意識が覚醒し薄目を開けた駆逐艦・時雨は、すぐに自分が泣いていることに気付いた。
メモリの整理が行なわれ、懐かしい記憶が夢と言う形で再生されていたのだろう。
辛くも幸せな時間だったと、そう断言できる。
染みるように思い出される現実に比べればと、そう言った前置きが不可欠ではあったが。
時雨は現在、熱田島鎮守府に身を置いている。
水無月島を発った超過艤装・伊勢型は熱田島へと辿り着き、艦娘たちは空路で本土へと送られた。
オーバーホールを終えた皆が新たに希望する配属先はやはり水無月島であったが、故郷への帰還は難しいものとなってしまっていた。
恐れていた情勢の変化、“海軍”本部の体勢の揺らぎ。
そういったものが一度に起こり、敵支配海域への窓口でもあった熱田島にて長期間の足止めを食らってしまったのだ。
時雨の場合は命令違反に脱走にと、その周辺彼是への処分があったが、それはまた別の話。
こうして、ぎりぎりのタイミングでこの場所まで戻って来れたことが、今は一番の幸いか。
あれから敵支配海域の一時解除は一度も行われていない。
敵の首級が新たに倒されることがなかったのだと言えばそれまでだが、それは島に残り、あるいは帰り着いた彼女たちの動きが定かではない、ということでもある。
届かない便りを想うかのような日々が続いたが、だからこそ、準備を万全とすることが出来た。
「おや、お目覚めかえ? 先まで龍鳳が来ておったのじゃがの」
固くなった関節をストレッチでほぐしていると、扇子を口元に当てて笑む初春の姿があった。
第二改装を受けた艤装を早く皆に見せびらかしたかったのだと一目でわかる素振りに、どうしても笑みを堪えることが出来ない。
「もうちょっと早く目が覚めていれば、お別れを言うことも出来たでしょうに」
ため息交じりに言うのは、こちらも第二改装を果たした叢雲だ。
御自慢の長槍をあっさりと捨て去った清々しい姿で、しかしどこか手持無沙汰のような素振り。
微笑ましげな顔で立ち上がる時雨もまた、その姿は第二改装を果たしたものだった。
損なわれていた航行能力も砲撃管制能力も取り戻し、それ以上を発揮出るようになった。
「今生のお別れじゃないよ。ボクたちはこの波間の続くところで共にある。どの海に居ようとも、たとえ隣りに居なくとも、ボクたちは一緒さ」
歯の浮くようなセリフを告げて立ち上がる時雨に、水無月島は第三艦隊の2隻は気恥ずかしさに顔を赤くする。
確かにまあ、以前の時雨ならばここは痛烈な皮肉を披露するところであったのだろうが、今は違うのだ。
龍鳳や高雄、青葉に、伊勢・日向と言った面々は、水無月島への道行を放棄して、本土へと向かう選択を行なった。
時雨たちがこの戦いを終わらせるために帰郷するように、彼女たちは戦いが終わった後を見据えての戦いを始めたのだ。
共にあるとは言え、確かに一言、彼女に告げておけば良かったと、時雨は思う。
時雨と龍鳳が別れた後、そのジンクスについては、もはや語るまでもない。
しかし、だからこそ、別れの言葉は不要かとも思う。
龍鳳は時雨の目覚めを待たなかった。伝言もない。
そんなものは不要だろうと考えていたからこそだ。
別れを告げなかったこともそうだが、その宿命を覆す意気が、自分たちにはあるのだ。
これからの戦いは、そういったジンクスを受け入れ、しかし討ち果たすための戦いとなるのだから。
○
港にはすでに、今回の里帰りで共に行く面々が揃っていた。
再起不能と診断された状態から奇跡的な復帰を果たした那智と足柄に、曙に巻雲、そして朝霜だ。
ツインテールからサイドテールに髪型を変えた利根に、継ぎ接ぎだらけの自立稼働型砲塔を傍に置く夕張に。
飛龍も葛城も祥鳳も、空母系の娘たちは揃いの鉢巻きで気合を引き締める。
見知った顔ばかりで一安心かと思えば、頭を抱えたくなるような新顔も数多く、時雨としては妙なやり辛さも感じるところだ。
皆そうして、爛々と熱を宿す瞳でこちらを見返してくる中、1隻だけこちらに背を向けている艦娘が居た。
黒い癖毛の髪に帽子といった後ろ姿は暁型のもので、デフォルトよりも成長した背中は、彼女が水無月島に居た証だ。
振り返り、無感情に近い顔を、真っ赤な目をこちらに向けた響は、かすかに笑みを浮かべた。
彼女がよく、ここまで自分を取り戻したものだと、時雨は我がことのように嬉しく思う。
姉妹たちとの別れが尾を引いているのは確かだが、それでもここまで自分を立て直したのだ。
「私や利根も、役割としては高雄たちと共に行くべきかと考えたけれど……」
「キミはこっちだよ。“響”の悲願は、キミが一番よく知っているはずだ」
幾度も小さく頷く響を見ていると、そう言ったものとは別の考えがあるのだろうなと、時雨にはわかってしまう。
「皆に早く会いたいね」
小さな頷きがひとつ、そして前を向く暁型の眼差しが日の沈む方角から逸らされた。
もうすぐ夜。出航の時刻だ。
超過艤装・千歳型の指揮を執るのは、ようやく全快した木村提督であり、その傍らには霞も健在。
時雨は先頭に立って、新たな超過艤装に乗り込んでゆく。
いつもは殿を務めていた身で、あえて先頭に立つのは、血気盛んな連中の歩みを抑えるためだ。
後続の皆は赤い目を爛々と輝かせて、足取りは確かで力強く、頼もしい。
頼もしいが、それは同時に不安を覚える頼もしさでもあった。
時雨をはじめとする今回の支配海域突入組は、ふたつの改装を受けている。
ひとつはオーバーホール後の第二改装。
もうひとつは、指輪無しに深海棲艦化を制御し力に変えるための措置。
再起不能と診断されたはずの那智と足柄が再び海上に立てるようになったのも、そして伊勢と日向が再び艤装を纏って戦えるようになったのも、この措置が上手く働いたが故だ。
自分の症例がそれらの研究に一役買ったことを誇らしく思う時雨ではあるが、その代償を考えると、素直に喜ぶことは躊躇われる。
常に赤い目に変ずることから“血眼”と呼ばれたこの措置は、艦娘の寿命を大きく損なうものだ。
那智も足柄も、こうして復帰を果たしはしたが、次の出撃でその寿命を使い切ることが確定している。
時雨にしても、もしかすると次が最期かもしれないのだ。
だが、行く。
赤い目の艦隊が行く。
それは里帰りか墓参りか。
どちらも似たようなものかと意気を入れる艦娘たちの、その目は夜の暗闇に赤く映えた。