朝日が地平線から顔を出し、鎮守府の白い壁に日差しが照りつけ始めた頃、その日の秘書艦であった陽炎は工廠の暑さに悶えていた。朝とは言え、真夏の工廠は火気を多用する為外とは比べ物にならない程温度が上がり、更に潮風で機械類が傷んでしまわぬように換気の為少し開ける以外は、基本的に扉は閉めてある。
秘書艦の順番が第七駆逐隊まで回り、旗艦と言うことで無理矢理秘書艦の座を奪い取ってきたのだ。職権乱用に近いものがあるかもしれない。朝霧の秘書艦は人気がある。確かに書類仕事は退屈だが、それ以上に窮屈しないのであった。本人の方針が、仕事さえやれば後は何をしても基本的に問題ないというものであり、書類仕事を全力で終わらせた艦娘が冷房の効いたソファーの上で寝転がり、気持ちよさそうな顔で眠っているのを見て殺意が何度か湧いていた。瑞鶴に士気に関わるから止めさせろと言われていたが、その本人もよく昼寝をしているのに加え、昼寝をする為に期待以上の書類仕事が毎回行われる為、瑞鶴も殆ど諦めていたのだ。
しかし一番の人気は、朝霧自身も様々な海域を攻略してきた歴戦の猛者とも言えるため、その朝霧の過去話を語って貰えるということだった。まだ見ぬ海域の話を聞けるとあり、秘書艦になった翌日の食事のテーブルは質問の嵐になっていた。
「あづいぃ……明石さぁーん……」
「今はそんなに暑くないわよ。昼頃になればもっともっと!」
「いやぁぁぁ………」
「そいで明石さんよ。艤装は出来たかい」
「はい!ばっちりです!いつでも建造できますよ!」
先日建造の許可が下りた為、早速明石に艤装の製作を頼み、朝早くから工廠を訪れていた。早朝と言うこともあり、いつも工廠に居る明石と朝霧、そして本日の秘書艦である陽炎の三人がその場に立ち会っていた。建造に立ち会う機会は滅多にない為、陽炎は物珍しさについて来たが、早速そのことを後悔していた。司令室に戻ってしまおうとも思ったが、此処まで来たら見てみようと耐え忍んでいた。
「んじゃ、暑いしぱっぱと終わらせるか」
「どんな艦が来るんですかねー。楽しみですね」
「まだ出来ると決まったわけじゃねーよ」
「提督なら大丈夫でしょう!」
建造に特別な方法も機械も存在しない。艦娘の元の艤装を作成し、それに触れ呼び出すだけで建造は終了する。しかし、過半数はその艤装が変化することは無く、建造は失敗に終わる。
「…………」
(あれ……緊張してるのかな……って、ここはまさか秘書艦の出番かしら!?)
朝霧が少し緊張した面持ちで、艤装の前で耽っているのを見た陽炎は近寄り肩に手を置く。
「司令なら大丈夫だって!陽炎がついてるわよ!」
事実朝霧はその艤装になかなか触れられずにいた。勿論自信が無いわけではないが、万が一失敗した時のことを考えてしまっていた。その手に勇気を貰えた気がした。
「……っし!」
朝霧は艤装に触れ、目を瞑る。その時に口上を述べる必要は無い。
(まあ、色々あったけど。もうちょっと提督を続けるからさ、俺と一緒に戦いたい艦娘が居たら此処に来てくれ)
大戦の末期まで戦い抜き、海へと沈み底で漂っていた艦の魂は自分を想い呼ぶ声を聞いた気がした。その暗い海底に光が差し、吸い込まれていくような感覚に陥った。次に意識を取り戻した時には、天窓から差し込んだ光に目を眩ませ、茹だる様な暑さの中に立っている感覚があった。それがやがて感覚では無く、実体のものだと把握する。この目の前の男が、自分のことを想い、自分を必要としている提督。提督なのは白い帽子部分だけであり、後はジーパンに黒いシャツの男。人柄の良さそうな、自分の好みでもある好青年だった。先ずは自己紹介しなければならないだろう。
「英国で産まれた帰国子女の金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」
「新しい仲間が到着したわ!」
「成功みたいですね」
自己紹介を終えても、目の前の男は何も喋らず、呆然と立っているだけだった。一方、その横にいるのは自分と同じ艦の仲間だろうか、二人はこそこそと話し合っている。
「えっと、提督ぅー!どうしたんデスカー?」
目の前にいるのは紛れも無い金剛。その姿を見た時、あの日までの思い出がフラッシュバックする。勿論今の金剛に記憶があるわけではない。しかし、意識するより先に体が飛び出していた。此方の顔を不思議そうに覗き込んでくる金剛に両手を回し、強く抱き寄せるとその胸に顔を埋める。
「WHAT!?大胆な提督ネー、でも時間と場所をわきまえなきゃノンノンヨ!」
陽炎は、瑞鶴から艦娘にセクハラ紛いのことをしようとしたならば、容赦無く制裁を加えてもいいと言われていたため、金剛を抱きしめた瞬間身構えるが、朝霧のその体が震えている事に気付いた。
「……泣いてるんデスカ?提督」
朝霧は嬉しかった。何よりも自分が沈めてしまった金剛が、再び自分の想いに応え戻ってきてくれたことが、何よりも嬉しかった。金剛は驚いた顔をしていたが、やがて子を慰める母親のような優しい表情を浮かべると、帽子の上からその頭をゆっくりと撫でていく。陽炎と明石はどうすることも出来ず、ただその様子を傍観していた。
「……司令って金剛さんと知り合いだったのかな」
「あ、思い出したわ。確かあの作戦の第一部隊に金剛さんが所属してたのよ」
「じゃあ感動の再会ってことなの?」
「……かなぁ」
そんな朝霧と金剛の様子を、扉の隙間から見つめる視線があった。日課の艦載機の整備を行おうと工廠を訪れていた龍驤は、扉に顔を張り付け唖然とした表情を浮かべていた。やがて踵を返すと宿舎まで駆け出して行き、五航戦の眠る部屋のドアを壊さんばかりの勢いで開く。
「えらいこっちゃで!」
「ッ何!敵襲!?」
翔鶴より先にドアが叩き付けられた音で目が覚めた瑞鶴は、掛け布団を放り投げ体を起こす。
汗だくで部屋に転がり込んで来た龍驤の様子を見た瑞鶴は、サイレンがなっていないことに不安を覚える。それにつられ翔鶴も目を覚まし、体を起こすと半目で周りを見渡す。
「んー……おはようございます」
寝ぼけ眼の翔鶴の両肩を握り、揺すり起こすと翔鶴は少し不機嫌になりながら目を開いた。
「今工廠に行ってみたら金剛が建造されたんや!」
「……は?」
瑞鶴は心底不思議そうな表情を浮かべると、何が大変なのか把握するために龍驤の次の言葉を待った。
一方の翔鶴はまだ眠そうだった目を開ききると、口元に手を当てた。
「金剛さんが……それは不味いですね」
「……何が不味いの?」
「あの金剛の事や……比叡が居らん今、あいつといちゃいちゃし放題な筈やでッ!」
瑞鶴はそこまで言葉を聞くと、時計を見上げ時刻が六時にもなっていないことを確認し、龍驤の背後に忍び寄る。間髪入れずに両手を胸に回すと、そのまま龍驤を持ち上げ部屋の外へと全力で放り投げる。
「おやすみ」
瑞鶴はそっぽを向くと布団へ体を倒し、欠伸をしながら目を瞑った。向かいの壁に叩き付けられた龍驤は、腰を抑えながら立ち上がると翔鶴に手招きする。翔鶴は普段の艤装へと着替えると、布団を畳み部屋の外へ歩み出た。
「確かに問題ですね。比叡さんがストッパーになっていたので抑えられていましたが……忌々しき事態です」
「やろ?行く行くは出来ちゃいましたー!なんて事になりかねんわ……」
二人は既に顔を出し切った太陽から差し込む日差しが漏れる廊下を歩き始めると、窓から見える工廠の外観に目を移した。
「……にしても、龍驤さんはそんなに提督のことが好きなんですね」
「なっ!えっ!ちゃうで!?あいつに目の前でいちゃいちゃされると皆の士気も下がるやろうし――」
「私は好きですよ、提督のこと。Likeでは無くLoveで。だから金剛さんが来たのは嬉しいことですが、同時にライバルが出来たとも思いました……龍驤さんもそうなんでしょう?」
「え……いや、んー……」
此処まで走って真っ先に自分に伝えに来ておいて、何を言いよどんでいるのかと翔鶴は呆れ顔を浮かべる。翔鶴は自分のこの気持ちが恋愛感情かは分からなかったが、横須賀鎮守府にて死んでいるかも分からない朝霧の姿を見た時、胸が締め付けられ自然と涙が溢れ出してきた。
第一主力部隊にいなかった時は意識する程度だったが、こうして朝霧と一緒に居る機会が増えるにつれて、その感情が次第に恋愛感情だと理解するようになっていた。一方の龍驤は視線を天井に向けると、少しの間唸り続ける。
「んー……まだ分からんわ……」
「じゃあ私が貰っちゃいますね」
「それはあかんでッ!」
「なんでですか?」
「えっ?……あー……」
(面倒くさい人ね……)
しかし、翔鶴は朝霧の心の中に居るのは自分では無いと薄々感じ始めていた。食堂で話した赤城の名前は、言い逃れのためだと言う事はショックであったが理解はしていた。自分も鈍いわけではない、龍驤が朝霧のことを想っているのは当の昔から知っている。何が恥ずかしいのか、その気持ちをなかなか人に伝えられていなかった。その時、龍驤は朝霧と再会した時、はっきりと本人の前で好きだと告白していたのを思い出し、顔を真っ赤に染める。
(いやあれは……流れと言うか……ノーカンやノーカン!提督として好きって意味で……)
悶えながら宿舎を出たその時、視線の向こうにある工廠の扉が開き、中から金剛と朝霧、そして陽炎が出てくるのが見えた。朝霧も向かって来ている二人の姿を認めると、手を挙げ叫ぶ。
「うーす!早いねえ!」
「え、ええ。おはようございます」
「せっかくだから紹介しとくか、さっき鎮守府に来てくれた金剛だ。まあ二人とも知ってると思うけど」
「よ、よろしく」
「よろしくお願いします」
「Hi!金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」
「二人は艦載機の整備か?」
「え!?あ、そうやで」
「は、はい」
まさか恋敵と偵察ともいえず、苦笑いしながら頷く。
「それじゃまた」
三人は司令室へ向かい歩き出したのだが、すれ違うと同時に金剛が朝霧の右腕に自分の両手を絡ませたのに龍驤は気付いた。下唇を噛み締め、渋い表情で背中を見送っていることに気付いた翔鶴も振り返り、そのことに気付く。
「……大胆になれれば有利でしょうか」
「……やなぁ」
金剛のことを羨ましく思いながら、二人はせっかくだと言うことでサウナの様な工廠へ入っていった。