【ある日の夜の事】
「ハァハァハァッ……!」
一人の女子生徒が桜並木、通称【桜通り】を駆け抜ける。部活の練習かと思いきや、その姿は制服。制服姿で競技する運動部というのは無いだろう。そして、手には学生鞄が激しく揺れ動く。尚更のこと、部活などの練習では無い事が分かるだろう。
何故彼女は走るのか?
そこに道があるから?
門限に遅れるから?
無性に走りたくなったから?
そのいずれも正解ではない。では急ぎ走る理由とは何か? 答えは彼女の後ろに迫る黒い影だった。
「キャァッ!」
ほんの僅かな段差、それが彼女の足を捉えていた。転ぶ彼女は擦り傷の痛みも忘れているかのように振り返る。そこには消えることのない黒い影。
「あ、ぁぁ……イヤァァァァーッ!!」
夜の桜並木に悲鳴が上がっていた。
【女子寮・長谷川の部屋】
「むっ!」
「何だよ?」
前田は何を感じ取ったのか知らないが、真面目な顔をして窓を開けた。
「お嬢様……」
「だから、何だよ?」
「綺麗な満月にございます」
「……はぁ」
どうでも良いことに反応しやがって、こっちはお前の出した宿題やってるんだよ。
「あ、そうそう。洗濯物ですが衣装ケースに収納してございます」
前田は私の机の脇に紅茶とクッキーを用意してそう言った。
コイツ……またやりやがったのか。
「おい前田」
「……お嬢様が名前で呼んでくれるようになって1ヶ月ほどになりますでしょうか? 呼ばれる度に私、喜びのあまり胸を締め付けられる思いにございます。これは恋なのでしょうか? いえ、それだけはなりません。お嬢様はお嬢様であり、私は執事。これは叶わぬ恋! あぁ、しかし苦しい! この気持ちは一体……!!」
「残念ながら絞め付けられているのは毎度のことながら私の両手によってだ……また私の下着を勝手に洗ったんだろう?」
「あぁ、なりませんお嬢様! その様に掴みかかられても、私の気持ちは変わりません! そう、私の気持ちは移り行く季節の様なものにございます!」
「人の話を聞け!! それに気持ちも変わって行ってるじゃねーか!!」
「これは一本取られました。流石はお嬢様」
このアホ執事……。
私は毎回ながら洗濯を勝手にする前田に切れる。怒っても流されるから仕方のないことなのだが、割り切れない気持ちもあると言うものだ。
「いい加減に洗濯からは手を引けよ!」
「お嬢様の年頃ですと、恥ずかしいとお考えになるかと思いますが―――」
恭しく前田は頭を垂れる。
どうせ、「執事ですので当然の仕事です」とか、「私の洗濯物とは分けさせて頂いております」とか言い出すんだろう。執事なんていらないってーのに。
なんて思ってる私はまだまだ前田の事を理解していなかったのだろう。コイツはこんなことを言ってきやがった。
「―――御安心ください。匂いは嗅いでおりません」
まぁ、当然のように斜め上を行く言葉を吐いてきた前田には、腹に蹴りを入れてやった。全然スッキリしない。委員長のところにいた時もそんな事を言ってたんだっけか?
「これは失礼いたしました。嗅いだ方がよろしかったのですね? 流石はお嬢様、常人とは違った性へ……感性をお持ちでいらっしゃる」
「それも違ぇ!!」
鳩尾に入っているはずの蹴りに、前田は笑顔でボケ続ける。
どうしたらいいんだ……。
「そう言えばお嬢様、お伝えするのを忘れておりました」
「……何だよ?」
「3日後、新しい担任の先生が来るそうです」
「は? だってお前が担任になったばか……。何をやったんだ?」
「お嬢様、素晴らしいほどの疑いの眼差しにございます。疑われた者が常人ならば、怒り狂いお嬢様に襲いかかるほどでございましょう」
つまりお前は普通じゃないってことだ。知ってるけどな。
「話を戻します。聞くところによると、その方はオックスフォードを出た優秀な方だそうでして、3学期の間、研修と言う事で2-Aを担任するそうです。ちなみに年齢は10歳」
「何だって?」
「オックスフォードですよ。オックスフォード。あ、ちなみにオックスフォード大学という大学は存在しませんよ? オックスフォードという町にある30以上の大学を総称してオックスフォード大学と呼ぶのでございます」
「へ~……ってそこじゃねーよ! 10歳!? 10歳って言ったよな!? ガキじゃねーか!!」
天才子供教師か……嫌味なガキだったっら面倒臭いな。つか何で私の周りには変なのが集まるんだよ……。
「どうやら私は副担任になるようです」
「まぁ研修の間だけならいいか……3年生になればオサラバって事だろ?」
「通常の研修ならばそうかも知れませんが、残られるやもしれませんね。……そこで、お嬢様。メガネを外しましょう」
「その流れは予想してなかったし、意味が分からん」
顔が見えないから怖くない。顔が見えるから怖い。その気持ちは変えられない。
メガネを外すのは今の千雨の時ではなく、ネットアイドルとしての『ちう』の時だけだ。前田も流石に私のもう一つの姿は知らないだろう。
「ですが、この【ちうタン】のお嬢様も素晴らしいかと思いますが」
「うぼぁー!!」
「お嬢様、奇声を発するのはお止めください」
「てめぇっ! どこでソレを!!? 説明しろ!」
前田は私のデジカメをプレビューで見回しながら、平然としている。
「こちら、1200万画素で広角レンズを搭載したコンパクトデジタルカメラ。ズーム倍率は5倍と、遠くを取るには適しておりませんが、御自身を撮影されるお嬢様には問題ない事でありましょう。気になるお値段は……」
「カメラの説明じゃねーよ! 私の部屋にあったはずだろう!?」
「えぇ、お部屋を掃除させて頂いた時に見つけまして……私、機械には疎いのですが、見つけてしまった以上、そのままにしておくのも失礼かと思い……あ、これでF値がいじれますね」
「失礼にもほどがあるだろうが!! それにめちゃくちゃ詳しいじゃねーか!」
「とにかく、この姿のお嬢様の方が輝いているかと存じます」
「ぐっ……! ……ほ、本当か?」
それは隠してあったもう一つの私の姿を見ての、初めての生の感想だった。
ネット上では何件も何百件も感想を貰う。でもそれはその顔しか見られてないからだ。補正しまくりの写真をカワイイカワイイと言われているだけだ。
だが、目の前にいる執事の前田は見比べて、その上でもう一つの顔を輝いていると言う。
「本当でございます。では早速……」
「え? ちょっ!!?」
次の日。
キーンコーンカーンコーン♪
「や、やっぱ帰る!」
「お嬢様。予鈴が鳴り響いております。このままでは遅刻になってしまいます」
「前田先生おはようございま~す」
「あれ? 隣にいるのは……長谷川?」
「メガネ取ったんだ。似合う~♪」
終わった。またもや終わった。私の人生この若さで終わりすぎじゃないか?
私は諦めに近い顔で隣の執事を見やる。そこには爽やかな笑顔を浮かべる男がいた。誰でも良い。コイツを亡き者にするか、引き取ってくれ。
【放課後】
「本日は何に致しましょうか?」
「何でも良い……」
今日の晩御飯の献立を聞いてくる執事を私はシッシッと、掃うように答える。
まだ教師としての職務があるであろう前田は食材を買ってから帰ってくる。私は先に帰って僅かな解放感を味わう。少し前まではこれが許されず一緒に帰り、晩御飯の準備等が整ったら前田は一人学校に戻り、残りの職務をこなしてまた帰ってきて晩御飯開始と言った形式を取っていた。
正直に言えばその行動力が『執事』というモノから発生しているのであれば、本当に凄いとは思う。だが、やはり私には必要のないものだ。
当然この行動も必要ないと言ってあるのだが、「お嬢様が、暴漢にいつ襲われるか心配でなりません」との事だ。しかし、この麻帆良学園では見回りの教師もいるため、そう言った心配が無いに等しい。かなりの時間を要したが、前田は遂に折れて、今の形式になった。
それにだ、この前田は中々に人気が高い。放課後も帰るのに一苦労するほどに相談事などが集中する。最近は落ち着いてきたのかもしれないが……っと、今日も一人だけど来たな。
「前田先生。屋上にてお待ちいたしております」
「絡繰さん。屋上ですね分かりました」
ロボの相談事と言うのも興味が無いわけではないが、一秒でも長く解放感に満たされるため、私は先に帰ることにした。
Side エヴァ
「来られるそうです」
「そうか」
屋上で待つ私の下に茶々丸がやって来た。
私の名前を知っている得体のしれない執事。生徒の人気は中々高いようで、話をかけるタイミングが取りづらかったのだが、遂に呼出すことに成功した。
それほど待つ事も無く、執事服の男はやって来た。
「前田、聞きたい事がある」
「これはこれは、キティさんからの御相談は初めてでございますね」
「殺すぞ」
「可愛らしい女性がその様な言葉遣い。いけません。しかし、屋上に放課後呼び出されるとは……。よもや! いけませんエヴァンジェリンさん。私は教師です。告白などはお止めください」
「何を勘違いしている! 何故私の名前を知っているのか言え!」
茶々丸は直立不動で控えている。
しかし、いつでも攻撃、反撃出来るように言いつけてもある。
「エヴァンジェリンさんのお名前ですか? これはおかしなことを、かなりの有名人ではございませんか」
「やはり私の事を知っているんだな?」
「はい、私も応援と言う気持ちで会員にさせて頂きました」
「……は?」
会員? 何を言っているんだコイツは?
「こちらでございますね? 【エヴァたんを愛でる会】通称EMK」
「何だそれはー!!」
前田は携帯電話の画面にサイトを表示して、私に見せてくる。
かなり凝った作りのサイトは、私の写真がデカデカと表示されており、【エヴァたんのプロフィール】という項目に名前がフルネームで入っていた。
「(マスター……可愛い)」
「誰だ作ったやつはー!!」
「誰かは分かりませんが、会員ナンバー1番を取らせて頂きました」
「それはお前が作ったんじゃないか!?」
「そう言えば、昨日作った様な気がします」
駄目だ。ペースを握られている。
「茶々丸!」
実力行使に切り替えて、茶々丸が執事を抑え込もうとする。
しかし、そこに前田はいない。
「このスリーサイズの欄だけは埋めようにも憶測でしか書けませんので、どうか教えて頂けますか? このままでは私の願望を書くことになってしまいます」
「っ!?」
前田は私の横に着き、携帯の画面を私に見せて、セクハラ発言をしている。しかし、携帯を持つ手とは逆の左手は、私のクビに添えるように置かれている。
そして、前田はいきなり真面目な顔になる。
< 私は敵ではございません。私が敵になるとしたら、あなたが悪い方向に行動する時にございます。どうか学園生活を乱さぬようにお願いいたします。例えば、満月の夜に血を吸われるですとか……ね? 【闇の福音】さん >
その声は口から耳にではなく、念話として脳から脳に響いてきた。
「き、貴様! やはり知って……!!」
「コレは差し上げましょう。お嬢様はいらないそうなので持て余していたのでございます。毒だとかの類は入っていませんのでご安心を」
そう言って、前田は私の手に小さな紙袋を渡してくる。
そして、前田は屋上を後にした。
「ま、マスター……」
私は紙袋の中からクッキーを取りだし、一枚口に運びこんだ。
「結局、何者かは分からず終いか……美味いな」
Side out
「ふむぅ……」
「どうしたんです学園長?」
デスメガネの異名を持つ高畑教諭が学園に戻っていた。もうすぐ英雄の息子であるネギ・スプリングフィールドがこの学園にやってくる。それなりの試練を与えて、立派に育ってほしい。そう願うのだが、一枚の資料を手に学園長は唸っていた。
「高畑君、コレを見てくれ」
「コレは? ……何です?」
高畑教諭の笑顔が消える。
手渡された紙は一枚。素性調査の紙だった。対象は執事であり教師の前田だ。
前田・ヴァンデンバーグ・政宗。
執事の家系に生まれ、英才教育を受け、最終学歴はオックスフォード。そして、雪広家に就職。自主退職をして、長谷川千雨の執事となり、学園に流れ着いた。
と言うのは前回までの調べで分かっていたこと。調べと言っても履歴書に書いてあったことだ。深くは調べなかった。
しかし、深く掘り下げて調べてみること1カ月余り、彼を知っているのは雪広家の人間ぐらいで、同期の人間は彼の事を何も知らない。確かに学歴などに問題は無い。しかし、人間関係は雪広家からしか確認できなかった。
「今のところ、優秀な執事先生としか見えんのじゃがのぅ」
「彼が違和感を覚えさせる人間で……調べても何も出て来ないなら、出させるしかないですね」
「ネギ君も明後日には来るしのぅ……慎重にのぅ?」
「分かりました」
「綺麗な満月にございます」
「……はぁ」
―――月が綺麗ですね。by夏目漱石
【それは隠してあったもう一つの私の姿を見ての、初めての生の感想だった。】
ここで何らかの反応をしたあなた! 見込みがあります、執事見習いとして職業訓練を―――おや、お嬢様がお呼びなので失礼します。