千の呪文の男がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ネメシスQ
ここまで長かった(現実時間的な意味で)。
半年で1巻分しか進んでない自分の遅筆さが目立ちますね。
まあ、一つの区切りまで書けてよかったです。
これからも、ナギの冒険にお付き合いくださると幸いです。
また、ナギとレフィーヤの二つ名が一部被っているということで募集したアンケートの結果、レフィーヤの二つ名を【
命名者のラル・ノベルさん、ありがとうございました。
アンケートの結果に関する細かい記述は活動報告に追記で書いておいたので、そちらをご覧ください。
「反撃、開始だ!」
威勢よく声を発し、ナギは今までの苛立ちをすべてぶつけんと、眼前の敵を睨みつけた。
「一撃で終わらせてやる!」
瞬間、ナギの魔力が急激に高められる。
規格外な魔力の奔流に、食人花が過敏なまでに反応した。
幾多の触手がナギに向けて放たれる中、ナギは呪文の詠唱を紡ぎ始める。
「
詠唱を途中まで紡いだ所で、唐突にナギの動きが止まった。
「「どわぁああああああああああああ!!」」
直後、これ幸いとばかりに触手の雨がナギとラウルの二人に降りかかる。
二人は慌てて射程から離れるべく、全力で足を動かした。
「ち、ちょっとナギ君!? どうしたんすか!?」
不自然なナギの行動に、ラウルが何事かと尋ねる。何故途中で詠唱を止めたのか。
その問いに、ナギはやっちまったぜ、といった表情で答えた。
「詠唱文ド忘れしちまった」
「うぉおおおおい!!」
あまりの衝撃発言に、ラウルが思わず叫ぶ。この土壇場に何をしているのかと。
「そんなに慌てんなよ、ラウル」
「これが落ち着いてられるっすか!? ナギ君魔導師でしょ!? そのくせして魔法が使えないってどういうことっすかぁ!!」
ナギは何でもないように笑うが、ラウルにとっては笑い事ではない。
現在、ラウルは武器を持っていない。打撃が通じづらいモンスター相手に有効なのは、ナギの魔法だけだったのだ。
「大丈夫だって。確かに詠唱文を忘れたのは致命的だ。けど安心しろ、ラウル。俺にはまだ、とっておきが残ってるぜ!」
「ほ、本当っすか!?」
微塵も悲観的な色を感じさせない笑顔で言い切るナギに、ラウルの心にも希望が芽生える。
目の前の少年なら、やってくれるかもしれない。
そんな期待の込もった視線を浴びながら、ナギは懐に手を入れる。
「おうともよ! さあ、とくと見やがれ! これが俺の……とっておきだ!」
そうしてナギが懐から取り出したのは、何の変哲もない1冊のメモ帳。
モンスターが迫り来る中、ナギは暢気にペラペラとページを捲り始める。
「えーと、あの呪文を書いたページは……」
「アンチョコじゃねえか!」
あまりにもふざけた〝とっておき〟に、ラウルが思わずツッコミを入れた。
しかし、ナギはラウルの声を右から左へ聞き流し、目当ての魔法が記されているページを探す。
ナギの持つアンチョコには、ナギの得意系統である雷、風、光属性の魔法に加え、戦いの歌など使い勝手のいい魔法の詠唱文が書き込まれている。
その数、なんと五十以上。
しかし、ナギが詠唱文を覚えている魔法は、その中でもわずか二、三個。しかも、その数少ない覚えている魔法も、頻繁に復習しなければ忘れてしまうという始末。現に、今も詠唱文をド忘れしていた。
基本魔法である
「つーか魔導師のくせに何で自分の魔法の詠唱文を覚えてないんすか!? こんなアホな魔導師見たことないっすよ!?」
「るせーな! アンチョコ使おうが詠唱さえできりゃ、魔法は発動できんだよ!」
「その代わり、隙がデカすぎるでしょうがぁ!」
モンスターを余所に喧嘩し出す二人。その様子が癇に障ったのかは分からないが、モンスターが大量の触手を二人目掛けて放つ。
「言わんこっちゃない! 後ろから来てるっすよ!」
「分かってるっつの!」
二人は別れるように別々の方向へと駆け出した。
案の定、食人花は魔力を発するナギを追い求め、触手を差し向ける。
ナギは、まるでどこに攻撃が来るのか予知しているかのような動きで触手を躱していく。
ともすれば敵を引き付けているようにも見えるその動きは、仲間の安全を考えてのもの。
ラウルが敵の射程圏外まで退避したのを横目で確認し、ナギはギアを一段階引き上げる。
そしてそのまま反転し、敵の懐目掛けて、真っ直ぐに突進を敢行する。
意表をつかれることになった食人花はまんまとナギの侵入を許してしまった。
その隙を見逃さず、ナギは食人花の一匹の頭部に照準を合わせ、咆声した。
「
極太のレーザーのごとき魔砲撃が食人花の頭部を貫く。
頭部に潜む魔石ごと魔法の矢に削り取られた食人花は、その身を灰へと変えた。
これで残り四匹。
しかし、喜ぶのも束の間、ナギは残りの食人花に四方を囲まれてしまった。
もう逃がさない。そんな意思が食人花から発せられるようだ。
それを証明するようにナギの視界を埋め尽くさんばかりの触手の群れが四方から襲いかかってきた。
脱出ルートはただ一つ。
「っ! ナギ君ダメっす!
周りを囲まれ、ナギは唯一の抜け穴である上空へ跳躍する。
しかし、それを見ていたラウルはナギの選択を悪手だと判断し、叫ぶ。
(狙われる――!!)
事実、ラウルの予想通り、空中にその身を漂わせているナギに向かって食人花の触手が迫っていた。
「ナギ君!!」
足場のない空中では、身動きがとれない。
なんとかナギを助けようと足を動かすラウルだが、対空手段を持たない今のラウルではどうすることもできなかった。
迫り来る絶望に顔を伏せ、歯を食い縛るラウル。
しかし、そんな絶望的ともいえる状況は、ナギには当てはまらなかった。
「へ、この俺がこんな程度の攻撃で……やられる訳ねえだろうが!!」
あり得ないものを見たラウルは、口をあんぐりと開ける。
虚空瞬動――宙を蹴って移動する、高速空中機動術である。
蹴る対象が堅固な地面ではなく空気であるため、通常の瞬動術より数段難易度が上とされている。
ナギはその技術を、十歳という年齢で身につけていた。
瞬動術の概念さえ存在しないこの迷宮都市において、ナギは
「一気に行くぜ」
絶対に当たるはずだった食人花の触手は空を切った。
宙を自在に駆け巡り、ナギは詠唱をするのに十分な距離をとる。この高度までは、敵の触手も届かない。
「
あんちょこ片手に詠唱を開始するナギ。それを妨害せんと食人花が触手を必死に伸ばすが、足りない。
「
間もなく、詠唱が完了した。
ナギの周囲に、雷で形成された長槍が出現する。その数、三十。
一つ一つの弾頭それぞれが、魔法の矢を遥かに凌ぐ威力を誇る。
眼下に蠢く食人花を睨み付け、ナギは勢いよくそれらを投げ放った。
「
次々と放たれる雷の槍は、食人花の体も、触手も、全てを貫き、縫いつけていく。
それでも、魔石のある部位を捉えることはできず、完全に倒すには至らなかったようだ。
とはいえ、敵も槍に貫かれて拘束され、まともに動けない。
好機。ナギは止めとばかりにアンチョコを開き、追撃の詠唱を始める。
「
しかし、ようやく迎えられた勝利の機会にテンションが上がっていたのだろう。
ナギは過去に伝えられた注意事項を忘れ、
ここ最近全力で魔法を放てずストレスが貯まっていた事もあり、ナギは自重しなかった。
すでにリヴェリア達から受けた説教の内容など、頭から吹き飛んでいる。
一部始終を目撃していたラウルは、凄まじい量の冷や汗を流していた。
「な、何すかこのバカでかい魔力……ナ、ナギ君!! 街に被害与えないように威力押さえて――」
「そんなの知ったことかぁ!! いくぜオラァ!!」
「やめてぇえええぇぇえええええええええええええ!!」
ラウルの叫びも虚しく、ナギの全力が込められた魔法が解き放たれる。
「
『ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
「ぎゃあああぁぁああぁぁああああああああああああ!!」
怪物と人の悲鳴が交差し、響き渡った。
強烈な雷撃は、鼓膜が破れるかと思うほど激しく轟き、目を焼かんばかりの強烈な白光が周囲一体を包み込む。
雷は狙いを違えず、四匹すべての食人花に直撃し、その身を焼き尽くした。
しかし、ナギの渾身の魔法の影響は食人花だけに留まらず、その周囲にまで及んでいた。
魔法の余波によって、街道沿いの建物十数棟が崩壊。そして、想定外の規模に射程を見誤り、余波に巻き込まれた黒髪の青年が約一名。
他の住民はかなり遠くまで避難していたのでそれ以外の人的被害はなかったが、この周囲一帯だけ天災に襲われたような被害が出ている。
それを見たナギは、頬を掻きながら一言。
「ちっとやり過ぎたか?」
悪びれない顔で、そう言った。
◇
石畳が砕け、舗装されていた道路は見る影もなく破損している。
そんな通りの一角にて、アイズは三匹の食人花から少し離れた場所に立っていた。
ティオナとティオネが打撃を見舞って注意を引き付けているのが見える。
意識を前方の食人花にやりながらも、アイズは自身の背後に座り込んでいる少女に声をかける。
「ありがとう。助かったよ、レフィーヤ」
「アイズさん……はい!」
アイズからの礼に、レフィーヤは心底嬉しそうに返事を返した。
(ようやく、役に立てた……!)
自分の力でアイズを助けることができた。その事実に、レフィーヤは笑みを隠しきれない。
先程の攻防を思い返す。
空中で身動きがとれないアイズに向け、迫り来る敵の突進。背後には座り込む獣人の子供がおり、アイズをして絶望的だと悟ったその状況。
それを救ったのはレフィーヤだった。
アイズに矛先を向けて襲いかかる食人花であったが、あの時、食人花は突然動きを止めて背後を振り返ったのだ。
その動きを訝しく思うも、好機と捉え、風を放出して食人花を引き付けながら、アイズは獣人の少女から距離をとって、周りに被害が及ばないように誘導していった。
その最中アイズの目が捉えたのは、息を切らせるレフィーヤの姿。その姿から全力で魔力を放出したのだと察した。
より強大な魔力の源に反応したがために、食人花はアイズを追うのを止めたのだ。
そして、レフィーヤに向かう敵の攻撃はティオナとティオネが捌いていた。
魔法を解除したアイズは一先ずレフィーヤの安否を確認すべく、彼女の側に降り立った。
そして、今に至る。
アイズの手助けができたことに確かな手応えを感じたレフィーヤは、今度こそと腕に力を込める。
「アイズさんっ、私――」
「うん、レフィーヤのおかげで犠牲が出ずに済んだ。ありがとう。もう大丈夫だから、下がってて」
「ぇ……」
しかし、そんな決意も一瞬で崩れ去った。
アイズに他意はないだろう。純粋に、怪我を負っているレフィーヤを心配しての発言にすぎない。
だが、それでも、レフィーヤはアイズに言って欲しかった。
共に戦おうと。その一言を、レフィーヤは心から渇望していた。
しかし、自身と彼女の間にある強さという壁が、それを阻んだ。
彼女と肩を並べられる実力がないからこそ、今自分はこうして胸を押され、遠ざけられている。
武器を失った今、魔導師である自分の力を使うのが一番効率がいい筈なのに、大丈夫だからと言われ、ただ守られる。
あの時のように、これまでのように。
「行ってくるね」
攻撃が通じず、苦戦しているティオナ達に助勢すべく、アイズは刀身を失ったレイピアの束を携えて、一歩を踏み出す。
遠ざかる憧憬の背中。
(また、また繰り返すの……?)
怪物の群れに飛び込むその背中を見送ることしかできなかった過去の日々。
追い縋っても、差は開く一方で。
もう諦めてしまおうか。
そんな考えが脳裏を過った時、白い光が辺りを照らした。
「これ、は――」
「あ……」
アイズも、ティオナも、ティオネも、そして食人花でさえ、轟く雷鳴と白光に一瞬動きを止める。
誰がこの現象を引き起こしたのか。答えはすぐに浮かんできた。
同時に、レフィーヤの瞳が力強さを取り戻す。
「レフィーヤ?」
気づけば、レフィーヤはアイズの手を掴んでいた。
「いや、です……」
「え?」
絞り出すようなその声に、アイズは首をかしげる。どうしたのだろうか、と俯くレフィーヤの顔色を伺う。
アイズがレフィーヤの顔を覗き込もうとするその前に、レフィーヤは涙で目を滲ませながら、顔を上げた。
「嫌です……私も、私も戦います!」
「でも……怪我が……」
「私はっ!」
怪我を心配するアイズの声を遮り、レフィーヤは叫ぶ。
自分の思いを乗せて、自らの殻を破らんと、全身全霊の言葉を。
「私は、【ロキ・ファミリア】の一員です! アイズさんと同じ、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な
「レフィーヤ……」
「その名に恥じない自分でいるために……今の自分を越えるために、私は戦いたい!」
真っ直ぐに向けられる力の籠った視線。
それを真っ向から受け止めたアイズは、瞑目し、レフィーヤの言葉を反芻するかのように息を吐いた。
そして瞳を開け、レフィーヤと視線を合わせる。
「ごめんね、レフィーヤ。私が間違ってた」
「アイズ、さん……」
「一緒に戦おう。力を貸して」
「――――はい!」
微笑を携えて告げられた待望の言葉に、レフィーヤは満面の笑みをもって応える。
アイズはこくりと頷くと、食人花に向けて突貫していった。
それを見送り、レフィーヤは自身の為すべき事のため、準備を始める。
「皆さん! 詠唱が終わるまで、私を守ってください!」
激しい戦闘の渦中にいる彼女達に届くように、大声で指示を叫ぶレフィーヤ。
その力強い瞳に、アイズ達は応える。
「「「了解!」」」
誰より頼れる仲間がついているのだ。恐れはない。
今、その口から呪文の詠唱が紡がれる。
「【ウィーシェの名のもとに願う】」
確かに、今の自分はアイズ達の足手まといでしかない。
Lv.も、技術も、心も、何一つ及びはしない。
「【森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ、草原へと来れ】」
だが、それでも、今の自分でもやれることは必ずある。
自らの可能性を自分で否定するなど、愚の骨頂だ。
「【繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を回し舞い踊れ】」
俯いて、立ち止まって、思考を止めたら、今の自分にできることすら為し得ない。
探せ。追い求めろ。
どこまでも、自分の為すべき事を。
「【至れ、妖精の輪】」
今、自分にできる最大限を――
「【どうか――力を貸し与えてほしい】」
詠唱を、歌を、魔法を、彼女達に届けよう。自分にしか歌えない、この
「【エルフ・リング】」
膨大な魔力が収束され、山吹色の
レフィーヤから発せられる強大な魔力。
モンスター達は吸い寄せられるようにレフィーヤへとその身を傾ける。
「【――終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に
詠唱は未だ止まらない。一度完成した魔法に更なる詠唱が加えられ、別種の魔法が構築されていく。
【ステイタス】に確保される魔法スロットの最大数は三つ。つまりどれだけ才能があろうと、三種類の魔法しか行使できない。
しかし、ことレフィーヤに限っては、その法則は当てはまらない。
レフィーヤが最後に習得した魔法――
二つ分の詠唱時間と
常識破りのエルフの少女に神々が授けた二つ名は【
「【閉ざされる光、凍てつく大地】」
召還するのはエルフの王女、リヴェリア・リヨス・アールヴの魔法。すべてを凍らせる極寒の吹雪。
詠唱が進むにつれ、翡翠色の魔法円が一層輝きを増していく。
高まる魔力に呼応して、食人花がレフィーヤに押し寄せるが、アイズ達が壁として敵を阻み、指一本として触れさせない。
「【吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】!」
魔法円が拡大する。
今か今かと放たれる瞬間を待ちわびていた魔力の奔流が、今解放された。
「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」
三条の吹雪が、大気を凍てつかせながら食人花に純白の細氷を直撃させる。
瞬く間にその身を氷に包まれる三輪の食人花。やがて全身が覆われ、完全に動きを停止した。
「ナイス、レフィーヤ!」
「散々手を焼かせてくれたわね、この糞花っ!」
街路に立つ三体の氷像。その内の二体の懐に着地したティオナとティオネは、そのしなやかな足を振り上げる。
「「はぁっ!」」
渾身の回し蹴りが炸裂。夥しい亀裂が氷結した体を走り、やがて食人花の全身は粉々に砕け散った。
「アイズー!」
「……ロキ?」
自身を呼ぶ主神の声に、顔を向けるアイズ。
声の主は、半壊した商店の屋根に立っていた。その背には、見覚えのある獣人の子供を乗せている。
ロキは手に持っていた何かをアイズに投げ渡した。
「拾いもんや。使い」
受け取ったそれは、一本の剣。
モンスターによって潰された屋台から拝借したのだろう。ちゃっかり少女まで回収していたロキに、相変わらず抜け目がない、と苦笑しながら抜剣。
無数の剣閃が蒼の彫刻を斬り刻む。
氷像は甲高い音を立てて細かな氷へと姿を変え、日の光を反射し、きらめく輝きを見せていた。
◇
「レフィーヤありがとー! ほんと助かったよー!」
「ティ、ティオナさん!?」
喜びを露にして抱きつくティオナに、レフィーヤは戸惑いの声をあげる。
体の節々が痛み、顔をしかめるものの、まんざらでもないように頬を緩めている。
そんなレフィーヤに、アイズが声をかける。
「ありがとう、レフィーヤ」
「アイズさん……」
「ん、と……すごかったよ。リヴェリア、みたいだった」
アイズの素直な賞賛に、レフィーヤは感極まったような表情を浮かべ、うつむいてしまう。
「ア、アイズさん!」
顔を赤くしながらも顔を上げたレフィーヤがアイズの目を真っ直ぐ見つめる。
「わ、私……これから、強くなってみせます。アイズさん達に追いつけるくらいに、強く!」
「――ん。待ってるよ」
少しの驚きと、嬉しさを胸に、アイズはレフィーヤの宣言に応えた。
これから、レフィーヤはどんどん強くなる。そう確信しながら。
「おーい、お前らー!」
ふと、どこかからここ数日で聞き慣れてきた声が聞こえてきた。
「ナギ!」
声の発せられた方向に視線を向けると、そこには何かを背負ったナギが、杖に乗ってこちらに飛んでくるのが見えた。
そのまま自分達の前に着地したナギを、ティオナが喜色を含んだ声で迎え入れる。
「ナギ、無事だったんだね。よかった!」
「まあな。そっちもなんとかなったみてえだな」
「うん。でも、少し大変だった。ナギは食人花のモンスター、倒したの?」
「おう。少し面倒くせぇ奴らだったけど、全部ぶっ飛ばしといたぜ。ラウルが巻き込まれちまったけど」
「へ、ラウル? うわぁああああ!? ラ、ラウル!?」
「黒焦げやないか! おい、ラウルッ! しっかりせい!」
「ポ、ポーションを……」
「ああ、簡単に治療はしておいたから大丈夫だぜ。焦げてんの服だけだし」
アイズとロキも加わり、互いの無事を喜び合い、ナギに背負われたラウルの安否を確かめる。
その横で、驚愕に目を見開いたティオネとレフィーヤが会話を交わしていた。
「ねえ、誰も突っ込んでないから見間違いかと思ったんだけど……ナギ、空を飛んでなかった?」
「いえ、私にもそう見えました……」
新たに発覚したナギの力に遠い目をするレフィーヤ。
実のところ、ナギが空を飛べることはあまり知られていない。
ラウルがナギの虚空瞬動を見て驚いていたのも、この辺りに起因する。
知っているのは、フィンとガレスを含む首脳陣を除けば、たまたま目撃したアイズくらいのものであろう。
ちなみに、ティオナは素でスルーしている。
「って、それよりレフィーヤ、お前も怪我してんじゃねえか。大丈夫かよ?」
「えっ?」
一体どれだけ引き出しがあるのか、と黄昏る中、いきなり声をかけられ戸惑うレフィーヤ。
見れば、ナギが自身の体に残る傷に目をやっているのがわかった。
純粋な心配なのだろう。皮肉などのからかうような素振りは全くなかった。
しかし、目の前の少年は己の目標であり、力不足を自覚してはいるが、ライバルと定めている相手である。
レフィーヤは意地を張って、何でもないような表情をして言った。
「これくらい大したことありません。それと……」
そして、今まで心に秘めるだけで、伝えていなかった思いを打ち明ける。
「負けませんから!」
決意を込めた、レフィーヤの言葉。
それを聞いたナギの表情は、きょとんとしていて、まるで事情が飲み込めていなかった。
レフィーヤは顔を赤くする。何も知らない相手に唐突にそんな宣言をすれば、誰だって混乱するに決まっている。
穴を掘って入りたい衝動に駆られ、レフィーヤはそのまま俯いてしまう。
しかし、そんな無茶苦茶な台詞にも感じ入るところがあったのだろう。
ナギは右手を差し出し、真剣な顔つきで応えた。
「おう、俺も負けねえ」
きちんと応えてくれたことに、レフィーヤは顔を上げる。
そして差し出された手をとって、固く握った。
そんな二人の様子を優しい眼差しで見守るアイズ達。辺りに弛緩した雰囲気が流れる。
「さーて、事件も終わったことだし、帰るとするか!」
ぐっ、と背伸びしつつ帰宅しようと宣うナギ。その背後に、一つの影が忍び寄る。
「ナ~ギ~君♪ ちょ~っと、私とお話をしようか」
「へ?」
そこに立っていたのは、誰もが見惚れるほどの素敵な笑みを浮かべる、眼鏡をかけたハーフエルフのアドバイザーだった。ただし、その緑玉石の瞳だけは全く笑っていない。
「おわっ!? 何すんだ、離せエイナ!」
「いいから来なさい」
「ざっけんな、何で俺が――」
「ん?」
「ナンデモアリマセン」
そしてそのまま襟首を捕まれ、ギルドに連行されていくナギ。
一般人であるエイナを振りきるのは簡単なのだが、有無を言わせない迫力のエイナに、何故だか逆らう気が起きなかった。
通りの奥へと姿を消していくナギを見送ったロキは、何事もなかったかのように話を切り出した。仕方のないこととはいえ、言いつけを守らなかったナギにはいい薬だと。
「んじゃ、残っとる仕事片付けに行くでー」
ぱんぱんと、手を叩いたロキがそれぞれに指示を出す。食人花は倒したが、未だ騒動が収まった訳ではないのだ。
「レフィーヤはギルドの連中に治療してもらい。んで、ティオネ達は地下に向かってくれ。まだ何かいそうな気ぃするわ」
「あ、はい」
「了解、任されたわ」
そして、朱色の瞳が次にとらえたのは、黒髪の青年。
「もう動けるな、ラウル。自分はナギの迎えや。頼めるか?」
「はい。一応お目付け役っすから」
まだ動きに鈍さはあるものの、はっきりとした口調で答える。
満足そうに頷き、ロキは最後にアイズを見た。
「アイズはうちと残ってるモンスターをやっつけに行くで。これでガネーシャへの借りもチャラや」
『宴』の時にナギのせいで作ってしまった借りを早くも返すことができ、ホクホク顔のロキ。
「じゃ、行こうか」
指示を出し終えたロキのその言葉に是を返し、各々が自分の為すべき行動に移った。
◇
「けどまぁ、その後は地下では何も見つからんかったわ。残りのモンスターは楽勝やったけどな」
夜半を迎えた繁華街の一角に建つ、高級酒場。その中の広い個室にて、ロキはフレイヤに事件の概要を話していた。
「もう、こんな時間に呼び出されて何かと思ったら。貴方の今日の出来事なんて知らないわよ」
「よく言うわ、犯人のくせに」
にやつきながら放たれたロキの言葉に、フレイヤは瞑目した余裕のある微笑を見せる。
「あら、証拠でもあるのかしら?」
「市民に死傷者なし。脱走したモンスターは街の人間なんぞ知らんぷりやった。ちゅうより、
高価なワインを水のように飲み干し、ロキは続けた。
「魅了、魅了、魅了。全部魅了や。決まりやろ。何がしたかったんかは分からんが、犯人は自分しかおらん」
それは
「ふふっ、そうね、概ね貴方の言う通りよ」
「ギルドにちくったろうかなぁ~?
あっさりと推理を認めるフレイヤに、ロキはにやついた笑みを隠しもせずに脅しをかける。
しかし、フレイヤは微笑を崩さずに唇を開く。
「鷹の羽衣」
「はっ?」
「貴方に貸したあの羽衣、まだ戻ってきてないのだけれど」
その言葉に、ロキの顔から余裕が消えた。
「なっ、あれは天界にいた時にいただいたゲフンゲフンッ、借りたやつやぞ!? 今さら持ち出してくるか!?」
「私の知ったことではないわ」
全く妥協の色を見せないフレイヤに、ロキは声を詰まらせる。
「いや、でも……あれ、うちのオキニやし、今更返せって言われても……」
「もし今日のことを……いえ今後の私の行動に目を瞑ってくれるなら、差し上げてても構わないけど、どうかしら?」
頬をひきつらせ、ぐぬぬと悔しがるロキ。
ええいくそっ、と頭をかきむしりながら悪態をついた。
「今になって昔のことを引きずり出しおってっ、ほんま腹立つなー! うちの可愛い子達はけったいなモンスターの相手させられて傷まで負ったんやぞ。一人は味方の魔法の巻き添えやけど」
「……?」
何の事だろうか? そんな美の神に似合わないきょとんとした顔を浮かべるフレイヤに、ロキは眉をひそめる。
「何やその顔は。おったやろ、十匹目の蛇みたいな花みたいな、ようわからんモンスターが」
「……私が外に放ったのは九匹だけよ?」
「はぁ? 嘘こけ」
「本当よ。あなたとガネーシャの子を足止めするだけでよかったんですもの。……もしかして、あなたのところの新入りの子が戦っていたのが?」
自身は関与していないが、一つの心当たりを見つけ、尋ね返す。
「まあな。他の子等も別の個体を相手しとったけど。ちゅうか、やっぱりナギの事も見てたんかい」
「ええ、尤も一目見てすぐに離れたのだけれど。ふふっ、あの子鋭いわね。一瞬で私の視線に気づいていたわ」
モンスターを一瞬で仕留めた手並みと、自身の視線を察知した勘のよさを思い返しながら、言葉を続ける。
「それから少し経って、遠目から宙を駆け上がるあの子の姿を捉えたの。上空から放たれた雷の長槍と白く光る稲妻。眩いばかりの輝きから、すぐにあの子だと分かったわ。そして、おかしいとも思った。あの子があそこまでする必要のあるモンスターを逃がした覚えはなかったもの」
それが、ロキの言う未知のモンスターであったのならば、納得がいく。
同時に、惜しいことをしたとも感じていた。できるならば、ナギの戦いぶりも見てみたかったと。
「そういやあのモンスター、ティオナ達の話やと、地面からにょきっと生えてきたんやったなぁ」
そう考えると、檻から出したというフレイヤの話には当てはまらない。
「きな臭いわね」
「鏡見て言えや」
結局、それ以上のことは何も分からず、ロキとフレイヤの会話は終わりを告げた。
◇
「あー、やっと終わったー」
肩に手をやりながら、気だるそうに部屋から出てきたナギを、ラウルは苦笑混じりに出迎えた。
街を破壊した犯人としてエイナに連行されたナギは、そのまま説教コースに突入していた。
エイナ個人としては、ナギの魔法が街にもたらした被害よりも、アイズ達ですら武器なしでは苦戦するモンスターに挑んだことの方が理由として大きかったが。
結局、非常事態ということで修繕費はギルドが負担することになり、幸いにもナギ個人への損害賠償請求はなかったものの、厳重注意を受けた上で次はないと念を押された。
そして、ナギが全く反省しないせいで長引いた説教も終わり、ようやく解放された頃には、すでに日も暮れてしまっていた。
「おー、ラウル。悪ぃな、待たせちまって」
「いいっすよ、これくらい」
常人では考えられないような偉業を為した少年は、そんなことを微塵も感じさせない笑顔でそこにいた。
今日だけで、どれだけ驚かされたことだろう、とラウルは一日を振り返る。
無理矢理お目付け役として祭りに駆り出された事に始まり、闘技場での事件、そしてモンスターの脱走。極めつけに未知のモンスターの出現。
そこで披露された、ナギの戦い。
無詠唱で魔法を放ち、宙を駆け、強大すぎる魔力による大魔法。そして、その余波に巻き込まれて黒焦げになった自分。
これまで積み上げてきた常識を崩されっぱなしの一日だった。
けれど、そんなに悪い日でもなかったと感じるのは何故だろうか。
「なあ、ラウル」
「何すか?」
「今日は楽しかったぜ。これからもよろしくな!」
満面の笑みで告げられたその言葉に、ラウルは納得した。
色んな出来事があった。振り回されて、痛い思いもしたけれど、とても楽しかった。
自分は心底、目の前の少年のことを気に入ってしまったのだろう。
何よりも自由で、自分に正直な、まっすぐな心根を持つ、眩しい少年を。
「自分も楽しかったっすよ、ナギ君」
それは、自分にないものを持つナギへの憧れだろうか。
それでも、この少年と一緒に歩いていきたいと思った。
この少年と一緒なら、どこへでも行ける。そう確信しながら。
「そんじゃ、また遊びに行こうぜ。また奢ってくれよ」
「それは勘弁してほしいっす」
日が沈み、夜空に星が現れる時間帯。
魔石灯の明かりに照らされながら、二人は帰るべき人の待つ自分達の本拠へと、その足を進めていった。
おまけ
~エイナさんの報告書~
「う~ん……」
日もどっぷりと暮れた時刻。
エイナはギルドの作業机の上に置かれた報告書の推敲をしていた。
「怪物祭当日、モンスターが脱走する事件が発生。脱走したモンスターは合計九匹。さらに未確認の食人花のモンスター(推定Lv.3以上)が二ヶ所で合計十匹出現。【ロキ・ファミリア】の【剣姫】他三名が内四匹を撃破。もう一ヶ所に出現した六匹を同じく【ロキ・ファミリア】の下級冒険者――ナギ・スプリングフィールドがほぼ単独で撃破。建物に被害はあったものの、死傷者・重傷者はともに出ず、事件は収束した……って、こんなの上に提出できる訳ないじゃない……!」
概要だけをピックアップして読み直してみたが、自分でも荒唐無稽な内容だとわかる。主に下級冒険者が単独で撃破したところとか。
「もう……何でこんな危なっかしいことするかなぁ~……そりゃ、ナギ君が動いたお陰で助かった人は大勢いるんだろうけど……そもそも何で推定Lv.3以上のモンスターを新米のナギ君が倒せるのよ……」
こんなものを馬鹿正直に提出したら、レベルを偽っているのかだとか、ランクアップ申請を意図的にしていないのかとか言って【ロキ・ファミリア】に、というよりナギに査察が入るのは間違いないだろう。
結局、上司に突っ込まれるのが目に見えていたため、エイナは人生で初めて書類の捏造を行い、当たり障りのない報告書を作り上げた。
(無用な混乱を避けるため、ナギ君のため……うぅ、でも……)
その後書類を提出して家に帰り、ベッドに潜ったエイナだったが、罪の意識に苛まれ、結局その日は寝付くことができなかった。
翌日、目に隈をつけて出勤してきたエイナを見た同僚のミイシャがその事について突っ込もうとしたが、エイナのただならない雰囲気に口をつぐんだという。