千の呪文の男がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ネメシスQ

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今回はナギVSベートです。久しぶりの戦闘描写で手こずりました。そもそも戦闘描写苦手ですし。
オラリオでは初の対人戦です。どうぞ、ご覧ください。


喧嘩

 時間を少し巻き戻す。

 

(やべえ……頭クラクラする……)

 

 ナギはふらつく頭を押さえながら店の隅にあるトイレへと足を進めていた。

 原因はわかっている。料理を喉に詰まらせた際、流し込んだ飲物が、酒だったのだろう。

 まだ十歳でアルコールに耐性ができていない上に、詰まったものを流し込もうとジョッキ一杯分を一気に飲み干したのが失敗であった。しかも、運が悪いことに飲んだ酒の度数はかなり高いものだった。

 

「うぷ……やべ、吐きそうだ……」 

 

 吐き気を堪えながら、なんとか足を進めるナギ。【ファミリア】の仲間たちの笑い声がいやに体に響き、余計に気分が悪くなる。

 

「あれ? アイツ……」

 

 店の隅のカウンター席まで辿り着いたところで、ナギは一人の少年の存在に気づいた。

 酒場の店員の隣で顔を俯かせているその少年の顔に見覚えがあったナギは、顔を綻ばせながらその少年に声をかけた。

 

「ベルじゃねえか! 奇遇だな!」

「え、あ……ナギ、君……」

 

 白髪に深紅(ルベライト)の瞳をもつヒューマンの少年は、ナギの呼びかけに俯かせていた顔を上げた。

 その少年の名はベル・クラネル。ナギがダンジョンに潜った際に出会った、駆け出し冒険者であった。

 ダンジョンに来たはいいものの、何をすればいいのか全くわからなかったナギに、声をかけたのがベルだった。

 見ず知らずの間柄であるにも関わらず、ベルは嫌な顔ひとつせずに、拙いながらもダンジョンのノウハウをナギに教えてくれたのである。

 ひたむきで純粋な性格のベルを気に入ったナギが彼と仲良くなるのに、さほど時間はかからなかった。

 所属している【ファミリア】が違う以上、次に会えるのはいつになるかわからなかったが、ここまで早く会えるとは思っていなかったため、ナギはこの偶然の再会に機嫌をよくした。

 

「なんだよ、お前も来てたのか! 声かけてくれりゃよかったのによ!」

「ご、ごめん……」

 

 ご機嫌な様子でバシバシとベルの背中を叩くナギ。酒が入っているからか、ノリが酔っぱらいに近くなっている。

 しかし、そんなナギとは対照的に、ベルの表情は浮かないものだった。

 それに気づいたナギが、ベルに問いかける。

 

「なんだよ、ずいぶん元気ねえな……なにかあったのか?」

「な、何でもないんだ。本当に……何でも……」

「ふーん?」

 

 ベルの表情は明らかに何かあると告げているようなものだったが、ナギはあえて追求することはなかった。

 

「あの~、ベルさん? この子、ベルさんのお知り合いですか?」

「ん? 誰だ、このねーちゃん?」

「えと……」

 

 今まで黙って成り行きを見守っていた酒場の店員が、ナギとの関係をベルに尋ねる。

 一方のナギもその店員とは初対面であり、ベルはどう説明したものかと悩む。

 そんな折りに、再びあの声(・・・)がベルたちの耳に届いた。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇ奴を見ちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに泣くわ泣くわ。ほんとざまぁねぇよな。ったく、泣き喚くくらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねえっての」

「ッ!!」

 

 声の主であるベートの吐いたその言葉が聞こえた途端、ベルの体が再び強張る。

 表情はいっそう固くなり、体も小刻みに震えていた。

 

「ベル?」

「べ、ベルさん……?」

 

 様子がおかしいと感じたナギとシルが、ベルに声をかけるが、ベルはまるでナギ達の声が聞こえていないかのように、何も答えない。

 

「どうしたってんだ……?」

 

 いきなり様子がおかしくなったベルに、ナギは首をかしげる。

 どうしてベルがこのような状態になったのか、その理由をない頭を振り絞って考える。

 ベルの様子がおかしくなったのは、ベートの声が聞こえてから。つまり、ベートの話が原因と思われる。

 ナギはベートが何について話していたのかを思い返し、そして一つの結論に思い至った。

 

「なあ、ベル。お前、ミノタウロスとかいうモンスターに殺されかけたって言ってたよな。そんで、アイズに助けられたって。もしかしてあの犬ッコロが言ってんのって……」

「ッ……!!」

 

 グッ、と歯を食い縛るそのベルの反応に、ナギもベートが誰を謗っているのかを悟った。

 他でもない、目の前にいるベルを酒の肴にしていたのだ。

 再び、ベートの笑い声がナギ達の元まで届く。

 

「ああいう奴がいるから、俺達の品位が下がるっていうかよ、勘弁して欲しいぜ」

「っの野郎……言いたい放題言いやがって……!!」

 

 友人を馬鹿にされ、ナギは怒りを露にしながらベートを睨み付けた。

 大して親しくもない同じ【ファミリア】の人間と、会って一日も経っていないとはいえ、曲がりなりにも友人だと思っている相手、どちらを取るかと言われれば、ナギは確実に後者を取るだろう。

 

(一発ぶん殴ってやんなきゃ気が済まねえ!!)

 

 拳を握り、ナギはベート達の陣取るテーブルに向けて足を踏み出す。

 

「ダメだ、ナギ君!」

 

 しかし、そんなナギの手を抑えたのは、他でもないベルだった。

 

「止めんな、ベル! 今すぐアイツをぶっ飛ばして――」

「あの人は第一級冒険者だ! 敵いっこない!」

 

 確かに、普通ならば昨日【ファミリア】に入ったばかりだと言うナギが、第一級冒険者のベートに敵う道理はないだろう。

 しかし、異世界出身のナギにその理屈は当てはまらず、またナギにとってそんな事実は至極どうでもいいものだった。

 相手が何者だろうと関係ない。ただ、友人を馬鹿にした相手を叩きのめす。その事しか頭になかった。

 

「へっ、そんなもん俺には関係ねえ。あんな酔っぱらいぐらい、すぐにケチョンケチョンにしてやらぁ!」

 

 オラリオでの常識など一切通じないナギは、ベルの忠告を聞き入れない。

 しかし、ベルが危惧しているのは、それだけではなかった。ナギの実力は、今朝行動を共にしたことで垣間見た。しかし、懸案事項は実力差だけではないのだ。

 ナギの手を握る力を強め、ベルはナギに向けて言葉を紡ぐ。

 

「そうでなくても! 彼は君と同じ【ファミリア】の仲間だろう!? 僕のために家族と喧嘩するなんて、絶対ダメだ!」

 

 ベルは心配しているのだ。ナギはまだ【ロキ・ファミリア】に入ったばかりだ。

 幹部相手に喧嘩を売った暁には、ナギの居場所がなくなってしまう。家族を失ってしまう。

 自分なんかのために、ナギにそんな事をさせる訳には絶対にいかない。ベルはそう考えていた。

 

「これは僕の問題なんだ……だから……」

 

 悲痛な表情で、ベルはナギを押さえる。

 その心の内で、どれだけの葛藤があるのだろうか。

 心を読むことのできないナギでは、それを伺い知ることはできない。

 それでも、ここで感情に任せて飛び出すことをベルが望んでいないことだけは感じ取れた。

 しかし、

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

 最後に聞こえてきたベートのその一言で、ベルの心は限界を迎えた。

 

「――ッ!! ナギ君、ごめん……っ!!」

 

 懐から巾着袋を取り出し、ナギに押しつけたベルは、そのまま脇目も振らずに走り出した。

 

「ベルさん!?」

「ベル!! うぷ……」

 

 店を飛び出したベルを追おうとシルが飛び出し、ナギもそれに続こうとするが、ここに来て収まっていた吐き気が再びナギを襲い出した。

 吐き気を堪えてなんとかベルを追おうとするも、すぐにそれは無理だと悟る。

 

(やべ……もう限界だ……!!)

 

 この状態ではベルを追いかけるどころではない、とナギはすぐさまトイレに駆け込んだ。

 

「おろろろろろ……!!」

 

 涙目になりながらも、胃の中のものを便器に吐き出す。

 吐いたら幾分すっきりしたのか、吐いたものを流した後、ナギは晴れた表情でトイレを出た。

 

「あ゛~っ、やっとスッキリした! っ、そうだベルは!? ……もういねえか」

 

 トイレに入っていたのはほんの少しの間だが、人一人が店から出ていくのには十分すぎる時間だ。

 ベルの姿は、すでにそこにはなかった。

 いるのは、自分の所属する【ファミリア】の面々。そして、ベルを謗った狼人の青年。

 

(悪ィな、ベル……)

 

 ベルの言い分を、ナギは何となくだがその意味を理解した。

 細かいことまでは把握していないが、確かに同じ【ファミリア】内で喧嘩をするのは心証がよくないだろうし、何よりこれはあくまでベルの問題である。部外者(ナギ)が口出しするべきことではない。

 しかし、それでもナギは我慢できなかった。ベルの気遣いを無下にしてでも、自分の感情のまま付き従う。

 ナギは真っ直ぐにベートの元まで歩み寄り、声をかけた。

 

「おい」

「あ? 何だよ――」

「歯ァ食い縛れ!」

 

 魔力を込めた拳の一撃が、ベートの頬を撃ち抜いた。

 何の警戒もしていなかったベートは、為す術もなく店の壁を突き破り、外の通りまで吹き飛ばされた。

 あまりにも突然すぎる展開に、店内の人間は唖然としている。

 

「おばちゃん」

 

 ベルから受け取った巾着袋をミアに向かって放り投げる。

 

「さっき店から出てった奴が置いてった飯代だ。食い逃げした訳じゃねえから、そこんとこ覚えといてくれ」

「……わかった。あの坊主の分は受け取っておくよ。けど、壁の修理代は別だ。後できっちり頂くからね」

「ああ、ロキにつけといてくれ」

「え゛」

 

 どこからか声が聞こえてくるが、無視して話を進めるナギとミア。

 

「それと、店ん中で喧嘩すんじゃないよ。今の分は見逃してやるけど、これ以上店を壊したらただじゃ済まさないからね」

「おっと、そりゃ怖え。わかった、外で決着つけてやる」

 

 ミアの台詞におどけたように肩をすくめると、ナギは外へ向けて歩き出す。

 と、そこに今まで固まっていたリヴェリアが我に返り、慌ててナギの肩をつかんで引き止めた。

 

「何をやってるんだ、ナギ!?」

「止めんな、リヴェリア。これは俺の喧嘩だ。口出ししねえでくれ」

 

 リヴェリアの手を払い、そう言い捨てるナギ。その表情はいつもの飄々としたものではなく、いつになく鋭いものだった。

 

「何を――」

「ちょい待ちぃ、リヴェリア」

「何故止める、ロキ!?」

「まあ、うちもナギに言いたいことがないでもないけど(壁の修理代についてとか)、ここは見守っておこうや」

「何を言っている! 何か起こってからでは遅いのだぞ!」

 

 模擬戦ならともかく、ナギがやろうとしているのは完全にただの喧嘩である。何か間違いが起こって怪我をするかもしれない。

 喧嘩による被害を危惧したリヴェリアは、何故それを止めようとするのを邪魔するのか、分からなかった。

 しかし、ロキはそれでもナギを止めようとしない。

 

「今のナギに何言うても止まらんわ。ベートを殴ったっちゅう事は、ベートの話に出てた冒険者がナギの知り合いやったんやろ」

「!」

 

 館を出る前にナギから聞いた話から、ダンジョンで世話になったという駆け出し冒険者が、ベートが話題に挙げていた少年なのだろうと推測したロキ。

 つまり、今のナギは友人を馬鹿にされて怒っているのだと、他の者達も悟る。

 

「それにいくら態度があれとはいえ、ベートは【ファミリア】の幹部や。それを殴った以上、このままお咎めなしやと示しがつかん。かといって今さら止めてもどっちも気が済まんやろ。どうしたって悪感情は残る。それやったら、お互いに納得いくまでぶつかり合った方が手っ取り早い。殴られた当人のベートの気が済めば、それで万事OKやしな」

「だが!」

「本当に危なくなったら、止めに入ればええ。けど、今は黙って見とり。それに――」

 

 静かに外へ向かって歩き出すナギを見つめながら、ロキは含んだ笑いを浮かべながら言った。

 

「ここらでナギの実力を把握しとくのも、一興やろ」

 

 そして、舞台は店の外へ移る。

 

「てめぇ……何しやがる!?」

 

 体勢を立て直したベートが、ナギを睨み付ける。

 並の冒険者なら泣いて逃げ出すほどの殺気が込もった視線を、ナギは何も感じないかのように受け流した。

 

杖よ(メア・ウィルガ)

 

 杖を呪文で呼び寄せたナギは、そのままベートと正面から対峙する。

 空気が張りつめる中、ナギが口を開いた。

 

「お前、ベルを雑魚って言ったな」

「ベル? 誰だそりゃ」

「お前がトマト野郎って馬鹿にしてた奴の事だ」

「ああ、あいつの事か。確かに言ったが、それがどうした? 事実を言って何が悪い?」

 

 あくまで自分は何も間違った事は言っていない。ベートはそう主張する。

 確かに、ベートの言った事は、極端ではあるが事実ではあった。弱いからといって冒険者になるべきではないなど、言い過ぎな部分もあったが、何一つ嘘は言っていないのだから。

 

「いいか、よく聞けクソ犬。これだけは言っておく」

 

 それでも、ナギはベートに言わなければならないことがある。

 大きく息を吸って、言い放った。

 

「ベルは確かに雑魚だ!! おまけに度胸もねえ!!」

 

 ナギの台詞に、場の空気が凍った。それは、友人に対してあんまりにもあんまりなのではないだろうか。

 少なくとも、ベートの言い分に怒りを覚える資格はないだろう。

 ベートですら、今のナギの発言に『それはない』と思った。

 もちろん、ナギの言葉はこれだけでは終わらない。

 続きの台詞を、自身の友(ベル)がどういう存在なのかを言葉にしていく。

 

「けどな、あいつはすげえ奴だ。あんだけ好き勝手言われたってのに、お前に文句ひとつ言わねえ。それどころか、てめえを殴ろうとする俺を心配して止めようとしたぐらいだ」

 

 そう、ベルはお人好しだ。それこそ、他に類を見ないほどに。

 そして同時に、自分の弱さを受け止めるだけの、心の強さを持っている。

 

「あいつは誰より自分に力が足りてねえのを自覚してる。だから、これから強くなれるんだろうが!」

 

 自分の弱さから目を逸らすものは、一生成長しない。自分の強さに満足している者はそれ以上の成長は見込めない。

 ベルは自分の弱さを知り、弱い自分を変えようと、強くなろうとしていた。

 それだけでも、そこらの凡夫とは違う。

 しかし、ベートは一向にベルを認めようとはしなかった。

 

「ハッ、雑魚は雑魚だ。それ以上でも、それ以下でもねえ」

「そうやってあいつの可能性を否定して、挙げ句の果てにゴミ呼ばわりして笑い者にしやがって……ふざけんじゃねえ!」

 

 ナギの怒りに呼応して、周囲の魔力が吹き荒れる。

 規定外の凄まじい魔力に、ベートの表情が険しいものに変わった。ベートも17階層でナギが放った魔法を見ているので、警戒するのは当然と言える。

 

「ベルは、これは自分の問題だって言ってた。俺があいつのためにってお前と喧嘩したら、あいつは絶対に自分を責めちまう」

 

 ひどい侮辱を受けながらも、最後まで友人である自分のことを心配していたベルの姿を思い、ナギは咆哮する。

 

「だから、今からやる喧嘩はベルのためじゃねえ……俺の個人的な都合でやる喧嘩だ! てめえのことが心底ムカついたってだけの話だ! このまま引き下がっちゃ、俺の気が収まらねえ!」

 

 たとえ、ベルの意思に反しようが、この感情の昂りはもう抑えらない。ここで退いたら、自分が自分でなくなってしまうが故に。

 

「俺は俺のために、俺の都合で、てめえをぶっ飛ばす!! 覚悟しやがれ!!」

「――ハッ、てめえにゃ昨日の恨みもあるからな。いいぜ、てめえをぶちのめして、現実ってもんを教えてやる」

 

 杖をベートに向けて宣言するナギ。

 一方のベートは、余裕の表情で受けて立つ。たとえ規格外の魔力を有していようが、第一級冒険者である自分が負ける訳がない。

 自分の実力に自身があるからこその、驕りだった。

 双方が睨み合う中、先に動いたのはナギだった。

 

「こっちからいくぞ!」

 

 可視化するほどの魔力の光がナギの右腕に集まる。近接戦闘を仕掛けるつもりであろうか。愛用の杖は、拳闘の邪魔にならないように手元から宙に浮かばせ、ナギと付かず離れずの距離を保っている。

 そんな、この世界では見慣れない光景に沸き立つ野次馬達だが、ベートはそんなナギの行動を冷静に把握していた。

 

(馬鹿が。詠唱もしてねえのにどうやって魔力を集めてんのかは知らねえが、次の行動が丸分かりだ。あんなもん、目ェ瞑ってても避けられる)

 

 警戒はしておくに越したことはないが、右腕に魔力が集まっている以上、そちらの腕で攻撃するつもりでいるのは分かりきっている。

 そんな見え見えの攻撃を食らう訳がない。ベートはもちろん、腕に覚えのある者達は皆、そう思っていた。

 しかし、その予想は大きく裏切られる事となる。

 

「いくぜ!」

 

 その掛け声とともに、ナギの姿が消えた。

 

「なっ、――ぐあ!?」

 

 そして次の瞬間には、拳を振り切った状態のナギと、殴り飛ばされたベートの姿が周りの人間達の目に映っていた。

 ナギの魔力が存分に込められた拳は、ベートの体を十数(メドル)以上吹き飛ばす威力を誇っていた。

 

「嘘!?」

「速い……!」

 

 ティオナやアイズなどの他の第一級冒険者達も、今起こった一連の動きに目を見張った。

 身体的な速力は【ファミリア】随一であるベートの反応を上回る速さで拳を入れたのだ。

 何が起こったのかと見物人達がざわめき出す。

 ナギの行った事は至って単純だ。瞬動術と呼ばれる歩法を使って高速で移動し、殴り飛ばした。ただ、それだけである。

 特にナギの瞬動は見事なもので、相手に技の気配を悟らせないほどの完成度だ。

 ベートの目には、いきなり目の前にナギが現れて自分を殴ったように見えたことだろう。

 まるで瞬間移動したような速さに、騒ぎを見守っている者達も驚きを隠せないでいる。

 

「まだまだァ!!」

 

 ナギの追撃がベートに迫る。

 すでにベートの中のナギに対する油断は消え去っていた。神経を張り巡らしてナギの動きを注視する。

 

「ハッ、多少驚かされたが、てめえの動きなんざ、目ェ凝らせばきっちり見えんだよ!!」

「!!」

 

 腐っても第一級冒険者。その性能(スペック)は普通の冒険者とは比べ物にならない。

 初撃こそ見慣れぬ技に虚を突かれた事と、ナギを雑魚と侮っていた事からまともに食らったが、冷静になって動きを注視すれば追えない速度ではない。

 ナギの動きにしっかりと対応し、カウンターの拳を放つベート。

 

「へっ、甘ぇ!!」

 

 しかし連続の瞬動により、ナギはベートの攻撃を回避し、背後に回った。

 

(もらった!!)

 

 ベートの背中めがけて魔法の射手を乗せた拳を放つナギ。無防備な背中に直撃すれば、勝ちはほぼ確定だ。

 しかし、ベートとて伊達に何年も冒険者をやっている訳ではない。

 背中はもっとも警戒するべき箇所だ。当然ナギが狙ってくる可能性は高く、ベートはそこに意識を張っていた。

 

「オラァ!!」

「なっ!」

 

 ベートの読みは見事に的中。完全に入ったと思ったナギの拳は空を切り、代わりに鋭い蹴りがナギの腹部に突き刺さった。

 

「うわっ、モロに入ったよ!」

「大丈夫かしら?」

 

 蹴りの衝撃で勢いよく吹き飛ばされるナギを見て、ナギの身を案じるティオナ達。深層のモンスターさえ一撃で屠る威力の蹴りだ。人間を再起不能にするには十分すぎる威力である。

 しかし、その心配は杞憂に終わった。

 

「ってえなこの野郎!!」

 

 空中で体勢を立て直して着地し、何事もなく立ち上がるナギ。全くダメージは負っていないように見える。

 

(あの野郎……俺の障壁を抜いてきやがった。身体強化してなかったら危なかったぜ……)

(チッ、何だあの違和感は……あいつに蹴りを入れた時、壁のようなものが攻撃を遮りやがった。いや、それよりもあいつの動き……一瞬とはいえ、俺の速さを上回りやがっただと……)

 

 ナギもベートも、これまでの攻防を思い返し、お互いに油断ならない相手だと認識を改める。

 下手に動けば不利になる。お互いに相手の挙動を探り合い、一片の隙も見逃すまいと刮目する。

 じりじりと少しずつ距離を詰める二人。

 そして間合いに入った瞬間、石畳が割れるほどの力で地を蹴り、相手に向かって飛びかかった。

 

「オラァ!」

「オオッ!」

 

 拳と拳がぶつかり合う。ベートが蹴りを放てば、ナギがお返しとばかりに頭突きを返す。常人の目には、いや、第二級冒険者の目にすら何が起こっているのかすら把握できないほどの壮絶なぶつかり合い。

 その激しさは、戦いの余波が衝撃となって周囲に伝わってくるほどである。地面は砕け、周囲の建物がギシギシと軋む音が鳴る。お互いに一応周りに考慮はしているのか、なるべく被害を出さないような戦いを心掛けているものの、それでもその影響は収まりきらない。

 街に少々の被害を与えつつ、戦いはますます苛烈さを増していく。

 お互いに一歩も引かない戦いに、周囲の人間は例外なくポカンと口を開けていた。

 

「嘘でしょ……酔ってるとはいえ、ベートと互角だなんて……」

「ナギってこんなに強かったの……!? ていうか、どう考えても魔導師の戦い方じゃないし!」

「魔法剣士……?」

 

 予想もしなかったナギの強さ。朝食の席で魔導師(正確には魔法使いだが)と名乗っていたナギだが、その戦いぶりはどう見ても魔導師のそれではない。

 どちらかと言えば〝魔法剣士〟と呼ばれる、接近戦もこなす魔導師のスタイルに近いものがある。

 しかし、アイズ達の目から見て、今のナギは全く魔法を使っていないように見えるので、まるで詐欺にあったかのような気分に陥っていた。

 実際には身体強化や障壁などの魔法を使っているのだが、魔法は三つまでしか使えず、詠唱して使うものという常識が蔓延っているこの世界の人間には、その事実を知る由もない。

 

「へっ、思ったよりやるじゃねえか! なら、こいつはどうだ!」

 

 一度後方に距離をとったナギは、ついに攻撃魔法を解禁した。それは、魔法学校で唯一習う攻撃用の魔法。

 

魔法の射手(サギタ・マギカ)雷の1矢(ウナ・フルグラティオー)!!」

 

 雷属性の魔法の矢。本来なら一本一本は牽制程度の威力しか持たない魔法だが、ナギの莫大な魔力によって放たれるそれは一本でも並の魔法使いの放つ上級魔法を凌駕する威力を誇る。

 直径五〇(セルチ)ほどの太いレーザーの如く射出されたそれは、ベートに向かって直進していく。

 当然避けるものと思われていたが、あろうことかベートは、装着した白銀の長靴を魔法の矢に叩きつけた。

 

「んなっ!?」

 

 特殊金属『ミスリル』を加工したメタルブーツ。第二等級特殊武器(スペリオルズ)――フロスヴィルト。 その能力は、魔法効果を吸収し特性攻撃に変換するというもの。 

 まさか避けるでもなく、弾くでもなく、吸収されるとは思ってもみなかったナギは思わず驚愕の叫びをあげた。

 

「こっから先、てめえにゃ何もさせねえ!」

 

 雷の力を手に入れたベートは、その速力をもってナギに猛攻を仕掛ける。その速度は先程までとは段違いだ。

 また、その威力も蹴りの風圧だけで吹き飛びかねないほど強烈なものとなっている。

 魔法を吸収されたことによる動揺も手伝って、僅かな隙が出来たナギは、ベートの猛攻に反撃することが叶わず、防戦一方になってしまう。

 攻撃を弾こうにも、ナギの魔力を吸収したメタルブーツは想定以上の威力を誇っており、ナギは守勢に徹するしかなかった。

 しかし、守りにも限界は訪れる。

 次第にベートの蹴りがヒットし始め、ナギの体に痣を作っていく。

 

「終わりだ!」

 

 そして、ついにナギのガードを抉じ開け、雷を纏ったベートの蹴りがナギを打ち据えた。

 強烈な蹴りを見舞われ、通りの端まで届く勢いで吹き飛ばされていくナギを見送り、得意気に笑うベートだったが、唐突に視線の先にあるナギの姿が掻き消えた。

 

「残念、そりゃ影分身だ」

「なに――ぐはぁ!?」

 

 ベートが蹴り飛ばしたのは、ナギ本体ではなく、ナギが作り出した実体のある分身であった。

 気配、密度がほぼ本体と同等だったこともあり、完全に騙されたベートは、いつの間にか背後に回っていたナギの拳をもろに食らった。

 

「こっからは俺のターンだ!」

 

 さらなる影分身を展開して攻勢に出るナギ。その数、なんと十以上。密度、攻撃力は本体に数段劣るものの、手数の多さは圧倒的である。

 打って変わって劣性に立たされたベート。

 目まぐるしく変わる展開に、見物人達は一部を除き、全くついていけないでいる。

 そして、一部の実力者達もついていけはするものの、ナギの不可思議な技の数々に目を回していた。

 

「えっ、あれっ!? ナギがたくさんいる!?」

「どうなってんのよ、本当に……」

「すごい……」

 

 ある者は戸惑い、ある者は目の前の光景に目を疑い、ある者は素直に感嘆する。

 特に、金髪の少女は目の前の少年の戦いぶりを興味深く、同時に眩しいものでも見ているかのような目で眺めていた。

 

「すごいな……力や敏捷などの単純な能力値だけで言えば、ベートの方が上だ。しかし、ナギの並外れた戦闘勘と膨大な魔力、そして謎の戦闘技術がそれを補完している」

「恐らく、私たちの知らないところで他にも魔法を使っているのだろうな。あれが、異世界の魔法使いの戦闘か」

「ガッハッハ。さすが、儂が目をつけただけあるわい」

 

 ナギの事情を知る者もまた、己の常識を覆すナギの戦いぶりを目に焼き付けていた。

 

「チィッ、なめんじゃねえ!!」

 

 痺れを切らしたベートが、攻撃を避けることもせずにナギめがけて突貫してきた。

 突然の寄行に面食らったナギは一瞬動きを止めてしまい、その隙にベートの反撃を食らった。膝蹴りを頬に受け、そのまま追撃の回し蹴りによって大きく距離を離される。

 口の中を切ったのか、血の味がする。

 ぺっ、と口に貯まった血を吐き出し、ベートを睨み付ける。

 

「あんだけ入れてやったのに、まだそんだけ動けんのかよ。やせ我慢か、おい」

「ハッ、てめえの攻撃は軽いんだよ。少しくれえ食らったところで何の影響もねえ」

「チッ」

 

 口元から血を流し、所々に痣も見えているが、まだまだ戦闘続行可能な様子のベートに舌打ちする。

 ナギの方が有効打を多く入れているにも関わらず、形勢は互角。それは何故か。

 それはひとえにベートの言葉の通りである。

 いくら身体能力を強化したところで、ナギも所詮は十歳の子供なのだ。

 まだ体の出来上がっていない現状では、身体強化にも限界はある。それは、先程ナギが放った魔法の矢の威力からも伺える。

 というのも、魔法の矢は魔力を込めたパンチ一発と同等の威力とされるが、今のナギを見れば明らかに拳より魔法の矢の方が威力が高いとわかる。つまり、魔力と身体能力が釣り合っていない状態にあるということだ。

 もちろん、魔力のごり押しでさらなる強化もできる。しかし、それをすると未成熟なナギの肉体の方が持たないのである。現状では、今以上の攻撃力は()()()では出せない。

 ならば魔法はどうかという話になるが、ベートには魔法を吸収するフロスヴィルトがある。

 少なくとも、無詠唱で放てるレベルの魔法は吸収されてしまうだろう。

 この状況を打破するにはどうするべきか。答えはすでに決まっていた。

 

「これ以上グダグダやってても仕方ねえ。次で決めるぜ」

「やれるもんならやってみやがれ」

 

 フィニッシュ宣言をするナギに、挑発で返すベート。

 鋭い視線をぶつけ合う二人の間の緊張感が高まっていく。

 先に動いたのは、案の定ナギの方だった。

 

「いくぜオラァ!」

 

 今度は密度を重視した影分身を伴ってベートに攻撃を仕掛ける。

 バカのひとつ覚えか、と迎撃体勢に入るベートだが、何か違和感を覚える。

 ナギは短気ではあるが、戦闘においてはクレバーな思考回路を持っている。

 それがこんな単純な攻めをするものだろうか、と。

 疑問に思いながらもナギの攻撃を捌く最中、不意にベートの耳に不穏な旋律が流れてきた。

 

来れ雷精(ウェニアント・スピリトゥス )風の精(アエリアーレス・フルグリエンテース)!」

「まずい! あの詠唱は!」

 

 忘れもしない17階層での出来事。ナギの魔法の詠唱文を覚えていたリヴェリアは焦りを隠せなかった。

 そしてベートも気づく。今攻撃を仕掛けている影分身の中に、本体はいないことを。

 前にも後ろにも気配は感じない。となれば残るは一つ。

 

「上か!!」

 

 影分身を退け、視線を上にやるベート。

 そこには、杖を携えて詠唱を紡ぐナギの姿があった。

 

「チィッ!! (あれはヤベェ!!)」

 

 舌打ちしながら建物を介して跳躍し、ナギの詠唱を阻止しようとするベート。

 同時に、リヴェリアもまた、ナギの魔法を止めようと叫んだ。

 

「止めろナギ! その魔法は強力すぎる! ここら一帯を吹き飛ばすつもりか!!」

 

 すでにテンションが限界を振り切り、ベートに勝つことしか頭にないナギは、市街地で使用するにはあまりに危険すぎる魔法を選択していた。

 そもそもナギが接近戦に打って出たのは、ナギの魔法が市街地で使うにはあまりに威力が大きく、周囲の建物を崩壊させかねなかったからだ。

 それを裏付けるように、ナギはこの喧嘩で広範囲の魔法を一度も使っていない。魔法の射手でさえ、一本分に抑えている。

 しかし、今のナギはその事実をすっかり頭から抜け落としていた。ただでさえ膨大な魔力を誇るナギが雷の暴風などという上位呪文を、しかも上空から下方に向けて撃ちでもすれば、リヴェリアの言葉通り、この周囲一帯は滅茶苦茶になってしまうだろう。

 リヴェリアの言葉を聞いた他の面子も、ナギの魔法を阻止しようと動き出す。

 しかし、威力に見合わない短さの詠唱は、すでに完成しようとしていた。

 ベートも、リヴェリアも、他の人間も間に合わない。

 

雷を纏いて(クム・フルグラティオーニ )吹きすさべ(フレット・テンペスタース )南洋の(アウストリー)――へぶぅっ!? 」

 

 万事休すかと思われたその時、ナギの頭におたま(・・・)が直撃し、詠唱は中断された。

 

「な、何だ!?」

 

 あまりに想定外すぎる攻撃に動揺し、地面に落ちたナギは、何が起こったのか把握しようと辺りを見回す。

 そして、気づいた。尋常でないオーラを放っている御仁に。

 

「あんた、今何をしようとしていたか分かってるかい?」

 

 仁王立ちでナギの目の前に聳え立つのは、酒場の主人であるドワーフのミア。

 

「お、おばちゃん?」

 

 神すら殺せそうな程の威圧感を放つミアに、さすがのナギも気後れしてしまう。

 

「確かにあたしは、店の外でなら喧嘩していいとは言った。けど同時にこうも言ったはずだ。次に店を壊したらただじゃ済まさないと」

「うっ」

 

 ミアのその言葉に、ナギは自分が何をしようとしていたのかを思い出した。

 熱くなっていたとはいえ、あまりに危険すぎる魔法を選択した事を、さすがのナギも反省する。

 

「これからたぁっぷりお説教してやるから、覚悟しな」

 

 口元は笑っているのに目が全く笑っていないミアを見て、ナギは人生で初めて死を覚悟した。

 

「そこの狼も! 一人だけ逃げんじゃないよ! あんたも同罪だ」

「ゲッ!」

 

 こっそり逃げようとしていた喧嘩の当事者であるベートも、ミアに目敏く見つかり、正座させられる。

 

「今回はさすがにやりすぎだ。お前たちに常識というものをみっちり叩き込んでやる」

 

 リヴェリアもまた、ミアと同じように笑っていない目で二人を見下ろしている。

 ある意味最強の二人が揃い、ナギとベートは逃れられない運命に絶望した。

 ファミリアの面々はそそくさと退散していき、残ったのはオカンと母親(ママ)と、見捨てられた二匹の哀れな子羊のみ。

 

「さあ、覚悟はいいね」

「私も言いたいことはたくさんあるのでな。今日は眠れると思うなよ」

 

 結局、ミアとリヴェリアに深夜まで説教を食らい続け、喧嘩の疲れもあって気力体力ともに失い果てたナギとベートであった。

 

((こいつのせいで……!!))

 

 余談だが、ナギとベートはお互いに説教を受けたのは相手のせいだと責任転嫁していた。

 この日を境に、【ロキ・ファミリア】内でナギとベートの対立が日常と化すこととなるのだが、それはまた別のお話。

 




今回ナギは、本気ではあれど、全力は出してません。周囲の被害を気にせず戦ったら、街が崩壊しますから。まあ、それはベートにも言える事ですが。


~おまけ~

 ちなみに……

「こらナギ! 説教はまだ終わってないぞ! 勝手に寝るんじゃない!」
「でっ!」

 途中で何度も寝落ちしそうになったり……

「ムシャクシャしてやった! 反省も後悔もしてねえ!」
「胸張って言うことじゃないよ! いい加減にしな!」
「んがっ」

 まったく反省していなかったり……

(今だ! あの隙間から抜けてやる!)
「逃がさんと言ったろう!」
「ぐえっ」

 何度も脱走を試みて捕獲されたり……

「てめえ喧嘩売ってんのか鳥頭ァ!!」
「それはこっちの台詞だ! もう1ラウンドいっとくかクソ狼!!」
「「やんのかゴラァ!!」」
「「いい加減にせんか!!」」

 喧嘩が第2ラウンドに突入しそうになったり……

「はあ……はあ……暴れすぎだ、あの馬鹿」
「まったく、ヤンチャすぎるだろう、あの坊や」

 その他にも色々あり、必要以上に疲れきったリヴェリアとミアの姿がありましたとさ。


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