千倍じゃ足りない   作:野分大地

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 もう一方が完全に煮詰まってしまったので気晴らしに。どっちかに止まったらもう一方に、って流れでモチベーション意地できるんじゃないだろうか。できないだろうか。とりあえず是非お楽しみ下さい。


00.「10"58」

 ウォーミングアップに縄跳び。体を温め、筋肉を伸ばすこの習慣は車で言う暖機運転のようなもので、地味だがこの上なく大切なことだ。怠れば怪我の危険性が高まるし、何より単純にポテンシャルを発揮しきれない。

基礎とか馬鹿にするタイプだと思ってた、とは友人の談であるがとんでもない。それは“走る”という行為への侮辱だ。

 

「んじゃ、ひとまず新入部員のタイム見るから。まずは相川ーーー」

 

 俺を含めて各々体が温まってきた頃、最初の一人が呼び出される。まだろくに喋ったことはないが、これから三年間一緒に走って行くであろう仲間だ。そのフォームはしっかり見ておきたい……が。あれは、駄目だろうな。

入部一発目、別に結果が悪ければ即退部なんてわけではないが自己ベストで華々しく飾りたいと思うのは人情だろう。彼もそう思っているかどうかは分からないが、少なくとも緊張に呑まれかけているのはよく分かる。乾いて割れた唇をしきりに舌で湿らせていた。

 しばらく足首を動かして、合図とともにかけ出す……なかなか速い、が、やはり少々ぎこちない。適度なストレスは集中力を研ぎ澄ましてくれる相棒だが、もちろん呑まれればベストなど尽くせるわけもない。

 

「12"32……そんな顔するなよ、十分速いさ」

 

 不満気な少年に苦笑しながら、計測係の先輩がタイムを伝える。事実そう悪いタイムではない。それまで特別トレーニングなどをやってきたわけではない中学一年生なら、ずいぶん速いほうだと言っていいだろう。

ざっくりと言えば一年で13秒前半、二年で12秒前半、三年で11秒後半……このくらいあれば県大会に出られるくらいだといえばわかりやすいだろうか?

 トントン拍子に、計測は続く。

 

「次。……14"12。………13"03、惜しいな……14"44」

 

 足に自信が有るらしい奴、友達と一緒に楽しげな奴、明らかに「中学校は運動部は入れって親に……」って顔した奴。いろいろ居るが、やはり素養を感じる人間がいるのは喜ばしい。切磋琢磨、まさしく青春。まさしく文化的だ。……俺は運動部と文化部という分け方は嫌いなのだ、まるで運動が文化的じゃないとでも言いたいような分類、勘違いも甚だしい。そもそも筋トレ一つとってもどれほどインテリジェンスな行為なのかわかっていない人間が……

 

「……次、矢光…………矢光?矢光 翔(やこう かける)!!」

「そうやはりここで重要になるのもまた速さ、ダラダラとやって疲労感だけを残して達成感など感じてしまえばもう最悪だったったった、ハイ!」

 

 いけないいけない、ちょっと熱が入ってしまったらしい。

自分の名前を呼ばれてスタートラインに着く。靴紐に緩みはなく、少々清々しさには欠けるが文句なしの実力が出る無風。4月の空気はまだ冬の名残を感じさせる透き通った冷たさで、体調は文句なしの万全だ。

 

「位置について」

 

 スターティングブロックを軽く蹴りしっかりと踏みしめる。スタートラインに肩幅に手を起き、指で上体を支える。手足に均等に力を配分すればピッタリと体が静止するのだ。

 

「よーい……」

 

 腰を軽く持ち上げる。心地よい緊張感……というには少し苦手な瞬間だ。自慢ではないが最近ようやくフライング癖が治ってきた所なのである。

 

「……ドン!」

 

 号令が言い切られるか否かといった瞬間、俺はブロックに乗るような気持ちで体重をずらし……全力で蹴って、前方に跳ぶ(・・・・・)。水泳のスタートといえばわかりやすいだろうか、垂直に壁が立っているイメージで、ともすれば転ぶようにスタートダッシュを切る。

自転車と同じだ、全速力で走っているからこそ安定する姿勢。この100mという短い間隔に全てを出し切り、体は風を斬る。日常でちょっと走る、なんてことに応用も効かないこの世界に最適化さ「行き過ぎ!行き過ぎっ!」おっと。

 

「ふぅ、はぁー……やーすみませんすみません……タイムは?」

 

 手応えはあった。自己ベストタイと言ったところだろう。自分の体の限界を振り絞った直後というのはやはり高揚するもので、余韻に浸る意味もあってゆっくり勢いを殺すように歩きながら上がった息を整える。

 

「…………」

「先輩?」

 

 引きつった顔の先輩に再び問いかける。ストップウォッチと俺の顔を三度くらい往復して、先輩はタイムを口にした。

 

「………………じゅ、10"58」

 

 自己ベストタイ。当たりだ。

 

 

 

 

 

 速いことに憧れていた。

 

 《ニューロリンカー》、細かい仕組みはあんまり知らないけど、簡単にいえばヴァーチャルとリアルの垣根をものすごく低くした、今では一人一台ってレベルの携帯端末だ。

コイツが現れてから、生活の中でもヴァーチャルが占める部分は増えていった。

「リンカースキルが進学や出世を決める」、なんて大企業が公言するほどなんだから、この首輪がもはやこれからの時代には必須のアイテムなんだとは思う。

 それでも、俺達は現実に生きる人間で。いくら仮想世界(ヴァーチャル)現実(リアル)に迫っても、結局のところこの不完全で不便な肉体と付き合っていかなきゃならない。

ヴァーチャルの世界に比べればずっと不自由で遅い肉体だが、それでも必死に速さの限界に挑み続けた自分の足も嫌いではなかった。

 

 幼いころ、外資系の大企業に務める両親がほとんど構えない俺の玩具にくれたのがこのニューロリンカーだった。

定時に起動する学習プログラムという鬱陶しいお邪魔虫付きではあったものの、当然ゲームもほとんど無数にあって、ネットの向こう側にも人がいたからコミュニケーションにだって困ることはなかった。

 テーブルゲーム、レースゲーム、スポーツゲーム、FPS、RPG、フルダイブの格ゲーまで。いろいろやってきたけど、すぐにジャンルは偏りだす。基準はたった一つ、スピードだ。

 仮想空間とはいえ、現実の幼い体じゃ到底不可能な超スピードの中に身をおく快感!少年が虜になるのも仕方ないというものだろう。

 

 ーーー速い!すごい!気持ちいい!

 

 着実にスピードジャンキーと化す俺を止めて、健全な青少年に成長させるべき親は学習プログラムに頼りきり、ゲームで関わる年だけ食ったガキ共はむしろ俺を煽り、競い合ってどんどん高まっていく。

 ……本物の体の遅さに我慢できなくなったのは、当然の帰結だろう。

もともと悪くなかったレスポンスはフルダイブ環境の超高速の世界で研ぎ澄まされ、その度に現実の体の鈍さに悔しさは募る。思う通りに体を動かしたい……その思いは、すぐに自分の限界を引き上げていく作業への楽しさにすり替わっていった。

 

 生身で風を切るあの一瞬が。心臓が早鐘を打ち、口の中で血の味がして、疲れ果ててぶっ倒れるあの脱力感が。走ることが……気持よくて仕方ない。

 

 ーーー速く。もっと疾く。

理由なんて無い。ゴールだって無い。ただ今よりも疾く。もっと、もっと、もっとーーー!

 

 

 齢10の頃悟った真理だ。

 速いことは、素晴らしい。

 

 

 

 

 あの後ちょっとした騒ぎになったり、興奮冷めやらぬまま初日の練習に。ついつい気分が乗って明らかに毎日は保たないような勢いでやりきった後、気持よく汗を拭いて着替えていた時の事だった。

視界の端に小さくメールアイコンが明滅している。

 

『遅い 正門』

「……あー。……あー…………」

 

 相変わらず簡潔すぎる文面を見て、チラリと視界の端で時計を確認する……既に約束の時間から二分過ぎていた。

せっかちさは俺以上なアイツの事だ、これ以上はマズイだろう……というか見切りを付けてさっさと帰るか、こっちにまで呼びに来ない辺りむしろ運が良かった。

 

『一分で行く』

 

 仮想キーボードで短く打ち込んで送ると、返事を待たずに立ち上がる。

痺れを切らして動き出したら入れ違いだ、急ごう。




号令が英語に統一とかそういう話題もありますが、中学ですし取り敢えず「位置について〜」で(頷き

というか別にスポーツ小説じゃないから!

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