彼は再び指揮を執る   作:shureid

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意地と意地

墨田は司令室のデスクで、明日の編成を考えていたが、上手く纏まらず天井を見上げる。秘書艦の赤城は、変わらぬ穏やかな表情のまま、机に向かいペンを走らせている。こんな自分に文句一つ言わず、仕事を淡々とこなす優秀な秘書艦は、下を向き続けていた為か、首を捻り背伸びをすると腰を上げた。

 

「お茶、淹れますね」

 

「……ええ」

 

もう戻れない。いや戻れるのかもしれない。

朝霧は戻った。自分は戻れるのか。

考えども考えども、浮かぶのは大和の笑顔だけだった。あの作戦から、思想や理念が全て失せていき、出撃どころか指揮を執ることを捨てていた。だらだらと近隣海域の防衛のみに出撃させ、戦果を上げぬ日々が続いていた。半年経ち、提督を辞めることも考えていた矢先、とある鎮守府から大本営に衝撃的な報告があった。

ドロップ。

その名の通り落としたのだ、深海棲艦が艤装を。姫級を討伐した後に、深海棲艦の残骸の中から海に浮いていたのを艦娘が回収した。その鎮守府の提督が、それを使い工廠で建造を行った結果、艤装に魂が宿り艦が生まれた。それは今までの建造と違った部分が確かにあった。その艦娘の記憶、経験、想いの全てが宿っていたのだ。少し前にその海域で沈んだ艦娘が蘇った、と言うのが最終的な報告だった。この報告を聞いて躍起になった提督は多かった。自分が沈めてしまった艦が、完全に戻ってきてくれるのだ。自分もその一人だった。

しかし、現実はそう甘くなかった。落とさないのだ。幾度の日々を重ねても、艤装を落とした報告は、半年に一度あるかどうかと言ったところだった。それも、駆逐艦といった軽量級の艦娘が多数で、戦艦級の艤装を落とした報告は一件もない。更に、大和が沈んだ海域は既に奪還された海域の最奥、深海棲艦の最後の防衛線。先ず辿り着くことさえ難しい。焦りが生まれた。朝霧とさほど変わらない時期に着任したからこそ、朝霧がたった二年でLE海域まで辿り着いていたことの偉大さが身に染みていた。一年経とうが、半分どころかその半分ほどしか海域を取り戻せていない。基本的に、艦娘と深海棲艦の戦いは消耗戦になる。敵旗艦を削り、消耗させ、最後に一気に叩きその海域を制圧する。それには時間を要していた。朝霧の様に消耗戦ではなく、旗艦を一気に仕留める方法でない限り、一歩ずつしか前に進んでいかない。しかし、時間を要するだけで確実に前には進んでいる。墨田は我慢が出来なかった。未だに海を彷徨う大和のことを想うと気が狂いそうだった。いや、もう狂っているのか。

提督の間ではタブーとされているが、時間をかけずに海域を奪還する方法がある。艦娘が傷を負い、中破状態や大破状態に陥ると、痛み分けのまま撤退し次の機会を待つ。しかしそれを無視し、轟沈覚悟で進撃したならば、犠牲と引き換えに多大な戦果を得ることが出来る。

何時からだろうか。

 

「進軍して下さい」

 

自らの手で引導を渡し始めたのは。その命を下した瞬間、自分は提督としての資質を地に踏みつけたのだ。建造することも、もう叶わないかもしれない。仮に大和の艤装を手に入れて、こんな手段を取った自分の想いに答えてくれるのだろうか。考えれば考えるほど、その命令の後悔が胸を満たす。しかし振られた賽の目を変えることは出来ない。

 

「ですが提督……」

 

「敵旗艦は消耗しきってます。進軍して叩きましょう」

 

もう、止まらない。

大本営も文句は言わなかった。

轟沈したのは駆逐艦ばかりだった。それほど痛手ではない。

上は戦果さえ上げていれば文句は言ってこないのだ。

もう、止められない。

 

「提督……第一艦隊はもう疲労困憊です……」

 

「高速修復剤を使って下さい。一気に海域を取り返します」

 

その命令を出しても何も感じなくなった時には既に、何人の艦娘が海の藻屑となったのか、考えるだけで頭痛がする。そんな自分を少し、現実に引き戻す報告が先日入った。人類の英雄とも称されていた朝霧提督が、横浜鎮守府に着任したと。そして先程、北方海域奪還時に行方不明となっていた正規空母加賀を発見したとの報告を受けた。表情には出さないが、赤城は心底喜んでいただろう。自分はどうだろう。

ああそうか、と思うだけだった。

こんな自分に大和が答えてくれる筈無いのはとっくに理解していた。何をやっているのか、自分でも分からない。畏怖に支配された目。怯えた目を自分の鎮守府の艦娘から向けられ続ける日々。

 

「提督、お茶が入りましたよ」

 

「…………」

 

もう考えたところでどうにもならない。此処まで地に落ちてしまっていては、もうこの鎮守府の艦娘から信頼を得るのは無理だろう。それでもまだ、葛藤出来る程壊れてはいないのは、目の前の赤城のお陰だろう。自分の無理な命令も受け入れ、同時に憐れむ様な目で自分を見続ける。憐れみだろうがなんだろうが、自分を見てくれていることが寸前で墨田を踏み留まらせていた。机の上に湯気が立ち込めたままの湯飲みが置かれる。それに手を伸ばし、頭を切り替え資材を獲得するためにも明日の編成を練ることに決めた。伸ばした手が、湯のみに触れる寸前、司令室のドアの向こうから、何やら金属を引き摺るような音が聞こえた。だんだんそれは近付いてくる。提督をやっていると、第六感が鋭くなるのかもしれない。そのドアの向こうには、邪悪の根源のような、ドス黒いモノを感じた。一瞬朝霧の顔が頭を過ぎったが、違う。あれは人間の怒りなどのものではない。憎しみと狂気にまみれた、憎悪の塊。そして、その音は一気に司令室のドアの前まで近付いてくる。墨田はデスクの引き出しからリボルバーを取り出すと、右手に握りハンマーを引く。

 

「赤城さんッ!」

 

銃口をドアに向けると同時に、轟音が横須賀鎮守府内に鳴り響いた。木製のドアが粉々に砕け散り、墨田の頬を何かが掠めていく。それは後ろの窓ガラスを粉々に粉砕し、後ろの木々を薙ぎ倒していった。ドアの向こう、司令室の前に立っていたのは此処にいる筈がないモノ。黒いレインコートに、深く被ったフードからは銀髪を覗かせている。後方からは太い尻尾のようなものが蛇のように伸びており、その先端には戦艦を模した深海棲艦特有の意匠が施されている。狂気を孕んだ赤い瞳が、二人の恐怖心を駆り立てる。

 

「な――――」

 

こんな玩具では傷一つつけること叶わないと一瞬で判断し、墨田は迷わず眼球に狙いを定め、リボルバーの引き金を引く。

 

「ギャァァァアアアアアアアアアアア」

 

発射された弾丸は、同時にレ級の左目を撃ち抜き、レ級は深海棲艦特有の耳を劈く悲鳴を上げる。悶えながらその尻尾を振り回し、司令室のドア付近の壁を粉砕していく。墨田は陸自の知り合いに撃ち方を教わっただけであり、ピンポイントで目を撃ち抜けたのは完全なまぐれだった。この好機を逃すべきではないと、墨田はリボルバーをズボンのベルトに差し込むと、立ち尽くしている赤城の手を取り風通しのよくなった司令室の出口を目指す。後ろに退路は無い。両手で左目を押さえ、未だ我武者羅に尻尾部分を振り回しているレ級の横を走り抜けるのは至難だったが、待っていても嬲り殺しにされるだけだった。尻尾の動きをよく見ながら、腰を落とし進む。レ級の真横に差し掛かった時、不規則な軌道を描いている尻尾が赤城目掛けて振り下ろされた。

 

「ッ――――」

 

墨田は赤城を庇うように体を抱き寄せ、咄嗟に右腕を掲げると、レ級のその尻尾は墨田の腕に直撃し、墨田の右腕の骨を粉砕する。声にならない叫び声を上げると歯を食いしばり、右肩を無理矢理捻り尻尾を薙ぎ払う。赤城はバランスを崩し、ふらついている墨田を支えると、引っ張りながらも司令室の廊下へ這い出る。

 

「提督ッ!」

 

「大丈夫……です」

 

赤城に肩を預け、二人は廊下を走っていく。真後ろからは不快な金切り声と共に、様々なものを破壊する轟音が響いてくる。道中、赤城は壁に設置されている警報機のボタンを叩き押すと、鎮守府内に音の低い警報が鳴り響く。警報は普通海からの敵襲に使うものだが、それは司令室から発せられた警報のみであり、廊下に設置されている警報機は、直ちに鎮守府外へと避難を要するものだった。深海棲艦が艦娘に化けることがあることから、念の為に設置されたものであった。途中、廊下の端に横たわっている複数の艦娘を発見した。レ級に襲われたのだろうか。駆逐艦の皐月と菊月、軽巡の天龍が意識を失っていた。恐らく、レ級がこの司令室を目指している道中、相対した艦娘は皆同じ状況だろうと判断する。艦娘に備わっている元の力のお陰だろうか、駆逐艦の二人に目立った外傷は無かった。しかし二人を庇ったのか、多量ではないものの天龍の腹部からは血が流れ、右腕はあらぬ方向へと曲がっていた。

 

「……赤城さん、手の空いている者で鎮守府内の負傷者の避難を急いで下さい」

 

「提督はどうされるんですか」

 

「あれを引き付けてきます。こんな所で皆さんに死なれては困りますから」

 

「ですが――――」

 

「これは命令です」

 

幾度と繰り返してきた、拒否権の無い上官からの命令。赤城は怪我の重い天龍を背負うと、墨田に背を向ける。

 

「ご武運を」

 

墨田は赤城が走り去って行ったのを確認すると、腰に差していたリボルバーを左手に握り、司令室を目指し歩き始めた。折れた腕は紫色に変色し、血が滴っている。激痛と暑さから大量の汗が額に浮かぶ。今逃げてしまえば、自分は助かるだろう。自分が死んでしまっては、大和に会うことも叶わない。レ級を相手取ったところで、数秒と持たないかもしれない。しかし、これが自分の過ちに対する罰なのだろう。今まで見捨ててきた艦を、この手で救おうとする日が来るとは夢にも思っていなかった。もう、あの眼差しで艦娘から見られるのには疲れてしまった。もう、建造も出来ないであろう自分が大和に会うのは不可能だ。なんて事はない、何れ自分に返ってくると思っていたツケが、今日返ってきただけの話だ。

終わらせよう。もう、終わらせよう。足が重い。

死に向かい進軍していった艦娘はこんな気持ちだったのだろうか。

こんな拳銃一丁では絶対勝つことは出来ない。死刑台に上る死刑囚と言ったところだろうか、墨田は自分を嘲笑いながら、未だに周りの窓や壁を破壊しつくしているレ級の元へ向かう。墨田はせめて艦娘達の避難が終わるまでは、レ級を引き付けることを決め、重い足を引き摺りながら廊下を歩いて行った。

 


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