千の呪文の男がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ネメシスQ
大変長らくお待たせしました最新話。相変わらず話が進みませんが、どうぞご覧あれ。
「ぅ、んぁ~……」
まだ日も上っていない時間帯。薄暗い部屋の中で、あくびを漏らしながらナギは目を覚ました。
しかし、まだ眠気が完全に抜けきっていないのか、起き上がる様子はない。
しばらくの間、毛布の中でモゾモゾと蠢いていると、何かが自分の体を拘束していることに気がついた。
動けないほど力強くはない。優しく包み込むような力加減のそれは、細くて柔らかい。
嫌な感じはせず、むしろ心地よささえ感じられるが、同時に煩わしさを感じるのも事実。
そこから逃れようともがいていると、布越しに何か柔らかいものがナギの手に触れた。
「なんだこれ……?」
手に収まる程度の大きさの、ほどよい弾力があるその何か。その正体が気になり、ナギは探るように指に力を籠めてみる。
ナギの手の中でぐにぐにと形を変える柔らかいナニカ。
「んっ、ふっ……ぁ……やめ……」
同時、耳元に艶かしい声が届く。その声に首をかしげる。
誰の声だろうか。不思議に思いながら、視線を上にずらす。
「んあ?」
気の抜けた声ととに、ナギは目を丸くした。
「………………ナギ」
「リヴェリア……?」
そこにあったのは、顔を赤らめた自分の教育係とも呼べる女性。その目はしっかりとナギの目をとらえている。ジト目で。
そこでようやく、ナギは自分の置かれている状況を把握した。
それと同時に、自分の手が揉みしだいていたナニカにも見当がついた。
体を起こしたナギは、自身の手と、同じく起き上がったリヴェリアの胸とを交互に見やる。
そして一度目を閉じ、再度開くと、何事もなかったかのように笑みを浮かべた。
「よう、リヴェリア。いい朝だな!」
「なかった事にしようとするな」
こうしてナギの朝は、リヴェリアの拳骨から始まった。
◇
「まったく、不可抗力とはいえ、あんなに恥ずかしい思いをしたのは初めてだぞ」
「寝ぼけてたんだから仕方ねえだろ。俺は悪くねえ」
リヴェリアの小言に、ナギが不本意だと言わんばかりに返す。
現在の時刻は四時半を過ぎたところ。
起きるには早すぎる時間ではあるが、今さら二度寝する気にはなれない、とナギとリヴェリアはそれぞれ普段着に着替え、酒場として使用されている建物の一階に降りていた。
まだ他の者は眠っているのか、ナギ達以外に人はおらず、静かな空間を形成している。
眠気覚ましの水を一杯飲み干しながら、ナギはふと、ある事に思い当たった。
「そういや、何で俺、リヴェリアの隣で寝てたんだ?」
ピクリ。リヴェリアが肩を震わせる。
そう、先程までナギ達が寝ていた場所は、【ロキ・ファミリア】の
酒場『豊饒の女主人』の二階にある一室であった。
「別々のベッドで寝てりゃ、そもそもあんな事故は起こらなかった訳で……」
何故、本拠ではなくあのような場所で寝ていたのか。頭を捻るも答えは出ない。
何かあっただろうか、と昨夜の出来事を思い返してみる。
(たしか昨日はあのクソ狼と一緒になってリヴェリアとおばちゃんから説教を受けて……そんで……あれ? どうなったんだっけ?)
記憶を遡ってみるも、途中で途切れてしまっている。結局、昨夜の出来事を思い返しても何も分からなかった。
「リヴェリア?」
事情を知るであろうリヴェリアに視線を向け、詳細を尋ねるナギ。
リヴェリアは、何故だか目をあちこちに泳がせながら、しどろもどろに答えた。
「えーと……その、だな。昨日は説教が長びいたせいか、お前は説教が終わったと同時に眠ってしまってな。ベートはさっさと帰って行ったんだが、寝落ちしたお前を慮ってか、女将のミアが泊まっていけと提案してきたんだ。私も疲れていたのでな、ミアの言葉に甘えさせてもらったという訳だ」
「なるほどな。じゃあ、同じベッドで寝てたのは?」
「ここには、酒場の従業員も寝泊まりしているからな。数が足りず、同じベッドで寝るしかなかっただけだ」
「ふーん……ま、そういうことなら仕方ねえか」
リヴェリアの口から告げられた理由に、一応の納得を見せるナギ。
「あ、ああそうだ。仕方なかったからな、うん」
「……? ま、いっか」
それに必要以上に同意するリヴェリア。そんなリヴェリアの様子を訝しむナギだが、さして気にならなかったのか、結局そのままスルーした。
「リヴェリア、ちょっと外の空気吸ってくる」
薄暗い室内では窮屈だったのだろうか。外の新鮮な空気を求めて、ナギがリヴェリアに一言断りを入れて外へ向かう。
「わかった。だが、勝手にどこかへ行くなよ」
「わーってるって」
ひらひらと手を振り、出口の扉に手をかける。
「あ、そうだリヴェリア」
「何だ?」
思い出したように後ろを振り返るナギに、顔を向けるリヴェリア。
ナギは親指を立てると、茶目っ気たっぷりの笑顔で言い放った。
「お前って意外と着痩せするタイプなのな。ロキよりは全然でかかったぜ、お前の胸」
「~~~~~~ッ、ナギッ!!」
「わははははは!!」
顔を赤くしてテーブルを叩くリヴェリアから逃れるように、ナギは酒場の外へ出ていった。
その様子を見送ったリヴェリアは、椅子の背もたれに体重を預け、嘆息した。
「まったく。大人をからかいおって……」
◇
通りに出たナギは、まず肺一杯に朝の空気を吸い込んだ。澄んだ空気が意識を覚醒させていく。
ようやく顔を出した太陽の光を浴びて、その温かさに何とも言えない心地よさを感じる。
その時、ナギは不意に通りの先で見知った顔を見つけた。
「お、あれは……ベルか? こんな時間に何やって…………ん?」
昨日、店を飛び出してどこかへ行ってしまった友人の姿を見つけ、声をかけようと近づいたところ、ナギは異変に気づいた。
「な、ベル!? おい、どうしたんだその怪我!?」
「ぁ、ナギ君……」
血相を変えてベルの元まで駆け寄り、何事かを問うナギ。
それだけ今のベルの姿は、見るに堪えないものだった。
額を切ったのか、顔は血にまみれており、憔悴の色がありありと浮かんでいる。
傷は右膝の裂傷が特にひどく、かなり深くまで裂かれている。
それ以外にも服はボロボロに損傷しており、破けた箇所から切り傷、打撲による青あざが見られ、所々から血も流れている。
誰がどう見ても満身創痍であった。
加えて、どこか暗い雰囲気を纏っており、拒絶の意さえ見られる。
「大丈夫だから……ほっといて……」
「ほっとけるかバカ! じっとしてろ、今治す!」
「治すって……」
「いいから黙ってじっとしてろっての!
ベルの言葉を完全に無視し、ナギはベルの傷口に手をかざし、無詠唱で治癒魔法を発動する。手から発せられる光が傷口に当てられ、徐々にその傷が塞がっていく。
その光景を目の当たりにし、ベルは目を見張った。
「これって……治癒魔法……?」
「ああ。基礎魔法だから、重傷にゃ効かねえけどな。ある程度なら治せるぜ」
ナギが迷宮都市でも使い手の少ない治癒魔法の使い手だったことに驚くベル。
昨日のダンジョン探索でナギが魔法の射手を使用したことにより、ナギが魔導師であることは察しがついていたベルだが、まさか治癒魔法まで使えるとは思っていなかったのだ。
この年で二つの魔法を使えるというのは、かなり稀有な例である。
ベルは改めてナギの凄まじさを認識した。
もっとも、そんなものはほんの一面にすぎないのだが、今のベルにそれを知る由もない。
「お前、何でそんな怪我してんだよ」
治療の間、沈黙を嫌ったのか、ナギがベルに怪我の理由を問いかけた。
酒場から飛び出した後、何をどうしたらこんな怪我を負うというのか。
すべて話せ。そんなナギの有無を言わせない視線に、ベルは治療の恩もあり、ばつが悪そうにしながらも現在までの経緯を話し出す。
「昨日酒場を飛び出した後、そのままダンジョンに行って……一晩中モンスターと戦ってた」
聞けば誰もが正気を疑うようなその行動に、ナギはキョトンとした顔を見せ、その後一転して顔をほころばせながら、ベルの背中をバシバシと叩いた。
「やるじゃねえか! 魔法も使えねえのに一晩中戦ったなんて、ちょっと見直したぜ、ベル!」
「いだっ! ナ、ナギ君っ、背中の怪我まだ治りきってないからっ……!」
「っと、そうだった。悪い悪い。まあ治してんの俺だし、これくらい許容範囲だろ。気にすんな」
「あ、はは……」
悪びれなく笑いながら軽い調子で詫びを入れるナギ。
そんな変わった友人に、背中の痛みも忘れてベルは思わず苦笑した。
同時に、自身の無謀な行いに対するナギの反応にも、驚きを通り越して呆れを感じていた。
(やっぱちょっとズレてるよね、ナギ君って)
普通ならそのような愚行を犯したことを叱るところだろう。
それをまさか褒められるなどとは、夢にも思っていなかった。
いつの間にか、暗い雰囲気などどこかへ消えてしまい、肩の力が抜けていた。
そのまま大人しくナギの治療を受けていたベルだが、不意に口を開いた。
「そ、それよりナギ君。ずっと気になってたんだけど……昨日僕が飛び出してから何があったの? すごいことになってるんだけど」
話題を変えようとしたのか、我慢の限界に達したのか、ベルはついに周りの景色にツッコミを入れた。
辺りを見渡せば、そこはまるで災害の跡地。
石畳みの地面は至るところで砕けており、とてもじゃないがまともに歩いて通れるような状態ではない。少なくとも馬車などの乗り物が通行止めになるのは間違いないだろう。
明らかに何かが起こったのは間違いない。
故にベルはナギを問い詰めるのだが、
「あー、まあ気にすんな。大した事じゃねえよ」
「いや大した事だよね!? 本当に何があったのさ!?」
ナギはのらりくらりとベルの追求を躱すのみ。
それというのも、この惨状がすべて、昨日のナギとベートの喧嘩の影響によって出来たものだからである。
ナギがベートに手を出すのを望んでいなかったベルに、その事実を誤魔化したくなるのは必然であった。
(そういや、これの修繕費って俺が払わなきゃなんねえのか? 今までの経験上、結構かかるような気がするけど…………ま、いっか。ロキに払わせりゃいいだろ)
面倒事は大人に押し付けるに限る、とひどく自分本意な考えをするナギ。ロキの胃の未来が心配である。
結局、ナギは一向に事情を説明せず、ベルは何を言っても無駄だと悟り自分から引き下がった。
数分後、ようやく粗方の治療が終わり、ナギは魔法の行使を止めた。
「基礎の治癒魔法じゃこんなもんか。立てるか、ベル?」
「う、うん……ありがとう、ナギ君」
「気にすんな。これくらい朝飯前だぜ」
満足気にベルの容態を確認するナギ。
ベルの怪我は、表面的にはさほどひどくは見えない程度まで回復した。
ナギが使った治癒魔法は、ごく基本的なもので、普通に使えば擦り傷程度にしか効かないが、膨大な魔力量によるごり押しによってある程度の打ち身、捻挫、切り傷、火傷、凍傷などは治すことができる。
ただし簡易魔法なだけに重症・重傷には効果がないため、ベルが致命傷と呼べるほどの負傷をしなかったのは幸いであった。
しかし、蓄積されたダメージはしっかり体に刻まれており、体力は失われたままだ。特に傷の深かった右膝の裂傷などは、完全には塞がっておらず、全体としても完全に治ったとは言い難い。
現に、ベルの足は未だふらついている。
ある程度回復したとはいえ、しっかりとした療養が必要だろう。
そんな状態のベルをそのまま放っておくのは忍びない、とナギはひとつ提案をした。
「ついでだし、お前ん家まで送ってくぜ。軽い傷は大体直したけど、まだダメージ残ってんだろ」
「いやいや、そこまで世話になる訳にはいかないよ! 大丈夫、一人で帰れるから!」
ナギの言葉に、慌てて首を振るベル。
ただでさえ酒場から逃げ出すという醜態をさらし、その上怪我の治療までしてもらったのに、これ以上世話になっていては立つ瀬がない。
しかし、ナギはベルの心情などまるで意に介さず、言葉を重ねる。
「ちょうど散歩でもしようと思ってたんだ。いいから付き合え」
「あれ? 僕に拒否権なし?」
「当たり前だろ、何言ってんだ?」
ベルの意思など関係ない、自分の言う通りにしていろ。そう言わんばかりのナギの態度に、ベルは苦笑する。
それが自身の身を慮んばかってのものだと気づいたからだ。ナギに言えば必ず否定するのが目に見えていたので、口に出すことはなかったが。
結局ベルは、ナギに押し切られる形で本拠まで送られることになった。
「んじゃ、行くとするか!」
「ナギ」
杖を手元に呼び寄せ、いざ行かんと声をあげたその時、自身の名前を呼ばれ、振り返る。
「リヴェリア」
「中々帰ってこないと思ったら、何をしているんだお前は?」
外の空気を吸うだけにしては時間がかかりすぎていると思ったのだろう。
ナギを迎えに酒場から出てきたリヴェリアが、ナギが肩を貸している少年に目を向ける。
「その少年は何者だ?」
「ああ、こいつはベル……ベル~……おい、ベル。お前のファミリーネームなんつったっけ?」
「「だぁ!?」」
ナギの残念すぎる記憶力に、リヴェリアとベルは思わずずっこけた。
◇
「そうか。ベートが謗ったナギの友人とは君の事だったのか」
気を取り直して、ナギとベルから詳しい話を聞き、リヴェリアは事情を把握した。
「ベル・クラネルと言ったな。すまなかった。うちの団員が君を侮辱した事、謝罪しよう」
「い、いえそんな! あの人が言った事は……全部、本当の事ですから」
「だが……」
「いいんです、本当に。僕が弱いのがいけないんです。だから、貴方達が僕なんかに謝る必要なんてありません」
リヴェリアからの謝罪に、かえって恐縮するベル。
ともすると強情なほどに謝罪を受け取ろうとしないベルに、先に折れたのはリヴェリアの方だった。
「そうか。本人がそう言うのなら、昨夜の事についてはもう何も言わない。だがひとつだけ言わせてもらおう」
「何でしょうか?」
首をかしげるベルに、リヴェリアは真剣な色を帯びた声音で言った。
「あまり自分を貶めるな。それは、お前を信頼している人をも侮辱する行為だ」
「!」
「私の言いたいことはそれだけだ。今の言葉を忘れないでいてくれると嬉しい」
「は、はい!」
リヴェリアの微笑を携えた一言に、ベルが顔を赤くしながら返事をし、昨夜の一件に関する話は一応の決着がついた。
「それにしても、随分ひどい格好だな。何かあったのか? 服がボロボロの割に怪我の程度は軽いようだが……」
「あ、えと……それは……」
ベルのあまりにボロボロな格好について追求するリヴェリア。
理由が理由だけに、ベルもその理由を語るのを躊躇している。
しかし、そんなベルの心情を完全に無視して、ナギはベルの背中を叩きながら、まるで友人を自慢するかのように嬉々としてリヴェリアに何があったのかを話した。
「それがよ~、こいつ昨日の夜、酒場飛び出した後、そのままダンジョン突っ込んで、一晩中戦ってたんだってよ! 魔法も使えねえのに、中々やるだろ?」
ナギの言葉を聞き、リヴェリアは目を見開いた。
およそ信じられないような内容だったからだ。
「防具のひとつも着けていないのに、こんな状態でダンジョンに潜ったというのか!? 死にたいのかお前は!?」
「い、いや……あの時はもう、無我夢中で」
常識的な感性を持つものであれば当然するであろう叱責をベルにぶつけるリヴェリア。
それだけ、ベルの起こした行動というものは常軌を逸するものだったのだ。
ベル自身、なんて命知らずな真似をしたのだろうと自覚しているのだから、相当である。
「いいじゃねえか、リヴェリア。防具着けてねえのは俺も同じだぜ?」
「非常識が服を着て歩いているようなお前と一緒にするな」
「ひでえな、おい」
リヴェリアの身も蓋もない物言いに半笑いで返すナギ。
実際、魔法障壁を使えるナギと、使えないベルとでは危険度が違いすぎるので、リヴェリアの言葉は紛れもない正論なのだが。
「それで、そんな無茶をして怪我は平気なのか?」
「あ、はい。ナギ君の治癒魔法で深い傷以外は大体治してもらったので」
「基礎の治癒魔法だから、完全には治せなかったけどな」
「なるほど、そういうことか」
ベルの言葉を聞き、ようやくリヴェリアは、ベルの服の損耗具合と怪我の度合いの不釣り合いさに合点がいった。
「そうなると、長々と引き止めるのはそちらに悪いな。早く休んだ方がいい」
治癒魔法では、怪我は治せても疲れまではとれない。
一日も寝ていればあらかた回復するだろうが、それでも休息は必要だとリヴェリアは判断した。
「ナギ、彼の【ファミリア】の本拠まで送ってやれ」
「ああ。最初からそのつもりだぜ」
「えっと、大分休ませてもらったから、もう僕一人でも帰れると思うんですけど……」
ナギ達の好意は嬉しいが、それでもやはり意地を張りたくなるのが男の性というもの。
一人で帰れると主張するが、ナギとリヴェリアは揃ってベルの主張を却下した。
「無理すんなっつってんだろうが」
「見ての通り、昨日の騒動のせいで道が荒れ放題だ。歩いて帰るには酷だろう。その体でこれ以上無理をしない方がいい。なに、ナギに任せればすぐに着ける」
言われ、ベルは周りに目を向ける。
至るところがひび割れ、所々に小さなクレーターまでできている。
確かに、今の状態でこの通りを抜けるのは骨が折れそうだ。
「でもこの道の荒れ様じゃ、ナギ君に送ってもらっても大差ないんじゃ……」
「それについては心配ない」
「俺の杖に乗ってきゃ、お前ん家までひとっ飛びだ」
手に持った杖を見せながら心配無用と告げるナギ。
空を飛べば、地面の荒れ様など関係ない。最短距離で進むことができると得意気に言った。
ナギが杖を使って空を飛べると教えられたベルは、あんぐりと口を開けた。
まさか空まで飛べるとは思ってもみなかったのだろう。
「元々ナギのせいでこうなったんだ。ここは素直に甘えておけ」
「えっと、それじゃあ……お言葉に甘えさせてもらいます」
新たに発覚したナギの力に呆然としたまま、ベルは勢いで頷いた。
と、そこでリヴェリアの発言の中に気になる単語を見つけた。
「ん? あれ……ナギ君のせい?」
(げっ)
ベルが確認するように呟いたその言葉に、ナギが顔をしかめた。
「ああ。実は昨日、ナギがベート……お前を謗った狼人のことだが、そいつに喧嘩を吹っ掛けてな」
「じゃあ、通りがめちゃくちゃになってるのは……」
「ああ。うちの馬鹿二人が暴れた結果だ。途中で止めたにも関わらずこの有り様だ」
ベルの疑問に、隠すことなく昨夜のナギとベートの喧嘩について話すリヴェリア。
それを聞いたベルは軽く怒りのこもった声色でナギに問い詰めた。
「ナギ君、何やってるんだ!」
「ああ、面目ねえ。途中で止められなけりゃ、俺が勝ってたんだが、酒場のおばちゃんに邪魔されてよ」
「そうじゃなくて、何で喧嘩してるの!? 喧嘩するなって言ったじゃないか!」
「はっ、俺は一言も喧嘩しませんなんて言った覚えはねえ」
「だからって僕のために同じ【ファミリア】の人と喧嘩なんて――」
辺りを災害の跡地のようにしてしまうほどの激しい喧嘩。
ただの小競り合いではすまないほどの戦いがあったのは間違いない。
そんな喧嘩を自分のせいで……
ベルは情けなさで震えながら言葉を紡ぐ。
しかし、ナギはそれを真っ向から受け止めて、言い放った。
「勘違いすんな。俺は個人的にあいつがムカついたからぶん殴っただけだ。お前は関係ねえよ」
嘘だ。喧嘩の原因がベルに関係しているのは明白。
それでもナギは真意を口にしない。あくまで、個人的な理由で、自分のやりたいようにやった結果であり、ベルの関与するところではないと嘯く。
もっとも、それらの理由もベルが関係していることを除けば、あながち嘘ではないが。
「んな顔すんなよ。俺が気にしてねえんだから、それでいいだろ」
「でも……」
なおも表情を暗くするベル。
自分が喧嘩の発端となったことに罪悪感を感じていた。
もし、その喧嘩が原因でナギが【ファミリア】内で村八分にされたら……
そう思うと、ベルはベートの言葉になにも言い返せない自分の弱さに、ナギにベートを殴らせてしまった自分の弱さが許せなかった。
そんなベルの心の内を読み取ったリヴェリアが、ベルに優しく声をかけた。
「喧嘩を肯定する訳ではないが、昨夜の喧嘩は大事には至っていない。お前が気にする必要はないぞ、ベル」
「リヴェリアさん……」
「それに、喧嘩ぐらいでナギを敬遠するような奴はうちの【ファミリア】にはいない。仮にいたとしても、そんな軟弱な奴は私が直々に教育してやる。だからそんな心配するな」
「……はい」
リヴェリアの気遣いを受け、ベルは無理矢理自分を納得させた。
リヴェリアの言葉通りなら、ナギが【ファミリア】内で孤立することはないだろう。
それでも、自分が弱かったせいでナギに拳を振るわせてしまった、という気持ちは消えることはなかった。
(ったく……)
ベルが気落ちして顔を俯かせる中、ナギはため息をひとつ吐くと、杖を持っているのとは逆の手を振り上げ、
「お前はアホか!」
「いたっ!?」
ベルの頭を思いきりはたいた。もちろん、魔力の強化はしていないが、かなりの衝撃がベルを襲った。
頭を押さえるベルの前で、ナギはフン、と鼻を鳴らした。
「ベル、お前そんな下らねえこと気にしてたのかよ」
「下らないって……ナギ君!」
呆れた、といった様子のナギに、ベルが反論しようとする。
しかし、ベルが口を開く前に、ナギが先に話を繋げた。
もはやベルには誤魔化しの言葉では納得させられない。自分のせいだと喧嘩の原因となった自分を責めている。
そうなった以上、もはや嘘をいう必要もない。
だから言った。偽りのない、自分の真意を。
「俺らダチだろうが。お前は俺が馬鹿にされたらどうすんだ?」
ニヤリと笑ってそう言ってのけるナギに、ベルは何も言えなくなった。
同じ状況に陥ったら、自分もナギと同じ選択をしていたかもしれないと、そう思ったからだ。
「それに、俺は自分が間違ったことをしたとは思ってねえ。その結果どうなろうが、俺は絶対に後悔しねえ。だから気にすんなよ。なっ」
「…………うん、わかったよ。もう何も言わない」
「ああ、それでいい」
顔を上げたベルの目は、先程までと違い、真っ直ぐな光を宿していた。
それを見たナギは満足そうに頷く。
「じゃ、そろそろ行こうぜ」
話の区切りもつき、杖にまたがったナギが出発を促した。
「そうだな。聞けばお前の主神にはなにも告げずにいるのだろう? 今ごろ心配しているはずだ」
「あっ、そ、そうだった! 僕、神様に何も言わずに……」
「それなら急いだ方がいいな。乗れ、ベル」
「うん。じゃあ、よろしく頼むね」
ナギの後ろに回り、ベルは杖にまたがる。
「それじゃ、ちょっくら行ってくるぜ」
「朝食までには戻ってこい。私は先に本拠へ帰っている」
「ああ。じゃあまた後でな!」
リヴェリアに見送られ、ナギは杖に魔力を送り、宙へ浮かび上がる。
初めての飛行体験に、ベルの心に驚きと興奮が襲いかかる。
「すごい……本当に浮いた……!」
「ベル、お前ん家どっちにあるんだ?」
周囲の建物の上空まで浮かび上がったところで、ナギがベルに本拠の場所を尋ねた。
「この通りを真っ直ぐ行って、少しそれた所にある廃教会だよ。そこが僕の【ファミリア】の本拠」
「OK、しっかり掴まってろよ」
後ろにベルを乗せているため、そこまで速度を出していないが、それでも自動車と同等の速さで飛行を始める。
「は、速っ!」
「トップスピードはこんなもんじゃねえぞ。やってみるか?」
「いやいやいや! これ以上速くしたら落ちるから!」
「ははっ、大丈夫だって。落ちたら地面に激突する前に俺が回収してやるよ。間に合ったら」
「うん、わかった。絶対スピード上げないでね!」
「おう、スピードMAXでいくぜ! 振り落とされんなよ!」
「やめてって言ったよね僕!?」
上空十数Mで、二人の少年の笑い声が朝のオラリオに響く。
二人を乗せた杖は、あっという間に、ベルの暮らす廃教会まで辿り着いた。
◇
同時刻、廃教会の正面玄関の前に、一人の少女がいた。
「ベル君……一体どこに行ってしまったんだい……」
少女の名はヘスティア。ベルの所属する【ヘスティア・ファミリア】の主神である。
連絡もなく、未だ帰らないベルを探しに行くべく、外へ出ていた。ちなみに、数時間前にも一度探しに出ているが、結果は出ていない。
これほど探しても見つからないのは何か事件に巻き込まれたのでは、と心中穏やかでない彼女は、まだ捜索していない地域を頭の中で整理し、行動に移そうとした、その時だった。
「神様ー!!」
「ん?」
バベル方面から聞き覚えのある声が耳に届いた。
ベル君の声だ。ヘスティアは瞳を涙ぐませ、安堵の笑みを浮かべながら声の主を探す。
しかし、辺りを見渡せど、ベルの姿は見つからない。
どういうことだと首をかしげるヘスティアに、再び声が聞こえてくる。
「神様、上です! 上!」
「上?」
声に従い、空を見上げるヘスティア。
そして、目を飛び出させて驚きを露にした。
「べべべ……ベル君!? 何で空を飛んでるんだい!? それとその子は誰だい!?」
あまりにツッコミどころが多すぎて脳が処理しきれていないのか、ヘスティアは目を回してしまう。
ナギに地上に降ろしてもらったベルが、ヘスティアの元まで駆け寄る。
「ごめんなさい、神様! こんな時間まで連絡もなしに……」
「ほ、本当だよ全く! 僕がどれだけ心配したのかわかってるのかい!?」
「本当に、ごめんなさい」
「はあ。まあ、無事に帰ってきてくれてよかったよ」
申し訳なさそうに頭を下げるベルに、ヘスティアも反省の気持ちを汲み取り、それ以上の叱責をやめた。
話が終わったところで、一緒に降り立っていたナギがベルの肩を叩く。
「ベル。俺もう戻るわ。ここまで来ればもう平気だろ?」
「あ、うん。ありがとうナギ君。できればお茶でも出そうと思ったんだけど……」
ここまで世話になっておいて何も返さないのは心苦しい。そんな心境もあり、ナギを本拠に誘うが、
「礼なんていいって。リヴェリアから早く帰ってくるよう言われてるしな」
ベルの誘いを辞退し、ナギはそのまま再度空へ浮上する。
「そんじゃまたな~、ベル!」
「うん! 本当にありがとう!」
上空から手を振って別れを告げ、ナギは【ロキ・ファミリアの本拠】――『黄昏の館』へ向けて一直線に飛んでいった。
「誰だったんだい、あの子?」
ナギの飛んでいった方向を見つめていたベルに、ヘスティアが尋ねる。
「僕の……友達です」
誇らしげに、ベルはナギのことをそう、ヘスティアに告げた。
――あの……大丈夫、ですか?
――泣きわめくくらいだった最初から冒険者になんかなるんじゃねえっての。
――あの状況じゃ、仕方なかったと思います。
――止めんなベル! 今すぐあいつぶっ飛ばして……
――雑魚じゃ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ。
――俺らダチだろうが。お前は俺が馬鹿にされたらどうすんだ?
思い出すいくつもの場面。
二日にも満たない短い時間。その間の出来事が、少年の心に決意させた。
「神様……僕、強くなりたいです」
空を仰ぐベルの眼差しは、他の何かに真っ直ぐに向けられていた。
ヘスティアはその横顔から、ベルの成長を悟った。
「うん、強くなれるよ。君なら、必ず」
ベルの頭を撫でながら、ヘスティアは慈愛に満ちた声でそう言った。
「ところでベル君。何でそんなに服がボロボロなんだい?」
「え゛っと、それは……」
ヘスティアの怒鳴り声が炸裂するまで、あと十秒。
~おまけ~
ナギ達への説教が終わった後の事……
「あんた達、もう遅いし、泊まっていきな。その坊やも眠っちまってるみたいだしね。わざわざ起こすのも忍びないだろ」
「ありがたい申し出だが、ナギは私が背負って帰るので問題ない。それに、【ファミリア】の副団長である私が無断で外泊する訳にもいかんのでな」
「そうかい。まあ、仮にうちに泊まったとしても、部屋が一つしか空いてないから、同じベッドで寝るしかなかったんだし、そっちの方がいいかもしれないねえ」
ピクリ
「悪かったね、変に引き止めちまって。また今度うちに飯でも……」
「いや、お言葉に甘えよう。泊まらせてもらう」
「うん? あんたさっきは帰るって」
「 泊 ま ら せ て も ら お う 」
「あ、ああ。それは全然構わないけど、何で急に」
「…………ナギの相手して、疲れたからな」
「ああ、そりゃそうだろうね。いいよ、ゆっくりしていきな」
「ああ。一晩世話になる」
そして宛行われた部屋のベッドにナギを寝かせるリヴェリア。
(ふふ、誰かと添い寝をするのは久しぶりだな。アイズと最後に一緒に寝たのはいつだったか……)
すやすやと寝息を立てるナギに、母性に溢れた笑みを向けるリヴェリア。
結局のところ、合法的にナギと添い寝するのが目的のリヴェリアさんでした。