていた暁型の姉妹はもちろん、人である彼ですらそうなのだ。

 彼女たちの優しさは、もう自分を救ってはくれない。

 ならば、自分から立ち上がる気には?

 時雨は、しゃがんで自分を見下ろすもうひとりの自分に、そう問われた。

 真っ青な澄んだ目をした、素直な娘が目の前にいる。

 

「無理だよ。ボクは強くない。他の時雨みたいに弱さを隠して他人に接するなんて出来ないんだ……」

 

 いつもは気にもしていなかったデフォルト様の幻が、今日は長らく視界に居座っている。

 ひとりになったからだと、そう自覚する。

 これまでは仇討ちに感けて目を背けていたはずの彼女に対して、とうとう真正面から向かい合うべき時が来たのだろう。

 支えを失い立ち上がれなくなって、そうして求めたのは強い自分の幻だ。

 

「ボクを乗っ取って、動かして、彼女たちを安心させてあげてよ。キミにはそれが出来るんだろう?」

 

 枯れた声での嘆願は、失望を浮かべた眼差しに一蹴。

 幻は程なくして姿を消した。

 自分にすら愛想を尽かされるのかと笑みが起こるが、立ち上がる活力には程遠かった。

 

 

 ○

 

 

 そうしてどれくらいの時間が過ぎ去っただろうか。

 敵の支配海域とは言え昼夜はあるもので、朝になれば窓から差し込む鈍い朝日に顔を叩かれる。

 今日もそうして無気力に目を覚ました時雨は、横倒しの視界に昨日までは存在しなかったはずの物体が映り込み、眉をひそめる。

 冷蔵庫でも入りそうな大きなダンボール箱が横倒しに置いてあり、油性マジックで「うーちゃんのおへや」と歪な文字の表札付だ。

 思考を放棄した頭で注視していると、横の穴から幼い顔が出てきた。

 生意気そうなぷっくりした頬で床を這ってこちらまでやってくるのは、駆逐艦だろう。睦月型だ。

 

「うーちゃんはお腹が空きました。餌を与えて下さい」

 

 生憎ウサギの餌を切らしているのだと言う気力もない時雨は、眼球だけ動かして周囲を見渡し、人参のグラッセの缶詰を指さして見せる。

 

「うーちゃんは人参が食べられません」

「そんなことを言うと、間宮に怒られるよ?」

 

 返事があって嬉しかったのか、駆逐艦・卯月は笑みを残してダンボールの中に帰ってゆく。

 程なくして小さな寝息が聞こえてきた。

 いったいなんだったのだと笑む時雨は、皮肉ではない笑いはいつ以来だろうかと頭の片隅で考え、自らも二度寝の姿勢に入った。

 

 

 ○

 

 

 次に目を覚ました時、狭い物置部屋の中がいつにも増して埃っぽかった。

 なんだなんだと上体を起こして見渡せば、三角巾を頭に当ててハタキを手にした駆逐艦が忙しなく働いている。

 綾波型の漣だなとメモリが彼女の正体をはじき出すが、先の卯月同様、何故新顔がこんなところに居るのかと意識が向く。

 大方、建造上がりの初任務に、厄介者の世話を任されたのだろうとあたりを付ける。

 それとも、事情を聞いたこの2隻が独断でこうしてやって来たのかもしれない。

 いや、2隻ではないなと、時雨は怠そうに身を起こす。

 

「ほら。あんたそこ、どきないさいよ。邪魔なの! じゃーまー!」

 

 水モップで追い立てる叢雲に物置部屋の隅に追いやられると、そこには将棋盤を取り出し埃を払っている初春が居て「一局、どうかえ?」などとサボるつもりの勝負のお誘いだ。

 将棋など大して得意でもない時雨だったが、初春の弱さはその比ではなく、5回目の待ったに投げやりに頷いていると、奇声を上げた重巡が横から滑り込んで来て、将棋盤ごと初春をひっくり返してしまう。

 重巡・熊野だなと、右からヘッドスライディングして左へと流れてゆくのを目線だけで追えば、掃除中の漣や叢雲を巻き込んで大騒ぎだ。

 半ば泣きギレで邪魔する連中の尻をモップの柄でしばき始めた叢雲に、彼女はこれから苦労するねと苦笑い。

 

 そうして仕切り直してもう一局というあたりには、いつの間にやら掃除は終わっていたようだ。

 三角巾の連中は姿を消し、代わりに浜風がもきゅもきゅと昼飯を頬張っていた。

 三種類のおにぎりが各3つ。すでに半分以上がこの陽炎型の胃袋に消えている。

 

「食べますか?」

「……それ元々ボクのじゃ?」

 

 大鯨が毎食を置きに来ていることは知っている。

 食器を取りに来て、手を付けていないことにがっかりして、そして扉の前で食べて帰ることも。

 空腹感は忘れて久しいが、腹部の負傷が完治してからまだ何も胃に居れていないので、消化器系が機能するかどうか、自信がない。

 何より、彼女たちと同じ食事を取ることは躊躇われた。

 

 そんな恐れと逃げとを忘れさせるかのような食べっぷりを目の前で見せつけられれば、何も口にしなかったことが馬鹿らしく思えてくる。

 最後のひとつであった紫蘇を巻いたものを手に取って口に。具は秋刀魚の甘露煮だ。

 小骨までほろりと崩れる程に良く煮込まれていて、かなり濃いめの味付けだが紫蘇と刻んだ柚子の風味がそれを和らげる。

 ようやく間宮が本領を発揮した、と言うものではなく、これは大鯨の手によるものだなと、すぐに合点が行く。

 彼女でなければ、自分の好きなものが三種類もピンポイントで選ばれるわけがない。

 

「……大鯨は、どうしている?」

 

 問うた言葉は誰にもぶつからずに、宙に溶けた。

 顔を上げればもう誰も居なくなっていて、自分はどれだけ胡乱になっているのだと、時雨は盛大にため息を付いた。

 扉の向こうから熊野が「また来ますわ」などと言うものだから、ああそうかいと、投げやりに手を振りながらも、顔は嬉しそうに笑んでいた。

 たまたま目に入った洗面台の鏡がその様子を捕らえていて、どこか気恥ずかしくなって体ごとそっぽを向くが、胸の中で膨らんだ気掛かりが無視できないものとなり、時雨は立ち上がった。

 ふら付く足取りで洗面台まで辿り着き、鏡の中の自分を凝視する。

 そこに居たのは確かに、この支配海域で5年の時を過ごした、復讐心と共にあった時雨のはずだが、ひとつだけ以前と異なる箇所があった。

 血の様に真っ赤だった目が、今は澄んで落ち着いた青の色に染まっていたのだ。

 

 

 ○

 

 

 わけがわからず釈然としない心持ちではあったが、それでも「また来る」と告げた新入り連中を心待ちにして、そわそわと過ごす日々が続いた。

 そう、続いた。熊野たちはあれから一度も、この物置部屋を訪れていない。

 まあ、向こうも訓練やら何やらがあって、こちらに顔を出す時間も捻出できていないのだろうとは思うのだが、それでも子供のように機嫌を損ねていることを時雨は自覚した。

 落ち着かずに立ったり座ったりを繰り返す時雨は、鏡の向こうの青い目の自分がぷくっと頬を膨らませていることに、よりいっそう不機嫌になる。

 そうして小一時間そわそわして、やはり落ち着かずに天井を伝う配管を掴んで懸垂始めたところで、誰かの足音が迫るのを耳に捕らえた。

 今日はひとりかと、床に着地して、速足気味の歩みで体当たりすように扉を開ければ、面食らった大鯨が目の前に居た。

 一瞬、頭の中が固まった気がしたが、すぐにそれはそうだと納得する。

 新入りの連中がここに来ずとも、大鯨はいつも来ていたはずではないか。

 

 溜息交じりに頭をかいた時雨は、もはや後ろに戻ることも躊躇われ、正面から彼女に向き合わざるを得なかった。

 大鯨は改造によって潜水母艦から空母へと艦種を変え、名も龍鳳と改めた姿だった。

 少し背が伸びただろうかと思うも、そもそも自分がデフォルトよりも背が高いのだと心の中で額を打つ。

 そして、泣き怒りを堪えるかのように表情を強張らせている龍鳳の姿に、心の中で額をもう一発。

 弁明の言葉など、もちろん用意していない。謝罪の言葉も。ご機嫌を取るための気遣いもだ。

 

「ボクの処分は? 一向に執行役が来てくれないのだけれど?」

「私がそうです」

 

 龍鳳が言うと皮肉か本気かわからずに固い汗が出る。

 続く龍鳳の言を聞いて、時雨は眩暈を覚えた。

 時雨は無罪放免とは成らず、一定期間、独房にて禁固刑だったとのこと。

 唖然とした顔のまま振り返り、扉の上を見れば、物置部屋の表札が“どくぼう”に変わっている。

 

 こんな茶番で濁す気かと、腹の底から熱が上がる時雨は、龍鳳の言の続きを聞く。

 

「時雨ちゃんへの懲罰は以上を持って終了しています。あとは提督が、今回の一件で生じた損害は自分の責任であるとして、本部へ報告書を送ることになるでしょう。本土へ渡った際に、法廷への出頭も」

 

 言葉の意味を、すぐには理解できなかった。

 説明を受ける中で唖然は愕然に変わる。

 提督は今回の一件で生じた損害はすべて自分の采配が行き届かぬ故のことだと、そう言った旨の報告書をすでに作成している。

 艤装に不備を抱え、復讐の対象に対して感情的になっている駆逐艦・時雨を運用し、味方艦隊に負傷と損害を与え、敵艦を匿おうとしたことを。

 次の海域限定解除の際に、幾つかの情報と共に、“海軍”側へと送信する手はずは済んでいるのだ。

 

 何故そんな、自分が不利になる真似をと、時雨は困惑のままに龍鳳の肩を掴む。

 

「黙っていれば痛い腹を突かれることも無いのだろうに、何故そんなことを? これじゃあ、彼が本土に渡った際に不利になるだけじゃないか。外の目の監視がないここなら、全てをなかったことに出来るのに……!」

「その通りですよ、時雨ちゃん。“海軍”側の規定した条項を守りつつ、やむ得ず捻じ曲げて行動している部分もかなり多いですが、今回のこれは格別です。鎮守府のローカルルールで有耶無耶に出来る限度を超えています」

 

 これが通常海域において起こった事件であるのならば、駆逐艦・時雨は解体処分、提督は解任となるのが最低限のラインだろう。

 だが、ここの提督は時雨を期限付きの謹慎処分とした後に、提督自らが本土へ渡った際に法廷に出頭するという判断を下している。

 しかも、夕張たちに艤装面の裏を取らせて、言い逃れできないような資料まで拵えて、だ。

 

 時雨は理解できなかった。

 何故わざわざ、未来で不利を得る。

 それこそ龍鳳の言ではないが、鎮守府のローカルルールで有耶無耶にしてしまえばいい。

 今回の一件を握りつぶしてしまえばいいではないか。

 

「もしも同じ立場だったら、時雨ちゃんにはそれが出来ますか?」

 

 言われて、時雨は自分が逃げて来たものと向き合っていると自覚する。

 自分が味方を撃ったことを、見逃してくれなどと言えるわけがない。敵となった彼女を匿おうとしたことも。

 彼女が存命であったならば、すべてを差し出してでも嘆願しただろうが、もうそうする理由もない。

 それでも、自分に対する厳格な罰が必要だという思いは残った。

 そう感じたから、こうして裁かれるのを待っていたのだ。

 法でも私刑でもいいからそうしてくれと思う気持ちは、そう感じていたのは自分だけではなかったのだと、ようやく気が付く。

 

 提督は責任を感じつつも、それを放棄した。

 より正確には、さらに上位に預けた、となるやもしれないが。

 ただでさえ人手が足りない水無月島鎮守府において、艦娘1隻を解体する損失と今回・今後のことを計りにかけて、時雨の運用続行を決めたのだろう。

 そもそも彼自身が、艦娘の解体を命令できる人物ではないのだ。

 そうした逃げが彼にもあったのだろうが、だからこそ未来に置いて裁かれる道を確定させた。

 幾度か外界と情報のやり取りをしたおりに、“海軍”側からお墨付きをもらったものを、その見逃しや融通を蹴ってまで。

 

「皆はそれに賛成なの? 提督がいずれ裁かれることを?」

「誰も賛成する娘なんていません。でも、私たちは艦娘なんです。ここでは、この海域ですら、そうした彼是に対して権限を得ることを、許されていないのですよ……」

 

 暁が暴れたと捕捉があったがそれは聞き流して。

 時雨は問う。どうすれば提督を説得できるかを。

 その方法を伝えるために、龍鳳がここに来たのだろう。

 

「提督に対して私たちが提案出来る案はひとつ。皆ですべてを水に流して、今まで通りを続けることです。それには……」

「そんなこと青葉が許さない。高雄も、響も。ボクは味方を撃ったんだ。敵を匿おうとした。裏切り者だよ?」

「時雨ちゃんが許せないのは、時雨ちゃん自身ですよ」

 

 断定されて腹が立ったが、腹を立てられるくらいには気力を取り戻せていることに気付き、顔を歪めて黙り込んでしまう。

 

「時雨ちゃんがこれまでの様に、罰を求める姿勢を解除して第二艦隊に復帰する。そうすれば、提督に考え直してほしいと、水無月島所属全艦からの署名を集めてあります」

 

 龍鳳の後ろに隠れていた自立稼働型砲塔が進み出て、コミュニケーション用モニタに署名欄を展開する。

 確かに全艦分の署名が当人の直筆(読めない字が多いのはご愛嬌か)で並ぶ中、ひとり分の空白がある。

 自分が書くための場所だぞと、直接的な示唆に苦笑が浮かぶ。

 

 ひとに罪を背負わせたくないならば、自らが抱える許しがたい罪に目を瞑れと、そういう無茶な話だ。

 

 ここに署名してしまえば、時雨は最期の時を迎えるまで、自分の罪を裁かれることも、許されることもなくなる。

 提督が未来で不利を被ることを人質に、こんな脅迫をされているのだ。

 

「……ひどい話だよね。提督は、皆が提督のことが大好きだと知っていて、こんな方法を取るんだ」

「そうですよ。それが、私たちです。この島でのローカルルールなんです」

「厭らしい考えだね、彼」

「発案は電ちゃんだとか」

 

 なるほど、それは厭らしいなと、時雨は笑みのまま指を動かし、パネルに自らの艦名を刻む。

 弱い自分には到底、自分の罪を許すことなど出来ないだろう。ひとからの許しを受け入れることも。

 自分以外の時雨でも、そんなことは不可能なはずだ。

 しかし、それを隠して他者に悟らせないことならば、出来る。彼女には可能なのだ。

 悲痛を心の奥に隠して穏やかに笑う彼女には、こんなこと造作もないはずなのだから。

 

「あと、ひとつだけ、考えを改めておいて欲しいことが」

 

 しゃがみ込んでの署名の最中に龍鳳は言う。

 この鎮守府は、戦う力を、戦意を失ったと判断された場合は、敵であっても救うことを掲げているのだと。

 

「彼女を助けようとしたことは、やり方は間違ってしまったかもしれませんが、その意志は決して間違えではありませんよ?」

「他にいい方法が、あったのかな……」

 

 そんな方法があったのならば、仲間を撃つことも無く、彼女が隣に居られたのだろうか。

 ありえたかも知れない未来に涙が滲むが、それはいつか、きっと叶えられるのだと、時雨はそう信じたい。

 この鎮守府の提督と艦娘たちは、その方法を考え続けてここまで来たのだから。

 

 

 ○

 

 

「そうそう、青葉さんが個人的に貸しが出来たのでいろいろ手伝ってほしいと言っていましたし、夕張さんや天津風ちゃんが、艤装関係のことで話があると。雷ちゃんも呼ばれてましたね」

「他には?」

「響ちゃんが、すまなかったって」

 

 謝る側がどちらかを間違えているねと肩をすくめた時雨は、龍鳳に手を引かれて歩き出す。

 目下、時雨に与えられる任務は、クリスマスパーティの飾りつけを手伝えというもので、それらにはすでに建造上がりの暫定第三艦隊が取りかかっているのだとか。

 パーティの準備ならば仕方がないなと倉庫の物置部屋を後にする時雨の横を、自立稼働型砲塔がすれ違う。

 開けっ放しの物置部屋の中に誰も居ないことを確認し、埃っぽい部屋を外界から遮るかのように、そっと閉じた。

 

 

 


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