第一画目
僕は昔、ある冒険をした。
とある美術展、そこから繋がる深い深い海の底のその先にあったとある男の世界。
恐ろしくも美しい彼ーーゲルテナの世界に僕達は誘われた
そしてその次元へとたどり着く前、僕は女神と出逢ったんだ。
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ーーーーゲルテナ展、市営の美術館で開催されている普遍的な美術展だ。
だがゲルテナは世界的な美術家であり、その独創的な作品の数々は愛好家達にとって垂涎ものの作品ばかりである。
あるのだが、一般人の場合、そういうばかりではない。美術が分からない人ーー特に子どもにとっては、こういった美術展は酷く詰まらないものだろう。
その例に洩れず、現役アウトドア派小学生である吉井明久は、美術展の雰囲気に今にも息が詰まりそうだった
「プハッーーー息するの忘れてた…」
ーーーーー先程の事で分かった方々も多いだろうが、一応記しておこう。彼はバカである。この頃特有の幼稚さでは無く、ただただ純粋にバカなのだ。そんなアウトドア型のバカが何故こんな美術館に来ているかというと、彼の親が美術品を見せることで、彼のバカ故の行動が少しでも治らないかと考えたのだ。
しかしそんな思惑など彼が気にするはずもなく
ーーたいくつだな〜
などと考える始末である。そんなこんなで、ボーっとしながら美術館を回り始めようとしたが、不意に背中からの衝撃を受け前のめりになりながらこけてしまった。
「いてて…な、何?」
こけた時にうった額を撫でながら背後にある、いやいる影へと目を向けた。
ーーそこにいたのは、少女だった。彼と同じくらいの年だろうか、茶色がかった背中まである髪、造形の整った顔立ち、そしてルビーのような赤い瞳、可愛いとも称されるだろうが、明久には自分の語彙の中で美しいというのがピッタリと当てはまった。そんな少女とぶつかってしまったという事に気がつき、彼はとても慌てた。
「ご、ごめん、大丈夫だった!?」
とっさに彼女に近よるが、その勢いが良すぎたのか、少女は少々身を強張らせた。そんな様子に気が付かず手を差し伸べる。
「本当にごめんね、たてる?」
少女はその手を見つめたまま数秒固まり、おずおずと差し伸べられた手をとり
「…うん」
と小さく、明久に応えた。それを聴いた明久はさらに謝った
「ごめんね、ボーっとしてて、えっと」
とっさに彼女の名前を呼ぼうとしたが、その名前を知らないことを思い出したとき、少女から「イヴ…」と聞こえた
「イヴ?ーーもしかして君の名前?」
「…(コク」
少女ーイヴが頷くのを見て、明久は自分の手を掴んでいるイヴの手に空いている手も重ねて笑顔で握手する。
「僕は明久!よろしくねイヴちゃん!」
その屈託の無い笑顔につられてイヴも顔を綻ばせた。
その笑顔に明久は数瞬見惚れてしまった。が、イヴがその様子にコテンと首をかしげたのを見て、彼は正気を取り戻した。そして、見惚れていた事を誤魔化すため、イヴに一緒に美術館を回らないかと提案し、イヴがそれに同意した。
これが二人の始まりの物語ーーそのプロローグである
◇◆◇
床に敷かれた深海魚の絵画、明久はそのタイトルが書かれたボードを眺めて
「えっとーふ、"ふかうみのよ"?」
「…"しんかいのよ"だよ」
漢字の読み間違いをイヴに訂正されて少々顔が赤くなる。
「すごいね。こんな字まで読めるなんて」
「勉強したからこれ位…」
「僕からすれば十分凄いよ。あ、此処で終わりなんだ」
明久はイヴと話している間に受付のあるフロアに出てきたことに気がついた。イヴが受付の方にある階段を指差して
「…二階に行こう、上でも確かやってた」
「えっ、二階でもあるんだ」
明久はある意味驚きながらイヴを引き連れて階段を上がると、そこでもゲルテナの作品は異彩の輝きを放っていた。
まず目に入ったのは頭部のないマネキンの様な石膏の作品
「"無個性"っていうのかな?でも顔が無いなんてどうしたんだろう」
そんなことをイヴと話していると、隣にいた人がつぶやくように語り始めた。
それをイヴに要約してもらうと
ーー曰く、ゲルテナのいう個性とは顔のことである
とのこと、しかしそれですら明久にとっては難しく感じられた。
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他の作品も観ようとイヴに急かされ“無個性”から離れて歩き始めた。
《新聞を取る貴婦人》《双塔》《指定席》など
いろんな作品を観て回っていると、ひとつのフロアの壁全体に掛かっている大きな絵画にたどり着いた。
「なんだろう、この不気味な絵?」
明久は率直な感想述べ、イヴはタイトルの書かれたボードを必死に読もうとしている。
「……。だめ、読めない」
「うわ〜見たことない文字だ」
イヴが白旗を揚げたところで、横から明久が覗き込んだ。と言うか彼には今までもイヴに読んできてもらっているので、そんな彼がイヴですら読めなかった漢字を読めるはずがない。のにも関わらず意地を張って絶対に読んでやるとボードと格闘を始めた。
そんな明久を尻目にイヴは、絵画の端の方に何やら青いものに目を止めた。
近付いてみるとその正体は青い絵の具のようだ、それが絵画の額裏から垂れていたのだ。
「ーー明久」
イヴの声に睨めっこをしていたボードから目を離して、イヴがいるはずの方へと向けたのだが……
「どうしたの?イ…ヴちゃん……?」
彼女がいるはずの方には誰もいない。それどころかこのフロアになにもいなくなったのだ。
「イヴちゃん…どこ?」
周りを見渡したのち
ーーもしかして、先に行っちゃったのかも
そう考え小走りでそこを後にした
次のフロアでは、きっとイヴがいるーーそう考えていたが、他の客やスタッフも含めて誰もいない。
そこでやっと明久は何かがおかしいと感じ始めた。沈黙が鉄則の美術館とはいえ、足音のひとつすらしないのはおかしい。
少し怖くなってきて、自然と早足になる作品たちもスルーしていくと、突然背後からなにか潰れた音がした。一瞬硬直して恐る恐る振り返るとなにかの果実が床に落ち、半分ほど四散していた。
明久にとって、その現象はさほど珍しいというわけではない。小学校に行く途中で家庭の庭で栽培されている果物が道路に落ちて、潰れているからだ。
つまり問題はそこではない。
本当の問題は、その果実がどこから落ちたのかということだ。先程スルーした絵画にそんな実が描かれていた様な気がした。
もし、その考えが正しいとしたらこれは、絵から落ちたということにーー
「ッ⁉︎ーー今はイヴちゃんを探すのが先だ!」
そこまで考えたところでその考察を、イヴを探すという目的で打ち消し、走り出す。階段のあるフロアにたどり着くと、窓に何かが横切るのが見えた。
「ヒッ⁉︎」
思わず立ち止まってしまい、それが災いした。
横切ったものが窓を叩きはじめたのだ。
明久は反射的に耳を塞いで蹲った。
暫くして漸く顔を上げると何かはいなくなっていた。しかし、彼の思考はパニックになる寸前である。
この刺激は9歳の彼にとっては強過ぎた。
転げ落ちるように階段を降りて、一階の展示フロアへと走る。
なりふり構わず走っていると唐突に咳が聞こえた。誰かいるそう思って咳の方へと走って行く。
ーーきっと誰かいるはずだ
そう考えながら走って走って、
息が詰まりそうになりながら、たどり着くとそこにはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー咳をする男の絵画が飾ってあった。
「あ…あ、ああ、うわあぁあぁぁあ!?!!?」
明久は安い希望を打ち砕かれ、今度こそパニックに陥った。コケながら、物に腕をぶつけながら、美術館の出口へと向かって駆けて抜けた。
出入口の自動ドアを手が真っ赤になるまで叩き、非常口
のドアノブを必死に回す
「出してっ!ここからだしてっ!?」
ドアノブが回らないため、自動ドアの間に指を入れてこじ開けようとする
「開けェ!!ーーイタッ!」
無理に開けようとした為、指の爪が剥げてしまった。そこから血が溢れ出てくる
本来なら不幸であるのだが、今回はその痛みのおかげで思考が落ち着いた。ーーしかしパニックがおさまっても、精神的な不安や恐怖は変わらない。明久はそのままドア伝いに崩れ落ち、すすり泣き始めたーーーー
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一頻り泣くと、とある考えが浮かび上がった
ーーイヴはなにを言おうとしたんだろう
「あそこに行けば何かわかるかも……」
推測にすらならない憶測。だがそれは、一度心が折れてしまった彼にとって十分希望になり得るものだった。
「だいじょうぶ……大丈夫ーー」
明久は自分にそう言い聞かせ、あの不気味な絵を目指す。
途中、作品が動いても、「ーー大丈夫」と自分に言っていたことにより、その恐怖が最早麻痺し始めた頃にやっと件の絵画の前に着いた。
一度、深呼吸してから辺りを見回す。
「なにか…なにかない……?」
ふと気がついた。青い絵の具…だろうか?それで文字が書かれていたのだ。
「これはーー『したにおいでよ、ひみつのばしょをおしえてあげる』……?イヴちゃんはこれを見つけたのか?」
“した”とは恐らく一階のことだと考え、展示フロアへと急ぐ
そこにあったのはーーー
「…“しんかいのよ”……」
その絵画と通路の仕切りが一部外れている。そしてそこにふたり分の足跡があった。
その大きさから、ひとりは大人、ひとりは子どもと分かったーーもしかすると子どもの足跡はイヴのものかもしれないという考えが脳裏によぎる。
足跡の先にあるその絵に明久は触れてみた、感触としては水、しかも底が見えずとても深いことがわかる。
恐らくは、足跡の持ち主はこの奥へと潜ったのだろう。
明久は震え始めた足を叩いて、意を決し、その深海へと身を投じたーーーーー
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ーーようこそ、私の世界へ 歓迎するよ。ヨシイアキヒサ君?ーー
(-_-)