孤島の六駆   作:安楽

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第5章:大和の帰還
波間⑨


 ふと顔を上げた雷は、己の置かれた状況を即座に呑みこむことが出来なかった。

 思考が再開する直前の記憶は、木村提督の処置を完了した後、己に肉体が消滅するというものだったはずだ。

 戦艦レ級、個別コード“バンシィ”に艤装核を鹵獲され、しかし夕張が仕込んだ対抗プログラムによって、変異の暴走を引き起こしたはずだ。

 ……そのはずだが、こうして雷の自我が保持されていると言うことは、その試みは失敗だったのだろうか。

 

 落胆し、思い詰めるように顔を伏せた雷は、そこでようやく、自らの体がどうなっているか、その異変に気付く。

 雷の下半身は、こたつの中に潜り込んでいたのだ。

 思考も言葉もしばらく動きを止める中、顔に湯気のようなものが掛かる感触で再び目線を上に。

 こたつを挟んで正面、何故か金剛型戦艦・比叡が土鍋の蓋を開けて具を投入している最中だった。

 

 思考に負荷が掛かるなあと、口を開けてその様を見まもっていた雷は、その比叡がかつて水無月島に所属していたあの比叡であると気付く。

 鍋を整えるこの手際の良さ。とても他鎮守府の比叡であるとは思えなかったのだ。

 何より、袖に水無月島の腕章がある。

 

「あ、ちょっと待って、白滝は最後よ。最初に入れると固くなっちゃうから」

 

 右手側からの声に聴き覚えはなかったが、その姿でどの艦娘かは判別が付いた。

 長良型軽巡・五十鈴だ。懐にぬいぐるみのようなものを抱えつつ、身振り手振りで比叡に指示を出してゆく。

 その袖に揺れる腕章を目にして、雷は彼女がかつて有馬提督の下に居た五十鈴であると確信する。

 現在は水無月島に身を置いている榛名の、かつての仲間であったはずの彼女だ。

 

 自らも彼女たちも、何故こんな真っ暗な空間でこたつに入って鍋囲んでいるのかは定かではないが、互いに共通する点はすぐに洗い出すことが出来た。

 雷含め、戦闘で失われたとされている艦娘だ。

 ここに雷の例を当てはめるのならば、敵に艤装核を鹵獲された艦娘である、という推測が出来る。

 では、彼女たちの艤装核を鹵獲した敵は?

 

 雷はそこまで思い至って、ようやく五十鈴が懐に抱いているぬいぐるみを注視した。

 微動だにしない人型だなとばかり思っていたが、よくよく見れば戦艦レ級。そのデフォルトモデルがちょこんと五十鈴の懐に収まっていたのだ。

 あんぐりと口を開けたまま敵であるはずの彼女を注視していると、唐突にきょろんと雷の方へと顔を向けた。

 蛇に睨まれたカエルの様に、体が固まって鈍い汗が溢れてくる中、レ級はこたつの中にもぞもぞと身を潜り込ませ、五十鈴の対面へ、雷から見て左手側へ移動する。

 

 何故に敵と鍋を囲んでいるのかと、雷の表情は険しくなる。

 かつてのこと。今は亡き鳳翔が北方棲姫とお料理している動画を見たことはあるが、それは人類に対して友好的な彼女であったからこその光景だったはずだ。

 戦艦レ級は、個体コード“バンシィ”は、自分たちを幾度も危機に陥れた存在だ。

 思うところは多々あるがと眉根を寄せて敵の姿を見る雷は、彼女の姿に違和感を覚えた。

 

「尻尾、ひとつだけなの?」

 

 思わず漏れ出た言葉の通り、かのレ級の尾はひとつだけ。

 体格がデフォルトに近しいものであることからも、彼女が“バンシィ”であるとは考えにくい。

 

「この子は“バンシィ”じゃないわ。艦種も名前も忘れちゃってて、今は鹵獲者である“バンシィ”の姿を借りているの」

 

 対面の比叡の声。

 顔を上げた雷は、懐かしむような眼差しが自分を見つめていたことに気付く。

 皆を見守るような、頼れる仲間の視線。

 かつて失われたはずの彼女であると確信するに至り、目頭が熱くなる。

 

「久しぶり。雷。背、伸びたね」

 

 

 ○

 

 

「それはつまり、比叡も五十鈴も、そこのレ級もどきも、“バンシィ”に鹵獲された艤装核から人格を再構成されたものだって言うのね?」

「今の貴女もよ。水無月島の雷」

 

 4隻で鍋を囲み、雷は皆から状況説明を受けていた。

 この異様な空間は“バンシィ”の内部ストレージであり、比叡たちは10年以上前に“バンシィ”によって鹵獲されたのだという。

 水無月島の勢力と接触し交戦、その後逃走した“バンシィ”がこちらに対応するため、生態艤装の制御容量に割いていた艤装核3つを再起動。

 核に残っていたメモリから比叡等の人格を再構成し、学習を開始したのだ。

 

「それで? この鍋も学習の一貫?」

「以前ならば、ね。今現在は、この子のメモリを呼び起こす切っ掛けづくりの側面が強いけれど」

 

 “バンシィ”は完全に撃沈されたわけではなく、現在は自己修復中だ。

 それを証明するかのように、暗黒色の天井ががぱりと開いて光が差し込み、同時に顔面の削り取られた巨大な頭がこちらを覗き見てきた。

 あれが“バンシィ”の現在の姿なのだ。

 この「家のミニチュアの屋根を開けて中を覗き見る」ような行為も実際に起こっているわけではなく、“バンシィ”や雷たちが共有しているイメージだ。

 雷たちはこの内部ストレージに閉じ込められていて、“バンシィ”は定期的にその様子を観察している、と言うことなのだろう。

 

 あまりの光景に上を向いたまま固まる雷は、巨大な削顔が去り、屋根が閉じて暗黒が支配するまで呼吸すら忘れる有り様だった。

 

「“バンシィ”、前回の戦いで頭部を著しく破損したものだから、修復に時間がかかっているのよね。命令系統だもの。そこを突いて、私たちは好き勝手しているわけなんだけれど……」

「その切っ掛けをつくったのは、貴方たちよ。水無月島の雷」

 

 夕張が仕込んだ対抗プログラムが効いているのだ。

 変異の暴走は一時的に収束したものの、修復の過程で致命的な再構築の仕方が行われているのだとは五十鈴談。

 

「……骨折箇所が曲がってくっ付いちゃってる感じかしら」

 

 思わずの呟きには、3隻からの同意が得られた。

 ならば、こちらからくっ付き方を矯正してやることも出来るのではないか。

 

「何よそれ。“バンシィ”を乗っ取る気?」

「そこまでいかなくても、彼女の行動を抑えられれば上出来。“バンシィ”が戦線に復帰しちゃったら、“統率者”は確実に水無月島にぶつけてくるわ。皆への危険を減らさなきゃ」

 

 “統率者”の名を出した時、五十鈴の表情が曇る様を、雷は確かに見た。

 もしかするとその正体を知っているのかと訝しむも、彼女自身から「薄々勘付いているんじゃない?」と確証が得られてしまった。

 

「貴女の人格が再構成される時に、いろいろ見たわ。……こんなことになっているなら、私も手伝わないわけにはいかないもの」

 

 そう告げて思い詰めたような顔をする五十鈴だったが、レ級もどきが箸をぐーで握り器に顔を突っ込むように食事する姿を目の当たりにした瞬間、まるで人間の母親の様に声を上げての説教が始まった。

 思わず身を引いてその光景を眺める雷は、対面の比叡が「最近よくあること」と苦笑する様を見て嘆息する。

 

「この子がこっち側に着いてくれれば御の字なんだけれどね」

「比叡、どういうこと? この子は私たちと同じ艦娘じゃ……」

「そこも含めて、わからないの。こうして再構成された彼女が艦娘であったのか深海棲艦であったのか。あるいは艤装核の状態で取り込まれたのかもね」

 

 難しそうに眉根を寄せ、しかし微笑ましげな視線を絶やさず、比叡は言う。

 

「今のうちに私たちの持ちえる情報を与えて感化させて、こちら側に着いてもらう。そうできなければ、最悪の場合、“バンシィ”がこの子を仮の命令系統に押し上げるかもしれないから」

 

 それは、水無月島を襲う脅威の復帰を意味している。

 このレ級もどきが“バンシィ”の表層に押し上げられてしまえば、“統率者”の制御下に置かれ、即座に敵戦力として動き出すだろう。

 彼女を感化してこちらに引き込むと言うことは、結果的に水無月島への脅威を抑えることにもつながるはずだ。

 なるほどと、雷は思う。

 まだまだ自分に出来ることはたくさんあるのだと、そう考えると、肉体を失って尚、活力が湧いてくる気がする。

 

 こたつから出た雷は、手足で這ってレ級もどきの元まで擦り寄り、先に五十鈴がそうしていたように、小さな敵の似姿を抱きしめるようにして座り直す。

 

「怖ーいオカンがお説教してますねー。こっちは優しいママですよー?」

「あ、こら雷。不用意に甘やかさないの! ちゃんとこの子の将来のことも考えなさいな!」

 

 抱きしめたレ級もどきは顔を上げて、逆さまの視界で雷を見つめてくる。

 無感情というよりは無垢な表情で、瞳にあるのはおそらく興味の色だ。

 この子はまだ真っ新な子供なのだ。

 それを、自分たちの価値観に染めるのは罪深いことの様に思えたが、ならばあえて罪を犯そうと雷は決意する。

 新しい戦いの始まりだ。

 

 それに、こうして子供に何かを教えるという行為は、自らが常々憧れていたことではなかったかと、こんな状況下に置かれ、ようやく思い出すのだ。

 

 

 


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