横須賀鎮守府襲撃事件から早一週間が経過した。
入渠ドックに入った青葉と、すぐさま病院に運ばれた朝霧と墨田の命に別状は無かった。しかし三日は絶対安静と診断された為、朝霧は着任早々三日間鎮守府を空ける結果になったが、横浜鎮守府には元から提督兼秘書艦を務めていた瑞鶴達が居た為滞りなく進んでいた。そこから四日間の休息を取り、朝霧は横浜鎮守府の司令室の椅子に舞い戻っていた。医者には渋い顔をされたが、提督が居なければ鎮守府が崩壊すると無理を通して提督の座に復帰した。折れた右腕には添え木がされており、抉られた腹部と頭部も未だに包帯が巻かれている。一方の墨田は一週間の絶対安静が言い渡され、更に一週間の入院が必要と診断された。加賀はすぐさま自分の意思で横須賀鎮守府へ戻り、赤城と共に墨田の帰りを待っていた。
「はい、あーんして下さい」
「あ゛あ゛ー役得じゃぁー」
右手が使えない朝霧は、昼食時の食堂にて翔鶴に甘えご飯を口へと運ばせていた。当番が巡りその日の秘書艦になっていた吹雪は、入る余地が無いと睦月の横で食事を取っている。瑞鶴は非常に渋い顔をしていたが、レ級を相手取り横須賀を守った末に怪我を負っている朝霧に何も言えず、横で睨み続けていた。周りの艦娘達もその様子を興味津々に見守っている。二人の後ろに座っている山城は羨ましそうに、そして恨めしそうに見つめていた。
(私も怪我をすれば扶桑姉さまにッ……)
しかし、艦娘は基本的に怪我をしても入渠ドックにさえ入ってしまえば治ってしまう。叶わぬ願いに溜息を吐くと、改めて自身の司令官である朝霧を見つめ、一週間前のことを思い出す。朝霧が入院したのち、瑞鶴は皆が集まる夕食の食堂にて一連の出来事を皆に説明していた。
「って訳で、提督は今入院中だからまた私達が提督の仕事を引き継ぐわ。秘書艦はあいつの意向通り日替わりで」
瑞鶴の説明に食堂は驚愕の声に染まっていた。あのレ級を、素手と刀一本で倒したと言うのだ。食事中の各テーブルの艦娘達はその話題で持ちきりだった。
「霧島?レ級って素手で倒せるものなのかしら?」
「うーん……成せばなるのかしら」
「と言うより地上で、それも鎮守府のど真ん中でレ級と出くわすのって……あの提督も不幸ね……」
「……お見舞いに行ったほうがいいのかしら?」
戦艦テーブルにて、実際その火力からレ級と対することが多い戦艦達はその強さを身に持って知っている。榛名は首を傾げ霧島に尋ねるが、当人は困った表情を浮かべたまま箸を動かす。
「筑摩よ!凄いのお我輩達の提督は!」
「いや凄いとか次元じゃないと思うんですけど……」
「うむ、その話を聞くと俄然闘志が沸いてきたぞ!今度白兵戦で――」
「那智姉さん……素手じゃ絶対に勝てませんよ……」
「うーむ……野蛮人ですわ……」
「ていうか有り得なくない……」
重巡のテーブルにて、朝霧は実は深海棲艦か、はたまた未来から来たロボットではないかと話が飛躍していき、大盛り上がりのまま食事を進めていた。
「へえー、凄いわねあなたの旦那」
「誰が旦那や」
「男だねぇ、あの提督!こりゃ龍驤もほっとかないか!」
「まあ……冷静に考えてみると実際凄いわね……翔鶴姉?」
「え?あ、ええ。そうね……私達なんて海の上で精一杯なのに」
空母テーブルでは、飛鷹と酒を嗜んでいた隼鷹に真っ先に龍驤が茶化され、それを眺めつつ瑞鶴と翔鶴はどっと押し寄せてきた疲労を感じながらご飯をかきこんでいた。
「レ級を白兵戦で……人間なのあの人」
「不知火達の提督としてはふさわしい人物なのではないでしょうか」
「睦月も倒すにゃー!」
「私達は海の上でも厳しいわね……」
「提督さん凄いっぽい!」
「いや凄いというより……なんだろう。もう人類史上初の快挙になるんじゃないかな」
第七駆逐隊のテーブルでは、改めて朝霧と言う人間の存在について話し合っていた。
その時、夕立は飛鷹と隼鷹のからかい攻めにあっている龍驤を見つめると、とある疑問を口にした。
「提督さんって、誰が好きっぽいのかな?」
その一言に一同は恋バナ大好き駆逐艦の血が騒ぎ、主に夕立、如月、陽炎がレ級の話題はそっちのけで朝霧の本命の人物について議論を交わし始めていた。
「やっぱり龍驤さんかなー、なんか訳アリそうじゃん」
「でも翔鶴さんとも仲よさそうっぽい!」
「もしかしたら瑞鶴さんかもしれないわね」
結局誰か結論が出ないままその日の夕飯を終え、鎮守府に復帰したら即質問しようと言う結論に至った。そして、朝霧が今現在翔鶴と馴れ馴れしくしている様を見て、夕立は得意気に鼻を鳴らしていた。
「やっぱり翔鶴さんっぽい!」
「じゃあ聞いてみなさいよ」
得意顔を向けてくる夕立に陽炎はそっぽを向くと、朝霧にそのことを質問するように促した。
「何時聞くの?」
「……今とか?」
「……流石に気まずいっぽい」
「じゃあ皆でじゃんけんしましょう。負けた人がこの場で質問を」
「僕達も入ってるの!?」
「当たり前でしょ、この話を聞いた時点から一蓮托生よ」
「睦月選手、負けられません」
乗り気でない不知火も無理矢理じゃんけんに参加させ、各々が自分だけは負けたくないと言う想いと、本命を知りたいと言う想いを乗せ右手を振り翳した。
「「じゃんけんぽん!」」
「……何故不知火が」
「よしッ!よしッ!よしッ!」
不知火の恨めしい視線を受けながらも、陽炎はその場でガッツポーズし、提督のテーブルへ行くように促す。
「どの様に聞けば?」
「ストレートに好きな人は誰?って言っちゃいなさい!」
「はぐらかされた場合は?」
「んー、確かに答えずらいかもしれないわね……お嫁にしたい艦娘とかでもいいんじゃない?」
「………………」
皆は憐れみの視線を向けながら、耳だけは澄ませ食事を進めている。こうなってしまっては、絶対に行かされることが分かっていたので、不知火は観念して席を立つ。話題の渦中にある第七駆逐隊の横で食事を取っていた吹雪は、自分がターゲットにならなかったことに胸を撫で下ろす。皆が座っている中、いきなり立ち上がり提督の下へと歩いて行った不知火に、辺りの艦娘は静まり返り動向を見守っていた。その様子に気付いた朝霧は、丁度食事を終えた為顔を正面へ向け、何故か不機嫌そうな不知火と目を合わせる。
「どーしたぬいぬい」
「第七駆逐隊の皆が知りたがっていることなのですが」
「んああ、演習か。そう言えば教えられて――」
「いえ、司令官はどなたのことが好きなのですか?」
不知火は辺りの空気を気にした様子も無く、直球に尋ねる。この時ばかりは不知火が適任だと言えた。他の艦娘では尻すぼみしてなかなか質問出来ないことが容易に想像出来る。一瞬全艦娘の会話が止まり、空気が凍りつく。そして不知火がやったぞ、と。まるで単身で敵武将の首を討ったかのような、辺りから尊敬の眼差しを受ける。何だかんだと皆恋バナは大好きであった。飛鷹は見ていた。龍驤は興味なさそうに、何時もの馬鹿をやっているとした目で見ていているが、だんだんと腰を朝霧の方向へとずらして行き、椅子からずり落ちそうになりながらも何とか聞き漏らさないようにしていたのを。翔鶴の横の瑞鶴は気付いた。何時もの笑顔を浮かべているものの、その顔は非常に引き攣っており、握っているスプーンが震えている。伊号潜水艦の面々は、川内型を曳航させ海を克服するための遠征に向かい、この場に居ない第六駆逐隊の夜の肴にしてやろうと、椅子から立ち上がると付近まで詰め寄る。
「んー……みんな好き、とかは駄目なの?」
「不知火は構いませんが、皆は納得しないと思います」
「難しいねえ」
「ではお嫁にしたい艦娘ではどうでしょうか」
「あ、それなら赤城」
まさかのこの場に居ない艦娘の名前が挙がった事により、第七駆逐隊のテーブルを起点として食堂内の艦娘から一斉にブーイングが起こった。それと同時に龍驤は椅子から転がり落ち、翔鶴の持っていたスプーンが真っ二つに折れ曲がった。
「なんで赤城さんなのよッ!此処に居ないじゃないッ!」
「提督さんずるいっぽい!」
「そうなの!それは逃げた答えなの!」
「うるせぇぇぇ!年上っぽそうな包容力のある女が嫁になったら最高って言ってるだけだよッ!」
その言葉に翔鶴の折れたスプーンが完全に圧し折れ、先端部分がテーブルへと転がる。瑞鶴は暗に翔鶴は意識されていないことに気付き、どのような言葉をかけたら良いのかと考えていた。龍驤はすぐさま立ち上がり、震えた手で食べ終えていた食器を持つと、おぼつかない足取りで返却し食堂を後にしていた。
「あちゃー、ありゃ重症だねえ」
「まあ、きっぱり言う辺りは凄いわよね……」
喧騒が止まない中、朝霧はさっさと食器を返却すると、未だにブーイングを背に受けながら食堂を後にした。残された翔鶴は、未だに定まってない目の焦点を虚空に向けており、瑞鶴に肩を揺さぶられようやく我を取り戻した。
「あ、ええ。瑞鶴?別に気にしてないわ、ありがとう。瑞鶴もそう思うわよね?」
「私は何も言ってないわ……」
その日の秘書艦であった吹雪は司令室に戻ると、午前中に悪戦苦闘していた書類の束の前に座り気合を入れる。先に司令室に戻りペンを走らせている朝霧に視線を移すと、素朴な疑問をぶつける。
「あの、深海棲艦が地上で鎮守府を襲った話ですけど……何かそれを防ぐ対策があるんですか?」
「いや、出来る対策つったら鎮守府の周りにレ級の砲撃程度じゃびくともしない城壁を作ることくらいだろうからねえ。成りすましは対策できるけどゴリ押しで来られたらお手上げよ」
「それじゃ泣き寝入りってことですか……?」
「まーそうなるな。そんな鎮守府を強化する金ないんよ。税金もいっぱいいっぱいだしさ」
「そうなんですか……」
未だ人類は危機的状況にある。もし深海棲艦が一斉に地上に上がって来ようものなら、それを察知しそうなる前に対策をすぐさま取れるが、先週のように単独で圧倒的力を持った深海棲艦が襲撃してきたなら、未然に防ぐ方法は無い。群れならばすぐさま発見できるが、単独行動なら監視の目を抜けやすい。出来る対策と言えばせいぜい堤防の哨戒をより厳しくし、完全に監視し続けることのみだった。吹雪は皆が思い出を持ち、共に戦ってきた拠点となるこの横浜鎮守府が大好きだった。しかし、この先鎮守府が安全とは言えなくなる未来もあるのだろうと想像し、落胆の溜息を吐く。
「んまー大丈夫よ。俺が何とかするし、瑞鶴や翔鶴、龍驤も居る」
「そうですか……」
「……他に何か聞きたいことある?答えられる範囲なら答えるよー」
朝霧のその言葉に、吹雪は少し考え、この暗い話題から離れようと先程の出来事を思い出す。
そして一度深呼吸し、勇気を振り絞って声に出す。
「あっ……あのっ、司令官は実際どなたがす……好き……なんですか?」
「んー、なに?知りたいのぶっきー」
「え?あの……気になったので」
「ま、その内分かるよ」
朝霧は手にしていた書類を吹雪へと差し出し、それを受け取った吹雪はその書類に書かれている文字に興味を惹かれた。
「ケッコン……カッコカリ?ですか?」
「言い得て妙だよな。ケッコンする訳じゃないから(仮)だってさ、良いネーミングセンスだよ」
「結婚するんですか?」
「指輪を渡すだけだよ。信頼と絆がある艦娘が受け取ったなら、その艦娘の練度が限界に達してても、それ以上の練度の向上が見込まれるだってさ」
「へえー。って、もう申請してるじゃないですか!」
「そりゃね、俺だって好きな相手に渡してみたいもんよ。指輪くらいな」
「でも赤城さんは横須賀に――」
「あれは嫁にするならって例だよ。勿論俺にも好きな人は居るさ」
「じゃあその人は――」
「まだぶっきーには早い話よ」
これ以上詮索しても、満足できそうな返事は返ってこないと考えた吹雪は、その書類に秘書艦承認のサインを書き足し、書類の束の上に積み重ねた。
(私も……いつか誰かに貰えるのかなあ……)
吹雪は花嫁姿をぼんやりと想像しながら、慣れない書類仕事と格闘し続け、へとへとになりながらその日の秘書艦を終えた。