孤島の六駆   作:安楽

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4話:迷い、燻る心が終わる時

 駆逐艦・狭霧は、今の鎮守府に空気に困惑していた。

 敵“統率者”が要塞島へ侵攻し、それを迎え撃つために水無月島は全力出撃。

 要塞島への侵攻は止まったものの、三式潜行輸送艇・まるゆは島に帰ってこなかった。

 帰って来たのは彼女の遺品だけで、しかしその中に残されていた情報は、島の艦娘たちの中にあった火に燃料を注いだ。

 

 生じた火は、赤黒く禍々しい憎悪の火ではない。

 酷く澄んで安定した、ガスバーナーが放つような青い火だ。

 綺麗で静寂で、有害なものなど発することなど無いかと思える輝きはしかし、個々人の内包するエネルギーすべてを急激に消費しているかのようで、見蕩れつつも、それに気付いて怖くなる。

 

 狭霧は第五期建造組の駆逐艦娘だ。

 だから、この島が歩んできた歴史を伝え聞く形でしか知らず、先行組が抱いている感情をすべて共有できていないことに、もどかしさを感じていた。

 皆が同じ方を向いているのに、足並みを合わせられないでいる。気がする。

 打ち合わせや準備で忙しく駆け回っている時はいいが、こうしてふと休憩と言った時間になると、同様の感情がまた巡ってくるのだ。

 

 そして、その思いを共有するのは自分たちだけではないと、とある一室に入って再確認する。

 鎮守府の倉庫奥。埃っぽい物置部屋には、涼月と菊月が難しい顔をしてテーブルに突っ伏していた。

 第五期建造組である5隻は、特別仲が良いというわけではないが、周囲の空気に馴染めず、こうして同じ心持の連中で集まることが多い。

 そうした時は決まってこの場所だ。

 かつてこの島に居たという駆逐艦・時雨や、この島唯一の空母となってしまった熊野などが引きこもっていたという逸話があるここに、どうしてか狭霧たちは集まってしまう。

 勝手に疎外感を感じて、自分がこの場に居るべきではない、場違いな存在だと思ってしまって、しかしその感情を共有する仲間が共にいた。

 艦娘が3隻も入れば少し手狭に感じてしまうこの場所に、狭霧の後から初霜がやって来て。

 それでも窮屈さを感じるどころか、逆に安心を覚えてしまうのだ。

 

 初霜が盆に載せて運んで来たお茶で一服。

 ふと、気持ちがいつもとは別の場所に落ち着いたせいか、狭霧は普段は考えなかったような部分が気になりだした。

 第五期建造組は同じ駆逐艦という艦種でありながら、その遍歴は大きく二分する。

 開戦前や開戦後早期に沈んでしまった方と、終わりまでを戦い抜いた方と。

 狭霧自身は早くにリタイヤした組だが、同じような境遇の菊月とは考え方も異なる。

 もしも、狭霧自身が別の鎮守府で菊月と同時期に建造され、寝食を共にしたのならば、たいして話すことも、仲良くなることもなかったのではないかと、そう考えてしまう。

 

 そんな場違い感が当たり前になって、それでも慣れてしまった昨今。

 では、どうしよう、というのが、狭霧たちが集まった時に生ずる話題だった。

 場違い感はわかったし、そう簡単に払拭できるわけではない。

 いっそのこと無視して、挑むべき作戦に集中すればいいのだ。それが出来るのならば。

 

 誰かに道を示して欲しいわけでは決してなく。

 ただ、これからを生きるための軸を見付ける手がかりは欲していた。

 堂々巡りは幾度となく繰り返した。

 今顔を突き合わせている面子では、答えが出ないとわかりきっている。

 そうして今回も重苦しいだるさを背に抱えたまま、無為な時間を過ごすのだ。

 少なくとも狭霧はそう思っていた。

 血相を変えた雪風が、扉をぶち破らんばかりの勢いで物置部屋へ入って来るまでは。

 

 

 ○

 

 

 鎮守府の外へ出た狭霧たちがまず感じたものは、鼻孔を刺すような潮風の香りだった。

 風が海の香を運んでくる。波の音を。肌に纏わり着く湿度を。井の中から見たかのような青空を。

 

 深海棲艦の海域支配が限定解除された。

 水無月島の近海数十キロメートルという、限られた区域のみだ。

 一体何故と疑問するも、異常を感じて先に外へ出ていた磯風が、血が滲むほど握りしめた拳を正門に叩きつける動きで、思考が止まる。

 

「……自らの取れる手段と、その効果を熟知している。なるほど、敵は、この“統率者”はどこまでも……!」

 

 そこから先は言葉にはならなかった。

 ただひたすら正門を拳で打撃する磯風を、半泣きの雪風が制止して。

 唖然としてその様に見入っていた狭霧たちは、自分たちの後から杖を突いてやって来た人物の気配に、しばらくの間、気が付かなかった。

 

「今日は随分、天気がいいね?」

 

 呑気な口調で陽の下へと歩いて出て行く提督の姿に、狭霧は呼吸が閉塞し、全身から汗が噴き出す感触を覚えていた。

 体感が先行して、その理由は遅れて再生される。

 だがそこの頃には、提督は杖を突き損ねて転倒して、自力で起き上がることすら困難な程の衰えを露わにした。

 

 

 ○

 

 

 医務室の天井を眺めるのは、随分と久しぶりな気がする。

 若干の焦げ跡が残る医務室の天井を見てもそう感想が出てくる程、提督はこの島で目覚めたあの日のことを鮮烈に覚えていて、力の入らない口元で笑ってしまう。

 自分が何者かもわからない地点からスタートしたこの島での生活は、今思い返してもひどく充実していたのだ。

 今、提督という役割を得ている彼が生まれた場所と言ってもいい。

 様々な選択を迫られてきたし、後悔は常に付きまとった。

 それでも、選ばず停滞を選ぶことを良しとした覚えはなかったはずだと、提督は病床から身を起こす。

 

 左手側、窓から見える風景は夕暮で、この赤の色はとても綺麗だと素直に思える。

 自分が生きられない環境であるからこそそう思うのかと、定かではない思いなど脇に置いて、まずは自分の役割を果たさなければならないなと、向き直るのは右手側。

 そこに居たのは狭霧たち、第五期建造組だ。

 心配そうにこちらを見る彼女たちに対して、まず口を突いて出た言葉は「すまないね」だった。

 

「キミたちに迷いを背負わせてしまっている。進むと決めて、それに乗ってくれる皆が居て。でも、途中参加では、どうにも乗りきれないものだよね?」

 

 反応は様々。

 バツが悪そうにそっぽ向いたり、弁明しようと躍起になったり、あるいは、何故わかったとばかりに目を丸くする者も居て。

 わからないわけがない。

 そうした悩みを抱えていた艦娘は彼女たちだけではなかった。

 誰もがそうしたものを抱えるも、自力で、あるいは誰かの助言や助力を得て、そうした悩みを踏み越えて先へ行った。

 そういった光景ばかり見てきたものだから、自分の出る幕などないものだなあと、提督は常々思っていたのだ。

 以前から水無月島で生活していた彼女たちは、そうして悩み立ち止まる時間はとうに過ぎてしまっていて。

 しかし、“今”の流れの途中で生み出された彼女たちとしては、確かに戸惑うしかないだろうとも、やはり思うのだ。

 

「生き急いでいるところに付き合わせてしまって、すまないと思っているよ。でも、これもすぐに終わりが来る。だからその時まで待って……」

「イヤです」

 

 提督の言葉の先を遮ったのは狭霧だ。

 普段から人の話を聞く側に回ることが多い彼女にとって、こうして誰かの言を途中で遮ることは、建造されて以来なかったことだ。

 周囲も、そして自分自身が一番戸惑いつつも、狭霧は否定の意を言葉にする。

 

「大きな戦いが終わるまでなんて、待てません。だって、それが終わったら、提督はもう、居ないかもしれないのに……!」

 

 こうして不自由している身だ。見ている彼女たちにとっては、ひどく頼りなく映るだろう。

 居なくなった後で好きにしてくれ、などとは確かに無責任すぎる。

 

 しかしだからと言って、彼女たちに同じ心持までを強いることは避けたかった。

 彼女たちと同じ方向を、徐々に速度を上げながら進んでいるという自覚はある。

 互いが互いのブレーキとして機能していたはずだが、それらがすでに効果を失いつつあることも。

 

「失うのは、もうたくさんだ。だから、ひとつだけ皆に命令するよ」

 

 身構える駆逐艦たちに願うのはただひとつ。

 

「生きて、この戦いの終わりを見届けてほしい」

 

 ふんと、鼻を鳴らす音がした。菊月だ。

 何を今更と、彼女の顔がそう、言外に告げている。

 

「私は元よりそのつもりだ。途中退場する気は毛頭ない。あわよくば親玉の首を攫って手土産にしてやろう!」

 

 小さな体で腕組みして、不遜さや尊大さを主張しようとしているものの、膝の震えは隠せない。

 

「戦いが終わって、それで司令官とお別れだと思ったら、大間違いだぞ?」

「そうです! 私たちは、これからなんです……!」

 

 菊月の真後ろに位置していた涼月の声

 身長差のせいで睦月型の後ろに立ってもまったく顔が隠れないもので、前に位置していた菊月がびくりと震えて背後を二度見する。

 

「提督。“待つだけ”は、辛いですか?」

 

 振り絞るかのようなか細い声。

 凉月の艦としての背景を鑑みればあまりにも重い問いだが、提督はもちろんだと即答する。

 

「だから、動き続けることを選んだよ。今、缶の火を落としてしまえば、もう二度と火は灯らないかもしれないから……」

「では私は、提督と一緒に動き続けることを選びます。私も、待っているだけじゃない、その先が欲しいのですから……!」

 

 拳に力を込めての涼月の言は、彼女の前に居る菊月を押し出して提督に押し付ける形となり、初霜が慌てて止めなければ白一色のサンドイッチが出来上がるところだ。

 先行組のような“これまで”が無いならば、これから先を欲する。

 

「提督の命令、了解しました。でも、生きて終わりを見届けるのは私たちだけじゃありません」

 

 涼月の背中から身を乗り出して告げる初霜は、皆の視線が集中するとすぐに隠れてしまうが、しばらくすると顔を半分だけ出して、しかし滑舌ははっきりと。

 

「戦いの終わりを見届けるなら、提督も一緒じゃなきゃダメです」

 

 言うことは言ったぞ、うん。とばかりに頷く初霜だったが、皆は「他には?」と目で聞いてくるもので、困り顔で視線を彷徨わせるしかない。

 そうして彷徨わせた視線の先、雪風が普段の半裸からきっちりと正装を着こなした姿に変わっていて、初霜だけでなく皆がぎょっと二度見する。

 

「雪風もかい?」

「はい! 司令と妹たちに、かっこいいところを見せるのです!」

 

 なるほど確かに、今日の雪風は中々に決まっている。

 帽子に手袋に、何よりスカートをちゃんと履いているのだ。

 意気は充分と言うことか。

 

 やる気満々の雪風が手を差し伸べてくれるものだから、負けていられないと思って手を取って立ち上がりそうになる。

 そんなところをその場に居た皆や、医務室の外でこちらの様子を伺っていた皆が雪崩れ込んで来て止めようとしてくれるものだから、思わず笑ってしまう。

 視界の端、電が思い詰めた顔をしているのが気になった。

 

 

 ○

 

 

 要塞島の天蓋に居た大穴の修復跡を、大和は虚ろな目で眺めていた。

 先日、自らが砲撃して開けた大穴を、浜風が不器用ながら一生懸命塞いだものだ。

 敵の侵攻を抑えるために単艦出撃した彼女の危機を知り、居ても経っても居られなくなって、砲声だけでも届けとばかりに、修復を終えていた一番砲塔で砲撃を行ったのだ。

 それで、天蓋には大穴。砲撃の余波を受けて転がって行った明石は二日間の入渠。

 大和自身は機能制限を施されて謹慎中。

 ほぼ軟禁状態の現状においてさらに謹慎中とは笑わせる話だが、笑う気になど一切なれなかった。

 

 彼女はもう居ない。

 動けない自分を助けるために、先に行ってしまった。

 自分が足を引っ張っているなどと思うのは、行った彼女に対して失礼だ。

 だから、早く。そう逸る。

 何も出来ない時間が早く終わって、もう自分は大丈夫なんだと彼女に言いたい。

 一緒に戦うことは叶わなかったが、ならば終わりをこの目で見るのだ。

 

 艤装核の切り離し作業は、今朝無事に完了した。

 明石が無事であればもっと早く作業は成っていただろうが、頭を冷やす時間が得られたので逆に良かったのかもしれない。明石にはすまないことをしたと思っているが。

 現状を再確認する。

 敵の侵攻は一時的に停止したが、偵察機からの情報によれば、この要塞島の近海に続々と集結しているらしい。

 それも、空母を後衛に置いたアウトレンジ。

 前回と同じやり方で攻めようという腹積もりなのだろう。

 確かに、数が多い向こう側ならそれで事足りる。

 

 こちらはと言えば、意気こそ失ってはいないが、支配海域の限定解除で提督が消耗を強いられている。

 最早提督の命令が強制力とならない艦娘が増えた昨今だが、それは必ずしも良いことではない。

 ブレーキの喪失、判断の短絡化、深海棲艦化の促進。他にも悪い方に考えればきりがない。

 提督を失わせるわけにはいかない以上、こちらは準備に時間をかけてはいられないだろう。

 大和自身は準備万端、いついつでも出撃可能だ。

 敵の攻撃目標がまず“ここ”だというのは、先の戦闘でもわかっている。

 だからと、大和は自分の仕事を再認識する。

 

「ここを攻めるには少し骨だと思わせること。数さえ投入すれば潰せる程度と思わせて、出来るだけ多くを引き付ける」

 

 そのうえで生還するなど奇跡の領域ではあるが、やるのだ。

 どの道長期戦にはならない。榛名たちが超高速巡航で一気に“統率者”へと接敵するだろう。

 しかし、まるゆの持ち帰ったデータによれば、敵“統率者”は複数体の空母棲姫や戦艦棲姫を従えて入る。

 それらをすべて、あるいは掻い潜って“統率者”を討つことは、ここで踏み止まるよりも過酷なはずだ。

 

 だから、向こうの戦力まで吐き出させるよう、自分を最大の脅威だと思わせなければならない。買いかぶられなければならないのだ。

 1隻きりでそれが出来るだろうかと顔を伏せると、傍らに寄り添われる感触に、困った様な表情になってしまう。

 

「今度も一緒ですよ。今度は一緒に、切り抜けるんです」

 

 1隻ではない。

 ありがたいし、嬉しくも思うが、此度も自分の戦いに付き合わせるのかと思うと、胸が痛む。

 そんな大和の内面など手に取るようにわかるとばかりに、浜風は正面に向き直り、両手で戦艦を頬を包む。

 

「貴女が付き合わせているのではありません。私が、一緒にいたいのです」

 

 長く伸ばしていた髪をバッサリと切って整えた姿が近付き、互いの髪が触れて絡んでしばらくして、銀色はゆっくりと離れた。

 頬を赤くして息を荒くした大和は呂律の回らない口元をあわわと震わせて。

 

「……ちゅーされるかと思いました」

「お、おでこ! おでこですよ!?」

 

 療養中のピンクが口笛吹いて囃し立てるものだから、潜水艦でもないのに潜って逃げたピンクに対して浜風は手持ちの爆雷をしこたま放り込んで照れ隠し。

 

「もう爆雷は必要ありませんから! 対空装備で固めて下さい!」

 

 何かを吹っ切った良い顔で湯衣を脱ぎ去り放り捨てた浜風は、色々揺らしながら湯の中を豪快に行く。

 自分もこれから決戦だ。大和は湯の中から立ち上がり、衣装を纏うために一度髪を纏めようとするが、手先の感触がまだ戻りきらず、上手く纏めることが出来ない。

 二度、三度と失敗するうちに、明石が背後に回り込んで代わりに髪を纏めてくれる。

 療養はもういいのかと問えば、工作艦がそう何日も休んでいられないと困り顔だ。

 

「……艤装の操作に支障ないとはいえ、やっぱり不便ですよね」

「支障無しなら良し、です。幸い今は、手伝ってくれる頼もしい仲間が居ますから」

 

 簡易の脱衣所の向こうから浜風が慌てて自分がやるのだと騒ぎ出すが、明石が「すでに仕事を終えてしまったぞ」とドヤ顔で煽る。

 

「……わかっていますよね?」

「ええ、もちろん」

 

 明石の問いに、大和は即答。

 その澄ました反応が面白くなかったのか、明石は表情をむっと引き締めて、大和の艤装核ユニット接続準備に移る。

 

「手先の感触が戻らないのはリハビリ不足なんかじゃないですよ。……もう、その段階まで来ているんです」

「わかっています。自分の体のことですから」

「艤装を纏って戦えるのだって、正直あと一回が限度です」

「かと言って、今を乗り越えなければそもそも次だってやって来ません。わかっていますよ、明石」

 

 工作艦の手が止まる。

 そのまま待つ大和は、己の背後、絞り出すような声を聞く。

 

「沈みさえしなければ、どんな損傷だって直します。でも、こればっかりは私にもどうにも出来ないんです。戦える艦娘として貴女を永らえることは出来ない」

「メンテ不足に老朽化に、さらには無茶な変異で艤装核へのダメージも深刻。これを直して永らえさせろなんて、死を覆すような無茶を要求することは、大和にだって出来ません」

 

 その言葉を聞いたところで、背中で不満を押し殺している工作艦は納得するまい。

 だからその時はと、以前から考え続けていた計画を推し進めるよう念押すのだ。

 

「その方法だけが、大和が最後まで皆さんと一緒に戦える方法です」

「貴女の妹が聞いたらなんて言うか……」

 

 きっと同じようにするはずですよ、と。大和は手鏡越しに明石に笑んだ。

 

 

 ○

 

 

 出撃前の雰囲気にしては妙に落ち着きがないなと、重巡・プリンツは腕組みし目を細める。

 普段ならばその落ち着きのない輪の中に居るか、一歩引いた位置からそれらを見ていたものだが、今はそれらと相対する位置にあった。

 この喧騒を諌め、纏める側にいるのだ。隣りの清霜に「どうしよっか?」と顔を向けて丸投げ気分にもなる。

 敵“統率者”、仮称個別コード“クレイン”に対する迎撃作戦を臨む最終打ち合わせがこの有り様だ。

 不安や不満を露わにしている、ということでは決してない。

 皆ようやく、余分な力が抜けたのだ。

 

 今まで同じ方向へとブレーキの壊れた状態で突っ込もうとしていたものを、「待て、少し待て」と互いに制動をかけて、ようやく微速の状態にまで安定させたのだ。

 第五期建造組の功績だとも言えるし、さすがにあんな姿の提督を見せられては一度落ち着かねばとも思うもの。

 

 そして、隣りの清霜の方はと言えば、諸手を振り上げて「言うこと聞かないとー、阿武隈ちゃん起きて来るよー! いーのー!」などと発するものだから、出撃場に集った全艦の動きが一瞬止まる。

 止まるが、すぐに喧騒を取り戻すものだから、眠りに着いてなお、阿武隈の存在は大きかったのだなあと、感心の溜め息しか出ない。

 先行して建造された艦娘たちは次々と離脱してしまい、もはやプリンツと清霜が一番の年長者だ。

 年長者となってしまったからにはこうして仕切って段取りしてと、そういう役割を任されるものだが、適役は他にも居るよなあと、僅かに不満。

 まるゆがそういったリーダー的な位置から距離を取っていたのも少し狡いと思ってしまうが、だからこそ自分たちが頭にされたのだなと、そういった確信はある。

 

 鎮守府に置いては提督に次ぐ権限の持ち主となってしまえば、己が沈むリスクを最大限排除するよう立ち回らなければならなくなる。

 各々の判断で動けなくはないが、それはあくまで単艦の判断としてだ。艦隊運動の範疇ではなくなってしまう。

 伊勢型が支配海域を脱する時と同様の状況に陥る危険性がある。単艦が単艦として最善の動きをしようとすれば、散発的に、しかし確実に轟沈する可能性は上がる。

 そんなことは最早、誰も望んでいない。海の神様にだって、誰も連れていかせない。

 だから、この位置は戒めだ。自分以外の誰かがやればいいとは思うが、自分がやるべき役割とも思っている。

 

「……だって筑摩じゃ危ないし、熊野はメンタルが不安定だし。鳥海は一番向いている風な感じなのに一番向いていないしで……」

「あの、聞こえるように言ってます? プリンツ・オイゲン。ねえ? 一応私、戦時中は旗艦を務めた経験も……」

 

 鳥海の眼鏡が曇り出したので、両手を小さく上げて「まあまあ」と雑に諌めておく。

 サイドテールを揺らしてにこにこ寄ってくる筑摩は、どこか洒落では済まされない雰囲気を醸しているので、姿勢を低く低く。

 実際、自分や清霜でなければ酒匂を推したいプリンツではあったが、彼女は今回大和の護衛に徹するため、指揮を任せることは避けたかった。

 それにと、プリンツ自身にも、自らが艦隊旗艦と動く有利な点は理解している。

 味方に大和が、そして敵側に“クレイン”が居る以上、発生する再現行動は太平洋戦争をクローズアップした形を取るはずだ。

 そこにプリンツ・オイゲンの枠は用意されていない。ならば、自由な位置で立ち回ることが可能なはず。

 もしも敗色濃厚となろうとも、その時のことも考えてある。

 こうして、皆の前で宣言するべきセリフも。

 

「それではー、アドミラールから一言」

 

 隣りの清霜が「がっかりだよ」とばかりに眉を下げた顔で見てくるが、ラッキーガールは多くを語るべきではないのだ。

 椅子に深く腰掛け、杖を支えに蹲るようにしていた提督は顔を上げて、びっしりと汗を浮かべた真っ青な顔で笑んで見せる。

 今や時計の針が進むごとに新たに合併症を引き起こしている提督ではあるが、だからこそ口が利けるうちに話が欲しい。

 

「僕からはふたつ。まず、今回の作戦においては、無線封鎖を解除する。全通信回線をオープン状態で行くよ。敵側にこちらの動きが読まれる可能性はもちろんあるけれど、この機会にそれを逆に利用しよう」

「誤情報たくさん送って飽和攻撃ぴょん!」

「この日のために、新しい暗号組んだのが役に立つっしょ?」

 

 得意げな顔で告げる漣に対して「それネットスラング……」と指摘する艦娘はこの場には居ない。

 

 これまでは敵に動きを知らせないよう、無線封鎖しての作戦行動を基本としていたが、通信傍受を逆に利用するという策は常に話し合われていた。

 そのタイミングに関しては幾つかの案が上がったが、概ね最後の手段という形で見送られてきた。

 最後の手段を、今回の作戦に投入するのだ。

 

「もうひとつ。無線封鎖解除に合わせて、本作戦の動向を衛星経由で本土へ送信するよ。せっかく、この島の周囲が支配解除されているんだ。またとない機会だよね」

 

 叶うならば、今は遠い場所に居る家族たちに、自分たちが健在であると知らせたい。

 これが最後になるのかもしれないから、という悲観的な理由もあるが、決してそれだけではない。

 勝敗の有無に関わらず、ここ、最前線が大きく動くのだ。

 動向次第で本土や“大浮島”が動くための指針をつくることにもなるだろう。

 

 そしてプリンツ自身としては、故郷に自分の活躍が届けばいいと、そう思う。

 アドミラールヒッパーの姉妹たちに、勇壮なビスマルクに、貴女たちの姉妹は最も過酷な環境下で戦っているぞと。

 貴女たちの姉妹が得た家族は、こんなにも心強いのだと。

 そんな連中の旗艦が、このプリンツ・オイゲンだ。

 沈むわけにはいかない理由ばかりが積まれてゆく。

 

「ああ、ごめん。あと、もうひとつだけ」

 

 息を整える提督の口からは、たった今思い付いたのだろう、みっつめの言葉が発せられる。

 

「僕に、終わりの先を見せて。この戦いの終わりの、その先を」

 

 示し合わせた訳でもなく、全艦の敬礼が揃う。

 自分たちもそれを望んでいるのだと、再確認させられる。

 

 いい傾向だと、プリンツはそう頷く。

 この提督にはもっと欲深く、多くを望んでもらわなければならない。

 こんなところでぽっくり逝かれてしまっては困るのだ。

 彼にはまだ、この島に帰り着く皆を待つという、重要な役割が残されている。

 だから多くを望み、その望みを叶えるために、しぶとく生き永らえてもらわなければ。

 

 さて、と。プリンツは軍帽を深く被り直す。

 ささやかな戦力ながら、総力戦だ。

 最終決戦がまだ後に控えているが、出し惜しみは無し。

 これまでは守りに、そして逃げに徹しすぎた。

 燻る時間はもう終わり。

 今度はこちらから仕掛ける番だ。

 

 

 


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