千倍じゃ足りない   作:野分大地

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01.思ってたのと違う……

「よーう、悪い、練習に熱が入りすぎた。待たせたな美早」

NP(問題ない)

 

 軽く走って辿り着いた正門では、臙脂色に白いエプロンとおとなしめな色合いのメイド服を来た少女が待っていた。

あまり派手な、それこそメイド喫茶であるような派手でフリフリなものではないが(もちろんそういうのよりもこのデザインのほうが似合っているとも思うが)、十分目立つ格好。時折チラチラと視線を浴びているがどこ吹く風と涼しげな顔をしている。

 

 彼女は掛居 美早(かけい みはや)。略しすぎてもはや難解な略語が個性的な、大変せっかちなーーー具体的には務めている店の制服であるメイド服を着替える手間も惜しんで、中学校の正門で立ち尽くしている程のーーー友人だ。とは言っても、出会いはさほど愉快なものでもなかったのだが。

速さを愛し求める俺ではあるが、流石に彼女の言動を真似る気にはならない。喋るのも服考えるのも結構好きなんだよ、俺。言葉だとかお洒落っていうのも文化の現れだし、文化は速さと同じくらいに尊いものだ。

 

「行こう」

「ん」

 

 挨拶もそこそこに、足早に歩いて行く美早の後を行く。今日の午後は彼女に付き合う約束になっているのだ。

 

 

 

 

 やってきたのは洋菓子店、《パティスリー・ラ・プラージュ》。美早がお手伝い兼見習いを務める店であり、なんでも権利上はオーナーもやっているのだと言う。そりゃまぁ年齢からして無理がある話だし、今は伯母である薫さんが厨房を受け持っている。なんでも赤坂にある有名店にも務めていた腕前の持ち主だとか……名物ケーキの《苺の迷宮(ラビリンス)》は絶品である。

 

「待ってて」

 

 美早に通されたのは店の一角にあるイートインスペースの奥まった所だった。ちょうど誰もいないとは言え何も注文せずに居座るのは気まずいものがあったが、すぐにいちごのショートケーキと紅茶を持った美早が戻ってきた。

 

「サービス」

「ありがたいけど、いいのか?勝手に……自分でお金払っておくとかって話なら俺自分で出すぞ、なんかだせーし」

NP(大丈夫)、私の練習作」

「実験台かよ」

 

 しれっと言ってのける美早に苦笑しつつも、そういうことならとありがたくいただく。当然見た目も少々不格好だし、薫シェフ(伯母さん)のものに比べれば味も劣るが、最近だんだん上達してきたらしく普通に美味しいし、何より女子が手作りしたお菓子に文句なんて言えば何処かしらから祟でももらいそうだ。

 

「んで?このケーキの試食が要件だったのか?…………美味しいけど生地がちょっとモソモソして……」

「それも無いではないけれど、本命はこっち」

 

 頑張って正確な感想を絞り出そうとしていた俺に差し出されたのは、あろうことかXSBケーブルの端子だった。その対になる端子は美早の首元の、少し黒ずんだ赤のニューロリンカーにつながっている。

 

「……掛居サン?」

「?」

 

 首こてん、じゃねえよ。可愛いけど。

 思わず片言の他人行儀になってしまったものしかたのないことだろう。

《有線直結通信》、略して直結と呼ばれるその行為は読んで字の如くニューロリンカー同士をXSBケーブルで接続し、通信を行う行為だ。

 当然ニューロリンカーは基本無線通信であらゆるやりとりを行っており、本来ならそんな煩わしいケーブルはあらゆる場面で必要としないシロモノだ。ならば何故そんなことをするのかと言われれば……単純に、セキュリティの問題なのである。

 有線で直結した場合、お互いのニューロリンカーに干渉する場合においてそのセキュリティの九割は無力化してしまう。

ニューロリンカーが生活において占める部分が大きくなった昨今、ニューロリンカーを自由にできるということは自分のプライバシーをさらけ出すに等しい。

故に通常は、直結を行うのは最も信頼できる相手……家族や恋人でしか行わないのである。逆説的に、自分たちの親密さをアピールするために公共の場で直結して歩いているバカップルも居たりもするのだ。真ん中でちょん切ってやりたい……ではない、今ではケーブルの長さが親密度を表すなんて俗説も有るほどだ。まったくバカバカしいにも程がある。そんな即物的なもので難解な人の心の距離なんて難解なものを読み解こうなんて笑い話だ。けっ。

 

「その、直結をここで……?!」

「どのかは知らないけれど、Y(イエス)。直結して」

「…………………」

 

 相変わらず涼しげにとんでもないことを言ってのける美早に、俺は信条にそぐわず悩んでしまっていた。どうした俺。どうした矢光翔。

速さこそが正義だろう。悩んでいる時間など無駄以外の何物でもない、即決即納即効即急即時即座即答。いつもそれを心がけてきたじゃないか、それも今回に至っては別に悩む要素など無いじゃないか、向こうから言ってきたんだし。……いやいやいやいやいや、でもなぁー。やっぱ公共の場でこういうのはどうかと思うんだよ俺は。思いだせ、歩道を歩いていて目の前の男女が直結していた時のあの気持。ちょうど真ん中をケーブル引っ掛けて全力疾走してやりたいと思ったじゃないか。いやあまりに惨めすぎるからやらないけどさ。あの哀しみを、今度は俺が振りまく側になっちゃうのかと思うと仄暗い悦びが……じゃない、良心の呵責が「長い」俺の心を苛んで、あっ、ちょ、

 

『……せめて声かけろよな』

『思考発声は出来るみたい、K』

 

 恨みがましい俺の声を無視して、じっと俺のめを覗きこんでくる美早。……まって、めっちゃケーブル短い。うっわドキドキするんだけどこれ。

 思春期少年の心が些細な非日常にどぎまぎしているのを相変わらずスマートに無視して、美早は何やら仮想デスクトップを操作する。それに対応するように、こちらの網膜にポップするダイアログ。

 

【BB2039.exe を実行しますか? YES/NO】

 

『……BB?なにこれ』

『アプリケーション。インストールしてみて』

『してみて、ってお前……』

 

 見るからに怪しげなアプリケーション。まぁ美早がそんな致命的な悪戯をするとは思えないし、有害なものでは無いのだろうが……こちらの不安感を解こうとするような素振りも見せない辺り、実にらしい。

それに興味もあるし……と、特に悩まずYESのボタンを押す。

 

 ……数瞬置いて、巨大な炎が視界を埋め尽くした。

今にも熱気を届けてきそうな流麗な炎のアニメーション圧倒されている間に、インジケータバーが埋まって行く。

 ニューロリンカー用アプリとしては異様と言ってもいい、三十秒近い時間を経て、プログラム《BRAIN BURST》はインストールされた。インジゲータとロゴを燃やし尽くした炎エフェクトの残滓が文字を作る。

 

 《WELCOME TO THE ACCELERATED WORLD》

 

『…………加速、世界』

 

 火花となってその文字が散っていった後も、その言葉が俺にもたらした余韻は俺の胸を焦がすようだった。

 

『インストールおめでとう、心配はしていなかったけれど』

『失敗することもあったのか、これ?』

『脳神経の反応速度を見られる』

『ああ、まぁそりゃ自信は……で、加速世界って?』

 

 実に胸の踊る単語である。新しいレースゲーか何かなんだろうか?

見るからに目が輝いているであろう俺を見て僅かに頬を綻ばせながら、美早は口を開いた。

 

『……実際に体験してもらったほうが速い。続けて唱えて』

『お、おう?』

『K。カウントする。2、1』

 

 どうせそんなところだろうと身構えていたかいもあり、なんとかそのタイミング合わせの体を成していないカウントに合わせられる。

 

「《バースト・リンク》」

「……ば、《バースト・リンク》!」

 

 ……乾いた衝撃音が、世界を揺るがした。

思わず目を閉じてしまい、再び開いた時には……透き通るようなブルーのみが広がっており、そんな物悲しい世界で、俺と美早が直結した状態で固まっているのを、客観的に視認できた。

 

「……なんだ、これ?幽体離脱……?」

N(違う)。これが『加速』。静止したように見えているのは、こっちの思考が超高速になっているから」

 

 声の方を見れば、ライダースーツを着て二足歩行する真紅の豹……美早のアバターが立っていた。自分の体を見下ろせば、同じくフルダイブ用の吸血鬼アバターに変わっている。真っ黒コートがイカした自信作だ、友達にも好評である……何故か美早には超不評だが、今はいい。

 

「……超高速……要するに、止まってるわけじゃなくて、止まって見えるほどこっちが速いだけ?」

 

 言われてみれば確かにジリジリと動いているような気がしないでもない。

 

「Y。……でも不思議、もっとはしゃぐかと思ってた」

「んー、俺も加速世界って聞いてもっとテンション上がるかと思ったんだけどなぁ……なんか、実感わかねぇんだよなー。体感は普通だし」

「わからなくはない……でもこれは入り口」

「へぇ?そりゃ面白みには欠けるけど、十分すごいと思うんだけど」

 

 ここまででも十分超技術だ、いくらでも活用は出来るだろう。興味はわかないけど。

 

「詳しいことは明日の放課後、また店に来てもらってから話す。まだ準備ができてない。……あぁ、それと」

「しっかし俺ってこんな顔してたっけ、鏡で見るのとはまたちょっと違った…………ん?」

「明日会うまで絶対ニューロリンカーを外さないことと、それまでグローバルネットに接続しないこと。K?」

「何だそりゃ、別にいいけどさ……KK」

 

 よくわからない約束をさせられながらも、その日はそれでお開きになり、店を出るときにグローバルネットへの接続を切って帰る。

 

「……加速世界、ねー……面白いもんだといいな」

 

 一発目……美早いわく入り口は微妙に俺の好みとは外れたものだったが、俺をよく知る美早がわざわざ進めてきたアプリだ。きっと本領とやらはそれはもうすごいものなんだろうと期待してもいいはずだ。

 明日を楽しみにしつつも、その日の俺は眠りにつき…………そして、夢を見る。

 

 

 

 見渡す限り極彩色の、今まで体験した中でも最も広いであろう空間。すべての方向に無限に広がっていくその場所で、俺の体は漂っていた。

体の所々が粒子のように散っていったかと思えば元に戻る。それが繰り返され、しかし痛みも恐怖も不思議と感じなかった。

 体は動く。動こうと思えば進むことが出来た。何もない空間を、歩くでもなくただ進む(・・)というのは筆舌に尽くしがたい感覚ではあったものの、慣れればどんどんスピードを上げることも出来る。

 

 加速する。一分一秒ごとに、一瞬前より速く、速く、速くなっていく。ここにはあらゆる柵がなかった。

どこまでも行ける。どこまでも疾くなれる。まだ足りない、もっと加速したい。

 体の端から粒子になって、何処へともなく散っていった。構うもんか。軽くなって、抵抗が減った分もっと速く。もっと先へ。

 際限なく増す速度、粒子になって散っていく体。人間の形を無くしても、帰る場所を無くしても、俺の意志は確かにそこにあるんだ。

全部が塵になって、剥がれていった。最後に残った俺の魂は、それでもこの極彩色を振り切るほどに速く、進んでいく。

 やがて俺は、その空間の果てへ達しーーー

 

 

 ーーー無情にも、壁にぶち当たった。

 

 

 

 

「……っっでぇー……!!」

 

 頭を抑えて悶絶する。寝間着は汗で肌に張り付き、あまり安らかな眠りではなかったことを物語っていた……当然だ。どうやらロフトベッドから落ちるほどに暴れていたらしいのだから。

 

「……寝る間もニューロリンカー外すな、つってたのはこのことか……?いてて、言ってくれればソファにでも寝たってのに」

 

 少々理不尽なことをぼやきつつも、朝の準備にとりかかる。

 

 

 

 

 何の夢を見ていたのかは、思い出せなかった。


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