孤島の六駆   作:安楽

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7話:

 

 

 

 部屋の前で待っていた電はいつものエプロン姿ではなく、彼女たち第六駆逐隊に支給された制服姿だった。

 と言っても、10年前当時の制服を彼女たちが着られるわけもなく、電が今の体型に合わせて縫い直したものだ。

 普段は暁しか被っていない帽子まで小脇に抱えている。

 彼女たちの正装の姿だ。

 

「おはようございます。ええと、司令……」

「電、ストップ」

 

 開口一番、電が“司令官”と呼びそうになるのを、青年は彼女の唇に指を当てて止める。

 まだそう呼んでもらうのには気が早い。

 せっかくだから、みんながいるところで正式に「このたび提督になりました」と宣言する方がいいと思ったのだ。

 

 唇に指を当てられ恥ずかしそうに身を竦めていた電は、青年の軍服姿を上から眺めていき、眩しそうに目を細める。

 この鎮守府に再び提督が着任することになり、彼女も感慨深いのだろう。

 

「お兄さん、良く似合っているのです」

「電もね。普段のエプロン姿もいいと思うけれど」

「むう。お兄さん、素直に褒められてくれないのです……」

 

 少しばかり顔を赤くした電は不満げに頬を膨らませ、部屋を後にする青年に続く。

 

 

「朝ごはんの前に寄って行きたいところがあるんだけど、いいかい?」

「もちろんなのです。というか、みんなもう、そこに集まっているのです」

 

 くすくすとおかしそうに言う電。

 どうやら考えを見透かされていたようだと、青年は苦笑いして頬をかいた。

 

 ふたり並んで向かうのは、提督の執務室。

 電が言うには、他の3人もすでにそこで待機しているのだ。

 

「緊張はしていない?」

「はい、実はちょっと……。昨日はあんまり眠れなくて……」

「僕もだよ。明け方近くまで起きていたみたいなんだ」

 

 ひとりでお茶など入れて飲んでいたら眠ってしまったと青年が話すと、電は不思議そうに首を傾げる。

 曰く、青年の部屋にはコンロやポットの類は置いておらず、どうやって暖かいお茶を煎れることが出来たのか、というものだった。

 言われてみればと青年は顎に手を当てるが、それほど重要なことではないとばかりに肩をすくめた。

 電の方もそれ以上追及することはなかったが、それとは別に思うところがあったようだ。

 

 

「あの、司令……、お兄さん。本当に、いいのですか? 大丈夫なのですか?」

 

 電の控えめながらもはっきりとした問いは、本当に青年が提督になっても大丈夫なのか、というものだ。

 昨晩、ふたつほど青年に要求した電ではあるが、それでもまだ、青年が提督として動くことに納得し切れていないようだ。

 無理に止めはしないものの、青年は本当に提督となることを是とするのか、それを確かめたかったのだ。

 

 電の気遣いに、青年はふと、視線を外して考える。

 そして、隣を歩く電の方を見ずに、こう問う。

 

「電、お願いがあるのだけれど、いいかい?」

「はい。なんでしょう……」

「僕がこれから提督としてやっていく中で、本当に無理そうだ、もうダメそうだと思ったら……。僕を止めて欲しいんだ。どんな方法でもいいから」

「どんな方法でもって……! ええ!?」

 

 物騒な想像をしてしまったのか、電が足を止めてぷるぷると震えだす。

 

「ああ、そこまで思いつめなくても……。逆効果だったかな。電にお願いするのは……」

「い、いえ! そんなことはないのです! ぜんぜん大丈夫なのです! お望みとあらば、料理人の命である包丁を持ち出しても!」

「あーあー、そこまで思いつめないで! ごめん、僕が悪かった!」

 

 目をぐるぐると曇らせ、本当に包丁でも取り出しそうな雰囲気の電を宥め、青年は困ったように笑う。

 

「ちゃんと説明するべきだったね。……その、僕はたぶん、提督をするうえで、いろいろ悩んだり抱え込んだりすると思うんだ。昨日もそれで眠れなかったくらいだし……。でも、きっと、それをみんなに打ち明けずに隠そうとする」

 

 電の表情が曇る。

 青年が言うのは、今までの電たちと同じになってしまうということだ。

 辛い部分を見せないようにと無理に笑顔をつくり、悩みをひとりで抱え込んでいしまうこと。

 

「だから、そうならないように、見張っていてほしいんだ。僕がそうなりそうだったら、無理やりにでも指摘して、止めてほしい」

「わかりました。でも、どうして電に?」

「電は、最後まで僕が提督になることに反対してくれていたからだよ。自分たちの事情よりも、僕のことを案じてくれたから、頼みたいんだ」

 

 今から提督になるというのに、もう弱音を吐いているなと、青年は自嘲する思いだった。

 本来ならば、こういった弱い部分を見せずに毅然としているのが提督なのだろうと、青年は考えている。

 しかし、自分にはそういったことが難しいだろうなとも、思っていたのだ。

 

「あの、暁ちゃんたちも、別にお兄さんを無理やり提督にするつもりでは……」

「わかってるよ。でも、反対はしないって明言させちゃった以上、その役目を任せるのはちょっと気が引けてしまてね。それに、今は動きを止めたくないんだ。結果が着いて来るかはわからないけれど、早く動き出したい」

 

 焦っている、というわけではない。

 ただ、ようやく現状から動き出せた以上、再び立ち止まってしまうことはしたくなかったのだ。

 

 電は自分だけ特別なお願いをされたことが、嬉しいような、申し訳ないようなといった具合だったが、やっぱり嬉しかったのか、曇り気味だった表情がすっかり晴れ渡っている。

 

「ふふ。今は、電が一番頼られているのですね」

 

 そうして、ふたりは提督の執務室に向かう。

 青年が歩幅を自分に合わせてくれていることに気付いた電は、はにかんだ笑みを浮かべながら先を急いだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 提督の執務室は、電が定期的に掃除しているのだそうだ。

 隅々まで掃除が行き届いているせいか、生活感のようなものはそれほどない。

 それでも、暁たちには10年前の残滓を感じ取るには充分だったようで、青年が入室した際には、どこかしんみりした表情をしていた。

 

 電はすぐに暁たちに合流して、執務机の前に整列する。

 机の椅子はすでに引かれてあり、さあ座ってくれと言わんばかりの状態だ。

 青年は緊張した面持ちで椅子へと向かう。

 暁たち一同がいつになく真面目な表情をしているせいか、こちらまで気を引き締めなければと考えてしまうのだ。

 

 しかし、同じように緊張してかちこちと固くなっている暁を見て、青年の方は逆に緊張が和らいでゆく思いだった。

 どこか微笑ましいと、場違いにもそう思ってしまうのだ。

 それに、暁の隣り。響などは、口の端がひくひくと動いている。笑うのを堪えているような震え方だ。

 ふと、そこで青年の中に悪戯心が湧いてくる。

 

「――響、暁の脇腹をつんつんしてあげて」

「――了解」

「ちょっとー!? なんでよ! 真面目にやろうとしてたのにー!?」

 

 隣りの姉をつんつんし始めた響と、青年の指示に憤慨する暁。

 

「肩の力を抜いたほうがいいかなって、思ったんだけど……。余計なお世話だったかな?」

「そうよ! せっかく真面目に……。って、響はもうつんつんやめなさい! 雷と電は混ざるなー! つんつん混ざるなー!!」

 

 妹たちにつんつんされて、暁は恥ずかしさと苛立ちで真っ赤になりながら青年に詰め寄る。

 

「お・に・い・さあん!?」

「ごめん。さあ、はじめようか」

 

 青年が仕切り直すように椅子を引くと、暁たちは再び執務机の前に整列する。

 今度は、みんなが肩の力を抜き、表情も先程よりはリラックスしたもの……、というよりは、気の抜けてしまったものになってしまった。

 でも、緊張でがちがちになってしまうよりはいいのかなと、青年は自分の甘さを自覚する。

 

「それでは、新しくこの鎮守府の提督になりました……、ええと、名前がわからないから、みんな好きなように呼んでください。それで、本日、現時刻を持って、10年前に発令された待機命令を解除。艦娘は作戦行動への参加を解禁します。海上へ出撃及び、深海棲艦との戦闘行為をも解禁」

 

 戦闘行為の解禁。

 そう告げたところで暁たちの表情は一瞬強張ったものの、互いの手を握り合って不安を堪えた。

 

「本鎮守府の最終目標は、深海棲艦の打倒ではない。この孤島からの脱出及び、故人の遺品を遺族に届けるもの、故人の遺言を果たすものであると定める。作戦立案から開始までは、随時打ち合わせをしていこう。そして、本作戦を遂行する上でもっとも重要な二項を告げる。毎日定時に食卓に着くこと。そして、自らを含め、誰も悲しませないために行動すること。――以上、なにか質問は?」

 

 暁たちからの質問はない。

 青年はひとつ頷くと椅子を引いて立ち上がり、無帽の敬礼を行う。

 一拍ほど間をおいて、暁たちも帽子を取り敬礼。

 そうして礼を解いて青年は椅子に座り直すと、深く息を吐いて緊張を解いた。

 

「……記憶をなくす前の僕は、絶対こういう、大勢の前でかしこまって話をすることが苦手だったと思うよ」

 

 困ったような顔で言う青年に、我先にと噛み付いたのは暁だ。

 

「そうね、30点ってところかしら? 口調が砕けているところがあったり、表現に曖昧な箇所があったり……」

「あ、暁は厳しいね?」

 

 つんつんのことをまだ恨んでいるのだろうか。

 対して、電などは昨夜青年に提示した条件をちゃんと含んでいたことが嬉しかったのか、満面の笑みだ。

 

 そこで、雷が質問を求め挙手する。

 先ほどのような堅苦しい雰囲気よりも、今のタイミングの方が良いと判断したのだろう。

 

「それで? 暁も言ってるけれど、曖昧なところはどうすればいいの? 作戦立てるための打ち合わせって言っても、私たち、特に響なんかは設備周りのこともあるんだし……」

「そうだね。そこは無理のない範囲で、みんなが集まれる時に少しずつ打ち合わせていこうと考えているよ。建て直したりしなければならない施設もあるだろうし。ね?」

 

 そう告げた青年が視線を向ける先は、言いたいことを言ってすっかり油断しきっていた暁だ。

 先日の島の案内の際、暁は艦娘に関わる施設、工廠施設や入渠施設へのルートを避けて通っていた。

 艦娘関連の施設を見せないようにしていたのは、青年に余計な思考を持たせないためだったのだろう。

 それが、期待通りというか、期待外れというか。

 青年はこうして提督の椅子に座ってしまっている。

 

「今度は、ちゃんと案内してくれるよね? 暁」

「もちろんよ。なんなら今からでも?」

 

 すっかり案内する気になっている暁を諌めるように、隣の響が姉の脇腹を突っついた。

 確実に大きなリアクションを得られるこの方法を、どうやら気に入ってしまったようだ。

 

「入渠施設は見てもらって構わないけれど、工廠施設は崩落している箇所もあるから気を付けてほしい。見て回る時は私も同行するから、必ず呼んで」

 

 青年が了解の意を返すと、響も雷も頷いて。

 暁からも電からも追加の質問はない。

 

「それじゃあ、最初の打ち合わせだけど。その前に、まずは朝ごはんだね」

 

 

 

 ○

 

 

 

 そうして、青年は暁たちを連れて、食堂へと進む。

 途中、電が思い出した様に、慌てて青年を呼び止めた。

 

「あ、あの! もう、司令官さんって、呼んでも……?」

 

 青年も暁たちもびたりと歩みを止めて、そう言えばすっかり忘れていたなと、気まずそうに目を細める。

 

「よろしく、司令官」

「あ、ずるい! 司令官、私にも!」

 

 響が我先にと握手を求め、雷が続き、出遅れた暁がそわそわし出して、一歩離れたところで電が見守っていて。

 青年はそんな暁たちの様子に、過去の彼女たちの姿を幻視する。

 今よりもずっと背が低く、幼く、しかし、艦娘としてしっかりと任務をこなしていたであろう、彼女たちの姿を……。

 

 暁たちは、噛みしめるように「司令官」と青年を呼ぶ。

 嬉しさや申し訳なさ、期待や不安。

 様々な感情を込めて。

 

 様々な感情が胸に渦巻くのは青年も同じだ。

 しかし、今はその感情を抑えて。

 提督となった青年は、彼女たちを連れて再び食堂へと歩を進める。

 

 

 




7話:提督が鎮守府に着任しました、これより艦隊の指揮を執ります



序章『孤島の第六駆逐隊』完

第1章『開発資材の獲得』へ、つづく

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