千の呪文の男がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ネメシスQ

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 今回、ナギ君あまり出番がない上に、かなり長くて話もグダってます。書いてる内にどんどん長くなってしまい、いい切りどころが見つからなかったと言うか。途中で切ったらこれまた微妙で……
 さんざんお待たせしておいてこんな出来で申し訳ないですが、どうぞご覧ください。

P.S. ついにお気に入り数が1500件を突破しました。本当に感謝です。これからも長い目で見てくださると幸いです。



悩める少女達

 走る、走る、走る。

 少年は持てる力を振り絞って、狭い廊下を駆け抜けていた。

 

「捕まって、たまるかよ……!」

 

 そう呟く少年の表情は、迫り来るものへ恐怖で引きつっている。

 もう、あんな地獄は二度とごめんだ。その一心で、少年はここまで逃げてきた。

 

「待て!」

 

 後ろから追っ手が迫り来る。その麗しい容貌からは想像も出来ないほどの速度で自分を追いかけてくる。

 しかし、ここで捕まるわけにはいかない。捕まれば、再びあの苦しみを味わうことになるのだから。

 追いつかれないよう、自らも速度を上げて対抗する。

 どれだけの時間走り続けただろうか。

 幾度となく捕縛されそうになりながらも、なんとか逃れ続けていた少年の前に、希望の光が射し込んだ。

 

「出口か!」

 

 そこは中庭へと繋がる通路。外へ繋がる場所にさえ出られればこっちのものだ。

 少年は一気に駆け抜ける。

 追手側も、このまま外へ出してはもはや捉えることは敵わないと感じ取ったのだろう。形振り構わずロープやら鞭やらで捕縛を試みるが、少年はそれらを躱しつつ、着実に出口へ近づいていく。

 

「うおおおおお!!」

 

 雄叫びとともに日の光が降り注ぐ外の世界へと躍り出た少年は、そのまま足先に魔力を集中させ、空高く跳躍する。

 

杖よ(メア・ウィルガ)!」

 

 そして呪文を唱えて杖を呼び寄せると、そのまま杖に跨がって誰も追ってこれない空へと避難する。

 

「へっ、今回も俺の勝ちだな、リヴェリア! このままトンズラこかせてもらうぜ!」

「待て、ナギッ!」

「じゃあな! 夕飯までには戻ってくっからよ!」

 

 魔法使いの少年――ナギ・スプリングフィールドは、自身を追いかけてきた教育係に勝ち誇るような笑みを向け、そのまま上空から黄昏の館を脱出した。

 

「くっ、またしても……!」

「なんや、リヴェリア。まーたナギに逃げられたんか」

「……ロキか。ああ、見ての通りだ」

 

 去っていくナギを悔しげに見つめていたリヴェリアに、いつの間にその場にいたのか、【ファミリア】の主神であるロキが楽しげに話しかけてきた。

 

「全く、ナギの勉強に対する拒否反応は凄まじいな。勉強から逃げる時は、間違いなく普段の倍以上の速度を発揮しているぞ。どれだけ勉強したくないのか……」

「勉強って単語聞いただけで、見るからに嫌そうな顔してたもんなあ、ナギの奴」

 

 どこからどう見ても、勉強嫌いなヤンチャ小僧といった風体のナギを思い浮かべる。

 

「よっぽど初日のリヴェリアのスパルタ指導が堪えたんやろなあ。だから、あないにスパルタで詰め込まんでもええっちゅーたのに」

「うっ」

 

 ロキの指摘に、リヴェリア自身も自覚があるのか、声を詰まらせる。

 

「た、確かにナギには少々厳しすぎたかもしれないが……」

「少しどころやないわ。ナギの奴、容量オーバーで頭から煙吹いとったやんか」

 

 そう、ナギが【ロキ・ファミリア】に加わった直後に行われた、リヴェリアによるスパルタ教育のせいか、ナギの勉強嫌いが加速度的に進行してしまった。

 その証拠に、昨日一日、リヴェリアは幾度となくナギにこの世界の文字やダンジョンについての緒知識を教示しようとしたが、全て逃げられてしまっている。

 正面から誘えば勉強のべの字が出る前に身を翻して逃走。

 食事の際、隙をついて縄で縛っても空蝉で抜け出されるなど、どうやっても捕まえることが出来なかった。

 先程も同じように逃げられたばかりだ。

 

「勉強させようとしなければ、あいつも普通に接してくるのだがな。その手の気配を感じた時だけ逃げ出すのだから、手に負えない」

「ホンマ筋金入りやな……」

 

 どうやったらそんな気配だけ察知できるのか、と二人して苦笑する。

 

「ところで、ロキはこんなところで何を――」

 

 話題を変えて自身の疑問をぶつけようとしたリヴェリアだが、ロキの視線を辿り、その理由を察した。

 

「ああ、そういうことか」

 

 今二人がいるのは、館の塔と塔を繋ぐ空中回廊だ。石造りの廊下からは、眼下にある中庭が見晴らせる。

 視線の先には、中庭のベンチに座るアイズの姿があった。

 ロキはここでアイズの様子を窺っていたのだろう。

 

「アイズが無為に時間を過ごすとはな……」

「珍しいどころやないわな。元気もないし……」

 

 鍛練をするでもなく、ただベンチに座って中庭の中央にある噴水をぼんやりと見つめている。

 今までのアイズでは考えられない行動である。

 普段であれば、遠征直後だろうがダンジョンに突っ込んで行くのがアイズである。

 そんな彼女がこうして沈んでいるのは何故なのか。

 あれこれと推察を試みるロキだが、答えは出ない。

 んー、と間延びした声を出すロキは、やがて考えがまとまったのか、リヴェリアの肩に手を置いて言った。

 

「頼んだ」

「私に丸投げか?」

「とぼけても無駄や。知っとるんやろ、あの子が落ち込んどる原因」

 

 神の目は誤魔化せない、と心の内を見抜いたような視線を投げ掛けるロキ。

 そんなロキの目に、リヴェリアは観念したかのように肩を竦める。

 

「まあ、心当たりがあるのは事実だが」

「なら、自分が一番適任やろ。適材適所ってやつや。んじゃ、後はお願いな、母親(ママ)

 

 手をひらひらと背中越しに振り、ロキはそんな台詞を残してその場を去っていった。

 ロキが去るのを見送っていたリヴェリアは、僅かにその柳眉を寄せて呟いた。

 

「誰が母親(ママ)だ」

 

 口では否定しながらも、内心では悪く感じていない自分に嘆息し、リヴェリアはアイズの元へと向かった。

 

 

 

 

「アイズ」

 

 中庭に降り立ったリヴェリアが、アイズに声をかける。

 

「リヴェリア……」

「相変わらず早いな。剣は振っていないようだが」

 

 リヴェリアが、ベンチに立て掛けられている代替品のレイピア――アイズ本来の愛剣は損耗のため、修理に出している――を一瞥する。

 

「あまり、気分が乗らなくて…………リヴェリアこそ早いね。またナギに逃げられたの?」

「……やはり聞こえていたか」

「あれだけ大きな声で騒げば、わかるよ」

「違いない」

 

 くすり、と笑みを溢すリヴェリア。しかし、対照的にアイズの表情は浮かない。

 金の双眸を地面に落とすのみだ。

 リヴェリアはそんなアイズを見つめながら、その隣に腰かけた。

 二人の間に、僅かばかりの沈黙が流れる。

 やがて、その空気を破ったのはリヴェリアの方だった。

 回りくどいことはしない。それがアイズとの間にある決まりだったからだ。

 

「何があった」

 

 大方の見当はついてはいる。しかし、アイズ自身の口から言わせることが重要だと、リヴェリアは考えた。

 アイズは小さく視線をさまよわせると、一瞬の葛藤の後、ぽつぽつと話し始めた。

 数分経ち、話を聞き終えたリヴェリアは、軽くため息をついた。

 

(原因はやはりあの少年(ベル)か……)

 

 リヴェリアの予想通り、アイズが悩んでいたのは、昨日出会ったナギの友人――ベル・クラネルという少年についてだった。

 アイズの話を聞いて、改めてベルへの謝罪の念が涌き出てきたが、今問題にすべきところはそこではない。

 予想の裏付けをとったリヴェリアは、アイズの表情を伺う。

 普段と変わらないように見えるが、親しい者にはすぐにわかる程度には暗い。

 直接ベルを傷つけたわけではないが、その誘因となったことが相当堪えているようだ。

 ふと、リヴェリアはそこでひとつの疑問に行き着いた。

 

「そういえば、ナギから何も聞いていないのか?」

「っ、えっと……」

 

 ベルの事が気になっているのであれば、ナギに訊ねればいいだけの話である。

 ナギがベルと友人関係にあるのは、酒場の喧嘩ではっきりしているからだ。

 ナギから話を聞けば、ベルがアイズを恨んでいないことぐらいは聞けようものなのだが、アイズはリヴェリアの問いに気まずげに首を横に振った。

 

「何度か聞こうとはしたんだけど、中々捕まらなくて……やっと話が聞けたと思ったら――」

 

 昨日の出来事を思い出す。

 中庭で昼寝を慣行していたナギを見つけたアイズは、ナギが目を覚ましたタイミングを見計らってベルについて尋ねたのだが……

 

『ベル? ああ、あいつなら昨日酒場飛び出した後、そのままダンジョン突っ込んでよ。ボロボロになって帰ってきたけど、ちゃんと治療して家に送っといたから心配ないぜ!』

 

 無駄にいい笑顔でそう言ったという。

 

「そのあとすぐ、私が驚いて固まっている間にどっか行っちゃって……」

(あの馬鹿者……)

 

 リヴェリアは頭を抱えた。

 何故そのような言い方をしたのか。いや、確かに間違ったことは言っていないのだが、言葉が足りなすぎる。

 こんな話を聞いて安心する者がどこにいるというのか。むしろ不安が増すだけである。アイズが殊更落ち込むのも無理はないだろう。

 しかし、

 

「……アイズ。他にも何かあるんじゃないのか?」

 

 ただ、それだけが理由ではないとリヴェリアは直感した。

 今のアイズは、悄然としているだけでなく、どこか後悔の念を抱いているようにも見えた。

 音のない時間が暫し流れる。

 やがて決心がついたのか、アイズはようやく重い口を開いた。

 

「あの時……ナギは友達のために正面から立ち向かって行ったのに……私は、何もしなかった」

「それは……」

 

 アイズが後悔していることは、そもそもの前提条件からして筋違いである。

 ナギにとって、ベルはオラリオでできた初めての友人だが、アイズからすれば単にモンスターから窮地を救っただけの存在でしかない。

 故に、アイズは別段責められるようなことをしたとは言えない。

 しかし、そんな理屈はアイズにとってはどうでもいいことだった。

 何もしなかった。酒場から飛び出していく白髪の少年に気づいていながら、追いかけることができなかった。その事実がアイズに重くのしかかっている。

 

「真っ直ぐ自分の意思を貫いたナギに比べて、なんだか自分がすごくちっぽけな人間に思えて……」

 

 この言葉の示す通り、ナギがベートに立ち向かっていったのも、アイズの後悔に拍車をかけているのだろう。

 あの時のナギの行動は、【ファミリア】の一員としては褒められたものではない。

 しかし、少なくともナギは自分の意思を貫き通した。それが世間的に正しいかどうかなど関係なく、ただ友達(ベル)のために怒り、一切迷うことなく動いたのだ。

 そんなナギの姿が、アイズにはひどく眩しく見えていた。

 叶えなければならない願いがある。そのために、これまでずっと強さだけを求めてきた。

 だが、そのために何か大切なものを見失ってしまっているのではないか。

 アイズ自身でさえ、今自分の中に渦巻いている気持ちが何なのかわからずにいた。

 だからこそ、アイズは酒場の一件があってから、こうしてダンジョンにも行かずに一人悩んでいる。

 

(ナギとベル……あの二人の存在が、アイズの感情を揺り動かしているのか。喜ぶべきか複雑だな)

 

 傷ついたベルの手前申し訳ないとも思うリヴェリアだが、ダンジョンと鍛練以外に興味を示さなかったアイズに変化をもたらした少年達に感謝の念を送る。

 

「お前がそこまで気に病む必要はない、と私は思うが……そうだな」

 

 本来なら、アイズ自身の手で答えを見つけるのが望ましいが、ここまで落ち込んでいるのを放り出すのは忍びない。

 少々のお節介ぐらいなら、とリヴェリアはアイズにアドバイスを送った。

 

「お前が変わりたいと、そう思っているのなら、これから変わっていけばいい」

「それは、どういう……」

「お前自身がどうしたいのか考えて、思う通りに行動するといい。私が言えるのは、それだけだ」

 

 指針のきっかけは与えた。

 これ以上のお節介は、アイズのためにならない。不器用でも、手探りで自分の答えを見つけていくべきだと、リヴェリアは考える。

 今回の出来事がきっかけで、盲目になっている少女に良い影響が起こるよう、願いながら。

 

「私は……」

 

 無言のままうつむくアイズ。胸の内に抱える疑問に、答えは出ない。

 

(私は……どうしたいんだろう……)

 

 悩みに更けるアイズの姿に、リヴェリアは微笑する。

 アイズは今、自分の心に向き合い、前に進もうとしている。

 娘のように想っている少女が成長しようとしているのだ。親代わりとして、何も思わないはずがない。

 

「納得のいく答えが見つかるまで、存分に悩むといい。人に相談するのもいいだろう。もちろん、言ってくれれば私も相談に乗ってやる」

「うん……」

 

 話が終わり、見計らったかのように、朝食の時間を告げる鐘の音が、館中に鳴り響く。

 頃合いだな、とリヴェリアは立ち上がり、アイズに朝食を取りに行こうと促す。

 二人揃って歩き出そうとしたその時、アイズが口を開いた。

 

「リヴェリア」

「?」

「……ありがとう」

 

 少しは暗い気持ちを払拭できたのか、いくぶん柔らかくなったアイズの表情に、リヴェリアも頬を緩めた。

 軽く返事を返すと、そのまま二人で中央の塔へと歩き出す。

 未だに、アイズの表情は完全に晴れたとは言いがたい。

 元より激励の類いは苦手である。いくらか助言をするのが精々だ。

 

(適材適所か……私もロキの事を言えんな)

 

 苦笑し、リヴェリアは少女を元気付ける役目を、頭に思い浮かべた娘達に任せることに決めた。

 

 

 

 

 レフィーヤ・ウィリディスは悩んでいた。

 場所は食堂。朝食を食べ終えたレフィーヤは、ぼんやりと手の中のカップに視線を落としていた。

 脳裏に浮かぶのは、一昨日の光景。

 

(ナギ・スプリングフィールド……)

 

 先日【ロキ・ファミリア】の一員となった、魔法使いの少年。その姿が、レフィーヤの頭の中から離れなかった。

 といっても、別に件の少年に恋をしている訳ではない。

 ただ、魔導師であるレフィーヤにとって、ナギ・スプリングフィールドという少年の戦いはあまりに衝撃的だったのだ。

 

(17階層での件で、強いことはわかっていた……けど)

 

 まさか第一級冒険者と張り合えるほどだとは思いもしなかった、とレフィーヤは嘆息する。

 まるで瞬間移動したかのような速度の動きに、第一級冒険者の力に耐えきれる耐久、そしてその力と真っ向からぶつかることのできる膂力。その上、分身という未知の術まで披露してみせた。

 自分の力量を越えた戦いを前に、レフィーヤは目を回すことしかできなかった。

 そして、レフィーヤにとって何より衝撃的だったのは、ナギの魔法だった。

 ナギがその喧嘩で使用してみせた、超短文詠唱の魔法。

 その威力は、レフィーヤの使う【アルクス・レイ】に比べれば一段劣るものの、詠唱の短さに見合わない威力を誇っていたのを、よく覚えている。

 結果としてベートの持つ魔法吸収効果を保有する特殊武装(スペリオルズ)《フロスヴィルト》によって対処されてしまったが、直撃すれば相応のダメージを負っていただろう事は想像に難くない。

 

(それに、あの時放とうとしていた魔法……)

 

 喧嘩の終わる間際にナギが詠唱した、あのリヴェリアでさえ血相を変えるほどの大威力を誇る魔法。

 もしあのまま放たれていれば、どうなっていただろうか。

 ゴライアスを消し去るほどの威力。それでいて詠唱文の長さは、レフィーヤ自身の保有する短文詠唱呪文と同程度かそれ以上に短い。理不尽である。

 それだけでなく、分身による囮でベートを引き付けながら上空に上がって詠唱文を紡いでいた。つまり、レフィーヤが未だ会得できていない並行詠唱を使いこなしていることに他ならない。

 

『俺は最強の魔法使いだからな!』

 

 自己紹介を交わした日のナギの言葉が真実味を帯びてくる。

 あれは冗談などではなかったのだ。

 無論、この迷宮都市(オラリオ)で最強を誇るリヴェリアより上かと問われるとまだわからないが、現時点の実力を見るに、将来的にそれを越える可能性は十二分にあり得る。

 ベートとの喧嘩では使用していなかったが、雷で形成された斧のような魔法も使えるのだ。それを加えれば、この歳ですでに上限である三つの魔法を発現していることになる。

 しかも、どの魔法も威力が高い。

 ベートとの戦いですべての魔法を使用しなかったのは、街への被害も考えてのことだろうが、他にもベートに致命傷を与えてしまう恐れもあったからなのではないだろうか。

 そうだとしたら、生死を問わずに戦った場合、ナギが勝ってしまうのでは……?

 そう感じてしまうほど、ナギの戦いぶりは苛烈であり、レフィーヤの心を強く揺さぶっていた。

 

(あの子は、アイズさん達と肩を並べられるだけの実力を持っている……)

 

 自身の力不足を痛感している時に見せつけられた、格の違い。

 憧憬の彼女と、同じ位置に立てる人間。

 相手が、普通の第一級冒険者なら、まだよかった。素直に相手の実力を認め、仕方ないと納得することができただろう。

 しかし、その少年は自分よりもはるかに年下であり、また、【ファミリア】に加入したばかりの新人である。

 自分はナギよりも何年も早く【ファミリア】に入ったというのに。

 そんな理不尽な現実を飲み込められるほど、レフィーヤの心は強くなかった。

 付け加えると、ナギはレフィーヤと同じ魔導師である。パーティーにおけるレフィーヤの立ち位置にナギがとって変わっても、おそらく何の問題もなくやっていけるだろう。

 そうなった時、そこに自分の居場所はあるのだろうか。

 自分の存在意義が失われていく、そんな感覚にレフィーヤは陥っていた。

 

(私には、アイズさんの側にいる資格は……)

 

 一度考え込んでしまうと、後ろ向きな思考は留まることを知らない。

 どんどんと深みに嵌まっていく思考を遮ったのは、一人の少女の声だった。

 

「レフィーヤ!」

「うひゃい!?」

 

 突如耳元で叫ばれた自分の名前に、レフィーヤは飛び上がらんばかりに驚愕した。

 その拍子に、手に持っていたカップが倒れ、中身のハーブティーがテーブルに撒き散らされる。

 

「ああっ!? す、すいません!」

 

 慌てて、レフィーヤは布巾で溢れたものを拭き取る。

 

「あちゃー。ごめんレフィーヤ。驚かせちゃった? 何度か呼び掛けたんだけど、全然反応がなかったから、つい」

「もう、何やってるのよ」

 

 それを見て、後頭部を掻きながら申し訳なさそうに謝るアマゾネスの少女、ティオナ。そして、それを諫めるのは彼女の姉であるティオネだ。

 レフィーヤに声をかけた当人であるティオナは、申し訳なさそうに布巾を手に取り、テーブルを拭く。

 ティオネも見ているだけだと居心地が悪かったのか、妹と同様に片付けを手伝い始める。

 そんな二人の行動に、レフィーヤは大いに慌てた。

 

「い、いえそんな! ティオナさんは悪くないです! 何度も呼び掛けられたのに気づいてなかった私のせいで……その、ごめんなさい!」

 

 ティオナの言葉通りであれば、意図したことではないとはいえ、ティオナの呼びかけを何度も無視していたのは自分だ。

 目上の存在に当たるティオナに、自分の不注意で謝らせてしまったことに、レフィーヤはひどく恐縮する。

 そんなレフィーヤに、ティオナは自分にも非があるのだから謝る必要はないと何度も告げるのだが、レフィーヤは少し頑なになっているのか自分の非を主張し続ける。

 押し問答を続ける二人にいい加減呆れたのか、ティオネが二人の間に割って入る。

 

「いい加減にしなさい、二人とも。どっちにも反省する点があるんだから、お互い様ってことでいいじゃない。レフィーヤも、あんなに頑なに謝罪を受け取らないと、かえって失礼よ」

「ご、ごめんなさい……」

「ほら~、すぐそうやって謝る。ティオネの言う通りお互い様なんだからさ、もう気にしないで、レフィーヤ」

「は、はい!」

 

 ティオネに嗜められた事もあり、今回の件はお互いに非があったということで、双方が謝罪を受け入れて決着がついた。

 元々レフィーヤが意固地になっていたのも、精神的に不安定だったために自己評価が限りなく低くなっていたからだ。

 二人と話して落ち着いてきたことも手伝って、レフィーヤの表情も幾分元に戻ってきていた。

 

「ところでさぁ、レフィーヤは何をそんなに考え込んでたの?」

 

 先程までのレフィーヤの様子を疑問に思ったのか、ティオナがレフィーヤに問いかける。

 しかし、レフィーヤはその問いに答えることができなかった。

 内に潜む暗い感情を知られたくない。そんな思いから、レフィーヤは口をつぐんでしまう。

 

「レフィーヤ?」

「な、何でもないですよ、本当に。ちょっとぼーっとしてただけですから」

「そう……」

「…………」

 

 ティオナが再度名前を呼びかけるが、レフィーヤはぎこちない笑顔を浮かべて、その場を取り繕った。

 納得がいっていない様子のティオナだったが、レフィーヤ本人が話したくないのなら、無理に言わせるのも違うと感じたのだろう。ティオネも何も言わずにいる。

 結局ティオナはそれ以上追及することはせず、話題を変えて当初の目的について切り出した。

 

「話がそれちゃったけどさ、二人とも、今日何か予定ある?」

「いえ、特には……」

「私は今日も団長の手伝いを――」

「じゃあ暇だね! 今日一日あたしに付き合って欲しいんだけど」

「ちょっと!」

 

 ティオネとレフィーヤから予定を聞き、二人に頼み事をするティオナ。ちなみに、(ティオネ)の予定は知ったことではないらしい。

 

「でも、急にどうしたんですか?」

「うん……アイズのことなんだけど」

 

 頼み事の目的を聞くレフィーヤに、ティオナはその理由を語る。

 

「昨日からアイズ、ずっと元気なかったから、どうにか元気づけたいと思ってさ」

「確かに本調子じゃないみたいだけど……ベートに腹を立てているだけでしょ? 放っておけばその内元に戻るわよ」

「ベートはあまり関係ないと思う。いや、なくはないんだろうけど、アイズは端からあの狼男のことなんか気にしてない」

「あんた……結構言うわね……」

 

 あんまりなティオナの言い分に頬を引きつらせるティオネ。アイズに気にも留めてもらえないベートを、さすがに不憫に思う。

 しかしティオナはベートの事などどうでもいいのか、話を続ける。

 

「アイズは別のことで落ち込んでる。私はあれこれ考えるのは苦手だし、アイズに気を利かせようとしても、多分上手くいかない」

 

 だから、小難しいことは考えない。今まで通り、能天気な振る舞いで、アイズの笑顔を引っ張り出してみせる。

 

「そんな訳で、アイズを買い物に誘おうと思ってるんだ。ね、いいでしょ?」

「そういうことなら、まあ仕方ないわね。付き合ってあげる」

「よーし。レフィーヤはどう?」

 

 一番説得が面倒なティオネの了承を得たことでガッツポーズをするティオナ。

 続いてレフィーヤに是非を問う。

 しかしレフィーヤは、

 

「私は、遠慮します……」

「え?」

 

 か細い声で、遠慮がちにティオナの誘いを断った。

 

(今の私に、この人達と一緒にいる資格なんてない。アイズさんだって……私と一緒にいても、きっと迷惑なだけだ……)

 

 自己嫌悪にも近い感情を抱くレフィーヤは、無意識のうちに今の自分の姿を憧憬(アイズ)に見せたくないと思っていた。

 何より、自分自身がこんな状態なのに、アイズを元気づけるなど無理だ。

 再び暗い思考がレフィーヤを支配し始め、その表情に陰を落とす。

 

「レフィーヤ……」

「……はあ、全く」

 

 そんなレフィーヤをティオナが心配げに見つめていると、これまで静観していたティオネがレフィーヤに近づいていった。

 

「このおバカ」

「ひゃっ!?」

 

 ティオネがレフィーヤの額を小突いた。痛みは感じるが痕は残らない絶妙な力加減のそれに、レフィーヤは目を滲ませる。

 

「ティ、ティオネさん!? 何を……!?」

「いつもいつも、難しく考えすぎなのよ、あんたは。どうせナギの力を目の当たりにして、うだうだ悩んでいたんでしょう?」

「な、何でそれを……!?」

 

 見透かされてる!? レフィーヤは正確に自信の心情を把握するティオネに戦慄した。

 

「なーんだ。それでレフィーヤ、あんなに悩んでたの?」

「あんたは鈍感すぎ」

 

 少しは人の気持ちを察せられるようになりなさい、と妹の頭を小突くティオネ。

 慣れているのか、ティオナにダメージを負った様子は見られず、うんうんと頷きながらレフィーヤが落ち込んでいた理由に納得していた。

 

「まあ、確かにナギは凄かったよね。まだ10歳だなんて信じられないくらいだよ。私も一対一で戦ってみたくなっちゃった」

「そうね。もしかしたら、そう遠くない未来に私達はおろか、団長達をも越えていくかもしれない。それほどの才能だわ」

 

 第一級冒険者からも太鼓判を押されるナギの評価に、やはり自分なんかとは違うのだとレフィーヤはいっそう落ち込む。

 しかし、ティオネはそんなレフィーヤに呆れたような目を向けて、言った。

 

「けれど、それが何? あんたはあんたでしょうが」

「え?」

 

 レフィーヤの心に、ティオネの一言がすぅっ、と入り込む。

 

「そもそも、誰かのそばにいるのに資格がどうとか強さがどうとか、そんなの気にするなんてナンセンスよ」

「よくわかんないけど、あたしはレフィーヤと一緒に冒険したいよ。それじゃダメなの?」

「そ、それは……」

 

 二人の言い分は、理解できる。二人の言葉が、レフィーヤの心の内の暗い気持ちを鎮めてくれるような気もした。しかし、ダメなのだ。

 一度生まれたこの感情は、そう簡単には消せない。

 一方的に頼るだけなのは、嫌だ。

 守られるだけなのは、嫌だ。

 実力が伴わないまま側にいても、それはただ強者に寄生しているのと同じことだ。

 レフィーヤにはそれが耐えられなかった。

 目の前にいる二人も、憧憬の彼女も、レフィーヤのことを疎ましく思ってなどいないだろう。それぐらいはレフィーヤにもわかっている。

 それでも、

 

「ダメなんです、こんな私じゃ……!!」

 

 なけなしのプライドが、弱いままの自分を許さなかった。弱いまま、強者の隣に立つことを許さなかった。

 もっと強ければ、アイズ達の足を引っ張ることもない。役にだって立てる。お互いに助け合えるのが、本当の仲間なのだとレフィーヤは信じている。

 けれど、自分にはその力がない。

 

「何より、私は……」

 

 そんな時に現れた、自身と同じ、だが比べ物にならないくらい強い魔導師の少年。

 悔しかった。その少年と同じぐらいの強さがあればと、何度も思った。

 何故、人間(ヒューマン)である彼が、魔法に長けた種族であるエルフの自分よりも魔法の実力が上なのか、と何度も思った。

 ずるい、とも、理不尽だとも思った。自分が欲しくてやまないものを、どうして年下のあんな小さな少年が手に入れているのか。

 醜い感情が、今も心の中で渦巻いている。

 分かっている。これはただの嫉妬だ。こんな感情を向ける方がよっぽど不合理だと。

 それでもこの感情はとどまることを知らない。

 そんな醜い自分に、アイズ達の側にいる資格など、ない。

 いつの間にか、レフィーヤは涙ながらに自分の内にある思いを吐露していた。

 口に出す気はさらさらなかった。しかし、止まらない。

 自分を苛む声が溢れ続けた。

 それを止めたのは、自分の体を抱き締める、二人の少女。

 

「ごめんなさいね。あんたがそこまで思い詰めてたなんて」

「ずっと溜め込んでたんだね」

 

 二人の温もりに晒され、レフィーヤの鼓動が落ち着きを取り戻す。

 

「なまじ同じ魔導師だから、余計に気にしちゃったのね。けれど、さっきも言った通り、あんたはあんたじゃない。嫉妬? 好きなだけしなさい。それも強くなる原動力にしちゃえばいいのよ」

「私にはレフィーヤの気持ちはわからない。けどね、レフィーヤはすごい子だって、ちゃんと知ってるよ。誰もレフィーヤの代わりにはなれない。それはナギも同じだよ」

 

 二人の言葉に、レフィーヤの心が解きほぐされていく。

 

「私達に、そしてアイズに……追いつきたいんでしょう? だったら根性見せなさい。この程度で諦めてたら、一生追い付けないわよ」

「ティオネさん……」

「心配しなくても大丈夫だよ! レフィーヤなら、必ず強くなれるから!」

「ティオナさん……」

 

 すでにレフィーヤの涙腺は崩壊し、その目から涙が止めどなく溢れている。

 

「私達も負けたくないから、足を止めることはしないけど」

「いつまでだって待ってるよ。いつかレフィーヤの魔法が、私達を助けてくれるのを。だから、そんなに自分を嫌いにならないでよ」

「何より私達やアイズ、それに団長やリヴェリア、他の団員達だって、あんたのことをちゃんと認めてるの。だから、胸を張りなさい」

「あたし達は、仲間(ファミリア)なんだからさ!」

 

 その言葉に、感じる温もりに、レフィーヤの中の暗い感情は、いつの間にか消え去っていた。

 涙を拭い、顔を上げる。

 

(そうだ……立ち止まってなんかいられない)

 

 今、ここでこうして悩んでいて、何が生まれるというのか。

 実力の劣る自分は、歩き続けなければ、走り続けなければならない。

 例え何度転ぼうとも、歩みを止めてはならない。

 振り返ってもらえずとも、ただひたすらに、前へ。

 

(皆さんの仲間だって、胸を張って言えるように!)

 

 ようやく気づいた。自分を貶めることは、自分を認めてくれる人達をも侮辱していることに他ならない。

 ならばどうするか。

 簡単だ。自分に自身が持てるくらいに強くなればいいだけだ。

 こんな自分を認めてくれる仲間達のために。誇れる自分であるために。

 

(向こうは私のことなんて歯牙にもかけていないでしょうけど、いつか必ず、追いついてみせる。越えてみせる!)

 

 年下の新人を目標にする自分を恥じたりは絶対にしない。

 むしろ、意地とプライドを優先して大義を見失う方が、よっぽど間抜けである。

 レフィーヤは、ナギ・スプリングフィールドを越えるべき目標として据えた。

 

(もう、大丈夫そうね)

(うん!)

 

 完全にふっ切れた様子のレフィーヤに、ティオナとティオネは二人して顔を綻ばせた。

 

「まったく、こんなに悩んでたのなら、私たちに相談しなさいっての」

「そうだよ。頼られなくて、ちょっと寂しかったんだからね」

「ご、ごめんなさい。ご迷惑をお掛けしました」

 

 先程までの自分の痴態を思い返し、レフィーヤは顔を俯かせて顔を赤くする。

 

「大体、あんたは強くなることに固執しすぎよ。私達の役に立つ方法なんて、他にいくらでもあるんだから」

「え?」

「あんたは私達の実力ばかりに目がいってるってことよ」

「それに、ずーっと肩肘張ってたら疲れちゃうよ。もっと肩の力抜いた方がいいって。そしたら、周りのことももっと見えてくるんじゃないかな」

「あ……」

 

 どうやら自分は想像以上に視野狭窄に陥っていたようだ。

 確かに自分が強くなることでアイズ達の役に立つ事ができるのは間違いないだろう。

 だが、それ以外にもいくらでもやり方はあったのだ。いや、むしろそっちの方が力になれる事は多いかもしれない。

 そんな簡単な事実にも気づかずにいたことに、レフィーヤはさらに顔を赤くする。

 

「そうね……手始めに、まずは落ち込んでるアイズを元気づけましょう?」

「さっきは断られちゃったけど……レフィーヤも来るよね?」

 

 強くなる。その決意は今も変わらない。

 アイズ達の隣に立つためには、対等に肩を並べるためには、どんなに言い繕っても強さは不可欠だからだ。

 それでも、今の自分でもアイズの役に立てることはある。

 その事実に気づいたレフィーヤは、今度こそ強い意思をもって答えた。

 

「――――はい!」

 

 その答えに、ティオナは満足そうに頷いた。

 

「よーし、それじゃあ早速アイズを誘いに行こ!」

 

 善は急げとばかりに、ティオネとレフィーヤの手を引いてアイズの元へ向かおうとするティオナ。

 早く早くと力強く引っ張る強引なその手を、今回ばかりはこういうのも悪くないと苦笑しつつ、残る二人も同じように駆け出していった。

 

 

 数分後、館の上階を歩いていたリヴェリアが窓辺を覗くと、姉や後輩のエルフを連れたアマゾネスの少女がアイズに話しかけているのを見つけた。

 注視してみると、ティオナがアイズの手をとって立ち上がらせている。

 あの様子なら、直に事態は好転するだろう。

 リヴェリアはその端麗な顔に微笑を浮かべながら、少女達を影ながら見守った。

 

 

 

 

 一方、リヴェリアから逃れたナギは現在、ギルド本部にて周囲の注目を集めていた。

 時刻は正午を差しており、ダンジョンでの収穫を換金しに来ている冒険者の姿がちらほら見受けられる。

 そんな彼らの視線を一手に引き受けるのは、鬼神のごとき表情で怒鳴り散らすエイナと、その矛先を向けられているナギの二人である。

 

「本っっ当に君はっ! 第一級冒険者に喧嘩を売るなんてどういう神経をしているのっ!? しかも同じ【ファミリア】の幹部相手に! って、聞いてるの、ナギ君!?」

「ん? ああ、リヴェリアが意外と着痩せするタイプだって話だっけ?」

「全く聞いてない!? というか、何でナギ君がそんなこと知ってるの!?」

 

 エイナの説教をすべて聞き流し、全く話を聞いていないナギに、エイナは地団駄を踏みたい衝動に駆られる。

 さらに、ナギが溢した言い訳の中に無視できない情報も含まれており、エイナの頭は怒りやら混乱やらで熱暴走を起こしそうだった。

 

「まあ、落ち着けよ。そんなにカッカしてっと健康に悪いぜ?」

「誰のせいだと思ってるの!」

「エイナが短気なせいだろ?」

 

 全く悪びれないナギに、エイナの堪忍袋の尾がぷっつりと切れた。

 その後、三十分に渡ってエイナの説教がギルド中に轟き続けたが、例の如くナギは右から左に聞き流していた。

 

「ふう……それで、何で喧嘩なんてしたの?」

 

 やがて怒りが収まり、幾分冷静になったエイナは、ナギに喧嘩の理由を尋ねる。

 

「んなもん、何だっていいだろ」

「全然よくないよ! ちゃんと話して」

「あー、あれだホラ。チジョーのもつれ?」

「ふざけないで! それに絶対意味わかってないで言ってるでしょ!?」

 

 机を叩いてナギに詰め寄るエイナ。

 一切引く様子を見せないエイナに、ナギは数十分前の自分の行動を後悔する。

 そもそも、ナギが現在このような状況に陥っているのは、ナギがうっかり溢した一つの失言にあった。

 午前中ダンジョンに潜っていたナギは、そこで得た収穫をギルドに換金しに来ていた。

 そこで、忙しそうに動き回るエイナと遭遇。何をしているかと問うと、西のメインストリートの一部が災害に遭ったかのような損害を受けたため、その後始末に追われているのだとか。

 その話を聞いたナギの頭に、何かが引っ掛かった。

 西のメインストリートってーと……あ、もしかして――

 

『何故か【ロキ・ファミリア】が自分達の責任だからって修繕費の支払いを申し出ているんだけど……ナギ君、何か知ってる?』

『あっ、ワリィ。それやったの俺だわ』

『詳しく聞かせてもらおうかな? かな?』

 

 この発言が失敗だった。あれよこれよという間に、詳しい経緯を根掘り葉掘り聞かれ、ナギはその勢いに呑まれて正直にすべて話してしまった。

 そしてナギから話を聞いたエイナが、ナギの無謀な行いに対して怒りが爆発。そして先程の場面に至ったという訳だ。

 

「ナギ君。まだ会って日が浅い私が言うのもなんだけど、君が理由もなく喧嘩を売るような子じゃないと思ってる。だから教えてほしいんだ」

「………………」

「ナギ君」

「…………あぁ~、もう! しゃあねえな!」

 

 ちゃんとした理由を吐くまで絶対に逃さないというエイナの目に、ナギはとうとう根負けした。

 

「ダチをバカにされたんだよ」

「え?」

「あいつがバカにされるのを、黙ってらんなかった。それだけだ」

 

 そっぽを向きながら、簡潔に喧嘩の理由を語るナギ。見れば、少し耳が赤くなっている。

 中々話そうとしなかったのは、単に小恥ずかしかっただけのようだ。

 

「ふふっ」

 

 微笑ましいものを見るようなエイナの生暖かい視線に、ナギの顔にさらに熱が集まる。

 

「あー、もういいだろそんな事ぁ! それより、ちょっと聞きてえ事があんだけど…………って、いつまで笑ってんだよ!」

 

 いい加減この空気に耐えられなくなったナギが話題転換を図るが、依然エイナが生暖かい目を向けていたので、思わず怒鳴り散らす。

 それを見て、さすがに悪いと思ったのか、エイナも対応を改める。

 

「ごめんごめん。それで、何が聞きたいの?」

「ああ、神の宴って何だ? さっき誰かがそこで話してたからよ」

 

 ちなみに、ナギがその話を聞いたのは、エイナの説教を聞き流していた最中である。

 

「そっか、ナギ君がここに来たのってつい最近だもんね」

 

 オラリオに住んでいれば大体の人は知っているイベントだが、ナギはここに来て日が浅い。知らないのは無理もないか、とエイナは納得した。

 

「神の宴っていうのは、神様が不定期に催すパーティーみたいなものなんだ。いつもはギルドが貸し出している施設を使うんだけど、今回は【ガネーシャ・ファミリア】が自分達のホームで開催するみたいね。まあ、基本神様しか参加できないから、ナギ君にはあまり関係ないかな」

「――――へえ」

 

 神の宴についての説明を聞き、ニヤリと口の端を吊り上げるナギの笑みに、エイナは嫌な予感を感じる。

 

「ねえ、ナギ君――」

「そんじゃ、腹減ったからもう行くわ! じゃあな!」

「あっ!」

 

 止める間もなく、ナギは物凄い勢いでギルドを飛び出していく。

 もはや追いつくことも敵わない。

 何もできずにナギを見送ることしかできなかったエイナは、猛烈な不安に襲われていた。

 

(大丈夫……だよね?)

 

 きっと気のせいだろう、とエイナは胸中の不安を誤魔化し、自分の仕事に戻っていった。

 翌日、エイナの懸念は見事に的中することになる。

 

 

 

 

 夕刻。場面は戻り、黄昏の館。

 書類仕事を終えたリヴェリアが報告書をロキの部屋に持っていくと、そこには見慣れないドレスに着替えた主神(ロキ)の姿があった。

 

「ロキ? どうしたんだ、その格好は?」

「お~、リヴェたんか! どや、似合うてる?」

「似合ってはいるが、珍しいな。ここ最近でそんな服を着たことなどなかっただろう?」

 

 報告書を手渡しながら、なにか特別なことでもあるのか、と尋ねる。

 ロキは報告書を受け取りつつ、下卑た笑みを見せる。

 それだけで、リヴェリアはロキが何やらよからぬことを企んでいると悟った。

 

「ちょっと愉快な情報を掴んでなぁ……ふひひ、貧乏神のドチビを弄りに行ってくるわ」

 

 一通の封筒をひらひらと振って見せたロキの目は、まだ見ぬ一柱の神への敵愾心に燃えていた。

 そんな己の主神の姿に、リヴェリアは額に手をやり、本日何度目かもわからないため息を、深く吐いたのであった。

 

 




 レフィーヤのくだりが余計だったかもしれませんが、今回を逃すと描写する機会がないので、ここで書かせてもらいました。
 ちょっと豆腐メンタルすぎたかな……いや、でもこれをきっかけにある程度メンタル的に逞しくなるから、これでいいはず。
 けどやっぱり賛否両論ありそうだなぁ……

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