彼は再び指揮を執る   作:shureid

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意地と意地

朝霧の頭には、今朝から血が昇りきっていた。普段なら少し時間を空ければ引いていくのだが、今の朝霧は冷静さを失っていた。視界が少しぼやけ、目の焦点が合わない。ただ墨田から加賀を奪う為に、どんな手段を使って第七駆逐隊を勝たせてやろうか、司令室に向かう道中はそればかりに頭を支配されていた。演習は正々堂々と言う言葉があるが、それは互いの練度を高める目的のみであり、言わば練習試合のようなものだった。使用するのは演習用の弾の為、演習で事故でも轟沈することは絶対に無い。勿論実弾を使うわけではないが、しかし朝霧はそれをままごとではなく、深海棲艦を相手取る時と同じくどんな手段を使ってでも勝つ本気の戦いにするつもりであった。早歩きで司令室を目指していた朝霧に、翔鶴と龍驤が追い付き肩を並べる。龍驤と翔鶴は、朝霧のその様子を伺い、尋常ではないことを察する。司令室に辿り着く寸前、龍驤は我慢ならずに朝霧に問う。

 

「……演習するんやってな、横須賀と」

 

「……ああ」

 

「加賀を賭けてか?」

 

「ああ」

 

「負けたらどうなるんや?」

 

「資材の半分をくれてやる」

 

「勝つ保障はあるんか?」

 

「絶対勝たせる」

 

「それは第七駆逐隊の負担になるんちゃうか」

 

「あいつらは勝ちたいって俺の所に訪ねて来たんだよ。勝って加賀をこの鎮守府に配属出来る大義名分もあ―――」

 

それより先の言葉を紡ぐことは出来なかった。右に並んでいた龍驤の左拳が、朝霧の頬にめり込む、横に居た翔鶴は咄嗟に避け、朝霧はそのままの勢いで転がりながら廊下の壁に叩きつけられた。艦娘は艤装を装着している間は、身体能力が跳ね上がる。しかし、普段の時点でも、大の大人を殴り飛ばす程の腕力は備えていた。口の中が切れたのだろうか、頬骨の鈍痛と共に血の味が広がっていく。翔鶴は険しい表情を浮かべていたが、龍驤を止めることはしない。考えは同じだった。

 

「いってえな……」

 

「切れた線は繋がったか?キミはなんのためにそんなアホな勝負に乗ったんや」

 

「加賀の為だろ」

 

「本当か?」

 

「お前はムカつかなかったのかよ」

 

「ああムカついたで!こんなに怒っとるんは久しぶりや!だからってウチらが冷静にならんかったらどうするんやッ!」

 

「あのクソッタレに加賀を返してもいいのかよッ!」

 

「だからって第七駆逐隊を巻き込んでええと思っとるんか!?そんな手段を選ばん勝負で勝ってもあいつらは全然嬉しくないやろッ!」

 

「このままで終われるのかよッ!」

 

「それで解決すると思ってるんかッ!」

 

朝霧は立ち上がり、龍驤の胸倉を掴んだ瞬間、再び龍驤の右拳が朝霧の顔面に突き刺さる。再び吹き飛ばされた朝霧は、壁に頭を打ちつけ、一瞬意識が飛びそうになる。昔の朝霧だったら、この時点で暴れまわっていた所だろうが、目の前の龍驤の悲しみと怒りを持ち合わせた表情が視界に入り、手が止まる。それに加え、あの時期を経由した故か、昔より感情の起伏が落ち着いてきた為、若干の冷静さを取り戻してきた。目の前の龍驤の本気の拳が、朝霧の目を覚ました結果だった。

確かに墨田の変貌の様は、先程から朝霧の胸の奥にもやもやとしたものを残していた。あの作戦がキッカケなのは確実と睨んでいたが、それだけでまるで人間が変わったようになるものなのだろうか。自身もそうなっていたと思ったが、心を閉ざし拒絶していただけで、根本の性格は変わらなかったと龍驤は言っていた。墨田自身は優しく、艦娘のことを何時も憂い、その事で一晩を語り明かしたこともある。それが艦娘を捨て、他の隊を侮辱し、歪みきってしまっていた。それはやはり、あの艦娘が関わっているのだろうと朝霧はぼんやりとした頭で考える。

 

「……あー、俺殴られてばっかりじゃん」

 

「でもキミ絶対にウチのこと殴らんやろ」

 

龍驤の嫌味の無い笑顔に朝霧は溜息を吐くと、右手を龍驤に向かい伸ばした。その手を取ると、座り込んでいる朝霧を引っ張り上げる。

 

「あんま気負いせん方がええで」

 

「そうですね。他鎮守府のことまでは、あまり考えすぎない方が」

 

あの加賀を前にしては、冷徹に取れる翔鶴の台詞だが、実際何処の鎮守府も自分の場所で精一杯なのだ。それを資材の半分まで賭けてしまう朝霧の言動は、秘書艦からしてみればあまり褒められたものでは無かった。しかしそれは秘書艦としての立場の助言であり、表には出さないが、向こう見ずだが親身になって艦娘のことを考えているこの朝霧を翔鶴は気に入っていた。これより先は朝霧の判断に任せるとして、司令室に戻った後は、治療を龍驤に任せ何時も通りの業務に戻る。デスクに戻った朝霧は、早速パソコンを使い大本営のデータベースを閲覧していた。龍驤は艦載機の整備はある程度終わっていた為、戻る必要も無く、救急箱からガーゼを取り出し、朝霧の頬に貼り付けてく。朝霧はあの作戦の轟沈者を完全に把握して居ない、その為にデータベースを確認していた。そして、LE作戦の轟沈者の欄を見つけ、横須賀鎮守府の項目を確認する。他の鎮守府では隊が半壊している中、横須賀鎮守府唯一の轟沈者。

 

「やっぱりな」

 

「なんや?」

 

龍驤は朝霧の作業が気になり、背後から画面を覗き込む。

 

「横須賀の轟沈者……旗艦大和。これか」

 

戦艦大和、それはこの御時勢においての知名度は遥かに高く、艦に興味が無い人間でも名前位は聞いたことがあるだろう。その大和を唯一建造し、秘書艦として苦楽を共にし、LE作戦まで戦い抜いたのが、横須賀鎮守府提督墨田だった。朝霧自身も大和とは何度か会っており、傍目から見ても互いを信頼しきっている仲だと直ぐ分かった。何度か朝霧と赤城、墨田と大和と呑みながら世間話や愚痴、自慢話などを語り合ったこともある。

 

「……ああ、横須賀の轟沈者は大和だけやったな……なんでも隊を庇って一人で深海棲艦相手に立ち回ったって、生き残った艦娘に聞いたことがあるわ」

 

「……それでイカれたってか」

 

「運が、悪かったんちゃうか」

 

「……運が悪かったのか」

 

朝霧は第一艦隊が轟沈し、絶望の淵に立たされた時、どうしていいか分からず軍を去った。墨田は大和が轟沈し、絶望の淵に立たされた時、どうしていいか分からず壊れてしまった。その二人に差は無い。ただ手段が違っただけであり、どちらもそうなる可能性はあった。しかし、二人の周りの艦娘には大きな差があった。

 

龍驤の心の中には朝霧が居た。朝霧には龍驤が居た。他の艦娘が軽蔑し見捨てた男を、現実から目を逸らし、心を閉ざしきった朝霧に、手を差し伸べた者が居た。逆に朝霧の心が壊れ、暴挙に走ったなら、今の様に龍驤は殴ってでも止めるだろう。

墨田に居たのは大和だけだった。その大和が沈み、暴挙に走った男を止める艦娘は居なかった。もし大和以外が沈み、その暴挙に走ったなら、大和は殴ってでも止めていただろう。しかし大和はもう居ない。その差が今の現状だった。

 

「……何にせよ、目を覚まさせるしかないな」

 

「……どうやってや?」

 

「お前にやられたのと同じ手段をな。ま、ちょっと行って来るわ。……後、第七駆逐隊に伝えといてくれ」

 

「そうやな、このままやったらあいつら緊張で眠れんやろうし」

 

龍驤は朝霧の手当てが終わると、司令室を後にした。翔鶴は二人のやり取りが終わったことを確認すると、書類の上にペンを放り、立ち上がり朝霧と目を合わせる。

 

「行くんですね」

 

「……まあな」

 

「……あの」

 

「ん?」

 

「恨んでますか。私達のこと」

 

朝霧は今までの流れから、現実を拒絶していた自分を放置していたことに対する後悔だと察する。一瞬きょとんとした顔を浮かべた後、何時も通りのやる気の無さそうな、緩やかな表情を見せる。

 

「俺が恨んでると思うか?」

 

「思ってません」

 

「じゃあ聞くな」

 

朝霧は何時もの私服に、今朝届いていた提督の証である白い軍帽を被ると、ドアに向かい歩き出す。それは決して気乗りするものでは無かったが、同じ境遇にあり、今の墨田の気持ちを理解しているのが、朝霧ただ一人だった。かつての一人の友人として、自分の手で、目を覚まさせるしかない。朝霧は自分の体に、また痣が出来ることを想像し、脱力したが、翔鶴の強い眼差しを受けて右手を軽く振る。

 

「まあ、行ってくるわ」

 

「はい」

 

ドアを開け、廊下へと消えていった朝霧を見送った後、再び着席し書類と向き合う。自分は朝霧のことを想っている。それが恋愛感情かどうかは分からないが、敬愛している。知っていたことだが、朝霧の心には別の人が居る。

 

「……敵いません、ね」

 

普段の人前では見せない溜息を吐くと、頬に手を突き、もし自分が龍驤より先に朝霧の元を訪れていたならと、邪な気持ちを浮かべ、自己嫌悪に陥っていた。それでも秘書艦としてすることがあると考え、椅子から立ち上がり、鎮守府内放送で戦艦榛名の名を呼ぶ。榛名には秘書艦兼提督を担っていた時、よく手伝ってもらっていた。およそ数分後、司令室に訪れた榛名に、午後の秘書艦の後続を頼み込む。

 

「いいですけど、珍しいですね。翔鶴さんが」

 

「ええ。少し、行くところがありますので」

 

翔鶴は、榛名に秘書艦の仕事を頼むと、妹の瑞鶴を探しに司令室を後にした。

 


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