ダンジョンで野望を抱くのは間違っているだろうか 作:黒沢さん
遠くから、犬の鳴き声が聞こえた。
まるで水の中にいるみたいにくぐもった鳴き声が、何度も何度も頭を揺らす。
(…うるせぇ…)
ぼんやりとした思考の中で、俺は思わず顔を顰めた。いい心地で眠っていたというのに、なんて無粋な犬っころだろうか。
ーーーわんっーーーわんっ、わんわんっーーー
また、何度も何度も犬っころの声が、今度はかなり近くから聞こえてくる。まるでざらついた布地で脳を思いっきり舐られた様な感覚がして、俺は更に顔をしかめる。
(…何だよ、さっきから!くそっ!マジでうるせえよ!そろそろ黙れよ!)
「うるせえってんだよ!」
「きゃいんっ!?」
思うがままに叫んで、俺は上半身を一気に引き起こした。隣で鳴き喚いていた犬っころが俺の唐突の行動にびくっと細い身体を揺らして、たっかたっか逃げていくのが視界の端に見える。
「はあ…はあ…ったく…何で犬なんかが俺の部屋に…」
言いながら、俺ははたと体を硬直させた。
(ん?今の声、誰のだ?)
辺りを見回す。どうやらここは路地裏の様だ。俺以外は誰もいない。どうしてこんな所にいるのかは知らないが、とりあえず立ち上がって辺りを見回す。
「ここは…って、今の声、俺のだったのか…?」
俺は喉に手をやりながら呟く。何でって、良い年こいた男子高校生である俺の声が、いきなりショタっぽい声に変わっていたら誰だって驚くわ。
「あー、あー…うんっ、あー…」
発声練習をしながら、とりあえずちょっと歩いてみる。何だか歩く度に違和感が半端無い。何か、足が細いと言うか、歩幅が圧倒的に足りないと言うか、体重が足りないと言うか、そもそも、視界の高さが足りないというか…とにかく、様々な違和感が同時に俺の身体中にまとわりついている。何だこれ不思議な感覚。
路地裏を進んで右に曲がった所で、ふと視界を下にやると水溜りが見えた。そこに近づいて水面を覗き込む。
そこには、見知らぬ少年の姿があった。
年は10、11歳程だろうか。全体的に細く、白い。髪の毛が闇の様に真っ黒なのに対して、肌が対照的に白すぎる。目も同じ様に真っ黒で、底知れない闇を瞳に宿しているかの様だった。
(…もしかして、これって転生?)
俺はすぐに直感した。
朝、目を覚ますと見知らぬ場所。
さらに、身体が見知らぬものへと変化していた。
さらにさらに、年齢もかなり若返っていた。
うん、これはもう、疑いの余地もない。
「…俺は、転生してしまったのか」
呟く。
俺、高梨翡翠。高校3年生の受験シーズンまっしぐらなナイスガイ(自称)。
…転生、してしまいました。
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昨日の事なら思い出せる。というか、いつも通りの日常だった筈だ。学校行って、勉強して、家帰って、飯食って風呂入って、勉強した後ゆっくりして、それから布団に入って目を瞑って…どう振り返っても可笑しい所など一つもない。猫を助けようとトラックに突っ込んだ記憶も無いし、神様に間違いで殺されて詫びとして転生させて貰ったなんて記憶も無い。ただ何時もの様に布団を被って眠っただけだった。
だと言うのに、目を覚ますと路地裏だ。しかも現代的な路地裏ではなく、建物や地面などにレンガが使われた、明らかな中世ヨーロッパ風の路地裏だったのだ。
まだ分からないが、異世界である可能性大。俺の勘がそう告げていた。俺の勘は良く当たる。今のうちに覚悟しておこう。
「とりあえず、ここから出て人と接触しよう」
てくてく歩きながらそう呟く。身体が小さくなってしまったからなのか、歩くのが異常に遅いと感じてしまう。
しかも、問題なのは今の服装である。
くたびれた布の半袖と短パンの上から、これまたくたびれた灰色のフード付きの外套。足は裸足。下が綺麗なレンガの道だったから良かったものの、今の時間帯が朝らしい為結構寒いし冷たい。歩く度に足の芯に痛みが走る。運動不足で運動音痴な俺だったが、それがここに来て弊害となったのかもしれない。
(…はあ、せめてチュートリアルと皮の防具くらいは揃えて欲しいよ全く…)
寝ている間に異世界に最低限の装備で異世界に放り出すとか、なんて優しく無い異世界転生なんだろうか。異世界転生ものの小説は好きだったが、これは流石に酷し。
と、しばらく歩いて、やっと人の喧騒の聞こえる場所にまで来た。俺はてててと小走りでその喧騒の下へと走っていく。
「…おおっ」
俺は目を見張った。
朝の喧騒を横切っていくのは、鎧に身を包んだ獣っ娘達。
剣を腰や背中に下げて重厚そうな鎧を装着した、いかにもファンタジーな恰好をした集団が大通りを歩いていく。道の端には露店が連なる様に出されており、まだ日も上りきっていないというのに元気に商売をしていた。
「何か、異世界って感じだ」
俺は目を輝かせながらそう呟いた。既にテンションは振り切っていて有頂天になりかけている。だって目の前にファンタジーな光景が広がっているのだ。男の子なら誰だって興奮するに決まってる。
「そこの旦那!これなんかどうですかい!朝飯にぴったりでさ!…ん?坊主ぅ、んな所にいたら店が汚れて見えちまうだろ!どっか行った行った!」
「えっ?あっ、はい」
と、丁度隣で商売していた商人のおっちゃんに手でしっしとされた。確かに今の俺のみすぼらしい恰好じゃあ文句も言えないけどさあ。
俺は頷きつつ、ふとおっちゃんに視線を戻して口を開いた。
「ねえ、ちょっと聞いて良い?」
「ああ?何だよ、何か用でもあるのか?」
面倒くさそうに顔を顰めて、不機嫌そうな声で返してきた。どうやら隠す気も無いらしい。今の俺、子供の恰好してるよな?このおっちゃん子供にシビアだなおい。
「俺、最近来たばっかりでさ。この街の名前って知ってる?」
「知らん」
まさかの即答である。
明らかにこちらを追い返すために適当に応えたんだろう。おっちゃんは犬でも追い返す様にしっしと手を振った。
「ほら、用はそれで終わりか?なら、とっととどこかへーーー」
「いーじゃーん!おーしーえーてーよー」
「ああっ!?あ、おい、お前!揺らすな、揺らすなよおい!」
相手がその気ならこっちだって実力行使だ。腕を引っ張って先ほど身に付けたショタボイスを出来るだけ甘ったるくしておねだりする。ここまで子供(中身は思春期真っ只中の青年)におねだりされて引き下がらない大人はいないだろう。いたとしたらそれは人の皮を被った鉄のマネキンだ。
「分かった!分かったから引っ張るな!」
「ありがとう、おっちゃん!」
やっとの事で教える気になったので、ぱっと手を離す。おっちゃんは観念した様に両手を挙げて、ため息一つついてこう言った。
「はあ…いいか?ここはオラリオ。広大な地下迷宮『ダンジョン』を中心に栄える、『迷宮都市』オラリオだ」
おっちゃんは、面倒くさそうにそう言って、これ以上は話す気はないと言った風に俺から視線を外してしっしと手を振った。