孤島の六駆   作:安楽

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波間⑧

 迫る敵へ、両碗の砲を指向し、砲弾を叩き込む。

 魚雷は先ほどすべて放ってしまったし、機銃もほとんど破壊されてしまった。

 探照灯も、魚雷発射管を守っていたシールドも損壊。

 残るは手と足だけ。航行能力と砲撃能力だけだ。

 そうして残ったのが基礎的な部分で良かったと、暁は思う。

 艦娘としての基礎中の基礎。

 これだけならば、例え意識を失っても、体がひとりでに動いてくれる気すらするのだから。

 

 しかし不意に、機関が止まる。

 砲撃も止んでしまった。

 不調か弾切れかと焦りを帯びる暁は、自らが掲げた砲塔の上に、妖精が1体、ぽつんと立ち尽くしている様を見る。

 脱いだ帽子を両手の指で摘まみ、申しわけ無さそうな顔をしているこの妖精の姿を見て、本当の時間切れが来てしまったことを確信する。

 

「今まで一緒に戦ってくれてありがとう、艦長」

 

 笑む暁に、妖精は涙ながらに敬礼して消失した。

 暁の艤装から、搭乗していた艤装妖精、そのすべてが姿を消す。

 静かになってしまった身で思いを馳せるのは、かつて提督と一緒に頭の上や肩に妖精たちを満載して歩いた記憶だ。

 共にあった彼女たちともこれでお別れ。もう二度と、共に海を駆けることはない。

 

 では、それでもこうして海上に立っている暁はなんだ。

 乗員が居らずともひとりでに動く船を、人は幽霊船と呼ぶだろう。

 人の操作が無く、判断がなく、そして生活がない船。

 自分はこれからそういうものとなる。

 

 足下、海中で揺らめく仮想スクリューが砕けて、青白い光が踝や脛を伝って体中を這い回る。

 暁の艦娘としての時間は、ここで終わった。

 

 

 ○

 

 

 そして再び目を覚ました時、己が暁としての自我を保持していることにひどく驚いた。

 周囲に艦影無し。航空機も、陸地も漂流物も見えない。

 恐ろしいまでに何もない、鈍色の海上に、暁はただ1隻立っていた。

 

 自らの肉体と艤装は大きく変異していた。

 それは変異と言うよりは同化と言う方が正しく、暁の体はそのものが艤装に、生態艤装に置き換わっていたのだ。

 体格こそ成長した己のままで、髪の色が妹のように真っ白に変じていた。

 生態艤装は元の艤装の名残を残していて、背部の高角砲は咢の上顎部に砲塔が有り、咢を開けば探照灯が備わっている。

 魚雷発射管とシールドもより大型になって左右に備わり、これならば戦艦の砲撃にだってびくともしないのではと、期待に気分が高まってくる。

 

 しかし、その高まった気分は他の部位を目の当たりにするに従って、次第に萎んでいった。

 両碗は黒いギブスを嵌めたような形状で、こちらも背部と同様に連装砲と探照灯を一体化したかのような形状をしていた。

 何よりもショックだったことは、脚部は人のそれとはかけ離れた形になっていたことだろうか。

 以前相対した駆逐棲姫と同様に、大腿から下が消失し、代わりに咢付のフロートが両弦側に備わっていた。

 自分の意志に応じて、あるいは反してがちがちと顎を鳴らす連中のことを、受け入れられるような、そうでもないような、そんな微妙な心境になる。

 まあ、連装砲ちゃんたちと同じようなものかと思えば愛着も湧くかと思ったが、背部のやつは頭に噛み付いて来るのでそんな気は失せた。

 軍帽が装甲化していなければ特大の歯形が付いていたはずだ。

 

 こうして自らを省みて、まず真っ先に思ったことは、意外と落ち着いていて、変異を受け入れられると言うことだろうか。

 負の感情に支配されて暴風の様に荒れ狂うかと思われていたものが、心の中は凪そのものだ。

 何らかの措置によるものかと考えを巡らせる暁は、それが当たらずとも遠からずだったことをすぐに知ることとなる。

 しかしまずは、最初の試練が彼女に降り注いだ。

 

 頭を殴られたような衝撃に襲われ、暁は前のめりに倒れ、変異した両腕を海面に付いた。

 この衝撃、痛みは、外部からのものではなく、内部からのものだ。

 だからこそ、防ぎようがないことも理解してしまった。

 暁の頭を内側から打撃したのは、情報だ。

 空から、あるいは陸から、海に流れ着いた情報。

 降り注ぎ、流れ着いた終着点がここだ。

 足元に広がっている海と言う領域が、そういった情報の収集装置の側面をも担っていると、この姿となって初めて理解する。

 そして、それらの情報が、暁を呑みこもうとしていることも。

 

 濁流の様に押し寄せる情報を抑制する手段がない。

 少しばかりの演算能力などなんの役にも立たない。

 自らの枠組みを破壊して押し寄せる情報を取捨選択することが出来ないのだ。

 元からあった暁としてのすべてが呑まれて押し流される。

 自我を繋ぎとめてゆくものは何もない。少なくとも暁自身の中には何も。

 

 深海棲艦というものを、割れんばかりの頭で理解する。

 こうして情報の汚濁に洗い流され、最期に残ったものが、深海棲艦としての自らを決めるのだ。

 全て洗い流される。

 恐怖しか残らない。

 滂沱と流れる涙から自分のすべてが流れて行きそうな気がして、暁は双眸を変異した両腕で覆う。

 覆うことは出来ない。

 精々が抑えるだけ。

 指輪をはめることが出来ないこの手では。

 

 仲間たち、提督や姉妹たちのことを強く思ってはいけないと暁は考えた。

 消え入りそうな自我の中に留めて置けば、やがて塗りつぶされた後の自分は、彼女たちを害する存在になる。

 艦娘から深海棲艦へと変じた彼女たちがそうだったように。

 それでも、どうしても考えてしまうのだ。

 愛しい人たちのことを。その人たちが安らげる場所を。

 

 ならばせめてと、暁は背部の高角砲に命ずる。

 その砲で自分の頭を撃ちぬけと、味方を害するものとなる前に、自らを終わらせろと。

 しかし、背後の砲はその命令を拒絶した。

 さっきまでは駄犬の様にこちらの頭に噛み付いていたくせに、今になって困った様に萎れて見せるのだ。

 

 

 もはや成す術は無いかと、痛みに蹲った暁は、不意にその負荷が軽くなる感触を覚えた。

 軽くなるどころではない、痛みが引いて、顔を上げられるまでになった。

 そうして呆けた暁の目から、痛みとは別の涙が頬を伝う。

 彼女たちの艦隊に編成されたことによって、情報の流入は分散され、こちらで障壁を構築するだけの時間を稼ぐことが出来た。

 これでもう、情報の汚濁に洗い流されることはない。

 その手伝いをした彼女たちの姿を目の当たりにして、涙が熱を帯びる。

 軽巡棲姫ばかりが3隻、暁を取り囲んで佇んでいた。

 攻撃の意志はない。古い仲間を迎え入れるかのように武装解除した姿。

 

 立ち上がった暁は(とはいっても足がなく、上体を起こすような形ではあったが)、自らの正面に佇む1隻へと進み出る。

 こちらを子ども扱いすように、あるいは淑女に対してそうするかのように膝を付いた彼女へと、自らが羽織っていたマントをかけてやる。軍刀もだ。

 彼女がずっと欲していたものだ。

 遅くなってしまったが、これでようやく、おめでとうと祝福することが出来る。

 その後ろに控えていた彼女には、取り込み変異することを免れていた刀を放る。

 受け取ったそれを、彼女は引き抜き刃を確かめる事無く、腰に収めた。あのときから変わっていないのだ。

 もう1隻の彼女に対しては、特にない。

 臍を曲げるかと思われたが、彼女は何も欲することなく笑んでいる。暁のこの姿だけで充分だとばかりに。

 

 

 再会の感涙もそこそこに、情報共有は瞬時にして行われた。

 言語を捨てて暗号に頼った会話ならば、1秒とかからずに重要な情報をやり取りできる。

 なるほど、これでは人類が深海棲艦に対して遅れを取るわけだと嘆息した暁は、自分のこれからの動きを決める。

 

「やることがあるの。皆、手伝ってくれる?」

 

 あえて言語でそう発すれば、3隻とも長らく使っていなかったはずの声帯で「ようそろ」の声をつくる。

 例え深海棲艦となろうとも、この身は未だに駆逐艦・暁だ。

 提督の最期の命令は、この時点においても、そしてこれから先の未来においても常に有効であり、暁はそれを完遂するつもりだ。

 

「司令官たちの障害となるすべてを倒して、助けて、それで全部が終わったら……」

 

 鎮守府へ帰投するのだ。

 だから、まだ帰れない。

 これからすべての障害を退けに行くのだから。

 

 

「私の命の蝋燭は短く、夜明けまでは持たないかもしれない……」

 

 艦隊の先頭に立って進む暁は、知らぬ間に提督が口ずさんだ詩を、自らも声に乗せていた。

 海から拾い上げた情報だ。

 彼が今、どんな気持ちでいるのか。それが我がことの様にわかるのが辛かった。

 だから行く。提督の命令を果たしに。

 彼我にとって残された時間は、あまりにも少ないのだから。

 

「ならば、両の端から火を灯し、敵も、味方も、すべてを明るく照らし出そう……」

 

 ああ、愉しきかな。光の舞は。

 まるで自分たちのことを歌っているかのようで、暁はすぐにこの詩が気に入った。

 

 

 


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