孤島の六駆   作:安楽

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波間②

 

 

 

 外が薄明るくなる頃、青年は布団に横たえていた身を起こした。

 昨夜はほとんど眠ることが出来ず、寝返りを繰り返すばかりだった。

 暁たちの提督になると決意して、彼女たちから同意を取り付けて……。

 しかしそうなると、いよいよ緊張や不安が押し寄せてくるのだ。

 自分に出来るか。

 自分に背負えるのか。

 

 枕元には、電が持って来てくれた新しい服が置いてある。

 白い夏用の軍服と、手袋、そして軍帽。

 提督の制服。階級などに関わらず支給される、最低限のものだ。

 青年は無許可で提督として活動するので、襟章や袖章、軍刀などの品を身に帯びることはない。

 この軍服も、この島の前提督の予備品として保管されていたものを、電が青年の体に合うように縫い直したものだ。

 

 自分はこの軍服に見合う行いが出来るだろうか。

 ……海軍の許可なしに提督になろうとしているのだ、見合うも何もあったものではない。

 青年が考えているのは、自分がちゃんと暁たちの提督になれるのかという不安だった。

 

 幾度も自問しながらも、青年はついに、鮮やかな白に袖を通すことが出来なかった。

 踏ん切りがつかないわけではない。

 もう彼女たちと一緒に島を出ると決めたのだ。

 行動すると決めたのだが、それでも最初の一歩をどうしても躊躇ってしまう。

 

 青年は軍服を枕元に畳んで置き、ちゃぶ台の前で胡坐をかく。

 水を飲んで少し落ち着こう。

 それと、深呼吸を。

 いや、それとも、運動がてら早朝の島を散歩しに出かけようか。

 落ち着かない心が体を動かすよう急かす中、青年はふと、薄暗い部屋の中に人の気配を感じた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ことり、音を立てて、湯飲みがちゃぶ台に置かれる。

 湯飲みの中は白い湯気を立てる煎茶。青年が煎れたものではない。

 

「さあ、どうぞ。お飲みになって」

 

 ちゃぶ台を挟んだ反対側に居る人物が、青年にお茶を入れて差し出したものだ。

 

「ああ、これはどうも。いただきます」

 

 青年は恐縮そうに会釈して、湯飲みを手に取った。

 この部屋には青年しかいないはずなのだが、こうして青年でもない、暁たちでもない人物がいる。

 もちろん、この島には青年と暁たち4姉妹以外に人間はいないはずなので、6人目がいることなどあり得ないのだ。

 そんな異常事態にも関わらず、青年はまったく気にする様子もなかった。

 至極普通の、当たり前のことだとでもいうように、ちゃぶ台の向こう側の人物と世間話を始めたのだ。

 

 

「……何か、お悩みのようですね?」

 

 そう問われて、青年は湯飲みの中へと視線を落とした。

 

「……こうして部屋でひとりで考えていて、彼女たちがあんな風に擦り切れた笑顔を浮かべるようになったわけが、なんとなくわかる気がしたんです。辛い顔を、苦しそうな顔を見せないように。心配かけないようにって、一度無理を始めると、それをどんどん積み重ねていって……。もう素の顔を出せなくなる、被った皮をはがせなくなってしまうんだなって……」

「みんな、優しい子ですからねえ……。それで、余計に頑張ろうって考えてしまうのでしょうねえ。なるべく辛い顔を見せないように、と考えると、一緒にいる時間がどんどん減ってしまって、ひとりでいる時間の方が多くなってしまったのでしょうねえ……」

 

 そうして、ひとりで延々と思い悩む悪循環を繰り返し、擦り切れてしまったのだろう。

 青年が眠れなかったのは、自分もその入り口に立っていると気付いたからだ。

 

 これからはもう客人という立場ではない。

 暁たちと一緒にこの島を脱出するために行動するのだ。

 彼女たちの提督として、彼女たちに戦う指示を出さなくてはならない。

 それを、本当に自分が出来るのか。

 彼女たちの“提督”になれるのか。

 

 

「貴方なら、なれますよ。きっと」

 

 向かい側の人物が優しくそう告げる声に、青年は顔を上げる。

 

「貴方は言ったでしょう? 彼女たちの重荷を、ちょっとでも一緒に背負うと。それが、提督としての第一歩だったんじゃないかと、ボクは思うのですがね?」

「僕は……、もうその一歩を踏み出していると?」

 

 ええ、と。向かい側の人物は頷く。

 

「貴方が提督になったのは、彼女たちを助けたかったからだ。人が提督になる理由は様々です。故郷や愛する人を守るため、敵への復讐を果たすため、富や地位、名声を得たいがため……。しかし、貴方の理由は、そうじゃなかった。貴方の理由は、あの子たちだ」

 

 この島に漂着して、それまでの記憶を失っていて。

 確かに、自分が何者であるかという不安がなかったわけではない。

 しかし、それ以上に、暁たちのことが、心配だった。

 見ていられなかったのだ。

 

「貴方は、あの子たちのために提督になろうとした。ならば、あの子たちの提督は、貴方にしかなれない」

 

 青年はその言葉に、自分が勇気づけられるのを感じた。

 本来ならば暁たちに話すことなど出来ず、ひとりで延々と思い悩むしかなかった悩みだ。

 それが、こうして理解者となって背中を押してくれる人物がいた。

 自らも悪循環の一端となっていたかもしれない悩みを、こうして緩和することが出来たのだ。

 

「ありがとうございます。気分が楽になりました」

「それは良かった。これから、厳しい戦いになると思いますが、くれぐれも気を付けて……」

 

 そして、向かい側の人物はこう告げる。

 

「あの子たちのことを、どうかよろしくお願いしますね……」

 

 

 

 ○

 

 

 

 自室の戸を叩く控えめなノックの音で、青年は目を覚ました。

 ノックに次いで、電の心配そうな呼びかけがあり、青年は慌てて起きていると返事する。

 そうして身を起こして伸びをすると、どういうわけか、ちゃぶ台に突っ伏して眠っていたらしいことに気付く。

 ちゃぶ台の上には湯飲みがあり、中身のお茶の残りはすっかり冷めてしまっている。

 自分で煎れたものだろうかと、青年は訝しげに頭をかいた。

 

 昨晩はずっと眠れず、明け方まで意識がはっきりと覚醒していたはずなのだ。

 それがどういうわけか、気が付くとちゃぶ台に突っ伏して、お茶まで自分で煎れている。

 もしかしたら夢遊病の気があるのかもしれないなと、青年はあとで雷に相談しようと心に決める。

 

 着替えをと、布団の枕元に置いてある軍服を手に取る。

 昨晩は、これに袖を通す資格が自分にあるのかどうかと、ずっと悩んでいた気がする。

 しかし今は、悩みこそ無くなりはしなかったものの、もっと前向きな気分だった。

 

 誰かに背中を押してもらったかのような安心感と共に、青年は白い軍服に袖を通した。

 

 

 


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